鬼神
「な、なんだこいつは!」
必殺の間合いからの一撃を撫でるような手の一振りであしらわれ、余波で数メートルを弾き飛ばされて驚愕の声をあげる。
「淵!うかつに近づくな!
接近戦は俺に任せ、後方より弓で援護を頼む!」
身の丈を越える長大な戟を華麗に操りながらもう一人の武将が斬りかかって行く。
リーチの長さを活かし、うかつに近寄らぬようにしながらの立ち回りである。
「惇兄!
こいつはやべぇ!
無理する必要はないぜ!」
言いつつも目にも止まらぬ速さですぐさま弓を構えて一度に3矢を放つ。
その3矢は相手へと斬りかかる漢の動作を読んでいたかのように首筋、右の脇の下、股の間をぎりぎりでかすめて完全な死角から敵へと向かう。
と、同時に敵と相対している漢が長戟を振るう。
カッハァァァァァァ
しかし、呼吸とも、声とも判別出来ない様な異様な音を出しながら異常な大きさの方天戟を軽々とひと回しして全ての攻撃をいとも簡単に弾き返す。
「惇兄!」
「吠えるな淵!
我らがどこへ向かっている途中だったか忘れたか!
こいつの進む方向はそこと同じなのだぞ」
方天戟に軽く弾かれただけで痺れている手に活を入れつつ、目の前の敵へと間断なく攻撃を仕掛けならがら叫ぶ。
「…そうだった。すまねぇ、惇兄」
「我らが夏侯一族。
たとえ幾度生まれ変わろうとも曹孟徳の臣。
こんな化物を孟徳の近くにやる訳にはいかん!
我が名は夏侯惇 元譲!ここから先は通さぬ!」
夏侯惇が長戟を構えて二つの鋭い眼光を放つ。
「へっへ…さすがは惇兄頼もしいぜ。
俺の名は夏侯淵 妙才!
おれら二人を抜けると思うなよ!」
夏侯惇 元譲
曹操と夏侯淵の従兄弟に当たる(演義では夏侯淵の兄)。
曹操の旗揚げ当時からの宿将であり、数々の戦を共にした。
中でも壮絶なのは呂布との戦いの最中、呂布の将を追撃する夏侯惇を陣中から確認した敵将・曹性は、矢を放ち夏侯惇の左目を射抜く。
この時、夏侯惇は刺さった矢を眼球諸共引き抜き、
「父之精母之血不可棄也(父の精、母の血、棄つるべからざるなり)」
と叫びこれを喰らい、その後に左目を射抜いた曹性を次の矢を番える暇もなく顔を突き刺して討取ったという話であり隻眼の将として有名である。
性格は清潔で慎ましやかであり、お金が余れば人に配り、日頃から学問や鍛錬に励んだという。
曹操からの信頼が最も厚かった武将で、車への同乗や、曹操の寝室への自由な出入りが唯一許されていた。
また、曹操は『不臣の礼(配下として扱わない特別待遇)』として、夏侯惇に対して魏の官位を与えようとしなかったという。
夏侯淵 妙才
曹操と夏侯惇の従弟に当たる(演義では夏侯惇の弟)。弓の名手。
夏侯惇と同じく、当初から曹操の腹心として戦場を駆けた猛将。
曹操軍の主力の一人として曹操に従って転戦し、その勇将ぶりで、幾度も戦功を立てた。 ある時は先鋒として速さをもって敵に当たり、ある時は後方を固めて軍を支援した。
しかし、建安24年(219年)、劉備軍と定軍山で対峙。
夏侯淵は張郃に東方の陣営を守らせ、自分は南方の陣営を守ったが張郃が苦戦したため、自分の兵の半分を援軍に向かわせたところを、法正の策によって黄忠に高所から奇襲を仕掛けられ、苛烈に攻められて戦死した(定軍山の戦い)。
夏侯淵は幾度も戦勝を収めているものの、曹操は
「指揮官には勇気ばかりではなく、時には臆病さも必要で、行動するときは知略を用いよ」
と戒めていたという。
「だが、惇兄!
