5.東雲晃陽
第五話、スタートです。
『Lighting』
http://www.youtube.com/watch?v=l2bPl13h6y4
夜。いつもの時間に二人は部屋のドアを開ける。
「行くか」
「ちょっと待て。その前にやっておきたいことがある」
晃陽は目を閉じると小さな声で何事か唱え始めた。
「陽光は天へ 冥暗は地に
彼の名の下、差し昇れ
彼の名の上に墜落せよ
太陽神アポロン 汝の力をここに名状する
我が真名の告白と血の契約に基づき この手に宿れ!来い!デイブレイカー!」
少しずつ声のトーンを上げつつ言い終えると、右手を目の前にかざす。次の瞬間には、剣の柄が晃陽の手に握られていた。
「よし!これでまた戦えるな」
ガッツポーズをして喜ぶ晃陽に「ちょっといいか」と黎。
「どうしたんだ黎」
背筋に虫でも伝っているように肩をすくめながら、黎は一つずつ丁寧に訊いていく。
「まず、“デイブレイカー”って何?」
「剣の名前だが?」
「いや、そんな、当たり前だろ?って顔をされても―――これからずっとその名前で呼ぶのか」
「だめか?なら、黎も選んでくれよ」
「だめ、とかではなくて……選ぶ?」
目の前にノートを差し出される。
『ダークオブブレイド/ドーンエッジ/ライトカイザー/ブレイブシャドウ/ウェイトゥザドーン/ライジングサン/ブレインラグナロク/ライティズソード/黒剣“影斬”』
「よせ、目が潰れる」
「何だよ。不満があったんじゃないのか」
「お前の将来への不安だけだ」
仕方なしと言った様子で、再度覗いてみると『デイオブザブレイク(武器というより技名×)/デイブレイクスブレード(少し長い×)/デイブレイカー』と続くところで丸印が付けられていた。なるほど“Day Breaks Blade”では少し長いから“Day Breaker”にした、と。自分が心配してやっていたときに、こいつは女子といちゃつき、こんなものを書いていた、と。
黎は、微笑みながらボウガンを晃陽の頭に向ける。
「まず、そのふざけた脳みそをブレイクしてやる」
「どうしたんだ黎、怖いぞ。そして矢じりを俺に向けるな」
ふーっと荒く息をついた黎から、二つ目の質問が飛ぶ。
「剣を呼び出したのは良かった。だが、あれはいるのか、あの詠唱は」
「ああ、あれもだめか、なら―――」
「もういい!長すぎるからせめて、来い、だけにしておけ、いいな」
どっと疲れを感じたらしく、肩をガクリと落として、最後の質問をする。
「両刃の剣を肩に乗せてて大丈夫なのか」
身長の半分ほどはありそうな長剣を抜き身で軽々と扱う晃陽に訊く。
「大丈夫だ。どうやら、生身の体は全く切れないらしい。影喰い専用の武器なんだろうな」
そんな都合のいいものがあるのだろうか。いや、現にこうして、あるのだろう。
「何の抵抗もなく、そういうことを受け入れられるお前が羨ましいな」
『―――!』
声。晃陽は「いるぞ、近い」と言って、家の外に出ていく。黎も後に続く。
「さぁ、どこにいる?」
社宅の前の道に出て、目を凝らす。
「いたぞ、晃陽」
「何体だ?」
「ざっと、十体……」
さっと逃げる。とても相手にできる数ではない。
「何でいきなり大群で来るんだ!」
「ゲームじゃないんだ!こっちの事情なんて関係ないんだろう!」
何とか巻くことに成功した先は、街の東にある工場だった。
「あ、ここ父親の勤め先だ」と、晃陽が言う。
そして、黎の父親が経営する『東洋フィルム』の工場だ。
「ここも探索してみよう」
声はしないが、聞こえない場合もあることは昨夜知ったので、当てにはならない。
加工食品のラベルのほか、太陽光発電パネルにも使われるフィルムを生産している日本有数の工場は、広大な敷地に、縦長の建物が7つ並んでいる。
二人は『3』と書かれた建物に沿って歩く。
「あまり入りたくはなかったな」
何故か黎は虫の居所が悪い。それを慮ってか、晃陽は黙って歩く。
『―――!』
「いるぞ」
晃陽が剣を構える。膝丈まである昆虫のような形の影喰いが一体見つかった。
「一匹か。黎、ボウガンで援護してくれ」
言い終えると同時に突っ込んでいく晃陽。
「待て晃陽、もっと慎重に―――」
黎の制止を聞かず、晃陽は剣を影喰いに振り下ろす。敵は真っ二つに斬れ、動かなくなった。
「さて、明の半身はどこに隠した?」
「晃陽、逃げろ!」
