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ロストアタッチメント  作者: ガル
天使の子供
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5章




 

 こうして三人の奇妙な共同生活が始まった。



 ってぇ、とつぶやいて、悪魔の少年ーーヤンは顔をしかめた。

 その首元に顔を埋めていた子供は、満足したのか顔をあげ、唇をなめた。ヤンを冷たく見下ろすと、お礼も言わずに離れていく。

 まだ出血が止まらない首元を押さえ、ヤンは顔をしかめたまま抗議した。

「へったくそー」

「は?首元ひきちぎってほしいの?」

「おーこわ。シュエ、今の聞いた?」

 矛先を向けてきたヤンにタオルを手渡すと、シュエは殺気を放つ子供を見やった。

「はいはい。喧嘩売らない」

「売ってないよ」

「そういう態度を喧嘩売ってるっていうんですよ」

 子供は何か言いたげに口を開きかけたが、結局そのまま黙り込んだ。ふてくされたようにそっぽを向くと、ふたりから離れ、乱暴な仕草で椅子に座る。

 悪魔を拾ってから、五日目。

 強引だったとはいえ、きちんと合意をとりつけた後、ヤンは約束を違えず血を提供してくれた。

 おかげで腹の音は聞こえなくなったし、子供もすくすくと成長している。今や見た目だけなら、シュエやヤンとそう変わらない年齢にまで育っていた。

 悪魔という存在がいるせいか、子供の機嫌は常に最低だが、こればかりは仕方がないだろう。

 ヤンはというと、最初のころはものすごい抵抗を示していたが、どうやら慣れてしまったらしく、子供をからかう余裕すら出てきた。驚くべき適応能力だ。

 色々と細かな問題はあるが、現状としては悪くはない。悪くはないが……シュエにはどうしてもひとつだけ気になることがあった。

 タオルで首元をおさえているヤンを見下ろして、シュエは軽く眉をひそめる。

「ヤン」

「なに?」

「その……大丈夫ですか?」

 尋ねると、ヤンはまばたきをした後、大きく笑った。

 快活な表情とは裏腹に、彼の顔色はよくない。拾ったときからずっと青ざめたままだ。

「大丈夫なわけねーだろ?あんにゃろう。遠慮なく飲みやがって、おかげでこっちは貧血だっての」

「それは……なんてゆーか、すいません」

「すいませんって、シュエが言い出したことだぞ?」

「それはそうなんですけど……」

 さすがに一向に顔色が良くならないのを見続けるのは、申し訳なかった。

 そもそも天使や悪魔は怪我には強く、回復力も人間より優れているという。

 それなのにヤンの怪我は、まだ包帯がとれないままだ。その理由なんて、簡単に思いついてしまう。

「謝んなくていーよ。丸ごと喰われるよりかは全然ましだし。それに血のことなら慣れてきたしさ」

「……前々から思ってたんですけど」

「ん?」

「ヤンって悪魔なのに人が良すぎるってか……大丈夫ですか?悪い人に騙されたりしてない?」

「あー、今騙され中?」

「あー、うん。確かに騙し中かも」

 神妙にうなずくと、ヤンは堪えきれないように吹き出した。本当に悪魔とは思えないほど明るい少年だ。

「シュエだって人のこと言えないと思うけど……でも、そうだなぁ。心配してくれるんなら、ひとつ頼みがあるんだけどさー」

「頼み?なんですか?」

 弾けるような笑顔のまま、ヤンが言った。

「おれも腹減ったんだよなぁ。てなわけで、ちょっと食料恵んでくれると助かる」

 シュエがその言葉をきちんと理解するより先に、ヤンの頭があった位置をナイフが高速で通過していった。

 簡単にヤンに避けられたそれは、乾いた音を立てて壁に突き刺さる。

 シュエは唖然とした。というか、引いた。

「ちょおおお!何してんですか!」

