表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志~武幽電~  作者: 伏(龍)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/44

武人

 ホウ統から交代を命じられた孫仁は2つの剣をそれぞれの手で逆手に握り自らの背後に隠すように持ちながら華佗と正対していた。


 こうしておけば剣を握る持ち手部分も腕を下ろすだけで比翼の袖が覆ってくれる。


 華佗の針での攻撃の危険を減らすためには肌の露出は少しでも減らしておきたいという孫仁の工夫だろう。


「レン!


 比翼には針は刺さらないかもしれないけど首より上は要注意よ」


 茜の言葉に小さく頷く孫仁。


 さすがにこれから戦闘をする上で首から上まで比翼をかぶって戦う訳にはいかない。


 隠しようのない首や顔、頭などは華佗の怪しい動きに注意することで対処していくしかない。


「お久しぶりです老師様。


 きちんとお会いしたのは周泰将軍の治療の時以来ですが、街では何度かおみかけしておりました。


 覚えておいででしょうか?」


 静かに語りかける孫仁を白い髭を撫でながら見ていた華佗の目がぴくりと動く。


「ん!おう、おう。


 誰かと思えば孫呉の姫君ではないか。

 

 これはまた懐かしいうえに意外な人物と再会したもんじゃな」


 華佗は楽しそうに微笑みながら何度も頷く。

 

 華佗の中ではこの世界に女である孫仁が参加していることが意外だったのであろう。


「はい、わたくしもまさか老師様に再び会えるとは思いもしませんでした」


 昔を懐かしむように話しかける孫仁とは対照的に華佗の言葉には全く懐かしむ気配はない。


 ただただ、楽しげに髭を揺らすのみである。  

「ふむふむ、錦馬超の次は弓腰姫が相手をしてくれるのか?


 なんとも楽しい世界じゃのう」

 

 そう言うと華佗は髭を撫でていた手を前に伸ばす。


「…!」


 孫仁はその動作を最期まで確認することなく片手を目の前にかざして比翼のカーテンを作る。


「ほう…馬超が動き出したのでまさかとは思ったが儂の針に気がつく者がいたのか」


 過剰なほどの孫仁の動きで自らの針の技が見破られていることに気がついた華佗が感嘆の声を漏らす。


「あなたの針の技は私達の軍師が看破致しました。


 更に私が着ているこの衣は投擲された針を通しません。

 

 そして…私は老師の動きから決して注意を逸らしません」


 孫仁にしては珍しく当初から強気の姿勢で華佗へと『針術は通用しない』と宣言した。


 無論それには孫仁なりの思惑がある。


 孫仁は本来医者である華佗の戦闘方法がそう多くはないだろうとまず考えた。


 その上で華佗の有力な戦闘手段であろう針術を無効化したと華佗に思わせたかった。


 そうすれば戦う術を失った華佗が戦闘をやめてくれるかもしれないと考えたのである。


「ひょひょひょ、馬超といい、姫といいぬるいのう。


 出でよ『青嚢書』」


 そんな孫仁の思惑など全く意に介さず華佗は楽しげに笑うとその手に青白く輝く本を出現させる。


「確かに儂自身は針を封じられるときついがのう。


 儂にはまだこれがあるでな」


 華佗の言葉に反応したかのように左手の上にあった青嚢書が勝手に開いていきある部分で止まる。


「出でて喰らえ!むくろども」


 華佗の言葉に応えるように青嚢書が鈍い輝きを放つ。


 と、同時に華佗の足下の地面が盛り上がっていく。


 その数は3つ。


「ちょ、ちょっと…何あれ?」


 その様子を見ていた茜の声が震える。


 なぜなら盛り上がった地面の中から土にまみれた手が見えたからである。


 その様子は茜の脳裏に1つの言葉を嫌でも思い浮かばせる。


「まさかゾンビ?」


「…確か屍人しびとのことでしたね」


 茜の呟きに孫仁が答える。


「うん…しかも3体か。


 相手の動き次第じゃ厳しい戦いになるわ。


 レン!今のうちに少しでも相手にダメージを与えておいた方がいいかも」


 実は気が強そうに見えて意外と恐がりな茜はホラー系のゲームはあまり得意ではない。


 だが、玄との付き合いの中でその手のゲームにもそこそこ詳しい。


 そのゲームの中で常々思っていたことがある。


『のんびり見てないで地面から出てくる前にやっつければいいのに!』


 ということである。


 その本心は地面から出てくる前にやっつけてくれれば気持ち悪い姿を見なくて済むというものだが、現実で考えればもっともな話である。


 無論ゲームの制作者としてはその登場シーンは恐怖を煽るための重大なものであるため主人公達はのんびりと相手が万全の状態で動き出すのを待つしかない。


 しかし、この世界なら孫仁次第で攻撃することが出来るのである。


「確かに茜の言うとおりです」


 地面から人が這い出てくるという異常な状況に思わず固まっていた孫仁だったが茜の言葉の有用性を一瞬で是と判断するやいなや一気に駆けだした。


 孫仁が茜のひと言ですぐさま我に返り攻撃に転ずることができたのは、常々関羽や悪来と想定外を意識した訓練を繰り返してきたたまものだろう。


「ほっほっほ、よい判断じゃ」


 青嚢書を持ちながら事態を見守る華佗はすっかり傍観者である。

 

 だが、3体の屍人はようやく頭を出し、両手を地面にかけたところである。


「よし!これならうまく行けば2体、最悪でも1体は倒せる」


 孫仁の素早い判断と行動力を内心で喝采しながら茜が叫ぶ。


「じゃが、そううまくいくかのう」


 そんな華佗の呟きは誰の耳にも届くことはない。


 剣を構えたまま身を低くして一気に間合いを詰めた孫仁が左端の一体に対し逆手に持ったままの左手の剣を横薙ぎに振るう。


 地面すれすれを走らせた剣で一体をなぎ払った後中央の屍人にも一撃をくらわせようとする動きである。


「土に還りなさい!」


 死者へ対し畏敬の念を払いながらも迷いの無い一撃。


「うぅ…あぁ」


 その孫仁の一撃に対しようやく胸までを土から出したばかりの屍人は呻きながら緩慢な動きで孫仁の剣へと右手を伸ばす。


「遅い、これなら!」


 孫仁はそれに気がついたが、その動きに注意すべきところはないと判断。


 剣を握ろうとするかのように剣の軌道上に伸ばされた手の平、その中央に向かって自らの剣を振り抜く。


 ブシュッ


「く!」


 鈍い切断音と共に孫仁の動きが止まる。


「レン!」


 叫ぶ茜の視線の先では、屍人の手の平を引き裂いた孫仁の剣が屍人の右肩辺りで止まっている。


「まさか!」


 思わず呟く孫仁の心中は穏やかではない。

 

 自らの力量を冷静に判断して、自惚れでもなんでもなく伸ばされた手を斬り落とし頸部に一撃を加えられると孫仁は確信していた。


 それなのに、剣が止められてしまった理由は2つ。


 1つは屍人が孫仁の剣の軌道に合わせるように腕を微妙に動かしたからである。


 孫仁は屍人の手の平のみを斬り裂くつもりだった。


 だが、屍人の動きによって孫仁の剣は屍人の肉と骨を手首から肘、二の腕、肩までと斬ることになってしまった。


 技と速度で非力を補う孫仁にとっては1番やってはならない斬り方である。


 結果として屍人の右腕はチーズを割いたかのように上下に2つに分かたれているが孫仁の剣はそこで食い止められてしまっている。


 そして、もう一つは


「…レン!う、腕が再生してる!」


 そう、孫仁が渾身の力で引き裂いた腕は触手のような物が伸びて繋がり、徐々に元に戻りつつあった。


 おそらく斬り裂かれると同時に再生能力も働いていたのだろう。


 そのことが更に孫仁の剣に抵抗し、孫仁の剣は最期まで振り抜くことが適わなかったのである。


「くっ」


 孫仁も腕の再生にはすぐに気がついていた。

 

