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虚義  作者:


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中編

前回のあらすじ

国民的アイドル高木の「コンプライアンス違反」疑惑を受け、調査を開始した泉達。しかし、敵の全容を掴むことはできず、謎が増えていくばかり。唯一の手がかりはN局の社長室にいたという二人の謎の人物。彼らはその手掛かりを探るため、高木がロケ地として使っていた畑などがあるH県に向かっていた。


誤字脱字等、ご容赦ください。

 翌日、午前9時。朝食を済ませた私たちは、部屋で外出の用意を整えていた。H県の滞在は明日までだ、時間を無駄にすることはできない。


「今日はどうしましょうか」


「わざわざH県まで来たんだ。ここでしかできないことをするべきだろう。例えば……。あの工事現場」


「工事現場をどうするんです?」


「……忍び込んでみるか」


「まずいですよ、それは。不法侵入になりますし、もしイープラスの連中に見つかればただでは済まないのでは……」


 昨日出会った男、上村。あれだけ乱暴な男が『舎弟』であるなら、その上に立つイープラスはどれほど乱暴なのか想像もつかない。得体の知れない会社というのは厄介なものだ。


「わかっていたが、面倒なものだな。……上村に当たってみるか」


「あの男ですか。確かにいろいろ知ってはいるでしょうが、素直に話してくれますかね」


「いや、もともと奴には期待していない。適当にいろいろ聞いてみて、何が秘密かを探ってみるだけだ。……ああいうタイプは、すぐに顔に出るからな」


 私は上村の顔を思い出す。……確かに、彼の言うとおりだろう。そうして大まかな予定が決まったとき、泉のスマホが着信を知らせた。


「もしもし、どうした谷岡」


 どうやら相手は谷岡のようだ。わざわざ連絡してくるということは、何か進展でもあったのだろうか。昨日は疲れて早めに寝てしまい、ニュースのチェックができていなかった。


『昨日、N局から注意されたんだよ。あまり嗅ぎまわるなって。……お前、昨日何した?』


「……撮影現場をうろついてたら注意されただけだ。……それより、一つ調べてほしいことがある。イープラスって会社だ」


『聞いたことねえ会社だ。なんだそれ』


「建設会社らしいが、それ以上の情報はネットじゃ出てこない。弁護士先生の人脈で、どうにかならないか?」


『……わかった。調べてみよう。……くれぐれも気をつけてくれよ。次は注意じゃ済まなそうだ』


「了解」


 通話はあっという間に終わった。N局から注意が来るということは、昨日のうちに上村が本社に報告していたのだろう。手抜かりのない男だ。……そう思っていると、泉が座椅子に座り込む。すぐに出るつもりだったのだが、テーブルに資料を出して何かを書き足していた。


「先生、どうしました?」


「……おかしいと思わなかったか?なぜN局は俺たちではなく谷岡に注意したのか」


「それは、高木さんの件で私たちが調査をしているからで……」


「それを知っているのは俺たちと谷岡、高木だけだ。そして俺たちは一度もそれを口外したことはない」


 確かにそうだ。だが、先ほどの電話では谷岡がN局から注意を受けている。私たちと谷岡のつながりを彼らが知っているはずはない。


「……では、どうして……?」


「考えられる可能性は二つ。まず一つ目、俺たちを監視している誰かがいる」


「N局が私たちを監視していると?そんなことあり得ません」


「ああ、俺もそう思う。……仮にそうだとした場合、谷岡が最初に事務所に駆け込んできたときにはすでに監視されていたことになるからな。……谷岡が口外するようには思えないし、高木はN局を嫌っている。あいつらの益になりそうなことはしないだろう。考えられるとすれば、第三者がもともと谷岡を監視していた場合。俺たちは巻き添えを喰らったことになる」


「……高木さんの一件は、監視がつくほどの件だとは思えません」


 私は、率直な思いを口にした。確かに、N局は怪しい。訳も言わずに高木を切り捨て、得体の知れない会社に自らが所有していた土地を開発させようとしている。N局に悪感情がなくとも、何か薄汚いものを感じるのも当然だろう。だが、泉の言い分はどうだ。少々飛躍しすぎではないだろうか。……泉の表情は変わらなかった。


「まあ、俺もそう思う。たかがコンプラ違反で問題を起こした相手を監視する理由はない。……二つ目の理由は、あてずっぽうだ」


「あてずっぽう、というと……」


「今のN局の状況としては、『高木のコンプラ違反問題で、日弁連からの通達を待っている』状態だ。無理やり片付けた問題がほじくり返されている、神経質になるのも当然だろう。そんな中、不審者が撮影地の周りをうろついている。しかもそれは高木がレギュラーを務めていた場所だ。……N局の連中は何を思うだろうな」


