後編
前回のあらすじ
H県での調査を終え、事務所に戻った泉達は、来週に控えたN局の内部調査から除名されていた。彼らはなんとか内部調査に参加するため、同時期に知り合った新聞記者の青木を頼り、世論を誘導することに成功する。なんとか内部調査への参加権を手に入れ、N局に立ち入る泉達であった。
磯崎を何とか説得したのち、私たちは社長室の角にあったソファに移動した。磯崎を奥に座らせ、周りを私たちで囲む。もう逃げだすようなことはないだろうが、念には念をということだ。
「で、何から話せばいい?」
磯崎はすっかり観念したようで、思っていたよりも協力的だ。質問を受けた泉は谷岡に目配せをしている。……ここからは谷岡の仕事だ。
「……イープラスとN局はいつから関係を結んでいた?」
「一年半前だと思う。……社長が、田宮がいつの間にか提携を結んでいたんだ。役員たちへの相談なしで、それも聞いたこともない会社と」
イープラスとの提携はN局の社長、田宮の独断によるものだったのか。彼はただ巻き込まれただけということか。……災難なことだ。
「そことはどんな取引を?」
「……ロケに使ってる土地を売ったんだ。それも、地価の何倍以上の金額でな」
「その土地というのはやはり……」
「ああ。高木がレギュラーやってたあの番組のロケ地だよ。……こんなこと、出演者に話せるわけがない。最初は、『視聴率の低下』を理由に番組を打ち切ろうとしていたんだ。だが、打ち切らなければいけないほど視聴率が低迷しているわけじゃない。危ないのはどちらかというと環境推進部の方だからな」
「……そうなのか。あの部は」
「ああ。一年半前にできた部署だが、これといった成果は全くなし。視聴率だって片手で足りる程度の数字しか出ない。……今はこいつら関係ないか。兎に角、高木達を騙すことはできなかった。だから仕方なく、コンプラ違反の疑惑をでっちあげるしかなかった」
そこまで話して、磯崎は項垂れた。彼は高木の一件が世に出た際、会見の場に立っていた人物でもある。少なからず罪悪感を感じているのだろうか。ここまでの内容をメモ帳に記した谷岡は、念を押すように磯崎に問いかける。
「そのでっち上げは、誰からの指示だ?」
「……田宮、社長からだ」
この証言がどれほど信用されるかはまだわからないが、高木の一件については解決を見たということでいいのだろう。「田宮の指示で、高木に疑惑があることをでっちあげた」。これが、事件の真相だったのだ。……蓋を開ければなんてことはない、私欲のために他人を切り捨てただけだ。それ相応の報いが与えられるだろう。しかし、泉はまるで「本題はこれからだ」とでも言うように磯崎を見つめ、口を開く。
「ここからは、少し聞きたいことが変わる。……この男に見覚えは?」
泉はそう言って飯島の写真を差し出す。磯崎は一目見た途端「あっ」と声をあげた。
「飯島の野郎!……どこで、この写真を?」
「イープラス本社前で隠し撮りした。……こいつは、ここに何回か来ていたのか?」
「いや、ここに来るのは滅多になかった。提携が決まった後に一回、その後にもう一回、そして最後に高木の時の一回。一年半の間で三回ぐらいしか来てないんだ。しかも、何のために来たのかはさっぱりわからねえしな」
「わからないのか。……そこが一番の問題なんだがな」
「……そのことなんだが。田宮は飯島と業務提携するようになってから、頻繁に会社を開けるようになったんだ。訳を聞いても話さない。しかも、丸一日開けることも多くてな。もしかするとどこかに遠出しているのかも知れないんだが、はたして……」
私はここで、あることを思い出していた。飯島を追いかけてM県まで行った時のことを。
「先生、もしかしてM県の……」
「……なるほど。そこで会っていると考えるべきだな」
「何の話だ?勝手に納得しないでくれよ」
まるで置いて行かれてしまったような反応を見せる谷岡。磯崎も疑問符を頭の上に浮かべているような表情だ。泉をちらとみると、彼は一度だけ頷いた。……話していい、ということだろう。
「私たちは独自の調査の結果、飯島が高木の件に一枚噛んでいる可能性があるという所まで調べていました。そこで、何とか手がかりを得られないかと飯島を尾行したんです。……その結果、飯島はM県にある、『小料理屋・山波』という店に入っていくところまで尾行できました。その店は超高級店として有名なのだとか」
「……山波……。聞いたことはある、田宮が電話口でその名前を口にしていることが何度かあった。あれは、会う約束を取り付けていたということか。……いや、それにしては……」
心当たりはあるようだが、それと同時に何か引っかかることもあるようだ。私はすかさず「何か気になることでも?」と引っ掛かった何かを口にするよう促す。
「飯島は確か四十歳だったな。それに比べ、田宮は六十二歳。……だというのに、田宮はなぜか敬語だった。二十歳も下の人間に敬語を使うのか、と思ってな」
「……お前が知っている限りの、飯島と田宮の関係性は?」
「一回、二人が話しているのを聞いただけだが、随分と仲がよさそうだった。片や父のように、片や息子のように。それでいて、飯島からは先輩の社長としての尊敬の念を感じられた。だからこそ余計に、田宮が敬語を使っているのがおかしいと思ってな」
「すると……。その時田宮が話していた相手は飯島ではなかったのかも知れないな。……問題は、その相手だが」
一つ謎を解きほぐしたと思えば、また新たな謎が現れる。……しかし、それでも立ち止まるわけにはいかない。何か手がかりはないのか。……一つ、あることを思い出した。
「すいません、話は変わるんですが……。環境推進部は危ない状態であるらしいと……」
「ああ、そのことか。確か……部長は岩井だったな。あそこはひどくてな、特別番組の編纂を任せているんだが、これがどうにも数字が振るわん。そのくせ随分と予算が回されていてな。こっちとしても訳が分からん」
「その部に予算を回すと決めたのは?」
「田宮だ。……SDGsとか何とか言っていたが、素直にそんなこと信じられると思うか?」
「……ひとまず、環境推進部に行ってみるしかないな。岩井から何か聞きだせるかもしれない」
私たちは一斉に腰をあげる。どうやら磯崎も協力してくれるのか、共に行動することになった。彼のおかげですでに高木の一件が虚偽であるということは明らかとなった。もはやN局側に与する理由もないのだろう。エレベーターで一階まで降り、少し前の記憶を頼りに廊下を進む。その記憶は正しく、すぐに環境推進部にたどり着くことが出来た。部屋のドアをノックすると、すぐに「はーい」という女性の声が聞こえてくる。
「どちら様でしょうか?」
「内部調査に来た者だ。この部屋も調べさせてほしい」
谷岡がそう口にする。しかし、内部調査の話は局内にも伝わっているはずなのに、彼女は怪訝な表情をこちらに向ける。
「……え?ここも調べるのですか?そんな話は聞いていないのですが……。それに、今は部長の岩井は席を外しておりまして……」
「構いません。私が許可を出します」
磯崎が女性に向かって言う。重役である彼の言葉で一応納得したのか、彼女は怪訝な顔をしながらも「どうぞ」と中に入れてくれた。以前見学に来たときはあまり中を見る時間がなかったが、随分と整った内装だ。田宮が予算を回しているだけある。その割には、かなり人員が少ないが。対応してくれた女性を含めて、三人程度しかいない。……磯崎が社員の相手をしている間に、私たちは怪しいものがないか環境推進部内を調べ始めた。
「……しかし、なぜ田宮社長はこの部にそこまで入れ込んで……」
重役が疑問を覚える程度には不明瞭な予算の使い方だ。だが、その割に人員は少なすぎる。その不明瞭な金の動きを調べてみてもいいだろう。
「……先生!谷岡さん!これは……」
部屋の奥に置かれていたスチール製の棚にしまわれていた帳簿を調べていると、やはり意味不明な金の流れが記されていた。予算が降りてくるたび、八割に近い額が一日もしないうちに出金されている。その上、その出金は「雑費」としてカテゴライズされていた。そのためか詳しい使い道は全くわからない。……予算の内八割が雑費などあり得るだろうか。
「普段、この帳簿を管理している者は?」
「……岩井さんです。私たちは触ったこともありません」
泉からの質問に岩井の部下たちがおびえたように答える。部屋に漂い始めた雰囲気で、よくないことが起きていると理解したのだろう。実際、彼の目はいつもよりも鋭くなっており、恐怖を覚えるのも無理はなかった。
「あの男、かなり羽振りがよさそうに見えたが、まさか横領しているのか?」
あの日会った岩井はオーダーメイドのスーツを身に着けていた。あれは生半可な値段ではないだろう。時間を確認するために見ていた腕時計も、かなりのブランドものだ。つぶれかけの部署には決して似つかない着飾り方ではあったが、大半の額を横領していると考えればそれほど不思議なことでもない。ただ、まだ例の疑問は残っている。
「しかし、なぜ田宮はこの部署にこれだけの予算を?この部署が出来てからずっと大金をつぎ込んでるし、その額は日を追うごとに膨れ上がってる。……さすがにおかしいと思わないか?」
「岩井が田宮の弱みを握っていると考えればどうだ?それならば大金を支払い続ける田宮にも説明がつく」
「その弱みは……『高木を貶めようとしたこと』ということか。岩井は何かしらの原因でそれを知り、田宮に取引を持ちかけた……」
泉と谷岡の推理は筋が通っているように思える。磯崎も「そう言うことなのか……」とどこか納得しているような物言いだ。しかし、まだこの問題は終わっていないのではないか。
「しかし、田宮が電話口で敬語だったという相手は、まだ謎のままです」