「おーい、シュエに当たったらどうすんだよ?危ねーな」

 ヤンはナイフを抜くと、投げた人物に向かって呆れたように言った。もちろん相手は天使の子供だ。

 いつの間にか子供は立ち上がり、全身に敵意をみなぎらせたままヤンを睨んでいた。

「そんなヘマしない。っていうか、今すぐ出てってくれる?」

「はぁ?ここシュエの家だろ?おまえにそんなこと言われる筋合いねーし。つーか、おれがいなくなったらおまえ餓死するんじゃね?」

「それなら今すぐ死んで。切り刻んで保存食にするから」

「ちょ、目がまじなんだけど?」

「本気で言ってるから。ほら、さっさとその人から離れてよ」

 殺意のこもった目にヤンは顔をひきつらせ、シュエの後ろに逃げ込んだ。余計に天使の子供が殺気立つ。

「シュエ助けて殺されるし!」

「ちょっ、人を盾にしないでくださいよ!」

「だってあいつ怖えーよ」

 シュエはヤンをへばりつかせたまま、天使の子供に目を向けた。うん。確かに怖い。顔が綺麗なだけに、凄むと迫力が違う。

「ほらーむやみに喧嘩売らないって、さっき言ったじゃないですか」

「先に売ったのは、そのクソ悪魔だよ」

「クソ悪魔……」

 ヤンのことが絡むと、特に口が悪くなるらしい。育て方を間違ったと一抹の責任を感じつつ、シュエは子供を宥めた。

「喧嘩売るも何も、ヤンはお腹すいたって言っただけでしょ?」

「それが喧嘩売ってるんだよ。あなたバカなの?悪魔の食料は人間だよ?」

「いや、わたしだってそれぐらい知ってるけど」

 シュエは息をついて、ヤンを肩越しに振り返った。

「ヤン。とりあえず、血とかでいい?わたしも耳とかはちょっと困るってか……」

 提案してみると、天使の子供が目に見えてうろたえた。

「ちょっと!」

「はい?」

「あなた何言ってるわけ?」

「何って、だから血でいいかって聞いてるんですけど」

「はぁ?お人好しもいい加減にしなよ。悪魔を助けておいて、そのうえ血まであげるつもり?」

 シュエとヤンは、きょとんとした様子でお互いの顔を見合わせた。

「血ぐらいいいんじゃないですか?減るもんじゃなし」

「そーだよ。血ぐらいいいじゃんか。ってか、おれだっておまえのために我慢してやってんだぞ?」

「そうですよねぇー」

「だよなー?」

 ふたりの言い分を、子供は黙って聞いていた。

 その沈黙が妙に長い。わずかに俯いているせいで表情が見えないのも、ちょっと怖い。

「……」

「……」

「……えーっと」

 しばらくして沈黙に耐えきれず、シュエがおずおずと声をかけた。

「あ、あのーもしもーし?聞こえてる?」

「……聞こえてるよ」

 顔をあげた子供が、じろりとふたりを睨みつけた。

 その迫力といったら。黄金の目が怒りで燃えるように輝いている。

「ふざけないでくれる?」

 子供が口を開くなり、冷ややかな声が飛び出してきた。思わず引いてしまうほど声が怖い。

「悪魔なんて、人間ならどれでも食べれるんだから、その辺で食料調達してきてよ。それでそのまま二度と帰ってこなくていいし」

「そ、それはまずいんじゃ」

「あなたもあなただよ」

 にらみつけられ、シュエは肩をはねさせた。まさに蛇ににらまれた蛙の心境だ。怖すぎる。

「いつもそう。あなたは危機感がなさすぎ。甘すぎ」

「は……ええ?」

「どうして自分ばっかり気にしないといけないわけ?もう少し、自己防衛をしてよ」

「じ、自己防衛って。えー」

 思わぬ反撃をくらって言葉に詰まっていると、シュエの後ろから笑い声が聞こえた。

「ははっ、すげぇ。やっぱ天使って親依存なんだ?」

 横からひょっこり顔を出したヤンは、にらみつけてくる天使の子供を見て、挑発的な笑みを浮かべた。

 シュエの後ろに逃げ込んだわりには、随分余裕がありそうだ。というか頼むから煽らないでくれ。