「……粗探しされている、とかですか」


「まあ、そんなところだろうな。そして、今N局と揉めているのは高木とその弁護士の谷岡だ。俺たちは谷岡に雇われた調査員と思われたんだろう。……上村にな」


「ああ、昨日の……。なるほど、N局は彼からの報告を受けた結果、『どうせ谷岡の仕業だろう』と決めつけたということですか」


「そう。だからあてずっぽうということだ。……物事の事実というものは、存外あっけなかったりする。ふたを開けてみれば、複雑ではないことの方が多いだろう」


 泉は資料に「N局を表立って刺激しないこと」と書き足し、座椅子から立ち上がった。


「少し時間を取られたな。……まあいい。そろそろ行くとするか。羽田君、用意の方は?」


「はい、問題ありません。すぐにでも出られます」


「……では、昨日と同じ場所に向かおうか」




「お前ら、また来たのか」


 昨日ぶりにロケ地に足を踏み入れた。しかしその途端上村がアパートの2階から声をかけてくる。


「何回来たって無駄なことだ。お前たちが知っていいことなんか一つもねえんだよ」


「それは俺が決めることだ。……最近は撮影をしていないのか?」


 余計な人間の登場に泉の気が少し立っていたようだが、これを好機ととらえたのか質問を投げかけた。はたして彼は期待通りに応えてくれるだろうか。


「……なんでてめえにそんなこと聞かれなきゃいけねえんだ。部外者に話すことなんかねえ」


「畑はずいぶんと荒れているな。畑の手入れもできないのか、それともしている暇がないほど忙しいのか」


 上村の粗暴な物言いが聞こえてないかのように、泉は言葉を続ける。もともと上村に苛ついていたせいか、まるで挑発のように聞こえた。


「どうでもいいだろ。黙って帰れよ」


「話を変えよう。高木光一はどんな仕事ぶりだった?」


「……最悪だったよ。口を開けば面倒だのなんだの。スタッフを顎で使うれっきとしたクズだぜ、あいつは」


 取り付く島もないような物言いだったが、まさか乗ってくるとは思わなかった。その上積年の恨みとでも言うように饒舌にしゃべる。相当鬱憤がたまっていたのだろうか。彼は泉の質問にも普通に答える。


「ほう?俺が聞いた話とは違うようだが。……彼は誰が相手でも優しく接する人格者だと聞いたのだが」


「誰が言ったか知らねえが。高木から金もらってしゃべってるか、あいつの本性を知らねえだけだろう。自分の思い通りにいかねえとすぐに声を荒らげるんだぜ?いやあ、やってられねえよ」


「……そう言えば、お前は番組のディレクターだったな。被害にあったことでもあるのか」


「当たり前だろ。あいつは俺へのあたりが一番強かった。ちょっとでもミスするとすぐに怒鳴りやがる。消えてくれて清々するわ」


「それが、高木が消えた原因ということか。スタッフに対するパワハラ……」


「さあな。お上は秘密にしたいみたいだし、俺は口止めされてんだ。お前なんかに言えるかよ」


 やはりそこは秘密にされてしまうか。泉も深く問い詰めるようなことはせず、話を変えた。


「……最近は再放送ばかりで誤魔化しているようだな。もしや撮影の方法を忘れたか?」


「うるせえな!今日は忙しいんだよ、お前と違ってな」


 今の言葉に、泉は何かを感じ取ったようだ。右眉を釣り上げて反応していた。


「ほう?忙しいのか。アパートに籠りっきりで監視ばかりのくせに、何が忙しいのやら」


「……ああ。俺は探偵みたいな何やってるかわからねえ奴よりは忙しくてな。今日だってこれから……」


「『これから』?」


「……話す訳ねえだろ。さっさと失せろ。これ以上ここに居座るなら警察呼ぶからな」


 泉は公権力にもそれなりに顔が利くらしいが、それは昔の話だ。今でも知り合いが残っていればうやむやにしてくれるだろうが、面倒事は避けられるのなら避けるべきだ。


「先生、ここは……」


「ああ。帰るしかないな」


 泉は踵を返す。上村はそこで自らの勝利を確信したのか、大きな高笑いをあげた。別に勝負をしていたわけではないが、気に入らない人間が嬉しそうにしていると気分が悪い。何か言い返してやろうかと振り返ろうとしたとき、泉がそれを制止した。


「くだらない人間に付き合うな。これからどうすればいいかを考えるだけでいい」


「……はい、すみません」


「いや、どちらかと言えば君の反応の方が一般的だろう。愚かな人間相手には恨み言の一つでも言いたくなるものだ」


 なんだか気を遣われているようで余計に申し訳ない。……遠くに待機させていたタクシーまで少し早歩きになった。昨日とは違う運転手は「用事は片付きましたかい?お次はどちらまで?」と気さくに問いかける。泉はすぐに「旅館に戻ってくれ」と頼んだ。静かな車中、私は泉にこれからどうするかを尋ねてみる。


「先生、私にはこれ以上調べられる場所など思いつきません。何か手があるのですか?」


「何もない。……イープラスの本社は東京だ。何かを調べるにしても谷岡に頼るほかない。……現地ならば情報もいろいろ得られると思っていたが、妨害もあるとはな」


「……しかし、あれほど上村が必死になるとは。あの様子では何かしらの用事があるみたいでしたし。一体何の用事なんでしょうね」


「それは旅館に戻ってからにしよう。……これだけ揺れるなら、メモはとれない」


 彼がそういった途端、タクシーがひときわ大きく揺れた。窓から道を覗いてみると、砕けた石が跳ねている。石を踏んだのか。……泉の方に振り返ってみると、彼は腕を組んで目を閉じていた。