「相手が岩井ならそれほど謎でもないんじゃないか?相手の機嫌を取るために敬語を使うことだってあるだろう」
谷岡の推理に対して、磯崎が待ったをかける。
「そんな危ない様子じゃなかったぞ。へりくだっているのは確かだが、おびえた様子はなかった。ただ、相手が目上の人間のようだったが……」
やはり、まだ謎は残っている。田宮の電話の相手、飯島でもなければ岩井でもない誰か。その誰かこそが、この事件の中心人物であるはずだ。……その時、磯崎が思い出したかのように「今何時だ?」と聞いてきた。私はすぐさまスマホの画面をつけ、「十二時です」と答える。
「内部調査は十二時まで。そう決められていたんだ。すぐにエントランスに戻らなければ。お前たちも早くしろ」
日弁連からの調査員を見送る仕事でもあるのだろう。矢庭に急ぎだす磯崎の言葉に従い、急いで部屋を出る。磯崎は私たちが全員出たことを確認すると、部屋に残った社員に「今日のことは誰にも話すな」と釘を刺した。エントランスには予想通り、日弁連からの調査員がずらりと並んでいる。彼らは遅刻してきた磯崎を睨みつけていたが、「彼らがどうしてもと聞かず……。ご理解いただきたい」と私たちを示す。遅刻の責任を擦り付けられたのは癪だが、彼がいなければ得られなかった情報は山ほどある。これぐらいは甘んじて受け止めよう。
「では、我々は帰ります。上には予定通りに報告しておきますから」
「はい、ご協力ありがとうございました」
磯崎が頭を下げると調査員たちは足早に帰っていく。彼らにとっても今日の調査は何の意味も持たない形式的なものだったのだ。ただ、「仕事をした」とアピールするための。……磯崎が彼らを見送り終えると、こちらに向かってくる。
「お前たちはどうする。もう帰るか?」
「……飯を食べてから帰る」
「そうか。……俺はこれから田宮に調査が終わったと報告してくる。お前たちのことは話さない。だから、頼むぞ」
「わかった、いいだろう」
磯崎は「じゃ」と言って手を少しだけ挙げるとエレベーターに乗っていった。……彼が協力的だったのは、やはり自分の地位のためだったのか。……いや、協力してくれるのなら、この際彼がどんな動機を抱いていようが関係ない。
「……じゃ、俺たちは昼ご飯食べに行こうぜ」
前に一度利用した社員食堂へと足を踏み入れる。昼時のため混んでいるかと思ったが、席にはまだ空きがある。三人そろってラーメンを注文し、できるだけ奥の方の席に腰を下ろした。麺をすすりながらの会議が始まる。
「ひとまず、高木の件に関しては解決したと言っていいな」
「ああ。まさか磯崎が話してくれるとは思っていなかったが……。ただ、まだ問題は残っている」
田宮が電話で話していた相手、田宮よりも立場が上の人物だという予想は立てられているが、それ以外には何もわかっていない。手掛かりがあるとすれば……。
「小料理屋・山波……。田宮と飯島がそこで会っていたのだとすると、そのどちらかに山波を紹介した誰かがいるはずです。その誰かこそが……」
「なら、山波を調べるしかないが……。俺たちじゃ、あんな店に入れないぞ」
山波は超がつくほどの高級店。誰でも知っているほどの著名人からの紹介がなければ、敷居をまたぐことは叶わないだろう。しかし、今ここで連絡をしてみたところで、万が一にも入れてもらえるなどということはない。こんなところで手詰まりなのか。……ラーメンスープに浮かぶ油の泡を眺めていると、泉がため息をついた。
「仕方ねえ。この手はあまり使いたくなかったが……。少し静かにしててくれ」
彼はそう言うとスマホを取り出す。……どこかに電話をかけているようだ。呼び出し音が少しだけ聞こえ、すぐにつながった。
「もしもし、元山さん。お久しぶりです、泉です」
電話の相手は元山というらしい。聞いたことのない名前だが、一体誰なのだろうか。泉と昔から交友関係を持つ谷岡なら何か知っているだろうか。彼に小声で尋ねてみた。
「谷岡さん、元山ってどなたですか?」
「……ああ、そう言えば君が日弁連に入ったのはつい最近のことなんだっけな。……元山信三。日弁連の前会長だよ」
思わず「え!」と声を出しそうになり、慌てて自分の口をふさぐ。谷岡はそのまま小声で続ける。
「驚くのも無理はないが、そこまで突拍子がないってわけでもない。ただ、大学の先輩ってだけさ。だから、俺も元山さんの電話番号は知ってる」
彼はそう言ってスマホの画面を見せてくれる。確かにその名があった。しかし、まさか泉がそんな大物と知り合いだったとは、夢にも思わなかった。……電話先の元山は、泉が久しぶりに電話をかけてきたためか、世間話が止まらないようだった。雑談を嫌う泉にしては珍しく付き合っている。さすがに先輩相手に本題に入るよう急かすことはできないのだろう。
『……それで?なんで電話を?今日は別に特別な日じゃないだろう?』
「元山さんに協力してほしいことがあるんです」
『……日弁連の会長の座からは退いたぞ。今さらできることなど……』
「小料理屋・山波という店をご存知ですか?」
『……ただ美味い飯を食いたいってわけじゃないんだよな。訳を話してくれ』
泉の先輩だけあるというべきか、元山はずいぶんと話が早い。泉が事件の概要を説明している間に、私は谷岡に元山についてのさらなる情報を求める。
「元山さんは、どうして会長を辞めたんですか?」
「……日弁連の拝金主義に嫌気がさしたんだと。で、同じく拝金主義を嫌っていた泉を気に入ってな、次期会長の椅子まで用意しようとした。金で動くかどうか決める日弁連をどうにかしてほしかったんだろうな。自分はもう年寄りでどうにもできないから。……でも、当時の泉はまだ若造。三十も行ってなかった。だから他のお偉いさんがひどく反発してな、泉に向かってこう言ったんだ。『金は出すから会長の座を譲れ』って。……それ以降、泉は日弁連の集まりに顔を出すことはなくなった。見限ったんだ」
「そうだったんですか……。知らなかったです」
「こんなこと誰にも話せないだろうしな。……俺が話したってことは、秘密にしててくれよ」
「……わかりました」
泉が古巣である日弁連に抱いていた恨みのようなもの。その一端を知ってしまった。……彼はお金が嫌いになってしまったのだろう。だからこそ、依頼人との報酬の話を全て私に任せるのだ。……整理が追い付かない。頭の中が混乱している。だが時は待ってくれない。泉が元山に事件の概要を説明し終えたのだ。
「……だから、山波に行きたいんです」
『事情はわかった。で、いつ予約をとればいい?』
「明日の午後六時あたりでお願いします」
『あいわかった。……明日、山波で会うとしよう』
元山のその言葉で電話が切れた。泉は少しだけ疲れたような顔を見せたが、すぐに気を取り直す。
「明日の午後六時。羽田君、いいな?」
「わかりました」
「おい、ちょっと待て。俺は?」
泉は私と二人で行くつもりなのだろうか、それを感じ取った谷岡は口をはさむ。
「俺も一緒に行くぞ」
「高木の一件はもう片付いただろう。『田宮による虚言』だと。……これ以上は事件に関係ない」
「関係ある。……なんで田宮が虚言を口にすることになったのか。そこまで明らかにしなければ、真に事件が解決したとは言えない」
泉が一度説得を試みるが、谷岡の意思は固い。……泉は小さくため息をついた。
「……わかった」
泉は谷岡の頼みを了承すると、席を立った。……ラーメンはとっくに食べ終わっており、飲み残したスープは冷え切っていた。
翌日、午後三時、事務所前。泉が用意した車の中で谷岡を待っていると、彼のほかにもう一人、こちらに近づいてくる者がいる。
「……高木?谷岡、何のつもりだ……」
車のハンドルを指で叩きながら、泉は声をあげる。……まさか谷岡が渦中の人物である高木を連れてくるとは予想していなかった。彼は一体何のつもりで私たちに同行するというのだろう。
「悪い、待たせたな」
「それはどうでもいい。……なんで高木を連れて来た?」
谷岡は少し遅れて来たことについて謝罪するが、泉はそんなことよりも高木がこの場にいることの方が重要のようだ。名を呼ばれた高木は少しばかり委縮していたようだが、自分の口で理由を語りだした。
「昨日、谷岡さんから事の顛末を聞きました。そして、今日もまた調査が行われるということを。……自分の目で、耳で、事件の真相を知りたいんです。なぜ僕が陥れられることになったのか。僕にはそれを知る権利があるはずです」
「……自分が渦中の人物であることを忘れるな。あまりでしゃばるなよ」
高木の説得に泉が折れ、彼を連れて行くことになった。二人は後部座席に腰を下ろす。そしてシートベルトが着用されたことを確認すると、車はゆっくりと前進し始めた。街中を走っている間は静かだったが、高速道路に入ると泉が口を開く。
「高木、あまり期待するなよ。山波の店員に話を聞いてみるだけだ、奴らと顔を合わせる訳じゃない」
「……わかっています」
そう言う彼の顔は発言とは異なり、どこか不安げに見えた。顔を合わせることがなくとも、彼らの悪意には触れることになるかもしれない。それを恐れているのだろう。谷岡はすぐに話を変える。
「元山さんはどこで待ってるって?」
「店の前らしい。……まさかこんなことであの人を頼らなきゃいけなくなるとはな。借りが出来てしまった」
ハンドルを握る泉は苦笑いを浮かべながらそう口にした。過去にも似たようなことがあったのだろうか、谷岡は「まあ、連絡取ったのはお前だからな。頑張れよ」とまさに他人事だ。そこからは先ほどまで車中に漂っていた雰囲気をかき消すように雑談に花が咲く。そしてあっという間にM県までたどり着いた。泉はあの時の記憶をたどりながら車を運転し、迷うことなく山波に着くことができた。店の駐車場には黒い車が一台だけ止まっている。泉と谷岡の二人はその車に見覚えがあるようだった。