「危機感がないとか言うけどさ、シュエがこんなじゃなかったら、おまえだって今頃ここにはいないんじゃねーの?」

「何を……」

「普通なら天使なんてとっくに兵士に引き渡してるっつの。もしくは見せ物小屋に売り飛ばすとか。そこんとこ分かってんの?」

 痛いところをつかれたのか、子供が顔を歪めて黙り込んだ。

 気まずい沈黙に、次第にシュエのほうが不安になってくる。

「え、えっーと……」

 何とか空気を変えないと焦っていると、不意に子供が鋭く舌打ちした。静まり返っていた室内に、その音はやけに大きく響く。

 そのまま踵を返すと、子供は勢いよくドアを開けて家から出ていった。

 乱暴に閉まるドアに唖然としていたら、すぐにもう一度ドアが開いた。子供がヤンを鋭くにらみつける。

「……ちょっと出てくるけど、その人に妙なことしたら切り刻んでやるから」

「顔がこええ」と苦笑いをしているヤンを無視すると、子供は再び乱暴に扉を閉めた。






 ばたん!と勢いよく閉ざされた扉を見つめ、シュエは思わずため息をついた。

「ヤーンー」

「ほいほい」

「お願いしますよー。あの子、見た目はあんなんだけど、まだ生まれて10日くらいなんですからね?」

「天使で生後10日なら、立派に大人だと思うけど」

「身体はね」

 まだへばりついたままのヤンの額をはたくと、彼は何がおかしいのか大きく笑った。

「あいつもあいつだけど、シュエもシュエだよなー」

「は?なにが?」

「親ばか」

 笑い混じりに言われた言葉に居心地の悪さを感じ、シュエは肩をすくめた。

「前にも言ったと思うけど、わたしはあの子の親じゃないですよ?」

「またまた、照れてんの?」

「いや、本気で」

 手を振って答えると、ヤンは拍子抜けしたようにまばたきをした。

「……え、なに?それ、本気で言ってんの?」

「さっきからそう言ってるじゃないですか」

 シュエは手を出してヤンからナイフを受け取ると、離れたところに落ちていた鞘を拾い、それを納めた。

「わたしは成り行きで、あの子の孵化に立ちあっただけ。あの子の卵を生んだ親は、ちゃんと別にいるんですよ?」

「そりゃそうだろ?人間が天使の卵なんて生むわけねーし」

 あっさりとヤンが肯定した。なんだ、ちゃんと分かっているんじゃないかとシュエは呆れてしまう。

「だからわたしはあの子の親じゃないんですって」

「……あー、分かった。シュエ、勘違いしてねぇ?」

 苦笑いとともに言われた言葉に、シュエは目を丸くした。

「勘違い?」

「そ。天使の親ってのは、卵を生んだ奴のことじゃないぜ。孵化した天使が最初に見た人間のことな」

 それなら借りてきた本に載っていたはずだ。刷り込み現象だったか。

「でもそれは、そうやって思いこむってだけでしょ?」

「思いこみっちゃ思いこみなんだろーけど……なんていうのかな。天使の刷り込みは、もっと厄介なんだよなー」

「厄介って」

「もっと重いっていうか……うーん。簡単に言うと呪いみたいな?」

 シュエは思わず眉をひそめた。呪いとはまた仰々しい。

「どういうことですか」

「おれもバカだから、どう説明すればいいのかわかんねーけどさぁ」

 ヤンは布団の上で胡座に座り直しながら、説明した。

「天使ってのは、この世で最強の生き物なわけ。もうほんと化けもんだよ。おれたち悪魔だって強い種族だけど、それでも天使には叶わねーし」

「そ、そんな強いんですか?天使って」

「強いよ。化けもん」

 ヤンは神妙にうなずいたが、とても信じられなかった。

 もうシュエたちと変わらないくらいまでに成長したとはいえ、あの天使の子供は全体的に華奢だった。体格だけなら、その辺にいる人間のほうが遙かに屈強そうなのに。

「シュエー。忠告しておくけど、天使って見た目通りのお人形じゃねーからな?」

「……って、悪魔は違うんですか?」

