同盟
孫仁は玄の言葉に目を見開き、息を呑んだ。
「関将軍…」
「ちょっと!玄!凄いじゃない。関羽ってあの関羽でしょ?」
三国志を知っているものなら誰でも一度は聞いたことのあるメジャーな名前に茜のテンションも一気に上がったようだ。
「…そんな甘くないよ。昨日の夜、初戦から負けて帰って来たからね」
関羽の名前に興奮する茜に苦笑しながら言う。
「え?…」
関羽と言えば、三国志の中では最強に分類される武将である。
その関羽が初戦から敗戦する事態は茜には正直考えづらい。
しかもプレイヤーはあの玄である。ことゲームに関しての玄の能力は卓越している。
シュミレーション、RPG、パズルに格闘まで、多少の得手不得手はあるがどれも普通に遊んでるだけではたどり着けないレベルなのだ。
「本当だよ。これがこのゲームなんだ…ソフトとして計算されたストーリーやバランスも全くない。『ずるい』や『卑怯』も通用しない。開始と同時にラスボスが出てきても全然おかしくないんだ」
こくり…
無意識に茜が鳴らした喉の音がやけによく聞こえた。
「茜もこのゲームをやる以上は、あらゆる事態を想定しなきゃだめだ。
…そうか、まずこの件に関してはゲームって表現はやめた方が良い。そう呼んでるうちはきっとゲーム感覚が抜けてないってことだから『戦い』これは武将達の命がかかった戦いだってちゃんと認識していこう」
「玄…」
普通の人ならちょっと引くようなことをこの上もなく真面目に玄は言っている。
正直、茜も得体の知れない不気味さを感じてちょっと引き気味ではあるのだが…玄への信頼がかろうじて上回る。
「うん、わかった。
正直まだ私はフィールドに出てないし、玄が言う戦いも全く実感出来てない。
けど、玄がそこまで言うものがここにはあるんだってことを信じるわ」
どこまでも正直な茜の言葉に玄の表情が緩む。
「…やっぱり茜はそのままがいいよ」
「え?それって…」
ぽつりと呟いた玄の言葉に問い返そうとするが、玄はすぐに孫仁との話に戻ってしまう。
「孫仁、俺達のところに伝えられている話から想像すると、もしかしたら関羽は孫仁のことを怒ってるんじゃないかと思ってるんだけど…」
なので、その言葉の真意が昨日の公園での話題に繋がる言葉だと思い至って茜が顔を赤くするのはその日の夜のことである。
「…怒っている…でしょうね。
私はあの方を愛していました。
あの方と添い遂げるつもりでいたのです。
その気持ちに偽りはなく、またあの方も私を愛してくださっていたと思います」
悲しげな瞳で孫仁は語り続ける。
「あの方は益州平定のために西進し、私は荊州に残りました。その後あの方が益州を平定した頃、母の病の報告があったのです」
この辺の話は玄の知っている知識と大きな違いはない。
「この時の私は、あの方と兄上の関係が徐々に悪化していることにも気づけないような愚か者でした…私の存在が、兄上や呉国にとって多少なりとも影響を与えるものだということも…」
孫仁の白い手がきつく握られる。
「私は一人の女として、嫁いだつもりだったのです。しかし、呉の盟主孫権の妹という肩書きがそれを許しませんでした。
私はそんなものに欠片も未練はありませんでしたのに…」
「レン…」
同じ女として、孫仁に思うものがあるのか茜の声には心痛がにじむ。
「その頃荊州で留守を守っていたのが関将軍でした。
関将軍は、私に良くしてくださいました。
呉の国自体はあまりお好きではないみたいでしたけど」
そう言って孫仁は微笑む。
「関将軍は、あの方のことを本当に大事に思ってらっしゃいます。ですから、あの方の敵を敵とし、あの方の守ろうとするものを守る。そういうところがありました。
もちろんだからといって関将軍が無知蒙昧にあの方を妄信していた訳ではないですが。
あの方が目指すものに向かってまっすぐ進めるように障害を排除し、後顧を憂うことがないようにあの方の大切なものを守ろうとしていただけです」
玄と関羽の付き合いは短いものだが、孫仁の言葉にはとても共感できた。
関羽はそれほど劉備の思想と人物に傾倒していたのだ。