 そのため、自らの剣が屍人の腕に取り込まれ動きが取れなくなる前に剣を素早く引き抜いていた。


 こうなってしまうと先制攻撃の利点は既に無い。


 結局、孫仁は仕切り直しのために再び距離を取らざるをえなかった。


 そして、その時間は三体の屍人達が完全に地上へと姿を現すには十分過ぎる時間だった。


「結局出てきちゃったか…」


 土から這い出てきたはずなのに妙に綺麗な3体の屍人を見て茜が呟く。


 おそらく制作者側が演出として土から出現させたかったというだけだったのだろう。


 それは実際の戦闘には土から出てきたという事実は全く関係させないということ。


 その証拠に3体が出てきた穴も既に無くなっている。


「すいません茜、私の見込みが甘かったようです」


「ううん、私もゾンビに再生機能があることまでは想定出来なかったからお互い様よ。


 それより実質4対1になっちゃったけど大丈夫?」


 屍人達の動向を窺いつつ、2本の剣を順手に持ち替えた孫仁の謝罪に茜は首を振って質問を返す。


 現れた3体の屍人は粗雑な革鎧のようなものを身につけ剣を腰に差している。


 眼窩は落ち窪み、表情は虚ろで意志のようなものは感じられないが何らかの形で連携を取られるようだと厳しい戦いになる。 


「動き自体はそれほど早くはないようです。

 

 ですが、私の剣の動きを見切って敢えて腕を斬らせたような節があります。


 もしかすると彼らにも武の心得があるやもしれません」


「そっか…簡単に倒せる相手じゃなさそうね。


 加えて華佗の針から注意をそらす訳にもいかない…か」


「はい」

 

 それは3体の屍人達と戦いながらも華佗の動きには常に注意を払い続けなくてはならないということである。


「とりあえずやるしかないのよね…


 3体もいたらあいつらをかわして華佗を直接狙うのは難しいから…まずはゾンビどもから倒していこう」


 冷静に分析すればするほど楽観出来るよう状況ではないが茜の生来の明るさのせいか、孫仁と茜に悲愴感はない。


「では、どうやって?」


「あ、それ関羽さんぽいかも」


 茜の言葉に孫仁は口元を抑えて笑う。


 孫仁なりに茜の緊張をほぐすために、わざと関羽を意識した問いかけをしたのだろう。


「そうね、こんなとき玄なら…」


 そう言って視線を向けた先では玄が関羽と張飛の激しい攻防を見ながらホウ統となにやら話し込んでいる。


 その姿は真剣そのもので(茜限定かもしれないが)鳥肌が立つほど格好良い。


 茜はそんな玄と一緒に戦ってるということだけで勇気が沸いてきて、頭が冴えてくるような気がしていた。


「よし、レン!

 

 華佗の動向は私が見るわ。


 私なら視点を調整して華佗の動きをより確実に追える」


 茜の力強い言葉に孫仁は小さく頷く。


「むしろ、レンは常に華佗を死角に入れるくらいのつもりで戦って」


「…なるほど、こちらから見えなければ相手からも見えない。


 つまり弱点である頭部を常に屍人達の影に入れおけば針を気にする必要はないのですね」


「華佗が怪しい動きをしたら私が声をかける。


 レンは囲まれないようにしながら1体ずつあいつらを倒す」


「分かりました」


 剣を構えて頷いた孫仁が微かに微笑む。


「ん?どうかした?」


「いえ、なんでもありません。


 では、行きますよ茜」


 茜の問いかけに優しく微笑んだまま孫仁は小さく首を振ると鋭い視線を屍人達へと向ける。


「了解、怪我とかしないでよ。


 私も精一杯やるから」


「ふふ、了解です」


 そう言うと孫仁は土から出てきて剣を抜いたまま向かってこようとしない屍人達へと向かって走り出す。


「おそらく屍人達がこちらへ向かって来ないのは華佗老師との距離が開きすぎないようにするため。


 つまり、華佗老師は屍人達をかわされて直接攻撃されることを警戒しているということ。


 ならば私達は…」


 孫仁は横に並んだ三体の死人達の中央へと突っ込むと見せかけて中央の屍人が振り下ろした剣を簡単に身を捻ってかわすとその手首を斬り落とす。


 さらにその流れで左の屍人に対して回転しながら横薙ぎの一撃を振るう。


 キンッと甲高い音を立ててその一撃は受け止められるがそれには構わず孫仁は更に左へと回転を続けて回り込もうとする動きを見せる。


 それを見た右の屍人が中央の屍人の後ろへと移動しようとするのを孫仁は視界の隅で確認した。


「やはり華佗老師を守るように動きますね」


 そう呟いた孫仁は屍人達が重なるタイミングでちょうど向かい合った左の屍人の胸元に力任せの前蹴りを放つ。


 非力な孫仁では屍人を吹き飛ばす程の威力はないが、正面から当たれば後ろによろけさせることは出来る。


 そして、孫仁の目論見通り後ろによろけた屍人は中央と右の屍人にぶつかり2人の動きを止めた。


「うまい!」

 

 茜の賞賛の言葉を背後に聞きながら孫仁はその機を逃さず更に間合いを詰め左端の屍人を袈裟斬りにした。


「まだです!」


 屍人の左胸から右の脇腹までを深々と斬り裂いた孫仁は生身の相手ならほぼ致命傷である傷にもかかわらずそこから更に円の動きで攻撃を繋げていく。


 おそらく屍人達の再生能力を考えてのことだろう。


 両手の剣、そして裾や袖に仕込まれた刃、それらを余すことなく活用して繰り出される連続攻撃は疲労による速度の劣化がないこととも合わさりまるで刃の竜巻を連想させる。


 だが、それも時間にしてみればわずか数秒。


「レン!」


 動きを止めていた残りの2体が体勢を整え、孫仁を囲むように動きだそうとするのを見た茜の声に素早く反応した孫仁が再び距離を取る。


「…あれでも仕留めきれませんか」


 再び横並びになった屍人達、その中央の屍人が先ほど孫仁の連続攻撃を受けていた屍人である。


 頭部を守るように覆っていた腕は殆どが千切れて無くなり、腹部や足にも無数の斬り傷が刻まれている。にもかかわらず倒れていない。


 それどころか、こうしている間にも目に見えて肉体が修復されていっている。


 先ほど手首を斬り落とした屍人も既にその傷はない。


「でも、レン。


 あいつは他の部分を犠牲にしてでも頭部を守ってた。


 なら、頭部を破壊するか首を斬り落とせば倒せるかもしれないわ」


「はい、私の動きを囮にして彼らの動きを誘導すればなんとか有利に戦えそうです。


 次は狙ってみます」


 再び動きを止めた屍人達と向かい合った孫仁が勇ましく答える。


「やれやれ、さすがは弓腰姫と呼ばれるだけのことはあるのう。


 骸の状態ではちと危険じゃな」


 青嚢書を開いたまま傍観していた華佗が肩をすくめる。


「一体何を言って…」


 危機感のない華佗の呟きに不穏な気配を感じた孫仁が華佗を問いただそう口を開く。


「これをやるとかなり疲れるんじゃがやむを得んのう」


「レン!華佗の本がまた光り出したわ」


 そんな孫仁の言葉には全く耳を貸さず華佗はうすら笑いを浮かべたまま青嚢書を繰る。


「まずは1体で良かろう。


 さて、どれにするかのう…まあせっかく呉の姫君がいるならあやつにするか。


 我が僕となりて甦れ『還魂の法!』」


 華佗の呪文に反応した青嚢書が輝きを増すとそれに呼応するかのように中央の屍人が白い光に包まれる。


「ちょっと今度は何よ!」


 めまぐるしく変わる戦況に思わず叫ぶ茜の目の前で光に包まれていた屍人が劇的に変化していく。


 土気色だった肌にみるみる生気が満ちていき張りのある肌と筋骨逞しい身体へと変わり、痩せこけていた頬も瞬く間に精悍な顔つきへと変貌していく。


 そして、落ち窪んだ眼窩の影で虚ろな視線を送っていた眼も今や強固な意志を感じさせる。


 その変化を警戒しながら見守っていた孫仁が訝し気に眼を細めた。


「…まさか!」


「どうしたの?レン」


 細めた眼がすぐさま驚愕に見開かれるのを見た茜が心配そうに声をかける。


 そうこうしてる間にも屍人はどんどん生気が注入されていくかのように人間味を取り戻していく。


 すると生気を取り戻した肌にいくつもの傷痕が浮かび上がってくる。


 今までは土気色をした肌と同化して見えなかったのであろう。


「その傷、やはり…」

 

