6章
トールと引き離されたシュエは、一人小さな部屋の中に押し込められた。どうやら客室らしく立派な内装だったが、鍵がかかっている以上、牢獄と大差はない。
窓から出られないだろうかと覗いてみたが、トールでなければ飛び降りれないような高さだった。
トールは大丈夫だろうか。
どうすることもできず、部屋の中をうろうろしていたシュエは、ふと聞こえてきたノックの音に身体を強ばらせた。
律儀に「失礼します」と断って扉を開けたのは、ルピアだ。彼女はシュエを見ると、なぜか少しだけ悲しそうな顔をした。
「……シュエさん」
「ルピア」
「は、入ってもよろしいですか?」
少し迷ってから、うん、と応じると、ルピアはおずおずと部屋の中に入ってきた。扉を閉めると、部屋の中はやはり静まり返る。
「……」
しばらくして口を開いたのは、ルピアだった。
「……あ、あの、夕食を召し上がってないと聞きました」
「え?……ああー、ちょっと色々考えてたら食べ逃しちゃって」
「よければお持ちしましょうか?」
自分たちを捕まえた相手に気を遣われるのも妙だな、と思いながら、シュエは丁寧に断った。
「や、大丈夫ですよ。そんなにお腹すいてないし」
「で、でしたら、お飲物だけでも」
続けて断るのも申し訳ない気がしたが、本当に食欲はなかったので辞退する。ルピアは眉を下げてこちらを見つめていたが、やがてそっと目を伏せた。
何となく再び会話が途切れ、沈黙が満ちる。今度はやけに長く感じたそれを破ったのは、またルピアだった。
「……シュエさん。あの」
「うん」
「どうして、逃げようとなさったんですか?」
「……」
答えられずにいると、ルピアは更に質問を重ねてきた。
「軍に入るのは……やはりお嫌なのでしょうか?」
シュエはまばたきをして、ルピアを見つめ返した。彼女は真剣な面持ちでシュエの返答を待っている。
「……そりゃあ、正直に言えば」
素直に答えると、ルピアは少しだけ傷ついたような顔をした。それを見て、シュエは心の中でため息をつく。
全く、そんな表情をするからいけないのだ。怒りたいのに怒れなくなってしまうではないか。
「……うん。でも、レッカとかいう人の話だと、選択権はなさそうなんだけど」
「……レッカさまとお話を?」
「脅されました」
苦笑しながら言うと、ルピアは目を伏せ、両手をぎゅっと握りしめた。
「……たぶん、シュエさんひとりなら帰ることはできると思います」
「え?」
「軍が必要としているのは、天使ですから。トールさんが残るのであれば、あるいは」
確かにシュエは、天使の親だからという理由だけで軍入りを強要されているのだ。トールに言うことを聞かせるためだけの存在として。
ルピアの話は理解できる。できるが。
シュエは小さく笑った。
「トールが大人しく一人で残るとは思えないなー」
「シュエさんが命じれば、残ります。天使は……わたしたちは、そういう生き物ですから」
「そういう生き物って、」
シュエはぎょっとしながらルピアを見たが、彼女は冗談を言っている様子ではなかった。本気なんだと感じ、シュエは思わず顔をしかめる。
ルピアは事実を言っているだけなのかもしれないが、だからこそ言ってほしくはなかった。トールと同じ天使である彼女には、特に。
ため息をついて、シュエは呟いた。
「……だったら、尚更わたしひとりで帰るわけにはいかないですね」
「!」
ルピアは打たれたように顔をあげた。
「そ、それは……シュエさんも、残ってくださるということですか?」
「ああもう、勘違いしないでくださいね!本当はトールとふたりで帰りたいんだから」
ふてくされた口調のシュエをじっと見つめていたルピアは、やがて嬉しそうに顔を綻ばせた。
「……なに、笑ってるんですか」
「いえ。……いえ。ありがとうございます」
なぜお礼を言われたのだろう。よく分からないままシュエは首を傾げたが、ルピアはもう一度「ありがとうございます」と小さな声で囁いた。
シュエが軍に入ることを了承した後は、早かった。
必要な書類に形式上のサインをして血判を押す。それだけで明日から軍の一員だというのだから、世の中不思議なものだ。
トールに会うことを許されたのは、必要な手続きを全て終えた真夜中のことだった。
トールが閉じこめられていたのは、シュエと同じような部屋だったが、やはり頑丈な鍵がついていた。
ルピアがそれを開け、室内に入る。中には列車の時と同様、枷で雁字搦めにされたトールがいた。
「トール」
「! シュエ」
トールはシュエを見てほっとしたような表情を浮かべたが、次いで入ってきたルピアの姿に、目つきを鋭くした。
睨みつけられたルピアは、おどおどとした様子で近寄ると、枷を一つずつ外していく。その様をトールは怪訝そうに見つめていた。
全ての枷が外され自由になったトールは、敵意をみなぎらせたままルピアを見据えた。
「今度は一体何のつもり?」
「え、あ、あの……」
戸惑った様子のルピアに、シュエが助け船を出す。
「トール、ちょっと聞いて。話が……」
「シュエは黙ってて」
聞く耳持たないトールの様子にため息をつくと、シュエはその脇腹をパンチした。トールが胡乱げな目を向けてくる。
「……何なの、シュエ」
「話を聞けって言ってんじゃないですか」
「だから、それは後で」
「このまま軍に入ることにしたから」
相手の言葉を遮って一息で告げると、トールは愕然とした表情でシュエを凝視した。
