3章
王都へは、列車と馬車を乗り継いで2日という長旅になるらしい。
シュエにとっては初列車になったわけなのだが、あいにく乗っているのは軍事専用のもので、景色を楽しむような大きな窓もない。
狭い個室の中。列車特有の振動に揺られながら、シュエはぽかんと口を開けた。
「うわ……」
感嘆の先にあったのは、むき出しになったトールの背中だ。
白いなめらかな肌。その肩甲骨のあたりから生えているのは、まぎれもなく羽だった。
トールの髪と同じように真っ白で、しっとりと濡れたような光沢がある。
大きさは人の掌ほどだろうか。想像していたよりかはずっと小さい。
「へー、結構小さいんですね」
「これくらいが普通なんじゃない?ルピアとかいう天使だって、ぱっと見ても分からないし」
言われてみれば、ルピアも天使なのに羽があるようには見えなかった。ゆったりとした服を着ているのもあるが、羽が小さいのも理由のひとつかもしれない。
「でも、こんな大きさで飛べるんですか?」
「飛べるわけないじゃない」
背中を向けていたトールが、呆れたように肩越しに振り返った。
「え?飛べないの?」
「飛べない。たぶん、役には立たないんじゃないかな。この羽」
シュエは首を傾げた。
確かヤンと別れる時、追ってきたルピアも、その後現れたトールも、上から降りてきたように感じたのだけれど。
そう指摘すると、ああ、とトールはうなずいた。
「あれは飛んだんじゃなくて、跳んだだけ」
「はい?と、跳んだだけ?」
「うん」
「跳んだってあれ?ジャンプ?」
「ジャンプっていうほどでもなかったけど。普通に足を踏み出しただけ」
『だけ』の基準が分からない。全く分からない。
そういえばヤンに抱えられて移動した時も、信じられない速度だった。しかも一歩の滑空時間が異常に長いのだ。
悪魔より身体能力が高いという天使は、一体どれほどのものなのか……想像もつかない。
本当に人間とは全く別の生き物なんだなぁ、と実感しつつ、シュエはまじまじと目の前の背中を見つめた。
生えたばかりの羽は、繊細な工芸細工のように綺麗だった。
「……ね、トール」
「なに?」
「触っていい?」
真顔で尋ねると、トールは嫌そうな表情を浮かべ、身を引いた。
「…………やだ」
「なんで!」
「なんとなく」
なんとなくってなんだ。腑に落ちない。
こうなったら意地でも触ってやろうと手を伸ばしたら、身の危険を感じたのか、トールが素早い動きで身を翻した。重そうな手枷をはめているくせにやけに俊敏だ。
そのままじりじりと向かい合う。
「……」
「……」
室内に蔓延した妙な緊張感を破ったのは、ルピアだった。
「シュエさん、トールさん。もうすぐ駅に着きます。とりあえず荷物を……」
ノックとともに入ってきたルピアは、ふたりを見て、きょとんと首を傾げた。
彼女はシュエを見つめ、それから服を脱いだままのトールに気づく。
「………………」
見る見る間に赤くなっていくルピアに、トールが露骨に嫌そうな顔をした。
「……なに赤くなってるの?気持ち悪いんだけど」
「ふ、ふ、服を着てください!」
どうやら直視できないらしい。必死で目をそらそうとする姿になんだか和んでしまった。
ルピアに対しては色々複雑な感情があるのだが、彼女が悪い人ではないことは分かるのだ。こんな状況でなければ、素直に好感が持てるほどには。
トールは手枷に引っかかったままだった服を器用に着込んでしまうと、ルピアを冷ややかに睨みつけた。
「それで?何か用があったんじゃないの?」
話をそらされると、ルピアはハッとしたようにうなずいた。
「そ、そうでした。もうすぐ王都です。おふたりとも、長い間お疲れさまでした」
その言葉に、シュエは内心ほっとした。やっとこの缶詰状態から脱出できるらしい。
列車から降りたときの、その妙な感動をどう表せばいいのだろうか。
「うっわー……」
見渡す限りの、人、人、人。老人から小さな子供まで、ありとあらゆる人々が、これでもかというほど行き交っていた。
行き先を告げる車掌の声。石炭のにおい。人々の談笑。物売りの客引きの声。列車が煙を吐き出す音。
ぼーっとしていたらそのまま流されてしまうそうな雰囲気だ。
「すごい人……」
「ここは交通の要ですから。市街地へ出れば、もう少しのんびりできますよ」
ルピアが微笑んで、先を促した。
彼女に続いて歩き出すと、シュエたちの後ろには兵士たちがついてきた。兵士の姿は否応にも目立つのだが、こればかりは仕方がない。
物々しい兵士たちを避けるように割れた人混みを歩き、構内を出る。
目の前に広がったのは待ちわびていた青空と、圧巻の景色だった。
石壁で造られた建物はどれも高く、見上げるほどだ。きちんと整備された舗道は、馬車や散策する人々が行き交っている。
あちこちにいる物売りの声が適度な活気を生み、心地よい雰囲気を作り出していた。子供たちが戯れながら、目の前を走っていく。
王都には初めて来たが、素直に綺麗な街だと思った。
くい、と袖を引かれ、そちらを見る。トールが身を寄せながら、あたりをきょろきょろする姿に、思わず笑ってしまった。
「そうしてると田舎者だって丸分かりですね」
「……シュエだってしてたくせに」
ぼそりと反論すると、トールは声をひそめた。
「田舎のほうがいいな。うるさいし、なんだか落ち着かない」
「そう?」
「うん」
どうやらトールとは受けた印象が違うらしい。確かにシュエが住んでいる所は、何もない静かな場所だけれど。