 孫仁のその呟きが聞こえたかのように屍人の変化は終わる。


 そして最後の変化は虚空を睨みつけるようだった視線がゆっくりと孫仁へと向けられたことだった。


「お久しぶりです。孫仁様」


 胸の前で片方の拳ををもう片方の手の平で覆うと静かに頭を下げる漢には孫仁に対する確かな敬意が込められている。


「幼平、あなたなのですね」


「ようへい?幼平って字よね…誰だったっけ」


 孫仁の呟きを聞いた茜が脳内の記憶を探る。


「えっと…ようへい、ようへい…レン絡みだから呉の人よね…


 んと…あ!確か周泰…周泰 幼平」


 普通の高校生は三国時代の武将の字だけを聞いて名前まではなかなか思い出せないだろうが、ゲーム同好会の活動中に三国志好きの玄と字当てクイズをやったりしていた茜はすぐに答えに行き着いた。

 

「って周泰!めちゃくちゃ強敵じゃない」




 周 しゅうたい字は幼平



 当初は孫策に仕え、その能力を買われすぐに側近となる。


 だが、弟の孫権が周泰を気に入ったのを知ると周泰を信頼していた孫策は孫権の配下になるよう命じた。

 

 孫策が山越の(※呉と敵対していた異民族の総称)征伐に赴き、孫権が宣城の留守を任されていた時、孫権は油断しきっていたところを山越の軍に襲われて命の危険にさらされた。


 このとき周泰は、獅子奮迅の働きで味方を鼓舞し、身を挺して孫権を護る。


 しかし、その代償として全身に12ヶ所もの重傷を負い生死の境を彷徨う。


 この危機を救ったのが孫権に請われて治療にあたった華佗であった。


 華佗の治療により一命を取り留めた周泰は孫策からはいたく感謝され、孫権からは絶大な信頼を得るに至る。


 その後も度々戦場で活躍をするが、孫権が劉備と対立し、関羽を滅ぼして荊州を手中にした頃に没する。



「はい、お懐かしゅうございます孫仁様」


 顔を上げた周泰の表情には嘘は無い。実直そうな武人の顔である。


「私は呉に帰ってからはほぼ軟禁状態でしたので最後に会ったのは玄徳様と荊州に帰るときの道中でしたね」


 孫仁が懐かしそうに目を細める。


 劉備と孫仁の結婚は完全な政略結婚であったが、当人同士はお互いに想いを寄せ合う至極良好な結婚であった。

 

 しかし、呉の参謀達はそれならばとその政略結婚を機に劉備を呉に延々と引き止め続けようと連日宴を開いた。


 そして劉備を骨抜きにし、荊州の劉備軍を瓦解させようとしたのである。


 だが、そんな呉軍の計略を看破していた諸葛亮は護衛についていた趙雲に一計を託していた。


 すなわち『荊州に敵襲有り』と嘘の報告を劉備にすることで劉備の危機感を煽ったのである。


 この時、孫仁との婚姻を政略結婚だと理解していた劉備は孫仁と別れを告げ趙雲と共に荊州へ帰るつもりだった。


 しかし、孫仁が


「夫が家に帰るのに妻が帰らない理由はありません。


 それとも私との結婚は遊びだったとでも?」


 剣呑な雰囲気を纏う孫仁に劉備は慌てて首を振り


「そ、そんなことはない!


 ついてきてくれるなら私も嬉しい。


 …共にきてくれるか?」


 と同行を求めたところ孫仁が


「はい、お供いたします」


 劉備と共に行くことを望んだため一緒に荊州へと向かうことになるのである。


 こうなると慌てたのが当時の呉の君主孫権である。


 劉備を骨抜きにして人質のように扱うつもりが、逆に自らの妹を劉備軍に人質に取られるようなものだからである。


 部隊を差し向け2人を止めようとするが、普通の者では孫権の実妹である孫仁に逆らうことが出来ず追い返されるだけであった。


 そこで孫権が最後に送り出したのが周泰であった。


 孫権は周泰に場合によっては夫婦ともども切り捨てても構わないという厳命を与え追撃を命じたのである。

 

 だが、周泰は自らの意志で劉備についていくという孫仁を結局は斬ることが出来なかったのである。



「あの場ではあのような態度を崩す訳には行きませんでしたので、満足にお礼も言えませんでしたが見逃して頂いたこと感謝していますよ、幼平」


 あの時、手勢の少なかった劉備達は呉からの追っ手に対して力ずくで対応して逃げ出すことは難しい状況だった。


(実はこの時、すぐ近くまで諸葛亮の派遣した援軍が来ていたのだが劉備達がそれを知るのはまだ後のことである)


 そのため戦わずに呉を脱出するために孫仁の名前と立場は大きな力を持っていた。

 

 劉備自身は孫仁を矢面に立たせるような行動を取らせることに難色を示していたが、共に行くと決めた孫仁が「使えるものは使うべきです」と自ら申し出てすすんで追っ手の部隊と対峙していた。


 そんな孫仁が呉の君主孫権の妹という立場を最大限活用するためには女性らしく訴えるよりも弓腰姫と噂されていたことをも利用し一般兵達を恫喝するくらいの強気の姿勢が必要だったのである。


 しかし、孫仁がどんな態度で何を言っても効果がない人物がこの時呉には3人いた。


 

 1人はもちろん呉主である孫権。


 もう1人は呉の大都督周瑜。


 そして、孫権の懐刀周泰である。



 孫権は言わずもがな、呉の全権を預かる者として国益のためならば自らの妹であろうと容赦はしない。


 周瑜は孫策時代からの重臣であり、孫権が兄とも師とも慕う人物であり、知将としても名高い。


 おそらく孫仁が何を言おうとも子供をあやすかのようにいつのまにか言いくるめられ、呉へと連れ戻されてしまう可能性が高い。


 最後の周泰に関しては立場的には前述の2人には遠く及ばない。


 孫仁に対しても強く物が言える立場ではない。


 しかし、孫権に対する忠義だけは何者にも勝る。


 孫権が連れ戻せと言えば、連れ戻すし、殺せと命じれば殺すことに一切の躊躇も挟まないはずだと孫仁は考えていた。


 だから周泰が率いる追っ手が迫ってきた時、戦闘は避けられないかもしれないと孫仁は覚悟していたのである。


 だがその周泰は孫仁との問答以外は自分たち一行に手出しをしなかった。


 それはすなわち孫権の意に反し自分たちを見逃してくれたと言うことに他ならない。


 そして周泰が見逃してくれたおかげで孫仁はその後迎えに来ていた劉備軍と合流し無事に劉備と荊州へ帰る事が出来たのである。


 結果として短い間だったが幸せな夫婦生活を送れたことは孫仁の人生の中での宝とも言えるものになった。


 孫仁はそのことを深く感謝していたのである。


「礼など言われる筋合いなど有りませぬ。


 あの時、確かに劉備軍の手勢は少なかったとはいえ知勇兼備の猛将、趙雲が脇に控えておりました。


 迂闊に手を出せば負けぬまでもこちらの軍に少なからぬ被害が出たことでしょう」


 孫仁を真っ直ぐに見つめ返して言葉を紡ぐ周泰の言葉に一見して嘘は無いように見える。


 しかし、孫仁はふ、と笑って小さく首を振った。


「それならばそれでよいのです。


 あなたにそのつもりが無かったとしても、わたくしがあなたに感謝していることは変わりません。


 いつかきちんとお礼が言いたかったのです」


 そう言って小さく頭を下げる孫仁。


 それを見ていた周泰の表情がほんの僅か穏やかになったように感じたのは茜の思い過ごしではないだろう。


「ひょひょひょ、積もる話はその辺にしといて貰えるかのぅ。周泰」


 ぎりっ!


