2-A 謎の少女と街の探索
『Lighting』
http://www.youtube.com/watch?v=l2bPl13h6y4
何故新しい話が来るたびに一曲聴かせようとするのですか。と訊かれれば、まぁ、アニメのOPみたいなものだと思って頂ければ。
翌日の放課後。昨日と同じく晃陽が図書準備室兼文芸部部室のドアを開けようとすると、中から笑い声が聞こえてきた。
「黎、誰かいるのか―――って」
そこには、黎と談笑する暁井明の姿があった。
「な……な……な……」
絶句する晃陽に怪訝な目を向ける二人。
晃陽は目を見開いたまま黎の制服を掴むと、部屋の隅へ引っ張っていく。
「何をやっているんだ黎!」
十センチほどにまで近づけてきた後輩の顔を面倒くさそうに押しやって、黎が応える。
「何って、新入部員の勧誘だ」
「声がデカい!」
「お前もな」
晃陽がハッとしたように暁井明の方を見る。明らかな困惑の表情をどう受け取ったのかは定かではないが、晃陽はクラスメイトから視線を外すと、今度は口に手を当てて話し始めた。
「異世界のシャドウグールの手先かもしれないんだぞ」
どうやら息をひそめているつもりらしいが、狭い図書準備室内ではどうしたって丸聞こえだ。黎は構わず普段と同じトーンで話す。
「まだ現実に帰ってこれないのか。二年後くらいに今の自分を思い出してベッドで転げ回るようになっても知らないぞ」
「だから声が大きいと―――」
「あの、ひょっとして私、邪魔でしたか?」
密談になっていない密談をする二人に暁井明の不安気な声が割り込んできた。晃陽が警戒の色を濃くした顔で小柄な少女の方を見る。
「何でわざわざこんな部活に入るんだ?」
“こんな部活”に入った自分のことは棚に上げて質問する。
「体動かすのは好きじゃないし、何か部活に入らないといけないらしいから、ここに」
小柄で且つ幼い容姿ながら、暁井明の口調は淡々としていて大人びていた。
「そう、しかもこの部は今、二人しかいない。もう一人部員が入らないと廃部にされる。そこで、この暁井さんに救世主になってもらおうってわけだ」
黎が後を継ぐが、しかし、晃陽は納得がいかない。
「去年だって二人だけだったろう」
「去年は三年生が一人、籍だけ置いていてくれたんだ。だからユーレイ部員だろうがシャドウグールだろうが今年も誰か入れないといけない」
「むぅ」
「さっきからどうしたの。私がここに居られると迷惑?」
「いや、違う、違う。ちょっとこいつ、中二病を拗らせてて―――」
黎の言葉を遮って暁井明が鋭い口調で言う。
「言いたいことがあるならハッキリ言って、東雲くん」
香美奈から口止めはされたが、ここは思い切ってぶつけるしかない。そう思った。
「暁井明、お前はこの街の出身だな」
「だったら何?」
「なぜ、戻ってきたんだ?」
「父親の転勤」
「嘘だっ!」
「お前の家も転勤だろうが」
黎に言われて、そういえば自分も小学六年生の時、父親の転勤でこの街に来たことを思い出すが、今は関係ない。
「訊きたいのはそれだけ?」
「いや、まだだ。―――神隠しの少女」
その言葉を聞いた瞬間、暁井明の整った顔が少し歪んだ。
「誰から聞いたの」
「闇の情報屋から。ばれたら殺されるのでそれ以上は言えない」
あながち冗談でもなかった。
「そう。まぁいいけど。でもね、東雲くん」
すっと一歩前に出てきた明にたじろぐ晃陽。
「だったら、どうする?」
黒く澄んだ瞳が間近に迫ってくる。
「あの日から、私はずっと自分の体がかけたような感覚がある。それと同時に、何かを連れてきてしまった感覚も」
「な、何が言いたい」
後ずさりしながら、晃陽が訊く。
「ひょっとしたら、私は私であって私では無いのかも知れないってこと。あなたが思っているような、化け物かも」
教室に、不穏な空気が流れる。晃陽が一度喉を鳴らし、口を開く。
「お前は……」
「なんてね、冗談」
緊張した空気が一言で弛緩した。
「誰から聞いたのか知らないけど、私は一日迷子になってただけ。祖父が管理している森で」
「管理している?」
「街の北の方に大きな屋敷と森があるでしょう。あそこ、私の父親の実家なの」
それを聞いて、黎が声を上げる。
「暁井ってのは、元市長の暁井真のことだな」
「そうです。私の祖父。結構地元の有力者だから、東雲くんも気を付けてね」
