5.『諜報』
年に一度の村祭りも昼を過ぎて、グッと人が増えてきた。
この村はトルク地方の中でもはずれに位置し目立った特産物もないため、普段は何日かに一度ふらりと旅人が立ち寄るくらいなのだが、この日ばかりはトルク地方特産である上質の魔石が通常より安く手に入るとあって、遠くの街や国外からもわざわざ訪れる者までいる。
その人ごみに紛れるようにして……と言っても実際はあまりに目立つため紛れられてはいないのだが、混雑に乗じてひっそり村を出た男女二人組。
ぴったり寄り添うでもなく、かといって距離を置くでもなく、家族とも友人ともとれる距離感の二人、その背中を見るとはなしに見送った壮年の農夫は、面倒くさそうによっこらしょと腰を上げ、水を汲む用の桶を手に森の奥にある川へと向かった。
川の手前に腰を下ろすと、男はふぅっと大きく息をついて背後の大きな木に視線を向ける。
「コーディ、どうだった?」
「そうですねぇ、本題は空振りでしたけど面白い情報ならゲットしましたよぉ。トルクの魔石って言ったら、ミシェルナだけじゃなくアルファードの帝都でもめちゃくちゃな値段で売られてるものじゃないですか。けど値段が高い意味がわかりました。純粋なトルク産の魔石って、今じゃ殆どないそうです」
「なるほどな。少なくともあの出店で売ってたやつなんかは、確実に『トルク』ブランドじゃないってことだな」
「ですねぇ。多分他に出回ってるべらぼうな値段の魔石も、産地偽装の便乗品だったりするかもしれません」
声はすれども姿は見えず。
綺麗に姿を隠したままで報告する部下『コーディ』は、暗部を束ねる彼『リック』の部下の中でも一・二を争う腕利きであると同時に、思わず頭を抱えてしまうほどの問題児だ。
暗部の者達は大体が実年齢不詳であるのだが、彼女もその例に漏れず10代から40代、ともすると老婆にまで化けてしまうという特技を持っている。
気配を消すのもお手の物、運動神経もよくいざという時の判断力にも長ける、のだが……彼女を問題児たらしめるのは、そのだらしなさにある。
「もうねぇ、儀式に使われてるっていう無価値な透明の魔石すら採れなくなって、こっそり商人から買ってる、そんなの無駄だってジェイクがぼやいてましたよ」
「ジェイク?」
「今回情報提供してくれた親切な村人さんですっ。もー、引っ掛け甲斐のありそうな若者探すの大変だったんですよぉ?やっぱのどかな農村だけありますよねぇ、力はそこそこあるけどテクがダメダメで……しかも終わった後で、嫁に来いとか言っちゃうしー。こっちは仕事だってのに、全くもう」
要約すると、彼女は今回出向いた村で好みに合う『美味しそうな』若者を誑し込み、情報を引き出せるだけ引き出してポイ捨てしてきた、ということだ。
後々面倒ごとが起きないように去り際に暗示をかけてはいるのだが、それでも行く先々で次々と男を食い物にしていく姿は、同じ軍部の女性はもとより男性にまで眉をひそめられている。
一時はそのだらしなさからどの部署も引き取りたがらないという事態にまでなったものの、手段はともかくその情報収集能力の高さ、気配察知や隠密行動などの能力の高さなどを考慮して、彼女を暗部に引き取ったのは他ならぬ我らが若き総司令官……カーマインである。
「……わかった。俺は閣下に報告しに後を追うから、お前はもう少し魔石の横流しについて調べておくように」
「えーっ?だってトルクじゃ魔石が採れないってわかったじゃないですかぁ。だったら横流しなんてできるはずないでしょう?」
「採れないことにしておいて、裏で横流ししているという可能性もある。閣下の期待を裏切らないよう、しっかり調べて来いよ?」
「…………ちぇ。閣下に直接報告して直接お褒めの言葉を貰おうと思ったのにぃ。そしたらついでに、あの分不相応なお嬢ちゃんにもちょっかいかけられるしぃ……あたしの方が相応しいのよ、って牽制してやろうと思ったのになぁ」
不満そうにぶつぶつ言いながらも、『閣下の期待』という言葉を聞き逃せなかったのか、コーディはまた綺麗に気配を消して村の方へ去っていった。
(俺の判断は正しかった……!閣下はともかく、あのお連れさんを危険に晒せないからな)
コーディは己を拾い上げてくれたカーマインに対し、尊敬と憧れ、そしてそれ以上の思慕の念を抱いている。
勿論だからといって普段のようにだらしなく誘惑しようとはしないが、隙あらば直接声をかけてもらおうと狙っているし、あからさまにではないがさりげなくボディタッチしたことも一度や二度ではない。
軍部の中にはコーディと同じようにカーマインに恩義を感じている女性軍人も多く、と同時にあわよくばお傍にと熱い眼差しを注いでいる者も少なくはない。
そんな彼女達からしたら、心酔する上司が突然隣国で拾ってきた『妻』とやらは、分不相応な邪魔者でしかないのだろう。
まだコーディのように堂々と「ちょっかいかける」宣言ができるだけマシだ、殆どはカーマインに気づかれないようにと陰ながら、陰湿に、周到に嫌がらせや排除行動を起こすに違いない。
(閣下が竜人族の血を引いておられることはそこそこ有名なはずなんだがなぁ)
だがしかし、竜人族特有の【唯一】に関しては、ハーフである彼には関係ないと思われているのか。
もしくは【唯一】の存在すら知らないか。
コーディについては前者だとわかるが、他の令嬢については半々といったところだろう。
いずれにしても、ぽっと出のテレーズが彼の【唯一】であるのだとはっきり知らしめない限り、彼女に危険が迫ることは間違いない。
そのことについてもカーマインに忠告しておくか、とリックは元の農夫の顔に戻って大あくびをひとつすると、適当に桶に水を満たしてまたよっこらしょと面倒そうに元来た道を歩き出した。
