疾走
「ふん…次から次へと」
関羽が追撃の機会を阻まれ、忌々しげに呟く。
「大分頭に血が上ってたみたいだけど、うまくなだめられたみたいだね…
面倒だけど、手ごわくなる。
次からは周瑜も手を出してくるだろうしね。
うまく悪来だけで妨害できるかどうか…」
「ま、難しいだろうな。
馬の俺が出来る妨害なんて体当たりするくらいのもんだ。
うまくいって最初の一回だけだろうな」
悪来があくまで本当の馬のように草を食むふりをしながら答える。
「うん、だから勝負は序盤で決めなきゃいけないと思う」
「あの光る身体はどう考える、玄」
「…ん、王道を行けば身体能力を上げるタイプだと思う。
つまり、速さか力、もしくはその両方が上がる」
「それならばよほど劇的な変化が無い限りは、そのつもりで対処すればなんとかなるな」
関羽が髯をしごきながら頷く。
「後は、可能性は低いけど…
触れることで発動する類の技。
何かの遠隔攻撃用の溜め。
防御能力を持つ光ってパターンも考えられるか…」
「む?それら全てに対応した戦い方は無理だな」
関羽が眉をしかめる。
「だよね…本命は身体強化で良いと思う。
あと、絶対とは言い切れないけど他の可能性の確率を下げることは出来ると思う。
気休め程度だけどね…」
「今回は不確かでもやむを得まい。言ってみろ」
「あのね…」
玄が考えをまとめながら口を開く。
「いいか、伯符。
虎身の効果もまもなく切れる。
最初の好機を逃すな!好機はそう多くはないぞ」
「まかしとけって、俺とお前が連携して戦うんだ。
負ける訳ねぇさ!」
孫策が身体に光をまとったまま剣を構える。
「そんなことでよいのか?」
「あくまで、可能性を減らすだけだからね。 その反応次第で見えてくるも
のもあると思う」
そんな玄の言葉に関羽はふ、と髯を揺らす。
「いくらか軍師らしくなってきたようだな」
「え?」
「無論!まだまだひよこの域だがな!行くぞ玄!」
関羽が剣を手に孫策へと向かっていく。
「まずは…これだ」
関羽は開いている左手で懐をさぐると、何かを素早く抜き出し左手を振った。
「おおっと!」
キン!キン!
孫策の声と共に振られた剣から甲高い音が響く。
玄の助言により関羽がまずしたことは、礫を孫策に向けて投げつけること
だった。
礫は移動中に見つけた硬石を関羽が剣で研いで形を整えた物で指先ほどの大きさの物に角がつけてある。
関羽はさらに立て続けに孫策に向けて礫を投げ続ける。
その全ては剣や鎧に弾かれ、有効な攻撃としては機能していないように見える。
「関羽!孫策の動きはさっきと比べてみてどう?」
「む、さほど大きな変化はない」
「そっか、孫策は礫に対して剣と鎧で対処。
鎧に当たった礫は特に不自然な動きはせず下に落ちてる。
だとすれば、接触を条件にした技や溜め系、防御力を増すような技ではない可能性が高い。
動きに変化がないとすれば…孫策のタイプから考えれば可能性は無いと思ってたんだけど…体力を回復するための技か?」
玄はなんとなく納得できないものを感じながら呟く。
「よい。どちらにしろ、奴の身体にのみ作用する技なのであろう。
ならば我の方で対処も可能であろう」
関羽が礫の間合いから接近戦の間合いに入りながら答える。
「役に立てなくてごめん、何かあるってことだけ気にとめておいて」
申し訳なさそうな玄の声を背中に受けて関羽は孫策へと斬りかかっていく。
鎧の防御を打ち破るためには、複数の攻撃を同時に当てる事が必要だが、そのためには通常の攻防で打ち勝ち孫策の体勢をくずしていかなくてはならない。
孫策の防御、鎧の防御で2手を防がれてしまっては意味がない。
3つの攻撃を関羽が1人で同時に繰り出すのは難しい。
関羽は先ほどまでと同じように巧みに孫策の防御を誘導して体勢を崩そうと攻撃を繰り出していく。
「よっ、ほ、アブね!、と~」
しかし、孫策は軽口を叩きながらその攻撃をいなしていく。
関羽の攻撃は速さも威力も技も、さっきまでと変わらない。
むしろ序盤で決着をつけるべく速さは増しているほどである。
それなのに孫策が、余裕を持っていられる原因は孫策自身にある。
「どうした!攻めてこんのか?
こうして胸を貸してやっているのだぞ」
「けっ、うるせ!」
そう、孫策は今までの荒削りな攻めも技による攻めもしてこない。
ひたすら受けに徹している。
鎧の防御とあいまって完全に受けに回られるとその守りを打ち崩すのは関羽でも難しい。
「…おかしいな、いくら受けに徹したからってさっきまであれほど翻弄されてた関羽の攻撃をああも簡単に凌げるのかな?」
「さてね、確かに受けに徹すれば格段に防衛力が上がるのは間違いないがね」
悪来がさりげなさを装って位置を変えながら答える。
「そういうものなのか…でもあれだけ余裕があるなら攻撃だって出来そうなのに…」
「ふん、籠城戦と同じだろうよ。何かを待ってるのさ」
悪来がブルルっと喉を鳴らして身震いした。
「周瑜との連携か…」
「ああ、俺様の出番も近いな」
玄は関羽と孫策の攻防と同時に注視していた周瑜の動向を確認する。
周瑜は腕組みをしたまま、黙って関羽達の攻防を見守っているように見える。
「…特に動きはなし、か」
「…本当にそうか?」
「え?どういうこと」
悪来が全身に緊張感を漲らせつつ問いかけてくる。
「よくわからんが、危険な気配がさっきから肌を刺すんだよ」
玄は関羽や悪来が伝えてくる感覚的な情報を決して軽くは扱わない。
戦場で生きてきた彼らには、現代で生きる自分達よりもはるかに強い生存本能が有り、そのための危機察知能力みたいなものがあると思っているからだ。
今までの短い付き合いの中でも、彼らの感覚に驚かされたことは一度や二度ではない。
「え?でも…周瑜は動いてない。
孫策は関羽と打ち合うので精一杯のはずだし…二人以外にこのエリアに人はいないから、伏兵もない」
VSを確認した玄が考えをめぐらせているとじりじりと位置を移動していた悪来が馬の振りを忘れて叫んだ。
「玄!あれを見ろ!」
「え?」
悪来の鼻先が示しているのは水際である。
そこには黒く湿った土があり、川底の水草が露出している。
「水位が下がってる?…まずい!悪来!」
「おう!もう動いてるぜ!」
玄が現状を把握する前に既に駆け出していた悪来は一直線に周瑜へと突進している。
(間に合っててくれ!)
