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Deadlock Utopia  作者: 胡坐家
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DeadlockUtopia 第五章 ~Diavolo~

DeadlockUtopia第五章~Diavolo~です。舞台は荒海~輝夜。第四章の荒海時代と少し重なる、魔族のエピソードです。

DeadlockUtopia 第五章 ~Diavolo~



挿絵(By みてみん)



 あれからどれほどの時が経ったのだろう。

 ここには、温度も、においも、音もない。身動きも取れないが、もがきたいとも思わない。かつて抱いた様々な欲望も悪意も、わき上がることを忘れてしまったみたいだ。


 俺はいつまでこうしていればいいのだろう。

 あいつは、命はとらないと言った。だが、それより辛い責め苦を与えると言った。それがこの虚無の世界へ俺を閉じ込めることだったとは。まったく、天使という連中は底意地が悪い。今更どう足掻こうと、負けちまったのは俺だ。もう諦めよう。


 ――と思って、もはや俺には「諦めるもの」なんてなんもないんだと気づく。そして絶望のようなものを感じ、まだ自分に残された感情があるのかと驚かされる。


 そんなことを幾千幾万と繰り返しているような気がするし、たった数度だったかもしれないとも思う。


 自分で自分が分からなくなり、存在すら掴めなくなると、途端に自我がまだここにいると叫び声を上げる。天使の責め苦っていうのはとことんきっついな。



 だが、今日は少しばかり妙な気配がする。俺の近くがなんだか騒がしいのだ。音らしい音を聞いたのはどれくらいぶりだろう。耳障りには違いないが、五感を刺激されるのは悪くない。

 久方ぶりの音に身を委ねていると、いきなり衝撃が伝わってきた。まるで俺の周りにある分厚い壁を、誰かが壊そうとしているかのようなすさまじいやつだ。びりびりとした振動を右手の辺りに感じたと思ったら、一瞬の冷気と共に俺は解放された。


 なんだこれは――冷たくて重い――息も出来ない、苦しい――




<1960年 荒海>


 目覚めると、俺は灼熱の地面に横たわっていた。口の中がいやにざらざらする。吐き出そうとするが、舌が乾いてしまってだめだ、水――


 ぅおりゃー!という珍妙な叫び声と共に、誰かが俺に大量の水をぶっかけた。鼻にも口にもしこたま入ってしまい、盛大にむせて俺はもがき苦しんだ。

 なんだここは、地獄か?!


「ご、ごめんよ、あんちゃん。まさか、いきなり起き上がると思ってなくて」

 俺に地獄の苦しみを味わわせたのは、人間の少女だった。

 よく日に焼けた肌をして健康そのものといった感じの少女は、言葉の上ではすまなそうにしているが、好奇心丸出しに瞳を輝かせ、顔は完全ににやついている。俺はというと、こいつの差し出した水を飲んで、ようやく人心地がついたところだ。


 いや「人心地」はおかしいな、なぜなら俺は魔族だから。


「どざえもんにしちゃ妙だし、全身砂まみれだから流してあげようとしたんだよ」

 人間のメスごときが、俺に随分な口を叩きやがる。腹のタシにもならねえだろうが、ここで喰っておくか。俺は少女に手を伸ばした――が、そこで俺は生涯最大級の情けない悲鳴をあげることになる。


 何だこの身体は――まるで、人間じゃねえか!


