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Deadlock Utopia  作者: 胡坐家
10/17

DeadlockUtopia 第四章一節 ~楽園の住人(前)~

DeadlockUtopia 第四章一節「楽園の住人」の前編です。本作の中では最も古い時代の話になります。後編で本編への関連が明かされますが、前後編でひとつの独立したストーリーとしてもお楽しみください。

DeadlockUtopia 第四章一節 ~楽園の住人(前)~



挿絵(By みてみん)




<天上界からの追放>


 何故、私が逃げなければならないのか。


 迫る追っ手、身体を貫く矢、無様に走る私。一歩進むごとに、はらはらと白い花びらが舞う。いや、ちがう。私から剥がれ落ちる天使の羽だ。


 私の名前はアルマロス――「呪われし者」という意味だ。天上界に相応しいとはいえない名を冠する私は今まさに、堕天しようとしている。

 翼に頼りきりで走ったことなどない。おまけに段々と身体が重くなり、天上界の「地面」は私の重さを支えきれない。足元から沈んでいくかのような錯覚に囚われ、私は諦めて追っ手のほうを顧みた。


 追っ手――ガーディアンの一団は、振り返った私を見てぎくりと足を止めた。

 そして口々に「アルマロス様、正気に戻られてください」「父に赦しを乞うてください」と私の改心を促す。さすがに、自分達よりはるか上の位の天使をいきなり射ることなど出来ないといった様子だ。


 しかし、ひとりは違った。

 「蒼の天使」と呼ばれる射手で、ガーディアンの一団を任されている。彼女がまだ未熟だった頃は、私が色々な教えを授けたが、その授けた知恵を以って私を追い詰めているとしたら、皮肉な結果になったものだ。


 蒼の天使は訴えるような目で私を見、そして叫ぶように言った。

「アルマロス様!あたしは……貴方の叡智と教えを尊敬しておりました。本当に立派な天使様でいらしたのに、どうしてですか……。何故、父がお創りになった『楽園の住人』にあんな汚らわしいことを」


 汚らわしい?私はただ、奴らに武器と化粧と薬を教えてやっただけだ。

 そうしたら、男は女を巡って争い、女は男に媚び、奴らが勝手に堕落したんだ。「楽園の住人」などと言われ、神の愛玩物同然の日々を送るよりも、人間たちは余程愉快そうにしていたが。


 蒼の天使の目に、明らかな怒りの炎がともった。

「それだけではございません……!父とあたし達の楽園を、欲にまみれた汚いものにしたことの何が愉快なのですか!」


 私は、まっすぐな目で真っ当なことを言う彼女を見下すようにいった。

「自分達の楽園か……ずいぶん思いあがっているな。はたして、人間の側もそう思ってくれてると思うか?神様の下さる『御加護』が有難いなど、私は一度も聞いた事がないがな!」

 そうして、天上界の人間にあるまじき下品な笑い顔を作ってやった。私が本当に「楽園」にしたこと――その行いに相応しい、そう思ったのだ。



 見目麗しい乙女の姿をしたガーディアン達が悲鳴に近い声を上げた。私のことを穢れそのものとして睨みつけている者もいる。

 憤怒の情を顔に残したまま、蒼の天使が静かに矢をつがえ、唇をかすかに動かしたあと、躊躇いなく私に一矢を放った。


 彼女の矢は、私の左胸を正確に射抜いた。

――が、天上界の者は「痛み」という感覚を持ち得ない。

 その証拠に、既に私の身体には幾本の矢が刺さったままだ。私がそのとき感じる ことが出来たのは、段々と、身体が重くなる――それだけだった。


 見ると 、膝下まで地面にめり込んでいる。これが「堕ちる」ということなのか。天上界の地面に立つことも出来なくなったとき、私は「堕天使」という存在に変わるのだろう。


 身体から抜け落ちる羽は、皮肉なはなむけのように私の周りを舞う。自分に触れた私の羽を、汚いもののように振り払うガーディアンたち。しかし蒼の天使だけは、彼女の頭に降り積むほどの私の残骸を払うことなく、堕ちていく私をただ黙って哀しそうに見つめていた。


