罠
「この辺までくると随分と山の中って感じね…」
玄の隣で茜が周囲を見渡しながら呟く。
「そうだな、大分西に来たから…もう荊州は通り過ぎて蜀と呼ばれる地域に入ったんじゃないかな?」
マップを見ながら玄が答える。
周囲は両脇を木々の生い茂った高い傾斜に挟まれている。
その間を、申し訳程度に判別できる道があり、そこを孫仁を乗せた悪来とその轡を持った関羽が歩いている。
少し前からだんだんと道が細く、荒れてきたため二人乗りの馬で駆け続けるのは危険と判断した関羽が自らも歩くと主張する孫仁を強引に馬に乗せ、関羽自身は徒で進むことにしたのである。
「確かにこんな地形が続くなんて、本当に蜀は天然の要塞だったんだね」
玄がこれまでの道を振り返り、そしてこれからの行く先を見ても山しか見えない景色に思わず呟く。
「その代わり、物流や人口においては魏や呉に遠く及ばぬ。
その意味でも荊州が蜀の領土であることは大きな意味を持っていた。
荊州は数十万の兵を持つことが出来る肥沃な土地だからな。
蜀の領土は荊州の数倍の広さがあったが、全てを合わせてもせいぜい10万程度が限度…
これは人口が少ないせいもあるが、硬い地盤と険しい地形が農耕に適さないが故に糧食の確保が難しいからだ。
その点は肥沃な荊州と連携を取り、荊州からは穀物や人材を蜀へ送り、その代わりに蜀に多くいた、林業や土木に携わる優れた職人や木材等の資源を荊州へ運ぶ。
そうして蜀と荊州は一体の国として強固な国へとなっていく計画だった」
関羽が当時の蜀における広域戦略を訥々と語る。
「確かに…それらの策がうまく行けば魏には及ばずとも呉とは比肩し得たでしょうね。
孔明軍師の策でございますか?」
広い視点からの長期的な戦略に感心しながら孫仁が関羽へと問いかける。
「無論、孔明の案でもある。
だが、荊州構想の大きな枠組みを考え、実現可能なものにまで押し上げたのは士元であった」
「士元…鳳凰の雛、鳳雛…ホウ統 士元か」
関羽が出した字にいち早く玄が反応する。
「あ、私も知ってる!伏龍とか臥龍って言われた諸葛亮 孔明と並ぶ天才って言われた人よね。
確か司馬徽って言う学者さんのところで学んで伏龍、鳳雛どちらかを手に入れれば天下を取れるって司馬徽さんに言わせた。
あってる?」
茜が手を上げて早口でまくし立てる。
「ああ、合ってるよ」
そんな茜に苦笑しながら玄が頷く。
「天才…か。
あいつは決して天才ではなかったぞ…」
関羽が微笑みながら呟く。
「え?」
「あいつは、自分の顔に傷があることをいつまでもくよくよと悩むような奴でな。
よくひっぱたいてやったものだ。
確かにひらめきと洞察は見るものがあった。 しかし、あいつを鳳雛たらしめていたのは飽くなき努力。
士元は自分が未熟なことを誰よりも知っていた。
赤壁で活躍したとか、そんなことは関係ない。
自らのひらめきから出た策など穴だらけだということを疑いもしなかった。
だからこそ何度も何度も見返し、検討を重ね、時には零からやり直して策を練っていた。
もちろん戦場ではまた別のひらめきを見せる漢ではあったがな」
どこか楽しそうにホウ統のことを話す関羽に玄は意外な感じを受ける。
「関羽、ホウ統のこと気にいってたの?」
今までの付き合いから、関羽が誰かを手放しに誉めるのは珍しい。
「ん?気に入っていた…か。
そうだな。今にして思えば気に入っていたのだろうな…
当時はいらいらさせるやつだとしか思ってなかった気がするが、それでも気がつけばやつと話をしていたことが多かった」
ホウ統 士元
中国後漢末期に劉備に仕えた人物(ホウはまだれに龍)。
道号は鳳雛。
「臥龍」「伏龍」と呼ばれた諸葛亮に対して、「鳳雛」と称せられる。
あまり身なりが冴えなかったことから評判を得なかったが、人物鑑定で有名な司馬徽にその才能を認められたことでようやく名が高まる。
赤壁の戦いでは周瑜に対し、曹操を破るための献策を行なう。
周瑜は曹操軍の軍船を火攻めにしようと考えていたが、一隻に火をつけても他の船が逃げてしまい、燃え広がらないと言うことが問題であった。
そこでホウ統は連環の計と呼ばれる策を周瑜に勧めた。
ホウ統自身が周瑜の陣営にスパイにやって来た蒋幹をうまく欺いて曹操の軍営に潜り込み、曹操と面会して北方人の弱点である船酔い対策として船同士を鎖で繋げることを進言したのである。
このことにより火がついても曹操軍の軍船は逃げられないようになり、劉備・孫権の連合軍は火攻めで曹操軍を大破した。
その後、荊州を領有した頃の劉備の下に入る。
劉備陣営の次の方策として西の蜀を獲ることが考えられていたが、劉備は蜀の主が同族の劉璋であることを理由にこれを渋っていた。 ホウ統はこれを諫めて蜀を獲ることを劉備に決心させる。
入蜀に際してはホウ統が劉備に同行し、諸葛亮は荊州の留守を守ることになった。
しかしその道中狭隘な間道を進んでいたとき、ホウ統を気遣った劉備が貸し与えた白馬に乗っていたため落鳳坡という場所で劉備と間違えられ、劉璋の配下張任の伏兵に射殺され、あまりにも早すぎる短い一生を終える。
「不思議なものだな…こうして振り返ってみるとあの時わからなかったことが何故だか良くわかる」
「はい、私もです」
関羽の言葉に馬上から孫仁も頷く。
しばし、黙り込んだ2人の胸中には生前の出来事が走馬灯のように駆け巡っているのだろう。
「ほぉら!そんな話してると、しんみりしちゃうわよ!レン!」
茜がぶんぶん手を振りながら(暗くなりそうな雰囲気を払ってるつもりなのだろう)明るい声を出す。
「ふふふ、そうですね。
茜の言うとおりです。
私達の戦いはまだ続くのですから、張り詰めてばかりはいられませんね」
孫仁が口元を隠して上品に笑う。
「そうそう、だからってもちろん警戒は忘れちゃ駄目だけどね」
無駄に高い茜のテンションに苦笑していた関羽が警戒の2文字に反応して眉を顰める。
「関羽?どうかしたのか?」
その表情の変化を見逃さなかった玄がすぐさま問いただす。
今の玄は一週間前とは別人のように、周囲の変化に対する集中力が上がっている。
関羽達の生死をかける戦いにわずかなりとも触れてきたせいなのだろう。
「ふむ…悪来、お主は気づいているか?」
轡を引く手に力を込め、悪来の耳元へと囁く。
「ん~…自信はねぇ。自信はねぇが…多分見られてるな」
「見られてる?いつから?」
関羽や悪来の鋭敏な感覚に玄は絶対の信頼を置いている。
2人が不審な気配を感じているなら、おそらくそれはある。
注意深く木々の隙間等に目を凝らしてその何かを探す。
「お主もそうか…
間違いなさそうだな。
だが、そうだとすれば…」
「ああ、かなりの使い手だな」
「うむ…そうと気づいてからも全く尻尾をつかませぬとはな。
なにより、気づいてみてわかる。
この感じ…河を渡る前からつきまとっていた」
関羽が何気なく呟いた一言に悪来は絶句する。
「な…」
「ちょ、ちょっと待ってよ!