「……どうやら待たせてしまっているみたいだな」
泉はそう言って一人で足早に店の引き戸を開ける。戸の先には女性がいた。
「いらっしゃいませ。……ここは……」
「いや、待ってくれ。私の連れなんだ。身元は保証する」
戸の先にいた女性は山波の従業員だったようだ。彼女は泉を一目見るなり、怪訝な表情を隠そうともしない。……いくら「一見さんお断り」と銘打っていたとしても、客に向かってそんな表情を向けてもいいものだろうか。彼女はすぐに私たちに帰るように言おうとしたが、一人の老人がそれを引き留めた。彼女は「失礼しました」と言って引き下がる。……彼が元山なのか。
「お久しぶりです、元山さん。今日はありがとうございます」
泉と谷岡は同時に頭を下げ、元山は「そんなにかしこまるな」と笑った。真っ白になった髪に、苦労を思わせる皺。背筋はしゃんと伸び、矍鑠としている。年齢は八十を超えていると聞いたが、とてもそうは見えなかった。……彼は私を見つめる。
「君は……泉君の部下、と言ったところかな?」
「は、はい。羽田と言います。よろしくお願いします」
「うん、よろしく。……泉君の部下とは、運がいい。他の弁護士連中はほぼ烏合の衆と変わらない。泉君か、あるいは谷岡君か。『正しい弁護士』になりたいのならば、二人に師事するしかないからな」
「は、はあ……」
私が弁護士になったころにはすでに彼は前会長だったため、彼が退いてからどれほど経っているかはわからない。だというのに、彼はまだ日弁連に対して並々ならぬ考えを持っているのか。……いや、だからこそ協力してくれているのだろう。この事件の首謀者をかばうため、日弁連は法の番人たる誇りをかなぐり捨てている。それを白日の下にさらすことができれば、彼が憂いている法の腐敗も収まると考えているに違いない。
「そしてあなたが……高木さん、ですね」
「は、はい。高木光一と言います」
高木は頭を下げた。元山は「頭をあげてください」と下手に出ている。高木がその言葉を受けておそるおそる顔をあげると、その代わりと言わんばかりに元山が頭を下げた。
「ここまで事態が複雑になったのには、日弁連のふがいなさが一因です。本当に、申し訳ない」
「いえ、あなたのような人が謝ることでは……」
「いいえ、私はあいつらを諦めた。もう改心することはないだろうと、私自身も腐ってしまった。……それが、今回の事件を招いた」
「……違います。この事件には、首謀者がいるはずです。N局とイープラス、その二つの会社と同時に取引を行い、邪魔となった私を排除しようとした首謀者が。その人物が、今回の事件を招いたんです」
元山を慰めるためか、それともただ真実を口にしただけか。高木の力強い物言いに、元山は励まされているようだった。すぼめられていた肩が戻る。
「……とりあえず、中に入ろう。いつまでも入り口でおしゃべりしているわけにはいかん」
店員の案内で、私たちは一番奥にある個室へと向かった。ただ壁で仕切られているだけではなく扉もついており、防音設備も整えているという。秘密の会合をするのなら、うってつけの場所だと言える。
「……元山さん、俺は別に食事をしに来たわけじゃ……」
元山からメニュー表を手渡された泉は苦言を呈する。しかし、すぐに元山がそれをたしなめる。
「せっかくこんなところまで来たんだ、滅多にない機会だし食っていけ。……それに、わざわざ予約を取った挙句、話だけ聞いてさよならとは、相手に失礼ではないかね。……谷岡君も、そう思うだろう?」
谷岡はすぐさま「そうですね」と頷く。……上下関係は痛いほどはっきりしている。泉は観念しメニュー表を広げた。……それから数分後、皆それぞれ注文を決め、店員にそれを伝える。あとは料理が届くのを待つだけとなった。
「……泉君。君はこの事件をどう見ている」
手持ち無沙汰になったころ、元山がいきなりそう言いだした。眉一つ動かさない泉の表情には困惑が見えている。
「どう、と言いますと……」
「言葉の通りだ。高木さんを巻き込んだこの事件の姿。……影ぐらいは捉えているだろう?」
「……一見すると、『N局とイープラスの取引に高木が巻き込まれただけ』ですが、それは少し違うはずです。まずは、その二社の関係性。……羽田君は覚えているだろう?H県まで足を運んだ時のことを」
「はい、覚えていますが……」
「なら、上村も覚えているな。N局のディレクターか、あるいはADか」
初対面の相手にも態度が悪いヤンキー崩れのことだ。確かに覚えてはいるが、彼が何だというのだろうか。頷く私に、彼はさらに質問を重ねる。
「奴はあの地で何をしていた?」
「確か、高木さんが出演する番組の撮影がどうとか……」
「それは建前だ。……奴は番人だった」
「……そう言えば、イープラスの工事現場に近づこうとしただけで声をかけてきましたね。……確かその日、谷岡さんはN局から注意を受けていたはずでは……」
「ああ、そんなこともあったな。……で、これが何だって言うんだ?」
回りくどい泉の物言いに谷岡と高木は困惑しているようだが、私はすでに彼の言いたいことを理解した。
「……『イープラスとN局では、前者の方が立場が上である』……。そう言いたいんですね、泉先生」
「ああ。……N局が依頼主なのだとしても、わざわざあれほど厳重に見張りを立てる必要もない。現場に立ち入ろうとしたのではなく、近くを歩いているのにもかかわらずだ。……つまり、『イープラスが工事の主体であり、N局は補佐に回っている』と考えられる」
一つ目の疑問である二社の関係性に対して結論をつけた泉。しかし、谷岡は根本的な疑問を抱いているようであった。
「……そこまでは良いとして、結局それの何が問題なんだ?上下関係が変わってるのは確かにおかしいと思うが、事件に関係しているとは……」
「何故入れ替わったのか。そこが問題だ。特別な理由もなければ、依頼主と施工会社の上下関係がひっくり返ることなどあり得ん」
「待て。そもそも、本当に立場が変わってるのか?お前の眼ではそう見えたってだけかも知れないだろ。上村の件だけじゃ、さすがに弱すぎる」
「……それもそうだ。だが、まだ証拠はある。……岩井の存在だ」
予想していなかった言葉だ。環境推進部の岩井がどうかかわってくるのだろうか。泉以外の全員が、彼の話を待つ。
「まずは、奴の素性から確認しておこう。一年半前、N局内で突如発足した環境推進部、その部長が岩井だ。そして、昨日の調べで奴が多額の金銭を横領していたことが分かっている。ここまではいいな?」
元山以外の皆が頷く。泉は彼にこのことを説明していなかったのだろうか、彼は「ほう?」と興味をひかれている様子だった。泉の口から続きが話される。
「少し話が変わるが、N局とイープラスが提携を行ったのも一年半前だ。……偶然に思えるか?」
「確かに偶然とは言い難い。だが、闇雲な物言いは信頼を損ねるだけだぞ、泉君」
「いえ、闇雲ではありません。……高木、クビを言い渡されたあの日、社長室には岩井もいたんだったな?」
突如話をふられた高木は困惑しているようだったが、すぐに「はい、そうです」と返事をした。泉は続けて質問を投げかける。
「その時、社長室には飯島もいたんだったな。で、岩井が飯島の秘書のように控えていた。……間違いないな?」
「はい、間違いありません。しかし、それがどうしたんですか?」
「おかしいと思わないか?なぜ環境推進部の部長が、あの時社長室にいたのか」
「そりゃ、飯島の秘書として……」
「何故他社の社長の秘書が、N局で部長の職に就いているんだ?……仮に岩井の前職がそうだったとしても、今になって秘書をやる理由はない」
改めて考えてみると、確かにおかしい。N局の社長である田宮は当然として、彼と取引していた飯島もそれほど疑問には思わない。……だが、岩井はなぜあの場にいたのだろうか。ディレクターでもなければ、田宮の秘書でもないし、ましてや飯島の秘書でもない。だが、まるで飯島の秘書であるかのようにふるまっていたという。……泉は続ける。
「岩井は、飯島の接待役をやらされていた。そう考えると筋が通る。秘書のような振る舞いも、同じ時期に部署が立ち上げられたことも。……環境推進部は、イープラスとの『パイプ』だった」
「……だが、もしそうだとしてどうなるんだ。もともとN局とイープラスがつながってることは分かってるんだ。今さらそんな情報……」
「いや、これもまた必要な情報だ。……環境推進部に払われていた高額な予算は、接待費だろう。だからこそ、田宮も高額な予算を出し続けていた。……しかし、磯崎の話では田宮と飯島はまるで親子のように親しい間柄だったという。どうにも接待の必要性を感じない。だが、もっと上の立場の者に対してならば……」
「それが、田宮が敬語で連絡を取っていたっていう謎の人物ってことか。……なるほど、こいつがイープラスのバックについているから、N局との立場が逆転した。そういうことだろ」
泉は頷いて答える。相当遠回りではあったが、これでようやく二社の関係性の歪さが事件に関係していることを証明できただろう。元山もどこか納得したような表情を浮かべていた。
「お待たせいたしました。ご注文の料理を……」
まるで見計らったかのようなタイミングで、店員が食事を持ってくる。テーブルに料理が並べられていき、最後に箸が並べられた。店員が一礼して個室を出て行こうとしたとき、元山が引き留めた。
「ちょっと待ってくれ」
「どうかいたしましたか?」
「飯島、田宮。この名前に聞き覚えは?」
「……申し訳ありません。お客様の個人情報は話せません」
店員として当然の反応だ。しかし、元山はそれすら予想していたのか、上着のポケットからとあるものを取り出す。
