Deadlock Utopia 第一章 二節 ~Pureblood~
ファンタジー小説「Deadlock Utopia」第一章二節です。一節~四節でメインの登場人物にまつわる1話完結の内容となります。二節は「Pureblood」ある純血種の話です。
Deadlock Utopia 第一章 二節~Pureblood~
2067年 ロンドン
誰かがけたたましくドアベルを鳴らしている。まだ朝の6時じゃないか。寝入りばなを起こされた俺は、不機嫌そうにドアを開けた。
すると、ホテルの支配人に伴われた警官が、俺の部屋のドアをぐいと足で押さえ、俺の進路を塞いだ。
「朝早くにすみません、ミスター。まだおやすみでしたかな?」
口調こそ丁寧だが、俺を見る目は嫌疑の念に満ちている。
「ここのホテルのドアベルの音は最高の目覚ましだ。お陰で爽快な目覚めですよ」
口の端をあげて笑い、嫌味たっぷりに答えてやる。
「おっと、用件は手短に、と言った風ですな。失礼ですが、ミスターは日本の方で?」
「……いや、この見た目だが生まれはこの国だ」
「なるほど、いや、珍しいまでの黒髪と黒い瞳ですなぁ。心なしか訛りもある」
「俺がイギリス生まれだとなにか不都合でも?それとも日本人でないと困るのか?」
警官は俺の苛立ちなど全く気にも留めずに質問を続けた。
「昨晩はどちらへ?随分と遅い御帰還のようでしたので」
昨晩は、ピカデリーサーカスのパブで声をかけてきた女と遊び、血を吸った後、道端に捨ててきた。殺しちゃいないよ。なんてことない、ただの食事さ。
――などと言えるはずはない。
「市内のパブで明け方まで飲んで、酔い覚ましに散歩して帰ってきたが……なにか?」
「ミスター、今日はいい天気ですぞ。カーテンを開けても?」
「……帰るときには閉めていってくれ、すぐにでも寝たいんだ」
さっきから全く会話が噛み合っていない。この警官は、ただ義務的に仕事をしに来ただけのようだ。これは素直に応じて早々にお帰りいただくしかない。
ずけずけと部屋に入ってきてカーテンを開け放った彼にも、俺は抗議の一瞥を投げるだけにしておいた。
ロンドンにしては珍しい晴天だ。さんさんと降り注ぐ朝日が、俺の目に刺さり、思わず目を細める。警官が、カーテンを押さえたまま俺を観察する。
悲鳴を上げながら砂になっていくのでも期待していたんだろうか。
その「期待」の外れたらしき警官は、今度はある物をポケットから出した。
「これが、市内のあるパブのそばに落ちていたそうで、もしやミスターのものでは?どうぞ、手に取って御確認を」
ぽとり、と俺の手に落とされたものは十字架だった。俺はそれをためつすがめつし、
「俺はクリスチャンでもなければ、こんなものを携帯する習慣もない。警察はいつから『吸血鬼狩り』までするようになったんだ?」とため息をついた。
警官は眉を上げてじろりと俺を睨むと言った。
「察しのいいことで……この街で最近どうも、汚らわしい吸血鬼連中の仕業と思しき事件が頻発してましてねぇ。つい慎重になったまでです。お気を悪くなさらないよう」
「俺を疑うのをやめたらな。用が終わったなら眠らせてくれ」
「ああこれはどうも……夜通し徘徊をされていてはさぞ眠いでしょう。失礼しました」
「銀の弾とニンニクを持って出直すなんてことはしないでくれよ」
「ミスターの朝食にはよぉくサービスするようにここのコックに頼んでおきますよ。もちろんニンニクは抜きで」
俺は、お手上げだ、という風に軽く両手を上げて笑った。
ある日を境に、俺たち吸血鬼は太陽や十字架を恐れなくなった。銀の弾がかすっただけで身体が崩壊するなんていう事も勿論ない。ましてやニンニクで退散するなど……。
そんなことも知らない時代遅れの警官を、心の中で嘲笑した。