「な、何をだ」
また少し慄いた様子で晃陽が訊く。
それには答えず、明は話を続ける。
「確かに、ちょっとだけ騒ぎになったし、変な尾ひれがついて、少し嫌な思いもしたけど―――」
そこで言葉が切れた。次の句が告げず、口に手を当てる。額にはっきりとした線が浮かび、瞳がはっきりと潤む。
「―――小暮先輩、今日は私、帰ります。色々見せていただいて、ありがとうございました。」
ようやく絞り出した、といった風に小さな声がこぼされた。
「ああ……」
また来いよ。という黎の声が届かないほど足早に、明は部屋を出ていった。部室に残された沈黙は、重い。
「なーかせたーなーかせたー」
気まずそうな晃陽に、幼児がやるような口調で黎が責める。
「これで、新入部員が一人消えたぞ。どうしてくれるんだ」
「しょうがないだろう。どうしても訊いておく必要があったんだ」
とは言うものの、その声にはいつもの張りがなかった。
「はぁ、凹んでいるようだから説教は無しにしておいてやるが、今回の妄想は随分と長いな」
「妄想じゃないって言ってるだろう。―――いや、暁井明に関しては、多少そういった部分もあったかも知れないけど、それ以外は事実だ。現に今日も―――」
午前四時という非常識な時間に鳴るアラームを止めた晃陽は、起き出すと、家の外に出た。
「―――やっぱり」
玄関を出た瞬間、いや、自分の部屋を出た瞬間に分かった。そして、目をやや上空へと向ける。薄暗い、静寂が支配する街を超えた異様。巨大な塔が、そびえ立っていた。
やはり、夢ではなかったし、黎が言うような妄想でもなかった。という安堵と共に、じわじわと恐怖が持ち上がってくる。
「……面白くなってきた」
呟き、暗闇の中へ踏み出して行く。
相変わらず、耳朶を打つのは靴の音だけ。人の気配はなく、風すらも無い。昨夜は気が付かなかったが、物の質感もおかしく、試しに手近な石垣に触ってみると、まるで発泡スチロールのような手ごたえで、草木は全てドライフラワーのようにボロボロと崩れていった。
しかし、街並みの形だけは瓜二つだ。ただ一つを除いて。
―――この世界は、何なのだろう。疑問が膨れ上がるのを制して、晃陽はまず、塔へと向かった。
誰も住んでいない住宅地を抜けると、地面の質感が変わった。まるで丁寧に磨いた鉄の板の上に乗っているかのようだ。鉄板のような地面は広大で真四角な敷地になっており、そこの中心には半径百メートルはあろうかという円柱の塔がたっていた。
塔は、全体が薄い緑色で、表面はガラスのようにツルツルとしており、傷一つない様子が不気味だった。
暫く周りを歩いてみると、気付くことがあった。
入り口が無いのだ。
これは塔ではなく、ただの巨大なオブジェなのかと思ったが、そうでもなかった。塔の壁面に、文字が彫られていた。
≪暁の街 照らす光は闇の中 夜明けの塔 開く鍵は 影の中≫
刻まれた文字から察すると、このゴーストタウンが“暁の街”で、この入口のない塔が“夜明けの塔”ということらしい。
しかし、それ以外は何も分からない。
「―――帰るか」
とりあえず、この街の存在が自分の夢ではないことを知ったところで、満足だった。それに、あまりウロウロしていると、またあの“影”に出くわさないとも限らない。
駆け足で帰路につき、部屋のドアを閉める。緊張しながら、窓を開けた―――
窓からやや湿った空気を吸い込み、現実世界に帰還したところまでを話し終えてから、晃陽は黎に訊いた。
「二日続けて、同じ夢を見ると思うか、黎」
「無い、とは言い切れない。俺は年中同じ夢にうなされたことがある」
でも、と黎は首を振る。
「滅多なことじゃないのは確かだな。よし、行ってみるか」
「え?」
「俺も行く。お前の話を聞いていても埒が明かないから自分の目で確かめる」
「えええ!?」
早朝に嗅いだ湿っぽい空気は、やはり雨の気配だったようで、下校時に立ち込めていた黒雲が夜になると大粒の水滴を落とし始めた。
春雨とは異質な窓を叩く音を聞いて目を覚ました晃陽が、むくりと起き出すと、予告通りに背の高い親友が立っていた。開けてやると、ビニール袋に入った靴が投げ込まれ、続いて黎が「お邪魔しまーす」と言いながら入ってきた。
「まさか本当に来るとはな」