じゃあ、関羽達が孫策達と戦ってボロボロになっていた時もってこと?」
玄の言いたいことはわかる。
あの時の関羽達にはもはや戦う力は残っていなかった。
そこまで隠形の術に長けた者が監視していたのならあのチャンスに襲ってこないはずがない。
「理由はわからん。
だが、間違いない…我らのことを影のように監視し続けている何者かがいる」
関羽の言葉は最早確信に変わっている。
玄は、何者かに監視されているという前提で今後は動くべきだと考え方を方向修正する。
「あのタイミングで攻めてこなかったということは…
武将達を倒して回ることが目的じゃないのかもしれない」
「え?でも、私達を監視してたからって何か得することがあるとも思えない
んだけど…」
隣でいつの間にか話を聞いてた茜の言葉に玄は頷く。
「そうなんだよな…
相手が隙を見せるのを狙って監視し続けるならともかく、相手を倒しもせ
ずにただ監視を続けることは全く意味がないはずなんだ」
別に玄達はキープレイヤーでもなんでもない。
目的はどうあれ、今のところは普通にこのゲームをプレイしているだけだ。
そんな自分達をゲーム目的以外で監視する必要があるのか。そこがわからない。
「…あとは、ストーカーとかかな?」
「えーレンに気があるとか?
確かにレンは美人さんだけど。
いや、でも玄達と合流する前からなんだから、その対象は……え?えぇ!」
なにやら一人勝手に妄想した茜が関羽の顔を見て奇声を上げる。
「おまえ、うっさい!」
玄は何故かもじもじする茜の頭を軽く叩いて黙らせる。
「そうじゃなくて、関羽と言えば三国時代の英雄だ。
プレイヤーの中には関羽ファンも多いはず…だから実際の関羽の姿や戦いぶりを見ていたいと思う人がいたっておかしくない」
「あ、なるほどね…ストーカーとかいうからてっきり恋愛感情絡みかと…あはは」
「茜、先ほどからの『すとぉか』というのはなんですか?」
頬を赤らめて照れ笑いをする茜に孫仁が質問する。
「え、あぁいいの!いいの!レンはそんなこと知らなくて」
「だから待てって!」
「いったぁ~いっ!」
自分の恥ずかしい勘違いを孫仁達に知られないようにしようと話を打ち切ろうとした茜を玄は再び突っ込んで止める。
「確かに、一般的なストーカーの意味はどうでもいいけど、今俺が言ってるのは『追跡者』って意味なんだ」
「ふむ…追跡者か…
まあ、よかろう。差し当たって手を出してくるつもりがないのなら放っておけばよい」
「でも…」
「玄よ。
神経質になりすぎるな。
いろいろあって気張るお前の気持ちも分からぬでもないが、考えても仕方
のないこともあるのだ」
話を打ち切ろうする関羽に抗議の声を上げようとした玄を関羽はやんわりと押しとどめる。
「そして、今がまさにそうなのだ。
その追跡者とやらはこれだけ自らの存在を秘しているのだ。
こちらから探しに行ったとて、とてもみつけられまい。
かといって、向こうから何かの行動を起こしてくる訳でもない。
ならば待つしかあるまいよ」
「そう…だけど」
それでもなおも言い募ろうとする玄に関羽は顎鬚をしごく。
「それにな…お主の気を紛らわせようと必死に場を明るくしようとしている馬鹿がいてな…痛々しくて聞いてられん」
「え?」
「ちょ!ちょちょちょ、なによそれ!
適当なこと言わないでよ馬鹿関羽!」
突然自分に向けられた話の矛先に動転しまくった茜が、横浜あたりでは神と称えられる天下の豪傑に向かって馬鹿呼ばわりするという偉業を達成。
「茜、よいではないですか。
事実なのですから…確かに玄殿はちょっと張り詰めすぎです。
それをなんとかしてあげたいと思う乙女心は決して恥ずかしいものではあ
りませんよ」
顔だけは真顔だが、目が笑っている孫仁がさらに止めをさす。
「レン~!後でしばく!!
っていうか触れないから無理矢理蛸踊りの刑ね!」
顔を真っ赤にしながら意味不明な刑罰を科す茜。
「おぉ、怖い怖い」
大げさに驚いて見せた孫仁が自らの袖で顔を隠す。
「ぷっ…」
一連の流れを唖然と眺めていた玄の口から思わず空気が漏れる。
やがて、それはこらえるような笑いから爆笑へと変わっていく。
「も、もう!何よ!玄まで…そんなにおかしいこと?」
恥ずかしさで顔を赤くした茜がぷうっと口を膨らませる。
「くく…違う、違うよ!…はぁ…」
玄は機嫌を損ねた茜を見て慌てて否定すると笑うのをやめ大きく息を吐いた。
「うん、確かに肩に力が入ってたみたいだ…ありがとな、茜。
一緒に戦ってくれるのがお前で良かった」
そう言って茜の頭を優しく撫でる。
「え、え?」
茜は玄の思わぬ行動に思考停止。
そんな茜を横目に玄はすっきりした顔で笑う。
「さっき、皆で話しあった時に分かってたつもりなんだけど…やっぱりテンパってたみたいだ。
あ、テンパるってのは動揺するとか余裕が無いみたいな意味ね。
うん、でももう大丈夫。肩の力抜けた。
関羽、孫仁もありがとう」
玄は関羽達には見えないことを承知で深々と頭を下げる。
「良いのですよ。
戦の経験もない、玄殿のような方がこのような戦いにまきこまれているのです。
むしろ健全な証拠です」
孫仁の優しい声に玄は素直に頷く。
「さて、玄よ。
頭がすっきりしたところで周囲を見よ」
関羽の声に、玄は慌てて辺りを見回す。
「森が切れてる…」
緑の斜面に挟まれた小道はまもなく終わりのようだ。
眼前に見えるのは切り立った崖に挟まれた峡谷。
中央を細々とした小川が流れているが峡谷の幅はおよそ7、8メートルといったところだろうか。
足元は川があるせいか大小の石で埋め尽くされているため悪来などは歩きにくそうだ。
崖の上を仰ぎ見て見れば、上はさほど高いわけではない。
せいぜい5メートル程度の高さの崖であり、その上に生えているだろう木々の頭がここからでも見える。
峡谷の長さは、今いる位置からではゆったりとカーブしていく峡谷の先を見通すことは出来ない。
「どう見る。玄」
関羽の問いかけに玄は再び周囲を確認してから口を開く。
「いかにも…って感じだね」
「確かにな…だが、上を行くには悪来を置いていかねばならんし、上を行く道を探している時間も惜しい」
関羽の言いたいことは分かる。
「考えられるとしたら…落石とか矢の雨だよね…」
玄達が懸念しているのは、待ち伏せや罠の類である。
下を抜けている最中に上から一方的に岩を落とされたり矢を浴びせられたりすれば、無事に切り抜けられるか分からない。
安全策をとるなら危険な地形は避けるべきなのだが…
玄が考え込む気配を感じてか、関羽は何も言わずに待っている。
まるで、玄がどのような答えを出すのかをじっと待つ教師のようである。
「悪来を置いていくことは論外…
悪来はただの馬じゃなくて仲間だってこともあるけど、これからの戦いの上で優秀な馬がいるといないとじゃ、戦略に大きな違いがでる。
それなら下を行くしかない」
玄はぶつぶつと呟きながら周囲を丹念に見回していく。
茜や孫仁はその様子を黙って見守っている。
「関羽、孫仁。
来ると分かっていれば、落石や矢の罠から自分の身は守れる?」
「程度にもよるが、これだけの広さがあれば問題はなかろう」
「そうですね…わたくしもこの周将軍と小喬の衣があれば矢を受けぬように落石をかわすことは出来るかと思います」
2人の力強い言葉を受けて、玄は頷く。
「分かった。
じゃあ、2人の力を信じて峡谷の間を抜けて行こう。
ただし、悪来は一人で先行して先に抜けていて欲しい」
「なるほどな…確かに馬の身じゃあ岩や矢を避けて回るのは難しいわな。
いるだけで関羽や姫さんの邪魔になる。
だが、俺一人でここを行っても馬一頭のために罠を作動させるようなもったいないことはしないってことか」
悪来の言葉に玄は頷く。
「多分だけどね…危ないと思ったらすぐに引き返してきて構わないから。
危険を感じたら即退避!頼むから守ってくれよ」
「わかってるって!