玄は内心で自分の失策を後悔しながら、悪来の疾走を祈るような気持ちで見守る。
(必殺技を使うのに派手なエフェクトがあると思い込んでた…戦いの流れから行けば介入してこないなんてあり得ない状況だったのに…完全な俺のミスだ)
玄の心中はともあれ、周瑜の介入を阻止すべく走る悪来は瞬く間に周瑜との間合いを詰めて体当たりの体勢に入った。
「ふ、ようやく来たか」
腕を組んだまま戦況を見守ってるようにみせながら技の準備をしているはずの周瑜は悪来を避けるしかないはずだが、突進してくる悪来を見て不適に笑う。
「どなたかは知らないが、馬であるあなたに意思があることなど承知の上ですよ」
まさに悪来が衝突しようとする瞬間に優雅に身を翻した周瑜は見事な抜き打ちで悪来の首を落とそうと剣閃を発した。
「悪来!」
「ぬぉぉぉぉぉぉぉ!」
人の身ならず、馬の身体での勢いでは急に止まることも身をひねることも出来ない。
「だあ!」
「なに!」
それでも悪来は必死に抵抗をした。
長い首を鞭のように僅かに左右に振り、すれ違いざまに斬りつけてきた周瑜の懐に潜り込ませたのだ。
ざしゅ! ずざぁあぁ!
「悪来!!」
血飛沫が舞い、盛大な砂煙が立ち上った。
「く、まさかあの体勢から反撃を加えてくるとはな…」
周瑜が剣を腰に戻して、服についた埃をはたきながら呟く。
「ぐ、うぅく」
砂煙の中からは悪来のうめき声が聞こえる。
「悪来!悪来!大丈夫か?返事をしろ」
玄の懸命の叫びが続く中、おそらく悪来が派手に倒れこんだことによる砂煙が徐々に収まってくる。
「く、一応…無事だ…ぜ」
そこには右の太ももを深く斬り付けられて倒れ伏す悪来の姿があった。
「この世界に馬がいないことくらいは確認済み。
居ないはずの馬がいるということはそれは誰かが変化したものだということは容易に分かる。
鎧のような器物にまである程度、意思があるのなら生物ならば意思の疎通が可能であろうことは警戒してしかるべきだ」
「くっ…」
周瑜の言葉は浅薄な対応を指示したであろう玄へと向けられた痛烈な皮肉だ。
「ふん、首を落とせなかったのは計算違いだがもう動けまい。
今はあの関羽を倒す方が先だ」
周瑜は発動準備だけを終えていた大技を発動すべく今度こそ大きな構えを見せて叫ぶ。
この点において玄の必殺技を出すときには何らかのアクションがあるはずだという考えは間違っていなかった。
ただ、発動までの準備にはただ集中できる環境であれさえすればよかったのである。
『氷虎爪舞!』
叫びと共に大河の中から水でかたどられた象ほどもある大きな虎が宙に駆け上り、みるみる氷結していく。
氷結しながらも宙を駆けた虎は孫策と激しい打ち合いをし続けている関羽の上空から関羽へ向けて前足を振り下した。
そして振り下ろされた足は鋭い爪となって放たれる。
その数はとどまることを知らず、虎の身体部分をも削りながら、その体積の全てを氷の爪へと変換して関羽へと襲い掛かる。
その数は百はくだらない。
「関羽!上だ!」
先ほどまで聞こえていた玄と悪来の会話、そしてかけられた玄の悲痛な叫びに、関羽はだいたいの事情を把握する。
「ふ!」
関羽は孫策へと強い一撃を加えると上空からの攻撃を避けるべく、鋭いバックステップをくりだしてその場から離れる。
その関羽が居た場所へ一瞬だけ遅れて氷の爪が突き刺さっていく。
関羽は孫策と距離を取る方向へと意識して氷をかわす。
孫策の氷をかわした隙を孫策に突かれないようにである。
跳び、走り、剣で打ち払い、時には地面へと飛び込むようにして無数の氷を紙一重でかわし続けていく。
しかし、いかんせん数が多すぎる。
いくつかは関羽の身体を掠めていく。
傷口が凍結していくので出血するようなことはないが、関羽のライフゲージががみるみると短くなっていく。
ここまでライフが減ると関羽にも目に見えて疲労の色が濃くなってくる。
「がんばってくれ関羽!もう少しだ!」
玄が叫ぶ。
いつ終わるともなく続いた関羽の必死の回避行動…
しかし、玄の視界にはようやく尻尾だけになった虎がいる。
そして、最後の一爪が関羽のわき腹をかすめて地面に刺さった。
「……し、凌いだ?」
「はい、お疲れさん。さすが公瑾、効果時間ぴったりだぜ」
「そんな!いつの間に」
やっとの思いで全ての攻撃をかわしきった関羽の背後にいつの間にか孫策がいてその剣を振り上げている。
「関羽!」
一連の回避に全力を注いだ上に、傷による疲労で動きの鈍った関羽には背後からの一撃をかわすことは出来ない。
玄は何も考えずとにかく、関羽を回避させるべくコントローラーを激しく操作。
操作された関羽は結果として不自然な動きで倒れこむように転がった。
「ぐぬぅ…」
この人の動きとしては不自然な回避が幸いしてか孫策の剣は関羽の背中を浅く斬りつけるにとどまり、動きの自由を取り戻した関羽は今度こそ孫策と正対して確実な距離を取る。
「関羽!」
「騒ぐでない玄」
