異能力バトル26
暫しの平和は次の戦争をする為に必要なカードだという話を聞いた事がある。
戦争にルールなんてないから、平和という物さえも武器にしてしまうと、そういう話だ。
そう言ってしまうと本当に人間って奴は不利益な事ばかりをする生き物だと認めてしまうような事だ。
だけど実際、戦争が在ったから今の歴史が存在するので、何が良くて、何が悪いのかなんて分かった物じゃない。ただ、今ここで起きている事に限定するなら、戦争も、たまには役に立つ。
戦争の平和利用という話ではないけれど、平和な時代はカラという陰陽師が陰陽集の長である事が出来たが、事戦時に措いては陰陽集の長はやはり過激な思想の者が適任となる場合がある。
それが、芦屋の本家の長であろうという話。
そこまで整理するとなる程、舞北晴天には勝って貰わなくては意味が無い。
術を使われたからと言って術や能力で返して居ては此方が不利。
術を使われた時に如何に対処するのかを見るのも斥候の務めだ。
そこで、こう来たからこう返すというパターンを取り分け少なくする事で、戦況予想も変わって来る。
例えば、術を使った時に十中八九何かしらの異能力で返すというパターンを与えてしまったら次からはそのパターンが使えない。相手の予測の上をいかなければ勝てるものも勝てなくなってしまう。
だからこそ、相手の最大手である所の鬼人憑依の術を、異能力に頼らず退けられたならば、当然のことながらこの先の戦況予想も変わって来る。即ち、芦屋の術では舞北には勝てないというレッテルを張り付けられるという事だ。
このレッテルが張り付けられる前になら、敵将と思われる芦屋の長は姿を現すかもしれない。と、播磨蜜柑は言うのだ。
なる程と思わない訳ではないが、そこまでうまく行くとも限らない。
例えば、鬼人憑依の術が元より使い捨て用の術ならばここで万全の状態で舞北晴天が勝ったとしよう。
その場合どうなるのか。
敵の術が知れる上にこちらの手の内は晒していないのがまず一つ。
敵の将の得意戦術と陰陽術が知れるというのが一つ。
こうして整理してみると確かに、確かに、此方が術や異能力に頼らずにこの場を収める事のアドバンテージは相当なものだ。
そして、舞北言霊は敵を捕獲する事までを戦術の一環にしている。
捉えてから降伏すると言っている。
降伏の意味までは分からないが、捉える事でアドバンテージは更に大きくなる事は分かる。
ならば、松本達はここで何をしたらいいのか。
簡単な事だ。
「がんばれ舞北晴天。」
応援をする。が、正解だ。
応援とはそもそも期待するという意思表示、失敗を許さないという人心操作の一環として広く用いられている呪詛である。