じゃあ、早速行くぜ」
「悪来殿お気をつけて」
ふわりと悪来の背から飛び降りた孫仁が悪来の首を撫でながら声をかける。
「おう」
くすぐったそうに身をよじった悪来は意気揚々と峡谷へと足を踏み入れる。
「おおっと!危ねぇ、危ねぇ」
と、同時に足を滑らせて転びそうになる。
「悪来、ふざけていると痛い目を見るぞ」
「おいおい、分かってるって。
ちょっと足元が滑っただけだ」
苦笑した悪来が再び歩き出そうとしたその時。
「待って!」
「おわっと!今度はなんだ!」
玄の叫びに悪来が踏み出しかけた足をゆっくりと下ろす。
「関羽、川原の石を調べてくれないか?
水際のものと、ちょっと離れたもの、あとやや遠くにあるものの3種類」
「…よかろう」
関羽は玄の言うとおりに川へと近づいていくと手ごろな石を一つ。
数歩川から離れもう一つ。
更に数歩を歩き、もう一つ石を拾う。
「…ほう、なるほど」
3つの石を拾った関羽が、それを玄に見せる前に何事かに気づき感嘆の言葉を漏らす。
「関羽将軍?
玄殿は何に気づいたのですか」
孫仁が小首をかしげて問いかける。
「は、ご説明いたす。
まずこの石をごらんくだされ」
関羽から渡された、手のひら大の石を孫仁は受け取る。
「川に近いところの石ですね…濡れてコケが生えていますね」
「お手汚しすいませぬ。
こんどはこちらの石をお持ちください」
濡れた石を受け取り川から少し離れたところの石を孫仁へと渡す。
「これは…乾いていますが、緑がかってますね」
「はい、そしてこれです」
「普通の…石です…よね?」
孫仁は石を返しながらこの3つの石が何を表しているのかを考える。
「2番目にお渡しした石。
これに付着していた色は1番目の石についていたものと同じ色のものが乾いてこびりついたものです」
関羽が一つ目と二つ目の石を孫仁の目の前に差し出してみせる。
「ああ!そういうことなのですね」
「ちょっとレン!私にも説明してよ」
「つまりこういうことなのですよ茜」
二つ目の石についていた緑のものは一つ目の石についていたものと同じ。
これはコケなのです」
「コケ?別にコケのついた石なんか珍しくないんじゃない?」
孫仁は微笑みながら首を横に振る。
「このコケは水底に生えるものです。
そのようなコケが乾いて付着した石がこの川の周囲にはごろごろ転がっています。
悪来殿が足を滑らせたのも乾ききらぬコケに足を取られたせいでしょう」
「…つまり、どういうこと」
「本来、この小川はもっと水量のある大きな川なのです」
「えと、日照りとかで水かさが減ったってこと?」
「現実世界ならそのようなこともあり得るでしょうが、ここはそう言った天災とは無縁の地。
人為的に水量が減らされていると考えるべきでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってよ!