肩で息をしながらも関羽は毅然と直立している。
「でも…」
玄の目には赤くなった関羽のライフゲージが点滅しているのが見える。
「おいおい…ここまでやってまだ倒せねぇのかよ」
「氷虎爪舞をかわしただけでも驚きだがな」
孫策と周瑜が呆れた声で苦笑している。
二人にしてみれば、今の攻防で勝負は決したと言って良い状況である。
「やっぱり、孫策の技は身体強化だったんだ…」
「動きを抑えて好機が来るまで隠し通したのだな」
「うん、普通に打ち合ってる最中なら強化しても関羽なら対処できた。
そして、相手もそう思ったんだ」
「悪来は?」
「…脚を深く斬られてる…しばらく動くことはできないと思う」
「命があるならよい。
さて、現状を説明してみせよ。
ひよこ軍師」
関羽が慎重に距離を取りながら、この期に及んで笑う。
「関羽…分かった」
あえて笑う関羽の強さに力づけられた玄は自分もいつまでもうろたえては
いられないと意識を切り替える。
「まず、関羽の体力は危険域まで減少してる。ここまで行ってしまうと術や必殺技関係は危なくて使えないし、疲労という形で自覚症状も出てると思う。
ただし、今ある傷が今後も体力を奪うことはないよ。動く時の障害にはなるかもしれないけど…」
「負傷が動き回ることによって、これ以上悪化することはないのだな」
「うん、関羽に分かりやすく言うならそういうこと。
ただし、痛みはあると思うし腱や筋肉を斬られれば動けなくなるよ」
「よい。次」
「周瑜は、立て続けに大技を2発も使ってる。いくら術レベルが高くたってあれだけの技を使えば3発目はないしかなり疲労してると思う。
おそらく関羽と一対一なら関羽が圧倒できる。
今後は介入してくるとしても術を使わない物理攻撃になると思う。
物理攻撃っていうのは…つまり剣で斬りかかるとか弓を使うとかそんな攻撃方法になるはず」
「得意分野だな、次」
「最後、孫策。
彼が一番元気、鎧の特性は把握したと言っても本人の力と鎧の力は健在。
さっき使った技も、再度使う可能性もあると思うし、もう一つなにか技を残してる可能性もある。
ただ、多分だけど残りの技は関羽や典韋が使ってたような力技的な類のもので間違いないと思う」
「奴に関しては今までどおりだな。では方針はあるか」
「…本来なら撤退して仕切りなおしたい。
それぐらい現状は不利なんだ…
ただ、相手は二人でしかもここは中州。
逃げ切ることはできない」
「当然だな」
「なら、この状況からでも二人を倒すしかない。
一番良いのは、技を使って疲労してる上に武では関羽に及ばない周瑜を一気に撃破して孫策と一騎討ちの状態に持ち込むこと」
「孫策が放っておかないだろうな」
「うん、となればやることはさっきと同じ。
周瑜の動向に気を付けながら、まず孫策を倒す」
「うむ、冷静になったようだな。
『今までと同じように戦う』むしろ周瑜の大技に気を使う必要が無い。
現状はこんなにもわかりやすいではないか。
玄よ、軍師たるものが策の成否に一喜一憂するものではない。
百発百中の策などない、破られた場合に即座に次の対応が取れることが良い軍師の最低条件だ」
「関羽…分かった。肝に銘じておくよ、ありがとう…」
「ふ、よい。
癪に触るが先ほどの水攻めや孫策の一撃…お前の策や操作に助けられたこともある」
「そっか…こんな俺でも少しは役に立ててるんだ」
「ひよこだがな」
「またそれを言う、わかってるって」
関羽の言葉に玄は小さく笑う。
切羽詰った時ほど笑うことが出来るくらい冷静にいなければならない。
関羽が言いたかったのはきっとそういうことだ。
しかし、冷静になったところで厳しい現状なのは変わらない。
「玄よ」
「え、何?」
関羽から話しかけてくることは珍しい。
「私の必殺技とやらは使えないのか」
「…ん、正直しんどいと思う。
今の体力から考えると使用したことで体力が尽きることはぎりぎりないと思うけど、使った後はほとんど動けないくらいの疲労を感じると思う」
関羽は下流方向にいる周瑜と上流方向にいる孫策を交互に眺めている。
「…仮に孫策を仕留めても、周瑜と戦う力は残らぬか」
「技を使えば孫策に勝てる?」
「おそらくな…青龍斬を使えば両の武器に加えての3手目になる」
関羽の言葉に玄ははっとする。
「そうか…そうだよ!
なんで気が付かなかったんだ。こんなに消耗する前にもっと早くに気が付けば…」
「違うぞ玄、鎧や孫策の技、何も知らぬままにその答えには行き着かぬ」
「…」
「案ずるでない、この関雲長。
小童どもが二人がかりで来ようとも負けはせぬわ!」
そう言って関羽は孫策へと向かって歩いていく。
「言ってくれるじゃねぇか」
にやりと笑った孫策も応じるように間合いを詰めていく。
「伯符!油断はするなよ」
「分かってるよ。
あいつは俺らより強い。だろ。
お前こそ気ぃ抜くんじゃねぇぞ!
大分へたばってんだろうが」
「ば…だからお前はどうしてそういうことを、すすんでばらすんだ!
