1章
シュエが目を覚まして一番最初に見たものは、見慣れない天井だった。
「…………あれ?」
開いた目を、シュエは何度も瞬かせた。
黒く塗りつぶされた天井は、自分の家のものとは色も高さも全く違う。
少し視線を動かすと、天井から吊してある灯りが見えた。温かな光がゆらゆらと揺れている。
「えっと……」
ここはどこだろう。なんでこんなとこに。
そこまで考えてから、ようやくシュエは何があったかを思い出した。慌てて飛び起きた途端、首筋に激痛が走る。
「っ!」
痛い。これはかなり痛い。ヤンの奴、思いきり噛みつきすぎだ。
あまりの痛みに上半身を丸めながら、シュエは息を整えた。それから、恐る恐る首元に手を伸ばしてみる。
さらりとした包帯の手触りで、手当てされていることが分かった。よくよく自分の姿を見てみれば、血塗れだったはずの服も替えられている。
「えーっと……?」
誰が世話してくれたのだろう。トールはどこに行ったのか。そもそもここはどこだ。
室内を見渡すが、自分の家でないことだけは確かだった。
天井も壁も床も何もかもが真っ黒な部屋は、シュエが寝ていた寝台以外なにもなく、小さなドアが端にあるだけだった。窓がないせいか、窮屈に感じてしまう。
それにーー何だろうか。少しだけ揺れているような気がした。耳を澄ますと、震動と共にかすかな物音も聞こえてくる。
しきりに首を捻っていたら、かたん、と音がしてドアが開いた。
「トール?」
無意識の内に名前を呼んだが、ドアを開けたのはトールではなかった。
「……」
「…………」
「………………」
どうやらシュエが起きているとは思わなかったらしく、相手はドアノブをつかんだまま、びっくりしたような顔で立ちすくんだ。
ルピアという天使の女の子だ。
どうしてこの子が。言葉を失ったシュエの様子に、ルピアは唇を引き締めると、おずおずと室内に入ってきた。
「お、おはようございます。起きていらしたんですね」
「はぁ。……えっと、あなたは……」
「ルピアといいます。こ、この間は名乗りもせず、その、申し訳ありませんでした」
「ご、ご丁寧にどうも。えっと、シュエです……」
会釈と共に名前を告げられ、シュエもつられて頭を下げた。それを見て、ルピアは顔をほころばせる。
「あの、怪我の具合はどうですか?痛むようなら薬を持ってきますが」
「え?あ、いや、大丈夫です。……もしかして、手当てをしてくれたのって、ルピアさんですか?」
「は、はい」
頷かれ、シュエは少しだけ驚いた。まさか悪魔をかばっていた自分を、手当てしてくれるとは思わなかったからだ。
戸惑いながらもシュエは礼を言った。
「そ、そうだったんですね。えと、ありがとうございます」
「いえ……。そちらにお邪魔してもよろしいですか?」
「ど、どうぞどうぞ」
シュエが慌てて端に寄ると、ルピアは躊躇いながら寝台の隅っこに腰掛けた。
そのまま二人して黙り込む。
「……」
「……」
「……」
「……」
先ほどから続く震動と音、それから奇妙な緊張感が室内に満ちる。それに耐えきれず、先に口を開いたのはシュエだった。
「……あの、」
「は、は、はい!」
そんなに驚かなくても、と思いつつ、シュエは気になっていたことを尋ねた。
「えっと、ここはどこなんですかね?それからトールは……山にいた白い髪の子なんですけど。あの子のこと知りませんか」
「……」
ルピアは大きな目を更に大きくすると、じっとシュエの顔を見つめた。何か変なことを言っただろうか?
困惑するシュエに、彼女はぎゅっと眉根を寄せる。
「……シュエさん。あの、落ち着いて聞いてもらえますか?」
「はい」
「その……ここは王都へ向かう列車の中、なんです」
「はぁ。………………はい?」
シュエはぽかんと口を開けた間抜け面で、ルピアを見つめ返した。彼女の言葉が頭の中で反響する。
列車の中なんです。王都へ向かう。列車の、中?
