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テレーズのために  作者: 久條 ユウキ
護衛の章:メフィスト・ワルツ
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2.『本性』

 図書館がある中央広場は多くの人でごった返していた。

 髪の色、肌の色、目の色、これまでテレーズが見たこともない取り合わせの色彩を持つ老若男女が、生き生きと行き交う。

 考えてみれば、ミシェルナ国を通った旅路も徹底的に中心街は避けていたため、これだけの人手を見るのも、様々な種族が集っているのを見るのも、彼女にとっては初めてだった。

 勿論、生まれ育ったアクセラ王国においても殆ど引きこもっていたため、大勢の人を見たのはあの王城のデビュタントパーティの場が最初で最後だ。


 テレーズは改めて、己の世間知らずを恥じた。

 邸の中で引きこもってずっと書物を読みふけっていた、その偏った知識だけで全てを知ったつもりになっていたことを否定できない。

 知っていると思っていた、わかっていると驕っていた。

 なのに実際に目の当たりにしてみると、自分がいかに狭小な世界の中にいたのか思い知らされてしまう。


 魔道具の店に出入りする、耳の長い色白のエルフ族。

 噴水の近くできゃあきゃあとはしゃぐ、動物の耳と尻尾を持った獣人族の子供達。

 褐色の肌の南方の国民、少し黄味がかった肌と独特の服装の東方の国民、ミシェルナで見かけたような農夫風の男、アクセラ国にいるような貴族風の格好をした女性。

 すれ違えば挨拶をする者がいる、我先にとどこかへ早足で行ってしまう者がいる、時には喧嘩するような声まで聞こえてくる。

 だがその全てがひとつの風景画になったかのように、調和している。


 これが、アルファード帝国なのだ。

 小国連合と馬鹿にされながらも、雑多な種族が混ざり合いながらも、共存している国。

 実際に見てみて、やっと納得できた気がする。


(私はまだ、何も知らない。この国のことも……アクセラ国のことだって)


 だから、まず知らなくては。

 実際に歩いてみて、学ばなければ。

 カーマインとの契約を正式に結ぶ前に、それは最低限やっておくべきだと彼女は入り乱れる種族の坩堝を横目で見ながら、こちらですと示された建物の方へと足を進めた。




 レンガ造りの赤茶けた建物の前には、数人の警備員が立っている。

 この警備員に身分証を示し、同行者は入館者リストに名前を書いて『ゲスト』扱いとして入館を許される。

 名前を、と求められた彼女は素直に『テレーズ』とだけ書き、怪訝そうな顔をしながらも入館を許可してくれた警備員に一礼し、中に入った。


「どうして」

「……えっ?」

「どうして、姓を名乗らなかったのですか?」


 テレーズは見るからにイイ所のお嬢様、といった容貌だ。

 他種族もしくは最下層の貧民であれば姓を持たないが、ある程度の暮らしができる平民であれば皆姓を名乗っている。

 だからこそ、警備員は怪訝そうな顔をしたのだ。

 彼女が最下層の貧民には見えないし、だからといって他種族にも見えない……混血であれば別だが、さてそれなら彼女はどの種族なのだろう?と。


 しかしながら、彼女は名乗るべき『姓』を持たない。

『テレーゼ・クリストハルト』という名は出国の際に捨ててきた、かといってカーマインの姓はまだ名乗れない。


 そのことを簡単に説明すると、シルヴィは納得いったようなまだ納得いかないような微妙な表情でテレーズを見下ろし、ただ一言


「面倒ですね」


 とだけぽつりと零し、そのまま口を閉ざしてしまった。





(……面倒……面倒、か。そうよね、彼女にとったら色々面倒よね)


 アルファード帝国の常識を何も知らず、生国であるアクセラ王国のことすら殆ど知らない世間知らずの元貴族令嬢。

 そんな小娘が軍の最高幹部の妻にと突然連れて来られ、さあ世話と護衛は任せたと全て丸投げされたシルヴィにしてみれば、何をどうどこから教えていいやらわからず戸惑いっぱなしだろう。

 それなのに当の小娘は着いて早々外出したいと言いだし、行った先でも非常識さを露呈してしまったのだから、今後のことを考えると面倒極まりないと後悔しているかもしれない。


 だが落ち込んでいる暇もない。

 とにかくカーマインの身の回りが落ち着き次第、妻として披露されるべく怒涛の打ち合わせや教育が始まるはずなのだ。

 淑女としての教育だけなら既に終わっている、領地を治めるための知識なども叩き込まれている、だが軍部のこととなるとこれから学んでいかなければならないだろうし、こればかりは図書館の本でハウツーを調べるというわけにもいかない。

 だからこそ一般的な知識を仕入れるなら今のうちに、最低限周辺の地理やこの国の特色などには明るくなって置かなければならないのだ。


 では、と彼女は気を取り直して地図のコーナーに足を向け、この帝都とそれを含むアルファード帝国全体の地図をテーブルの上に並べると、周囲の訝しげな視線など跳ね除けるように真剣そのものの表情で、それらを見比べ始めた。





 深夜、邸の一室にて。

 シルヴィがその日一日あったことを上司に報告していると、書類仕事の手を止めてそれに耳を傾けていた上司カーマインは、報告が終わるかどうかというタイミングで堪えきれないといったように低く笑いを漏らした。


「…………閣下」

「くくっ、あぁすまない。しかしな……お前のそんな顔、初めて見た。どうだ、この数日間で心境の変化はあったか?」

「……ええ。お陰さまで」


 テレーズの護衛と監視を任せると命じた当初、シルヴィは嫌そうな顔を隠しもしなかった。

 主の命令であるから仕方なく従う、だが決して馴れ合うことも心を開くこともしない、自分の仕事は護衛対象を害そうと近づいてきた者を始末すること、そしてその言動を監視して主に報告することだけだから、と。