それって、誰かが上流で水をせき止めてるってこと」
ようやく結論にたどり着いた茜が大声で叫ぶ。
「関羽、岩、矢、水全ての罠が仕掛けられていたとしてこの峡谷を抜けられる?」
玄の言葉に関羽は顎鬚をしごきながら黙考する。
そして確認するように呟く。
「…川の水量や大きさからして、堰き止めていたとしても峡谷を埋め尽くすほどになるとは思えん。
そして、水を流すのは岩や矢の罠で相手を追い詰めた後、最後に堰を切るはずだ…
ならばやりようはある」
「はは…やりよう、あるんだ…
本当にどんな鍛え方すればそんなことができるんだか…
っと、まあその辺は置いといて。
関羽が大丈夫っていうからにはそれなりの目算があるんだと思う。
だったらそれをあてにしよう」
玄が屈託無く笑う。
「他力本願ってやつね」
「う、まぁ間違ってないけどね…」
茜の言葉に苦笑しながら玄は更に続ける。
「悪来。
作戦変更。悪来はここで待機してて。
水を流されるとしたら先行してても危険は変わらないからね。
多分、関羽と孫仁が峡谷の曲がり角付近まできたら何かしらの動きがあると思う。
相手の罠を関羽達が凌ぎきったなら状況に応じて動いてくれ」
「応!」
「関羽、孫仁と一緒でいいのか?」
危険があると分かっている場所である。
あえて危険な場所に関羽が孫仁を連れて行く必要はない。
「奥方、構いませぬな?」
「もちろんです。
関将軍、置いていくなど許しませぬ」
玄は2人の間に主従の絆とは別に、いくつかの戦いを乗り越え、共に訓練を重ねたことで戦う者同士としての絆が芽生えてきていることを感じる。
それだけ、孫仁の武を関羽が認めているということなのだろう。
「わかった。
もし水が流されるとすれば当然上流から。
それなら、曲がり角の内側をなるべく進めば流れの強い部分を避けられると思うし、敵の攻撃をある程度制限することも出来ると思う」
関羽達が必死に戦っている時に、玄が出来ることはいつも少ない。
早くもこの世界での戦い方に慣れてきた今の2人の動きに玄達の操作が介入する余地は前にも増してほとんどない。
見て、考え、思いついたことを伝えるだけ。
実際に傷つきながら戦っている関羽達には申し訳ない気持ちがあるが仕方がないこと。
だからこそ玄は自分に出来ることを精一杯やる。
自分が見て、考え、思いついたことをなんでも伝える。
もちろん最初に関羽に言われたことも忘れてはいない。
自分に出来る範囲で可能な限り曖昧な要素を排除して伝えるべきだと思ったことを余さず伝える。
それが役に立つかどうかは関羽が判断すればいいのだ。
「うむ。
では、奥方。心して参りましょうぞ」
「はい」
関羽は偃月刀をしっかりと握り締め、孫仁の前に立って歩く。
孫仁も腰に佩いた剣を確認し、更に自らの衣服の袖を軽く振ると悪来へとお辞儀をして関羽の後ろについた。
玄と茜の見ている風景は関羽達を基準に投影されているため、結果として悪来だけをその場に残して峡谷の中へと景色が変わっていく。
「玄…本当に罠あると思う?」
事の成り行きを黙って聞いていた茜が不安気な声をだす。
「多分…な。
悪来戦の時にもいったけど本来ならそんな大がかりな罠はつくれないはずなんだ。人もいないはずだから弓の一斉射撃とかも本来は無理なはずなんだよな。
だから正直自信はないけど、関羽は否定しなかった。可能性は高いと思う」
実際に罠にあったことのない玄だけにその判断は歴史や、兵法書の受け売りである。
しかし、その判断を経験豊富な関羽が支持した以上は可能性はかなり高い。
「何事もなければそれにこしたことはないしね…」
「大丈夫かな?レン達」
「それも、多分としか言えない…かな。
俺らなら上から矢や石が降ってきたら間違いなくアウト。
抵抗する気もおきないくらい絶望的な状況だけど、関羽達にしてみればなんとかなるレベルみたいだからね…
俺達は信じるしかないよ」
そう言って優しく微笑む玄の表情は、本当に2人を信じきっていることが良く分かる。
そんな玄を茜は格好いいと思う。
(やっぱり、私って玄のこと好きだったんだなぁ)
ぼんやりと玄を眺め、頬が熱くなるのを感じながらしみじみと、それでいて自然に茜は自分の気持ちを認めた。
普通に日常生活を送っているだけでは、世間体や見栄、意地…いろんなものが邪魔をしてこんなに素直に自己と向き合うことは出来なかっただろうと
茜は思う。
友人の舞が言っていた『ロマンティックなきっかけ』とは程遠いが、どこか異常な、それでいて暖かいこの戦いに巻き込まれ、関羽や孫仁の熱い思い。
人の本当の意味での本気を垣間見てきた…
また、それに対して同じように本気で戦う玄を間近で見てきた経験が自分を知らず知らずに成長させてくれたのだと思う。
そして、本当に何一つ飾らないで本気になった玄を見れたことで玄に対する理解が一気に深まったことも要因だと思う。
たった、数日…
本当に本気になった人間は、それだけあればこれほどに変われるものなんだと茜は気づけた。
もっとも玄に関しては変わったというよりも表に出てきていなかった部分が出てきた。そんな感じを茜は受けている。
ただ、玄への気持ちを認めたからといって、それを玄に真っ直ぐに伝えられる程に吹っ切れた訳ではない。
こうして、自分の気持ちを認めてしまっただけでこんなにも照れ臭く、恥ずかしいのにそれを伝えるなんて考えただけで身もだえしてしまう。
だから、もうすこしだけこの心地よい距離感を楽しみたい。
茜のささやかな願いである。
そして、自分のそんなささやかな成長を促してくれた孫仁にも同じ女として最愛の人と再会させてあげたいのだ。
「そうよね、レンを信じる。
あんなに強い思いがあるんだもの…
絶対大丈夫!」
自らに言い聞かせるように頷く茜に玄は自らも笑顔を返しながら、周囲を窺う。
2人の邪魔はしないように、今の会話は関羽達には聞こえないようにしていた。
しかし、2人がそろそろ峡谷の中程に差し掛かるにあたって玄達は再び音声をオンに変える。
「…間違いないな」
「はい、薄いですが…辺り全体に殺気の膜のようなものが感じられます」
ことさら警戒したふうもなく泰然と歩き続ける関羽は歩きながら顎鬚をしごく。
「大掛かりな罠をしかけているはずだが、それにしては気配が薄すぎる気がするな」
「そうなのですか?」
戦場に出たことの無い孫仁にはその辺の感覚は良く分からない。
「むぅ…もともとは勘のようなものです。
何度も戦を重ねて経験を積むと不意に『いかん』と感じることがあります。
そのときの、感触というか…それの強さによって危機度が分かったりすることがあるのです」
関羽の感じているものは経験則からくる予測に近いものなのだろう。
それを感覚的に捉えているため、自らもうまく説明できないらしい。
「不思議なことですが、優秀な軍師の立てる策ほど、そういった気配に気づきにくくなっていくのです。
その例から言えば今回もそうなのかもしれませぬが…」
珍しく関羽が言い淀む。
曖昧な意見を嫌う自分が、みずから感覚に基づいただけの曖昧な意見を言うことを躊躇ったのだろう。
「関将軍、その疑問を大切になさってくださいませ。
歴戦の将であるあなたが感じたことです。
必ず何かの警鐘を含んでいる気がします」
孫仁の言葉は関羽への信頼に満ちている。
「は、承知。
私がいま感じている気配は優秀な軍師の手により薄められた気配というよりは…
むしろ」
コロン…
「関羽!」
何かを言おうと口を開きかけた関羽のすぐ横に微細な小石が崖から転がり落ちて来た。
「む!奥方、来ますぞ」
