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テレーズのために  作者: 久條 ユウキ
旅程の章:トルク行進曲
10/26

1.『同室』

 クリストハルト公爵領の東方、分家筋にあたるフリード伯爵領から北へ少し進んだ街道沿いの森の中。

 普段街道沿いには姿を現さないはずの魔物の群れが目撃されたとの情報に、ギルドの依頼を受けた冒険者数名が探索に出向いたその場所で……力任せに壊された鞄らしきものと一緒に、ズタズタに引き裂かれた高級そうなドレスの残骸が発見された。


 かろうじて判別できたドレスの色は白……つまりデビュタント用。

 周囲にはその持ち主らしい死体は見つからなかったが、何か鋭い刃物のようなもので切られたプラチナブロンドとおびただしい血液が残されていたため、もう生きてはいないだろうと判断され上にもそう報告された。

 回りまわってギルドの報告を耳にしたフリード伯爵は、計画が上手くいったことを内心喜びながらも、未だ居なくなった娘に未練たっぷりの次男にこのことをあくまで『情報』として話して聞かせ、あの娘はもういない、本家からの申し出を受けるようにと重ねて説得した。



「そんな……テレーゼ、どうして」

「辛いだろうが、もう忘れろ。お前はありがたいことに本家から望まれている。そもそもそれは、お前が招いたことでもあるんだぞ。本家のお嬢様の顔に泥を塗りたくはないだろう?」

「…………」


 誰にも何も言わず、置手紙もなく、警備の者にすら悟らせずに家を出ていったテレーゼ。

 律儀な彼女にしては珍しく、ヴェゼル専属の使用人にすら一言も漏らさず、夜中こっそり部屋を出た彼女。


 あの夜、縋り付いてくるエリーゼに対して強く拒絶できなかったことで、彼はテレーゼへの想いを諦めざるを得ないと覚悟していた。

 エリーゼの方が嫌だと主張して彼女に激甘な父親に懇願でもしない限り、彼がクリストハルト侯爵家へ婿入りするのはもう確定と言ってもいいだろう。

 彼の両親もその気でいるし、既に婿入りするための準備としてこれまで次男の彼が学んでこなかった領地経営についてや、社交界での交遊録の引き継ぎなど、既にスケジュールはパンパンに詰められている。


 テレーゼとは恋人同士というわけではなかったし、はっきりと想いを交し合ったわけでもなかったが、それでも互いの気持ちは通じていると思っていた。

 彼が彼女を想っていたように、彼女も彼を想ってくれているのだと……言葉には出さないが同じ気持ちなんだと、そう思っていただけに彼女が何も言わず去っていったこと、そして燻る想いを伝えられないままに死んでしまったかもしれないことが、彼にとっては何より辛い。


 その辛い思いに紛れてかすかな違和感のようなものも感じたが、彼は「忘れるんだ」と繰り返す父の言葉に小さく頷くしかできなかった。





 さて、その頃プラチナブロンドとハニーブロンドの二人連れはというと、フリード伯爵領から北東へ進んだ先にある隣国ミシェルナの、トルク地方と呼ばれる地域を旅していた。

 フリード伯爵領から街道沿いに北に進むとすぐにミシェルナ国との国境の関所があり、そこを超えて東にゆるく迂回するルートを選ぶと、このトルク地方に辿り着く。

 トルクの主な特産物は野菜や穀物……つまりごく普通の農耕を営む村や町の集合体である。


 少し前までは天然ものの純度の高い魔石が採れるとして旅人も多く訪れていたのだが、最近ではあまり採れなくなったらしく流通する量もがくんと減り、それに従って他の安くて手に入りやすい魔石が売れ始めたことで、ここを訪れる旅人もかなり減ったのだそうだ。



 アクセラ国からアルファード国へと向かうルートはいくつかあるが、あえて観光地沿いの大きな主街道を避けてのどかな田舎道を選んだのは、『人災』避けの意味がある。

 とにかくこの男女二人連れは目立つのだ、顔立ちもそうだが明らかにお育ちがいいですと主張するような雰囲気もそうだし、観光地だからとはしゃいだり騒いだりしない落ち着いた態度も、明らかに浮く。

 人目を引く、というのは要するに悪目立ちするということだ。

 つまりこの二人連れでいる限り、観光地で人ごみに紛れようという作戦は失敗するのが目に見えている。

 それどころか、性質の悪い客引きに引っかかる可能性や、場合によっては犯罪のターゲットにされてしまう危険性もあるわけで。


 そんなわけで、彼らは田舎道を選んだ。

 田舎であれば悪目立ちする旅人には不用意に近づかないだろうし、被害といっても噂が広まるくらいで済む、と考えたのだ。

 問題があるとすれば、観光ルートから大きく外れた田舎であるためか、宿屋がない場合が殆どだということくらいだろうか。




 この日立ち寄った村には運よく村で一軒だけの宿屋があり、しかし運悪く村祭りの時期だとかで商人などが泊まっているらしく、一部屋しか空きがなかった。

 さてどうするかと男が連れの少女に視線を向けると、彼女は何事か考える素振りを見せた後で、わかりましたとその一部屋に対してさっさと宿代を支払ってしまった。


「…………驚いたな。まさか、一部屋で構わないとの申し出が、君の方からあるとは思わなかった」

「野営でも構わなかったのですが、村祭りを控えているなら村の周囲にも警備の者や観光客など、人の気配がするはずです。そんなところで野営をするのも逆に警戒させてしまいそうですし……それに、女将さんも言っていたでしょう?『兄妹で旅をしてるなんて、仲がいいんですね』と」