去り際、ホテルの支配人がおずおずと俺に一通の封書を差し出した。差出人の名前は書いてないが、蝋を使って封をするのは一族の証拠だ。俺は支配人にチップを渡し、二人を追い返すようにドアを閉めた。
ドアの閉まる直前、警官が聞こえよがしに言った。
「古風ですなぁ。封書の便りとは……まるであの『絶滅した』吸血鬼たちのようだ」
どうやら今夜にはここを発つことになりそうだ。俺は封書から僅かに感じ取れる仲間の血の匂いに、不吉な予感を抱いていた。
消印はKAGUYA。アジアにある多種族共存の街だ。
あそこを訪れるのは何十年ぶりになるだろう。
<西暦1939年 ニース>
満月の夜、俺たちは獣人との戦いに敗れようとしていた。郊外の森で、かつてないほどの戦闘になり、見渡すだけでも10人近い仲間が、喉をかき切られて倒れていた。
不気味な咆哮と、仲間達の悲鳴と断末魔。獣人はたった3頭のLoup-garou(狼男)だ。それが、月の力を借り、銀の弾も通さない身体となって、爪と牙だけで次々と俺たちを倒していった。
ここ20年ほどは、俺たち吸血鬼が優勢に立っていた。その慢心が今回の判断ミスを生んだ。なぜ、狼男の伝説の残るこの地で、よりによって満月の夜に戦いを始めちまったんだ……。
俺も既に満身創痍だった。利き腕の肉はえぐられ、銃弾は全て撃ちつくした。
そんな俺の目の前には、不愉快極まりない獣臭さを撒き散らす一頭の狼男。牙を血で光らせて、俺をどのようにいたぶって殺そうかを考えている。
「どうした、ワン公。怖気づいたのか?」
俺の最後の強がりとわかると、奴は楽しそうに
「ああ、お前を足から食うか、頭から食うか、考えただけでも気分が悪くてな!」
そういうと、俺を頑強な腕で殴り飛ばした。
数メートル先の木に叩きつけられ、息もできないほどの激痛に呻く俺の耳に「場違いな」音が聞こえてきた。
――馬の……蹄?ここは森の中だぞ……。
間違いない、馬の蹄の音だ。だが、援軍などではないことは明らかだ。こちらへまっすぐに向かってくるであろうその音に先んじて、俺は――いや、その場にいる俺たち全員が、そいつから「死の気配」を感じ取った。
戦いの勝利を確信し、興奮する狼男たちが、何か挑発するようなことを言い、音のするほうへ向かった。しかし、その後に聞こえてきたのは、紛れもない狼男たちの断末魔だった。
俺の側で、息も絶え絶えな仲間が言った。
「あれは……死神だ……!気配を悟られないように、体温・心拍・呼吸を最小限にしろ。間違っても本当に死んじまうなよ」
俺たち吸血鬼は、意図的に仮死の状態を作り出すことが出来る。しかし、当時まだ100歳たらずの「若輩者」の俺にはその経験が殆どなかった。
焦る俺の方に、蹄の音と、ずるずると何かを引きずる音が近づいてきた。
酷い死臭に集中を乱された俺は、仮死にならずに「死神」をまともに見ることになった。
骨だけの馬にまたがる漆黒の騎士。馬の周囲にはチラチラと炎がひらめくが、不思議と全く熱さを感じない。馬の口には狼男が一頭咥えられ、騎士の左手には首がふたつ、そして右手には剣が握られていた。
「死神」が俺の前でぴたりと止まった。俺がそのとき思ったのは
「何故さっき狼男に殺されておかなかったのだろう」ということだ。
情けないが、この死神に殺されるよりはだいぶましだと思えたのだ。
しかし「死神」は確かに俺を認めたにも関わらず、黙ってその場から消えた。そう、本当に「消えた」のだ。
俺に仮死状態を指示した仲間は息絶えていた。「死神」の発する死の気配に、弱った仲間は命をとられてしまったのだろう。俺は結局「死神」の正体を聞けないままになってしまった。
<西暦1989年 日本 輝夜>
仲間の一人が叫んだ。
「魔族っていうのは、お人よし野郎の集団か?!」
俺も叫び返したが、笑いが止まらない。
「さあな!どちらにしても、今回はノーゲームだ!」