こんな化物を倒せるのか?」
夏侯淵が相手の足を止めるべく散発的に矢を放ちながら、いったん間合いを開けて下がっていた夏侯惇に声をかける。
「倒せなくともよい。
今はとにかく時間を稼ぎ、孟徳が移動してくれていることを祈るしかない」
夏侯惇が忌々しげに相手を睨みながら答える。
「まさか、両目の惇兄ですら時間稼ぎしか出来ないとはよ…」
夏侯淵が悔しげに唇を噛む。
そう、隻眼の将として名高い夏侯惇だが、この世界においては潰されたはずの左目も完全に復元されていた。
長年、隻眼で不自由な戦いを強いられてきた夏侯惇はここに来て完全に覚醒したと言って良い。
生前とは比べ物にならない程の死角のない視野、相手の動きを見るための動態視力。
戦闘においてもっとも重要な要素が一気に倍になったことは夏侯惇の動き自体のレベルを数段上にまで一気に跳ね上げたのだ。
ここまでに幾度かの戦いをしてきたが、いずれも圧倒的な武を以って軽々と勝利してきたのである。
その中には猛将として名の知られた武将の顔良や華雄と言った強敵もいたのだ。
夏侯惇が持つ長戟や夏侯淵の剛弓、減らない矢箱もそう言った強敵が変化したものである。
その夏侯惇が夏侯淵の援護を受けてすら相手にならないような相手が目の前にいる。
愚痴りたくなる夏侯淵の気持ちもわからなくはない。
なぜこんなところでこんな化物と戦わなければならないのか…
夏侯淵はここへ来てからのことを思い返す。
二人はゲーム序盤に出会った。
お互いのプレイヤーは三国志に詳しいプレイヤーであったため、名高い夏侯惇、夏侯淵コンビの同盟にかなり乗り気で調印した。
それ以降、夏侯惇達の要望を聞き入れたプレイヤー達は曹操と同盟を結ぶべくフィールドを探索していたのである。
そして幾度目かの戦いのおり、敵武将から曹操を見たという情報を得たのがつい先ほどのこと。
そして、曹操を見た時間もさほど前ではなかったのだ。
二人は生涯の主が未だ無事でいてくれたことに安堵し、同盟を持ちかけるべく合流を目指して道を急いでいた。
そこへ出てきたのがこいつだった。
身の丈180を越える夏侯惇よりさらに50は大きい。
肥大化した筋肉と俊敏な動き、闇の様な黒い甲冑に身を包み、赤一色かと見紛うほどに血走った目、どす黒く変色した皮膚…
そして、知性の欠片もなさそうなその風貌からは想像も出来ないような凄まじい武術を使う。
無造作に見える一撃も、なぎ払っただけに見える防御も夏侯惇達から見れば恐ろしく洗練された武によるものだとわかる。
クワッファァァァァ
蒸気の白煙のような呼吸をしながら、無造作に前へと歩き続けてくる。
「惇兄、俺らが散って逃げればどっちかを追ってくるってことはねぇのか?」
夏侯淵が相手のあらゆる箇所を狙って弓を放ちながら問う。
「こやつの目的がわからぬ。
向かう場所があるのか、探す者がおるのか、はたまた生あるものを全て滅したいのか…
目的がわからぬ以上はここを通す訳にはいかんな」
至近からの夏侯淵の弓を軽く捌きながらじりじりと前進してくる相手を睨み、隙を探しながら夏侯惇が答える。
「なら、惇兄…ちまちまやってても埒があかねぇ!