黎の声に顔を上げると、四足の影喰いが三体、迫ってきていた。晃陽はとっさに身体に指令を伝える。
(逃げ―――)
しかし、命じたはずの身体は強張って、動けなくなっていた。
「くそっ!」
黎がボウガンを構え、撃つ。影喰いの動きが少し止まったと同時に、晃陽の体が動き出した。
「馬鹿!少しは考えて斬りかかれ!」
逃げながら説教をする。晃陽は「すまない」と、言いながら、影喰いが迫ってきた時のことを思い出す。
体が言うことを聞かなかった。今まで感じたことのない死への恐怖が、足を竦ませたのだ。
その後、何体かの影喰いを倒したが、“体”を持つ個体はおらず、さらに三体以上の影喰いを同時に相手どることはなかなかできないという力不足もあって、探索は困難を極めた。
「もう、今日はここまでにするか」
何度目かの不意打ちから逃げおおせた後、黎が言った。
「畜生!」
晃陽が悔しそうに剣を地面に叩きつける。
「まだできる。もう少しやろう」
「だめだ。もう緊張が続かないだろう」
身体的な疲れが無いと言っても、精神的には疲弊する。完全に集中力が切れかかっていた。
「明と約束したんだ。絶対に取り返すって、だから―――」
「だからって、無理したらお前も明と同じことになるんだぞ、頭冷やせ!」
鋭い声でたしなめ、晃陽をなだめに入る。
「いいか、上手くいかないのは、俺とお前が力不足だからだ。それを肝に銘じろ。勢いだけでどうにかなることなんて、無い。じっくり計画と作戦を練って、態勢を整えて、成功の絵を描いて平常心で行動するんだ。
明との約束も知ってる。俺だって、何とかしたい。だが今は堪えろ。分かったな」
そこで言葉を切り、踵を返す。
「戻るぞ。さっき言ったことは半分くらいで聞いておけ。ほとんど父親の受け売りだ」
冷静さを取り戻した晃陽もついていく。
「そうか。流石に社長は言うことが違うな」
「そんなことは無い。いつだって、自分が一番正しいと思っている大人の、戯言だよ」
いつもいつも、失敗があるとその説教ばかり聞いていたので、すっかり覚えてしまったのだ。
「黎は、その息子だろう」
「養子だよ、俺は。前も話しただろ?」
だからといってどうということは無い、という家庭もあるだろうが、小暮家に関しては、そうではなかった。
「でも、その説教のおかげで、俺の頭は冷めた。黎の父親のおかげだ」
「……そりゃどうも」
しかし、と、晃陽は考える。分かっていたはずだが、敵を倒す剣が手に入ったところで、自身の身体能力が上がるわけではないし、情報も少ない。
対策を講じなければ。それに、もっと戦える“強さ”が欲しかった。
―――よし。
※※
授業が終わり、晃陽は珍しく部室に直行しなかった。ある人物と話をしたかったからだ。
「あるゲームがあるとする」
「うん」
「かなり広いオープンフィールドで、動き回る敵を倒す」
「グラレ(『GROUND OF THE LEGEND』の略)みたいな感じのやつ?」
「まぁ、似てないことも無い。クリアするために、香美奈なら、どうする?」
セミロングの頭を少し傾けながら、香美奈が答える。
「まずは、攻略Wikiを見て~」
「却下」
眼鏡をかけた目を不満そうに細め「なんで~?」と言う。
「そんなものはない。自力でクリアしようとは思わんのかお前は」
そういえばメールでも、しょっちゅう攻略法を聞いてくる。ゲーム好きとして、そのスタンスはどうなんだと思っていた。
「う~、じゃあ、まずは敵の出現傾向を調べるかなぁ。とりあえず戦闘は極力回避して、情報収集を優先させるの。
一箇所に群れてたり、単独行動をするのもいるだろうし、そういうのを観察すればいいんじゃないかな」
「うむ、なるほどな」
あの影喰いに縄張り意識があるかは分からないが、やってみる価値はある。
その為のシミュレーションをしていると、ガタッ、という音がした。香美奈が机に突っ伏した音だ。
「おい香美奈、大丈夫か」
「眠い~」
「ふん、ネトゲから卒業することだな。この廃人め」
心配して損した。
「うん、それもそうだけど、学校で、しっかりしてなきゃいけないのが辛い、かな~」
「そうか」
普段の姿からは想像できないが、香美奈は生徒会役員だ。要領も良く、行事などには積極的にリーダーシップを発揮する。
「あたし、昔っからさ~」
「長くなるならやめておけ」
身の上話をぶった斬る晃陽に、香美奈が抗議の声を上げる。