「はい!」
それに気づいた玄が叫ぶのと関羽が孫仁に注意を促したのがほぼ、同時。
関羽が偃月刀を構え、孫仁が自らの腰と関羽の腰から剣を抜き2刀に構えた瞬間、轟音と共に峡谷へと大小様々な岩塊と切り出しただけの樹木が転がり込んで来る。
もちろんその全てが関羽達に降ってくる訳ではないが、落とされている量が玄があってもこのくらいだろうと想定していたよりも遥かに多い。
「むぅん!」
自らの頭上へと落ちてきた1メートル大の岩石を偃月刀で真っ二つにした関羽がすぐさま次の丸太を石突で弾き直撃コースをずらす。
さほど大きくない落下物は孫仁が関羽の動きを阻害しないように器用に2本の剣とその衣を使って防いでいる。
周瑜と小喬が変化した衣は軽さと柔軟性は普通の衣服と変わらないがその防御力は並々ならぬものがある。
ただし、その威力は孫仁の動きによって大きくとられた袖や裾に速度が加わることによって真価を発揮する。
孫仁はくるくると舞うように回転しながら360度全てを視界におさめ剣で弾き、衣でいなす。
関羽の偃月刀も大きな岩石をいともたやすく一刀両断に出来るのは孫策と
大喬が変化した偃月刀だからこそである。
2人は前に後ろにと位置を変えつつ転がって来る岩や降ってくる石木を確実に排除していく。
めまぐるしく動き回りながらも二人の息は乱れず、2人で舞踊をしているかのようにも見える。
更に信じられないことに関羽は、自らの動く場所がなくならないように、足元に転がる粉砕した岩や丸太を隙をみて遠くへ弾き飛ばす余裕すらある。
落石があったのは時間にすればおよそ数秒から10秒程であったろうが2人の身を案じつつもその動きに見惚れていた玄達にはとても長く感じる。
「まだ、終わらないのか…」
「レン、頑張って」
ヒュ ヒュ ヒュ
祈るように呟く玄達の耳に風を裂く音。
はっと見上げれば崖の上から空を埋め尽くさんばかりの矢が射掛けられている。
「レン!!矢が!」
茜が叫ぶ。
しかし、その時には関羽は既に矢に気づき偃月刀を短く持ち替えている。
大きな岩を力任せに粉砕するのと違い、無数に襲い来る矢に対応するには細かい動きが必要なのだろう。
孫仁はと言えば、その手に持った2本の剣を思い切り良く投げ捨てる。
既に落石のピークは去り、大きな障害物は落下してきていない。
衣で防げない重量のあるものに対処するために持っていた剣だが矢の雨に対してならその衣だけで十分だと判断したのだ。
2人は玄の助言に従い、その崖の近くに位置取っている。
落石に関して言えば崖に近いことはかなりの危険を伴ったが、矢に関して言えば危険な角度で飛んでくるのは川向こうの崖の上からがほとんどである。
川向こうからの矢に対して関羽が柄の中程を握った偃月刀をめまぐるしく動かしながら叩き落していく。
しかし、いかんせん数が多い。
関羽が対応しきれない部分の矢は孫仁が回転しながら舞い、その衣で弾き、絡め取っていく。
「すごい…2人ともいつの間にこんな連携を…」
茜が握り締めたままの手が力の入りすぎで白くなっていることにも気が付かずに感嘆の呟きをもらす。
「2人は時間の許す限り特訓してた。
お互いの動きの癖や技量を熟知してる。
そして、培ってきた信頼関係…
関羽は無理に叩き落そうとすれば、次以降の動きに支障が出そうな矢は敢えて無視してる。
でも、その矢は孫仁が払ってくれると信じているから動きに全く淀みがな
いんだ」
「関将軍…」
「奥方も気づかれましたか?」
全く止む気配のない矢の雨をめまぐるしく動いて、危険の矢は一矢ももらさず撃ち落しながら囁く。
「はい」
「この矢には意思が感じられない。
おそらく、仕掛けられた矢…」
「矢に…意思?」
2人の会話を聞いて茜が首をかしげる。
「…」
玄も周りを注視しながら考える。
「…あ、なるほど」
「え?玄!わかるの!」
一瞬で答えにたどり着いた玄に、半分呆れた様子で驚愕の表情を浮かべる茜。
呆れると言っても「なんでそんなすぐわかっちゃうの?」という感嘆の裏返しだ。
「多分、関羽の感覚的な意味もあると思うけど…
飛んでる矢を見ると分かる」
玄は関羽達の周囲の矢を示す。
「う~ん…そう言われても」
「矢は均一に斉射されてる。
狙うべき対象は関羽と孫仁の2人しかいないのにもかかわらず」
「あ…」
玄の指摘に改めて周囲を見回した茜も気づく。
最近では慣れたもので、あまり気にしなくなったが2人の周囲にも矢は降り注いでいるので周りを見回せばよく分かる。
「大多数の矢は2人を狙ってないのね」
「そうなんだ。
人が射ってるならもっと矢は集中するはずだし、その中に名手でも混じっていればより防御しにくい箇所を狙い撃ちしてくるはずだからね」
「だから、意思が感じられない…か。
あの状況の中でそんなことまで考えられることが私には信じられないけど…」
「それに関しては全く同感」
溜息をつきながらの茜の言葉に玄も苦笑しつつ頷く。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ
「なに?この揺れ…地震?」
(違う!VSは震動までは再現できない。リアルな映像に俺たちが勝手に振動があると錯覚してしまってるんだ)
そう突っ込んであげたかったが今はそれどころではない。
玄は意識を再び関羽達に集中させる。
するとあれだけの激しい罠だったにも関わらず関羽達には若干余裕すら見え始めていた。
それを見て玄達が安心しかけたその時、地の底が震えるかのような地鳴りの音が突如湧き起こる。
「奥方!水です!」
玄が気づくよりも早く、関羽がその正体に気づいて叫ぶ。
だが、避難しようにも矢の雨はまだ降り続いている。
いったいどれだけの矢が仕掛けられているのか。
「関将軍」
「は、承知」
背後で舞い続ける孫仁の言葉に短く答えた関羽は、孫仁の袖が横に振られ
るのに合わせてその下に潜り込んだ。
そして素早く偃月刀の柄を地面に沿うように寝かせる。
孫仁は関羽に降り注ぐ矢を衣で弾きながら流れるように柄に乗った。
「むぅぅぅん!!」
と、同時に関羽が渾身の力で偃月刀を持ち上げ、さらに偃月刀に乗った孫仁を投げ飛ばす。
関羽の力に、更に自らの跳躍を加えた孫仁は空中でも衣を巧みに舞わせながら矢を防ぎつつ高く空を舞う。
「レン!」
まるで矢の雨の中に突っ込んで行くかのような孫仁を見て茜が叫ぶ。
そして、地鳴りはさらに多きくなりいよいよ濁流と化した水が曲がり角から現れようとしている。
「は!」
関羽により高く放り上げられた孫仁は、鋭い気勢を上げると、高く積まれた落石の上に着地して、更に跳躍。
瞬く間に崖の上へと到達。
「凄い…」
玄が呟く。
最初から関羽の頭にはこの流れが読めていたとしか思えない。
ただ、必死に落石や丸太を打ち払っているだけに見えたあの行動は防御であると同時に脱出経路を作るためのものでもあったのだ。
関羽が砕き、弾き飛ばした岩や木の一部がひとところに集められ、3メートルほどの高さの石積みになっていたのだ。
関羽はそこへと孫仁を放り投げ、孫仁はそこから更に跳び、崖をひと蹴りしてその上へと逃れたのだ。
ここに仕掛けられていた罠は、峡谷の中の敵に対しての罠。
当然崖の上にいるものに対しては危険は及ばない。
つまり、この時点で孫仁は完全に危機を脱したことになる。
しかし、孫仁はそこで息を抜かずにすぐに走り出す。
後に残された関羽を振り返りもせず、崖の上の林の中へと駆け込んで行っ
た。
「えぇ!レン?
ちょっと!どこ行くのよ!」
「いや、それでいいんだ!
