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テレーズのために  作者: 久條 ユウキ
護衛の章:メフィスト・ワルツ
16/26

1.『行動』


「テレーズ、これから君付きになる傍付きのシルヴィだ。シルヴィ、彼女がテレーズ」

「テレーズです、よろしくお願いします」

「…………」


 邸の主であるカーマインの紹介に丁寧に頭を下げたテレーズとは裏腹に、シルヴィと呼ばれた赤毛の美人は、無表情のまま軽く会釈しただけだった。

「よろしく」もなければ「はじめまして」すらない。

 これは、彼女を『主』とは認めないという無言の拒絶なのだろう、とテレーズはそう受け取った。

 雇用主のカーマインからの命令だ、傍付きとしての仕事はするだろうが馴染むつもりも馴れ合うつもりもない、その意思表示なのだと。


 燃え盛る炎の色の如き髪はひとつに結い上げられており、同色の睫毛に縁取られた切れ長の瞳は東の国で採れるヒスイという宝石のようなブルーグリーン。

 南の方の出身なのか肌は褐色で、左目の下にある泣きぼくろやぽってりとした唇がたまらなくセクシーだ。

 体つきもその容姿を裏切ることなくボンキュッボンのメリハリ体型、だが女性特有の柔らかなラインと称するよりは、かっちりと鍛え上げられたボディラインと言った方がしっくりくる。

 ここへ来る途中、傍付きは皆護衛も兼ねていると聞かされていたため、ああなるほどこういうことかと、彼女も納得した上で状況を受け入れた。



 使用人に嫌われている、さてどうするか?

 もしここにいるのが生粋の貴族令嬢なら、主は自分だと意識付けるように高慢に振舞うか、そこまでせずとも己を主として認めさせようとあれこれ手を尽くすかもしれない。

 もし挫折を知らない傷つきやすい少女だったなら、どうして認めてもらえないのと泣き暮らすか……さもなくば気さくに明るく振舞って、どうにかして打ち解けようとするかもしれない。


 だがしかし、テレーズは使用人に嫌われることには慣れていた。

 表面上世話を焼いてくれていても裏では嘲り笑っている、そのうち主に対する態度も忘れ面と向かっても蔑むようになっていく……勿論そんな使用人ばかりではなかったが、そういう態度を取られるのは使用人の品位もあるが、やはりテレーズ自身が主として失格だったからだという自覚もある。


 それに加えて、彼女はシルヴィを『使用人』だとはどうしても思えなかった。

 その意外に鍛えられた無駄のない体躯といい隙を見せない態度といい、恐らく軍部に所属するカーマインの部下だろう、だとするならテレーズの『使用人』という扱いではなくカーマインの『部下』として接するべきではないか、と。


 さてどうしようか、と考えたのはほんの一瞬。

 テレーズは、部屋の隅にそっと静かに控えたシルヴィから視線を外し、周囲をぐるりと見渡してから改めてシルヴィに視線を戻した。


「シルヴィさん、ここから一番近い図書館もしくはそれに類する施設がどの辺りにあるのか教えてください。それとそこは、私のような移民……身分証を持たない者でも利用できるでしょうか?」



 この問いかけに、シルヴィのブルーグリーンの双眸がほんの一瞬『何言ってんだこいつ』と嘲りを浮かべ、だがすぐにそれを打ち消して静かな言葉が返された。


「……図書館でしたら、中央広場の西側に面した場所にございます。利用するには身分証が必要ですが、一名だけなら同行者もゲスト扱いで利用できるはずです。……それと、私のことはどうぞシルヴィと呼び捨ててください。敬語も不要です」

「わかりました。ではシルヴィ()()、すみませんが同行をお願いできませんか?」

「…………」


 テレーズが『わかりました』と告げたのは、シルヴィの返答の前半部分のみに関してである。

 敬語とさん付けに関しては、言われたからとすぐ改める気はない。


(さん付けに敬語じゃ、主としての威厳はないわね。……でもそれでいいんだわ。だって私の使用人というわけではないんだもの)


 カーマインの部下だから彼女よりも格下、という考えはテレーズにはない。

 そもそもテレーズとカーマインの関係性は契約によって成り立つのだし、それ以前の問題としてまだはっきりどうするこうするという詳細も話し合えていないので、二人の間に『契約による関係性』が成立しているとも言いがたい。

