第5話「旅立つ前に」
アルクラン暦1101年 5月。
あれから三日経ったが、俺達は未だにトロル達が住む故郷の村に滞在していた。
それというのも……。
「はぁはぁ……すみません、少し休ませてください」
村から出て、少し山道を歩いただけで姫様は息切れしていた。
「やっぱり、姫様のその体で山を越えるのは無理だと思うんだ」
「しかし、急がなければ竜騎士の試験に間に合わなくなってしまいます……」
ブライアンの話によると、亜人の里から王都までは約三ヶ月はかかるらしい。
竜騎士の試験は九月なので、普通なら間に合うのだが、今の姫様では亜人の里の山を越えるだけでも一苦労だ。
「コハクが乗れるだけ大きければな……」
「ピィ?」
俺の隣で、翼を動かして浮かんでいるコハクは、どう見ても子犬サイズなので乗るのは不可能だ。
「これは別の方法を考えた方が良さそうだな……少し休んだら村まで戻って、誰かに相談してみよう」
「はぁはぁ、すみません……」
姫様が落ち着いてから、ゆっくり歩いて、再び村に戻る。
すると村のトロルの男……モンドランが話しかけてくる。
「リハビリお疲れ様、まだ体力が完全に戻ってないんだって?」
「え、ええ、そうなんです……」
姫様は、この村では北の山から来た白トロルという事になっている。
ちなみに今は体長を崩していて、本調子じゃないという設定だ。
「そうか、北の山はここよりも涼しいらしいし、この山の気温があってないのかもしれないな」
「もう少しすれば、体長も元に戻るんじゃないかな」
俺は適当な事を言っておく。
「歩き方もなんだか変だし、まだちゃんと歩けないなら家で休んでた方がいいんじゃないか?」
「歩き方……」
確かに、姫様の歩き方とトロル達の歩き方は大分違う気がする。
体型は同じでも、姫様の歩き方は、どこか気品があって綺麗なのだ。
「イブキ?」
「いや、気にしないでくれ……それじゃあ俺達は行くから」
「失礼します」
「おう、無理はするなよー」
モンドランと別れた俺達は、近くの木陰に移動する。
「姫様、トロルの歩き方……というか、動きを真似してみたらどうかな?」
「トロルの動きですか?」
「トロル達があの体で、この山を歩き回れるのは種族の違いもあると思うけど、その動きにも関係あると思うんだ」
トロル達は、体重200キロ以上の巨体で山を歩き回っている。
それは種族の違いというだけではない気がする。
「私がトロルの動きをですか……」
あ、なんか嫌な顔してる。
「別にまったく同じ動きをする必要はないんだ、参考にするってだけでさ」
「わかりました……イブキが言うのならやってみます」
「それじゃあ村の周りを一回りしてみよう」
俺は姫様を連れて、村の周りを歩いてみる。
姫様は、普段のどこか気品のある綺麗な歩き方から、トロルの歩き方を真似して力強く歩く。
「どうだ?」
「確かにこちらの方が、足への負担は少なそうですね」
少しは効果があったようだ。
「慣れればこの体にあった歩き方ができそうですが……それでも山を越えられるほどでは無いと思います」
「そっか、やっぱり歩き方くらいじゃ、あんまり変わらないか……」
いい考えだと思ったんだけど、あまり役には立ちそうにない。
「いえ、長期的に見れば意味のある事だと思います……ありがとうございます、イブキ」
そう言って、姫様は俺の頭を撫でる。
村長や他のトロル達に撫でられるのとは違い、姫様の手は柔らかくて優しい感じがする。
「あっ、子供扱いしてしまって、ごめんなさい」
姫様は、俺の頭から手を離す。
「いや、まあ……いいけどな」
照れくさいけど、別に嫌では無かった。
「ピィピィ!!」
すると辺りを飛び回っていたコハクが、俺の頭の上に乗ってくる。
どうやら自分も、姫様に撫でて欲しいようだ。
「コハクもなでなでして欲しいんですか?」
「ピィ!!」