そこまで考えてたのか関羽…
でも自分は大丈夫なのか」
孫仁を投げ飛ばした関羽は、その成否を確認すらしない。
片手で偃月刀を操りながら、足元に投げ捨てられていた2本の剣を残りの手で拾う。
そして、孫仁を放り投げた石積みに向かって投げる。
ガス! ガス!
凄まじい勢いで投擲された剣は石積みに混ざる丸太の部分に刺さる。
関羽の腰くらいの位置に一本、やや斜め上の位置にもう一本。
関羽は若干本数も減り、勢いの衰えてきた矢を防御しながら一目散に剣へ
と向かって走る。
「急げ!関羽!」
既に押し寄せてきた濁流が関羽のすぐ背後まで迫っている。
しかし、関羽の表情には焦りの色はない。
「ふ!」
飛沫が自らの背中にかかるほどの距離になったと同時に関羽が鋭い呼気と共に跳ぶ。
そして、一本目の剣に足をかけ更に跳躍。
同時に一本目の剣が水に呑まれる。
二本目の剣を蹴るときには若干足首を濡らしつつさらに跳躍。
ダッパァァァン!
激しい水飛沫のわずかに上を跳ぶ関羽。
押し寄せた波はぎりぎり石積みを越えることはなさそうである。
水量を確認した玄は今まさに着地しようとしている関羽を確認するために視線を戻す。
ヒュン!
「え?」
「ぅぐ!」
玄が視線を戻したときに見たのは玄にとっては信じられない光景だった。
それは、一本の矢が関羽の無防備な背中に突き立つ瞬間だった。
「関羽!馬鹿な!あの関羽がただ降り注ぐだけの矢を受け損なうなんて…」
玄の困惑の叫びが響く中、背に受けた矢の影響か着地のバランスを崩した関羽はゆっくりと背後に倒れていき…水中に没した。
「関羽!」
関羽が落ちた川は未だにその水量を減じていない。
茶色く濁った濁流はその中に落ちた関羽の姿すら確認させなくさせている。
溜められた水はすぐに底をつきいずれは穏やかな峡谷に戻るはずだが…
「玄、私見てたわ。
関羽さんに刺さった矢…
あれだけ普通じゃない速度で真っ直ぐに関羽さんに飛んできたの。
それでも関羽さんは打ち落とそうとしたんだけど…
さすがに空中での不安定な体勢から、死角の真後ろから狙い澄まされた矢
までは防げなかったみたい」
茜の説明を聞いていた玄が、忌々しげに床を叩く。
「玄…」
「追跡者だ…
手を出してこないと思ってたのに…
俺の判断ミスだ!」
「ちょ、ちょっと玄!落ち着いて!
あの関羽さんがこれくらいで死んだりなんかしないわよ。
それに水に呑まれるのだって初めてじゃないんでしょ。
きっとうまく乗り切ってるわよ」
「…そうか!」
茜の言葉に玄は思い出したようにVSを操作する。
いくつかのボタンを押してから玄はゆっくりと息を吐いた。
「そうか、そうだよな…俺が関羽を心配するなんて10年早かったよ」
「え?」
突然、安堵の息をついた玄を見て茜は首をかしげる。
「この前、孫策たちとの戦いについて話しただろ?」
茜が頷く。
戦いの一部始終を聞きたがった孫仁に話をするときに、当然茜もその場にいた。
「その時に、周瑜の術で川に呑まれそうになったときに水術を応用して、水中で呼吸出来るようにしたって」
「うん」
「関羽が水中で流れに呑まれてたり、気を失ってたりしても息が出来るように術を使おうとしたんだけど、術は発動しなかった…
つまり、関羽は既に自分で同じ術を発動させてるんだ」
そう言って全身の力が抜けていく玄を見て茜は内心でほっと息をつく。
最近の玄は本当に張り詰めている。
いくら孫仁達と一人で思い悩むなと言って話をしても、そのときは納得して穏やかな玄に戻るのだが何かのきっかけでまた思いつめてしまう。
(責任感が強すぎるのよね…)
このゲームを作ったのは玄ではない。
このゲームを許せないとしても、それを何とかしなきゃいけない義務が玄にあるわけでもない。
でも、玄はやると決めたから、関羽達を助けたいと思ってしまったから…
茜は、急に玄が愛おしくなって抱きしめたくなるが危うくその気持ちを抑え、玄の頭をそっと優しく撫でる。
「良かったわね~玄」
「こら!やめろよ…」
照れくさい気持ちを誤魔化すために冗談めかしてしまうのが茜らしい。
「やめな~い。さっきのお返し」
さっき玄に頭を撫でられたことの仕返しのように見せかけて、玄の頭を撫で続ける。
(玄、一人じゃないよ…私も、関羽さんもレンもいるんだからね…
テンパってもいい。忘れてもいい。
でも、何度でも教えてあげる、思い出させてあげるからね)
「む~…はぁ、好きにしろよ」
「うん」
茜の気持ちを知ってか知らずか、頭を撫で続ける茜を苦笑しながら放置して、再び玄は周囲を確認。
想像以上の勢いでもって流れ込んできた大量の濁流は既にその勢いを減じ、大人の膝くらいの深さで峡谷を流れている。
あれほど放たれていた矢も今は止み、水の流れる音だけが静かに聞こえてくる。
玄は下流の方から関羽の姿が見えないかと探してみる。
玄の周囲の景色が動かない以上、関羽は遠くに行っている訳ではないと判断したからだ。
ちなみに同盟した者同士が同じ場所から(この場合玄と茜)プレイしている場合、視点は投影される映像が異なってしまわないためどちらかの武将の視点に固定される。
VSの他のソフトについても同様でRPGの協力プレイでも、別の場所からオンラインで協力しているときはそれぞれの視点で映像が投射されるが、集まって同じ場所からプレイをする場合は共通の視点が投影される。
だから、ここで玄達が孫仁視点に変えない限り、周囲の風景は関羽の近くの映像が投影されるのだ。
今の水かさであれば水底に倒れていたとしても関羽の体躯なら分かる。
しかし、下流から徐々に上流に視線を移しても関羽の姿が見当たらない。
「関羽!どこにいる!
