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三国志~武幽電~  作者: 伏(龍)


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往生

 ドドド…


 鈍く低い音が玄の部屋を埋め尽くしていた。


 実際には全て映像のため部屋は全く揺れてなどいない。


 にも関わらずその光景から身体が揺れを感知しているかのような錯覚すら感じてしまう。



 張飛1人を確実に倒すためだけに許チョが仕掛けた罠はそれほどに大がかりだった。


 裏を返せばそれだけ許チョは張飛を危険視していたのだろう。


 だが、そこまでしてでも曹操の下に帰ろうとする許チョの執念はもはや妄執と言っても良い。


 玄はそんな許チョにうすら寒いものを感じてしまう。


「関羽…」


 許チョの執念が結実した目の前の光景を見て不安に駆られた玄の小さな呟きに隣にいた茜がそっと手を握ってくる。


「…玄、あれじゃ関羽さんほとんど隠れられてないわよね。


 大丈夫かな?」


「分からない、関羽が視界から消えてライフゲージも今は見えないから」


 茜の問いに小さく首を振って答えながら、頭の中では『普通に考えればあれだけの質量が押し寄せてきたら人間などひとたまりもない』と考えてしまう自分に何度も大丈夫だと言い聞かせていた。


 壁際に寄っていたことで多少は勢いが軽減されているはずであり、緩やかに土砂に飲み込まれてくれていてくれれば衝撃によるダメージは少なくて済む。


 であればむしろ地中に埋め込まれたままだということの方が危険かもしれない。


 そうであるならば土石流が落ち着き次第、すみやかに救出作業に取りかかる必要がある。


 そう考えた玄は茜へと問いかける。


「孫仁達は?」


「うん、大丈夫。


 早めに気づいたおかげで3人とも安全な場所まで離れられたみたい」


「そっか…ホウ統」


「は、はい」


「状況が落ち着いて土砂の危険が無くなったらすぐに悪来達と関羽の救出を頼む」


「わ、わかりました」


「おう!まかせとけ。


 …まあ、あれを掘り起こすのはちょっとしんどそうだけどな」


 大きな流れは止まりつつあるが、未だにもうもうと土煙を上げ続けるその光景はつい先ほどまでのものとは一変してしまっている。


 山間とは言え広々とした平地だった場所は今や大量の木石が混じった土砂で埋め尽くされ荒れ地になっている。


「玄殿、そちらから安否だけでも確認は出来ないのでしょうか?」


「…ちょっと待って」


 孫仁の問いかけに玄は手元のVSを操作して視点を切り替えていく。


 部屋の中の景色が土砂の方に向かってぐいっ!ぐいっ!と動くがあるラインを超えたところで真っ暗になってしまった。


「土砂の中まで入ると見えない…か。


 関羽!関羽!聞こえる?


 無事だったら返事して!」


 ………


 暗闇に向かって玄が叫ぶがあの頼もしい関羽の声は返ってこない。


「馬超!馬超!大丈夫なの!」


 玄の声の合間に武仁が馬超に呼びかける声も聞こえてくるがやはり返事はない。


「やっぱり駄目みたいだ。


 水の中と違って土の中じゃ視界が効かないから何も見えない。


 でも、会話ならどんな状況でも成立するはずなのになんで返事がないんだろう…」


「土に、う、埋まったことで口が開けないのかもしれません」


 確かにホウ統の言うように関羽自身が話せる状況になければ返事がないのも頷ける。


「とにかく、ゲームオーバー的な表示はされてないし、私と玄徳水さんの同盟も解消されてないんだから関羽さんはまだ無事のはずじゃない?」


「そっか…確かに」


 茜の説得力のある言葉に玄は気力を取り戻す。


「それなら話せないだけでこちらの会話は聞こえてるかもしれない。


 こっちの様子はなるべく声に出して伝えよう」


「そうよね、助けがくることが分かってた方が頑張れるはずだもんね」


「あ、あの…げ、玄殿。


 そろそろ頃合いかと」


 戦場を注視していたホウ統の声に玄も周囲を見渡す。


 すると確かに土石流の動きは完全に止まっていた。


 砂煙はまだ僅かに舞っているが足場がしっかりして新たに土砂が襲ってくる危険がなければ十分である。


「よし。


 じゃあ関羽達の真上まではこっちで誘導するから救出の方は頼む」


 VSの視点を操作すれば自分の相棒である武将がどこにいるのかは分かる。


 少しでも救出を速やかに行わなければならない今の状況で場所が特定出来るのは非常に有り難い。


「はい。


 では参りましょう。悪来殿」


「おう!