俺達二人の最大の攻撃をぶちかますしかねぇぜ」
夏侯淵の言葉に夏侯惇は静かに頷く。
確かに今のままでは二人がかりで攻め続けたとしても目の前の敵を倒せる可能性は低い。
単純な武ではどうにもならない域、つまり人としての範疇を明らかにあの
漆黒の化物は超えているのだ。
ならば我らも人外の技を以って戦うしかない。
それでも相手を止められないのであれば…
そこまで考えて夏侯惇は首を振る。
「よし、お前の言うとおりだ妙才。
人外の技に頼るのは気に食わぬが、相手も人外となればやむを得まい」
武人たるもの常に勝つために戦わねばならぬ。
夏侯惇が若い武将達に常に言い聞かせていたことだ。
勝てぬと思ってやる戦など、勝てる訳は無い。
勝ちの定義をしかと見定め常に勝つ。
敵を打ち破るだけが勝ちではない。
退却戦なら損害を少なく退くことが勝ちであるし、足止めならば十分に時間を稼げば勝ちだ。
その時取りうる最善の結果を勝ちと見定め勝ち続けることが兵を強くし、将を育てる。
それが夏侯惇流の戦術理論だった。
「よいか、淵。妙才よ。
今、我らがやらねばならぬのはあの化物の足止め、そして孟徳との合流だ。
倒す必要はない。
すぐに追えぬだけの傷さえ与えればよい。 その間に我らは離脱し、孟徳と合流、次の策を練る」
「おお!」
夏侯惇の言葉に力強く頷いた夏侯淵は背負っていた矢筒を下ろす。
矢筒自体は細長く容量は小さく見える。
それなのに中には数十本の矢が入っているように見える。
見ている方はその不自然さに頭がくらくらしそうになる程である。
夏侯淵はその矢筒に右手を伸ばす。
その手は淡く光を帯びており、何らかの技が発動しているのが見て取れる。
そして、夏侯淵は矢筒の中にある数十本の矢を右手で全て掴めるだけ掴む。
すると、本来握れるはずもない程の本数の矢がみるみる凝縮していき、一本の光る矢に変わる。
その矢をゆっくりとつがえる。
手と矢の光が弓全体へと拡がり発光していく。
その様子を気配で確認していた夏侯惇が短く呟く。
『蒼炎』
夏侯惇の身体から蒼い炎が立ち昇る。
夏侯惇にだけは無害な灼熱の蒼い炎である。
各武将に原則2つずつ設定されていると思われがちな必殺技だが、たまに例外がある。
その理由は多岐にわたるが、最も多いのはゲームバランスを考える上で必殺技と武将の総力量が強力過ぎる場合である。
そして、夏侯惇 元譲に与えられた必殺技はこれ一つのみであった。
「ゆくぞ、妙才」
夏侯惇の声に合わせて蒼炎が長戟へと集約して行く。
「おう!いくぜ『滅多撃ち』」
叫んだ夏侯淵の弓から光る矢が放たれる。
放たれた矢は尾を引きながら狙い違わず真っ直ぐに敵の胸元へと向かう。
その矢に対応しようと敵が、巨大な方天戟を構えようとした瞬間。
「おりゃぁ!『爆裂』」
夏侯淵の吼え声と同時に凝縮されていた数十本の矢が元に戻りながら拡散。
目の前で数十に分裂した高速の矢をかわす方法などない。
一つ一つの矢の威力は小さくなるが、目前で広範囲に広がる夏侯淵の『滅多撃ち』はあらかじめ知っていれば射撃と同時に大きく身をかわすことで回避も不可能ではない。
しかし、何も知らずに受ければ完全回避はほぼ不可能。
最善は急所だけをかばうなり防御し、ダメージを最小に抑えること。
この技を使ってみた夏侯淵が自ら考えた対処法はそれしかなかった。
しかし、漆黒の化物は直前で弾けた無数の矢を方天戟を回転させて防ごうとする。
「け、間に合うもんかよ!」
次の行動に移りながら夏侯淵が叫ぶ。
矢が弾けてから動作にうつったのでは遅い。
仮に幾本かは叩き落とせたとしてもほぼ同時に着弾する数十本の矢を一本の方天戟ででカバーしきれるはずが無い。
グゥォン!!