 魔界最強とも言われた俺の、漆黒の肌をした逞しい身体と美しい翼、禍々(まがまが)しい角はどこいったんだ。立ち上がって全身を確認しようとしたところで、今度は少女が悲鳴をあげた。



 しばらくの後、俺は網のようなもので全身をぐるぐる巻きにされて、10名ほどの人間の男達に囲まれていた。俺をミノムシのように転がして、悪態をついて足で小突いてくる奴さえいる。

「てめぇ、サヨリに何しやがる、変態が!」

 まだガキの男が、俺にのしかかろうとする。

「カイト、違うから!違うんだってば!」

 それを先ほどの少女が必死で止めるが、どっちにしても二人して俺を踏んづけている。

「だってよ、お前の悲鳴を聞いて来てみたら、この男、すっぱだかだったじゃねえか!」

「だーかーら!あたしはそれでビックリしたんだってば!だってこのあんちゃんフルチ」

「お前らやめねえか!とにかくその得体の知れないのから離れろ!」

 うるさいガキふたりを追っ払ってくれたのはよかったのだが、俺はそれからたっぷりここの男どもから説教を食らった。こんな体になっちまったからには、魔族ですと言っても信じてくれなさそうだったので、溺れて流れ着いた異国の者だということにした。


「あんちゃん、名前はなんてーの?」

 男達の後ろから、先ほどサヨリと呼ばれていた少女が問いかけた。俺の本当の名前は、人間の口では発音が出来ないものだったので、かつて何処かの人間がつけた呼称をそのまま伝えた。

「俺は、дьявол(ロシア語で悪魔)」

「であぼー?」「だぼーじゃないか?」人間というものは耳も悪いのか。

 口々に適当な発音をしたあと、結局俺は「デーさん」などと呼ばれることになった。絶望的に格好悪いが、ここの滞在もそう長くはならないだろうから我慢することにした。本来の力を取り戻せれば、人間どもなど目ではない。ここをひとつ新たな魔族の拠点としてもいいかもしれないな。


 

 俺の引き受け先となったのは、意外なことにサヨリの父親であるヨウだった。サヨリの家は母親のミナミが下宿と酒場を経営し、ヨウは漁師らしい。先ほど生意気を言ったカイトというガキ(とはいえ、聞いてみると18歳だというのだから驚きだ)は、ここに下宿しながら漁師修行をしているということだ。


 そういうことを、サヨリは暇さえあれば俺に話して聞かせた。馴れ馴れしく「あんちゃん」と呼んでは、あれこれ世話を焼いたり付きまとったりするサヨリを最初の頃は鬱陶しく思っていたが、こいつの妙な人懐っこさのお陰で、俺は荒海という街を少しずつ知るようになっていった。

 カイトはそれが気に入らないらしく、ちょくちょく俺に悪態を吐きに来たから、ガキの癖にいっちょ前に嫉妬してるらしい。


「よう、デーさん。タダで世話になるんじゃなくて仕事くらいしろよ」

「カイト!お前もサボってるんじゃないよ!船の手入れは済んだのかい?」

 サヨリの母親はカイトをうまくあしらって、俺に酒場の仕事を教えた。最初こそ、人間相手に酒と媚を売るような仕事だと馬鹿にしていたが、やってみるとなかなかどうして面白い。

 ここ、荒海という街の人間は、やや口の悪いところもあるが、うちとけてしまえばそれが親愛の情の表れだという事も分かったし、正直、人間の身体になってしまってから、どうにも「身体の操作」が思い通りに行かないと感じていたので、仕事をするという事はいい準備運動になった。



 そんなことがひと月ほども続いた後、俺はヨウとミナミに尋ねてみた。

「この街の人は、俺みたいな放浪者を不審に思わないのかね。危ない奴だっていないわけじゃないだろう」

「そうだなぁ――こればっかりは自分の眼を信じてるとしか言えねえな」

「その証拠に、うちの下宿にはデーさんみたいな気のいい人ばかりいるだろう?」

「俺が?気がいいって?冗談言っちゃ困る」

 いっそ正体をばらしてしまおうかとも思ったが、なんだかこの夫婦に悪いような気がして、俺は適当に笑って誤魔化した。魔族として悪の限りを尽くしてきた俺が、人間相手に遠慮してるとは、随分不甲斐ないとは思うが……。

