6.『嫉妬』
エリーゼ視点です。
ご不快になられたらすみません。
一目でわかった……あれが、半分だけ同じ血を継いだ諸悪の根源であるのだと。
エリーゼの生まれは平民街の中でも下町と呼ばれる一角だった。
貧民街ほどではないが皆慎ましやかな生活を営んでおり、貴族と呼ばれる上位の人々の姿を見ることも稀であるその下町で、しかし彼女の家にだけは数日に一度あからさまに貴族ですとわかるキラキラしい男性が訪れていた。
それが彼女の父、デミオンだ。
彼女はそれでも幸せだった。
綺麗で優しい父、一児の親だというのにいつまでも可愛らしい母、そんな二人に甘やかされ、愛されて、愛情たっぷりに過ごす日々は楽しくて仕方がなかった。
この優しい父がどうして夜遅くに家を出ていってしまうのか、そして数日経たないと帰って来ないのか、まだ幼いエリーゼには理解できなかったけれど。
『いつか、迎えに来る。その時が来たら、ずっと一緒だ』
この父の言葉を信じて、その日が来るのを母と一緒に待ち続けていた。
だが彼女が6歳の誕生日をそろそろ迎えるという頃になって、父は浮かない顔で考え込む時間が増えた。
まだ幼い彼女にはよくわからなかったが、どうやら彼を苦しめているのは『悪いオンナ』とその娘であるらしいと聞き、子供心にその二人に敵対心を抱いていた。
『悪いオンナ』が家を出て行った……それを知ったのは、彼女とその母が父の家に迎えられてすぐ。
その出て行った女の代わりに母が父の隣に座る、その意味はよくわからなかったものの父も母もホッとした表情をしていたから、ワルモノは退治されたんだと彼女も素直に喜んだ、のだが。
『悪いオンナ』の娘は、驚くほど父にそっくりだった。
髪の色も、目の色も、顔立ちさえも。
エリーゼがどんなに欲しても手に入らなかった父の娘である証を、自分と同い年くらいの少女は備えていた。
エリーゼの髪と瞳、それに顔立ちは母そっくり。
透けるように白い肌だけは父に似たかな、という程度だがそれも日に当たるとこんがりと褐色に焼けてしまうため、彼女は密かに半年違いの義妹に嫉妬心を向けていた。
あまりにも父に似たその瞳を、見透かすような真っ直ぐな眼差しを、母は怖がった。
怖いのだとそう父に訴えた次の日から、少女は食卓に顔を見せなくなった……このことにはエリーゼもようやく安堵したものだ。
これで、親子三人幸せになれるんだ、と。
だけど、少女……テレーゼの陰は完全に消え去ってはくれなかった。
家庭教師をつけられ様々なことを学ばされ始めたエリーゼは、のびのびと暮らせていた下町の空気が懐かしくなり、たびたびぼんやりと意識を飛ばすことがあったのだが、そのたびに注意していたその教師は、ある日呆れたようにこう言った。
『貴方よりひとつ年下のテレーゼお嬢様は、この初心者用教本よりもまだまだ先に進んでおられますよ』
成り上がりの平民が、と謗られたように彼女にはそう聞こえた。
生粋の貴族である彼女には出来るのに、半分平民の血が入っているから出来が悪いんだと。
彼女はそう解釈して勝手に激怒し、泣き落としで父に訴えて教師を辞めさせることに成功した。
そしてテレーゼに対するコンプレックスを口にすることで、彼女を溺愛する父がテレーゼを邸の奥へと閉じ込めるだろうことも予想して、実際にそうなったことに喜びを隠しきれなかった。
彼女が扱いにたまりかねて家を出たと聞いた時も、もう二度と会わなくてすむと清々した気持ちだった。
『ねぇ、そういえばアンナが辞めたって本当?あの子確か、離れのお嬢様付きだったじゃない』
『ええ。豪華な食事は食べ放題、世話も焼かなくていいから遊び放題だって、喜んでたのに。一体どうしたのかしら?』
『ちょっ、知らないの?……大きな声じゃ言えないんだけど……やりすぎちゃったみたいなのよ。殴る蹴るだけならバレなかったのに、勢いあまってバルコニーから突き落としちゃったんですって。で、そのことが旦那様にバレて離れの使用人全員解雇されたらしいわ』
『えー!?あの厄介者をいじめた程度で?旦那様だって、ずっと無視しておられたはずなのに』
ある日耳にしたメイド達の噂話から、テレーゼが彼女らに虐められていたことを知った時も、いい気味だとしか思わなかった。
……本当に死んでれば楽でよかったのに、とはちらりと思ったが。
なのに。
どうして、何事もなかったかのような顔で社交界デビューできるのか。
クリストハルトの血を誇示するようなプラチナブロンドとサファイアブルーの色を纏い、隣に顔立ちの整った優しそうな男性を伴い。
本来ならエリーゼの社交界デビューはこれより数ヶ月前に行われるはずだった。
しかし彼女は聞いてしまった……父が、『あの娘』の嫁ぎ先がどうのと執事と話しているのを。
