7-A 光 前篇
六月に入ったある日の休日、親に買い物を頼まれた晃陽は、商店街に行った帰り、二色神社に足を向けた。最初に行って以来、こちらの世界の神社には行っていなかったが、現実世界にも何かあるような気がしてならない。
閑散とした境内を歩いていると人影が二つ見えた。一人は巫女装束姿の三好貴江。そして、もう一人は―――
「明?なんでここにいるんだ」
「あれ、東雲くん」
いたのは、明だった。
「あら、お久しぶりですね、晃陽くん」
貴江が、相変わらず丁寧な口調で挨拶をする。
「明ちゃん、晃陽くんと同じ学校だったんだ」
「うん、クラスも一緒。東雲くんも貴江ちゃんのこと知ってたんだ」
世間は狭い。と思いながら晃陽は貴江に訊く。
「知り合いだったのか。なら神隠しのことも知っていたんだな」
「私、一人っ子だから、貴江ちゃんはお姉さんみたいなものなの」と、明。
「ごめんなさい。この神社、元々は暁井家の方が管理されていたから、その関係で明ちゃんとも」と、貴江に説明される。
「別に責めているわけじゃない。むしろ黙っているのが普通だろう。俺も、二カ月前は未熟だった。出過ぎたことをしたと反省している」
「ふふっ。そう言われてみると、最初に会った時よりも顔がキリッとして見えます」
貴江に褒められまんざらでもなさそうな晃陽に、明が「そうやってすぐ顔に出るところはまだ子供だと思うな」と辛辣な評を下す。
「ぐ……ところで明よ、暁井家とは、いったい何をしているんだ?明の父親は―――」
「普通のサラリーマン。東洋フィルムの部長」
「俺の父親と同じ会社じゃないか」
ますます世間は狭い。互いの身の上について知り合った後、晃陽は本題を切り出す。
「今日ここに来たのは、貴江に少し頼みたいことがあるんだが、いいか」
「明ちゃんの友達なら、いいですよ。明ちゃんも、いいよね」
貴江が明に同意を求める。明は頷く。
「社殿の中を見せてもらっていいか」
「いいですよ。ついてきてください」
中に入る。以前聞いた通り、何もなかった。当然、半透明―――今はかなり戻ってきているが―――の少女が仰向けで寝転がっているということは無い。
「前もここにこだわっていたけど、何かあるんですか?」
「巫女なのに分からないのか。この神社、特にこの社殿内に、魔の物を寄せ付けない重厚な結界が張られているのだ」
「ええ!?そうなんですか。私、巫女さんは家の手伝いとしてしかやってなくて、あまりそういうことには詳しくなくて―――」
素直に驚く貴江に、明が「貴江ちゃん、あんまり気にしない方がいいよ。東雲くんは私たちに見えないものが見えちゃう病気なの」と言った。
「誰が病気だ、人聞きの悪い。幻界の声を聞き分けられるといえ」
「それ、つまり幻聴だよね。お医者さんに診てもらった方が―――」
「違う、くどいぞ明。現にここは、暁の街を跋扈する影喰いを通さない」
「暁……影喰い?なんですか、それ」
「人の精神を刈り取る異世界の怪物だ。俺は今、そいつらと戦っている」
貴江の問いに、氷月から教わったことをそのまま自分の知識として披露する。
「ええ……それは、怖いですね」
「そう、そして明は、神隠しの時に影喰いに襲われたらしい」
「そうなの?明ちゃん」
「全然覚えてないんだけど、これだけは本当っぽい」
「俺の考えでは、きっとその記憶も―――って、これだけは、とは何だ!俺はずっと真実しか話していないぞ」
「耳だけじゃなくて、目まで……いよいよ現実と空想の区別がつかなくなっちゃったんだね。可哀想に」
「淡々と憐れむな!せめてもう少し深刻な顔で言ったらどうだ」
最近、本当に黎に似てきた気がする。いや、元々のポーカーフェイスも相まって発言の鋭さだけなら黎以上だ。
「とにかく、明の喰われた半身を取り戻すために、俺たちは戦っているんだ」
「俺たち?」
「俺と、黎だ」
「黎!?晃陽くん、黎、怪我とかはしてない!?大丈夫?」
急に勢い込んで訊いてくる貴江に面食らいながら、晃陽は「大丈夫だ。黎は俺なんかより頭も運動神経も良い」と答える。
「そう、良かった」
ほっとした様子の貴江を見て、晃陽は気付いた。
「貴江は、黎が本当に大好きなんだな」
沈黙。社殿に少し湿った南風が吹く。赤面する貴江。白い眼をする明。首を傾げる晃陽。