元々、彼ら暗部に与えられた任務は『一部の者が質のいい魔石を不正入手し、使用している。その入手ルートの特定』である。
質のいい魔石はそれだけ高価であり、たとえ帝都の名だたる魔石店であっても身分証明なしには売買できない、という厳しい規制まで布かれている。
これは、金に物を言わせて魔石を独占する者が出ないようにという配慮であるのだが、どうやら軍部などで魔石を使ってのし上がろうとしている者達の中には、こうした高級店に出入りすることなく魔石を手に入れている輩がいるらしい。
その大体の裏づけが取れたところで、ならば入手ルートを潰してしまえと考えたカーマインは、暗部にその調査を命じたというわけだ。
その結果として、ルートについては未解決のままだが、高級ブランドのひとつである『トルク産』の魔石が殆ど産地偽装の紛い物であることがわかり、リックは二人に追いついたその夜に主にそのことについて報告を入れた。
「そうか。……確かに私が立ち寄った先の出店でも、一度もトルク産だとは言われていないな。他の店に比べて随分と質のいい魔石を扱っているな、とは思ったが」
「あぁ、俺もその辺は気になりました。一応あの商人と、あと数人……気になった者には部下をつけておきましたが」
「わかった、ではまた逐一報告を入れてくれ。それと、その商人がひとつ面白いことを言っていたんだが」
と、カーマインは昼間商人から聞いたあの真紅の魔石に関する話をリックに説明してやった。
「なぁるほど、アクセラ国ですか。……魔法を普通に扱うあの国なら確かに魔石の価値を測る精度も高いでしょうが……言い換えれば上乗せもできるってことですよねぇ」
例えばテレーズが無色透明な魔石に魔力をこめたように。
魔力を当たり前に操るあの国の者なら、多少質の落ちる魔石でも上質にランクアップさせることもできるかもしれない、ということだ。
ただそういった品は人工魔石として売りに出さなければならず、天然ものと比べるとやはり値段や価値で数段劣るとされている。
産地偽装も問題だが、普通の魔石店で買えるような人工ものに手を加えて質を上げ、それを横流ししているとなれば二重、三重にも不正が隠れていることになる。
更にもっと言えば、魔力を当たり前に使えるテレーズを表舞台に立たせることで、魔石を使って実力を底上げしている輩を焦らせよう、という当初の目的が変わってしまうことにもなりかねない。
なぜなら、もし予想通りであるならテレーズは彼らが利用しているアクセラ国の出身で、しかも高濃度の魔力を秘めているという、正に不正を働く輩からしたら不発弾のような存在であるからだ。
「…………閣下」
「わかっている。テレーズには注意を促しておくが……そうだな……シルヴィに準備をしておけと伝えろ」
「まさか閣下、アレを彼女につけるおつもりでは」
「無論、そのつもりだが」
リックは言葉を失った。
シルヴィというのは暗部の中でも調査ではなく暗殺、証拠隠滅などの方向で高い能力を有する者で、特別にリックではなくカーマインの直属として動いている。
見た目はいいが年齢不詳で正体不明、カーマイン以外とは口をきこうともせず会えば慇懃無礼な態度で一礼するのみ。
あのコーディですら「近づきたくない」「不気味ぃ」と嫌悪を露にするほどで、リック本人も出来ればお近づきになりたくないというのが本音だ。
一度だけシルヴィの仕事ぶりを見たことがあるが、暗部に属する彼であっても眉をしかめてしまうほどそれは情け容赦なく、人を人とも思っていない処断ぶりにターゲットに同情すらしてしまったほどだ。
そんな者を護衛につけるということは、警護対象であるテレーズの身をどんな手段を使ってでも確実に守りきる、というカーマインの強い意志の現われなのだということはわかる、のだが。
「あの方の周囲が血で穢れても構わないのですか?それに、アレは己が認めない者を決して護ろうとはしませんよ?」
「わかっている。アレのやり方は確かに血生臭い……しかしそれこそ手段を選ばぬ者も多いだろうからな、確実に彼女を護りきるためには多少血で汚れても構わない。それに……きっとアレは彼女を認めるだろう」
「根拠がおありで?」
「…………まぁ、な」
そのうちわかる、と珍しくカーマインは誤魔化してみせた。
主である彼がそう言うのであれば、リックに異存はない。
彼がテレーズを気にかけるのも、主の選んだ【唯一】だからというだけのことだからだ。
その主がいいと言うのなら、シルヴィはきっと期待に応える働きを見せてくれるのだろう。
【唯一】を思わぬことで失った竜人族は、その失意から立ち直れなくなってしまうと聞く。
どうか彼がそうなってしまいませんように、彼の選んだ【唯一】がその想いを裏切ることがありませんように、今はただそう願うことだけしかできない。
リックは、帝都にいるシルヴィにあてて連絡用の鳥を飛ばした。
これは魔道具というもので、一度血を垂らして存在を記憶させた相手になら世界中どこからでも飛んでいき、伝達することができるという優れものだ。
ややあってシルヴィが「わかりました」と返事を寄越したことで、彼はようやくホッと息をついた。
(さあて、後はお嬢さん次第ってことか。ま、お手並み拝見といこうか)
もし彼女が彼の尊敬する主を裏切ったなら。
主の想いに応えず、彼を失意の底に追い落としたなら。
その時は暗部の力全てを使ってでも復讐を……例えそれで主に見放されたとしても、絶対に許さない。
そんな仄暗い思いを無理やり押し込め、彼はまたいち農夫の顔に戻って面倒くさそうに歩き出した。




