3章
女が姿を消したのは、彼女を拾ってから五日目。初めてお礼を言われた翌日のことだった。
その日、狩りから戻ったシュエは、いつものように「ただいま」と家の扉を開けた。
返事がないのは常だが、いつもならすぐに向けられる黄金の瞳もない。部屋の中はしんと静まり返っていて、シュエは眉をひそめた。
「おーい。いないんですか?」
声をかけてもやはり返事はない。彼女が使っていた布団は、綺麗に畳まれていた。
「出てった……のかな?」
誰もいない部屋は広く、どこか閑散としている。
一言くらい言っていけばいいのに、とシュエは呆れたが、同時にあの人らしいとも思った。
どうやら少しは寂しいと感じるくらいには、情が移っていたらしい。苦笑する。
荷物を床に下ろし、シュエは引いた椅子に座った。背もたれに体重を預けて、息をつく。
と、そこでシュエはある物に気づいた。
「ん?」
まばたきをして、身体を起こす。
『それ』は、畳まれた布団の横にあった。いつも女が壁にもたれていた辺りだ。
「んん?」
眉をひそめ、シュエはそれを凝視した。近づいてみても、やはりそれは変わらない。
「卵?」
シュエは『それ』の側に屈みこんで、そっと指でつついてみた。固い殻の感触。
間違いない。どこからどう見ても卵だ。かなり大きく、子供の頭くらいの大きさがある。
「っていうか、何で卵?」
そもそもどうしてこんな所にあるのだろう。考えられる可能性は、姿を消した女だが、それにしても何だって卵なのか。意味が分からない。
「よく分かんないけど、食べていいのかなー。これ」
いいのなら今日の夕飯にでもしてしまおうと、本気で考えていたシュエは、ふと視界の中で何か動いたのに気づいた。
「?」
意識をそちらに向ける。
卵がかすかに動いた。
まばたきをする。
しばらくして、やっぱり動いた。
「って、えええええ!?」
シュエは思わず声をあげた。パキ、という小さな音を皮切りに、堅い皮にひびが入ったからだ。
「ええええー?は、早くない?」
突っ込んでみても、卵の孵化は止まらない。少しずつひびが広がっていき、殻の一部がぽろりと落ちる。
まるでシュエの帰りを待っていたかのようなタイミングに唖然としつつも、シュエは興味半分にそれを見守ってみることにした。
雛でも食べれないことはないんだし、などと考えていたシュエだったが、またしても期待は見事に裏切られた。
「………」
羽化が始まって、約一時間。
シュエは、今日の夕飯になるはずだった『もの』を、半眼で見つめていた。
「………」
鳥ではない。
爬虫類でもない。
もちろん魚でもなかった。
卵の殻にまみれて「ああう」とか「ううー」とか訳の分からない言語をしゃべっているのは、まぎれもない人間の赤ん坊だ。
「なんで……なんで卵から子供が生まれてくるんですか……しかも、なんでもうしゃべってんですか……」
心の底から突っ込んでみても、返ってくる答えはない。
代わりに赤ん坊が「んあー」と、無邪気な笑い声をあげた。
透き通るようなきらきらとした白い髪と、ふと瞼が開いたときに見える黄金色。誰かと似ているんじゃないかなんて、悩むこともなかった。
前言撤回である。あの女に情なんてわいてない。絶対にわいてない。