「……どういうこと?」
「話すと長く……は、ならないか」
「長くても短くてもいいよ。きちんと説明して」
シュエは頷いて、後ろにいたルピアに目を向けた。言いたいことを察してくれたのか、彼女は黙ったまま部屋を出ていく。
扉が閉ざされると、部屋の中はふたりきりになる。
そこでシュエはできるだけ丁寧に説明した。といっても話すことはそれほど多くない。レッカとルピアの話をやんわりと伝えるだけだ。
「……」
話を聞き終わったトールは、苛立ったように舌打ちした。黄金の瞳は剣呑な光を帯びている。
「……何それ。脅迫とか信じられない。ここの人たちって、みんなこうなの?」
全くもって同じ気持ちだったので、反論する気にもならなかった。
トールは真っ白な髪をかきあげて、ため息をついた。
「それで?」
「うん?」
「残るんだね?ここに」
「……それしかないでしょうね」
頷くと、トールは顔を歪め「だろうね」と渋々同意した。なんだか意外な反応である。
「なんか意外」
「なにが」
「トールならそれでも逃げるって言うかと思ってました」
どう説得しようかとあれこれ考えていたのに、少し拍子抜けしたような気分だ。もちろんそのほうが助かるのだけど。
正直に言ったシュエに、トールは顔をしかめた。
「逃げられるのならそうしたいに決まってるよ。でもシュエはもう決めたんでしょ?それなら自分がとる道もひとつだから。……それに」
「うん?」
「……さすがにセイレンを巻き込む気にはなれないかな。一応、あの人には借りがあるから」
「借り?セイレンに?」
「そう。あの人がいなければ、自分は今でも名無しだったかもしれない」
言われてみれば確かにそうだった。あの時セイレンに聞かれたから、とっさに名前をつけたのだ。
そんなことをわざわざ覚えているなんて、意外とトールは律儀なのかもしれない。
「自分のことはもういいよ。シュエは?本当にそれでいいの?」
「もう決めたから。セイレンたちのこともそうだし、それに……」
「それに?」
尋ね返され、シュエは口をつぐんだ。
脳裏をよぎったのは、シュエの家の中、壁にもたれて座っていた女の姿だ。トールの卵を生んだ天使。
彼女はもういないという。
「フロールっていう天使のこと?」
トールにそう聞かれ、シュエは驚いた。
「……もしかして顔に出てた?」
「出てた。今のは分かりやすかったね」
トールは目を細めて微笑んでいる。なぜそこで嬉しそうにするのかが分からない。
「それで?フロールがどうかしたの?」
「……死んだって」
「ああ、そう言ってたね」
答えるトールはあまりにも無関心だ。思わずシュエは顔をしかめていた。
「あんたって奴は……自分の親が亡くなったっていうのに、気にならないの?」
「あまり」
「トール」
「自分の親はシュエだよ。それに生みの親っていっても一度も会ったことないんだから、他人と同じじゃない」
トールの言っていることも分かる。分かるのだが、何とも寂しい気持ちにさせられた。
だってシュエは覚えているのだ。慈しむようにお腹に手を当てていたフロールの姿を。その優しい手つきを。穏やかな目を。
それらを知っている以上、他人だなんて言い方はあんまりだと思った。
「フロールは、トールのこと、気にかけてましたよ」
「……ふぅん?」
「たぶん」
「たぶんって、なにそれ?」
呆れたように言われるが、シュエはフロールではないのだ。彼女が何を思っていたのかなんて、全て知ることはできない。
けれどシュエから見た彼女の姿を伝えることはできる。そう思ったシュエは、フロールと初めて会った日から数日間の出来事をできるだけ丁寧に話した。
よくよく考えると、彼女のことをトールにきちんと話したのは、これが初めてだ。今までは育児(?)に一杯一杯だったし、トール自身もすすんで聞きたがらなかった。
あの日。夕暮れ時に拾った女のこと。その女と過ごした数日間。白く長い髪、真っ直ぐ向けられる黄金の瞳。「ありがとう」とお礼を言った穏やかな声を。
そして姿を消した彼女の代わりに、トールの卵が置いてあったこと。
大人しく耳を傾けていたトールは、全て聞き終わると「ふぅん」とそっけなく呟いたきり、そのまま黙り込んだ。何かを考え込んでいるかのように目を伏せている。
「トール?」
「……」
トールは目をあげると、シュエを見つめた。それから肩をすくめ、小さく息をつく。
「……正直に言えばね、自分はフロールのことなんてどうでもいい。さっきも言ったけど、ほとんど他人みたいなものだから。……でも、ひとつだけ彼女に感謝してることならあるよ」
「感謝してること、ですか」
「そう。シュエの家に卵を置いていったこと」
ぽつりと小さな声で呟いたトールは、シュエが口を開くより先に言葉を続けた。
「シュエはフロールがどうして死んだのかが気になるんでしょ?」
「……まぁ」
気にならないはずがない。たった数日でも一緒に暮らした相手で、しかもトールの生みの親なのだから。
トールは何を考えているのか分からない顔で、あっさりと告げた。
「手伝うよ」
「は?」
「調べるの、手伝う」
シュエは驚いて、トールを見つめた。
一体どういう心境の変化なのか、と視線で問うと、トールは首を傾げて穏やかに微笑んだ。
「ひとつくらい、感謝に報いておいてもいいかなって」
それは見惚れるほど綺麗な笑みだった。見慣れていたはずのシュエも、思わずどきりとしてしまうほどには美しい笑みだった。




