2.『報告』
今回テレーズは一回休み。
アルファード帝国サイドになります。
(眠ったか……)
部屋にひとつきりのベッドの上で静かな寝息をたてる少女を見下ろし、彼はその真紅の双眸を穏やかに細めた。
どちらがベッドを使うか、というある意味テンプレな攻防はすぐに片がついた。
カーマインが「私はソファーでいいから君がベッドを使え」と申し出たことに、テレーズが「では遠慮なく」と応じた、ただそれだけである。
彼は一度言い出したことを翻したりはしないし、明らかに彼より体力のないテレーズを差し置いてベッドを使うなどしない……それがわかっていたからこそ、彼女は無駄な論争の時間を避けて素直に受け入れたのだろう。
その聡さは美徳だが、広いようで狭い貴族社会の中ではさぞ過ごしにくかろうとも思う。
貴族は良くも悪くもプライドが高い、そして未だ男尊女卑の思考がしっかり根付いてしまっているため、女性があまりに聡いと敬遠されてしまう傾向があるのだから。
アルファード帝国に貴族制度はない、だが皇帝の命令の下あちこちの国を訪問したり探ったりしてきた彼は、これまで貴族や王族の裏の顔を沢山見てきた。
表面上お綺麗な仮面を被ったその裏で容赦なく他者を陥れ、笑顔の下で舌を出し、美辞麗句の陰で蔑む、そんな貴族の当たり前に比べたら帝国の身体を張った蹴落とし合いが至極健全なものに思えてくるほどだ。
そして、そんな貴族の厭らしい世界から弾き出されたテレーズなら、帝国にきっと馴染んでくれるだろうとそう確信めいた思いもある。
彼はそっと、音を立てないようにして部屋を出た。
祭りの準備を終えた者達が集まっているのか、一階の食堂兼酒場からは男達の笑い声が響いてくる。
その賑やかな声を聞きながら外に出た彼は、「こちらへ」と手招きしてきた壮年の農夫の後をついて森の中に入り、そこでピタリと立ち止まった。
「……で、閣下。何か収穫はありましたか?」
「そうだな……【唯一】を拾ってきた、というのは収穫になるだろうか」
「なんと!ではあの方が、閣下が望み続けておられた【唯一】なのですか?あんなに幼い上に他国におられたのでは、確かに見つかるはずありませんが」
男も、カーマインが綺麗な少女を連れていたことは勿論知っていたし、経緯もなんとなくだが耳に入れていた。
だがまさかそれが彼の【唯一】だとは思っておらず、いずれどこかの国……もしくはアルファード帝国に入ったらしかるべき働き口を紹介し、そこで別れるのだろうというくらいにしか考えていなかったのだ。
カーマインは、これまで女性に見向きもしてこなかった。
それは彼の家庭環境も影響していたが、そうでなくても異性に興味を示し始める時期すら彼は剣に打ち込み、その恵まれた容姿ゆえに散々言い寄られても、【唯一】以外は決して傍に置かないのだときっぱり断っていた。
では【唯一】とはなんだと問われた彼は、はっきりとはわかっていないものの【唯一】と己が感じる者だとだけ言い、ずっと心の奥底でその存在を求め続けてきたらしい。
まさか同性ではあるまいな、まさか年の離れた老婆や幼子ではないだろうか、もしや【人】ではないのでは?そう囁き続けられてきた彼の【唯一】はしかし、見つかってしまえばなんということはない、社交界から隠され虐待され続けたという不遇な少女だった。
多少年は離れているが、離れすぎというほどでもないため許容範囲内だろう。
なにより、時折何かを渇望するような目をしていた主が、穏やかな凪いだ瞳をしていることが男を安堵させた。
「閣下の【唯一】の方については改めてゆっくりお伺いしますが……その前に。アクセラ国の内情については何か?」
「お前達の探り通りだった、というより実情はそれ以上だった。よくもまぁ、王太子がああも聡明に育ったものだ。つけられた教育係か、乳母が良かったんだろうな」
カーマインの目の前にいる、どこからどう見ても村のくたびれた農夫にしか思えないこの男は、軍の暗部を束ねる腕利きの諜報部員である。
そもそも若くして軍の総司令官という地位にいる男が、どうして御自ら国の代表としてアクセラ国に出向くことになったのか……そのきっかけは、彼ら暗部から上がってきたきな臭い情報にあった。
『アクセラ国内で内部分裂が進んでいる。それを加速させているのがまだ10歳の幼い王太子だ』
これを聞いた時は、さすがのカーマインも「正気か?」と部下に尋ねてしまったほどだった。
現王家に不満を抱いている貴族が幼い王太子を傀儡として操っている、というならまだ話はわかるのだが。
10歳の子供が本当に内部分裂の主導権を握っているのか、もしそうなら他の者……特に現国王や王妃は何故それを放置しているのか。
その掴みどころのない報告を耳にした皇帝は、ならば調べて来るがいいとカーマインをかの国へと遣いに出すことにした。
ちょうど話題の王太子の生誕10年を祝う式典が執り行われる、それに合わせてアルファード帝国代表として出向き、探りを入れて来い、と。
実際に会った王太子は、無邪気な少年そのものだった。
あえて目立つようにと礼服ではなく軍服を着て行ったカーマインが挨拶に出向くと、少年はキラキラと瞳を輝かせて「こんな若い人が総司令官なんて凄いね!ねぇ、ボクと遊んでよ!いいでしょ?」と盛大におねだりしてきたのだ。
