129.恢復の騎士との訣別:前編
アスティンを慕う見習い騎士。このことについて、わたしはかねてより危惧していた。忘れもしないわ。アレはそう、彼がハズナにやられて寝込んでいた時のこと。全身傷だらけで、起き上がるにしても切り傷の痛みを伴っていて、食事はおろか召し物を着替えさせることもままならなかった。
「ご、ごめんね、ルフィーナちゃん。完全に油断だったよ。俺の完敗だった」
「いいのよ、そんなの。初めからあなたが勝てないのは分かっていたことなの。知らせずに戦わせてごめんなさい」
「あの子がヴァルキリー候補なんだね。ははっ、俺ってヴァルキリーと戦うことが出来てるんだよなぁ。カンラートは別としても、他の騎士はとてもじゃないけど戦うどころか、話すことも恐れ多いって言ってた」
「シャンタルお姉さまとも戦ったのね?」
「うん、何年も一緒にいたからね。喧嘩くらいするよ。ルフィーナちゃんもそうだよね?」
「え、ええ、そうよ! カンラートったら、細かすぎるしさらには、いちいちうるさすぎるの。お姉さまが普段は相手にしたくないのも分かってしまうわ」
「それはねルフィーナちゃんが――」
アスティンが優しい声でわたしと話をしてくれる。そんな流れの中で、大体いつもそれを途中で途切れさせるようにして、部屋に押しかけて来るのが見習い騎士たちだった。特に要注意なのは、明らかに好意を寄せているあの娘ね。意志が固そうですもの。
アスティンは「部下だからね。俺を慕って来るのは当たり前だよ」なんてことを言っていたけれど、そうじゃないのよアスティン。それでも、あそこまでアスティンのことを想っているのなら、いつかあなたが危機に陥った時、あなたの傍にいてくれたら頼もしいかもしれないわ。
わたしとお姉さまと、フィアナお姉様。いいこと、アスティン……あなたへの想いを伝えて来る見習い騎士がいたとしても、許してあげられるのはその彼女だけなの。許すだなんて、そんな気になれたのもあの見習い騎士には何かの力があるからだわ。アスティン、わたしの大事な旦那さま……どうか無事でいてね。
「カンラート様、私の同行を認めてくれて光栄です。でも、私は戦えるほどの力はありません。それでも、どうして認めて下されたのでしょうか?」
「ルプルと言ったな?」
「はい」
「母親が何者なのか、お主は知っているのか?」
「い、いえ。何も」
「……そうか。いや、気にするな。すまないな。だが、これだけは言っておくぞ。お主はアスティンにとっては、初めての部下であり、一番目の見習い騎士だ。それ故、レイバキアでの同行にも付いていけたのだ。アスティンが最も信頼している騎士なのだ。だからといって、必要以上の好意を抱くことはどちらも悲しくなるだけだ。それは理解しているな?」
「はい……」
「ならばよい。しかし、好意と切り離してでも、もしあいつが戻れなくなりそうな危機に陥っていたら、救えるのはルプルだけだと俺は信じている。その際の手段について俺は、目を瞑る。お前があいつを助けてやってくれ」
「は。分かりました」
カンラートから離れたルプルは、騎士エイトールの近くを歩きながら目的の湖に向けて前を見ていた。
「このことも見越していて、見過ごしていたとしたらルフィーナ、お前は大した王女だ。俺もシャンタルも叶わない王女だということになるな。さて、アスティンの元に急ぐとしようか」
フィアナ、シャンタル。かつて彼女たちに想いを寄せ、想われながらも叶うことの無かったアスティン。惑いの術をかけたラーケルにより、すでに彼女たちへの想いの心はほとんど失くしていた。
「うふふ……残るは、一番強い心ね。さぁ、アスティン。彼女の心をわたくしに頂戴」
もはやもぬけの殻になりつつあったアスティン。湖面に自分の顔を映したまま、彼はルフィーナのことを思い浮かべていた。そこにはアスティンの思い出のルフィーナではない彼女が映っていた。
「ねえ、ルフィーナ。ヴァルキリーが子育てに入ったら大きく戦力を失うことになりそうだけど、騎士たちにはどう言えばいいかな?」
「あら、そんなことを心配しているの? あなたは何も心配しなくていいの。ジュルツには沢山の騎士たちが国を、わたしを守ってくれているわ。だから、あなたがもし怪我をしていなくなったとしても問題なんて無いの。ううん、あなたがいなくても国は成り立つわ。わたしにはアスティンがいなくても……」
「う、嘘だ。ルフィーナがこんなことを僕に言う筈がない。嘘だよ……こんな、こんなの」
「それはそうと、あなたもわたしとの子が欲しいかしら?」
「え、あ……そ、そうだね。そうなったらヴァルキリーと同じくらいに、ジュルツも大変なことになりそうだね。でも、そうなったら僕が君も国も守るよ! だから、安心して……」
「出来ないわね。あなたとの子ですって? 心が弱すぎるあなたが、国もわたしも守れるの? あり得ないわ。そんなあなたとの子だなんて、そんなのは到底あり得ないことね。アスティンはただ大人しく、騎士をしていればいいのよ。だって、いつまでも見習い騎士のままなんですもの……ふふっ」
「ち、違う……僕は、弱くない! キミはそんなひどいことを言わないし、僕にどんなにいたずらを仕掛けて来ても、最後には必ず仲直りしてたんだ。キミはルフィーナなんかじゃない!」
「ごめんなさい、アスティン。わたしのアスティン……ええ、そうなの。これは全て嘘なの。だから、アスティン、わたしの傍に来て」
「う、うん。そうだよね、ごめん……キミの騎士なんだ。傍なんか離れられないよ」
「ふふ、いいわ。傍においでなさい。わたくしの傍であなたは戦うだけの騎士となるの……さぁ、アスティン――」
悪いルフィーナに心の弱さを見せ、それでも離れられないアスティンは、どんなに嫌な言葉を言って来ても、最後にはやっぱり自分を傍に呼んでくれる。もうそれしか信じることが出来なくて、ルフィーナとして見ていたラーケルの手を掴むために、手を伸ばそうとしていた。
「カンラート様、アレを!」
「ちっ、やはりここだったか。ヤージ殿のおっしゃっていた場所は間違いでは無かった」
「アスティンさん!!」
カンラート率いる騎士団が湖に近付くと同時に、姿を消していたレイリィアルの兵たちが騎士たちに向かって襲い掛かって来た。
「目論み通りではないか。ルプル、お主はアスティンの元へ急げ! それと、エイトール……」
「お任せを!」
二手に分かれ、ルプルとエイトールはアスティンの元へ急ぎ、カンラートたちは兵たちと交戦を始めた。
「ルプル、お前はアスティンの所へ行け! 俺は女をどうにかする。お前しか頼れない。急げ!」
「は、はいっ」
副団長のアスティンを救う為とはいえ、これが事実上、レイリィアルとの完全な断絶となってしまったことは、その場にいるカンラートを始め、騎士の誰もが感じていた。
「くっ、ルフィーナ。すまない……お前とあの国でのことをして来たというのにな。すまぬ……」