 そんな俺の心のうちを知るはずもないヨウが、大真面目な顔で答えた。

「冗談なもんか!あのカイトがあんなに懐くなんて、滅多にないことだぞ」

「カイトがか?ありゃ単に俺が気に食わなくてちょっかいかけてるんだろ」

「そうか、デーさんはあのことを知らないんだったな――」



 カイトは孤児だそうだ。母を早くに亡くし、漁師をしながら男手ひとつで育ててくれた父親も数年前に怪物に襲われて亡くなった。かつてこの荒海には正体不明の怪物がたびたび出没し、漁船や港が何度となく被害にあっていたが、カイトの父親もその被害者の1人だという。


「その怪物とやらはどうなったんだ?」

「デーさんが流れ着く少し前かねえ、宿屋の婿さんが倒しちまった」

「それほどの怪物を、そいつ1人でか?」

「なんつったかな、あの旦那さん」

「アル……アルマロスさんだよ、たしか。本当に強かったんだよ、その人」


 アルマロスという名に聞き覚えがあるような気がしたが、それより俺は、俺が呪縛から解放された理由がようやく理解できて、膝を打ちたい思いだった。

 俺は恐らく荒海の近海に封印されていたのだろう。というよりも、俺が封印されている近くに荒海の町が出来たというのが正解か。そこで強大な力を持つ怪物が幾度となく暴れてくれたお陰で、封印が破壊されたのだ。


「まあ、そんなこんなで、オヤジさんの仕事仲間だった俺がカイトを引き取ったんだ。事情が事情だけに、あそこまで元気になるのには随分かかったさ」

「デーさんとはだいぶ仲良くやってるようだし、兄弟みたいだよ、あんた達」

「冗談じゃない」

「サヨリがからむと、面倒なことになりそうだけどね――せいぜい譲ってあげるんだよ、アニキがね」

 ミナミは豪快に笑って、ヨウは苦々しい顔をした。俺がサヨリを狙うとでも思ってるのか、あんなガキくさいのを。

 いや、ガキじゃないな。あいつは世話焼きのババアみたいな態度で俺に接しやがる。そんな風に扱われたことが、この俺にはないから、ちょっとものめずらしく思ってるだけさ。



 サヨリとカイトの話はそれきりになり、俺は再び人間との単調な生活に戻った。身体はもう万全と言ってよかった。少しずつではあるが、魔力も回復しているように思う。じきあの頃の力が取り戻せるだろう。


 だが、俺の中の何かが確実に、ここでの生活を失うことを恐れている。


 殺し、奪い、踏みにじり、欲しいものは何でも力で手に入れてきた俺が、小さないとおしいものを壊さないようにしているだなんて恥の極みだ。

 それをかつての仲間に知られないためにも、俺はここで正体を隠して生きるべきだと、上手く自分を正当化する口実を見つけてほっとしている。本当にこんな俺、見せられないな。



 平穏な生活に、ある日ちょっとした波が立った。

 港に異国の船が漂着したのだ。船体はところどころ破壊され、5名ほどの乗組員が乗っており、生きてはいたが皆かなり衰弱しているようであった。うわごとのように「怪物が」と繰り返す彼らを見て、荒海の町は騒然となった。


 乗組員の回復を待って話を聞くことになり、全員が一旦ヨウの下宿に置かれることになった。ミナミとサヨリのかいがいしい世話で、数日もするとだいぶ元気を取り戻したように見えた。

