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テレーズのために  作者: 久條 ユウキ
護衛の章:メフィスト・ワルツ
19/26

4.『誘拐』

 ずっと使われていなかったのか、埃っぽくカビ臭い小部屋。

 窓はあるにはあるがきっちりと閉まっており、ところどころシミだらけの分厚いカーテンに遮られ、外の景色を見ることはできない。

 そんな不衛生極まりない部屋の中央には、鉄製の頑丈な椅子に座らされたアッシュブロンドの少女……テレーズ。

 彼女の両手は椅子の背の方でひと括りにされ、ご丁寧にもその椅子の足はビスのようなもので床に固定されている。



 この日は、民間の闘技場を見学する予定だった。

 だが運悪く前回の闘技大会で会場の一部が壊れたため、その修理を行っているとかで闘技場は封鎖されており、それならせめて外観だけでも見ておこうかとテレーズがぐるりとその外周を回りこんだ、その時


 時間にするとほんの一瞬、護衛についていたシルヴィの視界から外れた隙をついて、彼女は工事中の闘技場内へと引き込まれてしまった。

 そして手早く目隠しと手枷をつけられ、ぐいぐいと引っ張られること小一時間。

 この小部屋に連れ込まれ、ドンと押されるようにして座り込んだ椅子に括り付けられ、現在絶賛放置中である。


(光を感じなかったから、闘技場の外には出ていない。ちょっと坂を下った感じがあったから、恐らく地下室のような場所……椅子が固定されてるってことは、多分拷問系の部屋とか……)


 むざむざ捕まってしまったテレーズは、己の境遇を嘆いてもいなければ悲観してもいなかった。

 体力の温存とばかりにぐったりと椅子にもたれかかったまま、ここに来るまでに拾い上げた情報を頭の中で纏め始める。


 確かに目は見えないが、感覚は遮断されていない。

 目隠しはあっても光は感じるし、括られた手首は痛いがそのお陰もあって意識ははっきりと保たれている。

 視界と体の自由さえ封じておけば何も出来ないと思われているのか、見張りが近づいてくる気配もない。

 彼女自身も無理して自力で逃げ出そうという気もないため、現状考えを纏めることくらいしかできないのだが。



 それよりも、わからないのは【敵】の目的だ。

 彼女が右手につけている火属性の指輪は、不正取引の大事な証拠品だ。

 それを処分したいだけなら、テレーズごと攫って来ずとも拘束した時奪い取ってしまえばそれで済んだし、面倒なら彼女をさっさと殺してしまってもいいはずだ。

 もし彼女自身に害を為したいのであればこうして拘束しておく必要もないし、わざわざ闘技場という公の施設内に連れ込む意味もわからない。

 それに何より、【指輪】がまだ彼女の右手中指に嵌ったままだというのが解せないところだ。


(ううん……指輪じゃなく閣下の傍にいる私が邪魔だという理由かもしれないけど……)


 彼女の存在自身まだ公にはされていないが、カーマインが己の邸に年頃の少女を住まわせたという事実だけで、彼女が彼の特別なのだと思う者はいるだろう。

 そうして、それが邪魔だと思う者も。

 だとするなら、わかりやすくその存在を排してしまえばいい。

 脅すか、散々怖がらせて殺すか、もしくは……女性として最大の屈辱を味あわせるか。


 その想像にぶるりと身を震わせる。

 こうしてご丁寧に拘束されてまさか脅すだけ、という可能性は低い。

 殺すまではせずとも死んだほうがマシという目に合わされるくらいはあるかもしれない。

 そう、ここは【実力主義の国】なのだから……己の実力を示して、自分の方が彼に相応しいと主張するくらいはやるだろう。


 これは、悠長に考えを纏めている場合じゃない。

 椅子は固定されていて身体も拘束されている、だとしても魔力を封じられているわけではないのだから、逃げる方法はまだあるのではないだろうか。

 今ならまだ、人を傷つけずともすむ。

 自分の身体は多少傷つくだろうが、死んだ方がマシな目に合わされるのを待っているよりはいい。


 と、そんなことを考えてさて行動に移そうかと思っていたその時。



「やあ、待たせたね」

「!」

「大人しく待っていてくれて嬉しいよ」


 ギィ、と古びた扉が軋むような音と同時に、こんな陰気な場には相応しくないほど明るい男の声が聞こえる。

 あぁ、間に合わなかった……そう失望しながらも、彼女は残りの感覚をフルに活用して状況の把握をしようと、大人しく拘束されたままでいた。


 声を聞いた印象では、年齢はそう高くない……ヴェゼルよりカーマインの方に近いだろうか。

 聞こえる足音はひとつだけ、コツコツと音を立ててテレーズの座らされた椅子に近づいてくると、声の主は至近距離でわざとらしくため息をついた。

 …………ふぅっ、と顔にかけられた息がいやに生臭くて鼻につく。


「あいつら……仕事が丁寧だというから任せたのに。ああほら、折れそうに細い手首が紐で真っ赤に擦れてるじゃないか。こんなに固く結ばなくったって、これだけ華奢なんだからさして抵抗なんかできないだろうに」


 指先でついっと手首をなぞられ、テレーズの肌がぞわりと粟立つ。


(これ、違う……想像してたのと、何か違う……なんなの?何が目的なの?)