自分で動けるのか!」
玄が呼びかける。
「騒ぐな…」
「関羽?」
玄の呼びかけに小さな声が応える。
慌てて声の出所を探すが見当たらない。
「む…」
「あ、玄。あそこ」
右手で玄の頭を撫でながら左手で茜が指を差したのは関羽達が築いた石積みの上である。
「え?」
その指差した先を追った玄の目にも見える。
石積みの上に手がかかっている。
「良かった無事か…」
玄はVSを操作し、視点の向きを変えて石積みの向こう側へとまわる。
それと同時に関羽が偃月刀を足場に石積みの上に到達し、膝を着いた。
「流される途中で偃月刀を石積みに突き刺したのか…」
水と共に下流へ流されれば、水中で岩や丸太に衝突したり、崖や木々に打ち付けられることもある。
なにより溺れる可能性が高い。
不覚にも水中へと落ちた関羽は流されきる前にとっさに偃月刀を石積みに突き刺し、それに捕まって難を凌いだのだろう。
しかも、漂流物や流れから身を守るためか、落ちたのは石積みの上流側だったのに、今上ってきたのは下流側からだった。
術で呼吸だけを確保し、手探りに流れの緩い場所へと徐々に移動して行ったのだろう。
「大丈夫か!関羽」
「騒ぐなと言っている。大事無い」
そう言って、ゆっくりと関羽は立ち上がる。 その背中には半ばほどで折れた矢が未だに刺さっている。
「ごめん…追跡者が手を出してくるとは思わなかった。
俺が油断してたばかりに…」
それをみた玄は苦渋の表情で謝罪する。
「勘違いするな」
「え?」
「放っておけばよいと言ったのは我だ。
気配を断つ力量は目をみはるものがあったが、所詮はこそこそとかぎまわるだけの犬。
いかようにも対処できると思っていた。
だが、あの弓勢…
我に比類する武の持ち主…犬を装った虎であったわ」
関羽が髯をしごきながら獰猛な笑みを浮かべる。
不覚を取った自分への怒りと、相手の力量に対して沸き立つ武人の血の滾りを感じているのだろう。
「ちょっと待ってよ。
関羽に匹敵するなんて…笑い事じゃないじゃないか!
また孫策みたいな手強い敵が出てくるってこと?」
今まで関羽の強さを体感してきた玄だからこそ関羽の言葉は聞き捨てならないものがある。
「ふむ…そうだな。
孫策らは早逝したせいか、若さゆえの激しさはあったがそれゆえに粗さもあった。
今回の敵は穏形の技だけを見てもかなり経験を積んでいる…
おそらくは……孫策よりも強い」
どこか嬉しそうにも見える関羽の様子を見ていると、こうして心配している自分が空しくなってくる。
「玄よ。
漢なら悩んでも仕方ないことをいつまでも悩むものではない。
避けられぬなら、ぶつかって打ち砕く道を模索するしかあるまい」
「関羽…」
「お前の力など、あてにするまでも無いようなちっぽけなものだ。
お前の判断が戦局を動かすことなど無いと知れ」
関羽の口調は厳しい。
「ちょ、ちょっと関羽さん!そんな言い方って…」
「だから、もっと気楽にやるがよい」
「え?」
頑張っている玄に対して厳しい言葉を吐く関羽に言い返そうとした茜の言葉にかぶせるように関羽が呟く。
「…わかってはいたつもりなんだけどな…
ありがとう関羽、茜」
「ふん、これ以上何度も同じようなことを言わせるなよ、玄」
「ああ、気を付ける」
「うむ。
では行くぞ。
戦いはまだ終わっておらんのだからな」
関羽はそう言うと刺さったままの偃月刀を引き抜き、石積みを走り偃月刀を棒高跳びの棒の様に地に突き立て崖の上へと跳躍する。
あの大きな身体が不自然な程に軽やかに跳び上がると次の瞬間には崖の上に着地している。
跳躍に使った偃月刀もしっかりと握ったままである。
「ふむ…奥方の方も片付いたようだな」
崖の上で周囲を見回した関羽はそう、呟くと無造作に林の中へと足を踏み入れる。
「関羽?孫仁は一人で平気なのか?」
玄の問いかけに関羽は髯をしごく。
「問題なかろう。
その証拠に…」
そう言って関羽が立ち止まると、正面の木の陰から、誰かが下草を踏み分けて出て来る。
「関将軍、ご無事でしたか…」
「レン!あなたも大丈夫なの?
勝手にどっか行っちゃって…心配するじゃない」
木陰から現れたのは罠から逃れ一足先に崖上に逃れていたはずの孫仁である。
「奥方もご無事でなによりです。
首尾は上々のようですな」
「はい、このとおり」
そう言った孫仁が手に持っていた縄を引く。
「あ…」
そこに繋がれているものを見て茜が息を呑む。
「茜、私は戦場を離脱したのではなく作戦で別行動を取っただけなのです」
縄に引かれ、よろめくように引き出されたのは一人の男。
明らかな童顔に、気弱そうな顔、おどおどした態度がとても三国時代の武将には見えない。
唯一頬に走る一筋の傷が武将らしいと言えなくもない。
剣を取り上げられ後ろ手に縄を打たれていて、反撃のしようもない今の状況は確かに絶望的な状況であり、行く末を案じおどおどするのも分からないわけではないが…
「ほう…先ほど不意に思い出したことといい、なんとなくそんな気がしていたが…
久しいな士元」
「は、ははい。関羽将軍」
『えぇぇ!!!!』
髯をしごいてにやけながら関羽が言った言葉に、まだ少年と言っていいようなこの男が『はい』と答えたのを聞いて玄と茜が揃って声をあげる。
「ちょっと待ってよ、ホウ統っていったら結構おじさんの印象があるんだけど、それにちょっと全然雰囲気が…」
「そ、そうよ!水鏡先生って有名な先生に認められるほどの人なんでしょ!」
「後世の勝手な思い込みなど知らぬ。
こいつは間違いなくホウ統 士元だ」
関羽はきっぱりとそう言うと偃月刀を奮い、あっさりと縄を解いてしまう。
「よろしいのですか?」
「構いませぬ、士元めは武に関してはまったくの無能。
その知においては油断はなりませぬが…」
「まあ、確かに…
先ほども、抵抗らしい抵抗は全くありませんでしたが」
関羽の言葉に孫仁も頷く。
姿を見つけるまではそれなりに苦労をしたが、見つかった後は剣すら抜かなかったのだ。
「さて、お前を呼び出した者はどうだか知らぬが、お前ならこの期に及んで
無駄な足掻きをしようとは思わぬはずだな。
我らは、この周辺で殿や義弟を探している。
何か知っていることがあれば言ってみよ」
「は、ははい…で、ですが、関羽将軍。
ま、まずはその背中の、き、傷を手当てしてください」
「関将軍!」
ホウ統の言葉に傍らで成り行きを見守っていた孫仁が目を見開き、関羽の背後に回る。
そして、関羽の背に深々と突き刺さる折れた矢をみて目を見開く。
「何故…」
「追跡者が射ってきたの…」
関羽の負傷が信じられない孫仁に、茜が不覚の原因を補足する。
「…そうでしたか。
関将軍、ひとまずこの鏃をお抜きします。
あとわずかでもずれていたら心の臓を貫かれていました…
このまま刺し続けておくのは危険です」
孫仁は関羽の返答を待たずに、矢を握ると抜く方向だけを慎重に見定め、抜くときは躊躇せず一気に引き抜く。
ブシュ!