 しかし、俺にはこいつらに名状しがたい不吉なものを感じていた。

 ある時、サヨリから買い物を頼まれた俺が下宿を出ると、角のところで男に呼び止められた。大剣を背負った大柄な男だ。初めて見る顔であるが、俺はぴんときた。

「あんた、アルマロスだろ?怪物を倒したっていう――聞いた名だと思ったら、元天使のあれか」

「随分と有名になったもんだ。ディアボロスにまで知っていただけてるとはな」

 『ディアボロス』――天上界のやつら独特の言い方だ。

「その名前で呼ぶんじゃねえよ。何の用だ、元天使が」

「この下宿にいる男達が怪物に会ったっていうのは嘘だ。本当にそうならこの私が気配でわかる」

「俺だってうすうす勘付いちゃいるさ。だからこうして家を離れるのは嫌なんだが」

「あぁ、悪かったな。今は私がいる、早く買い物を済ませてくるんだな」


 その物言いに思わず噴出してしまった。

 女に頼まれて買い物に行く上級魔族と、留守を見張る元天使。魔界と天上界が知ったらひっくりかえってたまげるだろうな。そういえば、ヨウがあいつを「宿屋の婿」と言っていたっけ。元とはいえ、天使という身分を捨てて、人間の女と結婚したってことか。


 恥を知れ――と心の中で蔑む思いと裏腹に、羨む気持ちもなくはなかった。

 頭の中に一瞬、サヨリの顔が浮かんで、慌てて首を振った。



 事件はその夜起きた。

 乗組員の1人が、怪物について話したいことがあると、街の男達をミナミの酒場に集まらせた。俺はアルマロス同様、やつらを胡散臭く思っていたので、参加して動向を探ることにした。

 男は船に積んだ通信記録を確認すると言って、男達を引き連れて港へと向かった。酒場にはミナミとサヨリ、そしてカイトが残ることになり、俺は心配だったのだが、カイトを一人前の男として信用してやれというヨウに従って留守を任せることにした。

 そういいつつも、ヨウが乗組員が休んでいる部屋に外からこっそり鍵をかけたので、彼としては単にカイトにいい格好をさせてやりたいのだろう。だったら無理言って残るほうが野暮というものだ。



 港への道すがら、男は疲れたと言っては休み、ようやくたどり着いたと思ったら、通信記録とやらを探すのにえらい時間をかけている。街の男達は馬鹿がつくほどのお人好しなので、案じながらも男を手伝ってやったりしている。


 俺はため息を吐いて、酒場に戻ることにした。そもそも、いくら男の体力が回復してようと、街の男は10人以上いるのだからどうこうしようがない。カイトは嫌な顔をするだろうが――。


 すると、酒場へと続く道のはるか向こうに、カイトの姿を見つけた。よろめきながらも懸命に走ってくる様子を見て、俺も慌てて駆け寄った。


 カイトは頭から血を流していた。ただならぬ事態のようで、途切れ途切れながらも息を荒げて俺にこう伝えた。

「――宿にいた奴らが、窓から抜け出して――サヨリとおかみさんを連れて、うちの漁船で逃げるって――デーさん、助けてくれよ!」

「ということは漁港だな。分かった、俺が行く。お前は歩けるならこのまま港にいる男達にも伝えに行け」

「お、おれも戦う!」

「馬鹿、無理だ――手に持ってるのはなんだ?」


 カイトの手には、俺の身の丈ほどもありそうな大太刀が握られていた。彼が言うには、父の形見のものらしい。俺はそれを奪うと、上着を脱ぎ捨てた。

「ちょっと借りるぜ。あと、俺に任せときゃ万事大丈夫だ」


 そう言うと、秘めていた力を一気に解放した。

 髪は伸び、肌の色は黒く、瞳は燃えるような紅色に。不思議なもので、この姿になってみると心まで魔の者になるらしい。これから自分があの男達に行うであろう殺戮を想像しただけで、ぞくぞくするような快感が体中をはしる。

 魔族の姿になった俺を目の当たりにしたカイトはへなへなと座り込み、口をぱくぱくさせた。まあ、無理もない。ただ、抜けた腰をなんとかして自分の役目は果たしてくれよ。

 俺のコンディションはというと、絶好調とはいかないが、まあまあの回復ぶりだ。多少使い慣れない武器でも十分やっていける。


 漁港へと走りながら(飛翔できるほどの力はまだなかった)、カイトから借りた太刀を見た。形見ということだが、刀身にはさびが浮き、あちこちガタがきていて、どう見ても安物の模造刀だった。