 後方から楽しげにかけられた声に周泰の奥歯が鳴る。


 その表情は先ほどとはうって変わり怒気に満ちている。


「幼平、あなたの意志ではどうにもならないのですね?」


 周泰のその表情を見ただけで事情を察した孫仁が優しく問いかける。


「孫仁様…」


 孫仁を見返す周泰の目が驚きの色を浮かべ、その後憐憫に変わる。


 あまりに察しのいい孫仁を見て孫仁も同じように不当な扱いを受けていると思ったのだろう。


 その周泰の視線に孫仁ははっきりと首を振り、周泰を真っ直ぐに見つめ返す。


「違います。


 わたくしは、よい相棒に恵まれました。


 そして、またあの方に会えるかもしれない機会を得ました。


 無論、このような事に怒りはありますが内心では感謝する部分も多いのです」


「…」


「ですが、ここに至るまでの間は悲しい戦いばかりでした…」


「レン…」


 孫仁は瞳に悲しみをたたえつつも表情には迷いがない。


 張松に突きつけられた覚悟が孫仁を強くしたのだろう。


 そんな孫仁の様子を再び暖かい眼で見ていた周泰の口が小さな弧をを描く。


「お強くなられましたな」


「はい、ですから遠慮はいりませぬ」


 そう言って2本の剣を構える孫仁。


「ふ、今度は見逃す必要はなさそうです」


 その言葉に孫仁は微笑みを返す。

 

「はい、今度は力ずくで押し通りあの方の下へ辿り着いて見せます」



「もう、よかろう。


 周泰、孫家のじゃじゃ馬姫を殺せ」


「く!」


 華佗から明確に示された指示に周泰の身体はゆっくりと構えを取る。


 だが、勝手に動く身体に抵抗しているのか周泰は苦悶の表情を浮かべる。


 だが孫仁はそんな周泰を見ても眉1つ動かさない。


「レン!こんな時だけど玄とホウ統さんから伝言」


 茜の声に孫仁は構えを乱さぬまま意識だけを向ける。


「『華佗を説得して欲しい』だって。


 張飛さんに腕をくっつけたのが華佗の仕業だとすれば華佗なら外すことも出来るかもしれないって」


 その言葉に孫仁は小さく顎を引くことで返事をする。


「…あと最後にもう一つ。


 『説得にこだわる必要はありません』って。

 

 説得が難しそうなら倒す事に専念してくださいって」


「承知しました!」


 茜の言葉が終わると同時に孫仁は周泰へと斬りかかっていく。


 得意の速度を活かして一気に間合いを詰めると低い姿勢から足下を狙って右手の剣をなぎ払う。


 しかし、周泰はその攻撃を僅かに下がることでかわす。


 そのかわし方は間合いをぎりぎり外すもので孫仁の攻撃がしっかり見えてなければ出来ない動きである。


 だが、孫仁の攻撃はここからが本番である。


 振り抜いた剣を追う袖で周泰の脚を薄く裂きつつ、更に円の動きで後ろ回し蹴りを放つ。


「む!」


 周泰はその蹴りも軽やかに跳んでかわす。

 

 しかし、それを視界の隅で確認した孫仁も足下を狙おうとしていた左の剣の軌道を斜め上へと修正する。


「おぉ!」


 その攻撃を自らの剣で受け流しながら周泰は驚愕と感嘆の入り交じった声を漏らす。


 受け流された剣に逆らわずに更に身体を回転させ流れるように連続技を繋げていく孫仁を見る目には賞賛が満ちている。


「これ程とは…」


 孫仁の攻撃にいくつもの傷を作りながらも周泰が漏らす声は何処か嬉しげに聞こえる。


「くくく、ならば私も覚悟を決めねばならん」

 

 そう言うと周泰は視線を華佗へと向ける。


「華佗よ!この忌々しい術を解け!」


「ひょほ!馬鹿を言うでないわ、お前は傀儡らしくぼろぼろになるまで戦えばよいのじゃ」


「勘違いするなよ華佗。


 このままでは負けると言っているのだ。

 

 我が負ければ困るのはお前ではないのか?」


「む?」


 今、孫仁の攻撃を受け続けているのは周泰の意志ではない。


 華佗の術によって周泰の肉体が生前の動きを自動的に行っているにすぎない。


「心配せずとも本気で戦ってやる。


 今や邪の道に堕ちたとはいえお前には命を救われた借りがある」


「……ふん。よかろう」


 激しく戦っているにもかかわらず真っ直ぐに華佗を見据える周泰に気圧されるように華佗が申し出を承諾する。


「…裏切られたとしてもどうとでもなるわ」


 吐き捨てるように呟いた華佗の手元で青嚢書が一瞬だけ光を放つ。


 同時に視線を孫仁へと戻した周泰は自由を取り戻した身体を確かめる間もなく、自らの剣を孫仁の攻撃にぶつけるようにたたきつけた。


「くっ!」


 力任せに叩きつけられた剣にバランスを崩された孫仁は無理に攻撃を続けず一旦距離を開けた。


「レン、大丈夫?」


「はい、ですが今のような防御をされると…」


 許チョの時もそうだったが技と速度で非力を補う孫仁には正面から力任せに来られる戦い方とは相性が悪い。


 正面から力任せに孫仁の体勢を崩すほどの一撃を放つとなれば相手もそれなりの力を使うので体勢を崩したとしても即不利になるわけではないが攻め手に欠けてしまう。


「そうね…でも気づいた?」


「?」


「今の攻撃でレンがつけた周泰の傷よ」


「…あ」


 茜に指摘されて周泰を見た孫仁が小さく声を漏らす。


「どうやらあの状態だと再生機能はなくなるみたいね」


 茜の言うとおり孫仁が周泰につけたいくつかの傷はどれも浅手だがまだ傷のまま残っていて再生はしていない。


「なるほど・・・幼平も自らの意志で戦うことを決めたようです。


 となればここからが本当の戦いということですね」


 それは互いに自らの意志で戦い、再生能力のようなこの世界特有の特殊能力もなく修練により身につけた武のみで戦うということである。


「レン、事前の打ち合わせ通り基本的に特技や必殺技は使わないで行くわよ。


 おそらくだけど一度敗北してから華佗の術で復活してる周泰も必殺技は使えないはずだしね」


「はい」


 小さく返事をした孫仁がぶるっと小さく震えた。


「どうしたの?レン」


「いえ…なんでなのかは分からないですが」


 そう前置きすると孫仁は2つの剣を握りなおして腰を落とす。


「本気の幼平と命がけで戦うのだと思ったら…

 

 なんだか震えるくらい嬉しくなってしまったのです」


 言葉の通りなんだか楽しげに見える孫仁に茜は思わず苦笑する。


「…すっかりレンも武人になっちゃったわね…それって武者震いってやつでしょ」


「ふふ、そうかもしれませんね。


 おかしな話ですが…私はあの時よりも今の方が『生きている』気がしています」


「レン…」


 茜はすでに一度死んでしまっている孫仁の矛盾した言葉に当時の孫仁がどれだけ不自由だったかを改めて知る。


 孫仁が周囲の反発を無視して武器を持ち武を磨いていたのも自分の思うように自由に生きたいという気持ちの表れだったのかもしれない。


「さ、茜。始めますよ」


「…了解、さっきも言ったけど今回はこの後も戦いが有る可能性があるから必殺技で体力を消耗しない戦いをする。


 だけど相手が呉の周泰ならここぞと言うときには特技を使って勝負に出るわよ」


「はい」


 今回玄や茜は複数対複数の戦いになることから流れによっては連戦になる可能性を考慮して必殺技を使わないという方針を決めていた。

 

 これが1対1の戦いならばここぞと言うときに術や必殺技を使っていくことは有効である。


 しかし、連戦が想定されるような場合は迂闊に必殺技や術を使って体力を消耗させることは次戦に回復しない疲労を持ち越す事になってしまう。


 実力が伯仲することが多くなってくるこれからの戦いにおいてその疲労は勝敗を左右しかねない。


 だが、必殺技を出し惜しみして大きな傷を受けては意味がないし、負けてしまってはそれこそ元も子もない。


 だから使わないことを前提としつつも、ピンチやチャンスの時には使用を躊躇わない心構えで戦いに臨むよう意思統一をしていた。


 その上で茜が使うと言っている孫仁の特技は『孫呉の威光』である。


 これは相手が呉に所属していた武将が相手の時のみに限り1戦闘中に1度だけ相手の動きを止める技である。


 その効果はほんの一瞬だが、使いどころを間違わなければ戦況を有利に動かせる技である。


 だが、この技は強力ではあるが効果のある武将は呉に属したことのある者だけなので使用出来る場面が少ない。


 そのせいか使用時における体力消費も低めに設定されている。


 ならば使える機会があれば出し惜しみをする必要はない。


 ましてや相手があの周泰ともなればますます使わない手はない。


 むしろ使わなければ勝てない可能性も高いと考えていくくらいの慎重さが必要だろう。


 孫仁もその辺りの事情は心得ているため、負けられない戦いにおいて今更卑怯だなんだと言うつもりはない。


 