一瞬だけ関羽の背中から流血するが、すぐに収まり生々しい傷だけが残る。
孫仁は自らの衣は強度がありすぎて裂けないため、一言断ってから関羽の衣服の端を素早くホウ統から取り上げていた剣で切り裂き、関羽の胸から背中をきつく縛り上げる。
ここにいる限り傷は悪化も回復もしないが、開いた傷口は締め付けておかなくてはならない。
関羽の心臓を無防備に晒しかねないからだ。
「今日の移動はここまでに致します。
よろしいですね?関将軍」
「かたじけない。仰せのとおりに致す」
関羽の身を案じた提案に、関羽も素直に頷く。
だが、それもこのホウ統の処遇をどうするかを決めてからの話である。
「でもどうして、ホウ統は関羽が背中を怪我してることに気づいたんだろう…」
「え?見てたからじゃないの?」
玄の疑問に茜が答える。
「時間的に考えて、多分その頃は既に孫仁に捕まってたか、捕まる寸前だよ…見てる余裕があったかな?」
首をかしげる玄に関羽がくっくっと笑う。
「大方、我の動きを見て察したのであろう。
士元の観察力、洞察力はずば抜けている」
「そんな、関将軍の身のこなしに変わられたところなど…」
ホウ統と同じように関羽の怪我を知らずに対面していた孫仁が驚きの声をあげる。
「お、お元気な時の関羽将軍なら、いいい今の一振りも、こう角度が…だから、速度も…だとすると、き傷はせせ背中」
「ええい!相変わらず煮えきらぬ奴め。
一度死んで我の教えを忘れたとは言わさぬ。
何かを説明するときと、策の授受、戦場での指令だけはしかと話せ!」
どもりまくっていたホウ統がその言葉にびくっと身体を震わせる。
「は、はい!」
そして静かに目を閉じると、細く長く息を整えてゆっくりと目を開けた。
「失礼しました。
常の関羽将軍であれば、私の縄を切る際の最適な攻撃角度を乱すようなこ
とはありません。
その角度が2毛ほど下がっておりました。
これは、先ほどの罠に対する対処の動きから見ても関羽将軍の技量の衰えではなく何かしら外的要因が関係していると思われます。
正面からみて、その要因は発見できない。
角度がさがっていること、速度に若干の低下が見られることから考えてもその要因は腕を動かすための筋の集中する箇所…
背中だと推察できます。
多少の傷で、関羽将軍の動きが鈍ることはありませんので、その傷はかなり程度の重いもの…
早急な手当てが必要だと判断しました」
目を開けたホウ統は、実に淀みなくとつとつと関羽の怪我を見抜いた要因を説明していく。
その様子は確かに知者と呼ばれるにふさわしいものに見える。
「見事。
しばし、その状態のままでいよ」
「関羽、なんだか頭がこんがらがってきたよ…なんで急にりりしくなっちゃ
うのさ」
かの有名な大軍師を前ににして余りのギャップに混乱した玄が邪魔しては悪いと思いつつ口を挟む。
「こやつ、士元はな…先ほどのようにおどおどと煮え切らない奴なのだ。
しかし、その知は天下をあまねく照らすほどのもの。
だから、荊州にいるときに徹底的に仕込んだのだ。
ある特定の場面においては、自らに暗示をかけ一時的に冷静に振舞えるようにな」
誇らしげに説明する関羽に玄は思わず苦笑する。
「それってちょっとした人格改造だとおもう…」
茜の呟きに玄も内心で頷く。
ドドドドドドドッ
「む?」
「関羽!」
玄達が束の間なごんだその瞬間に聞こえてきた更なる地鳴りの音に、孫仁が身構える。
先ほどの罠を知っていれば当然の対処である。
玄も、罠を伺い周囲を探る。
しかし、関羽だけは全く動じずに髯をしごいている。
この期に及んでホウ統が小細工をしないと信じきっているのだろう。
「士元、あの音はなんだ」
「はい、崖向こうの罠が作動したのだと思います」
知的モードのホウ統は、その言動に迷いがない。
幼い外見こそ未だにイメージに合致しないがその雰囲気は名軍師というにふさわしい感じをかもし出している。
「ほう…こちら側は?」
「ありませぬ。
私の今生における能力は『詭計の極』。
自らの体力を削り、思いのままに罠を設置できるものです」
「そっか!
だから、あれだけの大掛かりな罠を人材を導入できないこの世界でいくつも設置出来たのか」
玄が疑問に思っていた謎が一つ解けた。
残るは何故、こんなに大掛かりな罠を設置したのか、こんなにもあっさり
と捕縛出来たのか、そして今おきた音と…。
なぜこちら側にも罠を配していなかったのか。
「私を呼び出した者が、この戦いを行う気がないのです」
ホウ統が淡々と答えた言葉に玄は首をかしげる。
「どういうことだ?士元」
「はい、つまり呼び出したものは私を出陣させたきり、それ以降一度も連絡がないのです。
おかげで私は自由に動けましたが…
私に当初に命じられたのは『ま、適当に戦ってて。俺彼女と2週間ばかり海外だから』ということです」
「な!なんて…」
玄はホウ統のプレイヤーのあまりの無責任さに呆れて絶句する。
確かに、このゲームをただのゲームと捉えていれば普通に電源を切って出かけっぱなしという可能性はあり得る。
だが、本人は電源を切ったつもりでも出陣中の武将はフィールドに残される。
真面目にこのゲームを知ろうとしない者には思いも寄らないだろう。
よしんば知っていたとしてもかまわないと判断する可能性が高い。
「ご存知のとおり私に武の才能はありません。
曲がりなりにも戦うためにはこの頭と罠設置の能力に頼るしかありません。
そのためにこのおあつらえ向きの地形に陣取り罠を仕掛けたのですが…」
「途中で力尽きたのだな」
「はい」
「その様子では、士元よ。この世界がもともと100名の戦いであることも知らぬのではないか」
ホウ統がやや目を見開き頷く。
「納得いたしました…少数の敵を相手にした罠にしては大掛かりすぎました。
少数の敵に対しては少数に合わせた罠があります。
仕掛ける場所もこのような広い空間を要しません」
玄も頷く。
つまり、ホウ統は生前どおり軍を率いた敵と戦うつもりだったのだ。
だからこそ進軍の経路となりうる場所に罠をはり、多勢に効果があるような広範囲の罠を設置したのだ。
「さすがの士元もなんの情報も得られぬ状況では止むを得まい」
フィールドから戻らなければ体力が回復しないのにホウ統は戻れなかった。
だからこそ、罠を最後まで張り巡らせることも出来なかった。
そして、孫仁と遭遇した際も武力云々の前に既に戦う体力が残されていな
かったのだろう。
ここまで放置されても、律儀に命令を守り最善の罠を仕掛けようとしていたのはホウ統の性格なのだろう。
「…それより関羽将軍。
よろしいのですか?」
「なにがだ?」
「対岸の罠が作動したということは、何者かがそれを起動させたということなのです。
対岸の罠は峡谷の罠と違い、足止め、捕縛、負傷に主眼を置き、進軍を遅らせ、部隊の士気を下げるようなものです。
罠にかかった何者かが身動きが取れなくなっている可能性もあります」
「ほう…」
「可能性は高いとは言えませんが、関羽将軍に矢を射た人物が罠を作動させ捕縛されている可能性もありますが?」
ホウ統の言葉に関羽が顎鬚をしごく。
「案内できるか?士元」
「は、ではこちらへ」




