虎痴
孫仁と茜が大きな戦を終えたころ、関羽と張飛の打ち合いは未だ終わる気配を見せずにいた。
「これでも駄目か!」
「やはり腕を斬り落としただけでは解決にはなりません」
孫仁達が戦っている間、玄達も何もしていなかった訳ではない。
考えられそうな解決策を出来る範囲で実行していたのである。
それは例えば、張飛の感情を揺さぶり腕との力関係を計る。
例えば、右腕に大きなダメージを与えてみる。
あわよくば関節を折る、腕を斬り離すなどである。
だが、相手は張飛翼徳である。
何かを試そうとしてもそうそうやりたいようにやらせて貰えるはずもない。
それなのにこんなに長く関羽が決着をつけないまま打ち合っていられるのは皮肉なことに玄達がなんとかしようとしている張飛の右腕のおかげだった。
張飛はその右腕によって全体のパワーは上がっていたが、ホウ統に『天然の天才』とまで言わしめた天賦の才をその腕のせいで発揮し切れていなかったのである。
更に発揮し切れていないばかりか、張飛と右腕とで全く逆の動きを取ろうとするようなことすらある。
もちろんそんな動きがあったとしてもそれによって出来る隙はほんの一瞬。
だが、関羽ならばその隙を突いて張飛の腕に攻撃を加えることが可能だった。
だが、その結果分かったことはいくら右腕に直接攻撃をしかけても無駄だということだった。
どんな形のダメージを与えてもすぐに再生してしまうばかりか、右腕に対して攻撃をいくら加えても張飛は全く痛がる素振りがない。
更にその後の張飛の動きを見ている限りでは張飛のライフゲージにも影響はないようだった。
その事実だけを見ればまるっきりの無駄足のようだが、このことはホウ統が先ほど指摘したように右腕と張飛が一体化していないことの裏付けになる。
玄達にとっては必ずしも悪い結果ではない。
だが、問題はそんなことよりもさしあたっての打開策が尽きたことである。
そんな時、孫仁達の戦いが終わったのである。
「ホウ統軍師お待たせして申し訳ありません」
「い、いえ。
お見事でした。き、傷の方は…」
駆け足で戻ってきた孫仁に心配そうに問いかけるホウ統に孫仁は笑って頷く。
「はい、まだ戦えます。
なんなりとお申し付けください軍師殿」
「ああ、あ、ありがとう御座います。
華佗老師の件も助かりました」
「ちょ、ちょっとホウ統ってばレンと華佗の戦いとか会話も把握してるの?」
「…あ、あの把握してるというのは?
わ、私は見て聞いたことくらいしか分かりませんが…」
関羽達の戦いを見ながら茜の言葉に首をかしげるホウ統。
ホウ統は視界に入っているものや耳に入ってきた音などの知覚情報を取捨選択することなく全て高いレベルで同時処理出来る。
それは常人ではとてもなしえない程のとてつもなく凄い能力なのだが、それを全く凄いと理解していないのがホウ統という漢だった。
「あ~そうよね。
ホウ統ってそういう人だったわ」
ホウ統の才能を思い出した茜が呆れた溜息をつくと同時に玄がやや興奮気味に口を開く。
「茜!華佗からなんか聞き出せたのか?」
「…うん、ただ解除は出来ないって。
でも…」
玄の問いに茜は孫仁と協力しながら華佗が最後に残した言葉を伝える。
「なるほど…どう思う?ホウ統」
「ははい、か、華佗老師の言うことは理に適っていると思います」
「『腕』として考えるのではなく張飛とくっついている『誰か』として考えろってことか」
「腕自身に張飛将軍から離れることを納得して貰えばよいということですね」
玄の言葉に孫仁が続く。
「もしくは、二度とくっついていたくないと思わせるか…ね」
茜もどうすれば良いかを理解したのだろう不敵な笑みを浮かべている。
「は、はい。
問題はあの腕の正体をどうやって知るかです」
「わかった。
関羽に聞いてみるよ」
玄はホウ統にそう告げると関羽へと視線を向ける。
「関羽、話はだいたい分かったかも知れないけど張飛の右腕を外すためにはその右腕が誰の変化したものかが分かった方がいいみたいなんだ」
関羽はVSを通して操者たる玄や茜の声は聞こえるがホウ統や孫仁の声は生の音としてでなくては聞こえない。
そのためホウ統や孫仁達と離れて戦っている関羽に今の話を正確に伝えるにはホウ統や孫仁達の分の会話を補填する必要がある。
「ふむ…いいだろう。
戦っていて思ったことだがおそらく儂はその腕が誰かを知っているはずだ」
「え!」
張飛と激しい打ち合いを続けながら関羽が返した答えに玄は思わず腰を浮かせる。
「急くな!まだ答えは出ぬ。
どうやら、親しい相手ではなさそうなのでな。
これより改めて注意深く翼徳とは違う太刀筋だけを洗い出してみよう。
何か思い出すやもしれぬ」
「分かった。
でも、そもそも倒したのは張飛自身のはず。
だからもし、張飛本人から聞き出せるようなら聞き出してみて」
「む…やってはみるが」
「え?」
関羽にはしては珍しく歯切れの悪い返事に玄が思わず首をかしげる。
「いや、よい。
まかせておけ」
「…うん、頼む。
こっちもなんとかいろいろ考えてみるから」
「…って言ってたんだけど」
「やはり関羽将軍も気づいてましたか…」
「どういうことだ?」
玄の報告に神妙な面持ちで呟いたホウ統の側で孫仁から傷の手当てを受けていた悪来が問う。
手当てと言ってもここでの傷は待機に戻らない限りは癒えないため傷の状態の確認と開いた傷口を縛って閉じるだけである。
「はい、実は戦いが長引いてきてから張飛将軍はほとんど言葉を発していません」
「あ!そう言えば…最初はあんなに怒鳴ってたのに」
ホウ統と共に戦いを見守っていた玄がすぐに反応する。
「それに表情もやや虚ろになってきています」
「え、それってなんか問題があるの?」
茜の問いかけにホウ統は小さく首を振る。
「正直わかりません。
ただ、私の推測では関羽将軍との高度な戦闘に張飛将軍は集中し過ぎているではないかと」
「でもよ、それって普通のことじゃねぇのか?」
「もちろんです悪来殿。
ただし、張飛将軍の右腕には今は異なる人格が宿っているとのこと。
せ、戦闘に集中するあまり張飛将軍の自我が薄くなってしまうことで右腕の人格の影響が出てきているのかもしれません」
「戦いに集中していくと徐々に無私になっていく感じ…なんとなく分かる気がします」
「右腕の人が強く出てきてるってことは聞いても答えてくれない可能性が高いわね。
どうするの?」
「…そうだな。
そんな状況だとこれ以上時間をかけるのもあまり良い結果にはならない気がする。
かといってあの右腕が誰なのかは正直俺達には判断つきそうもない」
「確かに時間はかけない方が良いと思います。
ですが、右腕の人格が強く出てきているということはその分動きにも大きく影響が出るはずです」
「なるほど…
じゃあ関羽とホウ統はその辺を注意して早めに右腕の正体を暴いて」
「わ、わかりました」
「孫仁と悪来はひとまずホウ統の護衛。
場合によっては臨機応変に介入してもいいと思う。
その辺の判断は俺よりも孫仁や悪来の方が確かだと思うから任せる」
「はい、承知しました」