「そして、私は結果的に関将軍の誓いにも等しいその思いを浅はかな行動で裏切る形になってしまいました。
あの方から留守中の荊州と私や阿斗殿のことを頼まれていたのに、結果として私は荊州を離れ二度とあの方の下へ帰ることは出来ませんでしたから…」
重苦しい空気が室内に満ちる。
確かに、結果として劉備を裏切った形になるのかもしれない。
しかし、親が危篤だと知れば会いに行きたくなるのが当然である。
むしろ偽計をもって人質になりかねない孫仁を取り戻そうとし、あわよくば後継者である阿斗をも手中にしようとした呉の参謀達こそが責められるべきだろう。
その辺を関羽はわかってくれるだろうか…
「会わせて頂けますか?関将軍に…」
ためらう玄に孫仁は微笑みながら言う。
「…わかりました」
玄は、大きく深呼吸をして覚悟を決めると自分のVS端末の電源を入れる。
すぐに液晶画面が明るくなり、画面の中で昨晩別れた時と同じ姿勢のまま不動の関羽が映し出される。
玄はボタンを操作し、投影モードに切り替えた。
ぱぁぁ…
と、白い光が広がった後、そこには関羽がいた。
ちょうど孫仁と正対する位置に胡坐をかいたような姿勢である。
「関羽、傷を癒してる最中にごめん。ちょっと話があるんだ」
関羽の目の周りは昨晩に比べ火傷の後は大分小さくなってきていたが、目を開けるのはまだ無理そうだ。
「…」
関羽は無言のまま動かない。
ただ、周囲に玄以外の気配があることがわかるらしく警戒からか空気が張り詰めている。
「…すごい…これが関羽雲長なのね…なんか大きい…」
玄が始めて関羽に会ったときのように茜もその存在感に圧倒されているようだ。
大きいというのも、身体の大きさはもとよりその存在感から来る言葉なのだろう。
「関羽、聞こえてるんだろ?大事な話なんだ。頼むよ」
玄がなんとか話を聞いてもらおうと声をかけるが、一向に関羽が動く気配はない。
見世物にでもされていると思っているのかもしれない。
「お久しぶりですね…関将軍」
どうしようかと考えていた玄の隣から孫仁の穏やかな声が響く。
「!」
ここへ投影されてからぴくりとも動かなかった関羽に初めて反応があった。
「その声、まさか…奥方か?」
「はい、仁でございます」
関羽は、むくりと立ち上がると孫仁の前に片膝をついて頭を下げた。
「お久しぶりでございます」
「そんな!関将軍、顔をお上げください。結果としてあの方の下を離れてしまった私などに礼を尽くされる必要はありませぬ」
孫仁は慌てて関羽の肩に触れて身体を起こそうとする。
「そうはいきませぬ。確かに奥方のなされたことは浅慮だったかもしれませぬ。
しかし、殿より奥方のことを頼まれていたにもかかわらずむざむざと呉の偽計に嵌まってしまったのはそれがしの責任」
想像していた状況と全く違う。
玄は半ばあっけにとられて成り行きを見守ることしか出来ない。
「そうではありませぬ!あれは私が悪いのです。あの方と長く離れ、心のどこかに寂しさや不安が募っていたのです。
そんなときに母の話を聞いて、つい会いたくなってしまったのです。
そして、関将軍に一言の相談もせずに荊州を飛び出してしまったのです」
「違いまする。
そのお気持ちに気づかなったことこそがそれがしの怠慢。
それが故奥方には辛い想いをさせ申した」
「おやめください!関将軍!いっそ責められた方がどれだけ楽か…」
孫仁が袖で顔を覆う。
呉の国に帰ってから以降ずっと胸のうちに溜まっていたものが、思いもかけぬ関羽の言葉に一気に溢れてきてしまったのであろう。
まだ関羽が激昂して、責め立ててくるのであれば覚悟は出来ていたはずだが、あの関羽が自分を労わり謝罪してくることなど夢にも思わなかったに違いない。
「奥方…なぜそれがしが奥方を責められましょうや。確かに殿と仲睦まじくされるお二人を見て、天下の志はどうした!と殿を責めたくなることもありましたが…
いきさつはどうあれ、殿が奥方を大切に思っておられたことはこの関羽承知しておりました」
「関将軍…」
