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Deadlock Utopia  作者: 胡坐家
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Deadlock Utopia 第六章 ~Metamorphosis(前編)~

Deadlock Utopia 第六章「Metamorphosis(前編)」です。3編構成で、この小説の最終章となります。人と魔族の混血アデライナと、ヴァンパイアのエース、多種族共生特区「輝夜」にまつわる話です。

Deadlock Utopia 第六章「Metamorphosis(前編)」



挿絵(By みてみん)




<2070年8月23日 7:00 Awakening(目覚め)>



 カーテンの隙間から差し込む日差しで、アデルは目覚めた。

 手を伸ばして枕元の時計を見ると、朝の7時になるところだった。アラームがなる前に目が覚めるのは珍しいことだったが、そのまま起きる気にはなれず再び眼を閉じた。


 鈍い頭痛と全身の倦怠感、喉の渇き――こんな酷い二日酔いは久し振りだ。どうやら昨夜は店で相当飲んだらしい。その客が誰だったか、何を飲んだのかはまったく思い出せないが、思い出そうとしても頭が痛いだけだし、昨日が自分の出勤日だとしたら今日はカヲリの番だ。このまま朝寝坊を決め込もう。それにしても喉が異常に渇く。

 水を飲もうとベッドを出たが、ふらついて立ち上がることが出来ない。おまけに何も身につけていない。ベッドの周りに脱ぎ捨てたものがないのを見ると、シャワーを浴びようとしたが力尽きて眠りこけてしまったらしい。きっとバスタブにはった湯はすでに冷え切っているだろう。いい年して何て格好悪いんだと思いながらも、這うようにしてキッチンに向かった。とりあえず水を飲んだらもう一度寝よう。二日酔いの薬はあったっけ――。


 四つん這いのまま寝室を出て、リビングを通るとき、ローテーブルにしたたかに肩を打ちつけてしまった。激痛に呻いて床に倒れこむ。最悪だ。起きられない。水は後でいいや、このまま寝ちゃおう。


 フローリングの冷たさを心地よく思ったその時、ソファから誰かが身を起こした。

「やっと起きたか。また寝るのもいいが、その格好で寝たら体に悪いぞ」

 眼が合ったその男は、エースだった。


 アデルはあらん限りの悲鳴をあげて(それは掠れてしまってほとんど声にならなかったが)エースが使っていたブランケットをひったくると、体に巻きつけてリビングの隅へと転がるように逃げた。

 さっきまでの緩慢な動きはなんだったのか、まるでアクション女優のような身のこなしじゃないかとアデルは頭の隅でぼんやりと考えたが、そんな僅かな違和感は、この現状を理解するのに精一杯の脳が何処かへ押しやってしまった。


 眼を見開いて口をパクパクさせるだけのアデルに呆れて、エースは冷蔵庫から取り出した水のボトルを差し出した。喉の渇きを思い出したらしいアデルは、ボトルをひったくるようにして受け取り、一気に飲もうとして激しく咳き込んだ。 

 

 苦しさが収まった後でゆっくりと水を飲みながら、アデルは冷静さを取り戻そうと努めたが、どれだけ考えをめぐらせても最悪の状況だけが頭を巡る。少しはなれたところでソファに腰掛けてこちらを見ているエースの表情からは何も読み取れないが、心なしか責めるような眼をしているような気もする。


(二日酔い、裸で寝ていたこと、泊まっていったらしいエース……考えられることはひとつだけど、そんな憶えは全くない。つまり――)


 アデルは唇を震わせて、ようやくのことで言葉を発した。

「エースさん、ご、ごめんなさい……私全然憶えてなくて」

「その様子じゃ、そうじゃないかなと思った」

「そ、それで」

 私達は一体何をいたしたんでしょうか、とはさすがに聞けず、アデルは恐縮しきった様子でブランケットをますますきつく体に巻きつけた。エースは立ち上がってゆっくりとアデルのほうに近づき、彼女の前で膝をつくと、忘れちゃったのか、と呟いて優しく髪に触れた。