「そいつらが事件に関与してる可能性がある。協力してくれないか?」
彼はそう言って弁護士バッジを見せつけた。店員は「しかし……」と拒否したが、元山はさらに食い下がる。
「大丈夫だ、弁護士には守秘義務ってのがある。あんたから聞いたなんて誰にもわかりゃしないさ。……な?」
「……わかりました。飯島様と田宮様ですね。そのお二方ならよくこちらにいらっしゃいますよ。つい先日もいらっしゃいました」
「そうか。……その時、その二人以外に誰かいたか?」
「……はい」
「それは誰だ?」
その人物こそが、この一件の始まりの人物だ。泉達も気が逸り、少しばかり身を乗り出している。店員はそれにおびえたのか、口をパクパクさせるばかりだったが、彼らになだめられてようやくその人物の名を口にした。
「倉持、雄三様です。……現国土交通大臣の」
食事を終えた私たちは帰路にはつかず、駅前に取ったホテルへと向かっていた。その車中は沈黙に包まれている。……それも当然だろう、まさかあの場で大臣の名を聞くことになるとは思わなかった。それが本当のことなのか未だ真偽は不明ではあるが、あのタイミングで店員が嘘を言う訳もない。やはり真実なのか。
「……やはりというべきか、想像の範囲内ではあったな」
突然、泉がそう口にする。彼の目に困惑の色は見えない。まさか本当に想像の範疇だったとでもいうのか。彼の物言いを信じられない。
「本当ですか?私には予想外過ぎてどうにも……」
「人物を予想していたわけじゃない。それぐらい、地位の高い人間だろうという想像をしていただけだ。……田宮が敬語を使っていたこと、工事計画書を貼りだしていないのにもかかわらず注意を受けないこと。その二つから、相当偉ぶった人間だろうと想像していた。……当たるとは思っていなかったがな」
彼はそう言って小さくため息をつく。……困惑していないように見えたが、それはただの見間違いだったようだ。
「だが、これからどうする?さすがに現国土交通大臣とは会えないぞ。……仮に会えたとしても、知らぬ存ぜぬで話にならないだろうけどな」
谷岡の言うとおり、それが問題だ。諸悪の根源である人物の目星が立ったのは構わない。だが、私たちはその人物を調べる術を持ち合わせていない。相手は要人だ。気軽に会えるわけはない。彼が関わっていた証拠。それさえ用意できればどうにかなるかもしれないが、そんなものがどこにあるというのだろうか。
「元山さんに頼る……わけにはいきませんよね」
「頼ったところで、だ。流石に大臣との連絡はとれないだろうな。仮にとれたとしても、谷岡の名前が出ればアウトだろう。……こいつが高木の一件を担当しているのは会見で分かっている。まともに取り合ってはくれないだろうな」
「……どうする?また青木に……」
「それも無理だ。これはまだ事実だと判明したわけではない。陰謀論だと嗤われるのがオチだ」
いくつか思いついた案はすべてすぐに欠陥が見つかる。もしや、本当にもう打つ手はないのだろうか。諸悪の根源を取り逃がしたまま、田宮と飯島を「高木を嵌めた人物」として告発するしかないのだろうか。しかし、それで高木は救われるのだろうか。彼を嵌めた今回の件のようなことが、また繰り返されるのではないだろうか。……諦める選択肢はない。
「例えばの話なのですが……。イープラスとN局が取引を行っていて、倉持はイープラスのバックについているんですよね。二社の契約書に倉持の名が記されていたりはしませんか?」
「……考えられる話ではある。イープラスの立場が上にある原因は倉持だ。名を連ねている可能性は十分。……磯崎を頼るか」
「今の所はそれしかなさそうだな。奴なら契約書を保管している場所も知っているだろうし、協力してくれるだろう」
車内の雰囲気は先ほどの重苦しいものから解放された。ひとまずの方針は決まった。明日、事務所に戻り磯崎と会う。彼の協力のもと契約書を探し出し、倉持たちの悪事を白日の下に晒す。……果たして、それほど簡単にいくだろうか。彼ら、特に倉持にしてみればその契約書は自分の身を滅ぼす物でもありうる。そのようなものが普通に探した程度で見つかるような場所にあるはずがない。……このまますんなりと行くはずがない。私は心の中でそう確信していた。
ホテルで一夜を明かし、元山と別れを告げる。高速道路を走り抜け、正午前に事務所まで戻ることができた。昼食をデリバリー注文し、待っている間に磯崎へ連絡する。事情を話すと、彼は快く協力を申し出た。……倉持については話していない。彼を余計に混乱させるだけだ。
「……ああ、二時間後そっちに向かう」
泉はそう言って電話を切る。予定は決まった。あとはその時間を待つだけだ。ちょうどよくデリバリーも到着した。腹ごなしの最中、谷岡が口を開く。
「どうする?田宮、飯島あるいは倉持。そいつらに俺たちが動いているのがバレたら。……ただじゃ済まねえかもな。最悪の場合殺されるかもしれん」
「バレたとしても、大げさに動くことは出来んだろう。人が一人死ぬのは、思っていたよりも世間が大きく動く。ましてや事件に関わっている者の死はな。……『高木の名誉回復のために奔走していた者の死』を、世間はどう見るか?いくら脳みそがダチョウ以下だとしても、それぐらい想像はつくだろう」
「……まあ、下手なことされる前に調査を終えた方がいいだろうな」
私たちは食事を終えると、すぐに車に乗り込みN局へと向かった。ビルの外では磯崎が出迎えてくれる。どうやら今日も田宮はいないようだ。それならば少しは気軽に調べ物ができるだろう。私たちはすぐにビル最上階にある社長室へと向かった。机の二段目の引き出し、あれだけ唯一鍵がかかっていた。何か重要なものがあるとすればそこに違いない。
「あの日は特別だったんだ。調査があるから、引き出しの鍵も開けられちまうってことで田宮が鍵を持ち出していた。……だが、今日は違う。いつものように、あいつがいつも使っている机の引き出しに入ってる」
磯崎はエレベーターの中で、あの引き出しが今日は開けられることを告げた。……田宮はあの引き出しを調べられたくないから、調査の日に鍵を持ち出していたのだ。なんとも卑怯な男である。だが、今日は調査などない。だからいつも通り不用心な鍵のしまい方をしているのだろう。
「不用心だな。……逆にありがたいまである」
最上階に到着したエレベーターから足早に下り、まっすぐ社長室まで向かう。以前に立ち入ったときとそこまで変わりはないが、部屋の隅に飾られた観葉植物がいくばくかしおれているように見えた。水やりをしていないのだろうか。……私がどうでもいいことに目を奪われている間に、泉は机の一段目の引き出しを開け、小さな鍵を手に入れていた。
「これか?」
「おそらく。その鍵穴に合う鍵はそれぐらいだろう。……鍵を使っているところはあまり見たことがなくてな、あいまいで悪い」
泉は「構わん」と言うと、すぐにその小さな鍵を二段目の引き出しの鍵穴に差し込んだ。やはりあの鍵で合っていたようだ。抵抗することなく回る鍵と、軽く何かが外れるような音がした。鍵が開いたのだ。
「……さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
泉は取っ手に手をかけると、一気に引き出しを引く。周りいた私たちは何が出てくるのか、期待の目で引き出しをのぞき込んでいた。引き出しの中から現れたのは、まとめられた書類の束。小さな字で何かが細かく書いてあり、一目では何の書類なのか判別できない。泉が一枚取り上げて目を通していく。……そして、彼は「やはりな」とつぶやいた。
「N局とイープラスの取引の証拠だ。これらはおそらく契約書の写しだろう」
「どれどれ……。『環境開発推進政策』?これが二社の取引内容ってことか?」
谷岡も資料を一枚手に取って読んだ。その彼の口からでた環境開発推進政策とは、一体何なのだろうか。政策という触れ込みならば、政府が関わっている可能性が高いが……。私はすぐにスマホを取り出し、検索サイトでその言葉を入力していく。予想とは異なり、その政策はすぐに見つかった。……しかし。
「……環境省……。これは、環境省の政策です。『自然との共生』をテーマに、街に緑を増やす活動や、エネルギー問題に対する取り組みをすると……」
「どうなってる。あの店員の話じゃ、あの場にいたのは倉持で、あいつは国土交通大臣なんだろ?なんで、環境省の名前が……」
「グルになっている。そう考えるべきだろうな。二つの省庁の間で何かしらがあった。……イープラスか。その政策に参画したイープラスの工事現場、あの依頼者がN局ではなく、国土交通省ならば……」
「国土交通省は工事・建設などの事業を担う省庁です、その可能性は十分にあり得ます」
「待て!じゃあ、N局は何だよ。国土交通とイープラスの話なら、ここは関係ないだろ?」
加速する泉の思考に対し、磯崎が待ったをかける。しかし、泉は素早くそれを跳ね返した。
「高木が撮影していたロケ地。そのどちらかに目をつけられたのだろう。そして田宮は取引に応じ、その土地を手放した。……そしてそれと同時に、イープラスとの事業提携を結んだ。その政策に加わり、おこぼれをもらおうとしていた」
「……筋は通っているような気もする。だが、やっぱり証拠がいるぞ。イープラスと国土交通とのつながりが」
「逆に言えば、それさえつかめればこの事件の全貌が明るみに出る。……そうとも言えます」
私の言葉に泉は頷くと、引き出しに入っていた書類をすべて机の上に出した。そして、磯崎にすべてコピーしてくるように頼んだ。彼は「わかった」と言って書類をもって部屋を出て行く。部屋に残った私たちは、イープラスと国土交通のつながりをどう調べるか話し合っていた。
