4章
布団に寝かされた男の子を眺めながら、デジャヴだ、とシュエは心の中でつぶやいた。
確か数日前にも、こうして怪我をしていた相手を拾った記憶がある。
よくよく考えれば、あの日からシュエの日常は一変した。おかしいな。普通の生活だったはずなのに。
すぐ隣で片膝を抱えていた子供が、不満そうに文句を言った。
「ねぇ。手当てする必要なんてないし。食べようよ」
ぐるぐると腹を鳴らしたまま、子供は飢えたまなざしで少年を凝視している。
シュエは「だめ」と釘を刺してから、巻いていた包帯を鋏で切った。両端を結んで固定する。
「なんでだめなの?意味が分からない」
「そもそもこの人が本当に悪魔かどうかなんて、分かんないじゃないですか。スプラッタにした後で、やっぱり違いました、じゃ冗談になんないし」
「悪魔だよ。さっきからそう言ってる。そんなに自分のこと信じられない?」
シュエは子供を見た。どうやら完全に拗ねているらしく、ふてくされた表情をしていた。
「信じるとか信じられないとか、そーいう問題じゃなくて」
「じゃあどういう問題?」
「そ、そう言われると困るけど……そうですねぇ。他に選択肢があるのかどうかっていう問題?」
答えると、子供は眉をひそめた。
「……どういう意味?」
「だからさ……えっと、どう言えばいいのかな」
考えながら、シュエは言った。
「当たり前のことだけど、死んだらもう生き返らないんですよ。やり直しはきかない。分かる?」
「……それは、分かるけど」
「要するにそういうこと」
納得したのかしていないのか。子供は顔をしかめたまま、腹の音だけが鳴っていた。
男の子の意識が戻ったのが、翌日のお昼ごろだった。
狩りから戻ったシュエが、獲物を捌いていると、ふと小さな声がした。目を向けると、少年が身じろぎをしたのが分かる。
手を綺麗に拭い、近づいてみる。シュエの後を、子供がさりげなくついてきた。
顔をのぞきこんでみると、丁度閉ざされていた瞼が開くところだった。髪と同じく、瞳も深い黒色だ。
「具合はどうですか?」
話しかけてみると、少年がぼんやりとした様子で視線を動かした。
目が合う。彼はまばたきをした後、目をまん丸にしてシュエを見つめた。
しばらくしてから、我に返ったように飛び起きた少年だが、痛みからかすぐに顔を歪めた。
「っ!!」
「無理しないほうがいいですよ。骨とか折れてるし」
手を貸そうとしたシュエの襟元を子供がつかみ、いきなり後ろに引いた。喉がしまって、一瞬呼吸困難に陥る。
「ちょっと!何するんですか!」
「近づきすぎ。食べられたらどうするの」
「だからって首元ひっぱるな!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐふたりを、ぽかんと見比べていた少年は、おもむろに家の中を見回した。
「……えーっと、あんたたち誰?ここは?」
「わたしの家。あんた、この裏で倒れてたんですよ」
「倒れてた……?」
きょとんとした顔で繰り返した男の子は、すぐに状況をのみこんだらしく、顔をしかめた。
「ああ……そっか。そーいや、あいつに追われてたんだった。くそ」
「あいつ?」
「ん?んにゃ、こっちの話」
ひらひらと手を振ると、男の子は一昨日と同じように、明るい笑みを浮かべた。
「あんたが助けてくれたんだ?ありがとな」
実に清々しい笑顔である。
とても悪魔には見えない、などと考えているシュエとは違い、子供はどこまでもトゲのある態度を崩さなかった。
腕を組み、子供は少年を高慢に見下ろした。
「ひとつ、確認したいんだけど」
「へ?おれ?」
「他に誰がいるの?」
苛立った様子でつぶやいた子供を見つめると「おまえ、綺麗な顔だけど偉そうだなぁ」と少年は笑った。
短時間なのに素晴らしい観察眼の持ち主だ。しかもなかなか寛容ときた。
「ま、いいや。で、確認したい事ってなに?」
「正直に言って。あなた、悪魔だよね?」
「……」
ずばり直球に尋ねた子供を、少年はわずかに首を傾げて見つめ返した。
そして。
「そうだけど?」
不思議そうにしながらも、あっさり肯定した。ちょっとは躊躇えよ!と突っ込みたくなったのはシュエだけだろうか。
思わず頭を抱えそうになったシュエを、子供はどこか得意げな表情で振り返った。ほら見ろ、と言いたげだ。
シュエはおずおずと口を開いた。
「……やっぱり悪魔なんですか?」
「うん。でも、なんで分かったわけ?普通人間には分かんないものなんだけど」
「それは……」
シュエはちらりと子供を見やった。あちらも正直に答えたのだし、別に隠すこともないか。
「この子が天使だから」
「………はぁ?」