「――あんなに真剣に誓い合ったのに」

「ち、誓い合った?!」

「激しく交わったことも覚えてないなんて」

「まじわった?!」

「まあ、終わってからアデルは気を失ってたから無理もないか」


 もう一度気を失うかと思った。さっきも思ったけどもっと最悪だ。でもここは冷静に。言うべきことは言って、けじめをつけなければいけない。


「お、お恥ずかしい話だけど、完全に酔った勢いでしちゃったみたいなの!本当にごめんなさい!エースさんの雇用主でありながらそんなことになって――お詫びのしようも」

「男女が逆だったら絶対殴られてるぞ、そのセリフ。そもそも誤解がある」

 そう言うと、エースはアデルの手を取った。そのまま彼女の指で首に触れさせる。最初はどぎまぎしていたアデルだったが、はっとした顔をした。



 首筋にふたつの小さな傷。重い身体と頭痛、喉の乾き。

 歯で肉を貫かれる痛み。血が交わる時の熱さと苦しみ。


 人であった自分と決別した哀しみ――思い出した。



「そっか――私、あなたに」

 エースに、ヴァンパイアにしてくれと願った。そしてそれは叶ったのだ。一気に押し寄せた記憶に再び混乱して、すがるようにエースの眼を見ると、彼は笑って見つめ返した。意地悪そうに。


「で、アデルは何を勘違いしていたんだろうな」

「それは」

 思い返せばそんなことは全然なかったのだが、状況があまりにもその手の沙汰に似ていて、とんでもない思い違いをしてしまった。これはこれで消えたくなるほど恥ずかしい。

「酔った勢いで何をしたって?」

「な、何もしてません……」

「何もしてないと思う?」

「したの?!」

「してないよ」

「してないの?!」

「あれ、したほうがよかった?」

「――!!」


 完全にからかわれていると気づいたアデルは、カッとしてテーブルの上にあったリンゴを掴んで投げつけようとした。

 しかしリンゴは腐っていたのか、アデルの手の中で脆く崩れた。気持ちの悪い感触にヒッと短い悲鳴をあげたが、リンゴは爽やかな香りを放ち、傷んでも腐ってもいないようだ。

 まさかと思い、もうひとつ掴んで、軽く力を入れる。

 柔らかなパンでも握りつぶすかのように、リンゴが崩れた。


 果汁にまみれた手を唖然として見つめるアデルに、エースは満足げに言い放った。

「想像以上の完成度だ。人と魔族のhybridハイブリッドがvamp化するとこうも違うとはな。――ささしずめ3種族のchimeraキメラってとこか」



 「キメラ」――怪物じみた名前で呼ばれ、アデルは自分の身体が丸ごと変わってしまったような錯覚を覚えた。表面上は人となんら変わらないが、その血はもう元には戻らない。


 すべて自ら決心したことだ。頭では分かっていても収まらない動悸を感じながら、アデルはその夜のことを思い出していた。






<2070年8月21日 18:00 Beginning(幕開け)>



 輝夜全域を震撼させた、蜘蛛型の残党との死闘が終わった数日後、アデルとエースの2人はある秘密を共有することになった。

 それは今思えばいささか……いや相当作為的ななりゆきであったが、この街の争乱の女神が気まぐれに幕を上げた劇のプロローグのようなものであったのだろう。



 ことの始まりは、アデルの店「楽園の果実」に1人の魔族の客が来たことだ。

 怪物騒ぎの後は、当然のように店から客足は遠のく。この日は店に立ったのはアデルのみで、カウンターでは1人の魔族の男が強い酒をちびちびとやり、エースは端の席で何か古い本を読んでいた。

 まったく言葉を交わさないどころか、お互いの存在を牽制しあってる男ふたりを見かねて、アデルは口を切った。


「リュウ、うちの店は結構な代金をもらうけど大丈夫なの?」

 リュウと呼ばれた男は、時政のような肉体派の魔族ではなく、どちらかというとはかなげな細身の青年だ。肩まで伸びた銀髪を後ろでひとつに束ね、耳には大振りなピアスが光る。いや、耳だけでなく彼の肌の露出した部分は全てなんらかのアクセサリーで飾られていた。