「なればこそそれがしは、なんとしても守らねばならなかったのです。
そして、それがしは荊州までも失い…
結果として殿を…兄者を死地へと追い詰めてしまい申した」
玄は孫仁と同じように、関羽もまた深い後悔に苛まれているのだと始めて理解した。
玄の前では心を許さず、また武人として後悔を口にするなど誇りが許さなかったのだろうが、劉備の妻という孫仁の立場、そしてまた孫仁も後悔に苛まれていたという事実につい関羽も心情を吐露してしまったのだろう。
「玄…私、なんだか少しわかった」
「茜?」
隣にいた茜が声を少し震わせながら言う。
玄が茜へと視線を向けると目を潤ませながら茜が三国時代の二人の英雄を見つめている。
「あなたが言ってた『本当の戦い』の意味。武将の生き様を感じろってこと…」
「…そうだな。俺も武将の生き様なんて言ってただけで関羽達に出会うまで何にもわかってなかったんだと思ったよ」
「なんとかしてあげたいわよね…」
「ああ…」
「かなりやる気出たかも!」
そう言って、目元を拭った茜は沈黙していた二人の武将に向かっていく。
「はじめまして!関羽。私の名前は森崎 茜。
偶然だけどレンと組んでこのゲームという名の戦いに一緒に関わることになったの。
既に玄から少しは話を聞いてると思うけど、私達はあなたたちを何とか劉備さん達に会わせてあげたいし、こんな状態のあなた達をなんとかしてあげたいと思ってる。
そのためには目的が同じ者同士、助け合って行きたいの。
レンと関羽の二人に聞くわ。二人が同盟することに同意してくれる?」
こういうとき、玄は必要なことをためらわずに言える茜をうらやましいと思う。
「奥方?」
関羽は不躾とも取られかねないまっすぐな茜の言葉に孫仁を見上げる。
「関将軍、私も是非力を貸して欲しいと思っています」
「…わかり申した。この関雲長、今度こそ奥方をお守りし、我が殿と引き合わせて見せましょう。全てお任せあれ」
立ち上がって関羽が力強く頷く。
「お待ちください。関将軍…茜は同盟しようと言ったのです」
「?」
「私は生前の地位や女という身分を言い訳に関将軍にただ守ってもらうだけなのは嫌なのです」
孫仁が関羽を見上げてきっぱりと言い放つ。
「ですが、奥方」
「あの方と出会った頃の私に戻りとうございます。
そして、自らの力でこの戦いを乗り越えねばあの方に合わせる顔がございません」
「…わかり申した。奥方がそうまでおっしゃるのであれば、それがしもそのつもりでお助けいたします」
関羽は静かに頭を下げる。
「すみません。私などは後ろに隠れていた方が関将軍が自由に戦えるのは承知しています。
それでも私は、戦場に立ちたいのです。
弓腰姫と呼ばれていたとはいえ、それは周りが面白がってのこと、私の武芸など将軍達の足元にも及びません。迷惑をかけると思います。
ですが、私のわがままを助けてください」
孫仁の目は決意に満ちている。
少し前までの儚げな雰囲気はもはやない。
「承知」
関羽が頷くのを見て玄は内心で胸を撫で下ろした。
もっとぎすぎすとした場面を想像していただけに良い方向に予想が外れたことは嬉しい誤算だった。
「ヘルプ!」
「はいよ~!」
同盟の合意がなされたと判断した玄はヘルプを呼び出す。
「…まあ、別にいいけどね…おまえがどんな格好してようとさ」
のんきな声で現れたヘルプの顔には「三萬」と書かれ、雀牌の背中からは4枚の光る羽が生えている。
三萬の三の両脇にある黒い●が目のようだ。
「なに言ってやんでい!玄が妖精をうらやましそうに見てやがったからちょっとアレンジしてやったってのによ」
「ぷっ、玄の何それ」
滑稽なヘルプの姿に思わず吹き出す茜を故意に無視した玄は呆れた顔のままヘルプに告げる。
「はいはい、もういいから。
今ここで同盟を結びたいんだ。手続きをしてくれ」
「はいよ、同盟ね…って、ぬわ!」
虚空からメモ帳を取り出して普通に手続きに入ろうとしたヘルプの視界に関羽と孫仁の姿が目に入る。
「まじ?日本全国に100本しかないのにリアルで同じ場所に2人の武将が?