日本の港町、輝夜。
未だ獣人たちとの争いに決着のついていない俺たちは、奴らのたまり場があるというこの街にやってきていた。輝夜が世界でも珍しい、獣人や魔族が人間と共同生活をする街であることは知っていたが、俺たちの想像以上に平和であったことに驚いた。
輝夜で俺たちは、数名の仲間とともに長年の因縁に決着をつけに来たのだが、街を歩けば「魔族の居酒屋」だの「狸温泉」だの……。長年まさに「日陰の存在」だった俺たちには、多少拍子抜けするほど、異種族が自然な共同生活を営んでいた。
しかし、わざわざ渡航ビザまで偽造してきた手前、なんとか抗争だけはして帰らねば格好がつかない。ということで、夜の居酒屋で、血の気の多い仲間(おそらく前日にでも吸血を堪能したのであろう)をけしかけて、獣人に喧嘩を吹っかけさせたのだ。
人間社会になじんだフリをしていても、所詮ケダモノ。上手く挑発に乗った獣人に仲間を呼ばせ、港での決闘と相成った。
だがそこに、なぜか魔族の一団が割り込んできたのだ。「魔族の酒場で起こった喧嘩は魔族のもの」などという意味不明な口実で、だ。魔族たちを見て驚いたのは、少なからず女性がいたことだ。中には少女としか思えない、顔色の悪い女までいる。
こんな事でまともな戦闘になるんだろうか、まさか口げんかじゃないだろうな……という不安は杞憂に過ぎなかった。
魔族たちはいい連携で戦う集団だったのだ。獣人たちが、個々の能力の高さで勝負をすれば、魔族は弱いものがチームになって応戦する。これは我々も学んでいい集団戦闘だ…。
――と、こんな具合に客観的に見ていられるのも、喧嘩を売ったはずの俺たちが傍観者になるくらいに、「魔族vs獣人」の戦いが白熱してしまったのだ。
完全に戦闘意欲を失った仲間が俺の横で叫んだのが、さっきの一言だ。
このまま獣人が魔族に負ければ、わざわざここへ来たのも無駄足だったか、とやや残念に思っていると、街のほうが急に騒がしくなった。
見張りらしい、竜のような獣人が叫んだ。
「警察が来たぞー!」「RATSだ!」
(ラッツ?ドブネズミか?)
大騒ぎした割には、「RATS」はたったの4人であった。身体に似合わぬ大型バイクをふかし、ヘルメットで顔を隠している者もいる。
RATSと呼ばれるものたちは、抗争中の奴らから少し離れたところにバイクを止め、丁度港を見下ろす場所から、拡声器で呼びかけた。
「はいはいそこまで~。魔族さんも獣人さんも、死んじゃうまえにやめましょうね~!逮捕ですよー!」
なんとも頼りない声を出しているのは、ひょろっとした優男。だがこんなふざけた威嚇を、魔族も獣人も戦闘をやめて神妙な顔で聞いている。
そんな優男の頭をぽかりと叩いて、メットを被った女性が拡声器をひったくった。
「私は喧嘩を見ちゃったのでもうこれはアウト!ギルティです!最近開発した唐辛子バズーカをお見舞いですNE!」
誰かが「ステラっ!」と止めた……ようだが、女性隊員はげらげら笑いながら、躊躇いなくバズーカを発射した。
「あーもう……」
RATSの一人、先頭にいた小柄な者が、仕方ないという風に首を振りながらため息をつき、その後「突入!魔族と獣人の抗争を制圧せよ!」と意外にどすの聞いた声で叫んだ。
すると、その他の3人は各々特殊な武器を手に、抗争の渦中へと飛び込んでいった。
「ほう、これは……」俺は感心した。弱弱しい人間と思っていたが、なかなかどうして上手く武器を操る。一瞬とはいえ、魔族や獣人がこいつらに怯んだのも納得だ。
まず「尻尾を巻いて」逃げたのが獣人だ。鼻の利く連中だから、最初の唐辛子バズーカとやらが堪えたと見える。
魔族はその点頑丈で、数の点で上回っているのもあり、武器も恐れず互角以上の戦いをしている。