「おう!任せとけ」
「後は…」
現状を整理して指示を飛ばす玄が視線をもう一つの戦場へと移す。
「竹さん、話は聞こえてたと思います。
馬超にも今の話を伝えて貰えますか?」
「…」
「竹さん?」
「…いいけど」
「ありがとうございます。
許チョは張飛と一緒にいたので、もしかしたらあの腕がもともと誰だったのかを知ってる可能性もあります。
チャンスがあればでいいので許チョに聞いてみてもらえますか?」
「馬超に伝えとくよ。
ただ期待はしないでよね。
正直こっちの戦いもかなりぎりぎりなんだからさ」
「わかってます。
馬超に危険が及ばない範囲でよろしくお願いします」
玄の頼みを一応は引き受けたものの武仁は言いようのない苛立ちを感じていた。
(ふん、たかがゲームに何をあんなに熱くなってるんだか…)
基本的に武幽電内の行動を全て馬超任せにしている武仁である。
玄達と共に行くことを馬超が是とした以上それ自体に文句は無い。
だが、日常生活の中でほとんど他人と接することがない武仁にとって玄達の『必死さ』からくる熱さが無性に気に入らなかった。
正直自分との温度差は玄達と出会った当初から感じてはいた。
だが、張飛達との戦闘が開始されてからますますその温度差が開いたような気がしていたのである。
(熱くなったっていいことなんか何もない)
脳裏をよぎるクラスメイト達の冷たい視線と嫌な思い出を振り払うように首を振った武仁は注意を馬超の方へと戻す。
「馬超、あっちからの依頼。
許チョに張飛の右腕が元々誰だったのか問い質して欲しいって」
「承知」
戦いの合間にかけられた武仁の声に馬超は短く応える。
「でも、無理はしなくていいからね。
戦いに邪魔なら無視して構わないって言ってたしね」
「ふ、どうやら心配をかけてしまっているようだな」
長槍を構えて許チョを見据えながら馬超が僅かに口角を上げる。
「え?」
「確かに攻めあぐねてはいるがまだ互いに本気ではない。
理由は分からぬが許チョも積極的に張飛殿の戦いに介入するつもりはないようだ。
となればこちらも足止めさえ出来れば無理に急いで倒す必要はない」
「あぁ…そう…
あれでも本気じゃないんだ」
武仁は今まで馬超の戦いを3度、決着が付かなかった張飛との戦いを含めれば4度間近で見てきた。
そのどれよりも先ほどまでの許チョとの戦いは速く激しい戦いだった…のだが。
もはや驚愕を通り越して諦めの境地に入りつつ武仁はその戦いを思い返す。
――――――――――――――――――――――
「許チョ殿の肉体は凝縮された筋肉の固まりです。
その力を要所で解き放つことで驚異的な力と速さを生み出しています」
ホウ統の指示により対戦相手を変更し因縁のある許チョと正対した馬超は直前にホウ統より伝えられた言葉をなぞるように思い起こす。
「言わんとすることは分かるが…」
「そうだね」
思わず口をついた言葉に武仁が同意の言葉を返してくる。
おそらく馬超と同じ事を考えていたのだろう。
「現代に伝わる許チョの印象ってずんぐりむっくりの巨漢ってのが定番なんだよね」
「ほう…まぁ間違ってはいない。
確かに私が許チョと相まみえたときはそんな感じだった。
もちろんその全身は鋼のように鍛え上げられていたがな」
そう返した馬超の視線の先で静かにたたずむ許チョは武仁や馬超が言う姿とは全く一致しない。
体つきはもちろんがっちりしているが鈍重な感じは全くなく、肉体の見た目だけで言えば現代アスリートの柔道選手などの体つきが一番近いだろうか。
「…身体を絞ったってことなのかな?」
「まあいい、打ち合ってみれば分かる」
馬超はそう言うと許チョとの距離を僅かに詰めた。
「久しいな許チョ」
「…」
かけられた馬超の言葉に許チョはぴくりとも反応しない。
「どうした?
ここにはお前の代わりにぺらぺらとよく喋っていたあの漢はいない、お前が話せ」
「黙れ馬超。
お前ごときがわが主を侮辱することは許さん」
ならばと続けた馬超の挑発的な言葉に許チョは拍子抜けするほど即座に返答が返ってくる。
「ふ、未だにあの漢の悪口には黙っていられないようだな」
生前、馬超と許チョは戦場で顔を合わせたことがある。
曹操と馬超率いる関中軍が激しく戦った潼関の戦い。
その戦が互いに決め手を欠き膠着してきたのを機に馬超と韓遂、曹操と許チョが馬上で会談をした。
その場で実質的な交渉を行ったのは曹操と韓遂だが馬超も名目上は関中軍の総大将であったため発言権があった。
韓遂からは大人しくしていろと釘を刺されていた馬超だが父や弟達の敵を目の前にして黙ってはいられなかった馬超は曹操を罵倒したのである。
感情に任せた馬超の言葉に最も速く反応したのは言われた曹操でも馬超を制止すべき立場の韓遂でもない。
曹操の脇に控えていた許チョだった。
許チョはその場においてはただの護衛である。
普通であれば絶対的な君主である曹操自らが交渉をしている場で勝手に発言をすることなどあり得ない。
当然許チョもそんなことは分かっているはずなのだが曹操に対する過剰なまでの忠義がそんな行動を起こさせてしまうのだろう。
本来であれば曹操も許チョを叱責するところなのだろうが許チョがそんな行動を取ることは度々あるのだろう。
「控えよ、虎痴」
「は!」
苦笑しながらひと言だけで場を収めていた。
そのことに驚いた馬超はその時のことをよく覚えていたのである。
虎のような獰猛さと、理屈などお構いなしに感情のみで突発的に行動を起こしてしまう粗暴なまでの愚直さ。
それこそが許チョが虎痴と呼ばれている由縁なのかと馬超は思ったものだった。
「そう言えばあの時のわが主への無礼に対しての制裁がまだだったな」
じわり…と今まで静かに佇んでいただけの許チョから殺気が染み出す。
「お前さえいなければ、あの戦いで曹操を亡き者に出来たものを」
その殺気に反応するかのように馬超は長槍を構えながら身に纏う鎖帷子を軽く撫でる。
おそらく馬超はその後に
『そうすれば敵を討てた。ホウ徳をあんな形で失わずに済んだ。劉備殿を助けることが出来た』
などいろいろな思いがあったはずである。
だが戦場にたらればは通用しない。
その場で全力を尽くし、出た結果が全て。
自分の力が及ばなかったことを悔いこそすれ、相手に恨み言を言うのは武人としての矜持が許すはずもない。
だから馬超の言葉は単なる感想であり挑発だった。
そうすることで許チョの意識をより自分に向けさせておけば関羽対張飛の戦いに余計な手出しをされる可能性を減らすことが出来る。
「俺などいなくともあの方がお前のような猪武者ごとき倒せるものか」
「言ってくれる。
ならばこの馬孟起の武お前の身体に刻み込んでやろう!」
「ふ、お前ではこの俺をこの場から動かすことすら出来ん」
無表情に自らの足下を指さす許チョ。
「…」
その言葉に馬超の表情がすっと消える。
キン
「うわ!」
その空気が金属質な音をたて、武仁は思わず耳を塞ぐ。
だが、よくよく考えればそんなはずはない。
(許チョの殺気と馬超の闘気がぶつかったってこと?)
