嘘と日暮れとシャボン玉
僕の隣にはいつも嘘つきがいる。
そう、それは狼少年のような悪質な嘘つき。きっと、本当に狼が来るというような事件が起きていて叫んだとしても誰も来ない。そんなかわいそうな少女が僕の隣にいるのだ。
「ねえ、聞いて。さっきね」
いつもこの言葉から、彼女は嘘をつく。今日はどうやら池で河童を見たらしい。昨日は、天狗を見たと言っていたかな。前まではよく幽霊を見たと言っていたけど、最近は妖怪を見るらしい。
「そう言えば河童ってね、全員がきゅうり好きなわけじゃないんだって」
「そうなんだ。じゃあ、神社のお稲荷様も本当は揚げが好きなわけじゃないのかもね」
「うんん。お稲荷様は全員お揚げが好物よ」
「そうなんだ」
僕は、微笑みながら談笑を楽しむ。彼女も楽しそうに話をしている。だから、僕たちの関係はいたって円滑で何の支障も無い。
「あ、見て。ほら、あの池だよ河童が泳いでる」
彼女の指差した池には、コケの生えた木が漂っていた。見ようによっては河童の皿に見えなくも無い。
「そうなんだ。僕には見えないな」
「そう」
彼女は、僕が見えないというたびに少し残念そうに笑う。
□
私の隣には嘘つきがいる。
それはもうピノキオみたいな子供じみた嘘つき。きっと女神様が尋ねても「何言ってるんですか、女神なんているわけない」なんて罰当たりなこと言って、鼻を伸ばされてしまう。そんなかわいそうな少年が隣にいる。
「ねえ、聞いて。さっきね」
こうやっていつも一所懸命に話をするのだけど、彼はただ微笑むか軽く話をあわせるだけ。そして、私が彼らがちゃんといることを言い続けると困った顔で言うのだ。
「君は特別なんだよ」
特別なのはあなたの癖に。
どこの町にも幽霊があふれていて、田舎の山とか海とかには妖怪が沢山住んでいる。今日も、先日なくなってしまった田中さんとこのおばあちゃんが死んだことにも気づかずに、のんびり居間でお茶を飲んでいる。雑鬼たちが誰もつかられなくなった家から外の様子を眺めている。
「見えてるくせに」
「え、何か言った」
小さくつぶやいた言葉に彼は聞こえないフリをするので、私は「なんでもない」と、笑って誤魔化す。だって、そのこと以外では彼といるのは楽しくて何の支障も無い。
だから、今はまだそれでいいんだ。今は、
―――私が幽霊だと気がつかなくてもいいの。
□
彼といられるのはいつも日暮れまで。彼に送られて家に帰る。帰った私は、暗いところで電気もつけずに丸まって過ごす。カーテンは閉めない。外の世界とどうかするように、そこに私がいないように振舞う。彼と過ごす時間が嘘のように、そこには私はいない。次の日の昼からまた日暮れまで会う。
「また明日」
私が手を振ると彼も「また明日」と手を振り返してくれる。ずっとこんな夏休みが続けばいいと思っていた。だけど、ずっとなんてありえないことを知っていた。
朝起きると、体が軽くて空へ引きずりこまれそうだった。足は霧のように形を成さない。彼に会えない。呼び鈴が鳴る。彼が来たんだ。いつの間にかそんな時間だったんだ。窓から、気づかれないように家からはなれて行く彼を見た。もう、このまま会えないで終わってしまうの? そんなのやだ。せめてもう一度だけ。今日の日暮れまででいいから連れて行かないで。思いが通じたのか分からないけれど、私の体は地に留まることが出来た。早く会いに行こう。一体どこ? 川に掛かった小さな橋のうえで彼を見つけた。嬉しい。でも、どこか考え込んで暗い表情をしている。嫌な予感が全身に走る。
「暗い顔してどうしたの」
しばらく返事が無いので「どうしたのって聞いてるじゃん」明るく肩に手を乗せてみる。彼の目つきが変わる。いままで見せたことのない恐怖の顔。
「なんでもないよ」
引きつった笑顔。そうか、もう一緒にいられないんだね。
「なんだか体調悪そうだね。今日は遊ぶのやめとこうか」
なんとも無いようにいつも通りに言えただろうか。「そうだね」返事はするけれど彼とは目を合わせることが出来ない。「じゃあね。バイバイ」逃げるように帰る背中に「バイバイ」と手を振った。「また明日」じゃないんだね。
バイバイ。
□