「確かに、そうは名乗らなくても我々の年齢差から考えたら兄妹が妥当か……」


 しかし、と彼は逆接を継ぐ。


「女将の誤解はともかく……忘れたのか?私ことカーマイン・ヴァイスクロイツは()()()()、君に求婚しているんだぞ?」

「それはまぁ、そうですが……」


 どう反応したものかと戸惑った表情になったテレーゼ改め『テレーズ』

 テーブルを挟んだその向かいに座っていたカーマインは、困惑気味の彼女を見て「からかいすぎた、すまない」と苦笑する。




 彼が彼女に求婚しているのは事実だ、だがそれは彼が持ちかけた【契約】の一環としてである。


 アクセラ国を出国すべく国境の関所にさしかかったところで、彼は彼女にこう提案した。


「私は公の任務でここを訪れているから、堂々と帰れる。だから君もその連れということにすれば、何の審議もなく出られるぞ。どうする?」


 というのも、基本的に手配された犯罪者であったり不審な行動をしている者でなければ、出国に関してはお咎めなしで簡単に通過できるのだが、相手が明らかに高位の貴族……しかも未成年であったりする場合、どうして出国するのか、保護者は誰で、許可は得ているのかなど、後でその保護者などに『どうして通したんだ』と追及されないように、そこそこ厳しい事情聴取が行われることがある。

 特にテレーズの場合、この関所に近いクリストハルト侯爵家の濃い血を継いでいることは、見る者が見ればわかることだ。

 貴族出身者もしくは侯爵領出身の者がいれば、テレーズだけ足止めされて出国できないようにされてしまう可能性は高いだろう。


 そこで、カーマイン・ヴァイスクロイツ……彼の出番となる。

 彼は北の大国アルファード帝国において、軍部の総司令官を務めている男だ。

 元々この国に来たのは王太子の10歳を祝う生誕パーティに出席するためだ、公に来ているのだからその目的を果たせば堂々と国に帰ることができる。

 服装こそ普通の旅人と変わらぬ簡易なものだが、その王子様めいた容姿が変わるわけではないし、アルファード帝国から発行された身分証と、この国の王族直々に賜った視察許可証も所持しているので、身分証明は簡単だ。


 彼が堂々と出国するその傍ら、何も告げなければテレーズだけが厳しい審議に晒されることになるのなら、それなら最初から「連れ」だということにしておけば、彼の権力を持って彼女を庇護できるのだと、彼はそう提案してきた。

 テレーズにそれを断る理由はないし、『利用します』と宣言した以上彼女も当然そのつもりでいる。



 了承を得た彼は、関所において携帯していた身分証とこの国発行の視察許可証を示し、そして「そちらは?」と規定どおりそう問いかけた騎士に向かって一言。


「彼女は私の妻だ。……ああ、怪しまないでくれ。元々はこの国の貴族だったのだが、滞在中に私が見初めたんだ。だから、身元は夫であるこの私が()()しよう」


 通って構わないな?

 殆ど脅しに近いその言葉の意味が通じた関所の騎士は、どうぞとあっさり許可を出してくれた、というわけだ。


 当然テレーズはこれに対して反応を示し、成り行き上とはいえ夫婦を名乗ってしまったことで今後齟齬が生じないかと問いかけたのだが。


「最初からこう言えば良かったな。改めて言おうテレーズ、私と結婚して公私共に片腕となってくれないか?勿論その関係性は先日も提案した契約上のものだが……それでも、夫となり君を妻とする以上不実な行動は取らない。君を尊重すると誓おう」




 手は出さないから安心しろ、と彼は重ねてそう言う。


「……わかっている。君を尊重すると誓ったからな。軍人の誇りを賭けてもいい、私を信用してくれ」

「そういうことを心配しているわけではありません。第一、その容姿なら女性に不自由はしていないのでしょう?そんな方が、私相手にどうこうしようと考えるわけが」

「テレーズ」


 そうじゃない、と彼は強い視線で彼女を射竦める。


 この村に来るまでに、何度かともに野営をした。

 何度も、共に魔物と戦った。

 最初はぎこちなかったものの、数日経った今では普通に視線を合わせて会話につきあってくれる彼女に、彼も信頼の想いを向け始めていた。

 だけど、どうにも自己評価が低すぎる彼女を見ていると、時折イラつかされる。

 そうじゃないだろう、君はもっと己を誇っていいはずだ、と。


「私が君に手を出さないのは、君を大事にしたいからだ。……この求婚は確かに契約上のもの、だがただそれだけの理由で己の唯一を決めたわけじゃない。それだけはわかってくれ」


 彼にとって、結婚相手とは【唯一】なのだ。

 浮気も、不倫も、目移りすらありえない。

 その唯一にテレーズを定めた以上、彼は宣言通り彼女を妻として尊重し大事にしてくれるだろう。


 その言葉に隠された真意に、まだテレーズは気付かない。

 気付くのは、まだずっと後の話。




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