しかも、レン姫…ってか。玄の縁を結ぶ力とでもいうのかね~
面白くなってきたやん」
「あら?その呼び方…」
ぶつぶつと呟くヘルプの言葉を耳にした孫仁がぷかぷかと浮かぶヘルプに視線を向ける。
「お~しゃ!!さ、同盟すっぞ!同盟」
「な、なんだよ突然大きな声出して!わかったから早くやってくれよ」
孫仁の言葉を遮るようにメモ帳を振り回しながらヘルプが手続きの説明に入る。
「おう!同盟の手続きなんてのは、俺が申請すればそれで終わり。
それで、二人の勢力は一体化される。後はそれ以外の君主達に勝利すればいい。
二人がそれぞれ行ったことのあるエリアは共有されて全て到達エリアとして扱われる。
本来ならフィールドで出会うはずだから、二つのエリアは繋がるはずなんだが、リアルで同盟を結ぶなんて可能性は考えてなかったからな…多分飛び石で到達エリアが表示されるはずだ。だからフィールドで合流出来るのはそのエリア同士が繋がってからってことになる」
ヘルプが一気に同盟時の注意事項をあげていく。
「なるほど…現実世界でプレイヤー同士が出会う確率なんてほとんどないはずだもんな。でも、そうすると場合によっては孫仁も最初は一人で出陣しなきゃいけないことになるかもしれないな…」
玄はさっそく今後の行動について思考を始める。
「あとは、同盟者同士で協力して戦ってもいいし、いやになったら破棄もできる。だがその際はどっちかが行ってないエリアは到達エリア扱いじゃなくなるから気をつけな」
「でも、同盟する利点ってエリアを共有できるってことと一緒に戦えるってことしかないの?」
茜が疑問を投げかける。
「簡単に言っちまえばそうだ。だが、戦って勝利した武将を仮に仲間に加えたとしても、その能力値はかなり制限を受ける。
必殺技や術も使えなくなるし、ステータスも半分程度になると思っていい。だが、同盟なら武将の能力をフルに出して戦える。それは結構大きいと思うぜ」
「なるほどね…
それにしても玄のガイドは良くしゃべるうえに、随分なつっこいわね~格好も変だし」
「ふん!ほっとけ。
おい、玄!同盟するんでいいんだな?」
ヘルプの最終確認に玄は頷く。
「じゃ、締結するぞ」
そう言うとヘルプは取り出したペンで物凄い勢いでメモ帳に何かを書き込んでいく。
やがて、何かを書き込まれたメモ帳から粒子が溢れ出し関羽と孫仁を包み込んだ。
光の粒子はすぐ消えたが、特に二人に変わったところはない。
「終了だ。と、言ってもさっき言ったこと以外は変わらないけどな。
せいぜい、フィールドに出たときの名前の上に玄秋同盟って入るくらいだ」
「君主登録名の一文字目を繋げたのね。
どうせなら茜の方が…ってそんなことはどうでもいいことよね」
「だな。同盟した以上はなるべく二人で動いた方がいいに決まってる。
まずは二人がフィールド上で合流することが先決なんだけど…」
玄は茜の端末と自分の端末を操作してフィールドマップを呼び出す。
前回関羽が居たエリアが1マスと間に4マスを挟んだ5つ下のマスが光っている。
つまり孫仁のスタート地点はここだということになる。
1マスが10キロ四方となれば、距離にして40キロ以上ある。
フルマラソンなら3時間もあれば着くだろうが、フィールドは山有り、森有り、川有り、そして敵有り。
そう簡単に行き着けるものではない。
そして、茜の端末を操作して出した孫仁のステータス。
『孫仁(孫尚香)
体力 一〇〇
武力 四六
知力 六二
技能 武器 レベル 二
馬 レベル 四
指揮 レベル 一
術 レベル 三
風 レベル 三
水 レベル 四
必殺技 水花燕舞(術)
氷縛乱武(術・武)
特殊技能 孫呉の威光』
女性にしてはかなりの能力だと言える。
しかし、強い相手に当たってしまえばとても太刀打ちできるとは思えない。