 旅館に戻った途端、泉は座椅子に腰を下ろした。私は彼の正面に腰を下ろし、話を切り出した。


「先生、上村の件ですが……」


「ああ。奴の『用事』についてだろう?……タクシーの中でいろいろ考えてみたが、どれもはっきりしないな」


「どれも、とは……。いくつか考えられる可能性があるということですか」


「ああ。まず一つ目はただのハッタリ。用事なんて存在せず、俺たちはうまい具合に追い払われただけ。……可能性としてはあり得るが、個人的には違うと思っている」


「それはなぜですか?」


「奴が昨日取ったであろう行動だ。……N局から谷岡への忠告。タイミングを考えると、上村が俺たちに事をN局に報告した可能性が高い」


「……そうですね。彼らにとって私たちは『野次馬』のようなものですね」


「そうだ。何を嗅ぎまわってるかわからない奴が二人、不穏分子でしかない。……N局かイープラスか。どちらかの責任者が様子を見に来ても不思議ではないのではないか。これが二つ目の説だ」


「なるほど、関係者以外を容易に立ち入らせたとなれば、責任問題にも発展するでしょう。その上、彼らがやろうとしていることを考えると、あまり表立ったことではなさそうです」


「来るのはおそらく工事の現場監督だろう。あの場にN局の重役が顔を出していることを誰かに見られれば、余計な情報を与えられることになる」


「あの場にいても違和感がなく、なおかつ諸問題に対処できる責任者。確かにそうかもしれませんね。……それならば猶更、彼らに聞き込みをするべきだったのでは」


「あのままならどうせ警察を呼ばれていただろう。ここじゃツテはないし、谷岡にも迷惑がかかる。不用意な行動は控えるべきだ。……それに、何も収穫なしという訳ではない」


「え?そうなんですか?」


 あの場でできたことなどほとんどない。早々に上村に追い返されただけだ。だというのに彼は、真剣な眼でそう言った。


「まず一つ目。N局とイープラスの関係性だ。N局ディレクターの上村が監視と報告を務めているあたり、やはりN局が下なのだろう。だが、下だからと言ってあの場に関わるほぼすべてをしているわけではないみたいだな」


「……上村が言っていた用事ですか。しかし、それは私たちが勝手に考えているだけで……」


「ならなぜ上村は実力行使に出なかった。俺たちは昨日も顔を見せた。そして今日も見せれば警察への通報程度はすぐにするだろう。しかし、それはなかった。結局あいつがしたのは甘い脅し程度だ。……その上、俺との会話にも答えていたしな」


「確かにそうですね。呼ぶチャンスはいくらでもあったのに、結局呼ばずじまいで……。どういうことなのでしょう」


「さあな。本当に呼ぶ気がなかったのか、それとも警察にすら知られたくない何かをしていたのか。……二つ目の収穫は、上村の高木への態度から見えてくる」


 私は先ほどの上村の物言いを思い出す。……最悪だのクズだのと、彼の高木に対する評価はさんざんな物であった。だが、昨日の間に井川などからも高木の評判を聞きだしていた。彼らは高木を善人だと評している。まさに真反対だが、高木は猫をかぶっていたのだろうか。


「かなり嫌っているようでしたね。クズとも言っていましたし」


「……まあ、あれは大方N局の上層部に『そう言え』とでも命じられたんだろう」


「そうなのですか?しかし、そんな証拠は……」


「市川百合の話を忘れたか?……あのアパートはもともと番組スタッフの仮住まいとして使われていた。だが、突如人事異動が行われ、番組スタッフも入れ替えとなった。そしてそれ以降あそこでは番組の撮影が行われていない。そして、市村百合の言葉。『ここにはもう工事賛成派のスタッフしか住んでいない』。……要するに、上村が高木を嫌うきっかけなどない」


「……それでは、彼の言葉は……」


「高木に関しての物は全て嘘だと言っていいだろう。卑怯な印象操作とは、随分とテレビ局らしいやり方じゃあないか?」


「しかし、あの場で嘘をついて何になるのですか。先生がすぐに暴いてしまいましたし」


「それは分からん。だが、暴かれぬのならそのまま高木の印象が悪くなり、もしかすると弁護士も負けを悟って降りるかも知れないと踏んだのだろう。仮に暴かれたとて、『上村が嘘をついた』だけだ。一番の問題である、『N局自体が関与したかどうか』という部分は濁される」


「安全圏から、こそこそと。……と言うことですか。何と卑劣な……」


「所詮テレビ局で働くような連中だ。低俗な思考しか持ち合わせていない。……話を戻そう。上村についてだが、奴が自分であんな嘘をつこうと思いつくと思うか?」


「……いえ、思いません。先ほど先生がおっしゃった通りならば、彼は高木さんを嫌うきっかけなどなかった。つまり、彼にとって高木さんは『どうでもいい人物』だったはずです。そんな人間を貶めようとするのは合理的ではありません」


「まあ、人間は稀に合理的ではない選択肢を取るものだが、今回に限っては違うだろう。……もし奴の言い分が裁判で使われるとなったとき、奴は法廷で嘘をつかねばならない。当然谷岡たちは反論を用意するために調べまわり、市村百合にたどり着くだろう。彼女の証言によって上村の言い分は嘘だと暴かれたとき、N局はどれだけ不利になるだろうか。奴が嘘をついていたと知らずとも、『いい加減な証人を用意した』とみなされ心証は悪くなる。……最悪の場合、それがとどめとなることも十分あり得るだろうな」