 現場までは二人とも俺に乗んな。

 

 この足場じゃ姫さんはともかく軍師は危なっかしいからな」


 そう言ってその場で膝を折る悪来。


「ではお言葉に甘えましょうホウ統軍師殿」


「は、はい。


 助かります」


 孫仁は危なっかしくホウ統が悪来に跨るのを見届けると自らは軽やかにホウ統の後ろへと跨る。


「いくぜ!玄、案内しな」


「了解、まずは正面に見える逆さまになって刺さってる樹に向かって」


「おう!」


 そう言って走り出す悪来。


 しかし、さすがの悪来でもそう素早く動くのは難しい。


 それでも悪来は足下も柔らかい上に起伏や障害物も多い悪地形を確実に前へと進んでいく。


 これは、今となっては大分四つ足に馴染んできている悪来だからこそだろう。


 もしホウ統が自らの足でここを歩けばその歩みは遅々として進まず貴重な時間を無駄にした可能性が高い。


 戦場慣れした悪来の好判断だった。



「よっと、この辺か?」


 玄の指示の下、悪地形を走破した悪来の言葉に玄は手元のVSを操作して視点を後ろ視点から横視点へと手動で動かす。


 すると、玄の視界は確かに悪来を中心に回っていく。


「うん間違いない。


 その下に関羽がいる」


「おっしゃ!


 じゃあやろうぜ」


 悪来は威勢良く嘶くと前足を使って地面を掘り起こしていく。


「レン、初期装備の剣は折れたりしないからそれを使った方がいいんじゃない?」


 茜の言葉に頷いた孫仁も2本の剣を地面に突き刺して土を掻き出す。


「ホウ統。


 ホウ統は降伏武将扱いで力が半減してるから二人の掻き出した土をどかす方向で手伝った方がいい」


「は、はい。承知しました」


 ホウ統も自分が手を出せばかえって邪魔になることは理解していたのだろう。


 素直に頷くと孫仁が掻き出した土を運び始める。


 誰もが無言で作業を続け土を掘り返す音だけが繰り返される。


「…これって」


(時間がかかりすぎる!


 みんな頑張ってくれてるけど悪来は馬だし孫仁は女の人だ。


 それにまともな道具もない…


 いくら疲れないとは言ってもこれじゃあ間に合わないかも知れない)


「駄目よ玄。


 みんな今できることを必死でやってるんだから」


 玄の呟きと内心の動揺に近くにいた茜が気づいたのだろう。

 

 武仁や武将達に気づかれないような小さな声で玄をたしなめる。


「…分かってる」


 そう言って玄は悔しげに頷く。


 ずっと良い方法がないかを考え続けているのに全く良案が出ないのだ。


 そうであるならば今3人が必死でやっている作業に水を差すようなことは言うべきではない。


 何も対策を思いつけない自分に対しての苛立ちを表に出したところで何一つ事態が好転しないのはわかりきっている。


「茜!」


 玄のそんな状況を打ち破ったのは孫仁の呼びかけだった。


「どうしたのレン!


 関羽さん達が見つかったの?」


「いえ、それはまだだと思うのですが…


 今、地面が動いた気がしたのです」


 孫仁の言葉には珍しく戸惑いが感じられた。


 孫仁は玄の口ぶりから関羽達が確認出来るまでには最低でも3、4メートルは掘り下げる必要があると思っていた。


 だが孫仁達が掘り進めたのはまだせいぜい30、40センチ程度である。


 さらにこの世界に猛獣以外の動物や虫等がいないことも今は理解している。


 であるならば土中が不自然に蠢く理由が思いつかない。


「関羽達のいる深さにはまだ全然到達してないはず。


 じゃあ何が?


 孫仁、何かが崩れたとかじゃなくて本当に動いたの?」


「はい、確かに。


 ほら!また」


「お?ほんとだ。こりゃ、間違いないぜ玄。」


 近くで見ていた孫仁と悪来が言うのであれば何かが動いていることはもはや間違いない。


「分かった。


 もしかしたら何らかの方法で関羽達が出てきてるのかもしれない。


 うっかり関羽達を傷つけないように慎重にその周りを掘ってみて」


「分かりました」


「となると俺はあまり手を…じゃなくて足を出さない方がいいな」


 確かに悪来の体重で土を掘れば仮に関羽達が下から掘り進めていた時としてもそこを崩してしまいかねない。


 一歩下がった悪来と視線を合わせて頷いた孫仁は両手の剣を慎重に今動いた辺りの地面に刺してゆっくりと手首を返す。


「あ!


