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京都にての物語

金閣寺~不滅の金閣~

作者: 不動 啓人

 夕暮れ時、西陽を浴びた金閣は照り輝き、その輝きの放射は炎の如き鮮やかさで、赤木満江あかぎみつえは、そこに一つの太陽を見出した。金閣こそは、地上に現出した小さな太陽ではないかと。

 その頂上では金色の鳳凰が虚空に向かい咆哮している。確か鳳凰とは、その身を紅蓮の炎に委ねる事により、破壊の上での再生を無限に繰り返す久遠の象徴ではなかったか。

 金閣が果たして太陽であるならば、鳳凰は金閣の金炎に焼かれ、その度毎に再生を果たす。それこそ無限に。

 満江の連想は、ひとつの結論に帰着する。つまり金閣とは、鳳凰の性質を利用した、不滅を願われた建造物ではあるまいかと。

 しかし、金閣の建造者は金閣の不滅を願ったのであろうか?そうではあるまい。己と、己の一族の不滅の繁栄を願い、呪物としての金閣を意図し、造り上げたに違いない。

 確かに金閣の姿はそれだけで権威や財政力を誇示し、その他多大な影響があったことが推測できるが、その裏に隠された本意は――

 かつて金閣は終戦間もない頃、一人の男によって焼かれた。もしかしたらその男も、金閣に仕組まれたシステムに気付いたのかも知れない。だからこそ、金色の輝きを失っていた金閣に火を放ち、鳳凰を焼いたのだ。だが、本物の炎ではいけないのだ。なぜならば、本物の炎で焼いてしまったら、鳳凰は飛び去ってしまうからだ。そうなっては、金閣は再生できない。

 鳳凰を焼くのは、あくまでも金炎でなくてはならない。金炎で焼かれた鳳凰は再生するが、足を繋がれているが故に飛び去る事ができないのだから。それでこそ、このシステムが機能しえるのだ。

――足利義満あしかがよしみつ。恐ろしい人だと思う。

 だが、その末孫の暮らしは別とし、足利氏としての繁栄は永遠ではなかった。願った者は滅し、その遺物だけが再び金を纏い、久遠の道をゆく。


 満江は、虚しき想いを抱いた。


「満江、きっと俺らの店を持とう。そうしてみんなに、美味しいものを一杯食べて貰うんだ」

 満江がまだ若かりし頃、夫の安夫やすおは満江の肩を抱き、目を輝かせて語ったものだ。満江もその安夫の情熱にほだされ、同じ夢を追った。

 安夫は雇われ料理人として。満江は掃除婦としてコツコツとお金を貯め、ついに夫婦の念願である定食屋の店を構えたのは、昭和44年の秋だった。夫婦がそれぞれ25歳の時だ。

 夫婦はその記念として、開店の日に店先で写真を取った。満足気な安夫と、ただ嬉しさ一杯の満江。そして満江のお腹には第一子が宿っていた。

 店は幸い開店からすぐに軌道に乗った。腕の確かな安夫の料理と、その人柄が固定客を呼んだのだ。満江もその手助けをしてよく働いた。

 子宝には三人恵まれた。先に男の子が二人と、最後に女の子が一人。

 満江の人生は順風満帆だった。安夫は満江に良くしてくれたし、頼りになる夫で不満はなかった。子供達も順調に成長し、それぞれ大学を出て就職し、そしてそれぞれに家庭を築いた。

 満江は、また安夫と二人きりになってしまったが、安夫は相変わらずの人柄で、本当にこの人についてきて良かった、ついてこれて良かったと思える日々を過ごしていた。

 そんな満たされた日々が終焉を迎えたのは、去年の秋。夫であり、人として尊敬するに足る存在であった安夫が、心筋梗塞により調理場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。満江にとっての夢や希望は、安夫があってのそれであったが故に、安夫を失って訪れたのは光を見失った絶望だった。

 絶望の中、満江がようやく見出した希望は、他でもない。安夫と共に描いた夢の結晶とでもいえる定食屋だった。この店には安夫と共に歩んだ夢や希望がぎっしりと詰まっていた。ならば、この定食屋を守ることが生きる光を見失わない糧となるのではないか。満江はまさに縋る思いで、安夫の他界から半年間閉めていた店を再開した。