黙っていれば相手の判断を鈍らせることもできるんだぞ!」
周瑜の怒声に孫策はかっかと笑う。
「もう気づかれてるよ。
関羽の後ろにいるやつは結構切れ者だぜ。
だから、お前も対抗心燃やしてついつい余計な皮肉なんか言ったんだろうが。
そんなことせずにすぐに技使ってりゃ、最後の一撃まで虎身が保ったんじゃねぇか?」
「ぐ…」
孫策に図星を突かれたせいか周瑜が言葉に詰まる。
確かにあと1秒孫策の身体強化の技の効果が残っていれば玄の無茶苦茶な回避操作をもってしても孫策の一撃をかわすことは出来なかったはずである。
「え?あの周瑜が俺を?」
「くっくっくっ、なんとも愉快だな玄。
戦場にもでたことの無いひよこをあの美周郎が認めたか」
「え?え?」
関羽が髯を揺らしながら笑う。
「くはは!ひよこと言えど我が同盟者。
あなどれば痛い目をみるぞ!」
「ああ、分かってるぜ。俺達には、もう慢心はねぇ!
どこまでも謙虚にお前の首を取らせてもらう」
「やって見せろ!」
そして、再び二人の厳しい斬りあいが始まる。
だが、今度は孫策は受けに徹している訳でもなく、身体強化の技を使っているわけでもない。
しかし、関羽は孫策を圧倒することが出来ない。
「やっぱり疲労で動きが落ちてきてるんだ」
それでもかろうじて互角の打ち合いをしているところはさすがは関羽だが、自らの弱点をしっかりと認識した孫策の戦い方も当初に比べるとかなり堅実な戦い方になっていて関羽の付け入る隙がない。
なんとかしたいと思ってもリアルにいる玄には何もすることは出来ない。
せいぜい周瑜の動向をチェックして関羽に伝えるくらいだが、二人の動きに疲労した周瑜が介入するのは簡単ではないだろう。
それでも、孫策と周瑜の信頼関係があればいつどんな形で思いもかけない連携を見せるか分からない。
「なにか…なにか出来ないのか」
辺りを見回すが、そこには大河と雑木林が見えるだけである。
「ん?…あれは」
雑木林の隙間から中州の反対側が透けて見える。
「橋?対岸には橋があるのか…橋があるならなんとか逃げられ…」
そこまで呟いて溜息をつく。
「逃げられる訳無いか…」
おそらく、橋は両端から伸びていたのだろう。
だが玄達が来た北からの橋は周瑜たちが落とした。
もしかしたら付近にあった船なども根こそぎ沈めるか対岸へ移動させたのかもしれない。
そうすることで北からくる武将達を高い確率で中州へと誘導できる。
玄達は最初から周瑜の策に嵌まっていたのだ。
「くそ!俺なんてまだまだじゃないか…」
玄は悔しさに自分が座っているベッドを叩く。
関羽や、周瑜にちょっとくらい認められたと言っても今、こうして関羽は危地にいる。
それが自分のせいかもしれないと思うと胸が苦しくなって悔しさがこみ上げてくる。
関羽が言ってくれたことは嬉しい、だがそれでもそれに甘えるわけにはいかない。
「なにか、なにか…」
諦める訳にはいかない玄は今自分に出来ること、すなわち必死に思考を巡らせる。
なんとか周瑜の動きを抑え…抑えるだけじゃだめか。
関羽が孫策を倒すためには必殺技を使う必要がある。
その後に周瑜と戦う余力が残らない以上は先に周瑜を倒すしか…
でも周瑜に向かえば孫策に無防備な背中をさらすことになる…
「……ょね」
孫策の動きを封じて周瑜を討つ…そんなことが出来るのか?
今の関羽にはそれだけの余力は…
「……んじゃないってば!」
「…ん?」
「玄なんて女心とかまるっきしなんだから! 自分が女性に好かれる可能性を全く考えてないのよ。
だから無神経なこととかたまに言っちゃうのよね」
「ほほほ、言えば言うほど墓穴を掘ってる気がしますよ茜」
(…まさか!つながった?!)
めまぐるしく思考を研ぎ澄ませていた玄は聞こえてきた声を聞き、即座に手元のVSに視線を落として画面を確認、一気に現状を把握した。
そして叫んだ。
「茜!」
「わ!びっくりした、なんで急に玄の声が」
孫仁とたわいも無い話に興じていた茜は思いもかけないタイミングで聞こえた玄の声に驚愕して辺りを見回した。
「誰もいないわよね…」
「茜!茜!聞こえるか」
「え、ええ!もしかしてVSから?」
「茜、玄殿の声に余裕がありません」
孫仁にも玄の声が聞こえているらしい。
「え、あの…もしかして聞こえてた?
ち、違うの!無神経って言ったのはほら!なんていうか勢い的な流れ?」
茜は先ほどまでの女同士の会話を聞かれたかもしれないと赤面しながら言い訳をする。
「茜!その件は後でみっちり聞く!
とにかくVSを見ろ!」
「茜!玄殿の言うとおりになさい。
関将軍達になにかあったようです」
孫仁は先ほどまでの楽しげな雰囲気を微塵も感じさせず厳しい表情で茜をたしなめる。
「う、うん…あれ?エリアが凄い広がってる」
「そうだ!茜達が少しずつ北上してくれたおかげでエリアが繋がったんだ。
だからVSを介して同盟者同士の通信が出来るようになったんだ。
それよりいま、俺達がいる場所が分かるな」
「え?う、うん…北東の川の真ん中へん」
VSに表示された関羽の文字とマーカーを見て茜が答える。
「急いで孫仁をそこへ!」
「承知しました」
茜の返答を待たず、詳しい説明も聞かずに孫仁は北東へ向けて走り出す。
玄の切羽詰った様子から一刻の猶予もないと判断したのだろう。
「わ!ちょ、ちょっとレン!」
周囲の景色がいきなり高速で動き出したため平衡感覚を乱されよろめいた茜が抗議の声を上げる。
「いいか、茜!今俺達は、川の中州で二人相手に戦ってる。
正直結構やばい…関羽は孫仁が戦いに加わることを良くは思わないだろうけど、この危機を乗り切るためにはどうしても孫仁の協力がいる!