 自らを過剰に飾り立ててはいるが、彼はあの残党との戦いで大剣を振るって蜘蛛のマガジンを切断した青年だ。帯剣こそしていないが、ごてごてとした飾りの付いたベルトには短剣が数本仕込んであった。


「残党ぶっ殺すのに貢献した分のオマケはないの?それともモトカレ料金にしてくれる?」

 聞こえよがしに言い放つリュウをエースがじろりと睨んだ。しめたとばかりにリュウがアデルとエースを交互に見る。

「あれ?言っちゃまずかった?もしかして2人は――」

「まずくないし、私とエースさんはなんでもありません。ついでに言うと、料金は誰であっても均一の明朗会計よ」

 アデルは愛想笑いを貼り付けたまま答え、エースに軽く頷いてみせた。大丈夫という合図である。エースは再び本へと視線を落とした。それが面白くないのか、リュウはあれやこれやとからかうようなことを言ったが、挑発に乗ってこない2人に苛立ちを見せ始めていた。


「アデルさぁ、ここの店、給料イイわけ?やっぱご指名付いたりするん?」

「うちはそういうお店じゃありません」

「だよなー。お姉ちゃんのいる店に、あんな用心棒いたらおかしいもんな」

 リュウが親指でちょいちょいとエースのほうを指差したが、エースは眉ひとつ動かさず本のページを繰った。

「リュウって相変わらずバカね」

「はぁ?」

「このビーチは輝夜で一番美しい場所だけれど、黒島に最も近いわ。いつ残党が襲ってきてもおかしくない。そんなところに女2人だけで店を開けるなんて怖いじゃない」

 そんな事も分からないからバカって言ったのよ、と相変わらずの愛想笑いをした。リュウはようやく自分がまともに相手にされていないと察し、怒りをあらわにした。


 酒の入ったグラスを床に叩きつけ、カウンター越しにアデルの左腕を掴み、ドスの聞いた声を出した。

「おい、オレは客だぞ?モトカノだからってそういう態度でいいと思ってんのか!」

 さすがにエースが立ち上がって銃を抜かんとしたが、アデルはそれを眼で制した。

「モトカレ?モトカノ?オレは客?今はそういうオラついたキャラ設定で生きてるの?」

「キャ……キャラじゃねえよ!」リュウは顔を真っ赤にしてカウンターを蹴った。


 それと同時に、パンという乾いた音がして、リュウはばたりと床に倒れた。

 焦ったのはエースだ。まだ銃に触れてもいないのに、俺じゃないとしたら誰が撃ったんだ。まさか外から?と慌ててドアのほうに駆け寄ろうとすると、アデルがけらけらと笑った。


「すみません、エースさん。私です」

「どういうことだ?」

 アデルの右手にはおしぼりの入った袋が握られていた。先ほどの破裂音は、彼女がこれを力いっぱい握り締めた時のものだ。



 1時間ほど経ったであろうか。店内のソファで眼を覚ましたリュウは、テーブルを挟んだ向かい側に居るアデルに気づいて苦々しい顔をした。

「――クソっ、相変わらずだな、アデルは」

「それを言いたいのは私のほうよ」

 アデルから差し出された水をぶっきらぼうに受け取ると、リュウは一気に飲んで息をついた。

「似合わないよ、そういうキャラ。あなた昔の方が可愛かった」

「仕方ないだろ、オレみたいな弱い奴は舐められないようにするだけで精一杯だ」

 でもやっぱりぶっ倒れちまったけどな、と自嘲的な笑みを漏らした。

「魔族だからって、なにも無理して時政の下で戦わなくてもいいじゃない。戦闘とは関係なく生活してる仲間だっていくらでも居るでしょう。リュウは――向いてないよ、戦いには」

「そうなのかもなー。銃の音、マジでだめなんだよ。全然慣れなくって」


 リュウが先日の戦闘の際、残党の武器を破壊したあと戦線を離脱したのは、彼が実戦がからっきしダメだからという理由である。音に敏感な特性があり、銃撃音が大の苦手なのだ。剣術には長けているため仲間からは一目置かれているが、臆病な性格を隠すように虚勢を張り続けているという魔族らしからぬ自分を、彼自身は嫌悪していた。