孫仁の待機日数は3日。
3日あるとは言っても、ずっとフィールドにいる訳ではないし、そもそも明日の夜まで関羽の怪我は完治しない。
関羽が孫仁の待機時間内にそのエリアに到達出来るかどうかは微妙なところである。
「ちょっと待機のままで合流地点までは厳しいかもね…何時間かはフィールドに出る必要が出てくると思う。
レンの必殺技や特殊技能次第では戦闘も行けると思うけど…」
「そうだな、一度はフィールドに出てそこでの雰囲気と必殺技の試しうちをしておいた方がいいかもな。
短時間の出陣でも待機時間は結構回復するから、なるべく戦闘を避けて早めに戻るようにすれば…」
「関将軍。お願いがあります」
玄と茜が合流までの方法についての検討を続けていると孫仁が口を開いた。
「何でしょう奥方」
「私に稽古をつけてくれませんか?」
「む…」
孫仁の眼は本気であり、関羽もその決意を雰囲気から感じているようだ。
「しばらく剣を握ってなかったものですから、勘が鈍ってると思いますので」
「しかしですな奥方…」
関羽にしてみれば大切な主公の伴侶である。実際の戦闘になど出したくは無いのだろう。
「将軍、今の玄殿や茜の話を聞いてらっしゃらなかったのですか?
関将軍とあちらの世界で合流するためにはいくらかの時間が必要になる様子。
その間は私一人でその世界で生き延びなければなりません。
そして生き残るためにはやれるだけのことをしなければならないのです」
「ですが…」
孫仁の決意はもっともであり、その覚悟も潔い。しかし、関羽の渋面は晴れない。
「まだわかりませんか?」
孫仁がふっと息を吐いて微笑んだ…と思った瞬間。
ひゅん!
「え?」
茜の間の抜けた声が部屋に響くよりも早く事態は動く。
孫仁が今までの優しげな雰囲気とは一変して素早い抜き打ちで関羽に切りかかったのだ。 関羽は眼が見えないにも関わらず、喉下を薙いできた孫仁の刃を軽くスウェーして避ける。
「やはり、関将軍はお強い。私の全力を見てください!」
孫仁は一歩引いた形になっている関羽に素早く踏み込むと、下から剣を振り上げ関羽の足元から股間へと切り上げる。
「ひゃ!」
間近で真剣が振られるという異常事態に動転した茜が意味も無く避けようとして倒れこむ。
「む!」
関羽は切り上げを更に1歩引いてかわす。
「わたくし、剣を握ると少しだけはしたなくなりますわよ!」
かわされた剣の勢いを殺さぬまま更に間合いを詰めそのまま剣と同じ軌道で関羽の股間を蹴り上げるべく左足が伸びる。
「……」
関羽は無言のまま膝を寄せ、孫仁の蹴り足を止める。
孫仁は止められることは承知のうえだったらしく、今度は止められた足で体の流れを抑え、切り上げた状態の剣を1テンポ早く振り下ろすことに成功。
大上段から関羽の頭上を狙う。
蹴り足を止めるために膝を寄せた関羽はフットワークで避けることは出来ない。
「ふん!」
関羽はそうと悟ってか、振り下ろされた剣の腹を右手の平で優しく叩く。
剣はそれだけで関羽の頭どころか肩の位置よりも逸れ、床へと叩きつけられる。
そこには倒れこんだ茜と玄が…
「きゃぁ!」
茜が避ける動作すら取れずに小さな悲鳴を上げて目を閉じ何かにしがみつく。
しかし、剣は茜をすり抜けて行き、その勢いで身体ごと前に回転した孫仁が浴びせ蹴りで関羽の頭部を蹴り下ろす。
関羽は右手の甲でその蹴りを受け止めると、逆に力を込めて押し返した。
孫仁はその力に逆らわずに、身体を反って今度は後方へ一回転して間合いを取った。
とても、女性の動きとは思えない。
素早く柔らかい動きが止まることなく、一つ止めてもその動作がまた次の攻撃へ繋がっていく…
裾や袖口の広い服装ではかえってその動きを阻害しそうなものだが、大きな動きに袖や裾は広がり、相手の視界を幻惑し、自分の急所をわかりにくくしている。
