5.『類友』
「違う。もっと、イメージを具体的に。どこまでを、どう守りたいか……どんな強さで、どんな形で」
「具体的なイメージ、ですか。うーん……箱をかぶせるか、ザルをかぶせるか、という感じでしょうか?」
「箱とザル…………うん、極端だけどそんな感じ。ためしにザルでやってみて」
「はい」
テレーズは真っ直ぐ庭の向こうの正門を視線で捉え、あの場所を最低ラインとしてこの敷地全体に大きなザルが被さっているというイメージで、魔力を展開させていった。
本当にザルが出現するわけではないが、テレーズの目にも円い大きなドーム状の結界が出現したのがわかり、エヴァの言うとおりイメージひとつでこうも違うのかと感嘆して見ていた、のだが。
パリンッ
と実際に音がしたわけではなかったが、エヴァがその華奢な手を空にかざすだけで、まるで内側から弾けるようにテレーズの結界は消滅させられてしまった。
驚愕の眼差しを向けてくる弟子に、師匠は緩々と首を横に振って失格である旨を示す。
「テレーズがザルをイメージしたから、大きいけど脆くなった。じゃあ次」
「……はいっ」
(ザルのイメージは脆すぎた。けど箱だって素材によってはすぐに潰れる……硬いだけじゃダメ。柔軟性があって破れにくい、西方織の布とかならどうかしら)
ガチガチに固めてしまうのは簡単だ、だがそうなると確かに守りは強固になるだろうが、柔軟性がなく外部からの強い力で潰される危険性もある。
それに、固めすぎてしまっては息苦しくなってしまうのではないか?
それなら、丈夫で軽い布を被せて敷地全体を覆い隠してしまうイメージで。
攻撃を受けてもふわりと受け流せる、内部からの衝撃も通過させてしまう織物はどうだろうか?
そう考えて魔力を薄く薄く伸ばし、布を織りあげるように何重にもそれを重ねて絡ませるようにして、敷地全体を覆う結界を張る。
とにかくイメージを固めるために必死なテレーズは気づかない、薄手のヴェールのようにキラキラと光り輝く結界が張り巡らされる様子を、エヴァが眩しそうに……どこか嬉しそうに金の瞳を細めて見ていたことに。
「どう、でしょうか?」
「うん、綺麗」
「え?……綺麗、だけですか?」
「どうして?綺麗、は最高の褒め言葉なのに。テレーズの魔力は澄んでて綺麗。今張った結界も、テレーズの魔力みたいに優しくて綺麗」
「え、と……ありがとう、ございます」
照れますね、と少し赤くなるテレーズにエヴァは不思議顔だ。
彼女達エルフ族は魔力が多いこともあり、それを上手くコントロールするために感情を偽らない。
魔力は感情に左右されるため、いいものはいい、悪いものは悪いとはっきり言うことで魔力の暴走を防いでいるようだ。
勿論、感情に素直だと言っても嘘をつかないわけではないが、エヴァが故郷の森を出るきっかけは仲間の【嘘】だったので、彼女は殊更言葉を飾ったり偽ったりすることを嫌う。
「これなら、悪い人にはこの敷地自体見えなくなるし、悪くない人は自然に通れる。今日から毎日、張る練習してみて。時間、かからない方がいいから」
「わかりました。毎朝かけなおせばいいんですね?」
「一日で消えることはないだろうけど……破れてないか、解れがないか、確認するのも大事」
「そうですね」
テレーズがこの邸に来てから、偵察や嫌がらせ、酷い時には暗殺などの類も次々と送り込まれてきていたのだ、と聞いたのはつい最近になってからだ。
これまでは警備の者が追い返すか、シルヴィが撃退するか、エヴァが来てからは結界で防いでくれていたが、いつまでも甘えているわけにもいかない。
『最低限、自分の身を護りたい。そしてこの邸にいる人達も守りたい。そのための手段を教えてください』
そう頼み込んだテレーズに、エヴァはそれならと結界の張り方を教えた。
これまでの訓練によって魔力を素早く練り上げ、放出することは覚えた。
属性魔法のうち得意な水・氷、風などは既に扱い方をマスターしているが、苦手な火属性や意外と役立つ地属性などは基礎から学び、先日攫われた際に使った複数属性を組み合わせて使う方法も、何度か訓練場に使っている庭の片隅を黒焦げにしながらも、どうにか覚えられた。
治癒魔法は光属性であるため適性のないテレーズには使えないが、水魔法の応用として癒しの魔法は使えるようになったため、部位欠損などの酷い怪我でない限りは緩々と回復させていくことができるようになっている。
(攻撃魔法は、未だに怖い。けど、誰かを守る為なら……)
護るために、誰かを傷つける。
そんなことはしたくないけれど、自分の大事な人を傷つけようとしている相手に、情けをかけるつもりもない。
『優しいのは美徳かもしれません。ですが、命とりにも繋がるのです』
硬い顔をしたシルヴィの忠告が脳裏をよぎる。
攫われた時、護衛についていたはずのシルヴィがギリギリまで助けに来なかったのは、職務怠慢だと怒ってしかるべきだ。
なのに『来てくれてありがとう』と礼まで告げた彼女は、上に立つ者としては失格だと逆に説教を食らってしまった。
優しさのない傲慢さは嫌われる、だが優しいだけでは侮られる。
これからカーマインの片腕として事実上ナンバーツーになるのなら、飴と鞭をしっかり使い分けなくてはあっという間に潰されてしまうだろう。
エヴァは技を、シルヴィは心得を、それぞれテレーズに教えてくれる。