 彼女は、私を射る前、誰にも悟られぬよう祈りの言葉を捧げていた。

――堕ちて行く者に祈りなど……まったく、とんだ不良娘だ。



 突如、射抜かれた左胸に熱を感じ、私は思わずそこに手をやった。生暖かい液体が手に触れ、私はそれが血であると知る。

「ほう……この熱さが『痛み』というやつか」

 そうひとりごちた途端、私の身体がふっと軽くなった。


 いや、ちがう。

 私の身体は天上界の地面を突き抜け、下界へと落ちていた。翼など役には立たない。ただ抜け落ちることで、私の落ちる軌跡を天空に遺しただけだ……。





<奈落の国>


 堕天した私は、まず魔界にいざなわれた。私ほどの高位の堕天使は過去に類を見ないと、全身を黒い布ですっぽりと覆った、案内役の魔族の女が教えてくれた。


 私には一城が与えられ、夜は、案内役の女が私の相手をした。


 最初の夜、寝所にしのんで来た女を見て、私は驚いた。

 長く豊かなプラチナブロンドの髪、透けるような白い肌、柔らかな白い布だけを身に纏い、背には見事な白い翼――。


 そう、天上界の女そのままの姿で現れたのだ。


 女は「アルマロス様が何をなさりたいのか、存じ上げております」と、私に寄り添うように座り、私の腿に静かに手を置いた。女は数百年前に堕天したのだという。わけを尋ねると「父の大事な花を手折ったのです」と答えた。

 本当はお前が手折られたのではないのか、と思ったがあえて問うことはせず、私は暫くの間を、魔界でその女と共に過ごした。


 位の低い魔は、私の城に近づくだけで消滅してしまったし、事実、天上界でも屈指の強者と言われた私に挑む者など皆無で、私は魔の国の王同然の扱いを受けていた。


 満たされることも、さりとて不満もない暮らしであったが、ある時から女に異変が起きた。

 城の中に居ても、私の前にほとんど姿を見せることがなくなり、何か口実を設けては、部屋に篭ることが多くなったのだ。


 そんな日が続き、私はあることに気がついた。

 姿を見せぬ女を想うとき、私は天上界にいた頃には持ち得なかった名状しがたい何かを感じるのであった。

 焦り?動揺?そのどれとも説明の出来ない何かが私の胸に巣食っている――。


 ある新月の夜、女が私の寝所にやってきた。

 私に寄り添う様は以前と変わらないが、どこかぎこちなさを感じた。月のない夜、この奈落の国は真の闇に覆われる。私は、女の姿をひと目見たく、明かりを灯した。


 目の前にいるのは、私と暮らしていた女ではなかった。

――いや、彼女であるのは変わりないのだが、天使のように気高い容貌は豹変していた。


 浅黒い肌、赤く光る瞳、漆黒の髪、そして黒い翼――。


 女は、こうなることを覚悟していたのか、目に涙を浮かべて私に告げた。

「アルマロス様の力が強すぎて、この魔界の者はひとりとて正気を保っていられなくなるのです。唯一、貴方様と同じ天上界から堕天してきた私だけがお側にいられることが出来たのですが、魔に毒された私もやはり、自分の姿を保つことができませんでした……」


 そして私から身体を離すと、跪いた。


「完全に魔界の女になってしまった私は、貴方様の側にいる資格を失いました。そして……アルマロス様は魔界にいるべき存在ではございません。貴方様にはやはり天上界が相応しいと、私は思います」


 過ぎた発言をお許しください、と女は立ち上がって頭を下げた。


 私は、天上界の女を側に置きたかったわけではない。お前の姿が何であろうと、私は――。そう伝えたかったのだが、私が躊躇った一瞬に、女は全てを悟り、城を後にした。


 私もまた、言い様のない喪失感を抱え、魔界を去った。

 自分の胸に空いた穴の奥底にあるこの感情は何なのだ。その答えを探しに、私は地上へと向かった。




<緑の国>


 次に私が足を踏み入れたのは獣人の世界であった。彼らは天上界とは無縁の存在と言ってよく、つまりは私を恐れるほどの魔力もない者たちであった。


 高位の大天使たちは獣人を穢れとして蔑視したが、その中にはいくばくかの恐れがある、と私は考えた。 獣人は「神の創造物」としての位は低いかもしれないが、人同様、長きに渡りこの地上世界で生きていくうちに、人と共生をする者が出てきていた。