俺はチラリと隊長らしき人物を見る。港には下りず、一段高い場所から戦況を見守っている。時折、無線を通じて部下に指示を出しているのだろう。4人の中では最も小柄で華奢な体つきをしているが、ただの司令塔ではない雰囲気が漂っている。
戦況が拮抗してきた時、優男の武器を、ひときわ身体の大きな魔族が叩き落した。魔族の男は力に任せて、優男の頭をヘルメットごと地面に叩き付けた。
一撃で粉砕するヘルメット。優男はひとたまりもなく失神したようだ。
港中に響き渡る声で、魔族の男は吠えた。
「調子に乗ってっと、ヤマちゃんの頭ごと潰すかんねー?」
攻撃の手を止めるRATS。囃し立てる魔族。形勢逆転だ。
さて、司令塔はどうでるかな?と、先ほどの人物のほうを見ると……居ない。
正確には、いなくなったのではなく、魔族の男のほうに走り寄って行くところであった。音もなく走る様、あれは人間ではない。
RATSだけがその気配を察し、大人しく武器を下ろし、数歩下がった。魔族たちが、妙に素直なRATSを不審に思ったその時。
司令塔が数メートルもの跳躍をし、魔族の男の両肩に飛び乗ったのだ。
おっという顔をした男が、肩の上に乗った人物を見ようと首をひねる。その首を、司令塔が両脚を絡めて挟む。まるで肩車のような格好で、司令塔は魔族の男の首を捕まえた。
頭を潰されそうなRATSの優男。首を折られそうな魔族の大男。
形勢がイーブンになったと分かると、魔族の男が何事か言い、優男から手を離すと、司令塔もひらりと肩から降りた。
抗争の終わりを告げるような、大男の笑い声。彼は司令塔の肩をバンとひとつ叩いた。それを見て、RATSの女性隊員が優男をずるずる引っ張っていく。
俺の仲間があきれたように言った。
「何だあれは……子供の喧嘩か?」
「この街では、抗争はひとつのイベントらしいな」
存分に暴れられなかった物足りなさを紛らすように、俺は煙草に火をつけた。
「あれが死者を出さない知恵なんですよ」
「何だお前?」
いつの間にか、RATSで一番目立たなかった隊員が俺たちの間に割って入っていた。
「あと、ここは禁煙エリアです」
そういってオレの煙草をひょいとつまむと、携帯用の灰皿にポイと捨てた。
「おい…警察が何の用だ?」
仲間が色めき立つ。
「待て」
俺は止めた。こいつは相手にしないほうがいい。あの抗争の中から誰にも気取られずに俺達のところまで来るとは――こんなに気配のない人間は見たことがない。
「そちらの方のほうが話が出来そうですね」
俺に笑いかけ、男は丁寧に名乗った。
俺が名乗りあぐねていると、男もそれを察したようだ。
「名乗らなくて結構ですよ、吸血鬼さん」
「……?」
突然のことで答えられずに男の顔を見ると、彼は先ほどの携帯用灰皿を見せた。
「これは体液から種族の因子を検出する装置でもあるんです。VB(VampireBlood)因子がこんなに出るなんて。相当純血種に近い方なんですね」
お手上げだ。だが俺は肯定も否定もしなかった。
「あのRATSという連中は大したもんだな。弱さを技術で補っている」
「そうでないと、この街では舐められますからね」
「時に、おたくの司令塔は随分身軽だな」
「彼女はハイブリッドです。人と魔族の」
あれは女だったのか。
再び司令塔をみると、ヘルメットを外して大男と楽しそうに喋っている。その髪は長いブロンドで、顔は確かに女だった。
「まいったな……ハイブリッドとはいえ、女が隊を率いるとは」
「吸血鬼の女性は戦いませんか?」
「ああ、同族の女は我侭だからな。男にとっては手を焼くだけの存在だ」
「だから人間を襲うんですね?」
「探ろうとするなよ。心配しなくてもあのお嬢ちゃんは幼すぎる」
「ああ見えてもう30近いんです。MB(MixedBrid)因子は老化を遅らせますからね」
「年齢だけ大人の女性でも、あんなにお転婆じゃ……」