「さっきのはおしぼりの袋の音だけどね」

「マジで?!かっこ悪ぃ……」

「驚かせてごめんね。でも銃を向けられるよりはいいと思って」

「いいって、気にすんな。そういえば、あのvampはどこいった?」

「今、厨房のゴミを捨てに行ってもらってる」

「やっぱ知ってんじゃん」

 アデルはしまったという顔をして、慌てて裏口のほうを振り返った。エースはまだ戻ってきていないらしいが、小声でリュウに訊ねた。


「――時政に頼まれてきたの?」

 リュウは頷いた。

「ボスが、アデルがエースのことを知ってるか探って来いって。だからこれでオレの用は終わったってわけ」

「それだけ?」

 拍子抜けした様子のアデルに、リュウは愉快そうに笑った。

「ホントは色々聞いたり、忠告したりしたかったんだと思うよ。でも、これはオレの憶測だけど、ボスはまだ迷ってるんだ」

「迷ってるって?」

「仲間を取るか、輝夜を取るか、ってとこかな。今回みたいに残党を倒し続けてここが平和になっちまったら、俺らはここに住めねえもん」


 そんなことないなどという気休めを言わない程度には、アデルも節度があった。輝夜は外部から見れば、多くの種族が平和的に共存している街だ。現に、街の中での種族間の抗争はないに等しいと言っていい。


 しかしそれは、人と魔族と獣人の、膠着(こうちゃく)状態が平静を保ってるに過ぎない。


 三つの種族の中で、圧倒的な力を持つのは魔族だ。しかし、数の上では最も少なく、輝夜の全人口の約5%に過ぎない。獣人が25%で残りは全て人間だ。人と獣人はこの街に限らず、世界各地で長らく共生関係を結んでいるという歴史があるため、万が一にも戦争になると、魔族は数の上で不利になる。

 従って、輝夜では魔族は滅多なことでは問題を起こさないように努めている。かといって、魔族のエネルギーの根本は負の感情だ。そこそこ「事件」も起きてくれないと生命を維持できない。


 そこで「残党」という存在が重要になってくる。定期的に出現し「適度な」被害を出し(それが他所から来た残党狩りの連中だとなお都合がいい)、暴れどころを提供してくれるものとして、魔族たちは残党を必要悪と捉えていた。


「今回の勝利に加えて、vampと天使までここに来やがった。数十年、あえて保ってきたデッドロックが崩壊してもおかしくない――そうやって悩み続けてるボスの気持ちも考えてやってよ」

「だけど」

 残党との戦いが終わって平和になるなんていつのことだ。自分はほんの少し先の未来すら見られないかもしれないのだとは言えなかった。そんな刹那の葛藤を悟ってか、リュウは怪訝そうな視線を向けた。

「暗い顔すんなって。悪かったよ、色々絡むようなこと言って」

「ううん、いいの。――リュウはどうなの?やっぱり今のままの輝夜がいい?」

 そうだなあ、とリュウは頭を掻いた。

「オレは戦うのはおっかない。なきゃそれに越したことないけど、ないと生きていけねぇし……わかんねーな。一番は、誰も死なないでみんながずっと幸せに、かな」

 魔族らしからぬリュウの発言に、アデルは思わず吹きだしてしまった。リュウはむくれながらも、役目を果たせたことと、会計のツケが時政に回ったことで少し機嫌を直して帰っていった。



 タイミングを見計らっていたのか、たまたまなのか、リュウが帰ったとほぼ同時にエースが戻ってきた。見ると、まだ20時にもならないというのに、アデルが店を閉める準備をしているではないか。