「会社はさすがに無理だろう。調査の口実もない、磯崎のような協力者もいない。あるのは……H県にある工事現場ぐらいだろうが、あそこはもう行ったしな」
そう言う谷岡の言葉に、泉はきっかけを見つけたようだ。珍しく大きな声で「それだ!」と言う。谷岡の「何がそれなんだ?」という問いに、彼はもったいぶらずに答える。
「工事現場だ。だが、H県ではない。……近隣県で起きた火災の跡地だ。青木が言っていただろう、『火災の跡地がイープラスの工事現場になっている』と。燃えた山には必ず所有者がいるはずだ」
「……そうか。土地を手放すために取引に応じた所有者がいる。その人がもしかしたら……」
「何かを知っているかもしれない。そう言うことですか」
その時ちょうど、磯崎が書類をコピーして戻ってきた。相当な量ではあるが、これも必要な物だ。彼に感謝を告げ、N局を後にする。日は暮れ始め、空はオレンジ色に染まり始めていた。
「……今日はここまでか」
「ああ。明日、青木が言っていた火災跡地に向かうとしよう。……事務所まででいいか?」
泉は谷岡と高木を車で送り、それから帰路に着いた。暮れ始めていた日はすでに沈み、誰もが夜だというような空色だ。事務所に帰ると、彼はすぐに京手に入れた書類を机の上に広げ、一枚一枚に目を通していく。私が適当に用意した食事を片手でつまみ、視線は一度も書類から離れることはなかった。……磯崎もこれらをコピーするのは骨が折れたことだろう。あまりに膨大な書類の枚数は、普段泉が床に就く時間を過ぎてもなお、読み終わらない。彼がようやく書類すべてに目を通し終えた時、日を跨いでから数時間経っていたようだ。翌朝、彼の口からそう語られた。
S県までの道中、車内には私と泉、そして谷岡と高木がいる。泉が寝不足であるため、今日は私が代わりにハンドルを握っている。泉は昨日なんとか読み終えた書類からわかったことを私たちに話してくれた。
「あの書類には、それほど問題になるようなことは書かれていなかった。土地の売買に関する契約書や、事業提携に関する物など。あの書類だけが世に出たところで、騒ぎには絶対にならないだろう。ただ……」
「高木の一件があると話が変わるってことか。売買された土地は高木の番組のロケ地だからな」
「そういうことだろう。……倉持や国土交通省の名前はどこにもなかった。徹底的に秘匿されていると考えるべきだな」
「まあ、そんなへまをするわけはないよな。……今日の収穫に期待するしかないが、さて……。どうなることか」
谷岡も昨日はあまり寝ていなかったのか、「少し寝かせてくれ」と言って目を瞑った。車内は静まり返り、車のエンジン音とたまに小石がはじけ飛ぶような音だけが聞こえる。そのまま一時間ほど運転していると、目的地のS県とのある山に到着した。山の中腹部分にイープラスのロゴが入った工事幕が張られている。山の幅の半分以上が人為的な緑で埋められており、ここで起きた山火事の激しさを物語っているように思えた。近くの少し小さい山は有名な観光地のようで、駐車場も備えられている。そこに車を停め、山を仰ぎ見た。
「なかなか大きな山だな。よく半焼程度で済んだものだ」
「先ほど車を停めた観光地の山があるじゃないですか。あそこで働いている人が火の手を見たようで、すぐに通報したようで消火が間に合ったようです」
「なるほどな。……その通報者を捜してみるのもいいかもしれん。何か話が聞けるかもな」
私たちは泉の提案に従い、観光地となっている小さな山を登ることにした。さすが観光地というだけあり、特に登山用の装備をしていなくとも簡単に登れる。少し登ると広場のような場所に出た。ベンチやテーブルの他、複数の屋台が出ている。少し奥には観光案内所らしきものも見える。話を聞くならあそこがいいだろう。
「先生、あちらに……」
「……ああ、案内所か。行ってみるとしよう」
案内所の従業員は明るく出迎えてくれた。泉が要件を話すと、すぐにそれらしき人物が見つかる。窓際に座っている女性らしい。……彼女は少し気が弱そうに見える。泉よりも私が対応した方がいいだろう。
「隣の山で起きた山火事を通報したのはあなたで間違いないですか?」
「ええ、そうですけど……。もう何日も前の話ですよ?なぜ今さら?」
何日も前の話である上、報道では山火事に事件性はないとされていた。掘り返すこともない出来事に得体の知れない四人組が喰いついているとなれば、警戒するのも不思議ではない。私にできるのは、真摯に彼女の問いに答えるだけだ。
「ここだけの秘密にしてほしいのですが、私たちは今、高木さんの事件についての調査をしているんです。その途中、あの山火事が何かしら事件に関係しているのではないかということになりまして」
「……え?あれはただのコンプラ違反なんじゃなかったんですか?それがどうして山火事と関係が?」
「山火事というよりは、山火事の跡にできた工事現場を仕切っている会社が関係しているのかも知れないんです」
「はあ……。それで、何が知りたいんですか?」
彼女は一応納得をしてくれたようだった。それでもまだこちらに怪訝な顔を向けているが、協力してくれるのならなんだっていい。
「ではまず……。隣の山火事を通報したのは、あなたで間違いありませんか?」
「ええ」
「どんな時に通報を?」
「確か三時休憩の時だったかしら。あの日は風が強くて、窓がガタガタ鳴ってたんですよね。それが気になって窓の方を向いていたら、木が赤くなっているのが見えまして。今の時期では紅葉なんかはあり得ない。そう思ってじっと見て、ようやくそれが炎だと気づいたんです。で、私はすぐに通報しました」
「その時、火元に人の姿は?」
「具体的にどんな人とは言えないですけど、誰かが一人いましたよ。性別もわかりませんが。……ただ、大きな荷物を持っているようには見えなかったので、野焼きに来た人じゃないなと。……そもそも、あそこの地主さんは山の麓で野焼きをやってますから、あれは不法侵入者?ってことになるんですかね」
彼女の話から判断すると、その謎の人物が火を放ったようにも思える。……もし、そうだとすれば犯人はイープラスだろうか。あの山が燃えて一番得をしたのは誰かを考えると、自ずと答えは導き出せる。しかし、これはただの想像に過ぎない。……ひとまず、貴重な情報をくれた彼女には感謝せねば。
「……情報提供に感謝します。それと、もう一つお聞きしたいことがありまして……」
彼女は呆れたような顔を見せたが、「いいわ。なんでも聞いて」と切り替えてくれた。彼女の仕事を邪魔せぬよう、手短に済ませなければ。
「山火事があった山の地主ってどなたかご存知ですか。先ほど知っているような口ぶりでしたので」
「ええ、知ってるわ。峰岸さんよ。隣の山の麓に大きい平屋があるんだけど、峰岸さんはそこに住んでるわ。……これでいい?」
「ええ、ありがとうございます。どうも、お邪魔しました」
「……調査、頑張ってください」
社交辞令ではあるだろうが、彼女はそう言って窓際のデスクへと戻っていった。泉たちもそれぞれ別の従業員から話を聞きだしていたようで、互いに目を合わせて案内所を後にする。
「峰岸という老人があの山の地主のようだな。……会ってみるか」
「そうですね。今のところは手掛かりがそれしかありませんし」
私たちはすぐに観光地になっている山を下り、隣の山の麓にあるという峰岸の家を探し始めた。目的の平屋はすぐに見つかった。道路の向かい側にある、庭付きの平屋。あれで間違いないだろう。表札にも「峰岸」と記されている。……泉がドアベルを鳴らしてみたが、反応はない。相手は老人だから動くのに時間がかかっているのだろうと少し待ってみたが、足音すらしない。もう一度鳴らしてみるが、やはり反応はない。どこかに出かけているのだろうか。
「……どうやらいないようだな。さて、どうしたものか……」
「先に山の様子を見てみないか?勝手に立ち入ることになるが、あとで謝れば大丈夫だろ」
谷岡はそう言って皆を引き連れ、山へと足を踏み入れようとする。しかし、それはとある人物に止められることになった。
「おい!あんたら何やってんだ!そこに入ると捕まるぞ」
声をかけて来たのは齢七十ほどの男性だった。腰が少し曲がっており杖を突いているが、声の大きさから考えるとまだまだ元気そうだ。
「捕まる?ここの所有者はそんなに気が短いのか」
山に立ち入るのをやめ、声をかけて来た老人に泉がそう尋ねている。老人は「そうではないが……」と歯切れの悪そうな前置きをした。
「あの山はな、もともと儂の山だったんだ。近所の人たちと山菜取りなんかしてたんだがな。ある日いきなり火の手が上がった。山火事が起きたんだ」
儂の山、ということはこの人が地主である峰岸だろうか。こんなに都合のいいことはない、いくつか聞いてみてもいいだろう。
「……山火事の原因は何だったんですか?」
「さあな。どっかの馬鹿かタバコでも捨てたんだろう。最初は野焼きを疑われたが、あの日儂は野焼きをしとらん。だが、どっかの誰かが消防車をすぐに呼んでくれたんだろう。山全部に燃え広がる前に火は消し止められた。……それでも、今工事現場になってるあたりは焼け野原になっちまったがな」
「……もともとあなたの山だったと。では、今は?」
「国だよ。あの山は国のもんだ。……あいつら、山火事を知ってたのかは知らねえが、火が消えた次の日に小ぎれいなスーツ着た奴が来てな。名刺を置いて行った。……何だったか……。そこで待っとれ、家にまだあるはずだ」
峰岸さんは言うが早いかすぐに踵を返し、山の向かいにある大きな平屋に入っていった。私たちはというと、つい先ほどまで目の前にいた老人が語った言葉に圧倒され、一歩も動けずにいた。
「……あれが話に出てた峰岸ってじいさんか。あの人が話してたことって、本当のことなのか?」