「そして私の妻です。まあ、手を焼くという点では同じですね」
驚きのあまり開いた口がふさがらない俺に向かって、では失礼します、良い滞在を、と挨拶して男は去っていった。
何だあいつ……と不満そうにこぼす仲間に俺は言った。
「しばらくしたらここを発とう。どうにもペースが狂わされる。ここは……」平和すぎる、と言おうとして、退屈すぎる、と言いなおした。
この街の平穏を、羨ましく思う気持ちも、おそらく幻想だ。
<西暦1992年 ブランデンブルク>
滞在先のコテージに、仲間からの封書が届く。消印はKAGUYA……あぁ輝夜か。よほど居心地がいいのか、滞在が長いな。その内容はこうだ。
『RATSは解体された。途端に街の秩序が乱れたが、あの4人は相変わらず張り切っていた。だが、気配のない不思議な男は死んだ。魔族でも獣人でも、勿論吸血鬼でもない外敵が現れ、かなりの数の警官が殉死したらしい。その妻だったハイブリッドの隊長は、どうしているかわからない。ひとつ分かったのは、彼女の名前だけだ――』
獣人のことも、抗争のことも何一つ書いていない。
俺はその女の名前がドイツ語であることに驚いた。「Adelheid」と書いてアーデルハイト。その名が指す「高貴」という意味からはほど遠いお転婆娘だったな。
自然に笑みを浮かべてしまった自分に苛立ち、俺は封書を灰皿の上で燃やした。
<西暦2067年 日本 輝夜>
安っぽい近代的なメトロの駅を降りて、俺は思わず声に出した。
「これがあの輝夜か?」
約20年ぶりに訪れたのだから仕方ないのかもしれないが、その街並みの変わりように俺は驚いた。
この街では、50年ほど前に大きな抗争があり、それは世界中に知れ渡るニュースとなった。
その後、輝夜には「安全宣言」が出され、世界で最も安全な街として平和のシンボル的な扱いを受けていたのではなかっただろうか。
「安全で平和――の成れの果てがこれか。皮肉だな」
雑多ながら何処かに温かみがあった以前の輝夜とは異なり、近代化されたその街にはうすら寒い気配すら漂っていた。
今回俺が再び輝夜を訪れたのは、滞在していた友人の消息が絶たれたからだ。
ロンドンに届いたあの封書からは、仲間の血の匂い、そしてたった一言「『死神』に会った」と。
駅前で宿の場所を確認していると、一人の警官が声をかけてきた。
「どうしました?この街は初めてですか?」
妙に丁寧な物腰に、俺の警戒心が増す。
「ああ……友人を訪ねて。どこかのホテルに滞在しているはずだが」
「この街で正規に営業しているホテルは1軒だけですが、未認可の宿が沢山ありますから……分かる限りはお教えしましょう」
「あんた、どこかで会ったか?」
どうにも、この男には見覚えがある。しかし、日本人と接点のある生活は、少なくともここ数十年はしてきていない。
「さあ?私は初めてかと思いますが。制服のせいかもしれませんね」
地図を確認しようと俯いた男の顔を見て、思い出した。
あの、RATSの男に似ているんだ。
穏やかな口調が、俺にそれを確信させる。だが、男にそれを尋ねるようなことはしない。
警官に教えられた宿を、中心街から順に探す。半分以上まわっても、それらしき人物は滞在していないという。今日のところは自分の宿を確保し、明日再び探すことに決め、俺はハイウエイの側の安ホテルを選んだ。
日当たりの悪い、狭い部屋に通され、不愉快になる。すぐに窓を開ける自分に、思わず苦笑いする。
(日当たりの悪さを不満に思う吸血鬼というのも妙なものだ)
5階にある俺の部屋からの眺望はまずまずだった。下を歩く人物の人相も充分判別でき、突然の侵入者も、まず5階から入ろうとは思わないだろう。
窓際で煙草を吸っていると、下手糞な笛の音が聞こえる。みると、人間の女が獣人のガキを連れている。女のほうは純粋な人間のようだ。親子だろうか。まだ獣人はこの街にいるのか……と思うと、忘れていた警戒心が蘇る。