「孫仁様…いえ孫仁。


 私は死して後も孫呉の臣、それは変わりませぬ。


 しかし、此度は恩義に報いるため1人の武人として全力でお相手致す!」


「言われるまでもありません」


 朗々とした声を張り上げる周泰に孫仁は僅かに微笑みきっぱりと言い放つ。

 

 その返答に満足そうに頷いた周泰の目がすっと細くなる。


「我が名は周泰!いざ参る!」


「孫呉の弓腰姫、孫仁!参ります!」


 互いに一歩も退かぬ名乗りと同時に一気に駆けだした2人の間合いが一瞬で詰まる。


 双方に初手を繰り出す体勢を整えていたが、僅かに早く攻撃を繰り出したのは周泰だった。

 

 速度においては孫仁にやや分があるが、体格からくるリーチの差で周泰の方が勝ったせいだろう。


 周泰はおそらく先ほどの孫仁の攻撃を見て孫仁を流れに乗せない方が良いと判断し、先手を取り孫仁に主導権を与えないようにした。


 そして、細かい突き等を多用して攻撃を繋ぎ孫仁が受けに回らざるえないようにし、攻撃に転じる隙を与えない。


 こうなると先手を取られた孫仁は周泰の思惑通り受けに徹するしかない。


 周泰の攻撃を確実に2本の剣と体術で受け流しながら孫仁は反撃の機を窺う。


 一瞬でも気を抜けば命を落とすことも覚悟しなければならないほどの攻撃を受ける緊張感の中で孫仁は必死に周泰の動きを観察する。


 孫仁の知る周泰は希に見る剛力の持ち主であった。

 

 だが、力に頼る訳ではなく剣を使わせても人並み以上の武を持っていた。


 だが周泰が日頃より好んで使用していた武器は鋼の棍であった。


『なぜ棍を使うのですか?』


 昔、孫仁がそう周泰に尋ねた時、周泰は


『性に合っているのです』


 としか答えてくれなかった。


 ならばと後に兄である孫権に尋ねてみたが孫権が笑いながら答えたのは


『私の最も信頼する護衛だからだ』


 というものだった。


 当時はうまくはぐらかされたとしか感じなかった孫仁だったが、あらゆる武器との戦い方を関羽と訓練してきた今はなんとなくその理由が分かる。


 つまり、最も孫権の近くで孫権を護る周泰は呉国最後の砦であり、何があっても孫権を守り抜かなければならない立場。


 そのためには斬れば斬るほど刃こぼれして脆くなり、血のりで斬れ味も落ちていく剣よりも間合いの調節もしやすくただひたすら頑丈な鋼棍の方が武器を失わずに済む。


 さらに鋼の棍で相手の骨を砕く戦い方は相手が即死しないことも多く、苦悶にのたうち回る味方を見た他の兵士の戦意を削ぐのにも都合が良かった、ということなのだろう。


 孫仁の知る周泰は常に鋼棍を身につけ、暇さえあれば棍を振り続けていたものである。


 だから、もし周泰が今鋼棍を持っていたら…そう思うと孫仁は背筋が冷たくなる思いだった。


(もっとも剣だからといって幼平の強さにはあまり変わりはないのですけど)


 内心で愚痴りながらも2本の剣を駆使してなんとか攻撃を受けていく。


 力で無理に受けるのではなく素早いステップと体重移動を細かく行いつつ最小の動きで受け流しながら、周泰が牽制の細かい攻撃の中に混ぜている本命の攻撃を探す。


 まず本命の攻撃を見極める。


 そしてその攻撃を1歩踏み込んで受け流すことが出来れば孫仁が攻撃に転じる隙を作り出せるはずだった。


 しかし、周泰の怒濤の連続攻撃の中でそれを見極めるのは至難の業である。


「く!」


 実際のところ孫仁は周泰の攻撃を受けた後にその威力と精度から今のが本命の攻撃だったと判断するのがやっとだった。


 しかもその認識を抱けるのも一瞬のことですぐに次の攻撃の対処に埋もれていってしまう。


 互いに肉体的な疲労がない以上、この状態が続けば集中力が先に途切れた方が不利になるのは必然。


 更に技術面においても経験の差で劣る孫仁は長引けば長引くほど不利になっていく。


 一度距離を取って仕切り直そうにも、下がっても跳んでも同じだけ周泰が間合いを詰めてくるため逃れることが出来ないのだ。


(さすがは幼平ですね。


 このままではいつか受けきれなくなる)


 焦りからだろうか、無心に攻撃を受け続けていた孫仁の脳裏を不安がよぎる。


「ふん!」


 キィン!


「くぅ!」


 ほんの僅かな集中力の揺らぎ。


 孫仁の集中力は決して途切れた訳ではない。


 だが、それを見逃すような周泰ではなかった。


 孫仁の僅かな気の乱れに身体が自然に反応したとしかいいようのないタイミングで周泰は孫仁の左手の剣を打ち払った。


 一瞬の緩みに加えて、今までとは違う剣への直接攻撃を孫仁は堪えきれなかった。


 剣を手放しこそしなかったものの左腕を大きく開かされてしまったのである。


「レン!」


「ふ!」


 茜が悲痛な声を上げるのと同時に周泰は針の様な呼気をはき出しながら、返す剣でがら空きになった孫仁の心臓に躊躇のない一撃を繰り出す。


(避けられない!でも…)


 腕を大きく弾かれ体勢を崩していた孫仁は右手の剣でなんとか軌道を逸らそうと試みるがそんな中途半端な防御が通じる相手ではない。


 それでも孫仁は迫り来る死を全力で回避しようとする。


「私はまだ死ねないのです!」


「レンーーーー!!」



 くん…



 ぶしゅ!



 ずしゃぁぁぁぁ!



 思わず叫んだ孫仁と茜の声と時を同じくして刺突の威力からか大きく後方に吹き飛ばされた孫仁が胸から血しぶきを舞いあがらせる。


 そして地面に落ちてからも糸の切れた人形のように地面をごろごろと転がった孫仁がうつぶせの状態で動きを止めた。


「大丈夫レン!生きてる?」


「…く…はい」


 茜の声に苦しげに答えた孫仁がゆっくりと立ち上がる。


「あの体勢から急所を避けるとは見事」


 その様子を突き終わった姿勢のまま見ていた周泰が賞賛の言葉を漏らす。


 周泰は自らの突きが孫仁の心臓を貫くことを確信していた。

 それほど完璧な体勢とタイミングだった。


「お恥ずかしい話ですが…今の回避は私の力ではありません」


「?」


 左肩を抑え悔しげに答える孫仁に周泰が眉を寄せる。


「周瑜殿と小喬に助けられました」


「あ!さっきのレンが下に引っ張られたような不自然な動き…」


 茜の言葉に孫仁が小さく頷く。


「私のこの衣は周瑜将軍と小喬が私を護るために変化してくれたものなのです」


「!」


 孫仁の言葉に驚愕からか一瞬だけ目を見開くと周泰はすぐに首を振って剣を構え直し孫仁へと向ける。

  

