4.『謝罪』
「……疑って、ごめん、なさい……」
「わかってもらえたなら良かったです。『変態誘拐魔』呼ばわりもされましたけど」
「それはっ!…………その、最近獣人の子供がいなくなることがあって。同じ支部のやつらは、多分コレクターとかいう変態の仕業じゃないかって。だから、その、頭に血が上って」
妙な言いがかりをつけて、本当にすみませんでした。
平身低頭、地面にぺったりと座り込んで上半身を折り曲げ頭を垂れている、東方の国では最上級の謝罪のポーズだという格好で、先ほど異動勧告をされたばかりの獣人の青年はテレーズに謝り続けていた。
花畑で泣いていたのはマナという名の、クマの獣人の子供であるらしい。
ふわりと柔らかい髪がツインテールのように結われていたため、丸っこい耳が目立たずテレーズもそうだとはわからなかったのだが、これは最近獣人の子供ばかり行方不明になる事件を受けて、誘拐防止にとそうさせていたのだそうだ。
獣人は、滅多なことでは彼らのコミュニティーから出てこない。
しかしこの青年のように働き口を探しに来ただとか、親を早くに亡くした孤児だとか、腕っ節自慢のために冒険者をやっているとか、そういう理由でこの帝都に留まる者はそれなりにいるようで、テレーズも図書館通いをしている間に何度か街中で遊ぶ子供達を見かけたことがあった。
このマナという子の場合、親が冒険者をやっておりいつも家には病気がちな妹と二人、なのでこの獣人の青年……名前をオスカーと名乗った彼は、ことあるごとに家に顔を出して気にかけていたそうなのだが。
上司に怒られたあの後、彼は懲りずに巡回を続けていた。
そしていつものようにこの獣人一家の家に顔を出したのだが、家にいたのは静かに眠っている下の娘のみ。
これはおかしいぞと彼は鼻をきかせて匂いを辿り、そうしてテレーズに抱き上げられていたマナを発見したところで、じゃあこいつが誘拐犯なんだと短絡思考で決め付けてしまったらしい。
『ちがうよ!おねえちゃんをいじめちゃだめ!』
『マナ、いじめてるんじゃないよ。だってこいつは悪いやつで』
『ちがうってば!おねえちゃんはマナをたすけにきてくれたの!ネネにあげるおはなもいっしょにつんでくれたもん!』
『それは、でも』
『いいおねえちゃんだね、ってほめてくれた!ネネがうらやましいってわらってくれた!いいひとだもん!』
オスカーに抱き上げられたまま、マナは必死でテレーズが悪い人じゃないんだと弁護してくれる。
まだ、5歳か6歳……ちょうどテレーズがあの邸内で居場所をなくした時期と同じ年頃。
そんな少女に自分を重ねて、そして彼女を助けることでまるであの時の自分を救ってあげようとするかのような、そんな単なる自己満足な気持ちがあっただけに、こうまで弁護されるとくすぐったいを通り越して申し訳ない気持ちになってしまう。のだが。
(だとしても、誘拐犯扱いされたことは怒ってもいいはずよね?ええ、そうよ。マナさんの弁護に報いるためにも)
ここで『自尊心が傷ついた』とならないところがテレーズらしい。
とにかく彼女は困惑気味にテレーズとマナを見比べている青年オスカーに一歩だけ近づき、彼が警戒して見せたところで精一杯の険しい表情を作ってみせた。
『オスカーさん、と言いましたね。私は帝都に住む、テレーズ・サフィールという者です。ここまでは連れの馬に乗せてもらったのですが、連れを待っている間に泣き声が聞こえた気がしたので、探し回ってマナさんを見つけられたのです。決して誘拐するつもりはありませんでしたし、マナさんが獣人であることも知りませんでした』
『そんなの、口ではなんとでも』
『その人に善意があるのか、悪意しかないのか。貴方のその自慢のお鼻でかぎ分けられないのなら、せめて人を見る目を養ったらいかがですか?貴方も軍人なのでしょう?地位を誇って下を虐げる、それが軍人だと言われたいですか?あなたの同僚がどうであれ、貴方はそんな軍人にはなりたくないのでしょう?だったら変わりなさい。何が良くて、何が悪いのか。周囲の声に耳を傾けて、大事な人を守れるような軍人になればいいじゃないですか』
彼女自身に自覚はないが、クリストハルトの濃い血を受け継いだその顔立ちで凄むと、相当の威圧感を醸し出してしまう。
そんな顔で睨まれた獣人の青年は、本能で絶対的な上位者を感じ取ったかのように耳をぺたんと伏せ、尾もだらんと垂れ下げて完全に萎縮してしまった。
ごめんなさい、と平身低頭謝罪し続ける青年をテレーズは許した。
というより、何が何でも許さないという怒りの度合いではなかったし、これを機に今度こそすぐに異動をと言われなくなればいいな、と思って言った言葉が大半だったからだ。