崩壊した道路の先で、女とガキは手を振って別れた。好都合だ。少し早いが食事とするか。念のため、銃の残弾を確認していると、妙な気配を察した。
窓の外を見ると、まさに空中から出現した、という風に蜘蛛のような形をした大型の機械兵器が、ハイウエイの上に現れた。そしてその巨体で身軽に跳び、ハイウエイの下に降りた。
(あの先には、獣人のガキがいたな…俺には関係ないが)
近代化した街の、保安ロボットか何かだろうと見るとはなしに見ていた俺は、思わず舌打ちをした。
女が、そのロボットのほうへと、小走りで向かっていくのが見えたのだ。角を曲がった女は、おそらくロボットと対峙したのだろう。
女が足を止めた様子から、あれが保安ロボットなどという安全なものではない事が分かる。俺はそのままホテルのベランダから飛び降りた。
無事に着地した俺は、ロボットに気取られぬようにと、壊れかけたコンテナの陰から様子を伺う。丁度、女の真後ろからロボットを見る位置だった。
女は立ちすくんだままだが、俺はすぐには行動に移さない。
おそらく先にガキを殺すであろうロボットの戦力を見てから判断しても遅くはないだろう。
ロボットの前脚が振り上げられる。俺は冷静に、その速度とパワーを測る。すると、目の前で信じられないことが起こった。
女が、ロボットに向かっていったのだ。
軽やかな疾走、高い跳躍。ロボットの頭部に着地し、拳を撃ちおろす。
あのRATSのハイブリッドだ。まだ生きていたのか。
安堵と同時に、自分の愚かな妄想を打ち消した。
(あれから80年近く経っているんだ。老化が遅いとはいえ、あれでは若すぎる)
それに、女の闘い方は素人同然だった。動きは速いが、それだけだ。例えるなら、戦闘を促す脳に操られるように身体を動かしている、そんな感じだ。
案の定、1分も経たないうちに女は倒れた。不完全なハイブリッドに良く見られる、己の限界を見誤った挙句のオーバーヒートだ。残念だが、もう身体はいう事を聞かないだろう。
放っておけば、死んでしまうな。
ロボットに覆いかぶさられようとしている女と女の抱えた獣人のガキを俺は救った。不器用なリにダメージは与えてあったらしく、数発の弾丸でロボットは退散した。
あのロボットは何者なんだと聞こうとして呆然とする女と、俺に呻り声を上げる獣人のガキを見るが、まともに対話などできそうにない。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。俺は諦めてホテルの部屋へもどる事にした。
あのハイブリッドを思いだしたから助けたわけではない。女は、髪の色こそ同じブロンドであったが、その顔は似ても似つかなかった。
(ただ、年頃のお嬢ちゃんが、スカートのバックスリットが裂けた状態で死んだとあっては、恥ずかしさで死んでも死に切れないだろうからな……)
無理に見つけた口実のくだらなさに、俺は密かに笑って、ホテルの階段を上っていった。
<西暦2070年 日本 輝夜>
「何だ兄ちゃん、飲まねえのか?」
「酒の質は問わないから、せめてグラスを綺麗にしてくれ」
「しょうがねえなあ……」
酒場のマスターは、グラスの中の液体をじゃばっと床に捨てると、自分の首にかけたタオルでグラスをごしごしとやり、再び無造作にそこら辺の酒をついで「あいよ」と俺に出した。
ここで酒を飲むのは諦めて、俺はマスターの質問に答えることにした。
「俺がここに着いたのは昨日だ。その前に来たのは5年ほど前、たった3日だったがな」
「そうか、観光かい?」
「いや、以前は友人を探しに……もう死んでいたが」
「すまん……それは気の毒だったな」
マスターは、驚くべきことに初めて輝夜を訪れたときに見た、あの魔族の大男だった。
