8-B 追想②
東雲、暁井、小暮、この中で、日が暮れる=闇に向かっている名字を持つのは黎だけだったりします。
※※
―――なんだ、これは。どういうことだ。
いつもの夢だったはずだ。誰もいない、夜明け前の薄暗い街。それを、神視点で見下ろしている。いつもと同じ夢のはずなのに。
「光!!」
何故ここにいるんだ。という黎の叫びは、光には届いていないようだった。
黎は光の目の前まで降り立ち、呼びかけるが、気付かれない。
「無駄だ。君の声も姿も、彼女には感じることができない。」
突然の声に振り返ると、全身半透明の人間が立っていた。驚いている間に、光は走り去っていく。追いかけようとするが、止められる。
「やめたまえ。追ったところで、何もできはしない。君と私は、彼女とは違う存在なのだから。」
口調と低い声質から、男だということは分かるが、顔が判然としない。
「あんたは誰だ?ここはどこだ?」
警戒しながら黎は質問をする。
「私のことなどどうでもいい。ここがどこか、は、君の方が知っているだろう。見ての通り、二色町だ。もっとも、君の“記憶”には無い二色町だが。」
全く要領を得ない男の返答に苛立った黎は、その場を立ち去ろうとしたが―――
「君が私に訊きたいのは、“誰”や“どこ”ではないはずだ。遠慮せず、言いたまえ。」
背中にぶつけられた声に、立ち止まる。固く拳を握りしめながら、言う。
「どうすればいいんだ?俺は。」
「そう、それが正解だ。だが、その前に行くとしよう。彼女が“影”に襲われたようだ。」
男が言い、街の空を飛んで行った。黎もそれに続いた。
※※
「光……おい、光!」
倒れたまま動かない光を、そっと男が抱き起こす。
「いつかは、こうなると分かっていたが、早かったな。」
黎が男から奪い取るように光に触れる。体は半透明となり、目を覚ます気配はない。
「お前、光に何をした!」
全てを見透かすようなことを言う男に、黎が怒号を上げる。
「私ではない。“影”の仕業だ。この街に巣食う怪物に、襲われてしまったのだよ。」
男は淡々とした調子で言うと、光の方に触れた。
「今の彼女は、我々と同じだ。存在の核を奪われた、哀れな姿。」
独り言のように呟く。
「二色神社に運ぶとしよう。あそこならば、“影”は手出しできない。」
男に言われるがまま、光を運んだ。
社殿の中に光を寝かせると黎は「さぁ、次は何をすればいいんだ神様。」と、ほとんど捨て鉢になったような口調で男に訊く。
だが男は「もう、目覚めの時間だ。」と言って、消えた。
その瞬間、黎の意識も遠のき、覚醒した時には、自分の部屋のベッドの上だった。
―――夢か。黎は起き上がり、学校に行く準備を始める。
「あれ?」
手持ちのCTの電話帳から、光の名前が無くなっていた。誤って消してしまったのだろうか。学校に行ったらまた番号とアドレスを聞かなければいけないなと思い、光の怒った顔を思い浮かべた。
※※
だが、光は居なかった。そして、あれがただの夢ではないことも、学校に行くと分かった。
「誰のことだ?名簿にはそんな名前は無いが。」
「そんな子、知らないよね。ああ、でも暁井って名字なら知ってる。市長だったもんね。」
「黎、どうしたの?光……って、誰?」
教師、光のクラスメイト、そして貴江までもが、光のことを忘れていた。いや、それどころか、存在そのものが“無かったこと”になっていた。
黎は気分が悪くなったと言って早退し、全速力で光の自宅に向かった。しかし、応対した光の母親からも「そんな子は居ない。私たちに子供はいない。」と言われる。
「そんな、馬鹿な……あり得ない―――。」
「ちょっと、大丈夫?」
突然やってきて訳の分からないことを話し、頭を抱える中学生に怪訝な声をかける母親に、黎は何とか平静を保ち、言う。
「俺のことは知っていますか?小暮黎。小暮家の養子です。」
「ああ、あの子。確かお義父さんのところで見つかったっていう。」
「そうです。誰が俺を見つけたか、憶えていますか?」
「え?それは……あら?お義父さんでもあの人でもなかったわね……。誰だったかな。」
なるほど、光が関係していた記憶も綺麗に消えているということか。黎は、少し冷静になった頭で「もう大丈夫です。突然、失礼しました。」と言って、家に帰ろうとする。
「あ、そうだ。」
最後に、一つ訊いておく。
「子供はいない。と言いましたよね。でも、この社宅は、子供がいないと入居できないはずではないですか?」
「―――あれ?そういえば、でも……」
何かにひっかりを憶えた様子は見せるが、「そんなに厳しいルールじゃないし。」と言われる。
だめか。黎は、混乱している様子の母親を残し、家に帰った。
※※
気が付かないうちに眠っていたようだ。
「早かったな。よほど彼女が心配だったか。」
そして、男がいた。やはり、光はここに閉じ込められているのだ。暗澹たる気分になる。
「見ろ。彼女の妹まで入ってきてしまったようだ。」
男が指を指す。あまり会ったことは無いが、確かに、明だった。
「姉を追ってきたようだ。随分と怖がっているが、度胸はあるようだな。」
「あの子も“影”に襲われるのか。」
「いや、今のところ、その心配はなさそうだ。彼女の意思が生きているうちは。」
男が言う。見ると、“影”は明を避けるように動いていた。
「どういうことだ。」