「じゃあオレ、戻ります。……色々、すいませんでした」
「いいえ。わかってもらえたなら良かったです。マナさんも、妹さんをお大事に」
「うんっ。おねえちゃん、ありがと!」
ばいばい、と手を振るマナを大事そうに抱え直し、相変わらず耳と尾を垂れさせたままのオスカーがしょんぼりしながら町へと戻っていく。
と、そんな彼と入れ違うようにしてアイーダを引いてやってきたのは、カーマイン。
彼は珍しく不機嫌そのものな表情でテレーズを見下ろし、勝手にいなくなるなとぶっきらぼうにそう告げた。
「君が、あの子供を助けようとしたのはわかった。だからといって、アイーダまで置いて行かないでくれ。一人で馬に乗れずとも、せめて手綱を引いて一緒に行動するくらいはして欲しい。そうでないと、君一人が連れ去られたのではないかと心配になるからな」
「…………はい。申し訳ありません、でした」
待っていろと言われたのに待っていなかった、ということに関して彼はとやかく言うつもりはないらしい。
ただ、一緒に待たされていたアイーダを連れて行かなかったことで、無用の心配をかけてしまったようだ。
確かに、賢いアイーダを連れていっていたのならテレーズが害された可能性が低くなるが、アイーダを置き去りにしてテレーズ一人いなくなっていたのでは、どこへ行ったのか、もしかして害されてしまったのか、と不安を駆り立ててしまうかもしれない。
配慮が足りなかったという点と、彼を煩わせてしまったという点において、彼女は素直に謝罪した。
が、カーマインの表情は険しいままだ。
「えぇと、閣下?」
「…………どうやら君は、よほど自分に自信がないらしい。私は君が純粋に心配だった、と言ったつもりだったのだが。どうしてこうも伝わらないんだろうな……」
難しいな、とため息をひとつ。
その憂い顔に、テレーズの胸がぎゅっと締め付けられる。
この人の役に立ちたい、この人の隣で並び立てるようになりたい、最近ようやく素直にそう思えるようになった彼女はしかし、まだ心の奥底であの疑惑を孕んだ眼差しを忘れることができない。
人を真っ直ぐに信じられる、好意を向けられて素直にそれを喜ぶことができる、そんな真っ直ぐなオスカーを羨ましいと思うほどに。
困ったように視線をおろおろとさせてしまうテレーズを静かに見下ろして、カーマインはふっと口元を緩める。
「わかった。いや……わかっていた、かな。君の自己評価が低いのは、今に始まったことじゃない。私が焦りすぎただけだ、そう気にするな」
「ですが」
「気になる、というならそうだな…………簡単なところから、歩み寄ってみようじゃないか。そろそろ君の教育を始めなくてはならないし、いずれそのうち『夫婦』となるのだから他人行儀なままでは無理がでる。だから」
「だから?」
「……まずは、名前を呼び合うようにしよう」
そこからですかい、とリックならそうオーバーアクションでつっこみを入れたことだろう。
シルヴィなら黙って額を押さえただろうし、エヴァなら馬鹿にするように鼻で嗤ったに違いない。
確かに、これから夫婦になろうとしている者達がまずは名前を呼び合うところから始める、というのは些か問題だ。
名前を呼んで、それに慣れたら視線を合わせて微笑んで、そして手を繋いで、などと子供でもやらないような段階を踏んでいたのでは、いつになったらお披露目できるのかわかったものではないだろう。
だとしても、カーマインは焦らせるつもりはないようだ。
「公の場ではそれなりに振舞ってもらうつもりだが、私的な場では焦らずに進んでいこう。私にとって君は【唯一】だが、それでも個としての信頼関係はまだ薄い。だから少しずつ、歩み寄っていかないか?一歩ずつでいい、疲れたら止まっても構わない、悩むなら一緒に悩もう。そういう関係性を、私と築き上げてはもらえないか?」
「閣下……」
「ほら。私は『閣下』という名ではないよ、テレーズ。呼びにくいなら、カインと呼んでもらって構わない。小さい頃はそう呼ばれていたが、今そう呼ぶ者はいないから」
さあ呼んで、と促され。
たかが名前を呼ぶということがこんなに勇気のいるものだとは、テレーズ自身も思ってもいなかったが。
「……カイン、様」
「そうだな、今はそれでよしとしよう」
それでは戻ろうか、と抱き上げられ馬の背に乗せられたテレーズは、羞恥のあまり耳まで真っ赤だ。
行きとは違い妙に上機嫌な主の手綱さばきに身を委ねながら、『やってらんないわよ、このバカップル』とでも言いたげに、アイーダはぶるると低く鳴いた。