陽気ながらも喧嘩っ早い印象だったが、今は結婚をして、随分丸くなったようだ……身体のほうも一層。当然、顔を合わせたわけではない俺のことなど知る筈もない。
マスターの奥さんが、横からちゃんとした酒を出す。そしてそのまま汚いグラスを、ぐいとマスターのほうにやって「あんたがこっちを飲みな!」と一喝した。
マスターが小声で「汚いからいやだ」と言ったのを俺は聞き逃さなかった。
やっとまともな酒にありつけると思った俺がグラスに口をつけようとすると、酒場のドアが乱暴に開いた。本当に騒がしい店だ。
マスターがのんきな声で「おーう、アデル、どうした?」と聞く。
その名前に何処か聞き覚えがある気がして振り返ると、両手に買い物袋を提げた女が息を切らせていた。
「さっきの放送……『夜間外出は危険』だと思って買い物に出たら、『夜間以外の外出は危険』って再放送されて……それで慌ててここに……」
女は俺の姿を認めると、こんにちはと挨拶した。それは数年前に獣人のガキといた、あの女だった。
「旅行の人?初めまして、アデルです。ようこそ『世界一安全な町』へ」
「俺はエースだ。アデル……あぁ、アーデルハイトさん?」
女はちょっとびっくりした顔で返した。
「アーデルハイトなら私の祖母がそうでした……私はアデライナ」
ハイブリッドの孫娘か。ならあの強さも合点が行くというものだ。
で、時政にお願いが……と女は続けた。このマスターは「時政」というのか。古風な日本名に違和感を覚えたが、俺は黙って2人の会話を聞いた。
「物騒だから警戒が解けるまでここに居たいのだけど、開店準備に間に合わないの。お店までガードしてくれない?」
「あー残念だわ~。オレ今、ラーメンのスープ仕込み始めちゃって……」
奥さんが時政の尻をモップで叩いた。ぼきりという鈍い音は、柄が折れたのだろう。俺なら骨が折れてる。
「全くトキは……暑いから外に出たくないんだろ!どうせ暇もてあましてるんだから行ってあげな!」
時政は尻を押さえたまま涙目で言った。
「い、いや……このエースさん、だっけ?この街に来たばかりで仕事探してるんだと。最近物騒だし、アデルの店の用心棒にしてやったら?身元はオレが保証するから!」
(保証も何も、今はじめて俺の名前を知ったくせによく言うな)
女は一瞬思案顔になった。身元のはっきりしない放浪者にしか見えないのだから当然だ。妙な詮索をされる前に俺から断ろうとすると、女は意外なことを言った。
「イサナはどう思う?エースさん、信用できそう?」
(時政の嫁は「イサナ」というのか)
「旅券を確認したけどホンモノだったし、何よりウチの人のくだらない意地悪にめげないんだから、姉さんとこでもやっていけるんじゃないかと思うよ」
「うちのお店はもっとホワイトだけどね……でもまあ、イサナが言うなら大丈夫かな。エースさん、こんな条件でよかったら――」
宿代と食事代、一日あたりの手当てを俺に告げる。待遇にはこだわらない俺は、即座にその話を受けた。
「じゃあ、エースさん、早速初仕事だ!今日の酒代は驕りだから!」
「殆ど飲んでないし、いいんだよ。トキの小遣いから引いておくから」
時政とイサナに見送られて、俺たちは女の店へと向かった。
「さっき」と俺は女に話しかけた。
「名前を聞いたとき、『祖母でした』と言ってたな」
「祖母は3年前に亡くなったので……」
俺が数年前ここに来た時は、まだ生きていたのか。
その時に会えなかったという残念さと、俺が再びこの街を訪れた目的を彼女に知られなくてよかったという複雑な気持ちで、俺はハイブリッドの孫娘から、彼女の面影を探そうとした。
【二節 END】
「Deadlock Utopia」本編三節に続きます。三節では「Human(人間)」がテーマとなります。