今!すぐにだ!」
「玄…わかった。レンとすぐに行く」
玄の必死な声に事態の緊急さを感じ取った茜が真剣な顔で頷く。
「ありがとう…あと、到着までに孫仁に覚悟しておいてもらいたいことが一つ」
「なんでしょう玄殿」
身を低くしながら軽快に走り続ける孫仁。
「……俺達の戦っている相手なんだけど…… 孫策と周瑜なんだ」
「え?それって…」
玄の言葉に茜が驚きの声を上げる。
「……」
しかし、孫仁は走る速度を緩めることはなくしばし目を閉じた。
そして目を開けたとき
「承知致しました」
その目には強い決意の色が浮かんでいた。
「ごめん、俺が…俺達がもっと強ければ孫仁自身が戦わずに済ませられたかもしれないのに」
「よいのです。
今の私は劉玄徳の妻。それだけです」
「レン…」
「茜、好きな殿方に意地ばかり張っていると私のように離れ離れになったときに後悔するのよ。
忘れないでね…」
そう言ったときの孫仁の瞳を茜は一生涯忘れないだろうと思う。
「うん、分かった…ありがとうレン」
「さあ、茜。私達の初陣ですよ、気を引き締めなくてはね。道案内は任せたわよ」
「了解!」
孫仁のマーカーが動き出したのを確認して玄は胸を撫で下ろす。
しかし、その動きはあまりにも遅い。
「これじゃ間に合わないかもしれない…」
玄がわずかながらも、『徐々に孫策に押し込まれていく関羽』を見ながら呟く。
「へ、俺の出番のようだな…」
「悪来!」
いつの間にか悪来が起き上がって歩いている。
「ばかっ!無理するな!血がしぶいてるじゃないか!」
悪来が一歩を踏み出すたびに深く斬られた太ももから ぶしゅ!ぶしゅ! と血が溢れていく。
「心配すんな、傷が悪化することはないんだろ」
「な!確かにそうだけど!」
確かに悪来の言うとおりだが、それは裏を返せば時をおいても回復しないということである。
回復するためには原則フィールド外に出なくてはならない。
武将達なら派手な出血等は直撃当初のエフェクトのみなのだが、変化した生物や器物にはそのルールは当てはまらないらしい。
「でもそれは…それだけの傷の痛みが常に和らぐことなく続くってことなんだよ」
「玄よぉ、今ここで働かねぇでどこで働くんだよ。
関羽が負けちまえば俺も再びあの世行きなんだぜ」
悪来が脚を引きずりながら橋へと向かっていく。
確かに、関羽が負けてしまえば関羽の持ちものとして規定されている典韋も運命を共にする。
倒した武将を変化させたものを、さらにその武将に勝った誰かが入手することは出来ない。
だから、玄は頷いた。
「……分かった。よろしく頼む!
橋を渡って南西に一直線に行けば出会えると思う。
一刻も早く孫仁をここへ連れてきてくれ」
「へ、へ…任せとけぇ!この悪来典韋の底力を見せてやる!」
吼えた悪来が今までの動きが嘘のような勢いで走り出す。
「待て!どこへ行くつもりだ?
馬といえど不確定要素は見過ごせんぞ」
走り出した悪来の前にいつの間にか回り込んだ周瑜が立ちはだかる。
さっきと全く同じ状況…このまま、突っ込めば先ほどの二の舞になる。
悪来もそれがわかっているはずだが、速度を緩める素振りはない。
「ゆけぇい悪来!」
「公瑾!あぶねぇ!」
ことの流れを耳で聞いていた関羽が一瞬の隙をつき左手で残りの礫を周瑜へ投げつけたのである。
「む?」
周瑜は孫策の声で攻撃に気づき、唸りを上げる礫を危なげなくステップしてかわした。
だが、その一瞬こそ関羽が悪来に与えたかったものだった。
「助かったぜ、関羽!」
「しまった!」
周瑜の意識が逸れたその一瞬に悪来は風のようにその傍らを駆け抜けていた。
そして一気に橋を渡ると玄の視界から消えていった。
「く、みすみす不確定要素を逃がすとは…」
「放っておけよ、馬一頭で何が出来る?」
「…確かにそうなのだが…」
釈然としない周瑜をよそに孫策は再び関羽との激しい斬りあいを始めている。
「それにしても…関羽雲長。なんという男だ。
あの曹操が欲しがるのも納得できる。
我らの攻めを全て受けきり、あれだけの傷を負いながら、なおも伯符と互角に打ち合うとはな…
悔しいが私が手を出せばかえって伯符の邪魔になる。
しかし、さすがの関羽とてあの傷…
長くは保つまい」
周瑜の独り言を聞いていた玄が首をかしげる。
「ん?もしかして…そうか!だから関羽は」
玄が何かに気づいて声を上げる。
「さすが関羽、こんな状況でそんなことを思いつくなんて…」
玄は関羽の行動に勝機を見出す。
関羽のしていること自体は、今の状況下では全てをひっくり返すようなことではない。
だが、これからやってくる孫仁には大きな助けになるし、関羽の選択肢が一つ増えることは大きい。
「それにしたって…周瑜たちに気づかれる可能性もあるし、有効に使えるかどうかは……やっぱり時間か…頼むぞ悪来」
「玄と関羽さん達、大丈夫かしら…」
孫仁の移動に伴い、周囲を流れていく景色に酔いそうになった茜が意識を逸らすために呟いた。
「あまり、芳しい状態ではないのでしょう。
先ほどの玄殿の会話からは怪我をした悪来殿もこちらに向かっているようですし…」
「一刻を争う…か」
孫仁の走りは当初から全く速度を変えず、全力疾走が続いている。
「兄上と周瑜将軍…二人と戦っているのです。 苦戦しているとはいえ、決着がついていないことがむしろ、さすがは関将軍というべきでしょう」
「そうよね…孫策と周瑜って言ったら、勇将智将で知られた人物だもんね」