「だから、この子が天使で、あんたは悪魔だって言ったんですよ」
説明すると、少年は唖然とした表情で子供を凝視した。かと思うと、じりじりと後ずさっていく。その顔には、警戒心が浮かんでいた。
「……天使って、まじで?」
「まじで」
「まさか、あいつの仲間?」
「あいつって?」
問い返すと、少年はなにやら難しそうな顔で考え込んでいた。
しばらくして少しだけ肩の力が抜くと、男の子は困惑した様子で頭をかいた。
「いや、違うならいいんだけど。……いや、よくないか。ああもう、訳わかんねぇ。なんでこんな所に天使なんかいるわけ?」
「あなたなんかに説明する必要ないと思うけど?」
冷ややかに答えた子供は、そのままシュエに視線を向けた。
「さ、これでこいつが悪魔だってことは確定。もう食べてもいいよね?」
その言葉に、少年は壁側まで一気に後ずさった。それはそうだろう。当然の反応だ。しかし怪我してるのに元気だな、この子。
少年は慌てた様子で、手をぶんぶんと振った。
「待った待った!おれなんか喰っても、美味くないって!」
「それ謙遜?充分美味しそうだよ。大丈夫」
「大丈夫じゃねーよ!!」
なんかもう色々面倒くさくなって、シュエはため息をついた。
ふたりのよく分からない攻防はまだ続いている。
少年は自分がいかにまずいのかを必死で語り、子供がそれをばっさばっさと切り捨てていた。正直、何ともいえない口論である。
「ふたりとも!ちょっと落ち着いて!」
声をかけると、ふたりは同時にこちらを見た。男の子は息を乱していたが、子供は涼しげな顔をしたままだ。
青ざめた少年の顔を見やって、シュエは呆れてしまった。
「もう、真っ青じゃないですか。起きたばっかりなのに無理するから」
「だって無理しねーと食べられるじゃんか!!」
「それは確かに」
「こんな所で喰われるなんて、ぜってーに嫌だからな!」
断固拒否する悪魔少年に「往生際が悪いね。見苦しい」と子供は毒づいている。埒があかない。
「いいからちょっと落ち着いて、んで話しましょうよ」
「はぁぁ?話ぃ?」
「悪魔なんかとする話なんてないよ」
冷ややかに言った子供に少し黙るよう言い聞かせると、シュエは改めて少年に向きなおった。
「と、いうわけでですね。悪魔くん」
「な、なんだよ?」
「この子に、ちょっとかじられてやってもらえませんか?」
「やだ!ぜってーやだ!!」
悪魔なのに裏表のなさそうな人だなぁと感心しつつ、シュエは言い足した。
「もちろん、頭の先から足の爪までくれとは言わないですよ。ただ見てのとおり、この子めっちゃ空腹で。できれば少しかじらせてもらえないかなーなんて」
申し訳ないとは思うが、こっちだって死活問題なのだ。このままでは天使の子供が餓死してしまう。それだけは避けたい。
目に警戒心を残したまま、少年が問い返した。
「……かじらせるって?」
「耳とか。指とか」
「冗談!悪魔だからって、身体が再生するわけじゃないんだからな?」
しないのか。それはさすがにまずい。ううーん、とシュエは腕を組んで唸った。
「えっと……じゃ、血とか」
「血ぃ?」
嫌そうに少年が顔を歪めた。
「そう血。それなら多少減っても大丈夫ですよね?」
「……そりゃ……そうだけど」
歯切れ悪くつぶやいた男の子は、警戒しきった顔つきで子供をうかがった。子供はそれを冷ややかに見返すと、
「いちいち頼む必要なんてないよ。食べちゃえばいいだけなんだし」
と、かなり物騒なことを口にした。追い打ちをかけるように響いた腹の音に、少年は「うううう」と唸り声をあげる。
「……くそ。分かったよ、分かった。血でいーんだろ?」
「いいんですか!?」
「いくねーよ!!仕方ないだろ?断ったら、容赦なく丸ごと喰われそうだし。逃げようにもこいつら、身体能力化けもんだし」
ぶつぶつと彼は文句を言いながら、シュエを見た。
「あんた、こいつの親なんだろ?あんたの言うことなら天使は聞くはずだし……天使は信用できないけど、あんたは信用するしかなさそうじゃんか」
「信用してくれるのは嬉しいけど、わたしはこの子の親じゃないですよ」
子供が変な誤解をするとまずいので訂正すると、悪魔の男の子は「はぁ?」と眉をひそめた。
「親だろ?じゃなきゃ、天使が人間の言うことなんて聞くわけねーし」
「これが言うこと聞いてるように見えるんですか?」
苦笑して尋ねると、少年はあっさりとうなずいた。
「見えるな。ってゆーかあんたが親じゃなかったら、おれとっくにそいつに喰われてるって。なぁ?」
少年が子供に視線を向けて同意を求める。
天使の子供は、話しかけるなと言わんばかりの顔をしたが、それについては否定しなかった。