 確かに少しだけ土がうねった」


 注意深く作業を見守っていた茜も声を上げる。


 孫仁が掘り返した穴の底でゴルフボールほどの大きさの土が僅かに波打っている。


「人がいるならもっと大きな動きになりそうだけどね…」


 憎まれ口を叩く武仁だがその口調は不安が半分と期待が半分である。


「孫仁、手でそこを掘れるかな?」


「ちょっと玄徳水さん。


 危険はないの?」


「茜、今はそんなこと言っている場合ではありませんよ」


 心配してくれる茜の気持ちを嬉しく思いながらも孫仁は躊躇わずに素手で土を払っていく。


「そ、それならば私も手伝えます」


 状況を見守っていたホウ統がすかさず孫仁の反対側へと回って座り込んで土へと手を伸ばす。


「ありがとうございますホウ統軍師」


 筆しか持ったことがなさそうな白く小さな手で懸命に土を掘るホウ統に微笑みながら孫仁も手を伸ばす。


 二人が一心不乱に土を掻き出していると徐々に地面が蠢く頻度が増していく。


 やがて絶え間なく動きを見せるに至って二人は自然と手を止める。


 そして静かに成り行きを見守っていると何かが土の下から現れ、プシュッという音を立てた。


 突然の事態にも警戒を怠っていなかった孫仁はすぐさまその場から飛び退く。 


 ホウ統も警戒はしていたし、目でも見えていたが身体の反応がついて行かなかったため孫仁よりも1拍ほど遅れて尻餅をつきながらじたばたと後ずさる。


「何だこりゃ?」


 離れた二人とは対照的にゆっくりと距離を詰めた悪来が掘り出されたものを見て呟く。


 玄もVSを操作して孫仁とホウ統が掘り下げた穴の底を覗き込む。


「…黒い筒?」


 茜が首をかしげながら呟く。


 確かに土から僅かに見えるそれは、細長い筒の先に見える。


 状況だけを繋げて考えれば土の下にいる関羽達がそれを使って脱出を試みていると考えるのが妥当だが土の下にいる関羽達は3メートルを超える筒のような道具は持っていない。


「おい、軍師。


 座ってないでこれ見てみろ。なんかしゅうしゅう言ってるぜ」


「は、はい!」


 悪来に声をかけられて立ち上がったホウ統が筒に近づいておそるおそる手を近づける。


「た、確かに空気が出ています…というよりまるで呼吸をしているかのように排気と吸気をしています」


「ホウ統軍師!ということはこの下で関将軍達が生きているということですね」


「はい」


「でも…その筒っていったい何なのかしら?