武仁の推測が正しいのか若しくはその場の緊張感が一気に跳ね上がったための錯覚かは分からない。
ただ馬超と許チョが完全に臨戦態勢に入ったのは間違いない。
しかし、高まる緊張感とは裏腹に2人の戦いは緊迫した睨み合いが続く。
そのまま膠着状態に陥るかと思われた矢先、許チョへと向けた馬超の槍先ゆらりゆらりと動きはじめた。
その動きは流れるようにゆっくりとしたもので特に意味があるようには思えない。
それなのに武仁はその槍の動きから目を離せない自分に気づく。
だが、この緊迫した状況下でゆっくりとはいえ唯一動きのある場所、更にそれが武器である槍先ともなれば無理はないだろう。
「…あれ?槍が…」
武仁が小さく呟いて目をこする。
視線の先の槍が一瞬ぼやけて見えたのである。
しかし、目をこすって見ても馬超の槍は元に戻らなかった。
槍先がぼやけ、霞み、曲がる。
「…歪んでる?」
武仁がそう呟くと同時に馬超の槍が蛇のようにうねりながら許チョへと向かっていく。
多少のしなりはあるとは言っても実際にそんな変化は本来あり得ない。
ゆっくりとした動きで許チョへと迫る長槍。
「ふ!」
「え?消えた!?」
次の瞬間に起きた出来事は武仁には全く理解出来ないものだった。
許チョへと迫っていた長槍が許チョまで届くにはまだ優に1メートル以上距離があったはずだった。
にもかかわらず短く呼気を吐きだした許チョの右腕が馬超の長槍を弾いた。
それと同時に許チョの前に迫っていたうねる長槍が消えたのである。
「さすがに小細工は効かぬか。
ならばこれならどうだ!」
弾かれた長槍をすぐさま引き戻した馬超が不敵な笑みを浮かべつつ神速の連続突きを放っていく。
武仁の目にはほとんど映らない神速の突きを許チョは驚くべき事に素手で打ち払っていく。
もちろん刃の部分ではなく槍の柄の部分を手の甲で弾いたり手の平で受け流す形である。
攻めている馬超は許チョの受けを確認しつつなるべく許チョの受けづらい箇所を狙っている。
だが、許チョは馬超の突きを見てから防御に動かなくてはならない。
更に許チョはあの場から動こうとしないため立ち回りを利用して馬超の動きを乱すこともできない。
結果として馬超は常に万全の態勢からの突きを繰り出すことが出来る。
そうなれば馬超と許チョの動きに余程の速度差がなければいずれは防御が間に合わなくなるはずである。
「ちょ、結局さっきのはなんだったのさ」
武仁は凄まじい攻防に目を奪われつつも先ほどの不可解な一撃が気になり思わず呟く。
「目の錯覚です」
「へ?」
自分の呟きにまさか回答が返ってくるとは思って無かった武仁は思わず間の抜けた声を漏らす。
「ば、馬超殿は長く柔軟性のある槍にとてつもなく速く巧みな動きを手元で加えたのです。
それにより槍先は高速で不規則な動きをします。
その動きを目の錯覚を起こしやすい動きに限定することで相手を視覚的に幻惑する技だとお、思います」
「目の錯覚?あれが?」
こちらを全く見ていないホウ統の横顔を見ながら武仁が呻く。
「えっとつまりあれ?
鉛筆を横向きに軽く指で持って、その手を上下に素早く動かすと鉛筆が曲がって見えるってやつ」
「そ、そうです。
馬超殿のは速度も技術も桁違いですが…
うねる槍は目の錯覚を利用した残像で本物の槍はその残像の影で許チョ殿を攻撃しようとしたのです」
確かにそう考えれば先ほどの攻防に説明がつく。
「なるほどね」
武仁はあの一瞬の攻防を視界の端で見ていただけにもかかわらず正確な分析をしてのけたホウ統の慧眼に感心する。
(さすがに司馬徽に『伏龍、鳳雛いずれかを手中にすれば天下を取れる』と言わせただけのことはあるね)
司馬徽字は徳操
号名は水鏡。
中国後漢末期の人。
人物鑑定家として有名。
荊州に住んでいたが荊州を支配していた劉表には仕えず、隠士として暮らす。
ホウ統の才能を見出し、徐庶や向朗など数多くの智者を門下生としていた。
伏龍(または臥龍)というのは諸葛亮孔明のことであり、鳳雛はホウ統のことである。
しかし、史実ではいずれかどころか2人を幕下に加えることが出来た劉備は天下を取ることはなかった。
だからといって自分の領土を持たない流浪の将だった劉備に僅か15年ほどで中華の4分の一を取らせ蜀漢皇帝まで導いた諸葛亮の力量を疑うことは出来ないだろう。
ただ、ホウ統に関してはこれからという時に不運の死を遂げてしまったためいくつかの逸話があるだけでその能力は歴史的にあまり知られていない。
「竹殿、や、やはり許チョ殿の動きと、あの堅固さはふ、不自然です。
なんらかのげぇむの技である可能性も考慮するよう馬超殿にお伝えください」
「りょ~かい」
ここまでくれば武仁もホウ統の力を疑う訳にはいかない。
例え『あっち』の雰囲気が気に入らなかったとしても馬超のためになることなら話は別だった。
武仁がそんなことを考えている間にも馬超と許チョの間では数え切れない程の攻防が繰り広げられていた。
しかし、当初いずれは対処しきれなくなると思われた許チョの防御は馬超の神速の槍を延々と防ぎ続けている。
その様子は全く危なげないものだった。
その様子に当事者である馬超もさすがに不自然さを感じたのだろう表情に訝しげなものが混じる。
相手が何を隠しているのかが分からないためある程度何があっても対処できるように攻撃しているが決して手を抜いている訳ではない。
攻撃する場所も許チョの防ぎにくい箇所を虚実をおりまぜたうえで狙っている。
にも係わらずどんなに防ぎにくい場所に攻撃を繰り出してもそれを上回る速さで許チョの腕が現れる。
そして馬超の攻撃を素手で捌き続けているにもかかわらず許チョの腕には全くダメージがない。
凄まじい速度の長槍を逸らすためにはそれなりに強い力で打ち払う必要がある。
どんなにうまく攻撃を捌いていたとしても馬超程の武人の突きを何十回も打ち払っていればそれなりのダメージがあっておかしくない。
百歩譲って腕へのダメージが無いのが許チョの優れた体技によるものだったとしよう。
しかし、実際に許チョの身体をかすめた馬超の攻撃にすら許チョの身体は血飛沫1つあげることはなかった。
「ち!」
馬超は軽く舌打ちをすると攻撃を止めた。
敢えて間合いを外そうとしないのは許チョがあの場から動かないため、自らの間合いではあっても許チョの間合いではないからだろう。
「馬超、ホウ統が許チョのあの動きと固さは不自然だってさ。
何らかのゲーム技の可能性も考慮してくれって」
武仁の言葉に馬超は小さく頷く。
「…試してみるか」
そう呟くと長槍を構えたまま許チョを支点にゆっくりと左へと回り込んでいく。
「そっか、いくら動かないって言っても横とか後ろから攻撃されれば動かざるを得ない」
「む!」
武仁が感心したのも束の間、馬超の動きが許チョの真横に行く前に止まる。
眉を寄せた馬超は左手を横に伸ばす。
「なるほど…ここより先へは行けぬと言う訳か」
呟いた馬超の左手は壁を撫でるように虚空を動く。
見えない壁のような物があるのかそこから先へは行けないらしい。
「ってことはやっぱりゲーム上の技が発動してるってことか」
「おそらくな。
先ほどの許チョの『この場から動かすことすら出来ん』という言葉は俺に対する挑発であると同時に自分が動けないことを隠したかったのかもしれんな」
「ふんふん…つまり動かないのではなく技の特性として動けないってことか」
馬超は頷く。
「もしそうなら『動けない』という不利を背負うんだからそれなりの大きな効果があるはず。
多分効果の1つがこの『許チョの横や後ろに回り込めない』だね」
「ああ、そしてあやつの異常なまでの動きか固さ、若しくはその両方ともがその効果によるものだろうな」
「守りに特化した技ってことだね。
どうする?」