命中を確信しきった夏侯淵の耳に鈍い風きり音が聞こえる。
そして、
ザスッ ザスザスッ
矢が弾き飛ばされ地面などに刺さる音。
「な…馬鹿な!」
夏侯淵の目が驚愕に見開かれる。
「指先だけであの方天戟を矢の通る隙間も無いほどに高速回転させたというのか!」
あのタイミングでは方天戟を回すために武器を持ち替えたり、反動をつけたりしては間に合わない。
もちろん生半可な回転では全ての矢を退けることも出来ない。
しかし、あの化物は片手の指だけであの2メートルをゆうに超え、柄の直径も5センチはあろうかという方天戟をおそらくは1秒間に10回転近く(そのくらいでなければ全ての矢は叩き落せまい)回転させた。
「妙才!動きを止めるな」
夏侯淵の矢の影に隠れ化物の背後に一瞬にして回りこんだ夏侯惇が叫びつつ、相手の背中へ向けて蒼炎を纏った長戟で斬りつける。
矢の対処に方天戟を使っている相手には防御は出来ないと読んでの攻撃である。
グガ…ァァ ジュゥ!
「ち!」
しかし、化物は方天戟を回していないもう一方の手で夏侯惇の鋭い一撃を後ろも見ないまま柄を掴む。
しかし、蒼炎を纏った長戟が化物の手を焼く。
耐えかねた化物は矢を凌ぎきった方天戟をくるりと回して逆手に持ち、自らの脇の下から背後の夏侯惇を突く。
「む!」
ろくに相手も確認してないはずの突きは、それでも確実に夏侯惇の心臓へ恐ろしい速さで迫ってくる。
夏侯惇は握られた長戟を手首の返し一つで奪い返すとすぐさま身をかわす。
本来であれば長戟を捨て、身をかわすのが正解だが、夏侯惇の一瞬の隙を補うかのように長戟を覆っていた蒼炎が夏侯惇の眼前へと移動し化物の方天戟を粘着するかのように受け止めて速度をやわらげる。
その間に夏侯惇は跳び退り、再び距離を取った。
距離を取ったと同時に蒼炎は再び夏侯惇の身体全体を淡く包んで燃える。
この汎用性の高さこそが蒼炎の真骨頂であり、夏侯惇に必殺技が一つしか設定されていない理由である。
蒼炎は触れれば灼熱で相手を焼き、武器に纏えば武器が強化され、防御に使えば高密度の炎が相手の攻撃を受け止める。
そしてその動きの全てが夏侯惇の無意識下で指示されているのだ。
つまり、夏侯惇が武器を強化したいと思えば武器に集まり、夏侯惇が危険を察知すればそれだけで危機に対して防御行動を取る。
実際に思うことで指示を出しているわけではないからその動きは恐ろしく滑らかで自然だ。
もちろん、無意識で思ったことに反応してしまうのはある意味欠点でもあるが、戦闘経験に長けた夏侯惇が使用する限りこれ以上ない利点となる。
この技の唯一の欠点は蒼炎を出している間は常にライフが少しずつ削られていくことだけである。
夏侯惇はゆっくりと振り返った化物に向かって再び突っ込んでいく。
そして、蒼炎を相手の眼前に展開して視界を遮りつつ炎で顔面を攻撃し、と同時に長戟で足元をなぎ払う。
化物は炎を避けつつ長戟を避けるため後方へ跳ぶ。
しかし、それこそが夏侯惇の狙い。
(妙才!今だ!)