「しかし、言い方は悪いでしょうが上村のような男にそこまで考えられるものですかね。見た限りではそれほど法律関係に明るくは見えませんでしたが」


「奴が賢くなくとも、企業には大抵、顧問弁護士とやらがついているだろう。そいつからの入れ知恵ということも十分考えられる」


「……つまり、N局は全体で高木さんを貶める風説を流しているのではないかということですか」


「積極的にはしていないだろうがな。今回のように、聞かれたのならば悪罵を放つ程度だろう。……これが収穫の二つ目。N局の今回の件に対する態度だ」


 もし仮に、本当に高木が何かしらのコンプライアンス違反を犯していたとしても、その問題に関係していない人間にまで彼を悪く言わせるというのは、あまりにも人道に悖る行為である。これらが事実ならば、N局はかなり劣悪な企業であるのだが、証拠はない。泉もそれをわかっているのか、よどみなく話したというのにその表情は暗く沈んでいるようだった。


「荷物をまとめよう。明日には帰るんだ、今日はもうこれ以上何もできることなどない」


「……わかりました」


 こうして、私たちのH県遠征ははっきりした成果を得られぬままに終わることとなってしまった。




 翌日、新幹線から降りると谷岡が出迎えてくれた。彼は「土産は買ってきたか」と明るい声で言うが、表情に明るさはなくどこか疲れているようにも見えた。事務所へと戻った私たちはH県での出来事を報告した。テーブルには買ってきた土産の菓子を並べている。


「……そうか。これと言った収穫はないのか」


「ああ。どれも推論の域を出ない。これだけではただの陰謀論だと笑われても反論できん。……そっちはどうだった。何かN局の動きは?」


「いや、N局は特に何もなかった。まるであんな揉め事なかったみてえにぴんぴんしてるよ。……けどな」


 谷岡の歯切れが悪くなってしまう。このタイミングでN局の件以上に面倒な案件でも抱えてしまったのだろうか。そんな彼を泉は急かす。


「けど、なんだ。もったいぶるほどの物か?」


「……ある記者がな、俺や高木の周りをうろついてやがる。どうにもN局絡みのようだが、こっちを悪し様にしてやろうって様子は見えねえ。ただの興味本位みたいなんだが、しつこくてな」


「N局の会見が原因だろうな。あんなに他人を舐めた会見を開けば、躍起になる記者の一人や二人出てきたところで不思議でもなんでもないだろう。……で、N局周りを嗅ぎまわった結果追い払われて、関係者である谷岡と高木本人に取材しようって魂胆だろう」


「まあ、そうだろうな。高木はああいう手合いに慣れてるのか簡単にあしらうんだけどよ。俺の方は何とも。たまに依頼者のふりして事務所に入ってくるからたまったもんじゃねえ」


 谷岡がそう言った瞬間、来客を知らせるベルが鳴った。私たちはそろってハッと顔をあげ、ゆっくりと互いの顔を見る。その間にもベルは鳴り続いていた。私は席から立ち上がり、ドアへと向かう。谷岡は額に汗を浮かべながら「いや、そんなわけはない」と繰り返していた。ドアスコープ越しに見た人物は、ただの男性だった。20代後半と言ったところの、快活そうな男性である。私は鍵を開けた。


「お待たせして申し訳ありません。今日はご相談でしょうか?」


「はい。泉先生に相談したいことがございまして」


「承知いたしました。それでは、こちらにどうぞ」


 中へと案内した男性を見た途端、谷岡は大きな悲鳴を上げた。そして続けて「お前しつこいぞ!」と責め立てる。……どうやら彼が、谷岡が話していた件の記者のようだ。一応客人であるため、いつものようにソファへと座らせる。彼は席に着くとすぐに胸ポケットから名刺を取り出し、にこやかに泉に差し出した。


「俺、青木って言います。正道新聞の記者やってます」


 泉は彼に覚えがあったのか、小声で「青木、青木……」とつぶやいている。そして。


「思い出した。お前、谷岡と高木が会見してるときに会場にいた奴だな。話の途中で手を挙げて無視されていた、あの……」


「いやあ、お恥ずかしい。あの後ウチの社長にも叱られたんすよ。『人の話は最後まで聞け。こんなの小学生レベルだぞ』って」


 彼はへらへら笑いながら話す。恥ずかしいことだとは微塵も思っていないのだろう。彼は泉が苦手とするタイプだ。


「……それで、相談とはなんだ。こんな下らん世間話をするためにここに来たわけではないのだろう」


「ああそうだ。俺は別に世間話をするためにここに来たわけじゃないんですよ。……泉先生は、谷岡弁護士に協力して高木さんの件を調べているんですよね」


 座る席を映していた谷岡は大きくため息をついた。おそらくこうして彼に付きまとわれていたのだろう。泉は表情を変えずに彼の質問に答える。


「ああ。それがどうかしたのか?」


「谷岡弁護士も高木さんも、全然情報を公開してくれないんですよ。ですので、関係者である泉先生に教えてもらおうかな、と」


「当たり前だろ。守秘義務ってのがあんだよ」


 泉が答えるよりも早く谷岡が口をはさむ。しかし青木は「あなたには聞いていません」と冷たく突き放つ。そしてすぐににこやかな顔を作り上げ、泉に迫った。


「それで、どうですか泉先生。何か新たな情報はあったりしませんか?」


「ない。何かあるなら会見を開いている。わかったら帰れ」


「そんな冷たいこと言わずに。……そうだ、俺の方からも一個面白い情報を差し上げますよ。交換というのはどうでしょう?」


 青木はなお食い下がる。谷岡は呆れたような様子だが、泉は表情を変えることはせず、「先にお前が話してみろ」と乗り気な様子だ。青木は一度深くうなずくと、「とっておきですよ」と前置きした。