武仁の問いかけには答えずに再び許チョの正面へと戻った馬超は長槍で自らの肩をとんとんと叩く。
「足止めだけを考えれば無理に動かす必要もないが…」
呟いた馬超が獰猛な笑みを浮かべる。
「舐められっぱなしは気に入らん」
(馬超は変わったよね…)
自信に満ちた馬超を見て武仁は思う。
馬超は確かに出会った頃から強かった。
しかしどこか儚い雰囲気を漂わせていて武仁はどことなく危うい印象を持っていた。
だが、韓遂、ホウ徳、廖化…いくつもの戦いを経て馬超は本当の意味で強くなっていった。
(いや、多分馬超は本来の馬超へと戻りつつあるんだね…それなのに僕は…)
武仁は薄暗い自分の部屋を見回す。
締め切られ厚手のカーテンが引かれた窓。
机の上に広げられた教科書とノート。
ほとんど手つかずのまま放置されたコンビニのおにぎり…そして一緒に置かれたメモ。
『いつもの時間に家庭教師が来るのでそれまでに予習復習をしておくこと』
武仁は裕福な家に産まれた。
父は一代で起業し大成功を収め、今やその活動の場を国内から海外へと広げつつあり1年の大半を海外で過ごしている。
母はそこそこ有名な教育学者でありいくつか著書も出版し、講師として様々な場所へ呼ばれほとんど家にはいない。
そんな状況を少しは悪いと思っていたのかどうかは分からないが武仁は小遣いには困った事はなかった。
それでいて家に1人でいる時間も多いとなれば、自然と漫画やゲーム、映画などで時間を潰すことが増えていった。
しかしそんな生活が学校の友人達にばれると当初は羨望の眼差しを向けられていたがやがて快く思わない者達が増え、武仁はいじめの対象にされていった。
それが小学5年生の夏である。
いじめは最初は無視される程度であったが徐々にエスカレートし始め、武仁の私物を損壊、汚損、紛失、そして直接的な暴力にまで発展した。
その頃に出来た傷をたまたま家に帰ってきた母が見つけたのである。
母に心配をかけたくなかったため自分からは何も言わずにいたが、傷が見つかったことで武仁は安堵した。
教育学者でもある母ならいじめられている今の状況をきっとなんとかしてくれると思ったのだ。
(やっとこの地獄から抜け出せる)
そう思って思わず涙ぐんだ。
しかし、母の第一声は
『教育学者の子供がいじめられてるなんて世間に知られたら私の立場がないじゃない!』
という叱責だった。
この時武仁の中で何かが完全に壊れてしまった。
しかし、母はそんな武仁には全く気づかずいらいらと頭をかきむしりながら歩き回りようやく出した結論。
それは学校の授業など役に立たないからと強引な理由をつけ武仁を学校から引き離すことだった。
武仁は徐々に自分を追い詰めていくかつての友人達を目の当たりにし最初は嘆き悲しみもした。
だがとうとう全クラスメイトどころか同級生全てから憐れみの視線を向けられ、その様子を見ていた教師が視線を逸らすのを見るに至り『ああ、そんなものか』と思うようになっていた。
一旦そう思ってからは無視されても、殴られてもどこか他人事のようで辛さは感じなかった。
だから母が学校へ行かなくてもいいと言い出したことにも別になんの感慨も抱かなかった。
それから半年余りが過ぎ、6年生になった今も武仁は学校へは行っていない。
たまに尋ねてくる教師や昔仲が良かった友人達も武仁にとってはもはや赤の他人だった。
ドアフォンの向こうで奴らが見せる真摯っぽい表情は無機質な仮面にしか見えなかった。
必死な振りをして紡ぐ言葉は武仁にとっては全く意味の分からない呪文にしか聞こえなかった。
しかし、武仁はそんな生活にも別に不満は無かった。
母の雇った家庭教師に嫌というほど勉強させられたため有名私立中学に余裕で受かるだけの学力はある。
だが受験をして環境が変わり学校へ行くことになったとしても今と変わらない無味乾燥な毎日を過ごすだけ。
そうなることは武仁の中でもはや決まり切ったことだったのだ。
そんな武仁の冷め切った頭と心に変化が現れたのは馬超との出会いだった。
馬超と出会い命を賭けた戦いを目の当たりにした武仁。
その戦いの中で馬超はいくつもの大事な物を取り戻していった。
そんな馬超を見て武仁は自然と『僕は一度も戦っていない…』そう思うようになっていた。
「武仁、まずはあいつをあの場から引きはがす」
「え?あぁうん。
そうだね、でもどうやって?」
馬超の言葉に我に返った武仁が慌てて答える。
「そうだな…力ずくでやってもいいが許チョがこの世界の技を使っているならこちらも技を使うとしよう」
「え?
でも許チョを動かすためだけに『豪気槍』を使うのは割に合わないと思うよ」
『豪気槍』は強力な技だがそれだけにライフの消費もそれに見合うだけのものがある。
勝負の分け目などで使うならまだしも無駄打ち出来るような技ではない。
「いや違う。
許チョは先の戦いで私の豪気槍を見ている。
その上であの技を使用しているならば豪気槍には対処出来ると考えた方がいい。
まあ豪気槍が封じられたとしてもこの世界の技に未練などないがな」
「でも、あと馬超の技って言ったら『纏風』と簡単な風術だけしかないよ。
それだって最初に試した時に馬超の術レベルじゃ戦闘に役立つ程の威力は出せないって結論になったよね」
武仁は馬超に設定された技を試し打ちした時のことを思い出す。
馬超に設定されていた属性は風。
それを加味した技が『纏風』だったのだが馬超の初期の術レベルは1。
これは風術を使っても砂埃すらまともに立てられないレベルである。
こんな威力では戦いの中で使用しても戦局を動かすことは難しいと武仁と馬超は判断したのである。
そしてそれは風の力を使った必殺技である『纏風』においても同じ事だった。
「問題ない。
ようはあいつをあの場から動かせば良いだけなのだからな。
何事も使い方次第だ」
馬超の言葉に迷いはない。
おそらく何か考えがあるのだろう。
「わかったよ。
確かに纏風は威力が弱い分ライフ消費も大きくない。
うまく応用出来るならそれにこしたことはないしね」
武仁の言葉に頷いた馬超はじりじりと間合いを詰めていく。
「許チョよ、お前が張飛殿のために積極的に働く気がないのは分かっている」
「…」
「私の役目はお前を抑えておくこと。
本来なら私としても無理にお前と戦う必要などないのだがな…」
馬超がゆっくりと長槍を構える。
と、同時に馬超の気が膨らむ。
「だが、曹操に心酔しもっとも近しい護衛であるお前はこの世界においても絶対に劉備殿の味方にはならん。
ならば今ここでお前を倒しておくことは必ず劉備殿のためになる」
馬超の言葉に僅かに許チョが口角を上げる。
それは『なにを当たり前のことを言っている』という嘲笑だろう。
「なにより今の私には1つでも多くの戦いが必要だ。
まずはお前をそこから引きずりだしてくれる」
「ふ、よく喋る。
だが、お前の攻撃では例えこの世界の技を使ったとしても俺の『不動壁』を破ることはできん」
「ん?」
自分の技が破られることなどないと確信しているかのような許チョの物言いの中に武仁は一瞬違和感を感じた。
「出来るか出来ないかはやれば分かることだ『纏風』」
馬超の言葉に反応して周囲から風が集まってくる。
纏風とはその集めた風を任意の場所に纏わせて使う技である。
馬超はその風を槍先に集めていく。
だが先ほどの武仁の言葉通り集まる風はそよ風程度のもので長槍に集めても多少の風属性が付く程度で攻撃力が上がる程ではない。
「くくく、先日の技で来るのかと思えばよりによって役に立ちそうもないそっちの技を使うとはな」
「…やっぱり」
小さく肩を震わせる許チョの言葉に先ほど感じた違和感の正体に気づいた武仁が呟く。
(馬超が戦闘では一度も使っていない技を許チョは知っている?)