「仕方ないですね……よしよし」
姫様はそう言って、俺の頭の上のコハクを撫でる。
「ピィピィ♪」
コハクは嬉しそうに鳴いている。
堂々と姫様に撫でてもらえるのが、ちょっと羨ましい。
「よう、おまえら何やってんだ?」
話しかけてきたのは、ブライアンだった。
「よう、ブライアン」
「ブライアンさん、こんにちは」
「こんにちは、お嬢さん……それで何をしてたんだ?」
「ああ、実は……」
俺は、姫様の体ではこの山を越えられないので、トロルの動きを参考にしていた事を伝える。
「なるほどな……確かに普通の体型の人間でも、この山を超えるのは結構大変だと思うぜ」
「何かいい方法ないか?」
商人のブライアンなら、何か知っているかもしれない。
「そうだな……三つある」
「本当ですか!?」
「どんな方法なんだ?」
「ピィピィ!!」
俺達二人と一匹は、ブライアンに詰め寄る。
「まあ落ち着けって……まず一つ目は、錬金術が付与された靴を手に入れることだ」
「錬金術?」
「錬金術師が扱う魔法ですね、道具を作り出したり、特殊な能力を付与したりできるそうです」
そんな便利な魔法があるのか……。
「さすがにお嬢さんは知ってるみたいだな……その錬金術師に、履いた者の重さを軽くする効果を、靴に付与してもらうのさ」
「なるほど、そうすれば姫様も普通に動けるようになるんだな」
それなら、山を越える事もできるかもしれない。
「どこまで軽くする事ができるかはオレにもわからない……それに、その靴を手に入れるには一週間待ってもらう必要がある」
「一週間ですか……」
「まあ待てなくもないけど、微妙な日数だな」
とりあえず他の方法を聞いてから、どうするか考えよう。
「二つ目は、ハーピー達に山を越えた先まで運んでもらう方法だ」
ハーピーというのは、この山の別の村に住んでいる、顔と胸部は人間と同じなのだが、手の変わりに翼が生えており、下半身が鳥の形をした種族だ。
「確かに、空からなら楽に山を越えられるな」
「ただ、お嬢さんを運ぶとなると五人はハーピーが必要だろう……山の向こうまで運ぶなら、それなりの金が必要になる」
「お金ですか……」
そう言って、姫様は大きな胸の間から袋を取り出すと、金貨が何枚か出てきた。
「これでどうですか?」
「うーん、5000Gって所か……これで運んでもらえるとは思うが、山を越えてから馬車に乗ったり宿を借りるなら、とっておいた方がいいぜ」
確かに山を越えてからの事も、ちゃんと考えておいた方がいい気がする。
「そして三つ目だが、洞窟を通って近道する方法だ」
「洞窟っていうと、あの滝の近くのモンスターが出るところか?」
この村から少し歩いた場所に洞窟があるのだが、中にはモンスターが棲息しているので、一人で入る事は村長に禁止されている。
「あの洞窟を抜けると、山を越えるのにかなりの近道ができるんだ……ただ、お嬢さんを連れて行くのは危険だからお勧めはできないな」
今のまともに動けない姫様を連れて、モンスターと戦うのは危険な気がする。
「どうしようか……」
1.一週間待って、錬金靴(効果がどの程度かは不明)を手に入れてから山を越える。
2.山を越えた後の事を考えずに、ハーピーにお金を払って運んでもらう。
3.モンスターと戦うのを覚悟で、危険な洞窟を抜ける。
どれも、それなりに利点と欠点がある。
「俺としては錬金靴を手に入れてから、普通に山を越える事をお勧めするぜ」
時間はかかるが、それが一番安全な気がする。
「姫様はどう思う?」
「そうですね……それでは錬金靴を手に入れて、洞窟のルートを通りましょう」
どうやら二つの方法を、組み合わせていくようだ。
「まあその錬金された靴っていうので、姫様が普通に動けるなら、それもありだと思うけど」
姫様がある程度動けるのなら、洞窟を通るのもありかもしれない。