 天上界はそれを忌み嫌った。 自分達の創りだした楽園の住人が、この汚らわしい獣に親しんでしまうことは、彼らにとっておぞましいことに思えたのだろう。



 そして、堕ちたとはいえ天上界の住人であった私が初めて獣人の世界を訪れると、待っていたのは獣人の戦士たちの牙や爪の洗礼だった。

 勿論、私に指一本触れることすら叶わず、彼らの多くは酷い怪我を負った。しかし彼らは、圧倒的な強さがありながらも命は取らぬ私に一目置いたのか、彼らの国に歓待されることとなった。


 獣人の女たちは蠱惑的こわくてきと言って良い魅力を持っていた。

 人とも、魔族とも、もちろん天上界の女とも違い、いわゆる美という観点からすると劣ることは否めないのだが、獣人の持つ野性と、自信に満ちた振る舞いが彼女達を美しく見せていた。


 「彼女達」と表現したのは、獣人の女の多くが私の傍らにいることを望んだからだ。

  獣人が私のためにしつらえた、小高い丘の上にある大きな屋敷。そこには龍、狼、獅子――あらゆる獣人の女が私と共に住んだ。



 魔界での、魔族の女と過ごした日々を思い出す。あの時に感じた思いが蘇ることを恐れなくはなかったが、それは杞憂に終わった。


 なぜなら、獣人の女たちの望みは私自身ではなく「高位の天使の子を身ごもること」だと知ったからだ。


 大天使達が、獣人を忌み嫌った理由が見えた気がした。

 彼らはけだものに近い分、子孫を残すことに貪欲だ。それが彼らの迷いのない生き方や堂々とした態度として表れ、自ずと否定しようのない魅力を生む。

 天上界が最も否定したい、本能のままの行動を取る獣人たち。しかしそれが美しさを生み出すという矛盾を認めたくないのだ。


――しかし、そういう生き方もあるのだ。

 事実彼らの世界はある種「楽園」と言っていい。緑に溢れ、自然を受け入れ、あらゆるいきものと共存する世界。

 私は晴れた日に、屋敷の窓を開け放って風を感じながら、眼下に広がる獣人の集落を見て、心からそう思った。




 しかし、そんな私の目に、不吉なあるものが飛び込んできた。はるかかなた、山の向こうに立ち込める暗雲だ。

 迅雷を帯びたその雲は、間違いなく天上界からのものだった。自分達が忌み嫌う獣人と共に、堕天してもなお生き続ける私を粛清しにきたのであろう。


 私は女たちを走らせ、集落の住人達に危機を知らせた。

 武装をした男たちが応戦に参じると思ったが、予想は外れた。彼らはあっさりと自分達の集落を捨て、ちりぢりに逃げる道を選んだ。

 こんなに豊かで美しい地に未練はないのか、と問う私に、女のうちの一人は当然のことだ、という顔でこう答えた。


――天上界の雷に対抗する術はありません。過去に何度となく、私達獣人は彼らの攻撃を受けています。そのたびの大きな被害を思うと、彼らには抗せずに逃げ、新たな私達の安住の地を見つけるほうが利口です。


 女から感じられる諦念ていねんが、私の怒りに火をつけた。

 獣人は、天上界に蹂躙されることに慣れている。いや、慣れざるを得ない運命を背負わされているのだ。


――汚らわしい存在をすべて排除して世界を創造する。これこそ、私が嫌った天上界の、いやらしいまでの清浄さだ。


 私は女に、残っている獣人を全て屋敷の中にかくまい、お前も含め、決して私の姿を見てはいけないと命じた。


 数千年ぶりに、私の力を解放するときがきたのだ。



 家畜たちを放牧していた牧草地に、奴らは降り立った。ミカエルの指揮する、守護天使の一団だ。ざっと20名はいるであろうガーディアンの乙女たちは、力を解放した戦士の姿で待ち受ける私に怯んだ。


 私は天使の一団をざっと見渡し、知った顔を探した。

 私の視線の意味を察したのか、一団を統率しているらしき天使が笑みを浮かべた。

「あぁ、アルマロス様は蒼の天使をお探しですか?彼女は今、この下界におりますのよ」

 思いもかけない話に驚く。


 ガーディアンたちからくすくすと笑い声が起きた。

「彼女は――強さに魅入られましたの。天上界では飽き足らず、更なる高みを目指す彼女に、ミカエル様は下界での修行を命じました。まったくお恥ずかしい話です」


 流暢に話す天使から感じられる、僅かな優越感が私をいらだたせた。

「成る程な。さすが蒼の天使だ、見所がある。お前たちのように、天上界の住人であることに胡坐をかき、迅雷の力を借りないと獣の集落ひとつ滅ぼせないような腰抜けではない、ということだな」