茜が玄から借りた本で出て来た二人の人物像を思い出しながら答える。
「兄上がなくなられた時は私もまだ小さかった上に、兄上は天下を取ることに夢中でしたから私のことなどはあまり覚えてないかもしれませんね…ですが、幼心に兄上の荒々しい強さは記憶に刻まれています。
周将軍に関しては兄上亡き後、権兄様を補佐しながら呉の軍事権を全て手中にし赤壁から荊州争奪まで…
その知略は恐いほどでした。
もともと、あの方との結婚も周将軍の策略であの方を呉に留め置くための政略結婚でした。
まさか、その二人と戦うことになるとは思いもしませんでした」
孫仁の声は事実をたんたんと述べ、戦いを逡巡している気配はない。
「本当にいいの?レン」
「ふふふ、相変わらず優しいわね茜。
茜の暮らす世界が少し羨ましいわ。
私達の生きた時代は、肉親ですら裏切ることもあるような時代でしたから…覚悟は出来ています」
「…そんな覚悟悲しいね」
茜の言葉に孫仁は悲しい微笑を返す。
「だからこそ、私達が犯した過ちを経てたどり着いた『今』をあなたたちは大事にしなければいけないのだと思います」
「レン…うん。そうだね…
その言葉、私絶対忘れないからね、レン」
「ふふ、ありがとう茜。
私もそんな考え方が出来ることに驚いているわ。
私達が通り過ぎた時間の先に築かれた世界があることを知ることが出来てよかった。
そして、その世界が平和であることを知れてよかった。
私達が必死に生きたあの時間が無駄ではなかったと思えるから…」
「…もう!駄目よ、レン。
すぐそうやって暗くなるんだから!
そんな顔で劉備さんに会ったら心配されちゃうわよ!」
何かというとしんみりしがちな孫仁に茜はわざと明るく話しかける。
「ふふ、そうね。
ついつい今が未来だと思うと考え込んでしまって。
年は取りたくないものね」
それが分かる孫仁もいたずらな笑顔で答える。
「大丈夫よ、実年齢はともかく見かけは間違いなく20代前半。文句なし美人だから」
「あら、私は喜べばいいのかしら?怒ればいいのかしら?」
くすくすと笑いながら孫仁はちょっと膨れてみせる。
「どっちもはずれ」
「え?」
思いがけない茜の言葉に孫仁がきょとんとしている。
「ただ……あなたは笑えばいいのよ。
あなたは精一杯生きて、その生をまっとうしたんだから。
それを活かすも殺すも今を生きる私達の役目。
あなたは『うまくやってみろ』って思いながら'上から目線'で笑って見守ってくれればいいの、もう休んでいいのよ。
あなたの気持ち、私達がきっと受け継いでいくから」
「茜…そうね。
本当にそのとおり。
私達は決してうまく生きたとは言えないけれど、何かを残したと思いたい。
そしてそれを誰かが受け継いで行く…そうやって歴史は紡がれていくのね」
「頼りないかもしれないけど、笑って見てて。死んでからまで心配かけたくないもの」
「ええ…あなたのような人がいるのだもの。全く心配なんてしないわ」
孫仁の顔に吹っ切れたような笑顔が浮かぶ。
それを見た茜もなんだか嬉しくなって一緒に笑った。
「ただ…」
「ええ、そうね。」
茜の真剣な声に、孫仁も答える。
そして二人は同時に
『全てはこの戦いが終わってから』
この、ばかげたシステムを潰す。
玄が言い出したことであり、茜は玄が言うならと同意していたこと…
しかし、孫仁と付き合っていくにつれ、会話を重ねるにつれて、今、はっきりと自分の意思が固まった。
やっぱりこんなシステムあっちゃいけない。
うまく使えばいいのかもしれない。
あれば便利で良いことの方が多いかもしれない。
このシステムに賛成する人の方が多いかもしれない。
それでも、これは必要ないものだ。
孫仁と話していると茜はそう思わずにはいられない。
「茜、見えましたよ」
一人決意を新たにする茜に孫仁が声をかける。
「え?」
「おそらく、右前方の砂煙は悪来殿だと思います」
孫仁の示した方向を見ると確かに微かに砂煙が舞っているのが見える。
VSを確認してみてもマーカーは表示されていないので武将という可能性も薄いだろう。
「でも、ちょっとずれてるみたいね…レン」
「わかりました」
孫仁は走る方向を変え猛スピードで近づいてくる砂煙の方へと向かう。
まもなく茜の目にも、砂煙をたて爆走する悪来の姿が確認出来た。
「…おかしいですね」
悪来へと向かって走りながら孫仁が呟く。
「え?何が」
「いえ、そろそろあちらも私に気づいてもいい頃なのですが…進路が変わらないのです」
「ええ!…………それってどういうこと?」
「意味も分からずとりあえず驚きましたね?茜」
「いや、あはは…」
孫仁はそんな茜に苦笑しながら更に速度を上げる。
「既に悪来殿の視界に入る位置に私達はいます。普通なら悪来殿程の方が気づかぬなどあり得ません。
それなのに気づかないのなら…」
「え?まさか」
「そう、多分意識が無いか、もしくは朦朧とした状態で走り続けているのでしょう」
壮絶な走りをする悪来を見つめて茜は呆然と呟く。
「…そこまでしなきゃいけない戦いなの?」
「…孫仁、聞こえる?」
「はい、聞こえております玄殿」
悪来の凄絶さに圧倒されている茜は答えられない。
「悪来の傷は深い。
本当なら走れるはず無いくらいに…
それなのに関羽のために走ってくれてるんだ」
「わかっております。
情けなどかけません。何がなんでも私を関将軍のもとへ最短で届けて頂きます」
「レン!」
「…目を覚ましなさい!茜!
