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テレーズのために  作者: 久條 ユウキ
序の章:エリーゼのために
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1.『絶望』

テレーゼの髪色をアッシュブロンド→プラチナブロンドへと変更。


 野の花のように慎ましやかな、しかし実際は貴重で滅多にお目にかかれない紫紺色の花が咲き誇る花壇の上に、泣きそうな顔で倒れこむ淡いピンクのドレスを身に纏った黒髪の少女。

 少女の、この国では珍しい黒の双眸は堪えきれない涙で潤んでいて、その視線は怯えたようにちらりとプラチナブロンドの少女を見上げてから、すぐにその隣に立つ黒髪の青年へと移された。


 黒髪の少女の両脇には、恐らく彼女付きのメイドなのだろう、気の強そうな顔立ちの茶髪の女性と、垂れ目で優しげな顔立ちの金髪の少女が、それぞれ左右から主の背を支えながらキッとプラチナブロンドの少女を睨みつけている。


「まぁ、なんて野蛮だこと!エリーゼお嬢様はただ、花壇のお花が綺麗ねとお手を伸ばされただけだというのに。怒って突き飛ばすなんてあんまりではありませんか!」

「そっ、そうですわ!…………わ、わたしはっきりと見ました!お嬢様が倒れこまれたその時、テレーゼ様は確かに悪魔のような顔でお嬢様を睨みつけておられましたわ!」


 主を庇うようにしながら、テレーゼと呼んだプラチナブロンドの少女を口々に責めるメイド二人。

 このままでは埒が明かないと考えたのだろう、その場で最も地位の高いこの邸の令息……テレーゼの傍に立っていた黒髪の青年が、隣で立ち尽くす少女に視線を向けた。


「……どうして……こんなことを。何か理由があるんだろう?テレーゼ」


 黒髪の青年の戸惑ったような問いかけにテレーゼが口を開きかける、その前に


「わたしが悪いのっ!!わたしが、っ……この花が欲しいってわがまま言ったから!だから……」

「エリーゼ嬢……」

「お嬢様っ!」

「テレーゼの花壇だなんて知らなくて……っ。だから、わたしが悪いの……ごめんなさい」


 未だ倒れこんだままの少女が、気丈にも声を張り上げる。

 皆の視線が彼女とテレーゼと呼ばれた少女に集中する中、その声は徐々に小さくなっていきついにはしゅんと項垂れてしまった。


 花壇に倒れこんで泥だらけの少女と、その脇に立ちすくんで動かない少女。

 目撃者が居る、証言もしている、それが例えどちらか一方のみに従う使用人であったとしても、周囲はここで何が起こったのか、誰が悪く誰が悪くないのか、その判断を勝手に下した。

 そしてメイド達に守られるようにへたりこむ黒髪の少女(エリーゼ)に同情と憐憫の眼差しを向け、言い訳することも謝罪することもしないブロンドの少女(テレーゼ)に嫌悪と侮蔑の視線を向ける。



 黒髪の青年は、小さくため息をついて花壇の傍に寄り、エリーゼへと手を差し伸べた。

 とにかくこの場を収めてしまわなければ、真相の追究はその後でも遅くない、そう考えたからだ。

 泣きそうな顔から一転、はにかんだように華奢な手を重ねるエリーゼを引っ張り上げてやり、勢いあまって倒れこんできた小柄な身体を抱きとめてやる。


 傍から見ると抱き合っている恋人同士のような二人。

 そんな二人から視線を逸らし、テレーゼはくるりと踵を返して駆け出していった。


「テレーゼ!待つんだ!」

「ヴェゼル様、いや、行かないで……怖いの」

「テレーゼ!」


 華奢な身体にしがみつかれたまま身動きが取れない青年(ヴェゼル)は、「部屋で待っているんだ、いいね!?」と叫ぶのが精一杯だった。


 しかし青年の想いは届かなかった。

 エリーゼをあしらって早々に部屋に向かおうとした彼はしかし、「怖いの」「傍にいて」と縋ってくる彼女を振り払うことができず、それどころか抱きついたまま眠ってしまった彼女の隣で一夜を明かしてしまったのだ。

 一線を越えることこそなかったが、貴族の娘と一夜を共にするということがどういう意味を持つのか、わからない彼ではない。


 二人が一夜を明かしたことを聞かされたテレーゼが夜も開けきらないうちに邸を出たことで、二人の間にあった絆は無残にも断ち切られてしまった。





 エリーゼとテレーゼ、こじれてしまった二人の関係はこれより10年も前に始まった。



 彼女はこの国、アクセラ王国において侯爵位にあるクリストハルト家の娘として生まれた。

 父はクリストハルト侯爵家の嫡男デミオン・クリストハルト、母はクリストハルト本家に近しい分家出身のご令嬢カリーナ・クリストハルト。

 この結婚は、いっそすがすがしいほど恋愛の『れ』も絡まない政略であった。


 何代か前の当主が周囲の反対を押し切って異国の血を引く嫁を迎えたことで、その代は何故か領地の経営も作物の収穫高も芳しくなく、更に他の貴族諸侯からも嘲笑われ爪弾きにされたことを受けて、本家の血をより濃くしようとただそれだけを目的に決められた、互いの気持ちなど入る隙もないほどガチガチに固められた政略結婚である。