 関羽さん達はそんなアイテム持ってなかったわよね。


 馬超さんは持ってたのかしら?」


「いや、馬超もそんなアイテムは持ってなかったよ」


 茜の疑問に武仁が答える。


「い、いえ…おそらくこれはだ、誰の持ち物でもありません。


 そ、そうですよね?蔡瑁殿」


「!!」


 黒い筒に向かって問いかけるホウ統の言葉に孫仁、悪来、玄、茜、武仁その場にいた全員が息を飲む。


 黒い筒はしばし躊躇うように蠢いた後、その表面に小さな顔を浮き上がらせた。


 その顔は縮尺こそ大分小さいが紛れもなく蔡瑁だった。


『ふん…そんなことはどうでもいい。


 私の気が変わらぬうちに下の奴らを早く掘り出せ』


 小さな顔の蔡瑁が吐き捨てるように言う。


「そっか…確かに蔡瑁のことなんかすっかり忘れてた。


 でも蔡瑁が関羽達を助ける理由なんてないはずじゃ」


「今は良いではないですか玄殿。


 それよりもこの機に関将軍達を早く助ける方が先です」


『土が固いうえに深く埋まりすぎていて空気穴を確保するのが精々だ』


 孫仁の言葉に軽く鼻を鳴らして現状を説明する蔡瑁。


 今の蔡瑁は一言で言えば『不定形生命体』である。


 それ故にありとあらゆる形に変形出来るがその総体積は身体を構成するエネルギー量に比例する。


 そして既にエネルギーの源である張飛の体力を張飛の協力により限界まで分け与えられているため消耗により小さくなることはあっても増えることはない。


 だから、もし蔡瑁が土中で関羽達を包み込むように変形しているとすればそれだけで身体のほとんどの部分を使ってしまっているはずである。


 そこから脱出のために割ける身体ではどんなに無駄なくフル活用して細く長く伸ばしても僅かに地表に届かなかったのだろう。


 その僅かに足りなかった分を孫仁達が掘り起こしたのだ。


『私の周りの土を柔らかくして除けろ。


 そうすれば私の方でも土を押しのけてやる』


「はい、感謝いたします蔡瑁殿」


 蔡瑁の提案に笑顔で頷いた孫仁は2本の剣を地面に何度も突き刺していく。


 突き刺した剣で土がほぐれると今度は内側から蔡瑁が自らの身体を変形させてその土を押しのける。


『ホウ統と馬!お前らもぼけっとしてる暇はないぞ。


 その辺の木を使って馬に引かせろ』


「な、なるほど!


 悪来殿!力を貸して下さい」


「おう!もちろんかまわねぇが何すりゃあいいんだ」


「はい!えっと…あれですね」


 辺りを見回したホウ統は土砂からはみ出していた木の一つを指さす。


「奥方様。


 あの木の太めの枝を付け根から落として下さい」


「はい」


 孫仁はすぐさま木へと駈け寄って一閃。


 落とされた枝の両端ににホウ統は自らの上衣を手早く脱いで袖を結びつけていく。


「悪来殿。


 ここには道具がな、ないので尾を失礼いたします」


 小さく頭を下げたホウ統は悪来の尾と自らの上衣の裾を固く結ぶ。


 そしてその枝を穴の底へと置いた。


「悪来殿、お願いします」


「なるほどな。任せとけ!」

 