先ほどの決意をもう忘れたのですか」
この世界に呼ばれてから初めて孫仁は大声を出した。
まなじりもきつい。
今まで温和な雰囲気を片時も崩さなかった孫仁が本気で怒っている。
「そうじゃない!でも…」
「悪来殿がかわいそうですか?」
「…」
「思い違いもいいところです。
彼を侮辱するのも大概にしなさい!」
「え?侮辱なんて…」
孫仁の言葉に反射的に言い返そうとする茜を孫仁は視線を厳しくすることで止めた。
「…あなたにそのつもりがないことはわかっています。
しかし、悪来殿は誰かに強制されているわけではないのです。
軍馬に身をやつしたとは言え、一角の武人である悪来殿が己がすべき事と思い定めての行動なのです。
その行動に対して『可愛そう』だなどと言わせませんよ。
身命を賭しての行動に情けなど入る余地はないのです。
私達に出来るのはただその心意気を汲むことだけ…」
既に悪来は目と鼻の先まで疾走してきている、孫仁の必死の走りによってなんとか通り過ぎられる前に先回りできそうである。
しかし、それは近づいてくる悪来が良く見えるということでもある。
その目に映る悪来は、下半身を血で真っ赤に染め、一歩ごとに血をしぶきながらそれでも全力で前へと走っている。
「納得できないのならそこで見ていなさい」
そういうと孫仁は悪来の正面に立つ。
「悪来殿!悪来殿!目をお覚ましくださいませ!孫仁でございます!」
必死に呼びかけるが、悪来の疾走に変化は無い。
正面に立っているはずの孫仁を認識出来ていないのだ。
「やむをえませんね…うまくいくと良いのですが…」
孫仁はそう呟くと、疾走してくる悪来を静かに待ち受ける。
「ちょ、ちょっとレン!まさか力づくで受け止めるつもり?」
狼狽した茜の声に孫仁は答えようとしない。 別に答えたくない訳ではなく極度の集中状態にあり答える余裕がないのだ。
やがて、彼我の距離が10メートルほどになったとき、悪来に向かって走り出した。
「レン!」
ぶつかる!
跳ね飛ばされるシーンを想像して茜は目を閉じる。
激しい衝突の音がくると身構えた茜の耳に飛び込んできたのは
「悪来殿、悪来殿、お聞きください!」
孫仁が悪来を呼ぶ声だった。
おそるおそる茜が目を開けると、悪来の背に跨った孫仁が悪来の首にしがみついて耳元に話しかけているところだった。
孫仁はすれ違いざまに悪来の首に飛びつき、悪来の走る勢いを利用してその背へと飛び乗ったのである。
「…ん?お、おお…姫さんか」
「お気づきになられましたか悪来殿」
「ヘヘ…すまないな、ちょっと寝ちまったみたいだ」
悪来の視線は未だ定まらないままである。
おそらく過度の痛みにより意識が朦朧としているのだろう。
「しっかりなさいませ!
まだ私と合流しただけです。急いで向きを変えて関将軍の所へ私をお届けください」
「おお!…ま、任せろ。そのために来たんだからな…だが、一つ頼まれてくれ」
「なんでしょう?」
「どうも砂が目に入ったみたいで前がみづれぇ…耳を引っ張って方向を示してくれ」
悪来の目は、しっかりと見開いている。
砂に目が入ったというのは誰の目から見ても嘘であるのは明白である。
「悪来殿……一つ貸しです。後でお返しくださいませ」
孫仁は泣きそうな顔をしながらそう答えて、悪来の右耳を力いっぱい引っ張った。
「へへ…分かった分かった。厳しい姫さんだぜ」
悪来が耳を引かれるままに方向を転換し、来た道を真っ直ぐ戻っていく。
その速度が落ちることはない…
「茜…お前がそう思うことは決して間違ってないよ」
走り去る悪来と孫仁の背中を眺めながら呆然としていた茜に玄の声が聞こえる。
「でも、彼らにはしなくちゃいけないことがある。守らなきゃいけないものがあるんだ」
「でも…」
「例えば…
母親が我が子を守ろうとする時、わが身をなげうっても構わないと思うのと似てる。
俺だって、例えばお前が不良に絡まれてたりすれば助ける。
ちょっとくらい殴られたり、蹴られたりしたって、そこで引いてしまえば自分が守ろうとしたものを失うかうもしれないし、何よりも自分の中の大切なものがきっと折れてしまうから…」
「玄…」
身体を張って自分を助けてくれるという玄の言葉は正直嬉しい。
だが、血まみれで走っていた悪来の姿が脳裏に凄惨なものとして焼きついて離れないのだ。
「今はいい。
孫策達との戦いに無事に勝つことが出来たら…
そのときもう一度決めればいい。
そこで納得できないなら、VSを俺に預けてこのゲームのことは忘れて過ごせばいい」
「…わかった、今は勝つことに集中する」
「ありがとう、ごめんな。
こんなことに巻き込んじゃって…」
「そんな!巻き込んだなんて…これは私が自分で首をつっこんだことよ」
「…わかった。
しばらくしたら悪来達がここへ到着する。
そうしたら戦いは一気に決着に向かうと思う。もう少しだけ頑張ってくれな、茜」
玄の心配げな声が聞こえる。
そんな声を出させてしまっている自分が情けないと思う。
それでも、一介の女子高生にはあの悪来の姿は刺激が強すぎた。
(玄の言うとおりにして私は…)
「関羽、そのままで聞いて。
まもなく孫仁達がここに到着する」
茜の精神的なダメージも気になって仕方ないが、今はどうすることも出来ない。
正直、自分だって悪来の血まみれの姿に心が折れそうになる。
でも、辛いのは、悔しいのは実際に傷つけあいながら戦わされている武将達だ。