「……アルマロス様、言葉にはお気をつけ下さいませ」

 天使の顔が屈辱に歪む。そして、右手をすっと挙げた。私への攻撃命令らしい。


「蒼の天使がいないなら好都合。久方ぶりの準備運動と洒落こむか」



ものの数分ののち、牧草地に立っているのは私だけとなった。

 私の周りには、戦闘不能になった数十名のガーディアン達が倒れ、家畜の足跡残る地面に美しい顔を擦り付けていた。


 私は泣き声さえ上げる彼女達を見渡し、静かに言った。

「言ったろう?蒼の天使さえいなければ、守護天使の一団なぞこんなものだ。とっとと帰ってミカエルに伝えろ。小娘たちをもっと鍛えておけ、とな」


 そして、金輪際この集落を攻撃するな、と足して、 私の足元に這いつくばる天使の衣を剥ぎ取った。先ほど、蒼の天使を軽んじた発言をした天使のものだ。彼女は甲高い悲鳴を上げて、私を罵った。


「これは戦利品としてこの集落で預からせてもらおう。ガーディアンの敗北もいい語り草になるだろうな。これを返して欲しければ裸で来い。布切れなどに頼らなくとも充分に美しい獣人の女たちと、天使様御自慢の柔肌を競うのも一興だと思うぞ」


 高らかに笑って「戦場」を去る私の背を、ガーディアンたちの鋭い視線が刺した。



 天使たちの気配が去ったのち、私は、もういいぞ、と屋敷に向かって叫んだ。

 女たちをはじめ、集落の獣人達が歓声と共に走り寄って来て、感謝の意を述べた。


 私は戦闘のいきさつを話し、安全の約束されたこの集落に、ちりぢりになった獣人たちも戻るよう伝えた。天使の衣を渡された女は、天上界の復讐を案じたが、私は笑ってこう答えてやった。


 「私に倒された上に、牛馬の糞が転がる大地に這いつくばって裸にまでされたんだぞ。もしミカエルが出陣を命令したとしても、こんな土地はもうこりごりだ、と駄々をこねるだろうよ。彼女らのプライドはあの山よりずっと高い。元天使だった私が保証してもいい」


 獣人たちは愉快そうに笑い、自分達の平穏を喜んだ。


 私は女に、衣はどうするか尋ねた。女は、薄くて柔らかい布をヒラヒラとさせて

「私はいらないわ。でも、とっても素敵な手触りの布だから、集落で生まれる貴方の子供を包んで、その祝福としましょうか」

と、幸せそうに微笑んだ。私は無言で、女に微笑み返した。


 その夜、宴に疲れた皆が寝静まった頃、私は獣人の世界を去ることにした。


 密かに寝床を出た私を、女が待っていた。

「――出て行かれるのですね」

「君たちが穏やかに暮らせることが分かって安心したからな」

「やはり……私達と貴方の間には、子はできないのでしょうか」

 女は真剣な目で問うた。

「君たちとの間だからではない。私にはそれが許されていないのだよ」


 私はひとつ溜息をついて、続けた。

「私は天使だった遥か昔、人と交わって子をもうけた――しかし、生まれた子は全ておぞましい怪物となり、天上界の楽園を滅ぼした。それが、私が天上界を追放された本当の理由だよ」


 驚いた顔をした獣人の女の目に、涙が浮かぶ。消え入るような声で「ごめんなさい」といい、それ以上私を引き止めることはしなかった。



 私を追放するときの、蒼の天使の目を思い出す。彼女は良くも悪くも人に愛情を持ちすぎる。彼女にとって敬うべき相手である私が人と交わり、その結果彼らの楽園を崩壊へと導いた――。

 責めるべきか赦すべきか、葛藤したに違いない。


 私は左胸にかすかに残る矢傷に手を触れ、女に暇を告げ、獣人の世界を後にした。


 思い出したのだ、私がすべきことを。いや、今まで忘れたふりをしていたことにようやく向き合うことができたというのが正解だ。

 

 私は、私が人の女に産ませた怪物を、この手で葬らなければならない――。




【DeadlockUtopia 第四章一節 ~楽園の住人(前)~ End】


DeadlockUtopia 第四章二節 ~楽園の住人(後)~に続きます。

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