 ならば尚更、シルヴィは護衛についてくれているカーマインの部下、自分は護衛される立場だとわきまえて接する方がいいと考えたのだ。


 護衛に()()()()()()()いるのなら、当然相手に対して敬意は払うし敬称をつけることもなんらおかしくはない。


「……………ご案内していいかどうか、閣下に伺って参ります」

「はい。お願いします」

「…………」



 呆れたような視線でテレーズを一瞥してから部屋を出て行ったシルヴィ、その背が扉の向こうに消えたところで、テレーズはさてと部屋をもう一度見回した。


 アルファード帝国に入国し、軍の総司令官殿のご帰還とあって一様に緊張した面持ちの関所の警備兵達に、ジロジロと遠慮のない視線を向けられつつ無事入国できた彼女は、まずは旅の疲れと汚れを落とそうと提案されて関所近くの宿屋に一泊した。

 関所に着いたのが夕方であったため、そのまま邸に帰るにしても夜中になってしまうからという理由もあったのだが、やはり総司令官が自宅に帰るとなると注目を浴びるため、第一印象をよくする意味でも身奇麗にしておいた方が、ということも理由のひとつであったらしい。


 とはいえ化粧道具は持って出てきていないし、服装も途中で買い揃えた質素なワンピースとヒールの低い靴に着替える程度で、荒れ放題の髪もどうにか梳かして背に垂らすくらいしかできてはいないのだが。

 そうして最低限旅の汚れを落としたところで翌日カーマインの邸へと向かい、彼があれこれと使用人達の報告を受けている間に、彼女はあてがわれた部屋に少ない荷物を片付けて、ここへ来るまでに用意してもらった基礎化粧品で肌を整え、そこで傍付きだというシルヴィと対面を果たした、というわけだ。


 つまり、待っている間やることがない。

 フリード伯爵領にいた頃なら溢れんばかりに揃えられた本棚の本を読み漁るか、庭の花を見に出るかしていたのだが、今の部屋にそもそも本棚はないし、庭に勝手に出ることもできない。


 仕方がないので、彼女は今自分が置かれた状況について考え始めた。

 ここは、生国であるアクセラ王国からひとつ国を挟んだ先にある旧小国連合……アルファード帝国。

 トップである皇帝をはじめ、実力と人望があれば年齢性別関係なく上に行くことが可能な、実力主義の国。

 ここで彼女は、軍の若き総司令官であるカーマイン・ヴァイスクロイツの『妻』となり、いずれは軍部に入って彼の片腕として不正の摘発に協力することになる。

 全ては、彼との契約の名の下に。



(ダメね、私。これまでずっと流されてばかりで……)


 テレー()がこれまでの間で唯一己の意思を示したのは、幼きあの日使用人達の虐待であわや死に掛けた時、生物学上の父である男の執務室に押しかけて『家から出してください』と訴えた、あれだけだ。

 虐待され始めた時も特に逆らわず、ヴェゼルの庇護をありがたく受け続け、そしてそんな彼がエリーゼに見初められたと聞いて離れることを決意し、伯爵家の執事に出て行けと言われてその通りにした。

 自分が反抗することで騒ぎが大きくなるかもしれない、面倒ごとが増えるかもしれない、周囲の行為が更にエスカレートするかもしれない、そんな可能性を危惧して聡く立ち回ったつもりだったが……実際はただ流されてきただけだ。

 諦めて、きただけだ。


 国を出る際に『自立して彼らを見返す』と決めたものの、道中ずっとカーマインに世話になりっぱなしだった現状を考えても、完全自立までの日はまだまだ遠いといわざるを得ない。

 それならば、まずは知識を。

 己の得意分野から、少しずつ世間を知っていけばいい。

 そうしていつか、彼の隣に自信を持って立てるように……なれればいいなとは思っているが、まだその段階ではないことくらいわかっている。


「閣下の許可が下りました。いつでもご案内できますが、すぐにお出かけなさいますか?」

「はい、ではすぐに出かけます」

「かしこまりました」


(ヴェゼル……今頃どうしてるかしら)


 彼女に対し唯一手を差し伸べてくれた、愛しい人。

 兄のように、友人のように、恋人のように、恋い慕っていた人。

 『愛情』というものを知らない彼女に、そっと寄り添ってくれた人。

 裏切られたと感じたあの時の胸の痛みは、まだ消えないけれど。


 カーマインは、テレーズを必要だと言ってくれた。

 片腕となって欲しいと、彼女の高い魔力を認めてくれた。

 己の【唯一】なのだと、そう言ってくれた。

 それなら、できることを。

 彼のために、この国のために、何が出来るのか、それを見極めるためにはまず知らなければならない。


「行きましょう」


 諦めるだけが選択肢じゃない。

 そう心を決めたテレーズのサファイアブルーの双眸に、シルヴィの意識がほんの僅か傾きかけていたことに、気づく者は誰も居ない。

 シルヴィ本人でさえも。




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