その辺は、錬金靴の効果しだいだろう。
「そうだな、洞窟を通るかは靴の効果を試してからでもいいだろう……無理して死んじまったら、元も子もないからな」
ブライアンも、靴の効果を試してからの方が、いいと思っているようだ。
「わかりました……イブキにも迷惑がかかりますし、無理はしません」
姫様も納得してくれたようだ。
「それじゃあブライアン、靴のこと頼む」
「私からもお願いします」
「美人のお嬢さんの頼みだからな、まかせとけよ」
いつも村で必要な物は、ブライアンが取り寄せてるし、まかせておけばきっと大丈夫だろう。
「それでは、この一週間で旅の準備をしながら計画を立て、この体をできるだけ動かせるようにしておきます」
「そうだな、時間を無駄にしないためにもちゃんと準備しておこう」
何かあって試験に間に合わなかったら困るし、ちゃんと準備はしておこう。
「それなら、後でこの辺りの詳しい地図を渡しておこう……その時にでも、何か必要な物があったら言ってくれ」
「いろいろありがとうございます」
「じゃあ、オレは仕事があるから行くぜ……またな!!」
ブライアンはそう言うと、歩いてどこかに行ってしまった。
「ブライアンさんには、お世話になりっぱなしですね」
「俺も子供の頃から、いろいろと世話になってるよ」
村のみんなもそうだけど、村長とブライアンには特に感謝している。
「竜騎士になったら、何か恩返ししてやるかな」
「いいですね、私も落ち着いたら何かお礼をしたいです」
「ピィピィ♪」
コハクも賛同しているようだ。
「それでは、さっそく必要な物を決めましょう」
それからの一週間、俺と姫様は念入りに旅の準備を進め、夜は二人で旅の計画を練った。
他にも、負担のかからない巨体の動かし方をトロル達から参考にして、姫様は以前よりも動けるようになっていた。
そして一週間後……。
「靴が完成したぜ」
朝からブライアンが、わざわざ家に届けに来てくれた。
「ブライアンさん、ありがとうございます」
「へへ、いいってことよ……それよりさっさと履いてみな」
そう言って、ブライアンが姫様に靴を差し出す。
その靴の見た目は、わりと普通だった。
「はい、それでは……」
受け取った姫様が、ブライアンの持ってきた靴に足を入れる。
「どうだ?」
ちゃんと効果はあったのだろうか?
「確かに体が軽くなった気がします」
そう言って、姫様はお腹の肉を揺らしながら家の中を歩く。
その動きは靴を履く前よりも、機敏になっている気がする。
「この靴を取り引きしたやつは、履いた者の重さを半分にする効果があるって言ってたが……」
半分という事は……今の姫様は200キロくらいあるから、100キロくらい体の負担を減らす事ができるのか。
「確かにまだ体は重いですけど、前よりもずっと動きやすくなりました、これなら槍も扱えそうです」
「それなら洞窟のルートを通って行けそうだな」
姫様が戦えるくらい動けるなら、問題ないだろう。
「はい、準備も出来てますし、午前中のうちに出発しましょう」
これで、やっと村から出発する事ができそうだ。
「どうやら、効果はちゃんと出てたようだな」
「はい、それで……お代の方はいくら払えば?」
そう言って、姫様はお金の入った袋を取り出す。
「今回はいいぜ、その代わりイブキの事を頼む……腕は立つが、中身と見た目はまだまだ子供だからな」
「見た目は余計だっての……」
ブライアンなりに、俺を心配してくれてるようだ。
だけど、やっぱりこういうのは、なんだか恥ずかしい。
「はい、わかりました……イブキの事はおまかせください」
姫様は、真面目な顔でそう答える。
「それじゃあ、俺は仕事があるからもう行くぜ……がんばれよ、二人とも!!」
「ブライアン、本当にありがとなー!!」
「本当にお世話になりました」
こうして旅の準備は完全に整い、後は出発するだけになった。