 だけど、俺には関係ないんだな、これが。


 俺は刀に妖気を巡らせた。刀身は怪しく輝き始め、赤黒い炎を放った。魔族にとって武器は単なる妖気の伝え手でしかない。つまり、この刀で斬られる者は、魔の力で斬りつけられることになる。ちゃちな盗人には過ぎたおしおきかもしれないが、この際仕方がない。



 数分で漁港へたどり着くと、今まさに漁船が港を離れんとするところだった。嫌な想像だが、港に死体が転がってないところを見ると、サヨリとミナミも一緒に乗っているのだろう。

 俺は咆哮を上げ、港からジャンプひとつで船の舳先に着地した。その衝撃で気づいた乗組員が悲鳴をあげた。ざっと見渡すと、男が4人、その後ろに腕を縛られたサヨリとミナミ。とりあえずは無事なようでほっとした。


「バケモノ!」

「おい……怪物は出ねぇんじゃなかったのかよ!」

 漁船の突端へとじりじりと後ずさる男達は、異形の者となった俺への恐怖のあまり攻撃することすら忘れているようだった。俺は何の躊躇いもなく、前のほうに居た男の耳を斬り落とした。転げまわって情けない悲鳴をあげる男を見て、他の者達はただガタガタと震えるだけだった。

 俺は心底愉快そうに笑った。何て気分がいいんだ。虫けらを潰すほどの罪悪感すらない。性根の腐りきった人間をいたぶって命乞いをさせる、ほんの退屈しのぎの戯れだ。

 

 ミナミはサヨリに覆いかぶさるようにして、この残虐な場面を見せないようにしたが、サヨリは俺から目を逸らさなかった。


「あんちゃん!もうやめてあげて!あたしも母さんも大丈夫だから!」

「えっ?これ……あんた、デーさんなのかい!」


 驚いたことに、サヨリはこの恐ろしい魔物が俺だと気づいていた。

 そう思っただけで、俺の中からこの男達に対する残忍な気持ちがふっと消え失せた。それと同時に、魔族の姿を保てなくなってしまった。なんとも情けないが、どのみちこのちゃちな悪党はもう何もするつもりもなさそうだし、あとはちょっとした「おしおき」で勘弁してやるか。


「ミナミ、漁船の操縦は出来るな?」

「あ、あぁ……そりゃもちろん」

 さすがに肝っ玉の据わったおかみさんだけあって、ミナミはややびくびくしながらも漁船の操縦桿そうじゅうかんを取った。

「荒海の男達は、大体どのくらい泳げるんだ?」

「え?そうだなぁ……とうちゃんくらいになると10キロは泳ぐけど、普通は5キロくらいじゃないかい?」


 それを聞くと、俺は荒海の男達の待つ港からちょうど5キロ離れた海上に漁船を向かわせ、そこで男達を全員海へ突き落とした。船の乗組員をかたるのだから、多少泳ぎの心得はあるはずだ。せいぜい頑張って泳ぎ着いて、そこで待ち受けている男達に審判を受けるといい。


 ミナミの操縦で、俺たちは港に戻ることにした。サヨリは俺を止めた時からずっと、毛布にくるまって甲板の隅で震えていた。憎しみに任せて魔の姿になり、ショッキングな場面を見せてしまったことを、俺は後悔した。彼女はそんな魔族である俺が一緒に船に乗っていることも恐ろしくて、声も出せないに違いない。