「どうした?これからあのモトカレとデートか?」

「まさか。お客さんの入りがさっぱりだから、今日はもう閉めようと思って」

 そう話しながらも、アデルは開店前に仕込んだ料理を容器に移し替え、飲み物を見繕ってエースに持たせた。滅多にないことに面食らったエースに、アデルは言った。


「今夜は私の部屋で飲みましょう。話したいことがあるの」




 店から、アデルの住むマンションまでは歩いて10分ほどの距離だ。道々で知り合いに挨拶をしながら輝夜の繁華街を抜け、住宅街に入ったところでエースはアデルに訊ねた。

「さっきの魔族は恋人だったのか?」

「と言っても、高校生の時。同級生で、クラブ活動が一緒だったからという割とありがちな理由です」

「そういうのは輝夜ならではってところだな。異種族の恋人を持つなんて、よそ者にはちょっと考えられない」

「かも知れませんね――ただ、殆どは上手くいってないと思いますよ。私達もそうでした」

 エースが深いわけを聞くまでもなく、アデルは語った。


 長年にわたり多種族が共生し続けてきた輝夜では、異種族と交際することに対する抵抗があまりない。幼い頃から近所に住み、同じ学校に通えば、人も魔族も獣人も分け隔てなく親しい友人となれる。成長して、誰かに恋をするようになる時も同様で、アデルは同じクラブ(それは帰宅部同然の漫画同好会だった)にいる、大人しくて魔族らしくないリュウと惹かれあった。


「でも、半年も経たずに別れてしまいました。彼の性格のせいじゃないですよ。さっきの柄の悪いキャラは彼の演技です。本当は、臆病で優しい人でした」

「じゃあ、何故」

「魔族には独特の性質があります。それは魔族間でも一人ひとり違っていて、彼らは人や獣人と違う、千差万別の強烈な個性を持つ種族なんです。リュウには、1日を33時間で過ごす体内時計と甘いものを不味く感じる味覚がありました――想像できるでしょう?そんな彼と私が同じような日を過ごせないことが」

 エースはだまって頷いた。

「一緒に居ても生活サイクルが毎日狂うし、同じものを美味しいと思えない。相手に合わせてあげたくても、努力や愛情で何とかなる問題じゃない。自然と、心も離れていきます」

「だからさっき、時政とイサナを羨ましいと言ったんだな」


 その返事を聞く前に、マンションのエントランスに到着してしまった。一緒にエレベーターに乗り、アデルが部屋に入るのを見届けてから帰るのが、用心棒としてのエースの仕事の終わりだったが、今日は初めて彼女の部屋にまで入った。



 次にエースがこの部屋を出るとき、ふたりの関係が今とまったく違うものになっていようとは、まさか彼も予想すらしていなかっただろう。





<同日 Secret(秘密)>



 アデルの部屋はリビングと小さなキッチン、そして寝室があるだけのこじんまりとしたものだった。およそ女性らしい装飾品はほとんどなく、生活するための最低限の家具しかおいていない。歩いていけるところに実家があるため、必要なものの殆どはそちらに置いてあるとアデルは話した。


 リビングのローテーブルに、店から引き上げてきた料理や飲み物を並べ、ささやかに乾杯をした。自分からはほとんど口を開かないエースと、ぽつりぽつり話しかけはするが核心に触れられないアデル。ふたりきりの食事はすぐに静かなものになってしまった。


「話ってなんだ。俺は当たり障りのない世間話をしに来たんじゃない」

 痺れを切らしたエースが、1本目のワインが空になったのをしおに、ぶっきらぼうな口を利いた。

「――ごめんなさい。どう切り出したものかと。でも単刀直入に言います」

 アデルはそれでも暫し躊躇して、手の中のワイングラスを弄んだ。


「実は私、人間じゃないんです。ほんの少し、魔族の血が」


 エースにとっては既に知ってはいたことだが、なぜアデルがここでその話をしだすのか図りかねた。

「そうだったのか。ただ多種族が共存する輝夜なら珍しいことではないだろう」

「そして、あなたも人間ではありませんね」

「俺は――」

「先日、残党と戦ったとき、私は店内には居ませんでした。店の屋根の上から皆さんが戦う様子を見ていたんです。エースさんの動きが人間のものじゃないことくらい、すぐ分かりましたよ」


 なんてこった、とエースは額に手のひらを当てた。

 時政を始め何人かはエースの正体を知っているが、積極的に吹聴する気配もないし、万一アデルが噂の形でそれを耳にしても誤魔化す算段は取ってあった。それが、実際に見られていたのでは認めるしかない。