『待て!それでは重みが足りぬ。


 ホウ統、お前が枝に乗れ』


 枝を引こうとした悪来を呼び止めた蔡瑁が更に指示を出す。


「ですが、それでは悪来殿の尾が…」


「構わねぇ!乗れ!」


 悪来の言葉に渋々頷いたホウ統はおそるおそる枝に乗る。


 そうすることで枝は柔らかくなった土へと沈んでいく。


「いくぜ」


 悪来がかけ声と共に1歩を踏み出すとその枝が柔らかくなった土をごっそりと拾う。


 専用の道具ではないため、こぼれてしまう土も多いがそれでも手を使って掻き出すのとは比べものにならないほどの量の土を穴の外へと運び出せる。


「こいつはいいぜ!」


「さ、蔡瑁殿は肥沃な荊州を事実上治めていた方です。


 治水や開墾の知識が豊富なのです」


『ふん!政治や軍事に関しては凡夫もいいところだがな』


 嫌みのないホウ統の賛辞に悪い気はしないのだろう。


 憎まれ口を叩きながらも土を押しのけるペースが僅かにあがる。



 そうして時折飛ぶ蔡瑁の指示に従いつつ全員が黙々と作業を続けることしばし。


 黙々と土をほぐしていた孫仁の剣が固い手応えを返す。


『よし、そこが元々の地面だ。


 ここから先は張飛が作らせた堀の部分だ』


「結構あったわね…


 レンの姿が見えなくなるくらいは掘り下げたものね」


 実際に掘ったのは1メートル程だろうがすり鉢状に掘った土を穴の周りに積み上げているため穴の底は更に深い。


「ああ、関羽達を守ってくれたこともそうだけどこの掘り返す作業だって蔡瑁の指示がなきゃまだ半分も終わって無かったと思う。


 関羽達に厳密な意味での呼吸が必要かどうかは分からないけど、多分土中にいることの継続ダメージは発生したはずだから…」


「間違いなく馬超達は死んでただろうね」


 そう考えればもともとはやっかいな寄生虫扱いだった蔡瑁に操者である玄、茜、武仁も感謝せざるを得ない。


『よし、ここからは私がやろう。


 お前達は土を運び出す作業を続けろ。


 穴の上に積んである土も崩れてきたらやっかいだからな。


 穴の周囲からは遠ざけておけ』


 そう指示を出した蔡瑁は自らの身体を蠢かせ土を掘り返していく。


 どうやら薄く伸ばした身体の一部を土中に差し込みそのまま持ち上げて切り出していくつもりのようだ。


 穴が掘り下げられ自分の自由になる身体量が増えたことと、元々の地面にある程度の固さがあるため四角いブロックのように土を切り出せるのだろう。


「わ、わかりました。


 奥方様、穴の上の土の撤去をお願いしてもよろしいですか」


「はい。お任せ下さい」


 孫仁は頷くと軽やかに斜面を駆け上っていく。


「悪来殿、私たちは蔡瑁殿が掘り出した土を運びます」


「おうよ!」


 蔡瑁の作業は機械のように正確でみるみる間に四角い土の塊を積み上げていく。


 その塊を悪来と協力して運び出しながら関羽達の救出を間近に感じホウ統は小さく安堵の息を漏らす。


 あの状況から関羽と張飛双方を確実に助け出す方法を結局最後までホウ統は見つけ出すことが出来なかった。

 

 類い希な眼のおかげで関羽に僅かに遅れて堀へと飛び込んだ黒い影には気づいていたが蔡瑁が関羽達を助けるために飛び込んだのかどうかは分からない。


 仮に助けに飛び込んでくれたと都合良く考えたとしても本当に助けられるのかどうかの判断も全くつかない状況だった。


 つまりホウ統は許チョの策に気づくのが遅れ関羽達を危難に遭わせただけではなく、その後の対応についても全く役に立たなかったということだ。


 結果として蔡瑁がホウ統の期待をこれ以上無いほどに良い方へ裏切ってくれたため事なきを得そうだが自分自身への至らなさに対しては強い自己嫌悪を感じていた。


(何でしょうか。この嫌な感じは…


 何か重要なことを見落としているような…)


 ホウ統は救出作業中ずっとぬめりとした不安を感じていた。


 しかし、ここまで救出が間近になった今もその不安が拭い去れない気がするのだ。


(いや…自らの力の無さを『言い様のない不安』というそれらしい言葉に置き換えて言い訳しているだけです。


 軍師として自分の非力を反省することはあっても責任を転嫁することは許されません)


 ホウ統はその不安を自らの自己嫌悪の感情から来るものだと無理矢理思いこんだ。


「ホウ統!ぼぅっとしてんなよ。


 次に行くぜ」


 穴の上に土を運び終えた悪来の活気に満ちた声が響く。


「は、はい!わかりました!」


 結局ホウ統は自分自身が感じた直観ともいうべき感覚を信じることが出来なかった。




『やっとか…なんとか間に合ったな』


 細いため息を漏らしながら蔡瑁が小さく呟いたのは土を切り出し始めてから15分ほどが経っていた。


 孫仁達の目の前には蔡瑁が造り上げた階段状のトンネルがある。


 蔡瑁が土を切り出す際に中の関羽達が登りやすいようにしたのだろう。


「関将軍!」


 その階段の出口を見つめていた孫仁が安堵の笑みを浮かべながら叫ぶ。


「関羽!よかった…」


 一拍ほど遅れて関羽の頭部が階段の下から徐々に見えてくるのを確認した玄もようやく肩の力を抜いた。


 ゆっくりと階段を上りきり数時間ぶりにその姿を見せた関羽は全身土まみれになりつつも毅然と微笑んでいる孫仁を見て僅かに眉を動かす。


 そして,孫仁の前で地に片膝を着けると深々と頭を下げた。


「心配をおかけ申した」


「はい。無事でなによりでした。


 張将軍もご無事なのですね」


 関羽は顔を上げると僅かに口角を上げ頷く。


 その表情は僅かではあるが、いつも厳めしい顔をしている関羽が湧き上がる気持ちを素直に表したものだろう。


「関羽さん…嬉しそう」


 関羽の気を損ねないように玄の耳元で囁く茜に玄も頷く。


 これでやっと関羽と共に戦ってた目的の一つが達成出来る。


 そう思いVSを購入してからの濃密な時間を思い返した玄は関羽と出会ってからまだ2週間しか経っていないことに気づき驚愕する。


(その何十倍も戦い続けてきた気がするのに…)