社宅の一号棟一階四号室に招き入れた晃陽は、あきれたような声をあげる。時刻は午前三時である。
「俺はやると決めたら必ずやる。さて、雨が降ってること以外は、ここに来るまで何の異常もなかったが―――」
そう言いながら、晃陽の部屋のドアを開ける。その瞬間、硬い声色である問いを投げかけてきた。
「晃陽、ご両親は、留守か?」
「いや、二人ともいるはずだ」
黎よりは落ち着いているが、それでも緊張を感じさせる口調で晃陽が答えた。昨夜も確認したのだが、家には誰もいなくなっていたのだ。
「外に出てみるか」
珍しく精神的な主導権を握っているのが嬉しいのか、晃陽がやや弾んだ声で友を連れ出していく。
「これは―――」
「ようこそ、暁の街へ」
玄関を出て、目の前に広がる光景に言葉を失っている様子の黎に、晃陽が得意気に言った。
「なんだそれ、というか、その自慢気な顔をやめろ」
「そんな顔はしていない。―――あの塔の壁に書いてあったんだ。“暁の街”とな」
「行ったのか、あそこまで」
今度は黎があきれる。一度命を脅かされたというのに行くとは、とんでもない勇気だ。
「俺は、やりたいと思ったことは必ずやる」
胸を張る晃陽に「そうだな」と言い、そびえる塔を数刻見つめた後、「行くか」と続ける。
「雨が降っていない。それに、乗ってきた自転車が無いな。あと、“CT”も―――使えないな」
黎が手のひらサイズの小型3Dタブレットを取り出し起動するが、各種機能は全滅のようだ。
「当たり前だろ。ここは現世とは似て非なる異世界なんだから」
「妙に納得できるのが悔しいな」
喋りながら歩いていくと“夜明けの塔”についた。外観と、刻まれた文字を見て、黎は唸る。
「何かわかったか?」
「何も分からないということが分かった。次は神社に行こう」
「神社か……」
あの影に出くわしたところだった。
「危なくなったら、逃げればいいさ。行くぞ」
再び歩き始めるが、すぐ立ち止まる黎。
「見てみろ」
そう言って晃陽に自分の腕時計を見せる。
「止まってる?」
「電池切れじゃないし、壊れてもいない。俺たちが“ここ”に入った瞬間から完全に止まっているんだ」
「この世界は、時間が止まってるということか」
晃陽が、さすがの洞察力―――ではなく、飛躍した妄想力で黎の言わんとすることを理解した。
「それはまだよく分からないが、晃陽、少し走ろう」
「ドタバタしてると“影”に見つかるかも知れないぞ」
「少しだけだ。全力疾走で50mくらい。確かめたいことがある。いいか、よーい……」
ドン、という掛け声とともに走り出す。約50mの距離を走り切り、止まった。
「どうだ、息切れは?」
全く切れていない黎が訊く。晃陽も「無い」と答える。
「決まりだな。この世界には時間が無い。それに、この場所じゃ俺たちは疲れを感じない」
「どういう理屈だ」
「さぁな、お前お得意の謎理論で解明してみろよ」
不敵な挑戦を受けた晃陽が、生真面目な顔で考えている間に、神社にたどり着いた。
「あの社殿の中にいたんだな」
境内をきょろきょろと見回しながら歩く晃陽に、黎が訊く。
「ああ、そうだ」
「随分怯えてるな」
「慎重なだけだ。気を付けろよ、俺は突然襲われた」
社殿の中に入る。やはり二日前と同じく、仰向けで死んだように眠る少女がいた。
「驚いたな。本当に暁井明と瓜二つじゃないか」
黎は言いながら、その体に触れようとするが、晃陽がやった時と同じく手がすり抜けてしまう。
「触れない……か」
黎の呟きに、晃陽のふんぞり返った声が覆いかぶさる。
「どうだ。俺の言った通りだろう―――」
言葉が尻切れになり、大きく膨らんだ鼻の穴が萎み、晃陽が側頭部を押さえる。
「どうした」
「声がする。この暁井明が、俺に話しかけてるみたいだ」
何か言葉を伝えようとしているようだが、如何せん不明瞭で、何も聞き取れない。
「―――幻聴、じゃないよな」
黎が頭を掻きながら言う。
「黎、暁井明が言ってたこと、覚えてるか」
「何のことだ」
「神隠しに遭って、体の一部が欠落した感覚があるって」
「お前をビビらせるための冗談だろう」
「本当だったら?ここに、こうして“置いてきて”しまったんだとしたら?」
晃陽の“推理”を受け、黎は、横たわる半透明な少女の方を見ながら、ため息交じりに言う。
「……何故か今回だけは、お前の妄想がそれっぽく聞こえるよ」