谷岡はどうしても信じられなかったのか、震える声で先ほどまでの話を疑っている。私と高木は答える術を持ちえない。泉は「そうだと考えるしかない」と言い切った。
「仮にアレが嘘だとして、あのじいさんがわざわざ嘘をつく理由はどこにある。愉快犯だとしてはあまりにも影響が大きすぎる。事実であると考えるべきだろう」
泉がそう結論づけた時、峰岸さんが戻ってきた。彼は少し息を切らしながら、「ほら、こいつだ」と言って名刺を差し出す。それには「国土交通省職員」と書かれていた。
「これ、もらってもいいか?」
「は?そんな紙切れが欲しいのか?……わかった、やるよ。何に使うかは知らねえが、役に立つと良いな。……もう一回言っとくが、その山には入るなよ。放火魔と間違えられるぞ」
峰岸さんはそう言ってまた平屋へと戻っていった。その場に残った私たちは互いに目を合わせると、すぐに近くの駐車場に停めた車に乗り込んだ。私がハンドルを握り、すぐさま車を発進させた。
「……揃ったな。奴らを追い詰めるための証拠が。これなら……」
「しかし、彼らとどうやって話すのですか。今までに一度もそんな機会がなかったんですよ」
飯島、田宮、そして倉持。彼らは名前が挙がっただけで、一度も言葉を交わしていない。飯島だけはその姿を見たことがあるが、とても話せるような状況ではなかった。どうにか彼らと話す機会を取り付けなければならないが、それは私たちにできることなのだろうか。
「……青木に記事を書かせるか。で、話し合いの場に引きずり出す。最後まであいつに頼んなきゃならねえのは癪だが、これが確実だろう」
「いや、山波の店員に頼ろう。奴らは次いつあの店に集まるか、予約をしているはずだ。店員にその日を聞き出し、同じ日同じ時間に予約を入れる。……あそこは個室だ、逃げ道を簡単に塞げる」
谷岡の案に対し、泉が別の案を提示する。谷岡にとっては青木に頼ることは最後の手段のようで、別の手段が提案された途端に「そうしよう」と手のひらを返した。車内には明るい雰囲気が漂い始める。谷岡はすでに勝利を確信しているようで、それに当てられた高木もようやく問題が解決するのかと嬉しそうだ。だが、泉だけは、まるで歯に何か物が挟まったときのような、何かが引っ掛かっているという表情を浮かべていた。その後、谷岡たちを昨日と同じように事務所に送り届け、自分たちの事務所への帰路をたどる。今日は私が運転する番だ。泉は助手席に座り何かを考えているようだった。
「……すまない、電話をかける」
「はい、わかりました」
泉は私に一度断りを入れ、スマホを手に取る。……電話した先は山波だった。定型文の挨拶がわずかに私の耳に届くが、その人物は電話の相手が泉であると知るとすぐに態度を変えた。
『泉様、ですね……。ご予約では、ありませんよね』
「いや、予約ではある。……飯島、田宮、倉持。この三人が集う日は何時だ?同じ日同じ時間に予約を入れたい」
『……三日後の午後六時となっております。宜しいですか?』
「ああ、頼む」
『承りました。当日のご来店、お待ちしております』
泉は電話を切ると「ふう」と一息ついた。小さいとはいえ、今日は山を登ったのだ。その上寝不足だということも考えると、簡単に疲れても仕方のないことだ。……そう言えば、案内所で従業員の女性に聞いた話はまだ泉に伝えていなかった。思い出した今の内に話しておこう。
「先生、少しよろしいでしょうか。先ほどの案内所で手に入れた情報なのですが……」
山には見慣れない誰かがおり、その人物が火を放った犯人かもしれない。そう伝えると、泉は少し考えたのちまたもやスマホを手に取った。……電話の相手は、意外な人物だった。
『もしもし、泉先生?お久しぶりですね。どうですか、調査の進捗のほどは』
「それは三日後に話す。……青木、お前に頼みがある」
『……え?私に、頼みですか?』
「ああ。俺が今から言う『人間』を用意しろ。まず、名前は……」
それから泉は聞いたこともない人の名前と年齢、そして職業を細かく青木に伝えていく。条件を聞き終えた青木は『用意すればいいんですね?』と念押しした。泉は「ああ。三日後までには頼む」と言って電話を切った。それがどうしても気になった私は、ハンドルを握ったまま泉に問いかけた。
「先生、今のは?」
「……羽田君が話してくれた仮説。謎の人物が火を放った可能性は十分あり得る。……それを踏まえて、青木に一芝居うってもらおうと考えた」
「一芝居?どういうことですか」
「仮に、この仮説が事実だったとして。イープラスやそのバックにいるであろう倉持が火を放つだろうか。……人目を恐れて自分では決して手を汚さないだろう。金に飢えた貧乏人に指図してやらせた可能性が高い」
この件がそうだということはまだわからないが、放火を他人にやらせる事件というのは往々にしてありうる。大抵は地上げ屋による強硬手段だが、手口が全く同じだ。商談や工事の手配の速さからも、彼らが火を放った可能性がある。
「火を放った人を捜しだすのは、絶対に無理ですよね」
「例えば浮浪者に限定したとしても、どれほどの数がいるか。口止めされている可能性もある。その上、用済みだと『処分』されているかもしれない。まさに雲をつかむような話だろうな。……だから、あの電話だ」
「……『山内清吾』という人物のことですか。まさか、一芝居って……」
「まあ、そんなところだ。そいつは必ず役に立つ」
その人物の証言が、飯島たちを追い詰める切り札となるのだろう。……勝負は三日後だ。
三日後、午後五時五十五分。私たちは「小料理屋・山波」の近くに集まっていた。集まった中には青木の姿もある。谷岡は彼を見つけて早々「なんでお前がここにいるんだ」と噛み付いていたが、泉が呼んだと知るとすぐにその怒りを収めた。「泉がそうしたのなら、何か必ず理由があるはずだ」と、泉を信頼している様子だった。
「青木、『あいつ』の用意は出来ているな?」
「ええ、ばっちりですよ。……しかし、うまくいきますかね」
「……『切り札は、握っているときが一番強い』。はるか昔に誰かが言っていた言葉だ」
青木は泉と最後の打ち合わせでもしているのだろうか、見張りに立つ私の位置からではよく聞こえなかった。……道の先から黒塗りの高級車が向かってきている。後部座席から降りて来たのは飯島だ。どうやらそろそろ時間のようだ。
「皆さん、来ましたよ」
皆は特に気にしていないそぶりを続けるが、目線は山波の出入り口に釘付けになっていた。あとは田宮と倉持だ。三人が集まった瞬間、店に乗り込む手筈になっている。……飯島が店に入ろうとしたとき、赤の高級車が店の前に停まった。ここからでは聞こえないが、どうやら飯島に声をかけているようで彼は足を止めている。赤い車から降りて来たのは、これまた飯島といい勝負ができるほど恰幅のいい男だった。髪には白髪が混じり始めている。あの男が田宮だろう。飯島には見覚えがあるうえ、倉持は何回かテレビで顔を見た。
「……揃ったみたいだな」
いつの間にか隣に立っていた泉がそう言う。赤い車の奥、先ほどとは違う黒塗りの高級車からは身長が高く、目つきが鋭い男が降りて来た。自分以外のすべてを見下しているような眼力の持ち主、倉持で間違いない。
「俺たちも行くぞ」
三人が店の中に消えたのを見届け、私たちも山波へと足を踏み入れた。店員とはすでに顔見知りである。手続きもそこそこに、すぐさま彼らがいるであろう個室へと案内してくれた。……個室のドアを店員がノックする。
「お冷をお持ちいたしました」
「ああ。入ってくれ」
「……失礼いたします」
店員はそう言って私たちに目配せをする。泉は一度頷くと、彼自らの手で個室のドアを開け放った。部屋の中にいた彼らはいきなりの乱暴な振る舞いに驚いているようだったが、泉の顔を知っているのか、それとも後ろにいる谷岡と高木を見たのか。どちらかは定かではないがすぐに落ち着きを取り戻していた。
「おい、なんだねいきなり。失礼が過ぎるだろう。君は誰だ?」
余裕ぶった偉そうな物言いをするのは飯島だ。田宮と倉持は黙ってこちらを見つめている。……この中での最年少は飯島だ、だからこそ率先して私たちの対応をしているのだろう。
「俺は泉。……高木光一からの依頼を受け、調査をしている者だ」
「高木光一……。あの一件はそいつのコンプラ違反だ。会見でも田宮さんの所の磯崎がそう説明していただろう?わざわざ私たちの所に来る理由が全くわからん。いい迷惑だ、帰っていただきたい」
「断る。……この一件、すべてはお前らが招いたことだ。欲をかき、歪みを生み出した。そしてその歪みを高木一人に押し付けた」
飯島の機嫌が途端に悪くなった。……無実の罪について言いがかりをつけられているからか、それとも悪事を暴かれたからか。こちらをぎろりと睨みつける飯島に代わり、倉持が口を開いた。
「随分と面白いことを言う。……座りたまえ。私たちが招いたというこの件、話してみると良い」
倉持は飯島の隣を指さした。……そこに座れということか。泉は迷うことなく腰を下ろす。倉持は納得したように頷くと、その顔を私たちに向けた。
「君たちは出て行きたまえ。この個室はそこまで広くはない。私たちとしても、そこまで騒がしいのは好きではないのだよ」
「……待て。彼だけは同席を許してもらおう」
泉はそう言って私を示した。倉持は品定めするように私を見つめ、「……いいでしょう」と許した。
「……泉、あとは頼むぞ」
谷岡は高木たちを連れて個室から離れて行った。部屋のドアが閉められ、狭い部屋に五人が並ぶ。席はそこまで窮屈ではなく、もう一人なら座れそうだ。
「さて、それでは……。まず何から聞こうか」
「この件の始まりから話したほうが分かりやすいだろう。……一年半以上前、環境開発推進政策が打ち出されたときからすべてが始まっていた。自然との共生を謳った政策だったが、お前たちはそれを利用してある計画を進めていた」