「シュエさん。トールさん。こちらです」
名前を呼ばれ、顔をあげる。
手招きをしていたルピアの前には、大きな馬車が一台あった。他の馬車と比べると、頑丈で物々しい雰囲気のもので、シュエは嘆息した。
どうやらまだ缶詰状態は続くらしい。
それから馬車に揺られること、数時間。
長い間同じ姿勢でいたせいで、あちこちに痛みを覚えつつ外に出たシュエは、目の前に現れた建物にあんぐりと口を開けた。
間違いなく、シュエが今まで見てきた建物の中で一番大きなものだった。
乳灰色で統一された石壁づくりの建物を、さらにぐるりと大きな塀が囲っている。塀だけでも見上げなければいけないほど高いのに、その奥にある建物ときたら。
「……これまた、無駄にでっかい……」
こういう所に税金が使われているんですね、うん。などと納得していると、ルピアがゆったりと微笑んだ。
「ここが我が国の王城です。軍の本拠地も兼ねているので、総勢で……そうですね。2万人くらいは生活しているでしょうか」
「に、にまんにん」
なんだそれは。シュエが暮らしていた村の何倍の人数なのか。想像もつかない。
「えっと……他の天使もここに全員いるんですよね?」
「はい。天使の数はずっと少なくて……トールさんを含めると、今は24人ですね」
2万人のうちの24人。それはすごい比率だ。
そういえばヤンも「天使の数自体は少ない」と言ってた気がする。
「では、行きましょうか」と微笑んだままルピアが促した。
門番たちにじろじろ見られつつ、やたら格式ばった正門を抜ける。
すべてが石造りなせいか、建物の中はひんやりと涼しかった。灯り取り用なのか、壁は一定の間をおいて、石が抜いてある。
足音が高く反響する様子を楽しみながら歩いていたら、不意にトールが立ち止まった。
振り返ると、トールは不愉快そうに顔をしかめている。「トール?」
「……なんだか、ここ、嫌な匂いがする」
「嫌な匂い?」
ああ、とルピアが苦笑した。
「確かに最初は気になるかもしれませんね。わたしも長くここを離れていると、戻ってきた時にそう感じますから」
シュエも試しに息を吸い込んでみたが、全く分からなかった。天使とは嗅覚まで違うらしい。
「何の匂いなの?すごく不愉快なんだけど」
「火薬とか獣脂とか……他にも色々、です。だ、大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」
色々、が気になったがルピアの表情からしてあまり突っ込まないほうがいい気がした。
トールはまだ立ち尽くしている。仕方がないなぁ、と息をついて、手を差し出すと、トールはおずおずとそれを握った。両手の鎖が音を立てる。
そのまま前にいたルピアに追いつくと、彼女はふっと目元をゆるめて微笑んだ。
「……仲がいいんですね」
「そ、そうですか?普通じゃない?」
いえ、と首を振ると、ルピアは前を向き「羨ましいです」と、小さくつぶやいた。
その横顔は穏やかなのにどこか寂しげで、その時ようやくシュエはあることに気づいた。
ルピアの『親』は一体どこにいるのだろうか。
広すぎる建物の中をひたすら歩いていたシュエは、ふと気になっていたことを尋ねた。
「……な、なんか、すごく見られてない?」
気のせいではないと思う。
兵士とすれ違う度、ものすごい視線を感じるのだ。ほら、また。
横から感じる視線に辟易しながら尋ねると、ルピアは微笑んだまま答えた。
「それはそうですよ。行方不明だった卵の噂で、軍中もちきりでしたから」
「……まじですか」
「はい」
それは何とも居たたまれない話である。居心地が悪いことこの上ない。
向けられる視線やひそひそ話にうんざりしながら、ひたすら歩いていくと、いつの間にか兵士とはすれ違わなくなってきた。
だだっ広かった廊下も随分細くなり(それでも十分広かったが)代わりにタペストリや絨毯、ランプなどの装飾品が増えてくる。
「このあたりは一般兵は、立ち入り禁止なんですよ」
「へぇ……」
そんなところに入っていいのかと思ったが、天使は一般兵とは違うのかもしれない。
入り組んだ廊下を歩いていた時、不意にルピアが足を止めた。
彼女をうかがうと、その視線は真っ直ぐに前を向いていた。
それを追うと、ちょうど廊下が交差する角の所を、ひとりの青年が通っていく。
「ロ、ローファさん!」
ルピアが声をあげた。
ローファと呼ばれた青年が、足を止めた。ふっとこちらに視線を向けてくる。
背はセイレンと同じくらい高かったが、随分と細身な青年だった。かっちりとした軍装だが、兵士とは違う服だ。
彼はどこか眠たげな目をルピアたちに向けるとーーーーーそのまま、ふいっと目をそらし、すたすたと歩いていってしまう。知り合いじゃなかったのだろうか。
立ち尽くすルピアに、そっと声をかけてみる。
「え、えっと……よかったの?あの人、行っちゃいますよ?」
「……」
ルピアはゆっくりとまばたきをして、それからシュエを見た。
寂しげな顔に、何とか笑顔らしきものが浮かぶ。
「……はい。よく考えれば、用事もないですし」
用事なんてなくても、知り合いだったら呼び止める理由にはなるんじゃないだろうか。
そう思ったが、口には出さないでおいた。ルピアの表情を見たら言えなくなってしまったし、何より他人が口を挟めるような雰囲気ではなかった。
「すみません。とりあえず、お部屋にご案内しますね」
ルピアはそう言って、笑った。