 彼女が抵抗できないのをいいことに、すぐ間近に座り込んでいるだろう男の吐息は生温かく、多少強めに香る香水がその生臭い息と混ざってたまらなく不快だ。

 ヴェゼルもカーマインも、彼女が関わったことのある男性は香水などつけなかった。

 普段のカーマインはどうかまだ知らないが、それでもこれほど強く匂いを振りまくことはないだろう、とは予想できる。




「……それにしても……目隠しをしていても、君は綺麗だな……。肌は透けるように白いし、鼻筋も真っ直ぐで、顔も小さくて、首筋もほっそりしてる。重いものなど持ったことありませんというその腕も、抱きしめたら折れそうな腰も、全てが僕好みだ」


 言いながら、彼は指先で愛でるように頬から鼻筋、輪郭、首筋、腕、腰まで辿っていく。

 そのいやらしい触れ方に、テレーズはぞわぞわする不快感を押し殺そうと必死で拳を握り、そして同時に男の意図を悟る。


(これってもしかして……目的は、私!?)


 そう、まさかの大穴、『テレーズ狙い』である。


 もし彼女が己を客観的に正当評価できていたら狙われる意味も理解できただろうが、幼い頃から誰にも認められず厭われてきた彼女にとって、どうしてここまで執着されるのか実は全くわかってはいない。

 男の意図に気づいた今も、変な趣味な人が世の中にはいるものだと思えるくらいなのだ。


「あぁ、まるで僕のために生まれてきてくれたかのような完璧さだよ。そうだ、君はきっと僕を待っていてくれたんだね?そしてとうとう待ちきれずに、僕の前に姿を現した。僕に攫われたくて、毎日街を歩いていたんだろう?」


 それは誤解ですと言いたくても、声が出てこない。

 生まれて初めて男の欲望を向けられたことに対して、言いようのない恐怖を感じてカチカチと歯が鳴ってしまう。


 怖い、怖い、怖い、助けて、誰か、助けて


 その時彼女の脳裏に蘇ったのは、この国へ来る途中でカーマインから貰ったとある助言だった。


『人を殺す覚悟なんていらない。ただ、悪意に晒される覚悟は持ってくれ。抵抗してもいい、反抗してもいい、悪意を受けるのを当然だと諦めてしまわないでくれ』


(そうだわ……身体は縛られているけど、魔力は封じられてない……これなら、きっと)


 どうにかして逃げよう。

 そう覚悟を決めた彼女は、もう一度ぐっと拳を握り締めた。




(これは…………魔力の放出!?)


 様子を探っていたシルヴィは、地下室の方から放出される強い魔力に異変を感じ取り、通路を駆け出した。


 ()は、テレーズを見失ったわけではなかった。

 一瞬の隙にこの闘技場の中に連れ込まれてしまったが、彼女の気配も賊の気配も見失うことなくすぐに居場所を突き止めることができていたし、彼女を地下室に放置してそそくさと去っていった賊も既に捕獲して軍の出張所に突き出し済みだ。

 今はその賊を雇った者とテレーズが部屋に二人きり……本来ならすぐに飛び込んで救出、とすべきなのだが。


 ()は、そうしなかった。

 ここしばらく少し様子の変わったテレーズをただ見守っていただけだったが、彼女が本当に守る価値のある相手なのかどうか、まだ見極めができていなかったからだ。

 安寧とただ守られているだけの少女は、主の傍には必要ない。

 その価値を示せ、力を見せろ、力の強い魔人である()が傍で守るだけの意味があるのだと。


 そうして、()は待っていた。

 もし彼女に危険が迫った場合、どうしようもなくなれば助けに入れるような場所で。



 地下室の扉は開いていた。

 内開きであるのに、外側に向かって。


 部屋の中には目隠しをされたまま、ぼんやりと椅子に座っている少女。

 手首の拘束は外されており、胸元も大きく寛げられてスカートも太腿辺りまで捲れ上がっている。

 何をされていたのかは一目瞭然、そしてその何かを為そうとしていた男は床に伸びたまま動かない。

 小さく呼吸している音は聞こえるため、生きてはいるだろうが……完全に気絶して白目を剥いたその顔は、普段ならそれなりに見れた顔立ちなのだろうが、今はただ残念だとしか言えない。


 人の気配に気づいたのだろう、テレーズの顔が上がる。


「シ、ルヴィ……さん?」

「どうして、私だと?」

「足音が、しなかった、ので。なんとなく」


 声は、女性体の時とそう変わりはない。

 意識して多少高めに発音すると、彼女は安堵したようにふっと力を抜いた。

 涙に濡れたその頬が、彼の胸をズキリと痛ませる。

 魔人はちょっとやそっとでは感情が揺れない、そのはずだ、なのに。


「…………え?」

「しっかり掴まっていてください。後で説明しますから」


 ふわりと抱き上げた腕の感触で相手が男だと気づいたのだろう、テレーズの表情が困惑したものに変わる。

 だが、逃げようとはしないし、抵抗もしない。


(甘いですね……一度ならず裏切られているというのに)


 その甘さは命取りになる。

 落ち着いたらしっかりがっつり説教しなくては、と彼はそう考えながら通路をひた走った。




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