確かに馬超は張飛戦で豪気槍を見せたが、この世界において必殺技は1人につき2つ程度設定されていることが多い。
それにもかかわらず許チョは確信的に馬超の技は効かないと言い切った。
それが最初に抱いた違和感だった。
そしてさらに許チョは『役に立ちそうもない技』と言った。
この言葉から考えれば許チョは馬超の纏風が何という名前の技かは知らなかったが、どんな技なのかは知っていたということである。
武仁は馬超の纏風は誰にも見られていない確信があった。
だから許チョの言葉の不自然さに気がついたのだろう。
(どんな技があるか分からないっていうのはそれだけで大きなアドバンテージになるのに)
「ほう、この技を知っているのか。
確かにこの技、纏わせた風がこれでは全く役にたたん」
技が知られていることを全く気にしていない馬超を見て、技の件でやきもきしていた武仁は小さく溜息をつく。
(本当に馬超はこの世界の技なんてどうでも良いんだね…)
「だが、この技の面白いのはこれからだ」
そう言って馬超は長槍を振り回す。
攻撃ではない。
その証拠に馬超は許チョに到底当たらない場所で長槍を縦横無尽に振り回している。
「…」
馬超の行動の真意を掴みかねた許チョが僅かに怪訝な表情を浮かべたのを見て馬超がにやりと笑う。
「ふ、何をしているか分からぬか」
「いや、僕もわからないんだけど?」
「そうか、武仁にも見せたことは無かったな。
実はな先日怪我を癒している最中に訓練がてら自らの技を基礎から徹底的に鍛え直した。
ついでにこの世界の技についてもいろいろ試していたのだがこの纏風という技些か面白い特徴があってな」
「面白い特徴?」
馬超は長槍を振り回しながら頷く。
「1つは1度纏わせた風はその威力を使い切らない限り纏わせた物からは絶対に離れないし消えないということだ」
つまり今現在馬超が目にもとまらない程の速度で激しく振り回し続けている長槍の槍先に纏わせた風もそのままである。
「うん、確かにそうだったね」
頷きながら武仁は最初に馬超が纏風を使った時の事を思い出す。
その時は初期サブ装備の槍に纏わせて木を打ったのだが馬超の攻撃力以上のものは何もなく纏わせた風もその一撃で散ってしまっていた。
「そして特徴はもう一つ。
この風は育つ」
「え?何?育…つ?」
「まあ、見ていろ」
馬超の言葉の意味が分からずきょとんとしている武仁の気配を察した馬超はそう言うと長槍を振り回しながら許チョへと1歩近づく。
完全に馬超の長槍の間合いである。
「さあ、許チョよ。
そんな技の力ではなくお前本来の力を見せてもらうぞ」
馬超の迷いのない自信の前にさすがの許チョも不気味なものを感じたのか表情から余裕の笑みが消えている。
「いくぞ」
馬超が頭上で長槍を回したままどん!と一歩を踏み出した次の瞬間長槍はの動きは止まり大上段に構えられていた。
「あ!風が」
その槍先を見た武仁が驚愕の声を上げるのと馬超の長槍が許チョへと振り下ろされたのはほぼ同時だった。
そしてその槍先には何故かごうごうと渦巻く小さな竜巻がある。
それは一見しただけで先ほどのそよ風とは比べものにならない威力を秘めているのが分かる。
「く!だがその程度なら止める!」
頭上から振り下ろされる馬超の竜巻を纏った長槍を弾く若しくは受け止めるためか許チョの両腕が下から予備動作無しで跳ね上がる。
「言ったはずだ!
ここの技などに頼らず戦うとな」
馬超はそう叫ぶとそのまま長槍を振り下ろす。
その長槍が防御の姿勢を取った許チョの両腕をすり抜けていく。
「なんだと!」
許チョが呻く。
受けの技に絶対の自信を持っている許チョからすればこんななんの捻りもない打ち下ろしの攻撃を受け損なうはずなどない。
それは許チョの過信でもなんでもない。
鍛錬と技術に裏打ちされた厳然たる事実だった。
「狙いは…」
馬超は風を纏ったままの長槍を許チョの足の間へと振り下ろす。
「ここだ!」
ガリという音とドスという音が混ざったような鈍い衝撃音と共に激しい砂煙が舞う。
馬超は存分にその一撃を地面に打ち込むとその結果を見ることなく下がり長槍を構えたまま砂煙の中にいるであろう許チョを警戒する。
程なくして砂煙が徐々に薄れていくに従って砂煙の中に人影が見えてくる。
だがうっすらと見えるその人影は馬超の攻撃前と同じ姿勢で立っている。
「失敗した?」
武仁が僅かな焦燥と共に呟く。
「ふ、足場を崩される可能性も考えてなかった訳ではなかったのだがな」
砂煙の中から自嘲気味な声が聞こえてくる。
「そうであろうな。
我らほどの力があれば地を削ることは容易い。
だがお前はそれをさせまいとするだろう」
だから馬超はあそこまで強化した纏風をあえて囮にした。
許チョ自身へ攻撃させると思わせ防御体勢を取らせたところで僅かに長槍の間合いを変化させ足の間の地面を打ったのだ。
「あの突っ込むことしか出来なかった漢があれほどの威力の技を囮に使うとはな…」
砂煙が風で流れ上半身を見せた許チョは感嘆の言葉とは裏腹にどことなくつまらなそうに見える。
「あの時の私とは違う。
お前とてそうだろう?
その身体1つ見てもあの時とは全く別物だ」
「…まあいい」
馬超の言葉に一瞬何かを返そうとした許チョだが思い直したように小さく首を振る。
「私の不動壁を破った褒美だ。
お前の望み通り、少し遊んでやる」
許チョの気が膨れあがると同時に全ての砂煙が消え全身があらわになる。
「あ、許チョの前に穴が…」
その穴は馬超の纏風により穿たれたものである。
そして、馬超が攻撃したのは許チョの足の間。
つまりその上に立っていた許チョは立つべき地面が削られてしまったことでその場にとどまることが出来なくなりとうとう一歩引いたということだろう。
「ふ、では私はお前が遊んでいる間にお前を倒し、この世界で劉備殿と私の悲願である打倒曹操を成し遂げるとしよう」
「それだけはさせぬ!」
ガッ!
許チョの挑発に挑発で返そうとした馬超の言葉が終わるのを待たず許チョの目がくわっと見開き許チョが動く。
その動きは直立の姿勢から予備動作がほとんどないにもかかわらず驚くほど速い動きだった。
まるで地面を滑って来たのかと錯覚するほどの動きで一直線に間合いを詰めた許チョは一瞬反応が遅れた馬超の長槍のすぐ脇を抜け一気に馬超の眼前に迫っていた。
「く!」
馬超は驚愕を押し殺し長槍を手元に引き戻しながら自らも下がろうとする。
しかし、あっという間に眼前に迫った許チョのやはり予備動作がほとんどない右の抜き手が喉元へと伸びてくる。
そのまま決まれば一瞬で絶命しかねない一撃を馬超はかろうじて引き戻した長槍の中程で受けとめる。
しかし長槍を引き戻した事により出来た下方の死角から許チョの左拳が跳ね上がる。
「ぐぉ!」
馬超はその一撃にもすぐさま気づき身体を反らしてかわそうとするが予備動作がないまま瞬時に放たれる許チョの攻撃をかわしきれず顎を打ち抜かれる。
身体を反ったことで多少は威力を削がれているだろうが強烈な一撃をくらった馬超は意識が刈り取られそうになる。
だがここで意識を手放せばそれは死を意味する。
馬超は必死に意識を繋ぎ止め反った勢いと殴られた反動で後方に跳ぶ。
その際長槍の石突きを下から跳ね上げ許チョの動きを牽制するが許チョはそれを左足の裏で軽々と止めた。
攻撃を止められたことで許チョの追撃が来ることを覚悟した馬超が急所をかばいつつ身を固くする。
「む?」
しかし、眼前の許チョはそれ以上の追撃をしてこないまま再び自然体で馬超に正対していた。
「なんて動きしてるんだよ!
