3.『情報』
翌朝テレーズが目を覚ますと、既にカーマインの姿はなかった。
ソファーを見ても寝た形跡がないようなので、もしかすると夜明かししたか外で寝た可能性もないとは言えない。
やっぱりここは野営すべきだったかと申し訳ない気持ちになりながらも、彼女は手早く身支度を整えて部屋を出る。
一階の食堂前まで行くと、ちょうど食事の注文を終えたのかカーマインがカウンターから戻ってくるところだった。
「おはようございます」
「おはよう。君の分も朝食を注文してしまったが、良かったか?」
「ありがとうございます。それほど多い量でなければ大丈夫です」
「そうか。私も朝はそれほど食べないんだ。だから少なめにと頼んである」
だから多分大丈夫だろう、と言われたテレーズはホッとすると同時に、男性だから一概に食事量が多いわけではないということを再確認していた。
思えば、アクセラ国を出てから何度か野営した時も、カーマインはそれほど沢山食べたりはしていなかったように思う。
だがその時はてっきり、保存食の量にも限りがあるのだからとしか考えなかったのだが、どうやら元々少食であるらしい。
(ヴェゼルはどちらかと言うとよく食べる方だったものね。男の人でも色々なんだわ)
二人は年齢はともかく体型的には良く似ている。
カーマインの方が長身で、意外と筋肉質であることを除けばだが。
しかしヴェゼルは本当に美味しそうに、パクパクと何でも好き嫌いなく沢山食べていたのに対し、カーマインはどうやら好き嫌いがあるようで、保存食の中でもダントツ人気の干し肉などには全く手をつけていなかった。
それでも軍の総司令官という役職にあるからには、軍の中で誰よりも強いと認められるだけの実力があるということだ。
これまで忘れていたわけではなかったが、ふとしたことでヴェゼルのことを思い出してしまった彼女の表情が曇る。
彼とは心を通じ合わせていた、と勝手にそう思っていた。
だがあの茶番があったあの時、彼に向けられた疑惑を孕んだ眼差しは彼女を失意のどん底に追い落とした。
なりふり構わず味方になってくれとまでは言わない、彼は分家の令息でエリーゼは本家のご令嬢、ならば下手にテレーゼを庇い立てするのは得策ではないことくらいはわかる、でも。
(庇ってくれなくてもいい。でも、疑って欲しくなかったの……信じて欲しかったわ)
あれこれ考えているのが見て取れたカーマインは、運ばれてきた朝食のトレイを手に持って「部屋に行こう」と彼女を誘った。
運んできてくれた女将も、多少年の離れた男女二人が同じ部屋に泊まったことで、仲のいい兄妹だと勘違いしてくれているのだろう、穏やかな母の顔を見せて「どうぞごゆっくり」と送り出してくれる。
歩きながらもテレーズの思考は未だ沈んだまま、部屋に入って向かい合わせに座ったところでようやく顔を上げた彼女に、カーマインはひとまず食べてしまわないかと声をかけ、自分もさっさとパンを手に取りかぶりついた。
幸い、朝食はテレーズにとってちょうどいいだけの量しかなく、ごちそうさまでしたと口元を拭ったタイミングで、カーマインは重い口を開いた。
昨夜部下から聞かされた報告を、彼女に告げるために。
「…………そう、でしたか。結局、そういうことにされてしまったのですね……」
聞かされた話は、ある程度予測していたとはいえかなりの衝撃だった。
テレーゼはフリード伯爵令息ヴェゼルに取り入ろうとしたものの、急速に仲を深めてきた本家の令嬢エリーゼの存在が邪魔になり、これを害そうとしたが失敗。
自棄になって邸を飛び出したところで、不運にも魔物の群れに襲われて命を落とした。
……というのが、伯爵家が故意に流したテレーゼについての噂である。
彼女が社交界デビュー前であったならただいなくなるだけで済んだのだが、幸か不幸か彼女の受け継いだクリストハルトの血統を示す外見は目立ちすぎた。
顔が知れてしまった以上『元々居なかった』と誤魔化すこともできず、しかしただ家を出ただけなら多少事情に通じた者なら『あぁ、追い出したのか』と悟りかねない、それならばいっそエリーゼを悲劇のヒロイン、テレーゼを悪役令嬢として仕立て上げてしまえ、と考えたらしい。
これでクリストハルト本家の一人娘エリーゼは、虐められながらも幸せを掴んだヒロインとして……そして分家筋の娘テレーゼは悪意をもって彼女を貶め、因果応報で報いを受けた可哀想な悪女として評判が広まり、そしてやがて噂すらされなくなってしまうだろう。
「まぁ……そうだな。胸糞悪いやり口は正直不愉快極まりないが、それはさて置きあちらでは死んだことにされておいた方が都合がいいかもしれない。万が一にも追っ手がかかる心配はないわけだし」
「…………はい」
「それに、いい思いをしていられるのも今のうちだ。君が彼らを見返す日が来たら、その得意満面な顔がどれだけの絶望に染まることか。今から楽しみでもあるな」