“今回だけは”、というところが気になったが、敢えて触れず晃陽は「次はどうする?」と、“暁の街”散策の予定を尋ねる。
「駅の方に行ってから、北の方にも行ってみよう。本当にこの街があの塔以外二色町のコピーなのか確かめたい」
「分かった。なんだか探索ゲームみたいだな。面白くなってきた」
神社を出て、少し南に下ると、小奇麗な場所に出た。
「相変わらずデカい駅だよな。駅前だけ都会って感じだ」
10年前の建て替え工事で、商業施設と公立図書館が造られたらしい駅の中に入っていく。
何故か、屋内は外より明るかった。電気が点いているわけではない。見えない照明に照らされているようだ。さらに室内ということで、外より靴音が響く。
「不気味だな」
そういう黎だが、言葉とは裏腹に足取りは早く、さっと自動改札を飛び越え、ホームに上がっていった。晃陽は、親友の肝の据わり方に驚嘆しつつ、臆病に、否、慎重にその後を続く。
二つのホームと四つの線路を擁する高架には、やはりというか、電車の来る気配はない。
「始発にはまだ早いしな」
「それ以前に無賃乗車だ」
冗談を飛ばし合って少し笑い合う。
『―――!!』
と、突如聞こえた唸り声に、晃陽の背筋が凍った。
「―――いる。黎、隠れるぞ」
立っていたホームの向こう岸で、黒い物体が蠢いている。二人は柱に身を隠す。
「なんだか、虫みたいだな」
黎の言うように“影”は手足が多く、そして長く、節足動物のような動きをしていた。
「俺を襲ったのとは違う。色んな個体がいるのか」
「とにかく、向こうがこっちに気付かないうちに逃げるぞ」
足を忍ばせながら駅を出る。晃陽が息だけで黎に話しかける。
「薄暗いから判別し辛いな。明かりになるものでも持ってくるか」
「いや駄目だ。向こうにこちらの位置を知らせることになる。それより、なんでさっき分かったんだ」
「あいつらの声が聞こえたんだ。と言っても、唸り声みたいなものだったが」
「コミュニケーションは取れないってことか」
黎は、何故晃陽にだけ聞こえるのだろう、と考え、やめにした。そもそもこの状況自体が完全に意味不明なのだ。
「あ、そういえば、一回だけちゃんとした言葉に聞こえたことがあったな―――アカツキノカネ?」
「全く分からないな。ふぅ、なんだか俺まで中二病に毒されてる気分だ」
喋りながら歩く。もうかれこれ10㎞程度の距離を歩いているはずだが、時間も疲れも無いため、全く実感がない。だが、それでもだんだん退屈になってきた。
「俺、探索ゲームの主人公たちにこんなめんどくさいことさせてたんだなって思ってる」
「確かに。地味な作業だ」
住宅地を抜け、北へ進んでくと急に舗装された道路が途切れ始めた。
そして、薄暗い街により一層暗い雰囲気を湛えた森が現れた。
「こんなところがあったのか。知らなかったな」
「南は都会。北は田舎。それが二色町だ」
ある意味2020年以降始まった地方都市再開発の波に生き残った土地と言えた森の中に入ろうとする黎だったが、晃陽が止めた。
「黎、ちょっと待て。ここは流石にまずいだろう」
「どうした、晃陽は探索ゲームであちこちセーブしまくるタイプか」
「慎重派と言え。それより、この暗い森の中で“影”に襲われたらどうする。ある程度、準備をしていかないと危険だ」
「大丈夫だよ。いざとなったら、走って逃げればいい」
しかし、晃陽は頑なだった。
「駄目だ。黎は残りの弾薬も考えずにどんどん進むタイプかもしれないが、人生はコンティニュー不可のクソゲーだ」
必死の物言いに笑いながら頷く黎。
「分かった分かった。今日のところはここまでにしよう」
戻る途中、住宅地で“影”に出くわしそうになったが、晃陽が事前に察知したおかげでやり過ごせた。
「便利だな。前から色々聞こえたりするのか」
「人をインチキ霊能力者みたいに言うな。こんなこと初めてだし、聞こえるというより、頭の内側に響く感じだ」
やがて社宅に辿り着いた。晃陽の部屋のドアを閉めると、黎の時計が動き出した。
「戻ってきた―――か」
窓を開けると、車が風を切る音が聞こえた。黎はホッと息をつく。
「よし、じゃあ俺は帰る。また明日、部室で会おう」
「ああ。疲れはないけど、やっぱりこの時間は眠いな」
そう言って目をこする晃陽も安堵した表情で黎を見送った。