「短くするから、ていうか自分語りくらいさせろ~、薄情者~」
「必要ない。俺は俺が知っている香美奈を知っていれば満足だ。生徒会があるんだろう。お前にしかできない仕事があるはずだ。行って来い」
「なんで真顔で言うかなぁ~」
ブツブツと言う香美奈は眼鏡を外すと、晃陽の目を見る。この男子の目は、いうなれば“深さ”がある。顔の彫りのことではない。内面に滾る強靭なオーラが、目に宿っているようだった。
「うん、行ってくるよ~。こうちゃんも、なんか分からないけど、頑張ってね~」
眼鏡を外すと、視界がぼやける。そうすると、香美奈はちゃんと目を見て話せるのだ。
※※
「あれ、東雲じゃないか。どうした?」
月菜が、驚いた顔で体育館横にある室内練習場に入ってきた。晃陽は、上げていたダンベルを下ろすと「来るべき戦いに向けたトレーニングだ」と、答えた。
月菜は、怪訝な顔で晃陽の額に手をやる。
「何だ?」
「ついに本格的におかしくなったのか?」
言うに事欠いてこの女―――。
「つーか、軽いダンベルだな。こんなので筋力つかないぞ」
そう言って、自慢げに力こぶをつくってみせる月菜。全くできない晃陽よりは、多少腕が盛り上がっている。
「ウチがトレーナーになってやろうか」
「そうか、じゃあやってもらおうか筋肉おん―――痛っ!」
「次はこの5kgで殴るぞ」
スパルタ式な月菜をトレーナーに据えて五分後。
「東雲ぇ、まだ五十回もやってないぞ。だらしないな」
腕立て伏せが、手と足のついた珍妙な海老反り状態になっていた。その両腕もまた、晃陽の全体重を支えることに耐えかねて震え始めていた。
「ほら、あと一回やれ。とりあえずそれで許してやる」
「くそっ、俺は選ばれし者―――」
意地で床に顎を付けると、そのままマットの上に突っ伏した。荒い息をつきながら、己の筋力の無さを嘆く。
「言っとくけど、これ準備運動だからな。そんなんで大丈夫か」
「大丈夫か、だと。……いや、やっぱりいい」
軽口を叩く体力すら惜しかった。
「じゃあ何やる?サーキットトレーニングか、それとも体育館でやってる連中に混ざって走るか?」
妙に張り切っている月菜である。
「いっつも雨の日の室内トレは一人だったからな。お前が来てくれて良かったよ」
そういうことか。確かに、いつまでも練習場に二人きりだった。公立高校の部活で、そこまで熱心にやる者はほとんどいないのだろう。
「そういえば、お前の家は道場だったな」
「うん、ウチもやってたぞ」
「敵に囲まれた時の対処法は、あるか?」
突然実戦の質問をされた月菜は少し考えた後、言った。
「空手は基本的に一対一だからな。有段者くらいになれば、大勢を相手にもできるだろうけど、囲まれる前に、逃げた方がいいんじゃないかな」
逃げるが勝ち、と。なかなか現実的な対処法である。晃陽は素直に首肯した。
「そうか、なら、その一対一の時はどう対処する?闇雲に突っ込んで行ってもだめだろう」
「まぁな、しっかり構えて、素早く、恐れずに手を出す―――って、何なんだよさっきから。喧嘩でもするってんなら、教えられないぞ」
「ただの護身用だ。俺が人に暴力を振るう人間に見えるか?」
「ううん、もしそうでも、返り討ちにあってると思う」
「そうだろう―――ん?おいこら」
晃陽の抗議は無視して、月菜は柔軟体操を始める。
「空手かぁ、もう一年間やってないけど、できるかな。東雲、軽く組み手をやるぞ。手加減してやるから―――」
―――三十分後。
「ごめん、ちょっとやり過ぎた」
「構ファない。俺ファ無力だっただけファ」
顔が腫れているので上手く喋れない晃陽が言った。
「それにしても、何でいきなり運動し始めたんだ?頭脳労働専門とか言ってただろ」
「さっきも言っただろう。戦わなければならない理由ができたんだ」
鼻息も荒くならんばかりに宣言する晃陽に、月菜は目尻を下げ、寂しそうに微笑む。
「ああ……そうだったな」
「そんな憐れむような目をするな!俺はおかしくなってなどいない!」
「そうじゃないよ。もう、東雲に腕相撲で勝てなくなるんだろうなって思っただけ」
いつもの快活なものではなく、少し沈んだ声で月菜が言う。
「なぜそうなる」
「本気で鍛えられたら、どうしたって女は男に勝てないから。最近、東雲に負け始めてるのも、きっとウチの成長が止まって、東雲が追い抜き出してるから」
そう言うと、床に座り込む。