「なんだ?違うのか?」
「違……くはな……い……けど」
消え入りそうな声で、俯きながら言う貴江。
「東雲くん、帰って」
「え?なぜ帰らねばならんのだ」
「乙女の気持ちに易々と踏み込んじゃいけないんです」
それは悪かったと思うが、帰れと言われるほどなのか。
「いえ、いいんです。バレバレなのは、分かってますから」
「そうか、なら、後は黎に想いを伝えるだけだな」
再び水を打ったような沈黙。吹き抜ける風。手で顔を覆う貴江。表情の消えた明。首を傾げる晃陽。
「東雲くん、死んで」
「な!?おい、さっきから毒舌すぎるぞ明」
「さっき言ったことをもう忘れたのか。女の子の恋に易々と口出ししちゃいけないの」
「そうは言ってもだな」
「正論でも、みんながみんな、本音も妄想もだだ漏れにしておける誰かさんみたいにはいかないの」
「誰がだだ漏れだ!俺は言いたいことを言うようにしているだけだ!」
「無理ですよ」
貴江が二人の言い合いを遮るように、言った。
「黎、好きな人がいるみたいで」
「そうなの?」
明が晃陽に訊くが、晃陽も分からなかった。常に会話の発信源は晃陽の突飛な妄想のため、そういう話題は話したことが無い。
「誰かは分からないけど、分かるんですよ。黎は、いつもその人の方を見ていて、私のことは―――」
泣き出しそうな顔で、口をつぐむ。
「そうか、なら今度、俺がそれとなく探りを入れて―――」
「東雲くん、マジでちょっと黙ってて、話をややこしくしないで」
明にぴしゃりと言われ、黙る晃陽。
「ふふ、ありがとう晃陽くん」
少し鼻声で礼を言う貴江に、晃陽は「まぁ、明の言う通り、あまり俺が出しゃばってもしょうがないことだが―――」と言い
「だが、貴江!」
強い口調で名前を呼ばれ、貴江は「はい!?」と突飛な声を上げる。
「黎の気持ちはどうあれ、お前の想いは決まっているんだろう。なら、せめて自分の気持ちくらい伝えたらどうだ」
一呼吸おいて、優しい口調で晃陽が言う。
「黎の好きな女が誰であっても、俺は貴江の味方だぞ。もしだめだったら、泣き言でも愚痴でも何でも聞いてやる。だから、勇気を出すんだ」
「はい。……ふふ、聞いてた通り優しい人ね、明ちゃん」
「ちょっと貴江ちゃん」
調子に乗るから、本人がいる目の前では言うな、と抗議の声を上げる明。しかし貴江はにこやかに「私も勇気を出すから、明ちゃんも頑張って」
「もう!違うってば!」
「何がだ?」
「東雲くんには関係ない!」
珍しく声を荒げる明に驚きながらも、それ以上は詮索しなかった。
その後、依然頼んでいた神隠しの文献を見せてもらったが、ほとんど氷月から聞いていたことばかりで、目新しい情報は無かった。
※※
―――そして、暁の街。
「さて、いよいよこの森の中か」
晃陽が装備を確認しながら言う。薄暗い街の、さらに暗い森の中に分け入っていくということで、いくつかの光源を用意してきたのだ。
影喰いにもこちらの位置を悟らせてしまうことになるが、仕方がない。できるだけ明るい道を通って行こうと決めていた。
「行くぞ」
黎が言い、晃陽が頷く。二人で、森の中に入っていく。
しらみつぶしに探索を続け、ついに残ったのが、ずっと避けていたこの森だった。他の場所と違い、圧倒的にこちらに不利な地形、できることなら、入りたくはなかったが、偶然晃陽がこの森の近くで“声”を聞いた。しばらく外から出てくるのを待ったが、森の中から出てくる気配はなく、こちらから攻め入るということになった。
やはりというか、視界は悪い。時折、木々のこすれ合う音が聞こえる。風の無い街で、その音が何を意味するのかは明白だ。
「今までみたいには、いかないかも知れないな」
黎が小さな声で囁く。
「晃陽、この先、何があっても立ち止まるな」
意味深な言葉に「それはどういう意味だ」と、訊こうとした時、“声”がした。
『―――!』
「来い!デイブレイカー!」
とっさに剣を右手に呼び出す。
「黎、後ろを頼む。かなりデカい」
背後から、黎の緊張した雰囲気が伝わってくる。慎重に、森の奥へと入っていくと、開けた場所に出た。街中と同等の明るさがあり、晃陽は光源を消した。
「なんだ、ここは」