「……ふふっ。そう、ですね」
不愉快だと憤ってくれたこと、そして少しでも気分を和らげようと軽口を叩いてくれたこと、そのことがテレーズの心に圧し掛かった罪悪感や絶望感を軽くしてくれる。
どうしてそこまでしてくれるのだろう、と彼女はふと彼に契約込みで求婚されていることを思い出した。
聡明なる王太子殿下から話を聞いただけ、ではないだろう。
きっと彼独自の情報網を使って彼女のことを調べ上げ、その上で契約を持ちかけているのだろうということくらいはわかるが、そこまでする価値が自分にあるのかまでは彼女にもわからない。
クリストハルトの血統に何か秘密でもあるのか、それとも他の要素か。
気になったら追求せずにはいられない、ある意味社交界向きではないテレーズは「あの、」と控えめに疑問を口に出した。
「そもそも、どうして私だったのですか?アルファード帝国軍部の総司令官、という地位にいる貴方が王太子殿下のお言葉だけで『妻に』と仰るとは思えませんが」
この尤もな指摘に、彼はそうだなと苦笑する。
「そういえば、きちんと説明していなかったな。…………わかった、現段階で話せる限りのことは話そう」
アルファード帝国は、テレーズも知る通り実力主義を掲げる国だ。
皇帝も世襲制ではなく、ただし民に認められるだけの実績と実力があれば前皇帝の子がそのまま後継となる、ということもあるらしい。
今の皇帝も前皇帝の数ある子の一人で、末子に近い位置づけでありながら若くして頭角を現し、積極的に民と関わり見聞を広め、これならばと広く認められたことで僅か18歳にして皇帝の座を譲り受けた実力者なのだそうだ。
そのことから、年齢が若くてもその地位に見合っただけの実力を示すことができれば、上の地位につくことも可能だということが広く知られるようになり、我こそはと実績をあげようとする者が増えたのはいいことだった、のだが。
「我が国ではさほど魔力の高い者がおらず、故に魔法もそれほど発達してはいない。それを逆手に取り、力の強い魔石をどこからか手に入れた者達が、魔法を使って物理的に実力を示そうとし始めた。それが自らの実力であったなら、認めざるを得なかったのだが……」
魔石頼りの実力は、結局のところその本人の力とは認められない。
魔石が切れてしまえばそれまで、ということだ。
そんな危うい力を無理やり手に入れてまで上に立とうと躍起になる一部の者を廃するのは容易いが、その手に入れた力で暴走されでもしたら目も当てられない。
ならばと、若き皇帝は自分と同じく若くして軍の総司令官に指名された青年に、これを治めてみせろと一任した。
「アクセラ国は魔法の発達した国だ、特に高位の貴族になればなるほど魔力値が高いと聞く。だから王太子殿下から話を聞いた時、君ならばと思ったんだ。だがまさか、こちらから密かにコンタクトを取ろうとする前に、君があの家を出されてしまうとは思わなかったが」
彼は、魔力値の高いテレーズを己の片腕として重用することで、不正な手段で力を示そうとする輩を牽制しようと考えた。
ただ、何の実力も示していない彼女をいきなり傍に置くことは彼の肩書きを傷つけることになるため、手っ取り早く妻としてまずは傍に置き、それから軍に入れて実力を見せ付けようと考えていたようだ。
テレーズの表情がああなるほど納得したものになったところで、しかしカーマインは少し視線を彷徨わせてから、「いや、そうじゃない」と逆接を継いだ。
「それもあったが、それだけじゃない。君を一目見た時、わかってしまったんだ。君が、私の捜し求めてきた【唯一】なのだと。だから妻にと望んだ。……そうでなければ協力を仰ぎはしても、それだけだっただろうな。【唯一】以外を妻に迎える気はなかったのだし」
「唯一……ですか?」
「あぁ。獣人族の【番】という存在は知っているか?」
「えぇと確か、獣人族は本能で定められた唯一を伴侶として求め、それは種族・年齢を問わないものだと学びましたが」
「そうだ。それと似たようなものだが、竜人族にもまた【唯一】という絶対的な存在がいる」
知ってます、と口にしかけてテレーズはハッと口を覆った。
魔力を持たない代わりに絶対的な竜の力を持ち、己が認めた者以外は決して近づかせないある意味孤高の種族、それが竜人族だ。
彼らにとって『仲間』や『家族』という関係性は無意味だ、例え血を分けた血縁であっても認められなければ放り出す、一度認めた者であっても違うとわかればすぐに別れる、そういった行動ゆえに感情の薄い種族だと言われているのだが、そんな彼らがなりふり構わず追い求めるのが【唯一】と呼ばれる存在だという。
だとしたら、この人は。
彼女のことを【唯一】だと言う、この男性は。
「……私の母は竜人族だ。私は、人族の父と竜人族の母の間に生まれたんだ」