「いや、それもあなたがこの世界で自ら勝ち取ったものであるはず。


 しかもそれが呉の大都督周瑜であるというならばそれは運やまぐれではない。


 紛れもなく実力。


 恥ずべきことではない。むしろ誇るべきでしょう。


 反省すべきは勝負を決めなくてはならない時に決めきれなかった私の未熟さ」


「幼平…あなたは変わりませんね」


 その自らに厳しい武人としての潔さに孫仁は懐かしさを感じつつ苦笑を漏らす。


 結局のところ先ほどの周泰の突きは周瑜達の介入により孫仁がほんの僅か下に引かれたため孫仁の左の鎖骨辺りを突いた。


 さらに孫仁にとって幸いだったのは孫仁が体勢を崩していたことで周泰の突きの威力を受け止めきれずに後方に弾き飛ばされたことだった。


 比翼が突きの威力を軽減したことに加え、孫仁自体が弾き飛ばされたため周泰の剣は孫仁を貫くまでには至らず半ばまで食い込むにとどまったのである。


 

「レン、行ける?」


「はい、傷を受けても痛みと疲労としてしか反映されない世界で助かりました」


 本来であれば肩をあれだけ深く刺し貫かれれば左腕はまともに動かすことが出来ないだろう。


 しかし、この世界では基本的に傷はライフゲージに直結され疲労に転換される。


 そのため傷による痛みで動きが鈍ることはあっても、傷が原因で身体が動かないという事態は滅多にない。


 身体が動かなくなる例としては典韋に潰された関羽の目や、馬超に斬り落とされた張飛の腕などがそれにあたる。


 だが、それは身体が動かせるというだけのことでその傷に伴う痛みは実際の傷と同じ。


 それを無視して怪我をする前と同じように身体を動かすということは動いてる間中とてつもない苦痛に耐え続けるということになる。


 生半可な精神力では耐えきれないはずである。


「だからって無茶は駄目よ。


 幸いライフはあまり減ってない。


 痛みさえ我慢出来ればまだ全力で動けると思うけど、これ以上受けに回ったらジリ貧になっちゃう」


 さっきと同じように周泰に先手を取られればやはりいつかは孫仁が捌ききれなくなる時がくる。


 それはどれだけ訓練を繰り返そうともやはり埋めようのない経験の差である。


「関羽さんと練習してたあれを使ってこっちのターンにしましょ」


「ふふ、こっちのたーん。

 

 確か自分の手番のことでしたね。


 わかりました。


 成功率はあまり高くありませんが闇雲に突っ込むよりは遙かにましです」


 茜の言葉に微笑みながら孫仁は二本の剣を腰の鞘へと戻す。


「む?」


 その様子を見た周泰が剣を構えて眉を寄せる。


 戦意が衰えていないにもかかわらず剣を納めた孫仁を警戒した周泰が一瞬攻撃を躊躇う。


「悪来殿!」


「はいよ!


 っと、こ…っちも!」


 その瞬間孫仁が悪来の名を呼ぶ。


 軽快に答える悪来の返事と同時にひゅんひゅんという風切り音を立て飛んできた2つのものを孫仁は後ろも見ずに受け取ると流れるような動作で構える。


「弓か!」


 孫仁が手にした弓を見て周泰が叫び、間合いを詰めようと走り出す。


「遅い!」


 しかし孫仁は既に矢筒から取り出した矢を一気に3本もつがえ弓を引き絞っていた。


 そして3本の矢を即座に放つ。


 しかも殆ど間をおかず更に3本を放つ。


 孫仁が悪来から受け取ったのは元々初期装備の1つとして持っていた弓である。


 今までの戦いでは使用する機会が無かったが、関羽との激しい訓練では弓についてもみっちり仕込まれたため孫仁の弓術もめざましい上達を遂げていた。


「よし!うまく行った。レン次よ!」


「はい!」


 孫仁は3×2の6本の矢の行方を確認もせずすぐさま弓を投げ捨てると腰の剣を引き抜き矢を追って一気に走り出す。


「むぅ、見事」


 迫り来る6本の矢を見て呻いた周泰が間合いを詰めるのを諦めその場で迎撃の態勢に入る。


 周泰が感嘆の声を漏らしたのは孫仁が6本の矢を一息に放ったことに対してではない。


 放たれた6本の矢全てに速度や軌跡の変化をつけていたことに対してである。


 もちろんそれは偶然などではなく孫仁が関羽との訓練で身につけたものであった。


 関羽が孫仁に弓術を仕込む上で重視していたポイントは2つ。


 1つはいかに早く矢を放つか。


 接近戦が多くなりがちなここでの戦いにおいては弓を射る機会がそもそもあまりない上にゆっくりと弓を射る暇はない。


 そして、もう1つは全ての矢に変化をつけるということだった。



『いいですか、奥方。


 1対1ではどんなに正確に急所を狙ったとしてもそれなりの武人ならよほど不意を突かぬ限りそこに当たることなどありませぬ。


 弓の狙いなど大雑把で構いませぬ。


 大事なのは相手の足を止め自らの優位を作ること。

 

 そのために当たる矢ではなく対処のしにくい矢を少しでも多く射るのです』


(出来ました、関羽将軍)


 脳裏に甦った関羽の教えに無意識に返事をしながら孫仁は走る。


 視界の隅にその姿を認めながらも周泰は足を止めざるを得ない。


 ただ単調に飛んでくるだけの矢ならば6本が10本だろうと周泰は走りながら打ち落とし間合いを詰めることが出来ただろう。


 それは単調であるがゆえに飛んでくる矢の軌跡やタイミングを経験からくる予測で補い実際に最後まで矢を確認することなく動けるからである。


 しかし孫仁が放った矢はどれ1つとして同じものがない。

 

 狙いも適当で急所を狙ってないため適度に矢がばらけているのも受ける側に取っては対処が難しい。


 しかも孫仁の矢は速度が違うだけでなく小刻みに振動しながら飛んでくるものや、微妙に曲がってくる矢まである。


「く、矢羽根に手を加えているのか」


 周泰の言葉通り孫仁は矢自体に少しずつ改良を加えていた。


 ある矢は矢羽根を一部削り、また次の矢は逆に矢羽根を増やし、更に次の矢には僅かに重りをつけて重心を不安定にした。


 様々な工夫をした矢を普通に相手に向かって射れば後は矢の方で勝手に動いてくれるという戦法だった。


 ただしこの戦法は本来の矢をあえて不自然な形に壊すようなものである。


 当然威力は落ち、飛距離も犠牲にしてしまう。

 

 それでも関羽や孫仁が訓練の末に導き出した答えは遠方よりの精密射撃よりも近接での不規則射撃だったのである。

 


「おそらく3本か」


 呟いた周泰は迫り来る孫仁を敢えて気にしないことにして6本の矢に集中していた。


 その結果、命中コースへと向かってきているのは3本に過ぎないだろうと判断した。


 だが、残りの3本も以前として不規則な動きをしており完全に除外する訳にはいかない。


「ふ!」


 周泰は大きな身体を小さくたわめると右手の剣を最短の軌道で飛んでくる矢へと運ぶ。


 パシッ!パキッ!


「1つ、2つ…みっ…む!」


 頭部に来た1矢目を弾き、左脇腹への2矢目を半ばから叩き折る。


 更に右胸付近へと飛んでくる3矢目を払おうと剣を上げよう力を込めた右腕に鈍い痛みが走る。


「く!」


 パキ!


 しかし、その痛みに動きを止めず周泰は3矢目も斬り捨てた。


 と、同時に左腕で右腕の上腕に浅く突き立っていた矢を引き抜く。


 その矢は周泰が当たらないと判断した3本の中の1本であった。


 それは遙か頭上を越える軌跡で飛んでいた矢で周泰が最も危険度が薄いと判断していた矢、それが急激に失速しほぼ直上から周泰の腕へと落ちてきたのである。


 もちろん周泰も油断していた訳ではない全ての矢に対処出来るようにしていた。


 しかし、その矢が視界の上部から消えた時に完全に外れると思いこんでしまったのである。


 矢に力はなく傷自体はたいしたことはない。


 矢を投げ捨てた周泰はすぐさま迫り来る孫仁を迎え撃つべく孫仁を探す。


 しかし、先ほどまで視界の中にいたはずの孫仁が矢を抜くために一瞬目を切った隙に消えていた。

 

