彼女にさよなら。
ぼくは、何も見たくないから目を塞いだ。
ぼくは、何も聞きたくないから耳を塞いだ。
それから何か言おうとして、慌てて口を塞いだ。
何も見たくないぼくは、何も聞きたくないぼくは、何かを言うことは禁止されているんだ。誰にかって言うと、一枚の写真の思い出に禁止されてるんだ。その写真は、喋るんだ。最近はどうか知らないけど、昔はよく喋った。
「見ることや聞くことは、ぜんぶ嘘」って、その写真はよく言ってた。
その写真がどんなだったかはもう忘れた。でも、女の子だったような気はする。確かなことはもう忘れてしまったけど、たぶん、女の子だ。
ひょっとしたら、その女の子は、ぼくの彼女だったかもしれない。何となく覚えてるのは、彼女の首の感覚なんだ。ぼくの手が覚えてるんだと思う。ぼくの手が彼女の首をきゅって絞めたような感覚が残ってる。
「体験こそが本物」って、その写真はよく言ってた。
こんなことになったのもぜんぶ写真の彼女が悪いんだ。ぼくが悪いんじゃない。少なくとも、ぼくだけがぜんぶ悪いわけじゃないんだ。
でも、今ではもう何もかも薄っすらとしてる。ほんとにあんなこと、ぼくがしたのかな。たぶんだけど、ぼくはやってないんじゃないかな。ぼくは、無実なんじゃないかな。
今こそ、はっきり言おう。さあ、鏡の前に立って、「ぼくは彼女の首を絞めてはいない」。
そう、ぼくは、ぼく自身を見ながら言って、ぼくは聞いた。
そうしてぼくは、やっと写真を伏せることができた。彼女に、ほんとのさよならができた。