第3話
それから幾夜かたった朝。
目覚めると、船内の人々は、迫る上陸に向けて準備に追われていた。私は胸元の仔猫を抱き寄せ、進行方向へと視線をやる。目指す“神の星の国”の浜辺は目前だった。
「何度も頭の中で計画は練った。私ならやれるわよ」
改めて意志を固めようと、自分に云い聴かせるように希望論を嘯く。何せ、この仕事は一族の存続や名誉に関わる重要なものだ。暗殺者としてまだまだ未熟な私が完璧に行える確率は極めて低い。だからこそ、自分への揺るぎない信頼と、仕事を正確に行える事への確信を失ってはいけない。あくまで私はやれると、そう心から自分を信じるのが、この仕事の主軸となる。
朝食を報せる鐘が鳴った。船楼に設けられた食堂では、船員達お手製のタッリシ(魚介類のスープ)と芳ばしい香りを漂わせたマナ(パン)が振舞われていた。
「お姉ちゃん!」
背後から聞こえた活発な声に振り向くと、そこには先日私に仔猫を預けた幼い少女、ハリハル・ミカルがいた。
「お姉ちゃん、チルのこと、ありがとう。だからお礼がしたくて……これ、良かったら食べて!」
そう言ってミカルが差し出したのは、可愛らしい花柄の布に包まれた五色の色の飴だった。
「わぁ、すごい綺麗。いいの?」
ミカルは無邪気な笑顔で頷く。
「うん!お姉ちゃんのおかげで、チルも幸せそうなの。だから私も幸せ!お姉ちゃん、本当にありがとう!」
思わず私もはにかむ。集落を出て以来、こんな風に人と接する事が無く、少し心が寂れていた様に感じた。
「ふざけるな!そこにはその少年が居るはずだろう!」
そんな和やかな雰囲気を切り裂く罵声。
辺りが刹那的な沈黙に堕ちたのも信じられぬ程に、周囲の騒めき、否、囁きが私の脳内を埋め尽くす。
幼い頃から耳が良く、人々の些細な一言を汲み取り、それがどんなに辛い事でも受け止めてきた。けれど、今まで集落の人達としか接して来なかった私には、人の憂さや醜悪さが、今のこの一瞬で、脳髄まで染み渡る様な痛みとなって突き刺さった。
「あぁ?何だてめぇ。この俺に楯突くってのか。いい度胸じゃねぇか。その勇気だけは認めてやるよ」
体格の良い、ならず者らしき男を睨んでいるのは、まだ若い狩人の青年だ。狩人かどうかは、腰に携えている機巧弓矢ですぐに解る。
「お前は元剣士だろう!ならば、弱者を蹴散らし、我が物顔で欲求のままにモノを凌駕するのは、剣士として恥ではないのか!お前には剣士の誇りはないのか!」
何故、青年は男が元剣士と解ったのだろう。私には、ただの悪人にしか見えない。
男は引き攣った笑顔で青年を見下す。
「弱者は弱者だ。強者に奪われて生きるのがこの世界の理ってもんだろうが。それに、お前こそ、その坊主を弱い者呼ばわりしてるあたり、俺とそう変わらんよ」
男は嘲笑し、余裕そうに席に着く。席は一番端で、警備の者の近くだから比較的安全なのだろう。
少年は歯を食いしばってその場を立ち去った。
気付かぬうちに、私はその青年の後を追っていた。
つづく