 何か声をかけて、いつもの俺だと分かってもらって安心させたい。冗談でも言って、気を紛らわせてやりたい。その前に、彼女に謝りたい。



「なあ、サヨリ」

 サヨリは返事をせず、顔だけこちらに向けた。

 その顔を見たら、言おうと思ったことと全然違うことが口をついて出た。


「俺の嫁さんにならねえか」

「えっ、やだよ」

「えっ、俺ってば何言ってんだ。っていうかサヨリ喋れたんか!なんで断ってんだよ!」

「うるさいなぁ。トイレ我慢してんだから話しかけないでよ」


 それで妙に静かだったのか、ガキかよ。その機嫌で俺の(はずみとはいえ)求婚を断るとは、なんてデリカシーのないメスガキなんだ。


 でも、口にしてみてはっきり分かった。俺はこのサヨリにべた惚れだ。ガキくさくて、お転婆で大雑把で、だけど根っからの世話焼きで情に厚い女に。


「なぁ」

「なによ」

「お前がクソした後で、もっかいプロポーズしていいか?」

「――そっちじゃないから」


 サヨリは、俺の目をまっすぐ見て、困り笑いの顔で言った。

「ごめんよ、あんちゃん。あたしずっと好きな人がいるんだ」


 ちくしょう、助けたのは俺なのに、いいところはあのガキに持っていかれるのか。


 はっと気づいて漁船の操縦席を見ると、ミナミがにやにやした顔でコッチを覗っていた。俺と眼が合うと、ぶっとい人差し指を唇に当てて「内緒」のジェスチャーをしたが、あれは絶対言いふらす顔だ。


 あーあ……港に帰るのが憂鬱になってきたぜ。

 俺は甲板にごろりと寝転んで、荒海の満点の星空を仰いだ。




 その後、盗人達は荒海の屈強な男達に散々「叱られた」あとで、警察に引き渡された。俺が奴らに対して魔の力を発揮したことも、その時知れ渡ってしまった。


 俺はヨウを始めとする街の人間たちに頭を下げた。サヨリにもこっぴどくフラれたことだし、荒海を去るいい潮時だと思ったのだ。しかし、返ってきた反応は予想外のものだった。


「デーさん、すまん。謝らないといけないのは俺たちのほうだ。実は、デーさんが人間じゃないってことはみんなうすうす勘付いていたんだ」

「ここは世界でも珍しい、魔族や獣人も住まう街なんだよ。港を挟んでここと反対側には、魔族の街区もあるんだ。それをデーさんに黙ってて、本当に悪かった」


 なんてこった。俺様が海の底深く封印されている間に、世界はめちゃくちゃ変わっていたらしい。ぽかんとする俺に、ミナミは微笑みかけた。


「みんなデーさんのことが好きで、あっちの街区に行ってほしくなかったんだ。身勝手だと思うだろうけど、そのお陰であたいもサヨリも命が助かったから、本当に感謝してる。今までありがとうね」



 数日の後、俺はしかるべき手続きを踏んで、荒海の魔族の街区に定住することになった。同じ街の中での引越しなのに、酒場ではお別れの飲み会が開かれた。

 ミナミや街の女達が腕をふるった料理と、持ち寄った酒でみんなしこたまに酔い、それでも宴席は夜が更けても続いた。


 すると、ある1人の男が俺に大太刀を手渡した。カイトの父の形見だというあれだ。

「カイトが、どうしてもあんたにってな。この刀に相応しいやつに持っててもらいたいってさ」

「だけど、形見なんだろう?あいつの親父さんの」

「カイトの父ちゃんは根っからのお人よしでな。こんな二束三文の模造刀をカタに、人に金貸しちまうようないい男だったさ」


 カイトにその刀を託された男は、刀鍛冶だという。

「おれはこんな刀潰しちまって、いい奴をあんたにくれてやろうとおもったんだが――銘もなにやら胡散臭いしな」

「銘?」

「由緒ある刀には、なかごと呼ばれた部分に名前みたいなのが彫られてるんだよ。普段はつかに隠れて見えないがね」

「へぇ、そいつには何と?」


 刀鍛冶の男は、肩をすくめた。

「『時政』だとよ。大昔の武将の名前なんだが――おれはそんな銘の刀見たことない。とんだ三流品だと思ったが、名前に妙に惹かれてね」

 男が言うには、「時政」とやらの娘と娘婿がこの国の流れを変えるほどのことをしたらしい。カイトの父がそれを知っていたかは分からないが、彼なりに息子に何かを託したのだろうと刀鍛冶は話してくれた。