今の関羽は目が見えていないため、惑わされることはないだろうが、対戦した相手は戦いにくいだろう。
「落ち着け、茜。関羽達の攻撃が俺達に当たることはないから。
むしろ、彼らの動きにこっちが過剰に反応しちゃう方がどっかにぶつかったりして危ないんだ。さっきも孫仁の剣はすりぬけたろ」
「う、うん…」
おそるおそる顔を上げて目を開けた茜の視界では関羽と孫仁が向き合っている。
「それに…ちょっと苦しい」
「え?」
玄の声が下から聞こえる。
上げていた顔をもう一度下に向ける。
「わ!ななな、なんで玄が私の下にいるのひょ!」
「ひょ!じゃない。自分からぶつかってきておいて…兎のぬいぐるみとでも間違えたんじゃないのか?」
「あ、あはあは。そそそ、そうかもね。ごめんね、びっくりしたでしょ」
慌てて玄の上から下りた茜が顔を真っ赤にしている。
「ま、まあな…とにかく落ち着いてくれ。絶対俺達が傷つくことはないから」
「わ、わかった」
玄は茜の頭を優しくポンポンと叩くと、対峙したままの二人に視線を向けた
「孫仁!その辺にしてくれ、関羽はまだ目が見えないんだ、間違って怪我でもしたら…」
「玄殿?それはとんだ思い違いというものでしょう。今の攻防が見えていなかったのですか?相手はあの関将軍ですよ。私ごときを相手に目が見えないくらいではさしたる障害にはなりません」
孫仁は嬉しそうに微笑むと剣を握りなおし再び間合いを詰める。
今度は態勢を低くしての足元への横なぎの斬り。
関羽が一歩下がるとさらにその勢いのまま身体を回して右足で足を払いに行く。
「!」
関羽は今度は軽く宙に跳んで蹴りをかわす。
「宙ではかわせません!」
跳んで逃げるしかないことを読みきっていた孫仁は宙に跳んで逃げ道のない関羽を腰につけていた小弓で素早く矢をつがえ、一番よけにくい胴体の中央を狙い迷わずに射った。
容赦のない至近距離からの一撃。
「ふっ!」
しかし、関羽はその矢すら空中で掴み取って見せた。
「うそ!」
茜の驚愕の声。
無理も無い。
玄も今の攻撃は関羽に命中すると思った。それ程計算された攻撃だったのだ。
なのに、孫仁の攻撃は終わらない。
孫仁は自分が射った矢の結果を確認もせずに弓を投げ捨て再び剣で関羽の着地を狙って裂帛の突きを繰り出す。
タイミング的に着地してからの回避は間に合わない。
いつ見ても関羽の動きは玄の常識では考えられない動きをする。
このときの関羽は孫仁の突きに対し、避けられないと察するや、先ほど掴み取った矢の鏃で孫仁の渾身の力のこもった剣をはじいた。
そして、体勢を崩した孫仁の袖口をそっと掴んでふわりと投げたのである。
もちろん、そんな投げでどうにかなる孫仁ではなく優雅に着地を決める。
そしてほつれた髪をさっと直すと妙にすっきりとした顔で微笑む。
「やはり、全くかないませんでしたね」
「いえ、この関羽。正直奥方をみくびっておりました。その動き、戦術いささか我流の感はあれど、ひとかどの武将に劣らぬものでござった」
関羽の声もどこか清清しい。先日の敗戦でもやもやしていたものが孫仁との打ち合いで解消されたようだ。
「ただ、最後は突きではなく、もう一度流れのある技を仕掛けるべきでしたな。
奥方の技は変幻自在の動きと円の動きによる連続攻撃。相手に手傷を負わせ、本当に止めをさせると確信出来る時以外はうかつに動きに隙の多い技を使うべきではないと思います」
「はい、それをお教えください」
「む!」
関羽はにっこりと微笑んで言った孫仁にすっかり乗せられたことに気づいて苦笑する。
「…致し方ございますまい。お引き受けいたす。確かに、奥方と合流するまでは何があるかわからぬゆえ、護身の術は必要です」
「ありがとうございます。関将軍」