貴族の子息令嬢は社交界デビューの年をもって、仮成人とみなされる。
そして仮成人を迎えた者には縁談が持ち込まれ、令嬢の場合実際の成人年齢を待たずして嫁入りするということも決して少なくはないと聞く。
エリーゼはクリストハルトの一人娘なのだから婿取りになるが、もう一人の娘……公には本家に引き取られた分家筋ということになっているあの娘も、どこか高位の貴族へと嫁がされることになるのだろう。
『あの娘は優秀だ、王族はさすがに無理でも公爵家あたりには売り込めるかもしれん。いや、場合によっては隣国の王族に勧めるという手もあるかもしれんな』
父が、テレーゼを優秀だと称した。
それが娘に対する愛情からくるものだとは思わないが、だからこそその身内の情を抜きにした評価で『優秀』と言わしめたあの娘が憎らしかった。
『可愛い』『愛らしい』と言われ慣れたエリーゼは、だが一度だってその言葉を言われたことがないのに。
彼女はそして決めた。
テレーゼの社交界デビューは恐らく自分よりも半年後、ならば自分もそれに合わせよう、と。
母を泣かせ続けた『悪いオンナ』、自分を苦しめ続けた『その娘』……彼女を幸せになどしてたまるか、彼女のものなど全て奪い取って見せるんだ、と。
王城について早々に、彼女は囲まれた。
クリストハルト家の醜聞は殆どの貴族の知るところとなっていたため、ご機嫌取り半分、嘲り半分で近づいてきた高位の貴族達の挨拶を、父はイイ笑顔でかわしていく。
エリーゼはといえば、好奇心を隠そうともせずに近づいてきた子息令嬢達に囲まれ、にこにこと愛想を振りまきながらたどたどしく応えていた。
答えに困るような質問も向けられたが、そんな時は傍から離れないでいてくれる父が牽制してくれるため、彼女はただいつものように笑っているだけでよかった。
そんな時
ざわり、と空気が動いた。
周囲の人々の視線がエリーゼではなく入り口辺りに集中し、思わずといったように彼女もそちらへと視線を向けた、そして凍りついた。
背に緩く流されたプラチナブロンド、ぱっちりと大きなサファイアブルーの双眸。
露出を出来るだけ控えめにした清楚な白のドレスに、少々痩せぎすではあるが細く長い手足。
隣に立つのは黒のタキシードに彼女の瞳の色と同じサファイアブルーのクロスタイ、という彼女をエスコートする証を身につけた身なりのいい、優しそうな顔立ちの青年だ。
「まあ、あれが」「クリストハルト様の」「確か分家筋とか」「でも、ねぇ」
皆が、口々に噂する。
黒の巻き毛に同色の瞳、年齢より幼い顔立ちである本家の娘よりも、『分家筋』だと言われているあの少女の方がよほどクリストハルトらしい、と。
まただ、とエリーゼはこっそり唇を噛んだ。
またしても彼女は、そこにいるだけでエリーゼの邪魔をする。
少し前までは彼女のものだった視線を独り占めし、更に父にエスコートされた自分に見せ付けるようにハンサムな男性に手を取られている。
許さない、許さない、許せない。
じっと視線を向けていた彼女に気づいた父に庇われるように手を引かれ、離れた場所へと連れて行かれてもなお、彼女の苛立ちは収まらなかった。
やがて、国王陛下の開会宣言とともにパーティの幕が上がった。
普段の夜会などであればかわるがわる国王陛下へ挨拶するという儀式が必要となるのだが、このデビュタントパーティだけはその儀礼的な挨拶は免除されている。
あくまでも貴族の子息令嬢同士の顔合わせの場、というだけで国王も王妃もちょっと顔出しした後はすぐに退出してしまうためだ。
勿論、年頃の王子や王女がいるならこの場に残ることもあるのだが、幸いというか不幸というかまだ王子も王女も幼いためデビューの場には出られない。
まずはパートナーとのファーストダンスということで、エリーゼも覚えたてのワルツを父のリードで踊りきる。
ここからは本格的な挨拶回りとなり、場合によっては縁をつなぎたい相手とセカンドダンスということもありえる。
エリーゼの場合、溺愛する父が全ての誘いを断ってしまっているため、セカンドダンスの機会には恵まれそうもないが、それでも我先にと声をかけられ、自慢の巻き毛を褒められ、我がままを言ってちょっと大胆なデザインにしてもらったドレスを褒められ、時折胸元に熱い視線を向けられることに自尊心をくすぐられないわけがない。
ちらりと視線の端で姿を捉えたテレーゼは、手足こそ細いものの体つきはかなり華奢で、胸元のボリュームなどエリーゼと比べるべくもないほどささやかで。
だがその隣にピッタリと寄り添う青年が、その時折熱のこもった眼差しが、邪魔だった。
だから、彼女は父にこうお願いした。
「お父様、私のセカンドダンスはあのブルーのクロスタイをした方がいいわ。ねぇ、いいでしょ?」