「今年十月頃から各地で山火事が頻発しているのはご存知ですよね。今朝もニュースでやっていましたし」


 最近は空気の乾燥が目立つ。それに影響されたのか、彼の言うとおり山火事が頻発していた。自然発火ではなく不始末によるもののようだが、枯れ葉のせいで燃え広がってしまうようだ。


「……それがどうした」


 泉の疑問はもっともだろう。山火事の情報のどこがおもしろいのだろうか。……青木は「まあまあ」と泉を落ち着かせる。どうやら本題はここからのようだ。


「消防などの調べで、火事の原因は突き止められてはいるんですよ。大抵は煙草のポイ捨てだったり、あるいは野焼きだったりと。……ですが、誰がそれをしていたかははっきりしていないんです」


「……ほう?」


 今の話のどこかに、泉の興味が向いたようだ。青木もそれを感じ取ったのか、より詳しく話す。


「煙草の吸殻や野焼きの痕跡はすぐに見つかるのですが、それをした人物が見つかっていません。通報者はすべてが関係のない第一発見者のようです。ポイ捨てはもともと無責任な行為ですからともかく、野焼き中にどこかに行くというのはあまりにも不用心が過ぎますよね」


「何の話だよ。わざわざここまで来てする話か?俺たちは今忙しいんだよ」


 もともと青木のせいで疲れていた谷岡は、彼に対する怒りを隠そうともせずにぶつける。……彼の言うことには一理ある。確かに山火事は大変な話だとは思うが、今の我々に直接関係ある話だとはとても思えない。そんな疑問を拭い去るように、青木は胸ポケットから取り出した手帳をパラパラとめくる。


「本題はここからです。……先月、S県の山火事は何とか消し止められました。しかし、焼け野原となるはずだった部分には、ある別の変化が起こっていました。……工事用の幕で囲われていたのです。緑色の幕には」


「イープラス、だろう?」


 その言葉が自分の口以外から出てくると思っていなかったのか、青木は目を見開いて泉を見る。そしてそれは私も谷岡も同じであった。


「……ご存知でしたか」


「俺たちもいろいろ調べたからな。……しかし、イープラスか」


 高木の番組のロケ地周辺を開発しようとしている新興企業の名が、まさか彼の口から出てくるとは思っていなかった。


「それじゃあ、交換ですよ。何か面白い情報はないんですか?」


「いいだろう。……そのイープラスという企業だが、N局の土地を買い取ったか依頼されたか不明だが工事予定地にしている。それは、高木が出演していた番組のロケ地付近だ」


「そ、それは本当なんですか……」


 青木はメモ帳に書き込む手を止め、泉の顔を見つめた。彼はくだらない嘘をつくことは決してない。


「実際にそこまで行って確かめて来た。……イープラスという企業がどのような企業なのかはまだわからないがな」


 青木は興奮した様子で、さらに泉に詰め寄ろうとしたが、彼はそれを冷たくいなす。


「情報の対価としては十分だろう。これ以上知りたいことがあれば、お前も価値のある情報を出してみるといい」


「……そうですね、そう言う約束でしたね。……では、そろそろお暇させていただきます。泉先生、ありがとうございました」


 青木は谷岡には目もくれず、泉に礼を言って席を立った。玄関先まで見送ると、「どうもお邪魔しました」と言って去っていった。根はそこまで悪くないのだろう。部屋へと戻ると、谷岡が大きなため息をついていた。


「悪いな、泉。お前も目を付けられちまったみたいだ」


「構わん。記者は情報源としてそれなりに信用できるだろう。口の堅さはあまり信用していないが」


「……そうか?まあ、お前が気にしていないなら俺は構わないが。……そろそろ俺も帰るとするよ。協力してくれてありがとな」


 谷岡もまた礼を言って帰っていった。あっという間に静かになった事務所内で、泉は大きくため息をついていた。




 H県から戻って3日が経った。N局の動きがないせいか、谷岡もどう動くべきか悩んでいるようだった。もう一度N局で情報収集することも考えたが、上村のせいで私たちが谷岡の協力者であることはすでに彼らに知られてしまっている。今一度見学の申し入れをしたところで、断られるのは目に見えていた。その上、N局の件以外の依頼も今の所ないため、私たちは暇を持て余していた。


「……うーん……」


 何もやることがないとそわそわしてしまう。仕事がないときとは違う、どうにもならない焦燥感だ。何か出来ることがないのか考えてしまう。


「羽田君、少しは落ち着け。唸っていたところで事態は好転しない」


「しかし、3日も何もないままでは……」


「……大丈夫だ。そろそろあいつが来る」


 泉はそう言いながら仕事机から立ち上がる。まるで示し合わせたようにドアベルが鳴った。急いで玄関に向かうとまたあの男がドアスコープの先にいた。


「……青木、なんでここに?」


 そう疑問を口にした瞬間、先ほどの泉の言葉を思い出した。「あいつが来る」。あいつとは、青木のことなのだろうか。……いつまでも外で待たせるわけにはいかない。私はドアを開けた。


「どうも、3日ぶりですね」


「……ええ、そうですね。今日はどのような用事で?」


「あれ、知らないんですか。俺、泉先生に呼ばれたんですよ。『調査を手伝ってほしい』って」


 あまり信じられない言葉だが、泉は「あいつが来る」と言っていたことからしても事実なのだろう。彼を頼りにする調査とは、一体何をするつもりなのだろうか。兎に角、彼を案内しなければ。