「ある計画?なんだねそれは」
「それはあんたらが一番よく知っているだろうよ。……まあ、それは事件にはそれほど深くかかわっていない。それからが問題だったからな。……一年半前、N局はイープラスと土地の売買契約を結んだ。場所はH県のとある農村付近。……高木がレギュラー出演していた番組のロケ地でもあった」
「そんな契約を結んだ覚えはない。つまらないでたらめは……」
「田宮くん。他人の話は最後まで聞くものだ」
口を挟もうとする田宮に対し、まさかの倉持が止めに入った。彼はこの状況を楽しんでいるようにも見える。自分は安全圏にいるという余裕からだろうか。泉は気にすることなく話を続ける。
「ロケ地が他の会社に買い取られれば、当然撮影は出来なくなる。だが、田宮はその理由をそのまま高木に伝えられるわけがなかった。視聴率の低下などと嘘をついて、番組を打ち切ろうとした。だが、高木は反対した。その反対活動はロケ地がイープラスの工事幕で閉め切られた後でも続いた。……鬱陶しくなったんだろう?だからこそ、『コンプラ違反』などという嘘をでっちあげ、磯崎に会見を開かせた」
図星なのだろう。田宮はぐうの音も上げずに泉を睨みつけている。泉の話に一区切りついたからか、倉持が口を開いた。
「なるほど、事の真相はそんなことだったのか。随分とあっけない結末だが、真実とは案外そういうものなのかも知れないな」
彼は話を終わらせようとしている。泉がそれを見逃すはずはない。
「……疑問はまだある。『なぜ、二社がいきなり土地の売買契約を結んだのか』だ」
「何故って、別に理由なんてないだろう。したいときに契約はするものだよ」
「理由はある。……環境開発推進政策。これが打ち出されたからだ。倉持、お前はこれを契機として『ある事業』に手を出していた。それに協力していた企業がイープラスだ。他にもあるのかどうかは知らないがな」
倉持の顔に浮かんでいた余裕がいつの間にか消えていた。……ここからが本番だ。
「少し話は変わるが、今の日本政府は税金の使い道をひどく監視されているようだな。……まあ、ひとえに今までの政治家の怠慢が招いた事態だと同情する気にもならないが、そこに問題があった。政策に税金をつぎ込めないという問題がな。……『何よりもまずは、国民のための経済政策』。これが重要視されている日本社会で環境政策への投資は行えない。だからお前はN局に協力を求めた」
田宮の肩が跳ねるように動いた。いきなり名前を呼ばれて驚いたのだろう。泉はその様子を気に留めることもなく話を続ける。
「協力すれば、次に提言される経済政策で優遇措置が得られるように口添えするなどの、汚い取引を行った。……そして、『環境推進部』という政府とN局のパイプを作り上げた」
倉持は大きくため息をつく。呆れているとアピールしたいようだが、吐いた息には怒気が含まれているように思えた。
「知らないな、そんな部署があったことなど聞いたことがない」
「ああ、どちらにしろそう言うしかないだろう。人殺しが自ら『私が人を殺しました』なんて言う訳がない」
泉はまるで挑発するような物言いだ。倉持の顔には余裕よりも怒りがはっきりしている。
「……当初、部長の存在はお前への接待ではないかと考えていた。政治家は機嫌を損ねると何をしでかすかわからないからな。……しかし、今までの俺の推理から考えると、倉持。お前の立場はそれほど強くはない。資金源であるN局に見捨てられれば、新しい寄生先を探さなければならなくなり、その間工事は滞る。……環境推進部へと支払われていた高額な予算。アレが一体何だったのか……。俺はようやくたどり着いた」
「何の話だ。そんな部署の存在など知らん」
「人の話は最後まで聞くものだ。……その部署へと支払われていた高額な予算、あれは『依頼した放火への報酬金』だったんだろう」
田宮の顔色はすでに青を越えて白くなっていた。……泉はまだこれと言った証拠を提示などしていないが、あれだけ動揺していればもはや証拠など必要ないだろう。飯島は不機嫌そうに、倉持は不機嫌を通り越し、今すぐにでも怒りが爆発しそうになっている。泉は畳みかけに入った。
「S県のとある山。中腹部分がほぼ全焼し、イープラスの工事現場となっている。……山の元地主が話してくれたぞ。『国土交通省の職員が買い取りに来た』とな」
「知らん!どうせ部下の独断専行だろう。……そもそも、依頼した放火だと?誰が依頼をしたんだ」
「依頼をしたのは当然、お前だ。国土交通省の職員が買い取りに来ているんだ、その関係者が依頼主でなければおかしい。……仮に。部下の独断専行なのだとしても、上司であるお前が責任を取るべきだと俺は思うがな」
「……関係者が依頼主でなければおかしい。それには同意しよう。だが、私が依頼主であるとは限らない。その職員の直属の上司だということもありうる」
「これは、磯崎からの証言だ。『田宮が敬語で電話に出ている。相手は目上の人物に違いない』とな。……また少し話が変わるが……。田宮、お前はどうやってここの店を知った?」
「そ、それは……」
彼はちらりと横目で倉持を見た。倉持は泉に食って掛かる。
「それが何だというのだ。この店を知っているから犯人だとでも⁉……とんだ推理だな、小説にしても誰も買わんぞ」
「俺に文才はない、小説を書くつもりもない。……それ以外にも、証拠はある。いや、証言ともいうが」
泉はそう言うとポケットからスマホを取り出した。メッセージアプリを開き、誰かにメッセージを送っている。するとすぐに部屋のドアがノックされた。
「誰だ⁉今は部外者を……」
「待て。俺が呼んだんだ。お前が犯人だということを証言してくれる。……そうだな、山内」
「はい、そうです」
ドアの先にいるのは山内という男のようだ。……泉が言っていた存在しない男のはずなのだが、ドアの先にいるのは誰なのだろうか。
「山内?知らんぞ、そんな男は」
「先ほども言ったはずだ、お前はそう言うしかないと。黙って話を聞いていろ。……では、山内。倉持に何を頼まれたのか、できる限り詳しく話してくれ」
「わかりました。……あれは数か月前のことでした。会社が碌に給料を払わないせいで日々の生活が苦しく、その日もコンビニで買ったおにぎりを片手に公園で食事をしている時でした。いきなり目の前にスーツを着た男が現れたんです。……それが、倉持さんでした。倉持さんは私に『金に困っているんだろう』と話しかけてきて……」
山内が話している途中、倉持が机を強く叩いて言葉を遮る。彼は顔を真っ赤に染めていた。
「言いがかりはやめろ!指示を出したのは私ではない!私は無関係なのだ。指示を出したのは岩井だ!」
……ついに、倉持がボロを出した。
「岩井?誰だそれは。聞いたことのない人間の名だ」
「何を言う!お前が知らぬはずなどない!環境推進部部長のことで……」
「ああ。……で、なぜ岩井の名をお前が知っている?無関係ではなかったのか」
倉持は唸り声をあげるだけになってしまった。……数日前、磯崎から情報を聞きだした時のように、ハッタリを仕掛けていたのだ。
「……終わりだな。お前は環境推進部があることも知らないと言っていたくせに、放火の指示をしたのが岩井だと口を滑らせた。事件の関係者……いや、首謀者でなければ知り得ない情報だ」
N局とイープラスの二社に関しては、鍵のかかった引き出しから得ていた契約書の数々が不正の証拠になっていた。その上、磯崎からの証言もある。二社に関してはすでに片付いていたといってもいい。……問題は、倉持だけだった。国土交通省職員の名刺があったとしても、それが直接倉持の関与の証拠とはなり得ない。だからこそ、泉はかまをかけた。山内という存在しない人物を仕立て上げ、でまかせをしゃべらせる。彼がさんざん倉持を挑発していたのも、倉持から冷静さを失わせるためだったのだろう。……その倉持は、うつむいたまま大きくため息をついていた。……先ほどまでの振る舞いからは考えられないほど、彼は落ち着き払っていた。
「……いくら欲しいんだ?」
「は?」
「まさか金欲しさにここまでやるとは。……口止め料だ、いくら欲しいと聞いている」
「いらん。……もう少し、自他の境界線というものをはっきりしておくべきだ。お前は金の亡者だろうが、俺は違う」
「……なら、どうする気だ?私を嵌めてどうしようと……」
「公にする。お前らの悪事をすべて、一片たりとも残さず」
泉のこの言葉が逆鱗に触れたのだろうか、倉持はいきり立って大声をあげた。
「あまり調子に乗るなよ!そんなことをして何になる⁉お前に得などないぞ!」
「だからお前と一緒にするなと何度言ったらわかる。俺は物事をすべて損得だけで見るような愚かな人間ではない。……ただ、悪の存在が許せないだけだ」
「……悪だと?ならば私は必要悪だ。世の中を回すためには必ず汚れ仕事が必要になる。私がそれを担っているのだ!」
今度は倉持の言葉が泉の逆鱗に触れたようだ。彼は机を強く叩く。
「舐めた口を利くんじゃねえ!必要悪だと?そんなものねえよ。悪は悪だ、それ以上でもそれ以下でもない」
「青い!青い青い青い、青い!世の中が綺麗事だけでうまくいくとでも⁉」
「……ああ、その通りだ。お前らみたいなクズが欲をかいたから、世の中は綺麗事で回らなくなった。……何が必要悪だ、その悪を求めているのは誰でもない、お前たちだけだ。……悪は滅びる、残念だが、それが世の常だ。諦めろ」
これからどうすべきか。彼らを放火事件の関係者として警察に突き出すのが、一番手っ取り早いだろうか。それならば警察を呼んだ方がいいだろう。一件落着したと思い、私は席を立った。……だが、倉持はしつこかった。