「は!?ええ!!?列車!?」
「! は、はい!」
「な、なんで、わたし、そんなのに乗ってんですか!?」
「それは……」
ルピアは困ったように目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「その、順を追って説明しますね。最初に確認なんですが、シュエさんが先ほどおっしゃっていたトールさんは……天使で間違いないでしょうか?」
シュエは一瞬躊躇ったが、誤魔化すこともできなさそうだったので仕方なく肯定した。
ルピアは更に質問してくる。
「あの方の親はシュエさんですか?」
「い、一応」
シュエの返事にルピアは頷いた。最初から答えは分かっていて、本当にただ確認しているだけだと分かる口調だった。
居住まいを正して、ルピアはまっすぐにシュエを見つめた。
「シュエさんにお願いがあります。このままわたしと一緒に、王都へと来てほしいのです」
「……………はい?」
今、なんて言った。
耳を疑いながら聞き返すと、ルピアは真剣な表情で言い募った。
「ご存じかもしれませんが、全ての天使は軍の管理下にあります。わたしももちろんその一員です」
「そ、そうなんですか……じゃなくて!だからってなんで」
「現在、所在が不明になっている卵がひとつだけあります。時期や場所を見ても、それはトールさんに違いありません」
確信を持った口調に、シュエは口をつぐんだ。
天使の繁殖から孵化まで全て軍が管理しているというヤンの話は本当だったらしい。
「見つけた以上、連れて戻らないわけにはいきません。お、お願いします。一緒に来てもらえませんか?」
「ちょ、ちょっと待って」
シュエは手を挙げて、慌てて止めた。理由は分かったが、はいそうですかと納得はできない。
「そんなこと急に言われても。そもそもわたしは軍人じゃないんですよ?ただの猟師で」
「シュエさんが軍人でなくても、天使の親に違いはありません。天使の親であれば、同じく軍属です。そもそも親に選定されるのは軍人ばかりですから」
「いや、でも!そ、それにほら。わたしたちって、悪魔を匿ってたりしてたんですよ?まずくないですか?まずいですよね?」
街にある警邏所にそう申し出れば、何らかのお咎めは避けられないだろうが、強制的に王都に連行されるよりかははるかにマシだ。
必死にそう訴えると「ああ、そのことですか」とルピアが表情を陰らせた。どこか痛ましいものを見るように、シュエを見つめる。
「気を落とさないで聞いてくださいね?あなたは……あの悪魔に騙されていたんです」
「……は、はい?」
「あの悪魔に何を言われたかは知りませんが、あの男はあなたを利用していただけです。あなたは、騙されていたんですよ?」
「い、いやいやいやいや!」
シュエは慌てて手を振った。勢いが良すぎて首が痛んだが、それどころではない。
「騙されてなんかないですよ?むしろこっちが無理難題押しつけたりしたし」
トールに血を提供して欲しい、と半ば脅迫まがいのお願いをしたのは、むしろこちらである。ヤンは協力してくれただけで非はない。
必死に否定するシュエに、ルピアは顔をほころばせた。
「……あなたは優しい人なんですね。悪魔なんかを庇うなんて」
「いや、庇ってないですよ?全部本当のことしか言ってないですよ?聞いてます?」
「聞いていますよ」
「聞いてないですよね!?」
何を言ってもルピアは微笑むだけだ。例えるなら、聞き分けのない子供を優しく見守る母親のような表情をしている。
全く噛み合わない会話に、シュエは頭が痛くなってきた。
何故あの場でヤンがシュエに噛みつき、なおかつルピアを煽るようなことを言ったのかが分かった気がする。どうやら彼なりに機転を利かせたらしい。
唸るシュエの様子をどう捉えたのか、ルピアが慌てて言った。
「とにかく悪魔のことでしたら気になさらなくても大丈夫です。ですから、わたしと一緒に来てもらえないでしょうか?お願いします」
「そ、そんなこと言われても……っていうか、お願いもなにももう列車の中なんですよね?」
「はい」
完全な事後承諾に、シュエはちょっとだけ泣きたくなった。いくら軍だからって、横暴すぎやしないだろうか。
「ちなみに嫌だって言って、列車から降りたらどうなるんですかね?」
「……それは困ります」
神妙な顔つきでルピアはそう答えると、少しだけシュエとの距離を縮めてきた。
ギシリという寝台が軋む音と、彼女の瞳をよぎった獣のような光に、シュエは思わず後ずさる。怖い。
「わ、分かりました!分かりましたから!!」
「よ、よろしいんですか?」
「よろしくないですよ!!」
思わず本音をこぼすと、ルピアは眉を下げて悲しそうな顔をした。捨てられた子供みたいな表情に、シュエはううう、と唸り声をあげる。
「……どうしたら、一緒に来てくださるのですか」
「どうしたらって……えーっと」
どちらにせよ強制的に連れていくつもりだろうに、ルピアはそんなことを聞いてくる。根が律儀なのかもしれない。
シュエは迷った末、トールの名前を口にした。
「あの子と話をさせてもらえませんか」
その要求に、ルピアは表情を消した。まっすぐと見透かすような視線を向けられ、居心地が悪くなる。逃げないかどうかを考えているのだろうか?
やけに長く感じる間の後、ルピアは小さく頷いた。
「……分かりました。ご案内します」