 その結果、今この部屋から追い出されても仕方ない。エースは深く息をついて話し始めようとしたが、アデルがそれを遮った。


「うそです。ごめんなさい。あの戦闘の時に知ったっていうのは嘘。エースさんの反応を見てみたくて」

「どういうことだ?」

 さっぱり分からぬといった風に聞き返す。

「エースさんは、私達に自分の正体について話そうとしなかったけれど、今の私の問いへの反応は、隠し通そうと思ってる人のそれじゃなかった。ばれてもいいと思ってたんですよね?」

 時政に知れてしまったからには、隠しおおせるものではないと分かっていた。しかし、アデルに伝えるタイミングは自分で考えたかったんだと、エースは正直に答えた。


「それで安心しました。あまり強引な手を使わなくても、話が進められそう」

 アデルは立ち上がって、冷蔵庫から炭酸水のボトルとレモン、そしてマガジンラックから一通の封筒を取って持ってきた。その中身をテーブルの上に広げると、グラスに注いだ炭酸水にレモンを絞ってエースに差し出した。

「書類とは随分古風な」

 目の前に広げられたものにさっと眼を走らせたエースは絶句した。

「最近はデータより紙の方が安全ですから。なんといってもこうして直接見ないと情報が伝わらないし、燃やしてしまえば完全に処分できます」

「――どこでこの情報を?」


「私とカヲリの店『楽園の果実』は、輝夜随一の情報屋です。といっても、情報源はほとんどカヲリのコネと縁故ですが。ひと月前、あなたを雇うにあたり、一通りの身上調査はさせてもらいました」

「身上調査というにはやりすぎだぜ」

 エースは見たくもないといった風に、書類を脇へ押し遣ったが、アデルはその手ごと書類を彼の前に引き寄せた。


「エースさん。いえ、Albert=Principal-of-Empusa(アルバート・プリンシパル オブ エンプーサ)……吸血鬼の一族、エンプーサの当主アルバートさん」

 これこそは何があっても隠しておきたいことであったが、容赦なく目の前に突きつけられるとは。どう反応していいのか分からない。そんなエースの動揺が伝染したかのように、アデルも戸惑いの表情を見せた。


「思いのほか大切な秘密だったようですね。大丈夫、この情報は私とカヲリしか知りません。書類も、今日ここで全て燃やします。だから安心を――」

「大丈夫だ、いや、大丈夫じゃないな。頼むよ、口外はしないでくれ」

 アデルは頷いた。駆け引きのようなことをしていながら、相手の困惑に付け入るようなことをしないこの女を、エースは最初こそ甘いと思っていたが、今ではそれをやや快くも思っていた。


「当主ともなると、あれこれ大変でしょうしね。まるで武家のお家騒動みたいなこともあるんじゃないかななんて想像しちゃいます」

「お家騒動、か――ないな」

「ないんですか、跡取り問題とか」

 アデルはエースが軽口で答えてくれたことに安堵して、冗談を返した。

「あるといえば、ある。跡取りがいないという問題が」

「え?」

「最後なんだよ、俺で。エンプーサは俺以外みんな死んでしまった」


 だからたった一人の当主ということを皮肉って「エース(第一の)」なんていう通り名をつけたんだ、とエースは煙草に火をつけた。下手な同情を買う言い草だったかなと悔やみかけたが、アデルの反応は以外なものだった。


「では、私とおんなじですね。他種族との混血で『覚醒』をしてもまだ生きているのは、私1人きりだそうです。これもどうか、他人には話さないようにお願いします」

 

 残党との戦いの後の聴取で、アデルの兄のジークからアデルが覚醒する混血であり、その体質が生命を脅かす可能性が高いことは聞いていた。ただ、そんな人間が目の前のアデル1人だけだとは想像もしていなかったので、エースは驚いた。いや、それ以上に彼女に親しみを覚えた。

