2章
トールがいたのは、軍事専用だというこの列車の一番後ろの車両だった。
見張りの兵士に声をかけ、扉を閉ざす頑丈な鍵を外す。見るからに重厚な扉を開けた先に、天使の子供はいた。
「トール……!」
その姿を見て、一瞬声を失ったシュエは慌ててトールに駆け寄った。
シュエがいた個室と同じように、寝台がひとつしかない部屋。
トールはその寝台にもたれて床に座り込んでいた。その両手には、重そうな枷がはめられている。トールの手足が華奢なせいか、息を呑むほど物々しく感じた。
入ってきたシュエに気づいたトールは、目を見開いた。名前を呼ばなかったのは、口元も拘束具で塞がれていたからだ。
シュエはトールの側に膝をつくと、後ろにいたルピアを振り返った。
「何ですか、これ。どういうこと?」
「……す、すみません。その、暴れられたので」
「だからって、こんな」
躊躇いがちに手を伸ばして、両手の枷に触れてみる。持ち上げようとしてみたが、かなり重い。
「これ、外してもらえませんか?」
「……それはできません。すみません」
「なんで」
「お二人には、どうしても一緒に来ていただかないといけないんです。……無理なことを言っていると、わたしも思います。でもどうか、お願いします」
つまりこれを外したらシュエたちは逃げると思っているのか。あながち外れではないけれど。
シュエは唇を噛んだ。
「……トールと二人で話をさせてもらえませんか」
「……」
ルピアは少しだけ躊躇ったがすぐに「分かりました」と了承した。彼女はトールの口元を自由にすると、部屋を出てく。
「シュエ、」
二人きりになった途端、トールは堪えきれなかったかのように名前を呼んだ。
その様子はいつもと全く同じで、最後に見た獣のような激しさは微塵もない。そのことにほっとした。あのままだったらどうしようかと思っていたのだ。
トールが身体を動かすと、枷をつなぐ太い鎖が重い音をたてた。向き合ったトールは観察するようにシュエを見つると、首の包帯に気づいて目元を歪めた。
「シュエ、首の怪我は?大丈夫なの?」
「大丈夫。あのルピアって子が、手当てしてくれたみたいで」
ルピアの名前を出すと、トールは忌々しそうに鋭く舌打ちした。
「あいつ、本当になんなの?人を縛り上げて、いきなりこんな所に放り込むなんて」
そう毒づくトールは、今の状況を何も理解していないようだった。もしかして何も聞いてないのだろうか。
尋ねると、トールは「何か説明された気がしたけれど、頭にきてたから覚えてない」と平然と答えた。どうやらルピアの言うとおり、本当に暴れていたらしい。
仕方なくシュエは、ルピアから聞いた話をそのまま説明した。大人しく耳を傾けていたトールの機嫌が、段々と低下していく。
「……なにそれ。ずいぶん勝手じゃない?」
話を聞き終わったトールの開口一番は、こうだった。地を這うような声音である。
このやり方はあまりに一方的で、トールが怒るのも無理はない。かくいうシュエだって同じ気持ちだった。
「シュエ、逃げよう?」
「できるなら、そうしたいんですけどね……」
シュエは息をついて、トールの手枷に視線を移した。
逃げようにもこれを外さなければいけないし、そもそも外したとしてもルピアや兵士がいる。
列車という閉鎖空間の中、追っ手を振りきって逃げられるのかどうかさえ怪しかった。
トールと話し合った結果、とりあえずはこのまま大人しくしておいて、隙を見て逃げ出すのが一番だろう、という結論に落ち着いた。
そうと決まれば話は早い。
ルピアに同行することを伝えると、彼女はこちらが驚くほど喜んでくれた。しかも二人とも不安だからだろうと、同じ個室まで用意してくれる始末だ(残念ながら見張りはついたままだったが)
ヤンの件でも思ったのだが、この子はこれで大丈夫なのだろうか。思わずシュエは心配になったが、彼女に嘘をついている以上さすがにそれは言えなかった。