「今度はこちらのたーんですよ。幼平」


「下か!」


 眼下から響く孫仁の静かな声に視線を下へと向けながら後方へと飛び退く。


 だが、今度は孫仁が周泰を逃さない。


 逃がしてしまえば今度は弓のような奇策はもう使えないだろう。


「レン!逃がしちゃ駄目よ!」


 そうなればその後の戦いが厳しくなることを茜も理解している。


 茜の声を背中に聞きながら孫仁は剣を振る。


 右の剣を振り、袖で喉を狙い、後ろ回し蹴りで足を払い、裾で足の腱を狙い、左の剣を振る。


 更にその剣を振り戻しリズムを変えると同時にたわんだ袖を目隠しにして体を沈め、右の剣で斜め下から斬り上げる。


 その回転力を維持し左剣斬り上げ、右剣斬り上げを繰り返して周泰を押し込んでいく。


「むう!」


 上と思えば下、右と思えば左、変幻自在のように見えてしかし円の流れで繋がれた連続攻撃にさすがの周泰も防戦に徹するしかない。


 しかし、孫仁の攻撃を受け続ける周泰の目はどこかしら嬉しそうでもある。


 それは攻撃をしている孫仁にも言える。


 深い傷を負った左腕が痛くないはずなどないのにその表情は楽しそうにすら見える。


「レン…」


 そんな2人の戦いを見ていた茜の胸が何故か熱くなる。


 激しく戦う2人の間で交わされている『思い』のような何かが茜の胸を打つのだ。


(思い切りやりなさい。


 でも負けたら承知しないんだから!)


 茜は心の中で孫仁に檄を飛ばすと2人の戦いへと集中していく。



「…ふん!


 何が本気で戦うじゃ、押されてるではないか。

 

 どうせ手を抜いておるのじゃろうて」


 そんな茜とは対照的に華佗は2人の戦いを苦々しく見つめていた。


「やはり、他人になど任せておけんのぅ」


 そう呟くと華佗は青嚢書を持っていない右手で白い髭を撫でる。


「お前が言う本気へ儂が導いてやるわ、くくく」


 不気味な笑いを浮かべた華佗が右手を振る。


「レン!華佗が何かを投げたわ!」


 2人の戦いに夢中になってはいてもやるべき事を茜は忘れていなかった。


 華佗が怪しげな動きをするのを視界の隅にとらえすぐさま声を上げる。


(わたくしからは華佗老師は見えませんが…)


 周泰から注意を逸らさず流れの中で華佗をの現在地を確認した孫仁は内心でそう呟きつつも念のために攻撃の円運動を小さくした。


 そうすれば周泰の影に自分を隠すことが出来る。


「ひひ、儂の狙いはお前ではないわ」


 孫仁の動きを見てそう言い捨てた華佗が更に立て続けに右手を振る。



「ん?…ぐぁ!」


 ほぼ同時に孫仁の攻撃を受けていた周泰が呻き声を上げた。


「幼平!」


 様子の変わった周泰に孫仁もすぐ気がついたが攻撃の手は休めない。


「く…華佗…何をした!」


 何故なら苦痛に顔を歪めながらも周泰自身が動きを止めようとはしないからだ。


「ふん、感謝するがいい。


 儂がお前の力を引き出してやるわ」


 楽しげに髭を撫でる華佗。


「あれ?


 なんか周泰の身体が…」


 呟いた茜が自分の目をこする。


「違う、見間違いじゃない!身体が一回り大きくなってる!」


 茜の視線の先で周泰の呻き声が続く。


「くぅ…ぐおぉ」


 みちっ!みちっ!


 と音が聞こえてくるような程に筋肉が目に見えて膨張していく。


 その筋肉量に比例して孫仁の攻撃を受ける周泰の剣の力も強くなっていく。


「く!」


 このまま周泰の力が強くなり続ければ攻撃を仕掛けた孫仁の方がバランスを崩しかねない。


 本来であれば状況の変化を見極め戦略を立て直すためにも距離を取って仕切り直したい所である。


 だが、この流れを手放せば孫仁は勝機を失うことになりかねない。


 攻め続けているにもかかわらず退くに退けない状態に追い込まれた孫仁を救ったのは茜のひと言だった。


「レン、下がろう。


 これはレンのしたい勝負じゃない。


 このまま彼との決着をつけてしまうのは違う気がする」


 茜の言葉に一瞬目を見開いた孫仁が微かな笑みを浮かべる。


「承知しました」


 そして短く歯切れの良い返事をすると自らの全ての力を結集して得た自分のターンをあっさりと手放し、一気に後方に下がった。


 十分な間合いを取り、周泰の様子を伺いながら孫仁が口を開く。


「茜…ありがとう」


「ううん、お礼言われるようなことはしてない。


 私はただ…レンが納得のいく戦いをして欲しかっただけだもの」


 聞こえてくる茜の声に孫仁は嬉しそうに微笑んで呟く。


「『だから』、ですよ」


「え、何?何か言った」


「ふふ、いえ何も。


 さあ、状況は厳しくなりましたが、負ける訳にはいきませんよ茜」


「もちろんよ!」


 2人は決意を新たに再び戦場へと意識を集中させる。



「ほぉれ、見てみるが良いお前がどんなにあがいても身につけることなど適わないほどのその身体を!」


 高笑いをする華佗の視線の先で周泰は弾け飛びそうな自らの身体を押しとどめるかのように我が身を抱きしめていた。


「ぐぅ!」


 だが、華佗の針によって異常発達させられた身体は既に二回り以上周泰の身体を膨張させていた。


 その姿は明らかに不自然であり、現実世界でどんな鍛え方をしてもそんないびつな身体にはならないだろうことが一目で分かる。


「なんてことを…」


 その様子を見守る孫仁の眼は悲痛な色が浮かんでいる。


 互いに全力を尽くし戦っていた先ほどまでとはまるで正反対である。


 しかし、そんな孫仁の内心とは無関係にほどなく周泰の肉体の変化が終わる。


 身体中を引き裂かれるような痛みから解放された周泰はゆっくりと忌々しげに自らの身体を見下した。


 視界には入らないが首から上、頭部には変化はない。


 だが、首から下の肩、胸、背中、腕、腹、脚等のあらゆる筋肉が異常に発達し膨れあがっている。


 そのため大きくなった身体と頭部のバランスが悪く傍目には滑稽にすら見える。


「…」


 一通り自分の身体を検分した周泰が無言のままに右手に持った剣を地面に振り下ろす。


 シャァァッ!


「え?嘘でしょ…」


 その光景を見ていた茜が思わず呟く。


 周泰が剣を振り抜いた地面は綺麗に切り裂かれていた。


「…もはやこれは私が自ら得た力とは言えんな」


 地面の割れ目を見た周泰が自嘲の笑みを浮かべる。


「幼平…」


 その様子を痛ましく見ていた孫仁に周泰が視線を向け頭を下げる。


「姫…真剣勝負を汚してしまったことお詫びいたします」


「何を言うのですか幼平。


 勝負はこれからではないですか」


 孫仁のその言葉に周泰は静かに首を振る。 

「いえ、こうなってしまえばこの勝負はもはやここまで。


 これが孫権様を護るための戦いならばどんな力であろうと厭いはしません。


 ですが、今回の姫との戦いはいわばお互いの意地と意地とのぶつかり合いです。


 意地の張り合いに自らが得た力以外を使うなど恥以外のなにものでもありません」


「ですが!」


「姫!何をうろたえる必要があるのです。


 そもそもこの戦いは姫が自らの道を進む為に始めたもの。


 その障害の1つを乗り越えたにすぎません」

 

「それは…」 


 周泰の言葉に自らの言葉を詰まらせる孫仁。

 

 昔と変わらず武人として愚かなほどに真っ直ぐな周泰に、結果はどうあれせめて互いが納得のいく決着をつけたいと孫仁は思ってしまったのである。


「姫、私を気遣う必要はありません。


 そして私の首を刎ね前へ進むのです」


「な!」


「なぜ」と問い返そうとした孫仁の言葉を遮るように周泰は首を振る。


「もともと私はこの世界においても既に敗北し華佗老師の術により更に仮初めの命を与えられた身。


 それはつまり、この戦いが終わるまで延々と意に沿わぬ戦いを強いられ続けるということ」


「お、お前はさっきから何を言っている!