心中で叫ぶ。
「っりゃああぁぁ!!『豪落爆砕』」
跳び退った化物の頭上から大きな光る槌を持った夏侯淵が落ちてくる。
夏侯淵はもう一つの必殺技の予備動作によって人では考えられぬ程の跳躍をしていた。
技自体は槌装備必須で一度飛び上がれば後は落下速度と技の力で目一杯叩きつけるだけ(落下時に多少の空中移動は出来る)の雑な技だが、それだけに威力は大きい。
加えて夏侯淵は武将を変化させて得た、手の平大の大きさと大人の上半身ほどもある極大の大きさのどちらにでもに自由に大きさを変えられる大金槌(棘付き)を所持していた。
その威力たるや、地面を打てば周囲何メートルかが陥没する。
その一撃が後方に跳んで、宙にいて身動きが取れない化物の頭上にぴったり一致する。
夏侯惇と夏侯淵、二人の打ち合わせも必要ないほどの息のあった行動がなければここまでの状況は作れなかったであろう。
「死ねやぁ!」
夏侯淵の叫びと共に振り下ろされる光る大金槌。
夏侯惇は巻き添えを避けるために後方に跳躍しながらその光景を見る。
ドッゴォォォン!!
凄まじい振動と共に鳴り響く衝撃音。
爆風のように吹き荒れる風と土砂と岩。
夏侯惇は自らの蒼炎を身に纏い余波を完全に無効化しながら砂煙の中へと目を凝らす。
夏侯淵の一撃が化物の頭上に落ちようとした瞬間に夏侯惇が僅かに見た化物の動きが信じられないのだ。
「馬鹿な…跳躍の最中に方天戟を地に突き刺して、それを支点に加速と方向転換をするなどあり得ん」
現代の棒高跳びのように何かを支えにして跳び上がることや、ほんの少しだけ跳ぶ距離を伸ばしたりすることは出来なくはないだろう。
だが、勢いのついた身体を方天戟で受け止め尚且つ方向転換しながら加速するなど、一体どれほどの膂力があればなし得るのか…
しかもあれは軽業師のような体躯の者ではない。
身の丈2メートルを上回る筋骨逞しい大男なのだ。
徐々に晴れていく視界の中、陥没した地面の中央に大金槌を地面にめり込ませた夏侯淵が見える。
しかし、その周囲に化物の姿はない。
「どこだ?
妙才!奴には命中していない!
気をつけるんだ!」
夏侯惇の焦りの滲んだ声が響く。
「くっ、あの状態で当たらねぇのかよ!」
悔しげに夏侯淵が叫ぶがその身体は硬直して動かない。
大技を出した後の硬直状態である。
ゲームの設定として決められている硬直時間なため本人にはどうしようもない。
この技の硬直時間はおよそ2秒。
「くそ!奴はどこだ」
唯一自由になる視線を可動範囲目一杯使って姿を探す。
その夏侯淵の視界が一瞬陰ったのと夏侯惇の叫びがほぼ同時であった。
「妙才!上だ!!」
「なんだとぉ!」
夏侯惇の声に驚愕した夏侯淵が上を向く。
しかし、その視界には黒い大きなものがなんとなく視認できただけだ。近い。
だが、上を向けたことで夏侯淵はすぐさま硬直が解けたことを悟る。
「解けた!ぬぅおおおおお!」
夏侯淵が大金槌を掲げるように持ちながら全力で後ずさる。
カッハァァァァ
と、同時に不気味な呼吸音を撒き散らしながら化物が舞い降り、今まで夏侯淵がいた場所へと方天戟が突き刺さる。
更に化物は力いっぱい突きたてたはずの方天戟をいともたやすく引き抜くと方天戟が消えたかと錯覚するような突きを放つ。
夏侯淵はかろうじてその突きに反応して掲げた大金槌をわが身の盾にする。
そしてその大金槌に方天戟が…
「ぐおぉぉぉぉ!」
ゴワッキィィン!