「……まあ、ひとまず。中にどうぞ」


 青木を中へ案内し、ソファに座らせる。泉はすでに向かいに座っており、彼が部屋に入ってきたときに「来たか」とつぶやいていた。彼が席についた途端、泉は口を開く。


「調査の進捗は?」


「まあ、それなりと言ったところで。あの会社は情報が少なすぎますね。ただ新興企業だからってわけじゃなく、意図的に隠しているような気がしますね」


「……やはりそうか。ひとまずわかったところまでで構わない。調査結果を報告してくれ」


「泉先生?イープラスの調査については、谷岡さんに頼んでいたのでは?弁護士のツテを頼るとか……」


「谷岡も俺たちも、もう奴らに目をつけられている。何か探ろうと動いても、危ない目に合うだけだろう。……だから、青木を頼った」


 そう言うことだったのか。彼が妙に落ち着きがあったのも、納得がいく。……青木の調査の結果、聞かせてもらうとするか。


「遮って申し訳ありません。それでは青木さん、報告の方、お願いします」


 私に指図されるのは気に食わないのか、青木は少し眉をひそめていた。しかし、泉の催促によりすぐに手帳を開く。


「ええと、まずは……。創業は1年半ほど前。社長は飯島義彦、年齢は四十ちょうどですね」


 青木は手帳に挟んでいた写真を泉へと差し出した。写真に撮られたひげ面の巨漢は、こちらに目線を向けていない。……隠し撮りか。


「これはどこで?」


 つい気になってしまい、尋ねてみる。青木は少し何かを悩んでいたようだが、またもや手帳をめくり始めた。


「……イープラスの本社が、S県K市にあるんです。この写真はイープラス本社近くで撮ったものです」


 手帳のページをちぎりとりながら彼は言った。ページには本社の所在地が記されている。


「ふむ……。他には?」


「社長の飯島は、あまり本社にはいないようですね。取引かそれとも懇親会か、そこまでは追えていませんが、よく会社を開けています。その間は、副社長の宮木一郎という男が代理で社長の業務を行っているようです。……写真にも映っていますよ。頭を下げてる男です」


 青木に言われるがまま写真を見直すと、飯島の近くにお辞儀をしている男性らしき姿を見つけた。飯島は彼のお辞儀を右手で適当にあしらっているように見える。随分と不遜な人柄なのだろう。宮木という男は、顔を下げているせいかどのような人物かはよくわからなかった。


「これが宮木か。……高木が言っていた肥満体系の男というのは、飯島で間違いないだろう。ひげ面という特徴もあっている。ただ、奴はあまり会社にはいないんだったな」


「ええ。理由はよくわかりませんが。車を使って遠出しているようです。……情報としてはこんなところでしょうか」


「……経営状況などは調べられなかったか」


「中には入れなかったんです。社員らしき人物は何人か本社ビルの中に入っていきましたが、実態があるかどうかについてはなんとも。受付らしきものもなく、問い合わせはEメールで行うしかないようですね」


「……直接行ったところで、どうにもならないか」


 泉はどうやら直接イープラスの本社に乗り込むつもりのようだが、青木はすぐに首を横に振った。


「まず無理かと。思ったより警備が厳しいんですよ、あそこ。俺ももう目をつけられてるみたいで、次は声をかけられるかもしれないんですから」


 泉は軽く鼻を鳴らしてあしらう。「どうでもいい」と言っているようだ。……しかし、この状況はあまりどうでもいいものではない。


「せっかく手掛かりが手に入ると思ったのに、すぐに手詰まりですか……」


「……ひとまず、問い合わせだけはしてみよう。諦めるのはまだ早い」


 泉はすぐにノートパソコンを開き、イープラスの問い合わせフォームを検索する。表示されたのはメールアドレスを打ち込む枠と、問い合わせ内容を打ち込むための枠のみ。今まで会社への問い合わせなど利用したことはなかったが、思っていたよりも殺風景に見えた。


「……『S県の山火事の跡地にある貴社の工事現場について。外部に工事計画が掲載されておらず、工事の概要を把握できない。あれは何の工事なのか』……。こんなものでいいだろう」


 泉は適当に質問をでっちあげ、すぐさま送信ボタンを押した。画面には「社内協議の上、返答いたします」とだけ表示されている。なんだかぶっきらぼうにも思えた。それは泉も同様であったのか、「気に食わんな」と苦言を呈している。……イープラスへの問い合わせも終わり、一段落ついた頃、青木が席を立った。


「それじゃ、俺はこれで。また何か新しい情報を手に入れたら連絡します。……じゃ、そう言うことで」


 青木はひらひらと手を振って見送る暇もなく事務所を出て行った。態度はあまりよくないが、勤勉な人物だ。信用してもいいのだろう。……そう言えば、なぜ彼はこれほどまでに協力的なのだろうか。興味が先行しているとはいえ、泉の言いなりになって動くとは考えづらい。私はとあることを思いついた。


「先生、彼とは何か取引を?」


「……高木の件で何か新しい情報が出た場合、正道新聞に真っ先に伝えるという取引をな」


「……いいんですか?谷岡さんは……」


「あいつからも許可はもらっている。それに、『今すぐ新しい情報なんて出るわけないし、構わない』と言ったのは谷岡だ」


 まるで青木を騙しているようで気が引ける。しかし、彼もそれをわかったうえで取引に応じているのだろう。だからこそ泉に対して従順なのだ。……私に対しては少し態度が悪かったが。


