4.アスティン、敗北
「ルフィーナ、俺は本気で行くよ! ……いいんだね?」
「ええ、構わないわ。でもアスティン、ケガはしないでね。あなたはまだなりたての副団長なんだから、ケガでもしたら他の騎士たちに示しがつかないわ」
「怪我をさせないように気を付け……ん? 俺が怪我をするってこと? そんな、それは無いよ。だって相手はまだ子供じゃないか。ルフィーナは俺の強さをまだまだ分かってないんだね? それならもっとキミに惚れてもらうために力を見せてあげるよ!」
「ふふっ、強気のアスティンも好きよ。期待しているわ! じゃあ、頑張ってね」
「うん! 任せてよ」
わたしは彼が、見習い騎士の時からどれだけの敵と戦っていたかなんて知らない。人間じゃない亡霊騎士とかと戦ったこともあるんだ。なんて聞かされたけれど、だからといって、見習いの女の子相手には余裕で勝てるだなんて思って欲しくない。
「お母さま。アスティンは油断も余裕も見せているわ。彼が負けたらどうなさるの?」
「……もう一度見習い騎士にするのはどうかしら?」
「それは面白いけれど、さすがに可哀相よ。その時は……わたしが決めて良いかしら?」
「ええ、もちろん! 王女であるあなたが決めるべきね」
「分かったわ! それじゃあ、そろそろ始めましょう」
副団長のアスティンと見習いヴァルキリーのハズナは、戦いの前に互いに顔を合わせる。王女が立ち会う大広間には、騎士団の団長とアスティンに近しい騎士たちが顔を揃えている。
「あれっ? キ、キミは確か城下町で出会った……」
「……」
「ルフィーナ、まさかこの子が?」
「あら? 知っていたの? ええ、そうよ! ハズナっていうの。優しくしてあげてね」
「ええっ!? そんなこと言われても……」
「それでは、両者……剣を構えて存分に戦いなさい!!」
初めて会ったわけでもなかった女の子……ハズナからは、並々ならぬ殺気を感じていたアスティン。彼は強敵のヴァルティアや、カンラートとも戦ったことがあった。
それにも関わらず、何故か彼女に立ち向かうことも出来ないほど、竦んでしまっていた。目の前の女の子は間違いなく、普通の子供に見えるのにも関わらず。
「おいおい、アスティン。子供が相手だからと手を出さないつもりか? これは戦いなのだぞ。試練の時を思い出してみろ。お前は俺にも引けを取らなかっただろ。あの時を思い出して、立ち向かえ!」
事情を知らないカンラートは余裕の表情で、アスティンに声をかけていた。彼の応援とは別に、ヴァルキリーに立ち向かう恐ろしさに感覚が似ていると感じたアスティン。
手を出さないことには相手の強さが分からない。これはもうやるしかない。期待して見てくれている周りの騎士たちの為、アスティンは覚悟を決めて相手に向かうことを決めた。何より、ルフィーナに見直してもらうために。
「く、な、何で足が竦むんだよ……」
「アスティン! 負けたらどうなるか分かっているわよね?」
「そ、そんなことルフィーナに言われたらやるしかないじゃないかー! あれ? い、いない!? え?」
「アスティン! 後ろだ!!」
カンラートの声が聞こえた時だった。
「――弱い奴にきょうみない」
「えっ……!?」
気付いた彼はすでにその場で倒れていて、ハズナと呼ばれる女の子に蔑みの眼で睨まれていた。
「王女さまにはわたしひとりだけいればいい。キサマはきえろ」
「え? 王女って……」
自分に何が起きたのか分からないまま、起き上がれずにいたアスティン。体を起こそうとすると何故か、全身に激痛が走り、鋭い何かでやられたような感覚さえしていた。
何も出来ないまま、猛烈な痛みもあってか耐え切れずにそのまま暗転したアスティンだった。
「アスティン! ねえ、起きて……! アスティンってば」
誰かの声が聞こえて来ていた。頭は誰かに支えられながら、居心地の良さすら感じていた。アスティンはさっきまで何をしていたのかすら、覚えていなかった。
「王女さま、ごめんなさい。風で吹き飛ばしたら倒れてしまったです……」
「ううん、いいのよ。気にしないでね! 先に宿舎に戻って休んでていいからね、ハズナ」
「わかりました」
耳元で、ルフィーナの話し声と女の子の声が聞こえて来る。そのまま黙って目を閉じていると、優しい手が彼の頬に触れている。そして、そのまま頬を撫で始めたと思っていたアスティン。
「バカッ! 起きなさいってば! もう、油断しすぎのアスティンてば!! 起きてよー」
優しく撫でられていた手は、何故か頬を何度も叩き始めて、何度も彼を起こそうとしている。
「いっ、いたたたた……痛いって、分かった……分かったから、ルフィーナ」
「あ、起きたのね! んもう、アスティン……ハズナに油断しすぎよ! あなた、彼女を目の前にしながら一歩も動けずに彼女の攻撃を受けて倒れてしまったのよ? 覚えていないの?」
「へっ? 攻撃!? え、いつの間にそんな……」
アスティンは、自分の体を見てみると体中に細かい切り傷のようなものが出来ていて、それが全身に激痛を走らせている原因だということが分かった。
「んー……油断していたあなたも悪いけれど、あの子の強さが分かったわよね?」
「全く動きが見えなかったんだ。最初から俺とは勝負にならなかったんじゃないかな……」
「……ごめんね、アスティン。あの子はヴァルキリーになる子なの。しかも強さはヴァルティアを越えているの。あなたにこんな怪我をさせるつもりは無かったの……アスティン、許して」
「ルフィーナ、俺は怒ってなんかないよ。俺はまだまだ強くも無いんだ。だから、涙なんか流さなくていいんだよ……。大丈夫だよ、ルフィーナ」
ヴァルキリー候補。騎士とはそもそもの強さの質が違う。アスティンは改めて実力の差を思い知ってしまう。彼がここまで怪我をするだなんて思っていなかったルフィーナ。彼の顔を見れずに涙を流してしまっていることに、悔しさが滲むアスティン。
こんなルフィーナを彼は見たことが無かった。いたずらをして嬉しそうにするルフィーナ。アスティンのことを気にしながら笑顔を見せてくれるルフィーナ。
だからこそ、彼女の笑顔に惹かれていた。その彼女に涙を流させては駄目だと思ったアスティン。
「泣かないで。俺は平気だから……キミは王女なんだ。今回は俺の油断だったから、キミはいつものように笑顔を見せて俺も、みんなも元気にしてくれたら嬉しいよ」
彼の言葉に何度も頷きながら、ルフィーナは両腕で優しく抱きしめていた。そしてそのまま、痛みと共に、意識を失ったアスティンだった――