「妙才!!」
甲高い金属音と同時に吹き飛ばされていく夏侯淵を追って夏侯惇が走る。
夏侯淵は大きく飛ばされた後、陥没させた地面の斜面にぶつかり、さらに勢いは止まらず斜面を転げ上がるように吹き飛ばされる。
さらに斜面の端でジャンプ台のように打ち出されて地面に叩きつけられて止まった。
しかし、絶好の追撃の機会に化物は動かない。
「く、いつでも殺れるということか」
悔しさに歯軋りしながらも、夏侯淵のもとにたどり着いた夏侯惇が夏侯淵を抱き起こす。
「妙才!大丈夫か!」
「ああ…惇兄、問題ねぇ…ただ華雄槌が粉々になっちまった」
問題ないとは言いつつも夏侯淵の全身は激しく痛んでいる。
大金槌が方天戟の一撃から守ってくれたとは言え、武将が変化した強力な武具をあっさりと粉々にするほどの一撃を至近で受けたのだ。
打ち砕かれた大金槌の破片も全身で浴びている上に物理法則を無視するかのような飛ばされ方をしている。
身を起こすのも辛そうな夏侯淵の症状はおそらく全身打撲に近いものだろう。
「一体何がどうなったんだ、惇兄」
「…奴は方天戟を使ってお前の一撃から逃れた後、砂塵に紛れてお前の真似をするように死角の頭上へと跳んだ。
どうやってかは知らん。
…わかるのは結果だけだ。
だがこれまでの奴の動きを見る限り普通に跳んだと言われても信じざる得ないな」
「け、本物のばけもんかよ…惇兄…もう駄目とは言わさねぇぞ」
夏侯淵がふるふると震えながらも弓を手に立ち上がる。
「なにがだ?」
「撤収だよ」
「妙才!」
「うるせぇ!!」
撤退を主張する夏侯淵に声を荒げようとした夏侯惇を押さえ込むように夏侯淵が叫ぶ。
「勝つんだろうが!
今ここで奴と戦い続けることは勝ちじゃねぇ!
殿と合流し、危機を知らせ、対策を練り、いつか再びこの世界をも統べるのが勝ちだろうが!」
「むぅ…」
「ならここは退こう惇兄…」
夏侯淵の言葉が夏侯惇の胸に刺さる。
確かにそうだ。
ここで時間を稼ぐのも大事だが、これほどの敵がこの世界にいるという情
報は何が何でも己が主に伝えなければならない。
出来うることなら自らが護衛に付いていなければならない。
二人の最強の攻めを全くの無傷で凌ぐような敵とこれ以上戦っても時間もさほど稼げないだろう。
「…確かにお前の言うとおりだ。
勝つためにここは退こう。
…無論あいつが見逃してくれればだがな」
夏侯惇がゆっくりと陥没した地面を上ってくる漆黒の化物を見る。
「ああ…だから、ここは俺がやる。
惇兄は先に行ってくれ」
「馬鹿な!何を言っている妙才」
震える手で夏侯惇を後ろへと押しやりながら夏侯淵がへっ、と笑う。
「誰かがあいつを止めなきゃ逃げられねぇ。俺は後で逃げる」
そう言って夏侯淵は減らない矢箱を逆さにして大量の矢を地面に落とす。
「何を言っている妙才?
その身体で逃げ切れると思うのか!」
「がははは!思わねぇな。
…だから残るしかねぇだろ?なぁ惇兄」
「く…」
夏侯淵の覚悟を決めた言葉に夏侯惇の言葉が詰まる。
確かに今の夏侯淵はまともに走れる状態ではない。
夏侯惇が肩を貸せば、人並みに走る程度の速度は出せるだろうがおそらくそれでは逃げ切れない。
夏侯淵はそれが分かっているのだろう。
「ほら、もってけよ惇兄」
地面に山と積まれた矢を見て、夏侯淵が矢箱を夏侯惇へと渡す。
夏侯惇は黙って受け取ると矢箱を背負う。
「妙才…」
「分かってるさ。
諦めるつもりはねぇ…」
夏侯淵が積まれた矢の中から掴めるだけの矢を光を帯びた手で握り締め一本の矢に凝縮していく。
「惇兄、俺が射ったら行け。
隙は作ってやる」
「すまぬな…妙才」
光る矢を構える夏侯淵に夏侯惇が搾り出すように声をかける。
「言うなよ惇兄…若かった頃のように惇兄とまた暴れられて楽しかったぜ」
「む、そうだな…これで孟徳がいれば良かったのだがな」
「ちげぇねぇ!