「何故!何故私たちだけが!こんなこと、誰でもやっていることだ!それに、他の所は口封じに人の命を奪うこともある!だが、私たちは高木を殺さなかったぞ!……私たちよりもどす黒い悪など、星の数ほどいる!」
「だから何だ?お前たちの行いが正当化されるとでも?……くだらない言い訳は、牢の中で壁にでもするんだな」
倉持はまだ何か言いたげではあったが、これ以上何を言っても無駄であることを理解したのだろう。力なく席に座り、大きくため息をついた。……これで、あの会見から始まった高木のコンプラ違反問題は、ようやく解決した。
一週間後、事務所にて。私は泉と共にテレビを見ていた。……あの一件が公表されてから、国内はずっと大騒ぎだった。高木の一件に国土交通大臣が関わっていたとなれば、それも当然であろう。
「この国はこれからどうなるんだろうな」
泉は画面を見つめながら呟く。……事件解決後、事情聴取で新たな情報が出る度に速報が流れていた。彼らが悪事に手を染めてまで確保していた土地が何に使われようとしていたかも報道された。それは、ソーラーパネルだった。……外国メーカーが生産したソーラーパネルは、土地の少なさや天候不順問題に加えてあまりにも高価すぎるという理由のため、一切買い手がつかなかった。そこに、まずは環境省が目を付けたのだという。環境省がソーラーパネルを買い取り国内に設置することで、メーカーは損をせず、日本は環境に配慮した取り組みをしたと世界に喧伝できる。そのために、「環境開発推進政策」が生まれたようだ。
だが、やはり問題は土地だった。国内ではまだソーラーパネルに対する理解が薄い。山を切り開いて設置しようとすれば、必ず反対運動が行われる。そのため、環境省は国土交通大臣の倉持を頼った。工事・建設関係を取り仕切る彼らならば、どうにかしてくれると踏んでいたのだろう。そして、彼らは山に火を放つ方法を選んだ。山火事ならば事故と言い張れる。その上、焼けた土地に価値を見出す者などいない。……彼らはそうして山を焼いては土地を買い上げ、ソーラーパネルの設置場所を増やしていたのだ。
「……わかりません、どうなるんでしょう」
事件が解決してから二日後、谷岡と高木が事務所を訪ねて来た。事件解決に協力してくれたお礼、ということだった。……高木は今や時の人だ。あらゆるニュース番組に出演し、自分が知る限りの事件の概要を話している。彼はその中で、磯崎を許すことも話していた。……彼とは事件解決以降会っていないが、今N局は忙しいはずだ。会いに行っても、邪魔になるだけだろう。
『この一件を受け、与野党内では衆議院の解散をすべきとの声が高まっており、年内にも……』
環境省と国土交通省。二つの省が事件に関わっていたということもあり、総理大臣はその任命責任を問われていた。その上、総理自らが関与していた疑いがあると、近々総理自身も警察の捜査を受けるらしい。これでは、今の与党が野党になる日も近いだろう。意図したものではないが、私たちは日本を大きく揺るがす事件を解決したことになっていた。……ドアベルが鳴る。誰かが来たようだ。
「どうも、青木です。泉先生いらっしゃいます?」
彼もまた、事件解決の立役者として名が挙がっていた。谷岡たちに協力し、政府の闇を暴いた正義の新聞記者という、あまりにも大層な二つ名をもらっていた。彼が勤めている正道新聞社も今や乾く暇がないほどになっており、新聞社の第一線に躍り出る日もそう遠くはないのかもしれない。
「……何か依頼でもしに来たのか?」
「いえ、ただのご報告と御礼を、と。先生方のおかげでウチの新聞社も大儲けしまして、今度、西の方に支社ができることになりまして。そっちの編集部長に大出世しました。いやあ、ありがたい限りですよ」
「ただの自慢話か。……まあいい、どうせ暇していたしな」
「へえ、暇だったんですか。意外ですねえ、事件解決の立役者が探偵事務所を開いているっていうのに、閑古鳥が鳴いているとは」
閑古鳥とは随分言ってくれる。毎月それなりの額の給料をもらえるほど、探偵業は好調なのだが。……しかし、彼の言うことにも一理ある。高木がテレビで探偵事務所の名前を出してくれているのだから、信頼性は十分なはず。私がそう考えていると、泉は私の浅はかな考えを打ち砕いた。
「暇でいいんだ。探偵事務所に誰も来ないってことは、誰も困ってないってことだからな。……羽田君は仕事がなくて困るかもしれないが、その時は弁護士の看板をかけなおす。……顧問弁護士の勧誘もいくつか来ているしな」
「……そうでしたか。……では、私はそろそろお暇しますかね」
青木は泉の言葉を聞いて、どこかしみじみとしていたようだったが、左腕にしていた腕時計に視線を落とすと、席から立つ。すると、泉が待ったをかけた。
「待て。金を払え」
「え?金って……。ここは相談料無料ですよね?」
「さっきの話のどこが相談だ。座席分、時間分、きっかり払ってもらうぞ。……羽田君、計算してくれ」
泉の物言いに大きく驚きの声をあげる青木。確かに青木の言うとおり相談は無料なのだが、これまた泉の言うとおり、先ほどのは相談でもなんでもない。ただの自慢話であり、青木の口からも「ご報告と御礼」と言われていた。私はすぐに電卓をたたき、青木に額を見せる。
「……まさか、こんなところで出費があるとは思いませんでしたよ」
「今度からは身の振り方に気を付けることだ。編集部長になるんだろう?浅慮は直しておけ」
「勉強代っていうのは、大抵高くつくものですね」
私が差し出したトレイに青木が金を乗せる。……ちょうどだ。礼を言って引き出しに金をしまった。
「それじゃ、またいつか来ますよ。……失礼します」
予想外の出費に苦しそうな表情を見せながらも、青木は笑って事務所を出て行った。……今回の事件では、随分と青木にも助けられたが、彼もこの事件を記事にして相当儲けていたらしい。あまり遠慮しなくともいいだろう。
「全く、騒がしい奴だ」
泉がそう愚痴をこぼす。すると、その愚痴を咎めるようにドアベルが鳴った。一日に二人も来客があるのはそれなりに珍しい。……まあ、一人目は客でもなんでもなかったのだが。
「はい、ただいま」
考え事をして客を待たせるのは失礼だ。私はすぐに玄関に向かい、扉を開けた。そして、「えっ!」と驚いた声をあげてしまった。
「元山、前会長⁉なぜこちらに……」
「驚かせたようで悪いな。なに、事件が解決したからな、少し話そうと思ったのよ。……時間は問題ないかね?」
「え、ええ。問題ありません。どうぞ中へ」
私は元山前会長を中へと案内すると同時に、玄関扉に「取り込み中」の看板を掛けておいた。いきなり現れた彼には泉も相当驚いているようだった。
「それで、元山さんは一体何の用事で?」
「お前たちをねぎらいに来ただけよ。……谷岡の所にはもう行ってきた。あいつはずいぶん事務所を大きくしたものだな」
「……嫌味ですか」
「いやいや、そう言うんじゃない。ねぎらいに来ただけだと言っただろう。……そうなんでも悪い方に考える癖はまだ治っておらんようだな。また小言っぽくなってしまった。……とにかく、此度の事件解決。本当によくやった。日弁連の元会長としても礼を言うぞ」
日弁連という単語を聞いて思い出した。その組織もまたN局との取引に応じ、事実の隠ぺいを図った組織だ。……元山の表情はどこか晴れやかに見えた。
「一つ、話しておこう。……日弁連だが、組織の再構築が行われるようだ。政府としても、今回の一件はずいぶんと堪えているようでな、何とか関係者すべてに罰を与えることで、責任の分割を図ろうとしておる。情けないことこの上ないが、今は関係ないな。……新たに生まれ変わる日弁連の会長の席にはもう一度儂が座ることになるようだ。……まさかこの老骨が引っ張り出されるとは思わなんだ」
「……それで。わざわざ自慢をしにここまで来たわけではないでしょう」
「うむ。……弁護士に戻らないか、泉。わしが会長になれば、お前にも椅子を用意できる。もちろん羽田君にもだ。……もう前のように金で振り回されることもなくなるだろう。……悪い話ではないはずだ」
元山は真剣な目つきで泉を見つめる。泉もまた真剣な目つきで元山を見つめ返していたが、その緊迫をドアベルが遮った。……扉には「取り込み中」の看板を掛けておいたはずだ。出迎えに行こうとしない私を、泉がたしなめる。
「羽田君、客が来ているじゃないか。何をしているんだ?」
「しかし、今は元山さんの……」
「その話ならば断る。……そら、話は終わりだ。早く来客を出迎えに行くんだ」
「わ、わかりました」
玄関の扉を開けると、そこにいたのはいつもウチに来る中年の女性だ。そして依頼の内容もいつもの物だ。
「いつもごめんなさいね。またうちのダイちゃんがいなくなっちゃって。探すの手伝ってもらえないかしら」
私が何か受け答えをするよりも早く、中にいた泉が声をあげた。
「いいだろう。……羽田君、鰹節の用意を」
「あ、はい」
私たちは素早く出かける準備を整える。それを見ていた元山はなんだかうれしそうにソファから立ち上がった。
「……そうか。お前はこっちの方があっているようだな」
「ええ。俺は探偵ですから」
「そうか。……席は開けておく。気が変わったらいつでもこい」
元山はそれだけ言い残して事務所から出て行った。いつものおばさんは去っていく彼をじろじろと眺めていたようだ。「あの人誰?」と聞いてくるが、泉は「そんなことよりも、あんたの猫の方が大事なんじゃないのか」と諭す。
「それもそうね。……で、今日はあっちの方に行ったと思うんだけど……」
私たちは彼女が指さす方に向けて歩き出す。泉は弁護士ではなく探偵として。私は弁護士の助手ではなく、探偵の助手として。
読んで頂きありがとうございました。宜しければ評価・感想のほどよろしくお願いいたします。