彼女といる時間はいつも日暮れ時までだ。今日も日暮れが近づいたのでレンガ造りの彼女の家まで送って帰る。
「また明日」
手を振る彼女に僕も「また明日」と手を振った。彼女と別れたあとは、いつも家に帰って自室に閉じこもり本を読み漁る。机に椅子の隣やベッドの脇には本の山が築かれ雪崩を起こす寸前。しかし、片付ける気は起きない。今日も物置から掘り出してきた一冊を手に取り、読む。物語は、一緒に育った男女が女の進学で離れ離れになることにより恋が生まれていくというありがちな恋愛モノだった。いつもなら恋愛物なんて読まないけど、【日が沈み行くとき】というタイトルからはそれだと気づかなかった。読み進めていくとラストで幼い頃二人が遊んでいた公園で夕暮れを背にして女が「もうお別れだね」悲しそうに微笑む。
こんな光景を僕は見たことが無かっただろうか。
知っている気がする。この本を昔にも読んでいたかな。
疑問は残るが思い出せなかったので、考えるのはやめた。その本をその本を読み終えて時計を見てみると1時をさしていた。もう寝なきゃ。
次の日も昼飯を食べ終わったあと彼女を迎えにいった。家の呼び鈴を鳴らすけれど返事はない。出かけたのだろうか。その辺を歩いていれば、見つかるかもしれない。そんな安易な考えで、僕はいつも二人で歩くところに行ってみた。山の上の神主がいない神社。錆びた遊具ばかりの公園。昨日の本の女を思い出す。しかし、この場所じゃないと思う。違う場所だった。公園じゃない。そうだ、神社だった。小学二年生くらいのとき、長い髪に青白い肌をしたお姉さんが夕日を背にして「もうお別れだね」と悲しそうに微笑んだ。顔は思い出せない。
「暗い顔してどうしたの」
急に彼女の顔が現れる。すると、一瞬にしてその時の記憶が断片的に頭を通り過ぎた。お姉さんの顔はとても綺麗で、彼女の顔に良く似ていた。
なぜだ。
思えば、彼女とは当たり障りの無い話をしながら歩し、疲れればどこかに腰掛けてまたどうでもいい話をするだけだった。夏休みだけ会う関係。彼女と夏休みに遊ぶのは一体何年前からだったか。彼女は夏休みが終わったらどこに帰るんだっけ。親戚がいるから祖母か祖父がいるから誰がいるからここに来るんだ。誕生日は。歳は。名前すら、僕は知らない。一体、君は誰?なぜ、こんなにも昔見たお姉さんに似ているのだろう。
「どうしたのって聞いてるじゃん」
彼女の元気な声と一緒に肩に乗せられた手が気味の悪いものに見えた。「なんでもないよ」振り返って言った顔は果たして笑えていただろうか。
「何だか体調悪そうだね。今日は遊ぶのやめとこうか」
「そうだね」
正直助かったと思った。体調が悪いだけだと思ってくれた。そして、今日はもう会わなくてすむ。「じゃあね。バイバイ」手を振ってすぐに踵を返した。後ろから「バイバイ」と言う声が聞こえてきた。
その日から彼女と会うことはない。後三日で夏休みは終わる。
□
彼女と会わなくなってからいろいろなことを思い出した。小さい頃、僕は今よりもいろんなものが見えた。それらの名前は知らなかった。しかし、それらが人間ではないことは知っていた。
いつだったか、彼女が言った。
「シャボン玉の歌って、子供が死んじゃった儚さを歌ったんだって」
「ふーん」
特に興味が無かった。童謡に興味のある年齢なんて過ぎている。
「そういうのってさ、なんかジーンと来るよね」
「そういうものかな」
「そういうものだよ」
彼女が悲しそうな顔で言うから、次の日はシャボン玉を買って彼女にあげた。すると彼女は凄く笑顔になった。「ありがとう、早くやろう」と液を吹いて丸い形を作る。何がそんなに面白いのか、声を出して笑ったり、くるりとその場で回ってみたりした。今までに見たこと無いほどの陽気さだった。
「そんなに面白いかな」
「面白いよ」
笑う彼女。だけど、それはどこか刹那的に見えた。「ねえ、もし私が死んじゃったりしたらさ、君は悲しむかな」そのときは「どうだろう」なんて答えたけれど、心のそこから悲しくなるだろうと思っていたよ。
今日、夏休みが終わった。
僕は静かに枕を濡らし、翌朝酷い顔で学校に行く羽目になった。
来年、彼女に文句を言ってやろう。