「まぁ、おれたちだって人間よりかは普通に強いけど」

「そうなんですか?」

「そりゃそうだろ。たとえばシュエが10人いたとして、束になってかかってきてもおれには勝てないし」

 その例えに、シュエは胡乱げに相手を見た。

「嫌味?」

「事実事実。でもさ、そんな弱っちい人間にも、強みがあんだよ。それが天使の親になれるってこと」

「……はぁ?」

 どういうことだと視線で問うと、ヤンは肩をすくめた。その顔には軽い嫌悪感が浮かんでいて、彼にしては珍しい表情だった。

「天使は最強の化けもんだけど、親が絶対なわけ。親の言うことしか聞かないし、何につけても親が優先。親至上主義」

「親至上主義って……」

 シュエは目をまん丸にして、ヤンを凝視した。

「えっと。じょ、冗談ですよね?」

「いやまじで。要するに、天使の手綱をとれる唯一の相手が人間の親ってわけな。分かる?」

「……分かりたくない。絶対に分かりたくない。死んでも分かりたくない」

「あー、ちゃんと分かったみたいだな」

 にこにこと笑うヤンの笑顔が、これほど憎らしくなったのは初めてである。

 つまり要約するとこういうことか。

 天使は悪魔より強くて悪魔を喰らう。悪魔は人間より強くて人間を喰らう。人間は弱いが、天使の親になれば天使を御することもできる、と。

 なんだそれは、とシュエは唸った。まるでじゃんけんのような関係ではないか。

「つまりさ。結論を言うと、シュエはやっぱあいつの親なんだって」

「えー。ええー」

「あいつの態度見てれば分かる。超過保護だしさ。っていうか、シュエだって自覚あるだろ?さっき孵化に立ち会ったって言ってたじゃん」

「そりゃ言いましたけど……」

 シュエは思わず呻いていた。

 刷り込み現象というくらいなのだから、単純に雛が親鳥の後をついてくるような一時的なものだと思っていたのに。なんか想像以上に面倒くさそうだ。

 頭を抱えるシュエを見て、ヤンが苦笑した。

「あーでも、これでやっと分かった」

「……今度はなんですか?」

「あの天使の名前。なんでないんだろうって、ずっと不思議だったんだよなー。でも今の話を聞いて納得。シュエ、つけてやってないんだろ?」

 シュエは苦虫をかみつぶしたかのような表情を浮かべると、何とか声を絞り出した。

「……名前は親がつけるもんですよ」

「だからあいつの親はシュエだろ?」

「そう言われても……わたしが言う親ってのは、自分の腹を痛めて生んだ人のことなんですけど」

 そう呟くと、ヤンは拍子抜けしたように目をしばたたかせた。そんなに変なことを言っているだろうか?

「誤解しないでくださいね。あの子の親になりたくないってわけじゃないですよ?ただ、」

「ただ?」

「……うん。たまたま孵化に立ち会っただけのわたしが、あの子の名前を決めるとか……そういうのどうなのかなとは思うよ」

 自分には命に名前を与えて、背負う覚悟なんてできていない。

 無責任だと言われるかもしれないが、そもそも簡単に他人の人生を預かってしまうほうが、よほど無責任だとシュエは思う。

 ヤンはどこか呆れたような仕草で天井を仰いだ。

「シュエって、変なところで真面目なんだなー」

「……そんなこと言われたの初めてなんですけどー」

「いや、まじで」

 ヤンはそう言うと、思案するように言葉を一度切る。

「……うん。まぁ、シュエがどう考えようと、それはシュエの勝手なんだけどさ」

「うん?」

「それでもあいつはシュエを親だと思ってるだろーし、それに……」

 躊躇うような間が空いた。目が合うと、彼はふっと眉をさげて笑った。

「そーゆー面倒なこと置いておいてもさ。ふつうに、名前ないのって可哀想じゃね?」


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