 毎日を平々凡々と過ごしているとある日振り返った時に思い返せる出来事などが少なく、長い時間も本当に僅かな時間だったように思えることがある。


 だが、何かに真剣に向き合って過ごした日々は例えその時間が短かったとしてもその数倍もの人生を生きたような気がするものだ。


 玄はそんな主観的な感覚の誤差について昔考えてみたことがある(考えるに至った動機は好きなゲーム達を最大限楽しむためにはどうしたらいいかといういかにも玄らしい動機だが)。


 そのとき玄が何となく至った結論はこうだ。


 日々を普通に真面目に過ごした時に消費する精神的・肉体的なもの全てを含めた全『パワー』を1としてこれを体感1日と定義。


 もし1日をだらだらと0.5パワーで過ごしたとしたら後から感じる体感は半日分。


 1日を一生懸命生きて2パワーを使って生きたらそれは2日分の体感時間を得られるのではないかということである。


 それ以来、玄はその理論に基づきゲームをするときは常に全力でプレイしているがその効果を実証出来てはいないのだが…

 

 だがもし、玄の考えたような理論があり得るとしたらこの2週間に玄は常の何十倍ものパワーを注ぎ込んで来たことになる。


 それほどまでに頑張ってきたことの一部がようやく叶う。


 そう考えただけで玄も自然と顔がほころんでしまう。


 というか本当は身体の奥からの興奮に突き動かされて今すぐにでも小躍りして叫びたい気分だった。


 そんな玄の隣で茜も微笑む。


 目指してきた目的が一つ達成できるということはもちろんのこと、こんなに嬉しそうな玄を見るのは茜も初めてでそれをこんなに近くで見られたことも茜にとってはとても嬉しいことだった。



「関羽殿、蔡瑁のいうとおり張飛殿は置いてきてしまいましたが本当によいのですか」


「馬超!無事だったんだね!」


 続いて階段を上ってきた馬超に喜びの声をかける武仁に馬超は僅かに笑みを浮かべると虚空に向かって頷く。


「よい。


 結局のところ蔡瑁がいなければ我らは助からなかったであろう。


 ならば今、蔡瑁の言を疑うなどなんの意味もない」


「確かに。


 我らに害をなそうとするならば、そもそも助けなければよかっただけ」


 関羽の言葉に深く頷く馬超。


『ふん、勘違いをするな!

 

 私はお前達を助けたのではない!


 張飛を殺そうとする許チョの邪魔をしたかっただけだ』


 蔡瑁の言葉に孫仁が頷く。

 

「そういうことだったのですね…」


「えっとつまり蔡瑁は曹操達に仕返しをしたかったってこと?」


 茜の言葉は身も蓋もないが客観的に見れば全く正しいと言える。


 だが、知らず知らずのうちに自分の人生をいいように操られていた蔡瑁である。


 思いがけなく得たこの世界で今度こそ自分の人生を自分の思うがままに生きたいと蔡瑁が思ってもそれは当然のことだろう。


 そのためには許チョの引いたレールから飛び出す必要があった。


 だがこの世界での生き方すら許チョに操られていたと知った蔡瑁は、何をしても許チョの手のひらの上にあると思えてしまい何も出来なくなっていたのである。


 だが、その許チョが蔡瑁や華陀を操り、更にここまでの大がかりな準備をして万全の態勢で臨んだ張飛への『反逆』。


 それを本来張飛と敵対しているはずの蔡瑁が助けてしまうことは間違いなく許チョの想定外であるはずだった。


 だからこそ蔡瑁は自らの全てを賭けて張飛達を救おうとしたのだ。


「蔡瑁殿は確かに今、自らの意志で生きてらっしゃいます」


『…』


 孫仁の言葉には称賛の響きがある。


 おそらく孫仁は蔡瑁の覚悟とその結末に気づいたのだろう。


『ふん…これから張飛を運び出す。


 少し下がっていろ』


「はい」


 蔡瑁の指示により一同が下がる。

 

 張飛を土中から運び出すと同時に自らも地上へと戻るのだろう。


 そうなれば蔡瑁の身体が維持していた空間に土砂が流れ込むことになりその部分が陥没し、場合によっては掘り下げてきたこの穴自体が崩落する可能性もあり得る。


 もちろん蔡瑁はそうならないように慎重に事を進めるつもりだろうが用心は必要だろう。



 蔡瑁の作業を悠然と眺めつつ髭をしごく関羽が自嘲気味に息を漏らす。


「まさかあの蔡瑁に我ら兄弟が救われるとはな…


 こやつのしたことを許すつもりはないが、蔡瑁もまた乱世を生きた1人の漢であったということか」


「はい。


 彼のやってきたことは確かに好きにはなれませんが蔡瑁殿はただ自分の流儀に従って必死に生きただけです。


 そしてあの乱世を生きた者は皆同じ…なのでしょうね」


 先ほどの戦いで我が儘に自分の生き方を貫くことを学んだ孫仁が関羽の言葉に首肯する。



「おお!