明るくはあったが、不気味な場所だった。鳥居が立てられており、小さな社もある。さらに、木材で組まれた高い建物。
「本物の木だ。なんでこれだけ」と、材木の確かな質感に慄く晃陽。
暁の街の建物の材質は、全て自分たちの住む世界では見たことも触れたこともないものだったが、これだけは違った。
「物見やぐらって言うのかな。随分朽ちているが―――」
黎は言い終えると、表情が一変した。数秒間、頭に手を当てて苦悶した後、「晃陽、逃げるぞ」と、言った。
「誘い込まれたんだ。ここは、奴らの餌場だ。」
気付いた頃には、もう遅かった。四方からクモ型の影喰いが、湧き出していた。
「囲まれたか。やられたな」
黎が苦笑する。だが、口調に言葉ほどの余裕はない。
「晃陽、この中に“体”持ちは居るか見てみろ」
「いないな。ただ、声は近づいてきている」
晃陽の言葉通り、目の前に五メートルほどの巨大なクモ型が現れた。
「これは分かり易いな」
黎が言う。クモでいうところの頭部に、人の顔と腰までの胴体があった。
にじり寄ってくる影喰いたちを見ながら、黎はしばし考え、言った。
「狙いは、あいつだけだ。でも、こう取り巻きが多いと厄介だ―――そうだな、晃陽、飛べ」
「はぁ?おかしくなったのか、黎」
話している間に数体の影喰いが襲ってきた。統率がとれているわけではなく、サイズの小さな個体がバラバラに向かってくるので、何とか対処できるが、いかんせん数が多すぎる。
背中合わせになり、戦いながら作戦を立てる。
「この物見やぐらの上に登れ。上から飛んで奴を片付けろ」
「何だその漫画みたいな作戦は!俺よりずっと中二病じゃないか!」
「なんだ、自覚はあったのか。でも、ほかに方法も無い、やれ!」
怒鳴りながら、ボウガンを微動だにしない大型に放つが、全く動じない。
「もう矢が無くなるから、急いで登れ!俺が囮になる!」
「またか……」
晃陽が申し訳なさそうに言う。
「何度でもやるさ。晃陽、どっちにしても、このままじゃジリ貧だ。チャンスは一度しかないから、落ち着いてやれよ」
その言葉が終わると、晃陽は背中を押された。そのまま、やぐらに向かって走り出す。
古びた梯子はギシギシと音を立てるが、気にせず登る。
頂上につく。屋根に縄が張り巡らされている以外は、何もない。下を見ると、黎の姿は見えなかった。代わりに、影喰いたちが群がっていた。
頭に血が昇り、冷静さを失いかける。しかし、熱くなる自分を自覚できる程度には冷静だった。
ゆっくり息を吐き、そして吸い込み、駆け出す。愚鈍な大型は動かないまま。方向は問題なかった。後は晃陽自身の跳躍力だ。
「来い!デイブレイカー!」
飛び出し、剣を呼び出す。敵の爪がのびてくるが、構わず、頭部に狙いを定める。
「おおおおおお!」
叫びながら剣を一閃させ、地面に落下する。背中から、受け身も取れずに落ちたが、痛みはなく、立ち上がる。見ると、左手が、影喰いの攻撃を受けていた。
「やった……」
だが、大型影喰いは倒れ、消滅していく。周りを見ると、親玉を失ったせいか、他の影喰いもいなくなっていた。
まさか本当にできるとは思わなかった。高いところから、それなりに助走をつけたとはいえ、二十メートルは跳んだはずだ。妙な力が湧いたのだろうか―――そうだ。
「黎!」
倒れている黎の下に駆け寄る。手で起き上げようとしたが、できない。全身が、半透明になっていた。
「そんな―――」
「やったな、晃陽。これで、やっと、目覚める……はず……だ……」
かなり弱った口調で、黎が言う。
「大丈夫か、黎。体が元に戻るまで待つぞ」
そういう晃陽の左手は、もう戻っていた。
「いや、いい。多分、無理、だ」
「何を言っている。そんなこと、あってたまるか!」
「自分のことは、分かる。自分の存在、感覚が、無くなっていくのが、分かるんだ。俺は、ここまでだよ」
全身に、冷たいものが通り抜けた。大切なものが失われていく予感を打ち消そうと、黎に何度も触れようとするが、すり抜けてしまう。
「嫌だ、嫌だ、黎……!!」
言葉と嗚咽が同時に漏れた。
「晃陽、行け。早く、しろ、影喰いが来るぞ。明との約束を、果た、せ」
「一緒にだろう。明も、貴江も、みんな待ってる。それにお前、好きな人がいるんだろう?」
黎が少し笑った。