彼らを救うために彼らを苦しめる…矛盾しているが、玄にはこれしか方法が思いつかない。
正しくないかもしれなくても、前に進むしかないのだ。
そしてやると決めたからには最後までやりとおしたい。
(だったら俺は自分に出来ることを精一杯やるだけだ)
玄の視界では、相変わらず劣勢のまま関羽が孫策の攻撃を凌いでいる。
「孫仁に覚悟があるとは言え、鎧を備えた孫策とぶつけるのは正直危険が大きすぎる。
関羽が周瑜を倒すまでの間をなんとか凌いでくれればそれが一番確実なんだけど…
もしかしたら肉親である孫仁とは戦えないとか言ってくれるかも?とかも考えたけど…
既に孫策は自分の父親孫堅と弟の孫権を倒してる。
なのに妹だからという理由で攻撃が出来ないと思うのは甘い考えだと思う。
どちらにしろ孫策を倒せるのは関羽だけだと思ってる。
だから、孫仁には周瑜と戦ってもらう。
そして勝ってもらう」
玄の言葉は関羽に間違いなく届いているはずだが、関羽の挙動に変化は無い。
「大技を連発して疲労した周瑜なら、決して無理な勝負じゃない。
関羽が張ってくれている伏線だって孫仁を助けるはずだしね。
そもそも、孫仁が戦えるということは孫仁を訓練した関羽が誰よりもわかっていると思う。
そして、そうする以外にこの戦いに勝つ方法は…多分、ない」
玄は悲観的な自分の意見に関羽の背中が怖くなったように感じる。
だが、玄にしても別に弱気になったりした訳ではない。
自分なりに戦況を分析した結果がそうなっただけだ。
「だから、孫仁が着いて周瑜と対峙したら孫策を倒すための戦いに変えていい。
ここだという好機があれば技も使って構わない。後のことは孫仁と…孫仁と茜に任せよう。
俺は二人を信じる」
孫策と激しい打ち合いを続けながら関羽は髯に隠して口元を緩めた。
「ふ、ひよこがどんどん大きくなりよるわ」
関羽が呟く。
「なぁにをぶつぶつ言ってやがんだぁ!いつまでも守ってばかりじゃ俺には勝てねぇぜ」
傍目から見ても重傷の関羽をこれだけ攻めても押し切れない孫策は内心の焦りをごまかすようにさらに激しく攻め立てる。
「ふん、思えば我はなんでも一人でやろうとしすぎていたのかも知れぬな…」
関羽は孫策の攻めを凌ぎながら束の間生前のことに思いを馳せる。
赤壁の戦いの後、劉備は荊州を拠点として益州へと攻めあがって行った。
当初の予定では益州を落とすまでは当時鳳雛と呼ばれた希代の智者ホウ統が劉備に随行して策を奮い、その間は諸葛亮孔明が荊州に残る。
益州平定後はホウ統と諸葛亮は入れ替わり荊州の内政をホウ統が軍事防衛を関羽が見るはずだった。
しかし、ホウ統は落鳳破で伏兵に遭い益州への進軍半ばで非業の死を遂げてしまう。
そのため諸葛亮が急遽益州平定に増援として赴くことになる。
その後、荊州を守る関羽は内政、軍事、外交まで全てを一人でこなしていくことになる。
全ての分野に広い見識を持っていた関羽だからこそ出来たことだが、荊州は北の曹操と南東の孫権に挟まれ常に狙われる土地であったため、その負担は想像を絶するものだったはずである。
「ひよこが育ちゆくのを見るのも悪くない。もう少し息子達にも稽古をつけてやるべきだったのかもな」
関羽は短い感傷に自嘲気味に笑みを浮かべる。
「て、めぇ~!何笑ってやがる!」
関羽の笑みを自分への嘲笑だと勘違いした孫策が激昂して挑みかかってくる。
しかし、余裕は無いが防御に徹している関羽はその攻撃を確実に一つずつ受けて流していく。
たまによろけて見せるのも忘れない。
「伯符!最後まで冷静に油断するな!」
傍観している周瑜も関羽の動きが鈍っていくのをみて勝利を予感しているのだろう。
その指示は確実に勝利を詰めていくための指示だ。
と、その時関羽の耳に微かないななきが聞こえてきた。
「…来たか」
「おらぁ!そろそろ往生しろや!」
孫策が怒りに任せるまま大上段から剣を振り下ろす。
関羽はその攻撃をあえて剣で受けず、地面に飛び込むように転がってかわした。
そして、体勢を整え直した時には…
「!…さすが関羽」
玄が関羽の位置取りを見て感嘆する。
関羽が位置どったのは、中州のと繋がる橋を背に孫策を左側、周瑜を右側に望む位置である。
後ろから悪来と孫仁が到着すれば、互いに背を守る形でそれぞれの敵に対することができ、到着後に動けなくなるであろう悪来をも守ることが出来る。
そして今度は逆に孫策と周瑜の退路を遮断する形になる。
「…伯符、この位置からなら二人がかりで攻められる。
一気にこの戦いを終わらせるぞ」
「おう!」
確かに、孫仁たちが到着する前にそこに移動してしまえば両サイドから挟み込まれる形で攻撃を受ける可能性はあった。
しかし、今このとき関羽がそこへ移動したのは玄には聞こえなかったが、孫仁達が来ているという何がしかの確信を得たからのはずである。
「慌てるな周瑜よ…お主の相手は我ではない」
関羽が剣を片手に髯をしごきながら周瑜を制止する。
「なに?」
周瑜が訝しげな表情をしたと同時に関羽の背後より蹄の音が響いて来る。
「む?」
「なんだなんだ?」
周瑜と孫策が関羽の背後に上がる砂煙を見つけて不審な目を向けた時、猛烈な速度で橋を渡ったものがその勢いのまま関羽の背後に どうっ!! と倒れこんだ。
それは限界まで力を振り絞り孫仁を迎えに行くという役目を果たした悪来だった。