ほとんど予備動作無しであんなスピードで動き回るなんてありえないよ!」
武仁が苛立ちの声をあげる。
「だが技が解けている以上、あの動きは奴本来の力のはず。
だが、石突きの牽制を脛などではなくしっかりと足裏で止めに来たということは…
おそらく異常なまでの防御力は不動壁とやらの効果だったのだろうな」
馬超が顎を打ち抜かれた余韻を振り払うかのように軽く頭を振りながら答える。
「許チョの不動壁は移動不可の代わりに『侵入禁止』と『防御力上昇』の効果があるって訳だね」
「ああ、だが1対1で戦いが始まってしまえばもはや技を使う余地はないがな。
本来は誰かを守るための技なのだろう」
「確かにね…」
許チョが前面に出て不動壁を使えば許チョの後ろにいる味方の危険度はかなり下がる。
更に、不動壁の侵入禁止の効果が敵限定だったとしたら戦って危なくなれば許チョの後ろに避難することも出来る。
場合によってはそのまま距離を取りフィールド内から離脱することも可能だろう。
言わば技を使っている最中の許チョは小さい砦のようなものである。
(優秀なアタッカーと同盟を組まれてたら馬超が纏風を育てる時間も無かったろうし、あんなに簡単に足場も崩せなかったはず…)
武仁はもし許チョが張飛と連携していたらと想像して思わず身震いする。
「今度はこちらから行くぞ。
剣は抜かなくていいのか?」
許チョの追撃が無かったおかげで拳打の衝撃から立ち直った馬超は長槍を構える。
「…」
闘気を漲らせた馬超の言葉に許チョは薄い笑みを返すと両手を背後に回して鈍い赤光を放つ何かを取り出す。
「あれって手甲?」
武仁が呟く間にも許チョは取り出した物を装着していく。
肘の先から手の甲、そして指を通して指の第2関節までを覆う手甲。
更に手甲と重ねてあったのは足の脛から甲までを覆う脛当てである。
当然それらの装備は許チョが誰かを倒して変化させた装備である。
「あの手甲と脛当て…色や造りから見れば全部で1セットか。
だとすると脛当てってよりも足甲かな。
で…あの存在感か。
かなりの武将が変化した強力な装備だと見た方が良さそうだよ、馬超」
馬超は武仁のこの世界のことに関しての判断力には全幅の信頼を置いている。
「となれば、不動壁を解いたことで失った防御力はあの手甲と足甲で完全に補われるということだな」
「多分ね…許チョ自身の意志かプレイヤーの意志かは分からないけどここまでよく考えてプレイしてきている証拠だよ」
この世界の技と武将自体の武術、双方の長所を活かすように戦い方を考え装備を強化してきているということである。
自我のある武幽電の武将達と序盤から信頼関係を築くのは実はかなり難しい。
うまくコミュニケーションが取れていなければ、操者の思いこみや気分で武将のスタイルとは合わない装備を選択してしまうこともありえる。
慣れない装備で戦うということは余計なリスクを背負うことにもなりかねない。
出会った頃の関羽と玄のような関係は武幽電をプレイした者達の間では決して珍しい光景ではなかったはずである。
武仁の言うとおり許チョが序盤より無駄なく適確に強化する戦いを経てきているならばそれだけで警戒するに値する。
例えば馬超は幸いにして対戦相手に恵まれたため自分達で装備を考えて入手した訳ではない。
しかし、韓遂とホウ徳というある意味で自分よりも自分を良く知る人達が自らの意志で馬超の為に変化してくれた装備である。
馬超が使う西涼の槍術や先ほどの幻惑の技などは韓遂が変化した通常よりも長く絶妙にしなる長槍があってこそ使える。
そしてそれらの技をためらいなく使えるのは複雑な動きを全く阻害せずに馬超の身体を守ってくれるホウ徳が変化した鎖帷子があるおかげである。
この2つの装備を手に入れたことで馬超は戦場において装備面での不安は完全に無くなったと言っていい。
いつでも全力で自らの技を使うことが出来る。
それは戦場に生きる武人にとってはなによりも大事なことだ。
だからこそ馬超は武仁の言葉を重く肝に銘じる。
武仁の言葉通りなら許チョも全力で戦えるだけの準備をしてきているということである。
「おもしろい」
警戒しつつも内より湧き起こる燃えるような衝動に思わず破顔する馬超。
そして待ちきれなくなったかのように突進して行く。
「ふん!」
馬超が鋭い踏み込みによるドンという音と共に許チョの胸の中央を突く。
速さよりも力に重点を置いた『豪突』という突きである。
中途半端な防御や並の鎧など紙のように容易く突き破れるだけの威力を秘めている。
ヒュ!
しかし、許チョはだらりと下げたままの両腕を予備動作無しで交差したまま跳ね上げ馬超の長槍の下に潜る。
「ぐ!」
許チョは潜った勢いで一歩踏み出して軽く膝を折り、手甲同士で挟んだ長槍を滑り降り両肘をそのまま馬超の腹部へと落とす。
馬超はその肘を腹筋に力を入れて耐える。
そしてすぐさま右膝を許チョの顎先へと放つ。
「むぅ!」
完全に入ったはずの自らの一撃を受けてこれほどすぐに反撃がくるとは思っていなかったのか許チョの対応が一瞬遅れる。
腰を引くことで身体を丸め下がった肘を防御へ向かわせるが僅かに間に合わず馬超の膝が顎へと吸い込まれる。
馬超はそのまま押し込んで更なる衝撃を与えようと力を込めるが、遅れてきた許チョの両肘が馬超の膝を上から押さえ込む。
「ふん!」
馬超は抑えられた右脚を力に逆らわずすぐさま地に下ろしその際僅かに踏み込んで身体ごと許チョへ体当たりした。
今までの攻撃で体勢が低くなり重心が後ろに下がっていた許チョはその攻撃を受け止めることが出来ない。
押されるままごろごろと後ろ向きに転がっていく。
すぐさま馬超は追撃をかけるべく槍を構え直して踏みだそうしたところで動きを止めた。
「馬超!」
武仁の声に馬超は視線だけで許チョを示す。
そこには押されて転がっていたはずの許チョが両手両足の手甲と足甲の影に隠れるように丸まってその隙間から鋭い視線を馬超に向けていた。
「わざと転がって馬超を誘ったのか?」
「あの手応えであれだけ転がる訳はないからな」
馬超が止まったのを見た許チョは構えを解くと再び立ち上がる。
「先日の張飛の一戦といいなかなか厄介な物を着ている」
呟く許チョの視線の先は馬超の銀鎖の帷子である。
先ほどの許チョの肘はカウンター気味に完璧な態勢で入っていた。
その許チョの一撃を耐えきるためにはいくら鍛え上げているとはいえ馬超の腹筋だけでは足りない。
ホウ徳が変化した鎖帷子があったからこそその威力のほとんどを相殺して即座の反撃が出来たのである。
「許チョよあくまで組み打ちの技で戦うか。
戦場では大きな盾と無骨なほどに禍々しい金棒で暴れていたはずだが」
槍を向けながらの馬超の言葉に許チョは横目で張飛と関羽の状況を確認する。
しかし、そちらの状況に大きな変化はないがむしゃらに攻める張飛と受け主体に立ち回る関羽の構図である。
「まだかかりそうだな」
口内で呟いた許チョは視線を馬超へと戻し口を開く。
「いいだろう、お前の無駄話につきあってやる」
馬超達に対し不動壁を使っていたことからしても許チョが積極的に戦う意志がないことは明白である。
