1.『不穏』
「明日の彼女の予定はどうなっている?」
「はい、明日も本日と同じく終日エヴァンジェリンによる魔法実践訓練を予定しております」
「そうか。ならそれはキャンセルだ。明日は朝食を摂ったら視察に出かける。……彼女にも動きやすい格好で待っているようにと伝えてくれ」
「…………お伝えすることは可能ですが……」
いつものように淡々と定時報告をしていたシルヴィが、急に歯切れ悪そうに言いよどむ。
どうかしたのかとカーマインが視線で促すと、彼は以前に比べると格段にわかりやすく表情を変え、「差し出がましいようですが」と前置きしてから
「閣下ご自身でお誘いになられたらいかがですか?失礼ながら、『妻』だ『唯一』だと仰るわりには一向に歩み寄っておられない気がいたしますが」
「それは……」
そうなんだが、と今度はカーマインが歯切れ悪く言いよどんだ。
「ねぇねぇ、閣下があの方のお部屋に忍んで行かれたって本当?」
「本当よぉ!だってアタシが夜番だったんだもの。閣下はねぇ、『何もしないから見逃せ』ってあの方の部屋に入って行かれて……」
「えぇっ!?それでそれで?」
「……ほんっとーになんにもせずに、すぐ出て来られたわ」
「なぁにそれぇ~!あの方本当に閣下のイイ人なのぉ?夜中に部屋まで忍んで行って何もしないとかありえなーい!」
(廊下で堂々とそんな噂話をする貴方達の方が『ありえなーい』ですよ)
これまで女っ気のなかったカーマインが自ら連れ帰った『女主人候補』だ、噂するなとまでは言わないがこうも堂々とあからさまに騒ぎ立てていたのでは、邸の外にまで聞こえかねない。
だがシルヴィはそれを咎めることはせず、噂話に花を咲かせるメイドの顔と名前をしっかり記憶してから、静かに足音を立てずその場を後にした。
彼女らの雇用主も自分と同じカーマインであるが、雇用形態からしてシルヴィとは一線を画しているため、わざわざ親切に咎めだてしてやる義理もない、と考えたからだ。
勿論、記憶した名前はカーマインに報告するつもりである。
(しかし閣下はあの方をどう扱われるおつもりなのか……)
彼が『妻にする』と宣言してテレーズを連れてきた当初は、使用人一同悲鳴を上げたのだそうだ。
ある者は、長年浮いた噂もなかった主が男色家でなくて良かったと涙を流し。
ある者は、もしかして人妻に入れ込んでいるのではないか、性質の悪い娼婦に騙されているのではないかと疑った己を恥じ。
ある者は、旦那様は幼子が趣味であるのではと己の娘を心配し。
ある者は、己こそが寵愛を受けるのだと自負していた自信をたたき折られて絶望し。
だが最終的には『主の判断である』とテレーズの存在を受け入れ、ようやく落ち着き始めていた……かに思えたのだが。
当のカーマインが望んで連れてきたはずのテレーズは日々せっせと図書館に通い、街を見て歩き、魔法を使いこなそうとエルフ族の少女について学び始めたことに反して、カーマインはいつまで経ってもそんなテレーズに歩み寄ることもせず、毎日傍付きのシルヴィに経過報告をさせるだけで済ませてしまっている。
主がそんなでは、確かにメイド達もテレーズが本当にカーマインの選んだ相手なのか、この邸の女主人となる存在なのかと疑いたくもなるというものだ。
使用人の殆どは、彼が竜人族とのハーフだとは知らない。
特に隠し立てをしているわけではないから意外と民衆の間には広まっているのだが、雇用主のプライバシーについては無理に探りを入れずにおく、という教育が為されているからだろう。
だがだからこそ彼らは長くカーマインに女性の影がなかったことを気にしていたのだし、今ほどもああして『本当にイイ人なの?』とその存在を疑う発言ができたのだ。
もし竜人族にとっての【唯一】なのだと知っていたら、到底あんな軽率な発言などできるはずもない。