 アデルも同じ考えだったと見えて、自分たちが動物だったら大事に大事に保護されて、自由なんかなかっただろう、人権があって良かったと冗談めかして笑った。



 その後、ふたりはお互いの秘密を告白しあった。ただし、お互いまだひとつずつの隠し事を残したままで――。


 アデルは、数年前に蜘蛛型の残党に襲われて初めて覚醒をし、その反動で数日間意識を失ったこと。今回の戦闘では兄を救うために再び覚醒をしたが、すんでのところで天使のブルーに止められて危機を脱したことを話した。

 エースにとってはどちらも知っている話であったが、やはりアデルは数年前に自分に救われたことは覚えていないのだろうか。


「最初の覚醒の時は1人だったのか?残党を倒すところまではいっていなかったんだな」

「当時あった学校で、私は教師をしていたんです。生徒と一緒の帰り道で襲われて――よく憶えていないのですが、パトカーのサイレンを聞いたので、おそらく警察が来たことで助かったのかと」

「蜘蛛型の残党は頑強で残酷だということが、こないだの戦いで分かったよ。そんな奴に丸腰で対峙したのなら生きてるほうがラッキーだ。よかったな」

 探りを入れたが、アデルの話しぶりからすると自分のことは記憶にないらしい。やや落胆しかけたが、その後のアデルの話は耳を疑うものだった。


 最初の覚醒後、アデルは健康診断の名目で定期的に警察病院に行っていたが、それは混血である彼女を検体とみなした身体検査であった。覚醒する個体である「人間のメス」が死んでしまう前に、魔族や獣人との混血を産ませ、残党に対抗する力を育てることが本当の目的だったというのだ。


「――人間ってやつは、権利だの命の尊厳だのをすぐに振りかざすくせに、たまに背筋が寒くなるような発想をするな」

「それだけ、輝夜……いえ世界にとって残党は脅威なのでしょう。黒島から生み出される残党で、私達が負った傷は数え切れませんから」

 でも、もう検査には来なくていいとのお墨付きをいただきましたから大丈夫なんです、と少し微笑んで、アデルは自分のグラスに口をつけ、エースに話を促した。



 エースはまず、この街に来た目的を「一族の敵討ち」だと話した。

 130年ほど前、彼の一族のほとんどがある謎の怪物に殺されてしまった。数少ない仲間で敵討ちのための放浪を続けたが、その仲間も1人また1人と減り、残されたのはエースだけになってしまったのだという。

「実は輝夜には、俺以外のvampも数名滞在していたことがあった。そいつらが、俺たちの仇の正体は『騎士の亡霊』と呼ばれている残党であることや、ここの黒島から定期的に襲撃に来るという情報を見つけてきた」

「この街では『騎士の亡霊』は怪談話のようなものだったんです。夜にひづめの音を聞くと、その人は連れ去られてしまうという話を、子供の頃大人から聞かされましたよ。数年前、残党の正体が公表された時、あの亡霊もそうだったのかと驚いた記憶があります」

「――ということは、輝夜の人間も亡霊に連れ去られていたのか?」

「いえ、私が知っている限り、輝夜の住人がそういう事件に巻き込まれたという話はありません。ただ、旅の獣人があるとき突然いなくなったという話は何度か聞いたことが……ゾロさんが、宿代を踏み倒されたと怒っていたのを憶えています」

「獣人なら、おそらく連れ去られたのだと思う。知らないようだから教えておくが、騎士の亡霊の目的は蜘蛛型と違って、破壊や殺戮ではない。残党の『材料』調達だ」

「残党の、ざ、材料……?」

 アデルはエースの言葉の意味が分からず、首をかしげた。ただ、「材料」という響きにおぞましいものを感じ取ってはいた。

 そして、エースから伝えられた事実に、アデルは吐き気を催した。知らなくてはいけない事だと分かっていても、聞いてしまったことを後悔するほどだった。



 残党の拠点とされている、輝夜の沖にある「黒島」。正体は数十年前の大戦で沈められた空母であったが、その内部では未だに何者かが活動をしている。残党が戦いで破損しても数日後には元通りになることや、こちらの戦力に合わせて作りが変化していることから、それらを直す何かが内部にいるというのは間違いなさそうだった。