万に一つの危険を冒して戦い続けるよりも相手が乗ってきてくれるのなら無駄話に興じるのは悪い話ではないのだろう。
「若いお前は知らぬだろうが…
我が主には私の前に近衛の任についていた者がいる」
「ん?」
許チョのその言葉に誰よりも大きな反応を示したのは孫仁への助太刀を終えホウ統の護衛に戻り、その後も孫仁と馬超の戦いに注意を払っていた悪来だった。
「主に対する忠誠もその武も申し分のない漢だった。
…私ほどではないがな」
「ほう、それが?」
馬超は正直まともに答えが返ってくるとは思っていなかった。
しかし、あの日戦場で見た許チョと今の許チョ、その変化ぶりがどうしても馬超は気になっていた。
その謎がもし解けるのであれば戦いを求め暴れ出しそうな自らの体を少しなら抑えておけそうだった。
「あるとき我が主とそいつは敵の策に落ちた。
完全に不意を突かれ気づいた時には屋敷の周りはほとんど敵に囲まれつつあった。
しかも戦中では無かったため付近に詰めていた味方も少数。
絶体絶命と言える状況に追い込まれたのだ」
「…」
悪来と馬超はその言葉にそれぞれの思いで押し黙る。
悪来はあの忌まわしき夜を自分への怒りと後悔と共に。
馬超はあの曹操が赤壁以外でそこまで追い込まれたことがあるという話を知らなかったための困惑である。
「この時、近衛の長だったそいつは敵の策略に嵌り酔わされたあげく愛用の武器や防具を奪われていた」
「く…」
悪来の悲痛な呻きが漏れる。
「それでもそいつは敵の追撃を防ぐため屋敷の入口に立ちはだかり次々と押し寄せる敵と無手のまま戦い続けた」
「ほう…」
その絶望的な状況でそれでも逃げようとしなかったというその漢に馬超は感嘆の声を漏らす。
「しかし、そんな戦いなど長く保つはずもない。
やがては遠巻きに矢を浴びせられ息絶えるのだがそいつは最後までその場を倒れなかったと聞いた」
「…なかなか気骨のある人物だったようだな」
馬超の言葉に失笑した許チョは小さく首を振る。
「馬鹿を言うな。
確かにそいつの戦いがあったおかげで主は包囲が完成する前に囲みを抜けた。
だが完全に逃げ切るには数多くの兵達の犠牲が必要だったのだ。
そして主自身も小さからぬ怪我をいくつも負ったうえに、犠牲者の中には自らのご子息も含まれていた」
「な!…なんということだ…
あ、あの時、我らに随行していたのは曹操殿の長男、曹昂殿…
俺が…俺のせいで…あの聡明な曹昂殿が…」
曹昂字は子脩
中国後漢末期の武将。
曹操の長男。
曹操が長繍軍と戦になった際、曹操は張繍の降伏を受け容れる。
その時曹操は張繍の族父である張済の未亡人と密通した。
これを知った張繍が激怒し張繍が曹操に奇襲をかけた。
襲撃から逃れる道すがら曹昂は馬を失った父を無事に逃がすために自らの馬を父に差し出したのである。
その馬のおかげで曹操はかろうじて危地を脱っした。
だが曹操に馬を譲った曹昂はその後、張繍軍の攻撃を受け奮戦むなしくその短すぎる生涯を終える。
悪来が悲痛な呻き声を漏らす。
だが、その声を聞いても玄やホウ統達には悪来にかけてあげられる言葉がない。
なぜなら敵の策に嵌り不覚を取ったのは間違いなく悪来自身の責任だからである。
『仕方がない』『悪来だけのせいじゃない』と言葉をかけることは簡単である。
だが、悪来はそんな言葉を望まないだろう。
自らの失態を重く受け止め意識有る限り自分を苛み続けるつもりだったはずだ。
だが、先日関羽から生き残った曹操が悪来の働きを認めてくれていたと知った。
そして悪来がいた頃に思い描いていた覇業をほぼ成し遂げていたと知り自らの死に対する無念が少し晴れたような気がしていた悪来。
だが、自分の失態で曹操に後継者を失わせていたという事実はようやく救われかけた悪来の心を再び打ちのめすには十分過ぎる事実だった。
「だからこそ私は近衛として仕えている時は武器に頼らぬ武を選んだ。
主の側へ敵を誰1人通さぬための武を鍛錬し続けたのだ」
「…なるほどな。
それが無手の技であり、不動の技であったか」
「え!ってことはそもそも『不動壁』の原型には許チョ自身の技があったってこと?」
許チョの話を聞きその武に得心がいった馬超が頷き、そんな個人の武術までをも把握して技を設定したこのゲームに武仁は戦慄する。
技として設定されている以上、許チョが身につけていた技術までをもデータとして知り得たということ。
それはつまり1人の人間を電子データとして復活させられるということだけではなく、その人間が知っていた知識全てをデータとして吸い出せるかもしれないということになるからである。
「そう言う意味では典韋という漢に私は感謝している」
典韋という言葉に馬超がむっと声を漏らし、視線を悪来へと向ける。
その視線の先では許チョの言葉に打ちひしがれている悪来の姿がある。
馬超も悪来という喋る馬が本来典韋という名の武将であることは既に教えられていた。
「結果として私が主を守るために進むべき道を明確に示してくれた訳だからな。
そして…不覚を取らぬためにはいかなる油断も妥協もしてはならぬということをその無様な死に様で身をもって教えてくれた。
おかげで私はあいつのような失態をおかすことなく主を最後まで守り通すことが出来た。
まさに我が最大の反面教師として尊敬すらしている」
「な!そんな言い方!」
武仁が思わず叫ぶ。
武仁も三国志についてはそこそこ詳しい。
悪来典韋と呼ばれた豪傑がどのように死んだかは書籍の上でだが知っている。
もともとあの危機は曹操自身に原因があった。
悪来に過失があったのは間違いないが、その後の戦いぶりを考えればそこまで悪し様に言われるようなことでは無い。
「いや、それでいい。
それこそが悪来が望んでいることだろう」
武仁の叫びに馬超が静かに首を振り呟く。
「え?どういう…」
問い返そうとした武仁が途中で言葉を止めた。
武仁の視界でほんの一瞬だけ許チョが視線を悪来へと向けたような気がしたのだ。
武仁はその視線につられるように悪来を見る。
「おぉ…」
「…悪来が泣いてる?」
悪来は天を仰ぎ声を押し殺しながら涙を流していた。
「…なんで?」
一瞬武仁は許チョの言葉に腹を立てて悔しさから泣いているのかと思った。
しかし、悪来の姿はむしろ安堵のようなものを感じる。
「私には分かる気がする」
「え?どういうこと」
馬超は自嘲の笑みを浮かべるがそれ以上は語らない。
悪来は自らの失態を自覚しながら最後まで戦って戦って戦い抜いて死んだ。
だが本来の役目を果たせず主君を危険に晒したということは武人としても臣下としても許されることではない。
もし悪来がその場を生きて逃れることが出来たならばしかるべき場においてその罪を裁かれたことだろう。
そうなれば主君に重傷を負わせ、さらには嫡子を失わせたという結末から考えれば死罪すらあり得た。
だがそれこそが悪来が心の底で望んでいたものだった。
己の失態に対ししかるべき罰を受け、その上で仮に死罪を免じられたとしたならばその恩に報いるためいっそうの忠義を尽くす。