「三好先輩が言ってたのか?勘のいい人だからな。でも、それはもう、いいんだ。俺の中で、決着がついているからな。さぁ、早く行け、助けてやってくれ、明の―――」
そこで言葉が途切れ、黎の姿形が、消えていった。
「あ―――」
酷く間抜けな声が出た。晃陽はすっと立ち上がると、あらんかぎりの力で叫んだ。
「あああああああああ!!!!」
喉を振り絞り、束の間荒い息をついた後、森を後にする。
※※
道中、二、三体の影喰いが現れたが、難なく斬り伏せた。壊れかけた頭は、ただ一つの目的だけを晃陽に伝えていた。
立ち止まってはいけない。全速力で二色神社に辿り着く。
社殿の中に入っていくと、眠っていた少女が目覚めていた。
「明!」
大声で呼びかける。まどろんだ目が、晃陽を見定めた。
「良かった。ようやく会えたな、明の半身」
ゆっくりと体が起き上がる。
「あんた、誰?」
起き上がるのをサポートしてやりながら、晃陽は言う。
「ああ、こちらとは初めましてだな。俺は、東雲晃陽。明、お前を助けに来た」
「あたし……明……って、もしかして、明のこと!?」
急に大きな声を上げる。晃陽は少し驚いていた。晃陽の知る明とは違い、随分と表情豊かだからだ。
「そう、明。お前の半身だ」
「半……身?ああ、そうとも言うかもね。姉妹だし」
「―――え?」
少女から発せられた言葉に、思考が止まる。
「そういえば、ここ、どこ?なんだか、長いこと眠ってた気がする。頭痛い―――」
「おい!」
「はい!?」
見知らぬ男の急な大声に、目を見開く少女の様子には構わず、晃陽は訊く。
「お前の名前は?」
「え?光だけど。暁井光」
「光……。そうか、そして、明は、光の妹、なんだな。」
混乱する頭を抑えつけ無理やり納得させるように、何度も頷きながら言う。
「そ、そうだけど。え、何?明の知り合いなのに、知らなかったの?あの子、何にも言わなかったの?」
「何だよ、これ……」
晃陽は未だに混乱しつつも、どこかで合点がいっていた。
半身だ何だと、妙な理屈をつけていたが、初めから自分の妄想など、穴だらけだった。どうしてこの可能性に気が付けなかったのか。それは、明自身が自分を「一人っ子だ」と言っていたからだ。
「ねぇ、大丈夫……えっと、東雲くん?」
光が、心配そうに声をかける。
「晃陽でいい。光、とりあえず、俺についてきてくれ。ここは危険なんだ」
「う、うん。でも、どこに行くの?」
「元の世界だ。明たちのいる世界に、お前を連れ戻す」
「元の……ごめん、なんだか頭がぼんやりしてて、ここがどこだか思い出せないんだけど―――」
「そうか。なら、もう少しこのままでいようか」
「いや、歩くくらいなら、大丈夫。行こう、晃陽くん」
二人は外に出て、歩き出した。神社を抜け、社宅へと向かう。道中、ここがどこなのか、どうやって帰るのかを説明する。
「光、何故ここにいるのか、少しは思い出せたか?」
「うん、なんとなくだけど、人を探してた気がする。とても大事な人。もうすぐ引越すからって、早くしなきゃって、焦ってた。明とも、行く行かないで喧嘩になったような―――明、元気?」
「元気だ。俺のクラスメイトで、部活も一緒だ」
「へぇ、そうなんだ。晃陽くん、何年生?」
「中二」
「マジで!?あたしと同い年……あれから二年も経ってんの?」
二年前。明の神隠し騒ぎの年と、合致する。
「この世界は、時が止まっているからな」
「はぁ、いつのまにか、双子になってたなんて」
背格好、人相、声まで、ほとんど同じなのに、光はとても陽気な性格のようだった。こんな出鱈目な状況に、いちいち大きく驚きながらも、一つ一つしっかり咀嚼していく。
幸運なことに、影喰いには出くわすことなく社宅に辿り着くことができた。晃陽が部屋に通すと、光が言った。
「ここ、あたしと明の部屋があったところだ」
「本当か?」
確か、明の父親は晃陽の父と同じところに勤めているはずだが、まさか社宅の部屋まで同じだったとは。
「うん。あたしたちの父親、ちょっと実家と揉めてるらしくて。それで、社宅住まい。夏休みの一ヶ月くらい前に、父親の転勤で、引っ越すことになったの」
「俺がこの街に越してきたのが小六の二学期からだから、丁度入れ替わりになったんだな」