「だから、丹精込めて鍛えなおしておいたよ。どうか、もらってやってくれないか」


 俺は男とカイトの厚意に甘えることにした。丁寧に打ち直された「時政」は見違えるような輝きを放ち、俺はすぐに魅了された。

 カイトに礼を言おうと酒場を見回すが、彼の姿がない。よく見ると、先ほどまで厨房に立ってあれこれしていたサヨリも居ない。さては――

 ちょっと野暮かなと思ったが、奴らの先行きを見届ける権利が俺にはある。こっそりと宴席を抜け出すと、店の裏の勝手口のほうからサヨリの声が聞こえた。いつも以上にでかい声を張り上げているので、ドア越しでもよく響いた。


「だから!ワケわかんないんだってば!何でカイトが出て行くことになるのよ」

「それは……おれじゃ、サヨリを守ることできないし」

「はぁ?あたしいつ、アンタに守ってくれって頼んだっけ?」

「いや、そんなこと、言ってない、けど……」

「けど、なによ!」


 なんだか不穏な内容だが、それ以上にサヨリにボコボコに責められてるカイトが気の毒でならない。本当に、あいつ気が強いからなぁ。そこがいいんだけど。


「サヨリは、デーさんと一緒になるほうがいいよ。あの人なら、今回みたいなことがあっても」

「なんでそれをカイトが決めんのよ」

「ごめん……」

「あたしが好きなのはカイトだよ。もうずっと前から」

「え」

「カイト」

「はい」

「結婚するよ」

「はい……って、え?『するよ』?なにそれ?それでいいの?」

「返事!」

「は、はい!」


 盗み聞きの罪悪感も吹っ飛んでしまうような、とんでもないプロポーズだった。気配を感じて後ろを振り返ると、宴席に居たはずの街の人間が勝手口に殺到して聞き耳を立てていた。女達は眼を輝かせ、男達はお互い顔を見合わせて親指を立て、ヨウはというと……。


「あれ?ヨウさんどこいった?」

「まずい!カイトがぶっ殺される!」


 ドアの向こうから、獣のような雄叫びがしたと思ったら、カイトが情けない悲鳴をあげた。外に出てみると、カイトにしがみついているヨウをサヨリが必死で引き離そうとしていた。若くてまだ華奢な男に、上半身裸の屈強なおっさんが抱きつき、それを若い女が引っ張ったり蹴ったりしてる。地獄絵図だ。ミナミはどうしたかと見渡してみると、ドアの向こうで手を叩いて盛大に笑っていた。


 まったく、人間っていう連中は騒がしい種族だな。


 サヨリとカイトをめぐっての大わらわで俺のお別れ会どころではなくなったが、妙に湿っぽくならずに済んだのは助かった。今の俺なら、この連中に涙ながらに送り出されたりしたら、絶対にもらい泣きしてしまうからだ。 




<2070年 輝夜>


「――というわけで、俺は時政の名をもらって、輝夜に定住してるわけよ」

「ふんふん」


 蜘蛛型の残党の戦いが終わった数日後の昼下がり、時政と妻のイサナの店「ディアボロ」の店内では、昼食を取りに来たエースとアデルに、昼間っからビールを飲んだ時政が昔話を延々と語っていた。アデルにとっては何十回と聞かされた話なので、早々に自分の分を食べ終わると、カウンターに移動してイサナとのお喋りを始めた。

「エースさん、悪いねぇ。ウチの人、酔うと話が止まらなくて」

「いや、なかなか興味深いよ。この話からすると、時政が今ここでは一番の古株なのか?」

「ここに来る連中の中では、ゾロの方がずっと古いな。あいつはここ生まれだし」


 時政が付け足した話によると、魔族の街区に定住した時政は程なくして獣人の街区と交流を始め、そこでリーダー的存在であったゾロと友人になったそうだ。もともと人間と親しかった獣人との繋がりが生まれたことで、ある程度の距離を置いていた人と魔族も徐々に打ち解けて、荒海は種族ごとに街区を分けるのをやめることにした。