殿のことは任せるぜ惇兄」
夏侯淵の弓が引き絞られる。
夏侯惇は静かに頷き、動き出すべく身をかがめる。
敵はようやくようやく穴から顔を出そうとしているところである。
「もう一度喰らえや!『滅多撃ち』」
夏侯淵の弓から放たれた光の矢が一直線に敵の顔面へ飛んでいく。
カハァァァァ
化物は斜面の途中にもかかわらず自らの方天戟を構えて迎え撃とうとしている。
「け、同じ手を使うかよ『光烈』」
夏侯淵の叫びで今度は矢が力強く発光。
矢の数が多いほど強く光を放つ滅多撃ちからの派生技である。
派生技は多数あり、経験を積むごとに増えるのだが、夏侯淵は先ほどの拡散する『爆裂』、今回の発光する『光烈』しかまだ覚えてはいない。
ガぁ!
しかし、今はそれだけで十分である。
夏侯淵の思惑通り、矢自体はそれでも化物の方天戟に弾かれたが、突然の強い光に目を灼かれて化物が顔を背ける。
その間に夏侯淵は再び矢を握り凝縮させていき、矢をつがえると目がくらんだままの化物に向かって素早く射る。
「おまけだ『滅多撃ち』んで『爆裂』!」
放射状に広がった矢が飛んでいく、そのすぐ後ろに次の光矢が既に放たれている。
「この夏侯淵 妙才の早撃ちをなめんなぁ!『滅多撃ち』『爆裂』」
空間を埋め尽くすかのような矢の群れが早めの拡散により、放射状に広く広く飛んでいく。
しかし、よくよく見れば矢の速度が違う。
グァッファァァ
化物は回復しきらない目を閉じたまま、群がってくる矢の大群に向かって方天戟を再び回す。
自分の前で高速回転させていれば矢は通らないと判断したのだろう。
「だからあめぇんだよ!
同じ手は使わねぇって言ったろ?」
夏侯淵がにやりと笑って見た視線の先。
早めに爆裂させた矢は大きく散開して拡がり化物への命中コースを離れて飛んでいくものも多い。
しかし、速度を抑えて放った第1陣に最速で放った第2陣が追いつく。
カカカカカカカカカッ!!
小気味良い連続音と共に第1陣の矢に第2陣の矢がぶつかる。
そして第2陣の矢の勢いと衝撃を受けた第1陣の矢が加速しつつ向きを変え、化物のサイドから一斉に襲いかかった。
驚くべきは、夏侯淵はこの攻撃に技名乗りを上げていない。
つまり第1陣の矢を第2陣の矢で弾いたのは純粋に夏侯淵の技量ということになる。
不確かに拡散して飛んでいく無数の矢を同じように拡散して飛んでいく矢で狙い撃ちにするなど一体どれだけの技量を有すればいいのか想像もつかない。
視界を塞がれ、正面からの攻撃だけに対処しようとしていた化物はさすがに今回は避けられるはずもない。
グゴアァァアァァァ!!
もちろん狙いも甘く、全ての矢の向きを変えられた訳ではなかったが化物へと向かった矢はドス、ドスと鈍い音立てて命中する。
「へ、まさに一矢報いるってやつだな。
やるもんだろ?惇兄」
「ああ、見事だ妙才」
夏侯淵の背後に撤退したはずの夏侯惇が直立したまま無表情に答える。
ガァァッアァァァァア!!