そうすることで一生をかけて汚名を雪ぐ。
しかし戦い抜いて死んだ悪来にはその機会は与えられなかった。
悪来はそれが例え自分だけの自己満足に過ぎないものだったとしても誰かに責められたかった。
こんな大失態をおかした不甲斐ない自分を罵倒し、打ちのめして欲しかったのだ。
「すまぬ…すまぬ…
だがこれで俺は…」
泣きながら謝罪を繰り返していた悪来はやがて大きく首を振り涙を吹き飛ばした。
その表情はどこかすっきりとしているように見える。
「許チョはあの馬が典韋だってことに気がついてたのかな?」
「かもしれぬな」
先ほどの許チョの視線が偶然とは思えなかった武仁の問いに馬超も頷く。
確かに自分たちは典韋が変化している馬に対して『悪来』と呼びかけることになんの注意もしていなかった。
ここで許チョ達と対峙してからも誰かが悪来のことを呼んでいたとしてもおかしくない。
それを聞いた許チョがもしかしたらと思ってわざと今のような話をしたということも考えられなくはない。
「悪来を慰めたってこと?」
「ふ、あの漢はそんな甘い漢ではない。
さっきの言葉は文字通りの本心だろう」
馬超は小さく息を漏らして否定する。
「ただ、それを悪来がどう感じるかはわかっていそうだったがな」
「ん~なんかいろいろ難しいんだね」
まだ小学生の武仁に細かな武人の機微を理解するのは確かに難しいだろう。
「さて、許チョの戦い方が私が知っているものと大きく違っていたという謎は解けた。
そして今の話からいくつか推測できたこともある」
構えた槍に神経を通わせるかの如く集中し始めた馬超が許チョを睨みつける。
「話に付き合ってくれたことには礼を言おう。
だが、あちらも決着が付きそうだ。
こちらも無駄話は終わりにするとしよう」
馬超の言葉に武仁は思い出したように関羽達を見るがそちらはまだ膠着状態である。
(じゃあ、あっちか…)
更に視線を動かした先では異常なほど筋肉が膨れあがった華佗と孫仁がまさにぶつかり合わんとしているところだった。
「ふん」
まるで今思い出したかのように華佗の戦いを確認した許チョが侮蔑の笑みをを浮かべる。
許チョにとっては華佗の戦いなどどうでもいいのだろう。
「いくぞ」
馬超はそう宣言すると許チョへと向かって走り出す。
そうして一気に間合いを詰めた馬超は長槍を下から斬り上げる。
「…地旋」
武仁が呟く。
馬超が得意とする技の入り方であり、武仁が最初に覚えた馬超の技である。
地面すれすれから斬り上げられるこの攻撃を今までの相手は少し退がることで間合いを外して対応していた。
しかし、許チョは自らの股下から迫る長槍を僅かに腰を落とし、右の手甲で弾いた。
馬超は左に弾かれた長槍を無理に引き戻さず弾かれた勢いを利用して自らの身体を一周させる。
「曲風」
その際に馬超は水平に弾かれた長槍を手元で軽く力を加えて回転方向を変え右肩の上から長槍を戻し今度は振り下ろす。
おそらく対面していた許チョには馬超の右側から出てくるはずの長槍が突然頭上に現れたように見えたはずである。
相手の状況に応じてそのまま水平に斬り払うことも足下を薙ぐことも出来る、そういう技なのだろう。
それでも許チョは頭上から振り下ろされる長槍に対して今度は左手の手甲で長槍を押し滑らせて受け流す。
長槍は許チョの身体を逸れ地面を叩く。
「咬狼」
馬超はその際に敢えて強く地を打つことで反動を利用して長槍を加速させ許チョの左脚へと跳ね上げる。
「っ!」
変幻自在の馬超の技に小さな舌打ちをしつつも許チョは左脚を僅かに捻りつつ地を踏み足甲を長槍へと向ける。
ガンという鈍い音と共に長槍を受け止めた許チョは踏み込んだ左脚を軸に右脚で回し蹴りを放つ。
だが長槍で攻撃している馬超へは間合いが遠い。
「ち!」
だが、馬超は小さく舌打ちをすると長槍を引く。
許チョの狙いは馬超自身ではなく長槍を持つ馬超の持ち手だった。
かろうじて持ち手を潰されることは回避したが長槍を強かに蹴られ馬超はバランスを崩す。
「危ない!」
許チョの追撃を想定して武仁が声を上げる。
「いや、問題ない」
しかし、馬超は慌てずに槍を一回しすると再び許チョと正対して構える。
「やはりな…」
「…」
呟く馬超に許チョは薄い笑みを浮かべるのみ。
「なんで追撃がないってわかったの馬超?」
「私としたことが軍師の言葉を忘れていた。
ホウ統は『許チョ殿の肉体は凝縮された筋肉の固まり』『その力を要所で解き放つことで驚異的な力と速さを生み出している』と言っていた」
「…確かに言ってたね」
「そして『その戦い方とあの位置を動いていないこととは無関係ではない』ともな」
それは馬超と許チョの戦いが始まる直前の言葉である。
「先ほど許チョが戦い方の話をしてたのを聞いて思い出した。
その言葉と今までの戦いから推測すると、許チョは本来の肉体をあの形にまで抑え込んでいるということだ」
「…どういうこと?」
「…説明は難しいな。
簡単に言えば『今ある私のこの身体を今のままの質量で見た目だけ半分にする』ということだ」
「え?そ、そんなの無…理」
「まあ、普通はそうだろうな。
だがあの漢はやったのだろう。それこそ血の滲むような鍛錬の末にな。
ホウ統が言う『凝縮された筋肉の塊』というのはそう言うことだ」
「あ…でも、もの凄い密度の筋肉が内包されてるからこその強度で、凝縮した力を一気に解き放つことが出来るからこその予備動作無しでのあの動きってこと…か」
武仁が持つ常識では到底納得は出来ないもののそう考えるといろいろつじつまが合ってしまうことに気づく。
「そして、一度解放した力を最も効率よく凝縮し直せる体勢こそがあの不動の姿」
「なるほど…
それなら許チョをその体勢にさせないように戦えば良いってことだね」
不動の体勢では連続して出せる予備動作なしの動きも流れの中では溜めた力を一度解放してしまうと仕切り直して力を溜め直すまでは出来ない。
そうすればもともとの動き自体もおそらく達人級であることは間違いないが反則級の動きに悩まされることはない。
「ふん、わかっておらんな武仁。
あの体勢にあやつが自信を持っているならばそれを打ち砕いてこその完全勝利!」
馬超は楽しげに言い放つと槍を構えて突進する。
「はぁぁぁぁ!」
ガガガガガガガガガ
「…す、すご…」
正面から長槍の間合いで許チョと相対した馬超の息をつかせない連撃。
怒濤の連突きからかちあげ、打ち下ろし、なぎ払い。
それを手甲足甲で受け続ける許チョ。
2人の攻防は双方に疲れがないため、馬超のテンションが上がっていくにつれ速度だけがどんどんと増していく。
「ちょ…見えないし…」
許チョも馬超もほとんどその場から動かないため顔や身体はかろうじて確認出来るが、2人の間で応酬しているであろう細かい攻防はほとんど見えない。
長槍と手甲が時折強くぶつかった時だけ一瞬速度が落ちるのか残像のようなものが見えるだけである。
更に連続して聞こえていた衝撃音すら2人の攻防の速さについて行けず、もはやひとつの音になりガァァァァという音だけを戦場に響かせていた。