 それが、数十年の後に荒海が輝夜と名を変えて、アジアで先駆けて「多種族共生特区」に指定される理由になったという。


「だからある意味、輝夜が出来たのは俺の功績でもあるってわけよ」

「またそれ言う。時政の話は大抵武勇伝だから、エースさん適当に聞き流しておいてね」

「そうそう。そもそもゾロさんが人間と仲良かったお陰なんだから、あんたはオマケ」

 その後に、私のおばあちゃんと戦争で一緒に戦った話が続くからほんと長いのよ、とアデルは呆れ顔をした。エースはその話に興味をそそられたが、店の開店時間が近いとアデルに急かされて諦めることにした。


「そうだ、聞きながら疑問だったんだが、時政を最初に住まわせた家族って」

「あぁ、イサナのじいちゃんたちだ」

「もっとずっと古いだろ。サヨリばあちゃんは、たしかひいばあちゃんかその上くらい。店も、建物は造りなおしたけれどここだよ。ウチは代々、男が漁に出て、女が酒場をやることになってるんだ」

 この人は違うけどね、とイサナは時政をじろりと睨んだ。びくりとして肩をすくめる時政を見ると、この家の男は代々嫁の尻に敷かれる運命にあるらしい。


「でもさ、なんかすごいよね」身支度をしながらアデルが言った。

「時政なんて、私のおばあちゃんが生まれた時代も知ってるんだし、私とイサナはずっと『時政おじ』って呼んで遊んでもらったりしたわけじゃない。なのにそのイサナと結婚するだなんて、私すごくびっくりしたんだよ」

「そ、そうか?」時政はしどろもどろになった。

「魔族みたいに一生が長いと、そういうことも珍しくないんだろ」

 エースが助け舟を出したが、アデルは止まらなかった。

「しかも、過去に好きになった人の子孫をまた好きになるなんて、運命みたい。子供時代を知ってようが、誰を好きになるかは自由だもんね!」

「ア、アデル……そのくらいで……ホラ、そろそろ店行かないとじゃね?」

 明らかに時政の様子がおかしい。さっきまであんなにご機嫌で酔っていたのに、今では叱られる寸前の子供みたいな顔をしている。そんな魔族をみて、アデルとイサナはにやにやした。


「そうね。いい加減急がないと――じゃ、時政がもじもじしてて結局イサナにプロポーズさせた話はまた次回ね」

「その話はやめてくれ!頼む!」


 テーブルに突っ伏してしまった時政を、イサナが優しく慰めている。そんなふたりにピースサインをして、アデルはいたずらっぽく笑った。店を出ると、ランチタイムの看板を裏返して「準備中」の札に変えることも忘れなかった。



 アデルの店「楽園の果実」へと向かいながら、アデルはぽつりと呟いた。

「――あのふたり、羨ましいな」

「異種族同士の夫婦としては、かなり上手くやってるほうじゃないか」

「それもそうだし、時政はイサナのために輝夜で一生を終えようとしてる」

「一生ったって、魔族はほっといても何千年と生きるだろう」


 そうなんだけどね、と言ったきり、アデルは黙り込んでしまった。

 恐らく、覚醒という爆弾を抱えて短い一生しかもち得ない自分にはないものを、アデルは羨んでいるのだろう。エースはアデルの命が短いことを知っているが、アデルはエースに知られているとは思っていない。


 お互いにかける言葉が見つからないまま、二人は黙ってビーチへの道を歩いた。



<DeadlockUtopia 第五章 ~Diavolo~ END>


DeadlockUtopia第六章~Metamorphosis~へと続きます。次章が最終章となります。舞台は2070年の輝夜と、その少し先の未来です。どうぞ最後までお付き合いお願いします。

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