『確かに、何と言われても言い訳はできない。だが……私が声をかけることで、それを回避不可避の命令だと思われたくはないんだ。彼女との関係は契約上のもの、それを前提としたことが間違っていたのではないか……と、そうも思っている』
(あぁ、つまり閣下はあの方に惹かれ始めておられる、ということですか)
竜人族にとっての【唯一】は絶対的なものだ、と異種族であるシルヴィも心得ている。
しかしそれは本能的なものであり、愛や恋といった甘い感情よりはむしろ執着のような強い、抗いきれない衝動なのだという。
カーマインにとっても、最初は単なる衝動的なものであったに違いない。
だが旅を一緒にするうちに、その心までも惹かれていっていることに気付き始めたのだろう、だからこそ始まりが『契約』だったことを後悔し、決して無理強いすまいと己を戒めているのだ。
とはいえ彼自身、距離を置きすぎることに危機感を覚えてもいるのだろう。
だからこそシルヴィを介してであるが、休日に出かけることを提案しようとしているのだから。
例の、邸に忍び込もうとしていた男達をシルヴィが尋問したところ、彼らは実にあっさりととある富豪のご令嬢に金で雇われたことを白状した。
テレーズがカーマインの邸に入ったことを知ったそのご令嬢が、とにかく邸にのうのうと居座れないほど屈辱的な目に合わせてやれ、という命令をしていたのだそうだ。
やり口が汚いようにも思えるが、良くも悪くも実力主義のこの国ではさして珍しいことではない。
……ただし、そういったことに手を染めるご令嬢が、果たして周囲に愛されるかと聞かれると、それはまた別問題であるのだが。
しかしそういった手合いは他にもおり、そのたびにシルヴィや他の暗部の者がこっそり始末をつけているのだが、懲りないのかそれとも余程テレーズが気に入らないのか、ちまちまとした嫌がらせや襲撃がなくなることはない。
以前はシルヴィの鋭い感覚をもって事前に排除するか、徹底的に見回りをして侵入を未然に防いでいただけだったが、今は魔法のエキスパートであるエルフ族の、しかも純血の少女が滞在している。
彼女に頼んで邸の敷地をぐるりと囲むように結界を張ってもらい、不運にもそれに触れようとした侵入者を手痛い目に合わせてもらえるようになったお陰で、暗部の者達の負担もかなり楽になったようだ。
「今日は二人。……結界の外に放り出しておいたから」
「わかりました。まだいるようなら回収しておきます。……あぁそうそう、明日の訓練は終日休みになりましたから、結界を張り直しておいてもらえますか?」
「…………休み?」
訝しげに金の瞳を細める、一見すると儚げな美少女……その実筋金入りの人嫌いであるエルフ族、名をエヴァンジェリン・リューシア……通称をエヴァという。
エルフ族はこの大陸の西側に大きく広がる森林地帯にいくつかの集落を持ち、殆どの者はそこから出ることはなく一生を過ごす。
エルフ族といえば、象徴的なのが透けるような白金髪と森の若葉を写し取ったような鮮やかな緑の瞳、尖った長い耳、そして系統の違いはあれど余裕で美人の領域に入るほどの美貌である。
そのため彼らは、観賞用としても愛玩用としても非常に狙われやすく、故に滅多に森の外に出ることも他種族と交流を持つこともしないのだが、稀に変わり者が何人か冒険者として旅立ったり、他種族に嫁入りしたりと外に出ている。
そしてそういった者達はこのアルファード帝国で、他の種族に混ざって暮らしていることが多い。
エヴァの場合、状況はこれとは大きく異なる。
多くのエルフ族が白金髪と緑の瞳を持つのに対し、彼女は銀髪で金の瞳だ。
これはエルフ族の中でも純血を保った者に稀に表れる先祖返りの一種で、この色を持つ者は基本的に森から出ず同族と婚姻を結んで一生を終えるのが常である、のだが。
彼女がちょうど適齢期になったばかりの頃、彼女の住む集落に一人の人間がやって来た。
冒険者をしているという彼は旅の途中で傷ついたエルフ族を助けたとのことで、『友』として認められての来訪だったこともあり、集落の者達はこぞって彼を歓迎した。