 それでも二人は何の諍いもなく婚姻に至り、夫は当主である父について領主としての心得を日々学び、妻は義母について領主夫人の心得を学びながら、社交もこなした。

 仲がいい、とはお世辞にも言えない愛のない夫婦であったが、それでも互いに義務感を持って閨を共にしていたからか、結婚後数年で子供を授かった。

 生まれたのは父に良く似た……クリストハルト本家の血を濃く継いだことが一目でわかる、プラチナブロンドにサファイアブルーの双眸を持つ娘。


 娘はテレーゼと名づけられ、物心つく前……まだほんの幼児であった頃から両親と引き離され、毎日のように祖父母の下で厳しい教育を受けさせられることとなった。

 当主である祖父は領主に必要な様々な学問や知識を教え込み、祖母は淑女の心得、貴族としての矜持などを繰り返し説いて聞かせる日々。

 まだ幼い娘は嫌がって逃げようとしたり仮病を使って休もうとしたが、そのたびに二人は血の繋がった実の孫を容赦なく叩き、罵倒し、時には食事を抜いたり一晩外に出したりと、折檻を加えた。


 そのうち段々と、テレーゼは泣かなくなった。

 感情を表に出すこともしなくなり、何を言われても何をされても「はい」と全てを受け入れる、そんな悟りきった老人のような子供に成り果ててしまった。


 しかし、そんな彼女の異常性に気付いた者はいない。

 当主夫妻は反抗的な態度も見せず淡々と全てを吸収していく【跡取り】に満足していたし、彼女の父親であるデミオンは、視察だ、会談だ、とあちこち飛び回って帰って来ず、母親であるはずのカリーナもやれ社交だ、茶会だ、観劇だ、と忙しそうにしながら一度も娘のことなど顧みようとはしなかったからだ。

 心ある使用人が何度か当主に訴えかけたものの、不敬だとして解雇され……それを恐れた他の者は、テレーゼのことも見てみぬフリをするようになっていった。



 そんな異常な日常が突然変化したのは、当主夫妻が不運な事故で二人同時に亡くなった後のこと。

 弔いを済ませ、引継ぎもある程度終わり、正式にクリストハルト侯爵を名乗るようになったデミオンは、妻とまだ幼い娘……そして邸の使用人全員をホールに集めると、こう宣言した。


()()との間にできた娘が今年6歳になる。そろそろ初等科教育を受けさせてやりたいので、正式にこの家に引き取ることにした。それと、その娘の養育係として彼女の母親も一緒に引き取ることにしたので、そのつもりで準備を進めるように」


 寝耳に水……ではなかった。

 公言こそしていなかったがデミオンが外に()()を持っているのは公然の秘密であったし、妻であるカリーナもそのことにとっくに気づいていた。

 その恋人との付き合いがまだ彼女と結婚する前……デミオンが学生時代からのものである、ということも。

 だが一夫一婦制であるこの国において、まさか恋人を邸に呼び寄せて同居するなどという非常識なことはしないだろうと高を括っていたため、子供を認知して更にその世話役として母親を、つまり彼の恋人をもこの邸に住まわせると宣言されたことで、彼女はいたくプライドを傷つけられてしまった。


 しかもその子供が今年6歳になるという。

 カリーナが産んだクリストハルトの血を濃く継ぐ跡継ぎの娘は、今年5歳……つまりカリーナが子を授かる1年近く前に、デミオンはその恋人との間に子をもうけていたということ。

 そしてそれは正妻か愛人かという違いを除いて純粋に当主デミオンの血を引く子供という観点だけで見れば、愛人の子であるその娘が長子となり、カリーナの子テレーゼは二番目に格下げとなってしまうのだ。


 カリーナは騙された気持ちで一杯だった。

 外に愛人を囲うくらいなら文句を言うこともなかっただろうに、こともあろうにその愛人と庶子である娘を引き取ると言い出した夫。

 前当主は非常に厳しい性格であったこともあり、周囲の機嫌を損ねないように気を配る風見鶏のような主体性のない男だと、内心嘲ってすらいた相手にまさかここへきて裏切られるとは。



 濃い血を遺すためだけに選ばれた分家の娘は、この屈辱に耐え切ることができなかった。

 遠く東の島国からの移民であるという黒髪黒眼の幼い顔立ちの愛人と、その愛人そっくりな娘が邸に引っ越してきたその数日後、離別と絶縁の宣言を残してカリーナは実家へと戻って行った。


 離別だけでなく絶縁までわざわざ宣言して行ったのは、異国の娘を嫁に迎えたことで領地が荒れた過去の例になぞらえて、もし何か問題が起きても彼女や彼女の実家、更にそれに連なる家は一切手を貸さないし何事にも関知しない、という意味である。


 夫……今は元夫となったデミオンは元妻のこの絶縁宣言をむしろ清々するとばかりに受け入れ、そして空いた妻の座に正式に愛人を座らせた。

 愛人との間にできた6歳の娘には、当主の嫡子として初等教育を受けさせられるように手配し、これまで構ってやれなかった反動かベタベタに可愛がり、甘やかして育て始める。

 古くからこの家に仕える血統主義である使用人達は解雇され、残ったのは以前とは別人のように雰囲気の変わった当主と、自由奔放で愛らしい当主夫人、そして無邪気で可愛い()()()に喜んで仕える者ばかり。


 たった一ヶ月ほどで、明るく、笑い声が響く家になったと領地でも評判のクリストハルト侯爵家。

 だがそこに、たった一人残された異物…………前妻が産み、前当主夫妻が厳しく教育を施したかつての跡継ぎ……今は隅の部屋に軟禁されているテレーゼの居場所だけが、なかった。




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