150.守護騎士アスティンの帰還 前編
「では、そのように致します」
「ええ、セラもそれでお願いね」
「はっ!」
ルフィーナ王女は、新たな近衛騎士であるアグスティナを王女の間に控えさせていた。混乱のアスティンを止め、セラの窮地を救った人物でもあることから、セラの傍に置く方がいいのではないかと王女は考えていた。
「ルフィーナよ。彼はもう、そうならないと信じておるのだろう? 何故、近衛騎士を置くというのだ? 彼は驚いてしまうのではないのか?」
「うふふっ。だからこそですわ、お父様。アスティンはいつものアスティン。ですけれど、自分の置かれる立場を彼女たちの表情と共に、自分自身で留めて欲しいのですわ。混乱の時の記憶と、セラへの攻撃は忘れたくても忘れられないことですもの。そして自分を止めたティナのことも、多少の苦手意識を抱いているとわたくしは思ったのですわ」
「む……そこまで考えてのことか。ならば、わしは見守るだけだ。王はルフィーナだからな」
ルフィーナの父アソルゾ陛下は、娘の成長を喜ぶと共に、王婿であるアスティンのことが心配でたまらなかった。辛い思いをさせたアルヴォネンしかり、アソルゾ自身にもその重荷の責を彼に背負わせてしまったことを悔やんでいたからである。
「ルフィーナ王女、間もなくアスティンが参られます。その、城兵の壁で迎えてもよろしいのですね?」
「ええ」
「御意に」
たとえ愛する夫でも、騎士としての式には相応の覚悟で前へ進んできて欲しい。それがルフィーナ王女からの愛の形であり、心の示し方でもあった。
◇
「母さま、僕、行ってくるよ」
「一人で城に行く覚悟を決めたのね?」
「うん。彼女が僕を待っているから。僕一人で進まないといけない気がするんだ」
「行ってらっしゃい、アスくん。いいえ、王女の騎士アスティン」
「行ってきます!」
アスティンの母ロヴィーサは、ルフィーナが家を訪れる前までは付き添いながら、城へ行くことを決めていた。しかし、ルフィーナと息子の時間が良い流れになったことを悟ることが出来た。いつまでも息子離れをすることが出来なかったロヴィーサにとっても、いい機会を得られたと感じられたからである。
「……アスくん、いよいよね。わたくしもいい加減、あなたを守ることをやめなければならないわ」
◇
ジュルツの城門から庭を通り、城を見上げるアスティン。彼はここで王女と出会い、恋に落ちた。定められた運命だったとしても、彼は最初から彼女こそが自分の運命の相手であると、幼き頃から決めていた。
かつて何度も落とし穴に落とされた庭を見渡しながら、アスティンは少しだけ笑顔をこぼして城の中へと足を進ませた。
「アスティン様……」「アスティンさまが我らに気圧されることなく前だけを見られている」などと、アスティンを囲むように、両側に兵の壁を作って列を成していた者たちからは、感嘆の言葉が聞こえてきていた。
「アスティン・ラケンリース、参りましてございまする」
王女の間に入ってすぐに跪き、名乗るアスティン。王女からの言葉がかかるまで、顔を下に向けて動かすことは無かった。
「顔を、お上げなさい。騎士アスティン」
「は」
「わたくしの騎士アスティン。あなたには、ここに仕えているセラフィマと、アグスティナ。両名と試合をして頂くわ。ただし、今回に限っては勝敗を定めないわ。この試合は、あなたがわたくしの騎士にふさわしいかどうかを見極めさせていただくことにあるの。よろしいかしら、アスティン」
「かしこまりましてございまする」
ルフィーナの言葉に驚きを見せることのないアスティン。王女だけを見つめるその目には一切の迷いがない。
「では大広間にお行きなさい。そこでなら、思いきり剣を交えることでしょう」
「では、先に失礼いたします」
大広間は、かつてアスティンが見習い騎士としての最後の試練として、カンラート、シャンタル。そしてルフィーナと闘った場所である。今回の相手は、彼らではなく彼女たちによるものだった。
「いいこと、アスティン。情けも遠慮も必要ないわ! あなたの実力を剣で示すのです。よろしくて?」
「……」
言葉を発することなく、ルフィーナに黙って頷くアスティン。右手には剣を構え、左手には盾を持っている。その盾を目にしたセラは、闘いに挑む前から若干の戦意を削がれていた。
「ア、アスティン、その盾をあたしに向けて、何か面白いことでも言えってことなのかい? くっ、くくっ……あんた、相変わらずだねえ」
「……? い、いえ、そんなつもりではなかったのですが……まだ消えていなかったのですね」
セラから見たアスティンの盾には、「僕は、アスティン。ルフィーナちゃん大好き」と書かれた文字が微かに読むことが出来ていた。この盾のおかげで、試練の時のカンラートも気を削がれ実力以上の試合が出来なかったのである。
「ふっ、あははっ! いや、あたしはあんたとこうして向き合うだけでいいよ。剣を交えるのはあたしじゃない。そうだろ、ティナ?」
「はい。彼の真意を見極めるのは自分の役目。元からセラ様の手を煩わせる時間などありませんでした」
正常な意識下ではなかったとはいえ、アスティンはセラを傷つけたことを忘れてはいなく、髪を短く切って、その性格に違わぬサッパリとした彼女の意気を、汲んでいただけだった。
「初めからあなたは、自分しか見えていなかった。そうでしょう、アスティン」
「はい。僕を止めたあなたとは、ここで正式に決着を望みます。そうでなければ進まないのです」
「いいでしょう。あなたのその実力を、自分に示すがいい」
そうなることは初めから分かっていたとでも言うべきか、ルフィーナはアスティンの言葉と表情に安堵していた。セラは最初から闘う素振りを見せずにいた。これは王女の指示によるものであり、アスティンの盾に関係なく、彼がどう出てくるのかを見計らってのことに過ぎなかったのである。
アスティンと近衛騎士アグスティナは、互いの剣を構えながら動く気配をしばらく見せなかった。実力はアスティンにあり、アグスティナ自身は、やや劣ることは本人がよく分かっていることだった。
「セラ、ティナのあの変わった剣は何かしら? 随分と痛そうだけれど……」
「あれは、フォセ。ティナってのは見かけによらない武器を扱える騎士なんですよ。あたしでもアレは重すぎて簡単には持てなかったね。アレでアスティンに挑むってことは、本気を見せたいってことだと思うぜ」
「……そう、彼女もまた彼に何かの思い残しがあったのね」
互いに剣を構えながら、息の詰まるような間が数刻ほど流れていた。彼の想いと、彼女の見定めが一瞬で決まりそうな、そんな予感を感じながらルフィーナとセラは、ふたりを見守るしかなかった。