 なのに、数日振りに邸に戻れたことで直接報告を聞いてみれば、当の部下は歯痒そうな、戸惑いを隠しきれない表情で彼の前に現れた。

 そしてそれを指摘してやると、彼女は苦虫を噛み潰したような苦々しげな顔つきで、しかしそれをやんわり認める。


「どうにも彼女の意図が掴めません。まさか毎日開館時間から閉館時間までずっと図書館で調べ物をして過ごすなんて、予想できるわけがないでしょう?」

「そうだな。そうまでして何を調べている?」

「色々です。最初はこの国の地理から始まって、次に歴史書、観光案内、各種族について書かれた研究書、アクセラ王国及びミシェルナ国についての資料、魔法と魔石の関連性について、などでしょうか。ああ、あとファッション誌も読んでいました。かといって手当たり次第というわけでもなさそうで、童話や逸話の本は手に取っても、娯楽小説の類には興味を示していないようです」


 地理と歴史、観光案内……彼女がどうやら本気でアルファード帝国について知ろうとしている、ということはシルヴィにもわかったのだが、ならばどうして講師をつけて欲しいと頼まないのか……彼女よりは詳しいだろうシルヴィに聞こうとしないのか、それが理解できない。


 そう口に出すと、カーマインは微苦笑しながら「彼女はそれしか知らないんだ」とフォローした。


「彼女はずっと一人で本を読み続けてきた。幼い頃は祖父母に厳しく躾けられたそうだが、それは物の数には入っていないんだろうな。とにかく、何か知りたければ専属の講師を雇うという感覚がないんだろう。だから、知らなければと思ったところで自分で調べに出向くしかできない。……お前のことも恐らく、私につけられた護衛だとしか認識していないはずだ。監視役だとは気づいても、世話役だとは思わない。そんな性分なんだ、彼女は」

「…………面倒ですね……本当に」


 本当に面倒なのは、不器用な性分を持ったテレーズか……それともそんな彼女を己の【唯一】として見出し、連れて帰ってきた主か。

 いやきっとその両方だ、この二人は意外と似通った性分を持っているに違いない。



 そんなことを考えた矢先、ふとシルヴィは感覚の端に引っかかりを覚えた。

 彼女はどこにいても、邸の敷地内の異常に気づける。

 今回の感覚もそんな異常事態を訴えてきていたので、彼女は同じくなにか異常に気づいたらしい主に一礼して、挨拶もなく書斎を飛び出した。


 扉からではなく、書斎の窓からダイレクトに庭へと降りる。

 気配を探るように顔を一振りし、気配を辿って音もなくそちらの方向へ駆け出す。

 と、壁をよじ登ろうとしていた男三人組と出くわし、彼女はまず()()()()の格好で、「何をしているんですか」とやんわり問いかけた。

 男達は一瞬ビクリと身体を震わせたものの、声をかけてきたのが邸のメイド……しかもセクシー系美女であるとわかると、一様に舌なめずりして何かを企むような顔つきになる。


「へっへっへ、こっちもなかなかいいオンナじゃねぇか。明らかに純潔っぽい小娘を犯すのもいいが、慣れてそうな女を相手にするのも捨てがたい」

「おいおい、依頼があったのはあの小娘についてだけだろうが」

「かてぇこと言うなよ。メイド一人に何が出来る?あちらは仕事、こっちはお楽しみだと思やぁいいじゃねぇか」


 男達の下種な会話を聞いても、シルヴィはその場を動こうとはしない。

 そして彼らは、それを怯えのためだと勝手にそう解釈した。

 よくよく見れば、震えているわけでも怖がっているわけでもないことはわかるだろうに。



「なぁどうだあんた、見なかったことにしねぇか?どうせ雇われて嫌々仕えてるだけなんだろ?だったら見逃してくれよ。あっちの小娘を犯して戻ってきたら、俺達三人がイイ思いさせてやるからよ」

「お嬢様を犯す?一体誰に頼まれたのですか」

「言えねぇなぁ……何なら体に聞いてみるか?」

「そうですね……本当なら貴方がたのような輩に使いたくはない手ですが……仕方ありません」


 下卑た目を向けてくる男達のまん前で、シルヴィは徐にメイド服を脱ぎ始めた。

 エプロンドレス、カチューシャ、ワンピース、そして下着。

 そして露になる、形のいいたわわな胸とくびれた腰、そしてむっちりとした足。

 男達がごくりと唾を飲み込み、その魅力的な肢体に抗えず我先にと襲い掛かろうと手を伸ばしたその瞬間


 丸みを帯びた体のラインが筋肉質に。

 たわわな胸はまっ平らに、張り出た骨盤は無駄なく引き締まり、顔つきも色気はそのままに精悍な青年のものへと変わっていく。

 そして…………剥き出しの下半身には、男達も日常見覚えがあるブツが。


「おっおっおっ、男ぉ!?」

「て、てめぇ、まさか……」

「ま……魔族……っ!!」


 男達は知っていた、この世でたったひとつ……男と女二つの性を使い分けられる両性の種族がいることを。

 外見上は人間とほぼ同じ、だが本人の望みのままに性別を変えられる、それが魔族なのだと。

 そして、魔族はとても残酷で非情…………己の手を汚すことなど何とも思わない、恐ろしい種族であるのだと。



 ()は嗤った。


「さあ、それでは貴方がたの体に聞いてみましょうか。どこまで耐えられるでしょうね?」


 酷く残酷に、そのくせ嬉しそうに。




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