「羽田君。明後日、金曜の予定は?」


 ぼんやりと考え事をしている最中、泉に名を呼ばれて意識が引き戻される。……彼が予定を聞こうとするとき、大抵は遠出の合図だ。


「いえ、何もありませんが。……まさか」


「察しがいいな。……イープラス本社。どのようなものかこの目で確かめようじゃないか」




 二日後。谷岡や青木からの新たな連絡はないまま、イープラス本社に乗り込む当日となった。会社までの車中、泉はあることを憂いていた。


「……飯島だったか。会談か何かは知らないが、放浪癖があるとはな。高木の話では、飯島が『ひげ面の肥満体系』で間違いないはずだが、会えないことにはどうしようもない」


「仮に会えたとしてどうするんです?私たちは飯島が高木さんの件に関わっていたことを証明する方法は何もないんですよ?」


「今すぐにどうこうしようという訳ではない。……ただ、高木の番組のロケ地。工事現場になってしまったあそこは、『工事計画が掲載されていない場所』だった。それをつつくことはできる」


「……つついて、どうなるんですか?」


「あわよくば、あの工事現場で何が行われるのかを聞き出す。……難しいだろうがな」


 私はここで、一昨日イープラスに同じような内容の問い合わせをしていたことを思い出した。泉がそのことについて何かを言った記憶はない。


「先生、そう言えばなんですが。イープラスへの問い合わせはどうなりました?」


「ああ、あれか……」


 何かを思い出すように言葉を詰まらせる泉。どうやらあまりよい報告は聞けないようだ。


「未だ返答は来ず、だ。……全く、舐めてくれるものだな」


「都合が悪いからだんまりを決め込もう、ってところですかね」


「このSNS社会でそれは悪手だろう。すぐに拡散されて、滅茶苦茶に叩かれまくるだろうさ。……羽田君、SNSでイープラスを調べてみてくれ。もしかしたら広報のアカウントがあるかもしれない」


 私はすぐにスマホを手に取りSNSでイープラスの単語を検索してみる。すぐにいくつかのアカウントと書き込みが発見された。


「ありますね、イープラスの広報。活動開始時期は約一年半前。創業時と同じですね。……思っていたよりも、活動は活発ですね。一日に二、三回程度は投稿を行っているようです。どれも会社の情報に関するようなものではありませんが」


 どちらかというと、広報の人間の一日が映されているものだった。朝遅めの出勤、電話に追われない昼食、少し値の張る夕食に、充実した休日の様子。そのいずれもが、「ウチの会社に入れば、今すぐあなたも人生勝ち組」と喧伝していた。その投稿に対する反応も多数ではあるが、内容は様々で特にめぼしい物はない。


「……駄目ですね。いろいろ見ましたけど、会社の情報はほとんどありません。オフィスがたまに映るぐらいですが、それだけでは……」


「最近は中身のない会社が増えているらしいな。コンサルだの派遣だのと。小賢しい人間どもの巣窟になっているかもな」


 何やら私怨が混ざったような物言いをする泉を珍しく思った。もしや過去に何かあったのだろうか。聞こうか悩んで、意を決したとき。泉は「おっ」と声をあげた。


「……青木が言っていたのはあれだろう。なかなか大きなビルだな」


 周りはおそらく十階程度のビルが立ち並んでいるというのに、その中にひときわ大きなビルが存在する。そのビルの外壁には小文字のeをいじった会社のロゴが張り付いていた。工事現場ではアレを見た覚えはない。泉は車を脇に寄せ、イープラスが視界に入るあたりで車を停める。まずは車内から様子を見るようだ。


「あまり人の出入りはないようだな」


 現在の時刻は午前十時半。出勤時間はとうに過ぎており、業務はとっくのとうに始まっている時刻だ。泉は商談などで出入りする者を探しているのだろうか。出入り口の左右は警備員が固めており、彼らにつかまらずビルに立ち入るのは不可能だろう。


「……かなり綺麗ですね、ビル」


「建てられてから二年も経ってないからな。……最初からこんな大きなビルを建てるとは、とんでもない資金力だな。飯島という男、かなりのやり手か?」


「青木は飯島の年齢を四十と言ってましたよね。かなりの若さですが、ここまで大成できるものなんですかね。前職で稼いでいたりしたんでしょうか」


「さあな。胡散臭い人間が大好きな投資というのもあるだろう。それで一財を成したのかもしれん。……青木に調べてもらうか。前職の経歴が出てくるかもしれんな」


 泉はメモ帳にこのことを書き込んでいく。……走っていたペンが止まり、メモ帳がぱたんと閉じられた。泉は後部座席に置いていた鞄を手に取り、中から資料を引っ張り出す。


「最終確認だ。俺たちは今からイープラス本社に出向き、社長の飯島もしくは副社長の宮木に会う。そして、工事現場で何をしているか問い詰める」


「……中に入れるんでしょうか?」


「それは、俺に任せておいてほしい」


 何か作戦でもあるのだろうか。泉は余裕を顔ににじませる。


「……行くぞ」


 私たちはシートベルトを外し、車から降りた。私は目の前にそびえるビルを見上げる。周りに建てられたビルと比べ、一回り、いや二回り大きいビルを見上げていると、頭がくらくらしてくる。泉はそんな私に「何をしている。早くいくぞ」と急かすのだった。




「失礼。許可のない方はお通しできません」


 イープラス本社前。後一歩、二歩の所で、警備員に引き留められた。当然と言えば当然だが、泉は何やら秘策を用意してきたようだ。彼は一体何をするのだろうか。そう思っていると、彼は自身の上着のポケットに手を入れ、何かを探している。そして、ポケットの中に入っていた何かを警備員相手に見せつけた。……弁護士バッジだ。彼はまだ会費を支払っているため、名義上は弁護士として扱われる。嘘はついていないが、果たしてどうなるか。