「12歳になるまでは、男子にも勝てたんだ。でも、ウチ、元々ちっちゃいし、ほかの男子はどんどんおっきくなって、力も強くなるし」
それでも女子の中では最も強かった月菜だったが、もう男子に混ざってやれないと悟った。
「なんか、一番になれないってわかったら、続ける気になれなくなっちゃって、中学からはソフト部に入ったんだけど」
話を聞き終えた晃陽は「そんなことか」と、言って近くにあった椅子を二人の間に置いた。
「さぁ、部屋の掃除をかけて、勝負だ」
立膝で椅子に肘を乗せ、月菜を迎えようとする。
「早くしろ。お前の成長が本当に止まったのか、やってみるまで、結果は分からないだろう」
「手加減、しない?」
「いつでもしている。だが今日は疲れているから、いつものように手心は加えない。本気でやる」
「小暮先輩が言ってたけど、東雲って本当に口が減らないよな」
少し目が潤んでいたが、月菜はいつもの調子を取り戻したようだ。
「言っていろ。お前こそ、下らないことを喋ったせいで力が出ないのじゃないか」
「大丈夫だよ」
肘を乗せ、組む。晃陽はいつも通り、真剣勝負の顔、月菜は、笑顔。
「行くぞ、レディ、ゴー!」
※※
―――十分後。
「そろそろ下校時刻だ―――って、晃陽じゃないか。一人で掃除かい?ご苦労だね」
氷月がやってきて、せっせとモップを動かす晃陽を労う。
「ああ、もうすぐ終わりますから」
「心なしか、顔が腫れているようだが」
「何でもありません。勝負には、勝ちましたから」
何故勝者が掃除を行っているのかは、晃陽自身もよく分からない。ただ「空気読め!バカ!」という言葉と共に鉄拳を喰らった理由は、なんとなく分かる。
「勝負?―――それにしても、晃陽は随分と人気者だな。さっき剣道部にも行ったが、君を探していたよ。そのほかにも、色々な部活に顔を出しているらしいじゃないか」
「まぁ、暇ですし」
「小説は、いいのかい?」
「書いてはいますけど」
上手くいかない。得意の妄想で、物語を始めることはできるが、完結させられない。いつも途中で飽きて、放り出してしまう。ゲームも、そうだ。
「嫌いなわけじゃない。でも、次々に面白そうなことや、やってみたいことができて、そっちに行ってしまうんだ」
心の、深いところに潜んでいた悩みとも呼べない思いを、初めて口にした。
「晃陽くらいの歳では、珍しいことではないよ。でも君は、できることならたった一つのことに熱中したい。と言うより、打ち込めるものが欲しい、と思っているんだろうね」
氷月は、そう晃陽を分析する。
「まだ14、いや、13歳か。今はまだ、自分を探して旅を続けてもいいんじゃないかな。真剣一本勝負で行きたい君は、納得しないかもしれないが」
晃陽は、少しうつむき加減に、だが、はっきりとした声で言った。
「実は、今こうして暁の街に行き来している状況を楽しんでいる俺がいるんだ。やっと本気でやれることが見つかったって。面白くなってきたって思っているんだ」
言ってから、再びモップを動かし始めた晃陽に、満足げな笑みを浮かべる氷月。
「そうか、それは良かった。君を選んだことは、間違っていなかったようだ」
「―――え?」
「何でもいい、君の、やりたいようにやってごらん」
その言葉は―――
「さよならだ。晃陽。健闘を祈っているよ」
部屋から出ていく氷月を、慌てて追う。
「先生!?」
しかし、氷月はいなかった。
そして、次の日には学校からも消えていた。
※※
再び、夜。
「一身上の都合だそうだ」
黎が言う。晃陽はあの、去り際の言葉を思い出していた。
10年前。“新興”にいた頃の、淡い記憶。
「晃陽、とにかく、今は目の前のことに集中しよう。影喰いを、狩るぞ。」
そうだ、今自分がすべきことを思い出し、晃陽は回想を止めた。
「影狩りか、面白くなってきた」
そう言って自らを奮い立たせると、部屋のドアを開ける。
時刻は午前四時。暁の街が、二人を出迎えた。
「来い!デイブレイカー!」
手に宿った剣を肩に乗せ、駆け出す。
「もう先走るなよ」と、黎に言われるが、動じない。
「大丈夫だ。必ず明の影を取り戻す!」
※※
≪過去は現在へと連なり、現在は未来へとは繋がらず、忌むべき過去を掘り起こす。過去の否定は現在の否定。少年には、過去を知る勇気が必要だった。未来を肯定するために―――≫
修行回、ルート攻略とも言います。と言うわけで、また明日。