彼女が、潰れてしまわないように。
手を貸しすぎて一人で立っていられなくならないように。
そして
「訓練中だったか。熱心だな」
カーマインも、帰宅した時や時間が空いた時はこうして様子を見にきてくれる。
大抵の場合は微笑ましく訓練風景を眺めているのだが、稀に上手くいかないことがあると見たまま感じたままを意見してくれたり、魔力を使わない種族側の視点から話しを聞いてくれたりと、決して一人で訓練しているわけではないんだと彼女を勇気づけてくれるのだ。
エヴァやシルヴィの気遣いも嬉しいが、カーマインの心配りもテレーズには気恥ずかしさ半分嬉しさ半分である。
「あ、おかえりなさいませ。今日は随分とお早かったんですね、カイン様」
「あぁ、所用ができたものでな。ただいま、テレーズ」
いつものように庭を通って敷地内に入ってきた邸の主は、滅多に見せない柔らかな微笑みを浮かべて、間もなく正式に婚姻を結ぶ相手の頭を軽く撫でる。
髪に触れられる距離、少し力を籠めれば抱き寄せられる距離、二人の現在の距離感はそんなところだ。
まだまだ、婚姻関係に至るまでには時間がかかるように思えるが、それでもカーマインは一度した『焦らない』という宣言を翻すことなく、テレーズの反応を確かめながらゆっくりと距離を縮めてくる。
そんな二人がじれったいようなもどかしいようなやり取りをしている間にも、エヴァはカーマインの斜め後ろに隠れるように立っている男から、目を離さない。
エルフの目から見ても合格ラインを超えているテレーズの結界、それを抜けてきたからには少なくともこの邸に住む者に対する悪意はないのだろうが、それでも見知らぬ者は警戒して当然だ。
エヴァの『触れなば切れん』という鋭い視線が危険領域に達してしまいそうだと気付いたカーマインは、殺気に似た気配を感じて背後で縮こまっている部下を「ほら」と前に押し出した。
カーマインには負けるがそこそこ長身の、以前見た時とは違う色の制服を身に纏ったその男の顔を見て、テレーズは「まぁ」と声を上げる。
「オスカーさん。もしかして帝都へ異動になったのですか?」
「え、……あの、オレ」
「どうしたオスカー、どうしても自分で話したいと言うからここまで連れて来たというのに。何も言えぬのなら私から説明するが?」
「や、言いますっ!言いますから、ちょっとだけ心の準備というか、深呼吸させてくださいっ!」
すーはー、すーはー、
深呼吸を二回したところで、彼はごくりと唾を飲み込んで意を決したようにグッと身を乗り出した。
「あのっ、オレ…………小官はこの度、軍部総司令官閣下の御邸の警備にあたらせていただくことになりましたっ。奥方様にもお見知りおきいただきたく、どうぞよろしくお願い申しあぎひゃっ!!」
「…………噛んだな」
「…………台無し」
「まぁ、その、もうちょっとでしたね?」
呆れたように、冷ややかに、困ったようにそうコメントされた青年は、その場に蹲って耳と尾をしゅんと垂れさせた。
「正直、異種族を差別する風習が根強く残っている地域はまだ多い。特に長年にわたって虐げていた獣人族に対する当たりはキツいな。……そのこともあって、彼の配属先はあれこれ協議したんだが……本人から強い希望があったんだ。テレーズ、君の護衛につきたい、と」
「私の?もしかしてマナさんのことで疑ってしまったお詫び、ということでしょうか?」
「それもあるだろうが、あの時真っ直ぐに彼を認めてくれた君の役に立ちたいと、純粋にそう思ったそうだ。そこで、私が引き取るということで話をつけてきた。君の、ではなく邸の警護という形を取るが、荷物持ちでも御者にでも使ってもらって構わない」
「は、ぁ……」
いいんでしょうか、といまいち乗り気になれないテレーズに、カーマインは安心させるように「当人の希望だからな」と繰り返した。
今は夜、既にシルヴィもエヴァもそれぞれの部屋に引き払っており、ソファーセットに向き合って座る男女二人はその適度な距離を崩そうとはしない。
話題に上っている獣人の青年も、住み込みでの勤務だということで改めて部屋を割り当てられ…………張り切って部屋の前で夜番すると申し出てきたのを、エヴァに冷ややかに睨まれ、シルヴィに襟首を掴まれて引きずられていってしまった。
既にテレーズ付きになってしまった先輩二人のこの反応からして、今後のオスカーの扱いについては推して知るべし、といったところか。
それでも、謂れのない誹謗中傷や虐待を受けることがないというのは、彼にとって何よりだろう。
「それにしても…………全種族揃ってしまいましたね」
「あぁ、そうだな。私が竜人族とのハーフ、シルヴィが魔人族、エヴァンジェリンがエルフ族で、オスカーが獣人族、そして君が人族、だな。確かに…………それに全員が……いや」
「……えぇと、そう、ですね……」
『全員が種族のはみだし者ばかりだ』
カーマインがそう言いたかっただろうことを察して、テレーズも曖昧に苦笑する。
(そうね。でもだからこそ、こうして一緒にいられるのかもしれない)
それなら、はみだし者だって悪くない。
変わり者だと言われても、異端だと蔑視されても。
理解者を得られるなら、それもいいんじゃないか。
そう割り切れるほどには、テレーズはオスカーを含めた彼らのことを大事に思い始めていた。