そして晃陽は、何故、自分の部屋と暁の街が繋がったのか、分かった気がした。
「光が、明を呼んでいたんだな」
「そうなのかな?」
「きっとそうだ。でももうそこには俺たちが住んでいた。さぁ、さっき言ったように、部屋に入ってドアを閉めるんだ。明に会えるぞ」
「晃陽くんは?一緒じゃないの?」
「俺は、残る。友達を探さないといけない」
黎は消えてしまったが、死んだとは思えなかった。光がドアを閉ざしたら、また戻れるかどうかは分からないが、黎を見捨てて帰ることになったら、一生後悔する確信があった。
「また後で会おう。ひとまずお別れだ」
光も、何とか応じてくれた。
「うん、それじゃあ……」
光が、ドアを閉める。異世界へ通じる唯一の扉が閉ざされたのを、晃陽は見届ける。
「よし、行くか」と、言いながら、外に出ようとする。しかし―――
「え?」
「あれ?晃陽くん、本当に短いお別れだったね。」
ドアが開き、光がおかしそうに笑っていた。
「どういうことだ?」
状況が掴めない光は首を傾げている。晃陽は必死で頭を巡らせる。
≪暁の塔 開く鍵は 影の中≫
―――ひょっとしたら。
「光、また少し歩くぞ。どうやら、ここはもうだめみたいだ」
そう言うと、光の手を引く。
「今度はどこに行くの?」
「あの塔だ。俺から決して離れるな」
住宅地を抜けていくと、影喰いが現れた。
「ちっ、来い!デイブレイカー!」
影喰いを倒し、光の方を振り返ると、身を竦ませて震えていた。
「どうした?光」
「あ、あたし、思い出した。さっきのに、襲われて……」
「やっぱりそうか」
晃陽は光を安心させるため、光の頭に手を置いて囁く。
「俺と居れば平気だ。絶対に光のことは守ってやる。だから立つんだ。とどまっているのが一番危険だ」
そう言って、光を立たせる。
「うん、分かった。……晃陽くん、カッコいいね」
「は?」
慣れない賛辞を聞き、晃陽は反応に困る。
「明とは、何にもないの?」
「あるわけない。ただの友達だ」
「そうかぁ、残念だなぁ。弟ができると思ったのに」
本当に妹とは正反対の、調子のいい性格をしている。
「明は、光みたいな姉さんで、苦労しただろうな」
「そんなことないよ。あの子はね、考え過ぎなの。心配性で、怖がりで、あたしの方が大変だったよ」
どうやら喋っていると落ち着くようだ。口数がみるみる増えていく。
「なんかまた思い出しそうな気がするんだけどな。引っかかりが取れそうな感じは、するんだよね」
道中、二度ほど影喰いが現れるが、いずれも単体だったため、難なく退ける。
「なんだかあたし、前もこうやって、誰かに助けられたような気がする」
何事か思い出した様子の光が言う。
「どんな人だったか、憶えてはいないか」
光は「うーん」と、少し唸ってから、こう言った。
「うん、顔とかは……なんていうか、顔が無かったような」
「のっぺらぼうに助けられたのか」
「あはは、変だよね。やっぱり、無理に思い出そうとするとダメみたい」
「そうか、すまない。さぁ、ここだ」
塔の前に辿り着き、話を中断する。
「なんか、ここだけ、ほかと違うね」
光が、塔の外壁に触れながら言う。
「光、これを読んでみろ」
晃陽は、壁に刻まれた文字を見せた。
『暁の街 照らす光は闇の中 夜明けの塔 開く鍵は 影の中』
「何?“光”……あたし?」
「うむ。最初は、もっと抽象的なことかと思っていたのだがな。これが光のことなら、“鍵”というのも―――」
「あたしってことなの、かな?」
「今から試すんだ。さぁ、光、俺に続け。≪閉ざされし塔よ、我に道を与えよ―――」
「それ、本当に言わなきゃだめ?」
光が遮ると、晃陽は渋々言う。
「……とりあえず、文字の部分を手で触れてみろ。」
言われるまま、光は壁に触れた。すると、10×10メートルほどの外壁の一部が光り、そして、消えた。
「割と簡単だったね」
「ふん、面白くない設計だ」
二人で中に入る。塔の内部は他の建物と同じく、見えない照明に照らされているような明るさだ。材質は外と同じく、正体不明の艶やかな緑色のもの。
広間のような場所だったが、上へと昇る螺旋階段以外に何もない。
「行くぞ」
「うん」
不安を押し殺しながら、二人は昇っていく。
いよいよ佳境を迎えました。最後までお付き合いください。