なにやら落ち着いた感じの二人を見て、大きな溜息をついた玄はヘルプに問いかける。
「この二人が、訓練をするためにはどうしたらいい?」
「ん~、そうだな。端末がこうして二つあるならさっきみたいに投影モードでやる方法が一つあるな」
さっきまでの二人の暴れっぷりを見て、それでいいと言う人はそうはいないだろう。
「かんべんしてくれ…」
「普通はフィールド上で訓練なんだがな…」
未だエリアの繋がっていない二人には選択できない方法である。
「しゃ~ないな…特別に倍率を変えてやるよ。玄だけの特別サービスだぜ。ただ、端末は同じ場所に2台必要になるからな」
「そっか…じゃあ、今日はここに俺の端末を置いていくよ。孫仁と話したいこととかもあるかもしれないし。
音は消せばいいけど、二人が動いてるのは見える訳だから落ち着かないっていうなら俺が預かって帰るけど…」
ヘルプの言葉にちょっと考えた玄は、茜に提案する。
どちらにしろ関羽は明日までは身動きが取れない。どちらの家にあっても同じことだ。
「私はそれでいいわよ。さっきまでの様子を見ると、訓練三昧で話をする時間もあるか分からないけどね」
「そっか、じゃあいろいろばたばたして悪いけど頼むな。
明日の放課後にはまた寄るから」
「関羽、そういうわけで二人の訓練のために、今日はここにいてもらうこと
になったから」
「よかろう…だが、玄よ。勘違いするなよ、今回の同盟はそれがしと奥方の同盟。おぬしのことを認めたわけではないぞ」
関羽の威圧感のある声に玄は毅然と胸を張る。
「分かってる。俺達の賭けはまだ終わってない。明日…俺のことを認めさせてみせるよ」
「ふん」
関羽は玄のその姿に口の端だけで笑むと孫仁と訓練のための話に戻っていった。
「ヘルプ!頼む」
「あいよ~」
気の抜けたヘルプの声と同時に関羽と孫仁は徐々にその縮尺を縮めていく。
そして最後は、指人形くらいのサイズまで小さくなった。
これで音を消せば、二人が激しく訓練をしていてもさほど気にならないだろう。
「玄、さっき関羽さんが言ってたのって?」
さっきまでの経緯の説明の中で、玄は関羽との賭けのことまでは触れてなかったので、なにやら緊迫感のあった今のやりとりに何かを感じたのだろう。
「ん…俺と関羽の同盟の話」
「え?同盟って玄と関羽さんで?」
玄は苦笑して頷くと、関羽との賭けの経緯を説明した。
「なるほどね…確かに、何万って兵士を統率して、一つの州を統治してたような人が、私達みたいな子供にあごで使われるような対応に納得できるわけないものね。
その点、レンは女の人で戦場には出てなかったから使う使われるの認識が薄いのかも…
だから私とも比較的簡単に友人という立ち位置を受け入れてくれたのね」
「本来ならそんなの関係なく、VSで操作してしまえばいいんだけどね…
実際そうしてるプレイヤーの方が多いと思うよ。その人たちはこれが良く出来たゲームだと思ってるんだから」
玄は天井を仰いで溜息をつく。
このゲームを入手してから溜息の回数が増えたことを本人は気づいていない。
「そうね…でも、だからなんとかしてあげたいんでしょ?」
「うん…」
「しっかりね」
「おう、任せとけ」
そう言って二人は顔を見合わせて笑う。
コンコン
「わ…びっくりした。母さんかな?どうぞ」
控えめなノックに茜が返事をするが、一向にドアが開く気配が無い。
「?どうしたんだろ。母さん?」
茜がよっこらせと立ち上がって、ドアを開ける。
「きゃ!びっくりした。あかねちゃん、急にドアを開けるときには一言断ってくれなきゃダメじゃない」
茜の母が麦茶とお茶菓子を乗せたお盆を手に扉の向こうで固まっている。
「う~ん、母さん。それ、意味わかんないから。ノックしたのは母さんだし」
「あら、そうだったかしら。おほほ…
それよりあかねちゃんもう服は着たの?