 やっと明るくなってきやがった。


 お前のことは大嫌いだが助かったぜ蔡瑁!」


 そんな話をしている内に蔡瑁が地の底から張飛を運び出してきたのだろう。


 階段の奥の方から上機嫌の声が聞こえてくる。


「なんだか本当に感謝してるのかどうかよく分からないわね」


 聞こえてきた張飛の無邪気な言葉に茜が思わず吹き出す。


「張飛!」


 幸い蔡瑁が抜け出ることでの地盤への影響もなかったようである。


 それを確認した関羽はゆっくりと自ら階段へと向かった。


 その視線の先でまるでエスカレータを上ってくるかのように張飛が地上へと姿を見せる。


 ただし体力を限界まで蔡瑁に譲ってしまった身体はまともに身動きがとれないままである。


 そんな身体にもかかわらず蔡瑁により地面に横たえられた張飛は僅かに首を関羽の方に向け白い歯を剥き出しにして笑った。


「兄貴!なんとかなったなぁ!」


「たわけ!


 お前が変な意地など張らずにいればこんなにややこしくなることは無かったのだぞ」


 がははと笑う張飛を見下ろしながら叱責する関羽だが目は怒っていない。


『ふん…借りは返し…たぞ。張飛』


 かすれた声を出す蔡瑁は張飛を運び終え、全ての身体を地中から引き上げたにも関わらずその身体が妙に薄い。


「蔡瑁殿…」


 その姿を見た孫仁が沈痛な表情を見せる。


「さ、蔡瑁殿は張飛将軍から吸い上げた力を元にして存在していました。


 そして張飛将軍から離れた今、その力を補給することは出来ません」


 ホウ統もその可能性に気がついていたのだろう。


「力は使えば減ります。

 

 もしそれを使い果たしてしまえば…」


『消えるのだろうな』


 ホウ統が思わず躊躇った言葉の続きを蔡瑁が引き継ぐ。


 だがその声はあっさりとしていて悲愴感のようなものは感じられない。


「そうか…


 あの土砂から我ら3人を救うために力を使い果たしてしまったのだな」


 成り行きを見守っていた馬超が蔡瑁へ対し小さく頭を下げる。


『何度も言わせるな。


 私は私の思うままに生き、死にたかっただけだ』


 どこか満足げな笑みを浮かべた蔡瑁の身体が端から徐々に白い粒子へと変わっていく。


「おい!蔡瑁!」


 そんな蔡瑁に顔を向け、動けない漢とは思えない程の声で呼びかける張飛。


『…』


「もしまた今回みてぇなおかしな世界に放り込まれた時にゃあよぉ!」


 張飛の顔が一瞬だけ鋭さを増し、その視線が蔡瑁を射貫く。


「俺と会わねぇようにするんだぜ!


 俺はお前をみつけたら容赦なくぶっ殺すからな!」


『なっ!』


 張飛の剣幕に思わず身体を縮めた蔡瑁の口が驚愕の呻きを漏らす。


 それまでの経緯や動機はともあれ、結果としては命がけで助けた形になるのにそんな言葉を浴びせられるとは思っていなかったのだろう。


 呆気にとられていた蔡瑁が何かを言い返そうと口を閉じ再び開こうとした瞬間、張飛が破顔一笑。


「だが!今回は助かったぜ!ありがとよ!」



『…』


 そのあまりにも無邪気で無防備な笑顔を向けられた蔡瑁は再び言葉を失い、やがて眼を閉じて大きな溜息をついた。


『ぅむ、悪くない…』


 どこか満ち足りたような蔡瑁の呟きを勢いを増していく白い粒子が飲み込んでいく。


「蔡瑁殿!」


 思わず駈け寄ろうとした孫仁の呼びかけも空しく一歩を踏み出した時には既に蔡瑁だったものは全て白い粒子と化し消えゆく粒子の幾粒かがまるで蛍のように宙を漂うだけだった。



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