なんでも、軍人というのは厳ついオジサンばかりだと思っていたから、彼のように年若く一見すると優男風な軍人もいるのだと知って、手合わせしたいという興味が湧いたらしい。
王太子も最近棒術にはまっており、是非それを試したいんだと強請られれば、国王としてもそれに応じるしかできなかったのだろう。
かくして、カーマインが王城に滞在する数日の間、中庭の一角を使って王太子と彼の手合わせの時間が設けられることとなった、というわけだ。
たいしたものだ、とカーマインは内心感心していた。
棒術の腕は子供のお遊びレベルを出ていないが、手合わせという状況を作ることで周囲から人を遠ざけ、話をする機会を作るのだから。
息を乱して打ち込みながらも、王太子は彼にあれこれと話しかけてきた。
最近になって謁見を申請してくる貴族が妙に増えたこと。
彼らが言うには、作物が不作で上手く育たないため一時的に国に納める税を待ってもらうか、もしくは王城に勤める高位の魔力保持者を派遣してもらうか、そのどちらかを頼みたいのだということ。
「……高位の魔力保持者?それが不作に何の影響があると言うのですか?」
「この国ではね、貴族だけが高い魔力を持ってるんだ。そんな貴族が領地を治めているからこそ、その魔力が領地内に循環していって作物が育つ……ってわけ。勿論不作知らずってわけじゃないようだけど、それでも魔力を多く流すことで回避できる場合が殆どらしいよ」
だからこそ貴族は貴族同士で婚姻を結ぶし、身分違いの恋愛が推奨されないのはつまりそういうことだ。
だが、それが当たり前すぎて忘れてしまっている貴族が多いのだという。
貴族というのは尊いものだと言われるそれだけを誇って贅沢三昧我侭放題する者が多く、だからこそ『貴族同士の婚姻の重要性』を忘れて愛妾を作り、魔力の低いもしくはもたない子を成して跡取りに据え、結果領地がやせ細ってきたところで魔力の重要性を思い出し、国に泣きついてくる。
もっと最悪なのは、魔力のためだけに政略的に結婚した相手と子を成した後、その子を領地に閉じ込めたまま魔力を捧げる生贄のような扱いを平気でする、そんな貴族までいるというのだから呆れたものだ。
そんな急場しのぎをしたところで、結局次代の領主の魔力が低ければ同じことの繰り返しになってしまうというのに。
「……ボクが最近聞いた話で一番酷かったのは、魔力を持った子供の必要性すら忘れた貴族が『血を濃く残す』ためだけに産ませた子供を家に閉じ込めて、元々いなかったことにしちゃったって話。愛人の娘が同じ年頃だったから、その子に取って代わらせたらしいよ」
「その、なかったことにされた子供はどうなったのですか?」
「分家筋の娘だってことにされて、家を出されたって聞いたよ。ま、家でも使用人に虐待されてたそうだし、出されたこと自体は悪くなかったのかもしれない。でもクリストハルト侯爵家って、それなりに歴史のある家柄なんだけど……堕ちたもんだね」
そう言った時の王太子は、とても10歳の子供には見えなかった。
聡明で、聡明すぎて周囲の闇に気づいてしまった彼は、だからこそ公の場では無邪気な子供を演じて周囲を騙し、必要以上に注目されないようにしている。
その裏では恐らく暗部を使って色々調べているだろうことは想像に難くない。
「ボク個人としては、そういう政略的に生まれて不幸になる子供を増やしたくない。でもさすがにまだ仮成人もまだな子供がそんなこと主張したって、笑われるだけでしょ?だからね、できることからやろうと思って」
彼の教育係はミシェルナ出身で、魔力を使った農地運営に関して『こんな方法もあったのですな』と評価しつつも、ミシェルナでの魔力に頼らない作物育成についてあれこれと教えてくれたのだそうだ。
王太子はそれを、領地経営について真剣に悩んでいるらしい貴族数人に教え、やってみたらどうかと勧めてみたところ、半信半疑でそれを実行してみた一部領地の収穫量に変化があったと報告が上げられたらしい。
そしてその報告を受けた近隣の貴族もそれを真似し始め、今では旧体制の魔力依存派と新体制の農地改革派で派閥が真っ二つに割れ、貴族間での内部分裂にまで発展しているという。
「ははぁ……貴族としての義務すら忘れて誇りだけを主張する連中と、領民ありきの意識を持った貴族連中との対立ですか。不毛ですなぁ」
「確かに。今はまだ不毛な睨み合いを続けているところだそうだが、数年も経てば魔力依存派を掲げる領地との収穫高に差が出てくるだろう。何せ魔力に左右されない分、平均的な収穫が期待できるだろうからな。そうなれば、派閥の勢力図も変わってくるだろうさ。あの王太子が仮成人を迎える頃には、な」
「それが狙いなんだとしたら、とんでもない逸材を生み出したもんですなぁ……アクセラ国王は」
「逸材として崇めるか、鬼才として恐れるか……」
どちらだろうな?との呟きに、部下は直接答えず「そういえば」と無理やり話題を逸らした。
「さっき話題に出たクリストハルト、でしたか。さっき部下から追加情報がありましたよ。恐らく閣下の拾った【唯一】の方に関することだと思いますがね、必要ですか?」
「聞こう」
即答ですか、と呆れるやら気恥ずかしいやらで困惑しながらも、彼は届いたばかりの最新情報を手早く報告していった。
聞き進めるうち、上司の麗しい顔が段々と鬼気迫るものになっていくことに、こっそり冷や汗をかきながら。