矢の刺さった箇所から闇のように赤黒い血を流しながら化物が怒りの叫びを上げる。
「さて、いよいよかな…もういっちょいけるか?」
視力が回復した化物が自らの肩や太ももに刺さる矢を無造作に引き抜き投げ捨てる。
そして怒りに更に赤く充血した目を夏侯淵へと向ける。
夏侯淵は再び地面の矢を大量に握ると素早くつがえて放つ。
「これが最後の『滅多撃ち』だぜ!」
夏侯淵の弓から矢が放たれ、化物へと向かう。
「喰らえ!『爆れ…』」
「妙才!」
「か…は…はぇぇ…早すぎん…だろ」
夏侯淵の口から苦しげな声が漏れる。
夏侯淵が矢を放ってからそれを爆裂させるまでのわずかの間に、怒りで本気になった化物が一瞬でその間合いを詰め、分裂する前の矢を弾き、返す方天戟で夏侯淵の腹を突き刺したのである。
「妙才!しっかりしろ」
直立のままの夏侯惇から声が聞こえる。
化物は夏侯淵に突き刺さったままの方天戟をゆっくりと持ち上げていく。
そして、百舌のはやにえのようにぐったりとした夏侯淵を頭上に掲げた。
カハァァァァ
「と、惇兄…また俺が先に…すま、ねぇ」
かはっ
夏侯淵が吐血し、宙に浮いた身体がびくりと痙攣する。
「妙才!」
「ま…また…な……とん、にぃ…」
かくん、と夏侯淵の身体から力が抜ける。
大柄な夏侯淵の身体を突き刺したまま方天戟を真っ直ぐに立てているにもかかわらず化物の動きに危なげなものはない。
やがて、夏侯淵の身体が白い粒子へと変わっていく…
カッハァァァァァ
化物の呼吸が荒くなる。
フォォォォォォ…
「ば、馬鹿な…喰ってやがるのか」
夏侯惇の声がわずかに震えている。
化物は夏侯淵が白い粒子に変わっていくと同時にその粒子を嬉々として鼻と口から吸い込んでいるのだ。
「く…妙才…俺には何もしてやれん…許せ」
夏侯惇から悲痛な呟きが漏れる。
やがて…
ゆっくりと味わうように白い粒子を吸い尽くした化物の身体がじわりと闇色を増し、一回り大きくなっていく。
「…なるほど、お前のその異常な能力は他の武将達を喰い尽して得たもの。
その異常な外見はその代償…というわけか…」
ゆっくりと身体の変化を終えた化物は方天戟を構え直し、グギギと首を回して直立したままの夏侯惇を見る。
クパァァァ
そして、赤く染まった口内を見せびらかすように口を開け笑う。
「名乗れるなら名乗れ!
我が名は夏侯惇 元譲!
必ず貴様を再び冥土に送り届けてやる!」
夏侯惇の名乗りに化物がクカカと笑声を上げると同時に方天戟で直立した夏侯惇の胴体をなぎ払う。
しかし、夏侯惇は直立したままその攻撃を避けようとしなかった。
化物の神速のなぎ払いは狙い違わず夏侯惇の胴体へと吸い込まれ、その身体を二つに断ち割った。
ボワッ
しかし、真っ二つに切り裂かれたはずの夏侯惇の身体が蒼い炎へと変わって空気中へと消えていく。
夏侯淵の後ろでずっと成り行きを見守っていたのは夏侯惇の蒼炎が擬態していたものだったのである。
夏侯惇本体は夏侯淵の援護を受け、既にこの場を離脱していた。
なおかつ、蒼炎を通して情報を収集していたのである
「グガガ…ワガ…ナ、ハ…ホウセン…
呂布 奉先 ナリ!」
闇を纏いし三国志最強の武将
呂布 奉先
圧倒的な力を以って……出陣