エルフほどではないが十分に見目麗しく逞しく、しかもちょうど年頃とあって集落の娘達は色めきたったそうだが、彼は初日に挨拶を交わしただけのエヴァに惹かれたようで、他の娘のアプローチをことごとく断り続けていたのだという。
当のエヴァ本人は他種族と深くかかわらないようにと言われて育っていたため、全く興味を示していなかったのだが……それが余計に、年頃の娘達の嫉妬心を煽る結果となった。
『結界の外にある樫の木の下に、ゴールドベリーがあったんですって』
そんな噂を耳にしたエヴァは、いてもたってもいられずにとうとう結界の外に出てしまった。
ゴールドベリーというのは森でよく採れる木苺の亜種で、その発生条件等が未だ謎であるため森の住人であるエルフでさえ滅多に食べられない、貴重な果物でありエヴァの好物でもある。
結界の外に出てはダメだ、野蛮な生き物が大勢居る。
何度も何度もそう言い聞かされて育ったというのに、大好きなゴールドベリーの誘惑に彼女は我を忘れてしまった。
しかし……結界の外の森には確かに樫の木はあったが、お目当てのゴールドベリーがどこを探しても見つからない。
段々と辺りが薄暗くなり、仕方なく諦めて戻ろうかとしたその時
『へぇ、こりゃ上玉だ。純血のエルフとありゃ、どんだけ出しても欲しいって輩が多いだろうぜ』
彼女を取り囲むように現れた人間の男が……合計4人。
そこで初めて彼女は騙されたことに気がついた、だがもう遅い。
魔法を放つ隙すらなく、あっさりと囚われた小柄な身体。
四肢を押さえつけられ、目隠しに猿轡、次いで奴隷の首輪をつけようと男の手が首元に伸びたところで、
『んんっ、んうううううううーっ!!』
くぐもった悲鳴と同時に、体内の魔力を全解放したエヴァはそのまま意識を失った。
それからすぐ、彼女は森を出た。
珍しい先祖返りとあって引き止める声も多かったが、同じ集落の者に陥れられたのだと知った以上は無理だとすげなく断った。
あの噂を流した彼女達がどうなったのか、エヴァは知らない。
エルフの中でも希少種にあたるエヴァを危険な目に合わせようとしたのだから、魔法を封じられ遠くへ追放されるくらいはあるかもしれないが、もう彼女はそんなことに興味がなかった。
『本当にいいのですか?』
『ん。連れて行って』
あの惨劇には実は続きがある。
エヴァが意識を失った後、そこを通りかかった一人の魔人族がいた。
……シルヴィである。
彼はその場で血を流して蹲ったり呻いたりしている男達、そして少し離れた場所で倒れ伏すエルフの少女を見て、なんとなく事情を察したらしい。
助ける義理などないし見捨ててしまっても良かったのだが、しかし彼は気まぐれを起こしてエヴァを肩に担ぎ上げ、残った男達に止めを刺してその場を後にした。
そして目を覚ましたエヴァに「これは貸しひとつ」と言い含め、アルファード帝国の中でも国境沿いにある辺境も辺境……他のエルフも滅多に訪れないような森を紹介してやると、彼女もその森を気に入ったようで早速そこに居を構え、それ以来ずっと引きこもり生活を続けていた。
そんな彼女にテレーズの魔法の師になってくれないかと頼むのは容易ではなかったが、以前助けた借りがあるからとエヴァは渋々テレーズに会うことを承諾し、そしてシルヴィに連れられ辺境の森を訪れた彼女としばらくお茶を飲んだ後……実にあっさりと了承の返事を寄越してきた。
エヴァ曰く、魔力にはその持ち主の性質が出る、テレーズの魔力はとても澄んでいて……それでいてどこか寂しげで哀しい色をしていたのが、気になって仕方がなかった、一緒に居るのがすごく心地いい、のだとか。
(まぁ、懐くのは構いませんが……)
「…………遠出するの?ならエヴァも一緒に行く」
「今回は諦めてください」
執着が過ぎるのも困ったものですね、とシルヴィはどうやって彼女を引き止めておこうかと、めまぐるしく思考をめぐらせ始めた。