 不甲斐ないお前の為に儂が力を与えてやったというに。


 さっさとその小娘を殺せ!まだまだ次が控えておるのじゃぞ!」


 周泰の後ろから華佗の金切り声が響く。


「本来であれば私自ら華佗を斬り決着をつければいいのでしょうが…


 こうなってしまったとしても私は命の恩人である華佗を恨む気にはなれませぬ。


 それは彼に助けられた後の自分の人生を全て否定すること。


 孫権様を護り戦ったあの日々は私の誇り!私の全て!


 否定することなど出来ませぬ!」


 毅然と言い放つ周泰。

 

 華佗に命を助けられたが故に得た貴重な時間、それは周泰にとってはなにものにも代え難いものだった。


「幼平…」


「姫、早く私の首を刎ねるのです。


 華佗が再び私の自由を奪う前に!」


 おそらく周泰は今までも華佗に呼び出され操られたことがあったのだろう。


 そして、どんなに抵抗しても華佗の術に逆らえないことを身を以て知っているのだ。


「…」


 孫仁も周泰が考えていることは分かる。


 だが、戦いの中でならまだしも無抵抗の相手の首を刎ねることにどうしても躊躇してしまう。


「レン。


 周泰の言うとおりにしなさい」


 躊躇する孫仁に虚空から茜の厳しい言葉がかけられる。


「茜!あなたは!」


 思わず返した孫仁の言葉には強い非難が込められている。


「忘れたの!あなたは既に一度小喬を斬ったのよ!」


「な!…」


 茜の言葉に凍り付く孫仁。


「レン…周泰を楽にしてあげなさい。


 それが呉国の姫としても、そして武人としてもあなたのするべきことよ」


 強く迷いのない茜の言葉に孫仁ははっと我に返った。


「ごめんなさい茜」


「え、何が?」


「きっと私のかわりに泣いているのでしょう?


 私が不甲斐ないばかりに辛い役目をさせてしまいました。


 あれほど張松殿に覚悟を求められていたというのに…」


 孫仁から茜は見えない。


 茜の声にもおかしな響きはない。


 それでも孫仁は茜が泣いていると感じたのである。


「…ふ、ぐっ、な、泣いてないわよ!」


 茜にも孫仁にとって辛いことを言っているという自覚はあった。


 しかし、周泰と付き合いが短く情に流されなかったが故に周泰の気持ちがよく分かってしまった。


 だから優しい孫仁が躊躇うのなら孫仁を操作してでも自分がやらなければならないと思ったのである。


 だが、孫仁に嫌われるようなことを言うのは怖い。


 そして、孫仁の心の傷を抉るのはそれ以上に痛かった。


「…あなたの言うとおりです。


 お兄様達がいない以上、彼を誇り高い武人として送ってあげるのは他の誰でもない。


 私の役目です」


 きっぽりと言い放った孫仁は周泰の眼を真っ直ぐ見つめるとゆっくりと周泰へと歩き出した。


「感謝致します。姫」


 孫仁の眼に決意を感じた周泰が柔らかく微笑んで僅かに頭を下げた。

  

「ふん、勝手なことを…


 おまえのような良い手駒をみすみす壊されてたまるものか」

 

 周泰達を冷めた眼で見ていた華佗が憎々しげに呟くと左手に持った青嚢書が再び淡く光り始める。


 と、同時に剣を持った周泰の右手が徐々に上がっていく。


「く、姫。お急ぎください」


 苦しげに表情を歪める周泰。


 しかし、孫仁は歩み寄るその速度を早めようとはしない。


 真っ直ぐに周泰の眼を見据えている。


「無駄なあがきよのう…


 周泰は既に一度この世界においても死んでおる。


 儂の術によって動いている今は言わば道具。


 この世界では道具に対する支配力は絶対じゃ」


 華佗は苦しむ周泰を見ながら楽しげに髭をしごく。


 そんな華佗を尻目に孫仁は全く焦ることなくゆっくりと歩を進め口を開く。


「私の知る周泰という武人は護ることにおいて誰よりも強く、他に並ぶものない程に忠義に篤い漢です」


 その言葉には孫仁の全幅の信頼が込められている。


「ひ、姫…ですが!」


「その周泰が例え妖しげな術の影響下にあったとしても主君の妹である私を害する訳などありません」


 孫仁の言葉にくわっと眼を見開く周泰。


「違うのですか?」


 問い返す孫仁に周泰がにやりと笑う。


「違いませぬ。


 この周幼平、幾度生まれ変わろうとも我の意志有る限り孫家の盾で有り続けましょう」


 きっぱりと言い切る周泰。


 しかし、その手の動きは心持ち遅くはなったものの依然として止まらない。


「レン…」


 不安そうに見守る茜のVSを握る手は緊張で強ばり汗ばんでいる。


 茜は茜なりになぜ孫仁はわざわざこんなに危険なことをしているのかを考えていた。


 その結果行き着いた推論は、孫仁はおそらく周泰に『戦い、そして勝って欲しい』と考えている。ということだった。


(孫仁はきっとそれが周泰のためになると思ってる。


 …そして何より本当に周泰を信じているからこそ出来るんだ)


 孫仁が覚悟を決めてその場に臨んでいる以上、茜も信じて見守るしかない。


 そして、孫仁はとうとう周泰の目の前に到達した。


 目前に来た孫仁を見下ろす周泰は渾身の力を振り絞っているためか、やや強ばってはいるものの不敵な笑みを浮かべている。


 しかしその表情とは裏腹に、周泰の右手は完全に上がりきり後は振り下ろすだけになっている。


「今じゃ!殺れ!」


 華佗が叫ぶと同時に青嚢書が強く明滅する。


「ぐぅ!く!ひ、姫!」


 悲痛な声を漏らす周泰を孫仁は厳しい目で見つめるがまだ動こうとしない。


 その厳しい視線を正面から受け止めた周泰の表情がふ、と穏やかになる。


「ふ、我が主君の妹姫は主君以上に厳しい」


 シュ!


 呆れたように呟く周泰の言葉をかき消すような風斬り音が響く。


 ほんの一瞬だけ静まりかえった戦場の静寂を打ち破ったのは勝利を確信した華佗の上機嫌な声だった。


「ひょひょひょ!!まずは1人じゃな。


 周泰、次は後々面倒そうな後ろの軍師を殺れ!」


 激しく戦闘を続けている関羽や馬超ではなくホウ統を狙わせるあたり華佗の戦略眼も侮れない。


 しかし、華佗の命令に周泰は剣を振り下ろした姿勢のままぴくりとも反応しない。


「ん?何をしておる!早く行け!」


 その様子を不審に思った華佗が叫び声を上げながら周泰の様子を窺うべく立ち位置を変える。


「…馬鹿な!あり得ん!」


 角度を変えた華佗の視界に飛び込んで来た光景、それは…


 周泰が孫仁へと振り下ろした剣が孫仁の額すれすれで止まってるというものだった。


「見事でしたよ、幼平」


 誇らしげに周泰を見上げる孫仁。


「は、御髪を乱してしまった御無礼をお許しください。」


 あえてどうでも良いことを生真面目に謝罪する周泰の顔には暖かな笑みが浮かぶ。


「…ありがとう、幼平」


 潤んだ目で小さく呟いた孫仁に周泰は少しだけ頷く。


 ひゅん


 周泰の勇姿から眼を逸らさないまま孫仁の剣が煌めく。


 その直後、周泰の首に一筋の線が引かれゆっくりと周泰の頭が重力に引かれて前のめりに落ちていく。


「あ!」


 孫仁は思わず剣を手放し慌てて頭を受け止めようと手を伸ばす。


 しかし、孫仁の手の中に触れる直前に周泰の頭部は土塊つちくれと化し風へ運ばれていく。


「く!」


 孫仁はその残滓を両手に握りしめて思わずうずくまる。


 その孫仁の目の前で周泰の身体はみるみる土となって消えていった。


 華佗の術で蘇生していた周泰には自らの意志でアイテムと化す自由すら与えられていなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同時連載中です。
スキルを交換する能力を持った主人公のお話です。
転生物ではないですが転生要素はあります。ケモミミの幼馴染やエルフ奴隷もでます^^
もしよければ読んでみてください
スキルトレーダー【技能交換】 ~辺境でわらしべ長者やってます~
http://ncode.syosetu.com/n3671de/
この文字をクリックで飛びます
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