「“影”に取り込まれた彼女の魂が、“影”の行動にも影響を及ぼしている。さしずめ『妹には手を出すな。』と言ったところか。」
淡々とした口調に、ほんの少し面白がっている雰囲気を感じた。
「光の意思は、まだ生きているのか。」
「時間の問題だ。やがて、全て“影”に乗っ取られる。」
黎は歯を食いしばった。妹の為に抵抗を続ける光と、何もできない自分。
「―――いい加減に、教えろ。どうすれば、光を助けられる!?」
今にも掴みかかるほどの剣幕で、男に言い募る。男は動じず、静かに言った。
「君に、覚悟はあるか?真実を知り、それでも彼女を救う覚悟はあるか。」
「ああ、勿体付けるな。」
即答する黎に、男は「よかろう。」と言った。
「まず最初に、君は、“影無人”と言われる、この世界の住人だ。君が生きてきた世界は、本来の居場所ではない。」
「そんなことか。」
黎はあっさりと受け入れた。薄々気付いていたことだ。今さら衝撃は無かった。男は続ける。
「“影無人”たる君には、様々な能力が与えられている。まず、この虚ろな世界を作り変える能力。そしてもう一つ、この世界と、彼の世界を繋ぐ能力。ほかにもあるが、“今の状態の君”に使えるのは、その二つだけだ。では、健闘を祈るよ。」
すると、男は溶けるように消えていった。
―――黎は考えた。男を信じるつもりはない。恐らく、自分を利用して何かをしようとしている。だが、何をするにせよ、早く光を助けなければならない。
結局、男の言うことを信じ、男の言う通り、思惑通りに動かなければならないのだ。
黎は焦る気持ちのまま、目覚めた。
睡眠によって、向こうの世界に行けるようだ。ならば、と、黎は学校を休み、義父が以前服用していた睡眠導入剤を使い、無理やり眠ろうとした。
※※
「おや、久しいな。眠れなかったか。」
男が、少し愉快そうな声色で言う。黎は「一つ教訓を得ていたんだ。」と言い、それ以上は取り合わなかった。
中学生の体には強すぎた薬は、黎の意識を三日ほど混濁させ、眠るというよりは、ただ意識を途切れさせただけだった。実際今日も体は重たい。
焦りは禁物。そう肝に銘じる黎に、男が「そういえば―――」と、声を上げる。
「君のいなかった間、面白いことが起こった。彼女の妹が、この虚ろなる街を脱出した。」
「なに!?どうやって。」
「非常にイレギュラーな方法だ。話しても良いが、もう二度は起こらない偶然だろう。」
「いいから話せ。必要な情報かそうでないかは俺が決める。」
男の話によると、そもそもこの世界に入り込めたことが偶然によるものであり、偶然開いた入り口から入った明は、同じく偶然できた出口から出て行ったという。
「偶発的にできるワームホールのようなものだ。次に開くのは明日かも知れないし、百年先かも知れない。そしてその大きさは、人が通れるものかもしれないし虫一匹通れないかもしれない。」
要するに、不確定要素が多すぎるということだ。
「偶然には頼れないな。ご教授感謝しますよ神様。」
黎は叩き返すように言った。しかし、明が無事であるなら、当面の危機は無くなったということだ。光の救出に集中できる。
※※
次の日、黎は再び光の自宅に行った。
「明さんが戻ってきたそうですね。」
開口一番そう言う黎に、母親と共に父親も応対した。おかしな子供がやってきたことは伝えられているのだろう。だが、退くわけにはいかない。
「明さんと話がしたいのですが。」
「だめだ。明は今、精神的に参っている。誰とも話せない。」
「両親にも存在を忘れられていたから?」
つい嫌味な口調になってしまった。かくして痛いところを突かれた父親を怒らせる。
「君は何なんだ。突然やってきて、一体何が目的なんだ!」
「光。」と、黎は短く言った。何を言っているんだという両親の表情を見て、相変わらず記憶は失われていることを知った。
黎は観念した。もう、他人には頼れない。
「本当は思い出してもらいたかったですが、もういいです。親子の絆なんてものに少し期待しましたけど、血が繋がっていようとなかろうと、所詮は他人みたいですね。分かりました。光のことは俺に任せてください。」
一気にそう言い放つと、呆けた表情の二人を置いて、帰った。
―――俺がやるしかない。
黎は、帰り道を歩きながら心に決めた。光のことを憶えているのは自分だけ。ならば、光を助けられるのも、自分しかいない。
光、お前は俺が必ず助ける。どんなことをしても―――。
夕闇が、街を覆い始めていた。
※※
黎は考え続けた。光を救い出し、尚且つ、あの男の考えている絵図にも乗らない方法を。
「黎……。」
ふと顔を上げると、貴江の心配そうな表情があった。
「どうしたの?夏休み明けてから、ずっとそうだけど、何か悩み事?」
「いえ、何でもないです。三好先輩。」
黎の返事に、貴江の目が澱む。「貴江ちゃん」ではなく「三好先輩」。
光がこの世界から“消失”し、さらに自分がこの世界の人間ではない―――というか、そもそも人間ですらないことを知ってから、黎は他人に対して余所余所しい態度を取るようになった。
「そう、何かあったら言ってね。」
「はい。じゃあ俺はもう帰ります。」
帰宅する。
言えるわけがない。黎は、自分の考えを実現させるためには、誰かが犠牲になる必要があると思っていた。誰が。決まっている。
そんなことを、貴江には言えない。ほかの誰にも、言うことはできなかった。
逆に、東雲晃陽と言う名前の漢字の全てが夜明け、太陽という意味です。