 再開当初は、馴染みの客が戻ってきてくれた。しかし、それも長くは続かなかった。安夫の料理の腕と、人柄でもっていた店だけに、それを失ってしまった以上、客足が遠ざかるのを食い止める術はなかった。満江も努力はした。安夫の調理姿を思い出し、残したレシピに従い腕を振るうが、どうにもならなかった。

 子供達は料理人を雇うことを提案してきたが、満江には、よその人間をこの店に入れる気はなかった。それならいっそ、いずれかの子供が継いでくれないかとも願ったが、すでにそれぞれの仕事があり、家庭があり、誰も首を縦に振らなかった。

 解決策が見出せないまま、満江は今でも、定休日の日曜以外は毎朝仕込みをし、疎らな客を待つ日々を送っている。

 店内に飾られたあの開店日に撮った写真が、満江には霞んで見えた。

 

 やがて陽の傾き加減によって、金閣は金炎を鎮めた。そこには陰を含む金色と、静かに佇む鳳凰があるばかり。

 満江は金閣を囲む柵の木杭に手を突いて身を屈め、ハンカチを口元に忍び泣いた。

「お母さん、どうしたの?」

「お姉ちゃん?」

 その姿に、同行者である娘の春香と、満江の妹である満代が驚いてその背を摩った。

 今回三人が京都を訪れたのは、春香の発案だった。まるで繋がれてしまっているように店から離れない母の身を案じ、少しでも気晴らしになればと考えたのだが、当初満江は頑として誘いに乗らなかった。上の二人の兄にも頼んで説得をしてもらったのだが、それでも動かない。そこで切り札とばかりに、幼い頃から満江と仲の良い姉妹であった叔母の満代に相談し、ようやく満江を説得してもらったのだ。

 満江が日曜日以外に店を閉めるのはこれが初めてだった。店先には丁寧過ぎる程の侘び文を掲げて。

 今日はまだその一日目。最後に、この金閣を訪れたのだ。

 金閣寺。正式には鹿苑寺という。金閣の名は今更説明を必要としないだろう。足利義満によって花開いた室町期の北山文化の象徴としても名高く、なによりも今や金閣は、日本文化を代表する建造物であるといっても過言ではないだろう。故に外国からの観光客も多い。多国語が飛び交う光景は、文化が生み出す一種の無国籍地だ。

 三人は多くの観光客に混じって金閣を眺め、その美しさに感嘆していたのだが、ただ満江だけはその美しさの中に別種の金閣を見出し、涙を流した。

「ごめんなさい」

 満江はようやくそれだけを声に出し、再び口元をハンカチで覆った。

 二人は理由もわからぬまま、それでも今は満江の感情のままに委ねようと、その背を静かにさすり続けた。

 満江は、金閣の美しさが虚しかった。願主を失い形骸化した無意味な輝きが。

 そして悲しかった。主人を失い、形ばかりが残った己の店が。

 その規模や歴史を比するは愚かなれども、その本意を失い虚ろとなった建造物としては、金閣も店も、また同じ運命のように思えた。

 店の本意は、安夫の本意は、店そのものではなく、美味しい料理を提供する事。満江は店を継続する事が、すなわち安夫の願いを継ぐ事になると信じ、この半年間を過ごしてきたが、どうやら違ったようだと思い至り力が抜けた。

――やっぱり、あの人は逝ってしまったのだ。

 今更ながらに安夫を慕う想いが込み上げて、どうにもならぬ現状に嗚咽を漏らし、涙が溢れた。

 ひとしきり泣いて、ようやく気持ちが落ち着いた時、満江は決意していた。

――もう、店は閉めよう。

 安夫との夢は終わったのだ。けれども、その思い出は決して虚しいものではない。二人で過ごしてきた時間こそが、二人の夢の本質であるのだから。ならばこれからは、その思い出を胸に生きよう。店というひとつの形は終わってしまったけれども、本質さえ失わなければ、その続きを歩むことにもなるだろう。

 辺りは既に薄暗くなり、残っているのは満江達だけとなった。

 満江は二人に謝り、早歩きでその場を立ち去った。

 龍門滝りゅうもんたきを過ぎた所で振り返った金閣は、迫る日没の闇に溶け込んで眠りに付いた。


 帰宅後、満江は一度も開けぬままに閉店の侘び文を店先に掲げた。

 なんだが、肩の重荷が取れたように思われ、訪ねてきた孫の顔を久し振りに愛しく見詰めてやる事ができたように思う。

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