 残党が半分機械で半分生き物だという事は周知の事実であるが(世界的には「マキナ(machina)」と呼ばれている)、その詳しい調査はどの国も断固拒否をした。東洋の島国の片隅でおとなしくしてくれるなら、わざわざ乗り込んでいって問題を起こすことはない、輝夜に被害があるならその補償くらいはしてやろうというのが他国の考え方だ。


 大戦から数十年。世界からは半ば忘れられた存在の残党だが、残党を仇とする者や輝夜の住人にとっては現在進行形の問題なのである。大掛かりな組織を形成するには至らないものの、打倒のために研究をする者たちは常に居て、情報を共有してきた。


 そこで導かれた推測混じりの結論とは「黒島の中には残党を形成するための生命体が複数捕獲されており、それらの材料や栄養とするために、騎士の亡霊が定期的に生き物を連れ去っている」ということだった。人ではなく、魔族や獣人を狙って襲うのはそのためだと。


「必要な部分を使ったら、あとはバラして栄養にするんだろう――おい、大丈夫か」

 青ざめたアデルに気づいてエースはうろたえた。さすがに刺激の強すぎる話だったか。グラスに水を注いで差し出し、気分の悪くなるよう話をしたことを謝ると、アデルは首を激しく振った。その後、両手で頭を抱えて眼を閉じ、暫し思考をめぐらせたあとで、アデルは意を決したように言った。


「私をあなたの仲間にしてください。今の話を聞いて分かりました。私はただ、覚醒して死ぬのを待ってる場合じゃない。私にできること、いえ、私にしか出来ないことをすべきなの」 

「アデルにしかできないこと、とは?」


 残党の脅威に晒され続けている輝夜という街で生まれ育ち、おそらく近しい人との別れも経験しているであろうアデルの心は、残党に対する憎しみでいっぱいだろうとエースは想像した。vampとなって不老不死の身体を手に入れ、覚醒の力をって残党を殲滅せんめつするのが彼女の願いで間違いない。それならば自分にとってこれほど都合のいいことはないと、エースは笑みを漏らしそうになったが、あえてアデルにそれを訊ねるようなことをした。


 だが、アデルの答えはエースの予想を大きく外れていた。


「私は、全部救います。輝夜も、残党も」

「残党も、だと?」

「――これはお話していなかったことですが、私の父は蜘蛛型の残党に殺されました。あの残党は死にましたが、父は帰ってきませんし私の恨みは微塵も晴れてはいません」

 アデルが残党の出現を聞いたときに尋常ならぬ様子になったのはそういうわけだったかと、エースは合点がいった。ただし、恨むという相手をなぜ救うのだ。


「今日、リュウと話して、そしてエースさんから残党の正体を聞いて思ったんです。残党も被害者であり、決してこんなことを続けていきたくはないんじゃないかって。だから――」

 私は私の手で、残党の最後の一体まで葬ります。そうしてこの不毛な戦いの連鎖を断ち切ります。私――いえ、エースさんと一緒に、とアデルは眼に力を込めた。


「ヴァンパイアの契約は、成功するとは限らない。血が合わなければ今日ここで死んでしまうかもしれないんだぞ」

「成功しますよ、きっと」

「無事成功したとして、さらに覚醒の力を持ったまま不老不死になったとしても、戦いの経験もないアデルにたやすく実現できることとは思えない」

「でも、私以外の人には絶対できません」

「すべてが全く根拠のない憶測だというのは分かってるんだろうな?」

「……だめですか?」


 なんだかずっと昔にもこんな奴と話したことがあったな。種族間抗争が起きても死者を出さずに終結させると事もなげに言った人間と、俺はこの輝夜で会ったんだった。楽天的なのはこいつの家系なのかもな。

 俺ははるか昔に、アデルの祖父と祖母がこの輝夜を守るために戦っていたのを見ている。だからこそ、この絵空事としか思えないアデルの発言も腑に落ちたのかもしれない。


「俺の想像していた正解かというとそうじゃない。だが、非常に面白い別解だと思うよ」


――いいだろう、今日俺たちは血の契約を結ぶんだ。




【DeadlockUtopia第六章「Metamorphosis(前編)」 END】

Deadlock Utopia 第六章「Metamorphosis(中編)」に続きます。

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