お母さん、うっかり開けちゃまずいと思ってずっと待ってたんだけど…決して盗み聞きしようとか思ってたわけじゃないのよ」
茜の顔がみるみる赤くなり、ぷるぷると手が震えだす。
「か・あ・さ・ん!一体『な~に~を』想像して『な・に・を』心配してたのかしら?」
「あかねちゃん!そんなことお母さんの口から言える訳無いでしょ。もう少し常識で考えなさい」
真顔で茜に注意をしながら、すたすたとお盆を円卓において、部屋を出て行こうとする茜の母…
その脇で、もはや全身にまで震えが広がっている茜。
羞恥半分、怒りが半分。
ただし、許容量は限度をとっくに突き抜けている。
「じょ、じょ…常識がないのは………
おまえじゃ~!!」
完全にぷつんと来た茜は母親のふくよかなボディに容赦ない一撃を加える。
「ほほほ…照れない、照れない」
しかし、ふくよかボディは完全に衝撃を吸収したようだ。
まあ、吸収されるとわかっているからこその容赦ない一撃なのだろうが。
「あ、玄くん。うちの子に遊びで手を出したらダメよ」
「母さん!!」
茜の叫びをほほほ…と受け流しながらスリッパの音が階段を下りていく。
肩で息をしながら母親を見送った茜が扉を閉めようとして、溜息をついてやめた。
いらぬ誤解を受けぬよう開けたままにするつもりなのだろう。
「ほんとにもう!母さんが変なこと言うから!」
「まあ、あそこまで飛躍してボケてくれるとちゃんと冗談だってわかるからまだいいんじゃないか」
玄が笑いながら言う。
茜の家族ともそこそこ長い付き合いになってきたが、茜の両親はざっくばらんな性格でその手の下ネタに分類されるような話も結構出てくる。
もっともあの、明るい性格で言われるので変ないやらしさはなくさっぱりと面白い話で終わる。
「冗談にもほどがあるわよ!」
まだ怒り収まらぬ茜の語気は荒い。
母の言葉にそんなシーンを妄想してしまった自分に対する羞恥を怒りに転化しているかのようである。
「落ち着けよ。とりあえず、俺が今日来た最大の懸案は落ち着いたしせっかく来たんだからな、ひと勝負しようぜ」
玄が茜の部屋にあるゲーム端末を指差す。
「ふふん?いいわよ。今日こそ負けないわよ~何から勝負する?
ストモン?(ストリートモンスターズの略。格ゲー)
カチンコ?(カチカチ。パズル系落ちゲー)」
玄の言葉に不敵に微笑んだ茜は腕を組んで玄を見下ろす。
「ストモンで勝負。俺はグリフォンを使う」
「甘いわ玄。勝負の前にキャラをばらすなんて、私は伯爵を使うわ」
「あ、きったね!相性最悪じゃねぇか。まぁちょうどいいハンデかな」
「言ったわね!見てらっしゃい」
「あらあら、やっぱりあの二人は色っぽい会話とは無縁なのかしらね~。せ
っかくちょっと盛り上げてあげようと思ったのに」
茜の母は笑いながら台所へ向かう。
ドアを開けてあるせいで階下まで聞こえてくる二人の白熱した声が妙に微笑ましかった。