「今俺が担当している案件で、イープラスが関係しているかもしれない。責任者と話をしたい」


「……そのようなお話は聞いていません。アポを取っていただかないと」


「アポを取ろうとメールを送ったがね、未だに返答が来ないんだ。一企業として連絡が滞っているというのはいかがなものかと思うが」


「返答が来ないのであればもう少し待ってみてはいかがですか。……結局あなたは許可を取れていないのでしょう?そんな人物を中に入れる訳にはいきません」


「しかしだな……。いや、もうどうでもいい。帰るぞ」


 やはり無理だ。いくら弁護士だからとはいえ、特権などはない。泉も諦めたのか、無理やりに会話を切り上げる。だが、泉の表情は意外なものだった。苛立ちでもなければ悔しさでもない。……海賊が宝を見つけた時のような、ぎらついた眼をしていた。


「……早くいくぞ。間に合わなくなる」


 彼は早足で車に乗り込み、エンジンをかけ始める。私も急いで乗り込み、シートベルトをすると車は急発進した。


「ど、どうしたんですか⁉」


「……飯島が降りてきたのが見えた。奴は正面で俺が騒いでいるのを見て、裏口に向かった」


 なるほど。だから無理矢理に会話を切り上げたのか。車はかなりのスピードを出し、あっという間にイープラスのビル裏に到着した。


「……いた、あいつだ」


 泉は車の中から指をさす。その先にはかなり太った男が立っていた。彼の目の前には対照的に少し痩せ過ぎのように見える男もいる。飯島と宮木だ。ビル密集地帯ということもあり、ビル風が声を運んでくれる。


「……はどうした?」


「……返したようです。今後は……」


「……そうしたまえ」


 何を言っているのかはっきりと聞き取れない。泉はスマホを向け、動画を撮っているようだった。そうしているうちに、飯島は車に乗り込む。泉はすぐに撮影をやめ、ハンドルを握った。


「尾行するぞ」


「……気づかれたらまずいのでは」


「もし気づかれたとしても、取引なり商談なりに遅刻するわけにはいかないだろう。あいつもいちいちことを荒立てる真似はしないはずだ」


 泉は尾行する気満々のようだ。こうなってしまえばいくら言ったところで聞く耳を持ってくれないだろう。覚悟を決めるほかない。……泉が運転する車は、ゆっくりと動き出した。先を行く飯島はこちらが尾行していることに気づいているのだろうか。泉も緊張しているのか、口を開くことはない。飯島が乗った車は迷うことなく道を進み、高速道路へと入っていく。泉はわざと遅らせたのか、間に別の車を挟んで高速道路へと続いた。




「この方面は、西の方ですね」


 飯島が乗った車が向かっているのは関西方面だ。どこまで行くかわからない以上、遠出の準備ができていない私たちはどこかで引き返さねばならないか。


「……どこまで行くつもりなんだ」


 長時間の運転に泉も疲れを見せ始めている。しかし、彼らの車はSAで止まることもなくどんどん先を進んでいく。泉はため息をつきながらもハンドルを握りなおす。真上にあった太陽が傾き始めた頃、ようやく彼らの車は高速道路から降りて行った。私たちはすでに普段住んでいる地方を越え、M県へと入っていた。


「まさかこんなところまで来るなんて。飯島の目的は一体何なんでしょう」


「……さてな。まだ尾行は終わったわけじゃない。気を引き締めなければ」


 彼の顔には色濃く疲れが浮かんでいた。彼らの車はゆっくりと道路を進んでいる。目的地までもう少しなのだろうか。……助手席から眺めていると、ついに飯島が乗った車が止まった。何やら高級そうな日本料理屋だ。店の中からは女将がわざわざ「お待ちしておりました」と飯島を出迎えに出て来ている。かなりの太客なのだろう。彼は荷物を女将に持たせ、中へと入っていった。飯島を乗せていた車は彼が店に入っていったことを見届けると、その場から走り去っていった。泉は少し車を走らせ、店の前で停める。


「……『小料理屋・山波』。聞いたことないですね。チェーン店とかではなさそうですが……」


「ここは、お偉いさん方御用達の高級店だったな。前に弁護士会で名前を聞いた覚えがある」


 どうやら泉はこの店を知っているようだ。だが、その表情から察するに、あまり詳しいことは知らないのだろう。


「大企業の顧問弁護士になった先輩が自慢げに話していた気がする。……興味がなくて聞き流していたが、まさか役に立つとは」


「どういう店とか、何か詳しく話していたりしませんでしたか?」


「……企業の社長はもちろん、政治家なんかも良く店に来るようだ。有名どころで言えば、今は国土交通大臣をやっている倉持雄三が、この店を贔屓にしているらしい」


 顎に手を添えながら、泉は記憶を絞り出している。少しの間「うーむ」とうなっていたが、ついに「これ以上は思い出せないな」と諦めたようだ。


「中に入ってみますか?」


「……いや、無理だ。あそこは完全予約制で、そのうえ一見さんお断りでな。お偉いさんの紹介がないと入れない。……目的地がここだったことが分かっただけでも十分な収穫だろう。……宿を探そう」


 泉は静かに車を走らせる。何とか駅前のビジネスホテルで部屋を借りることができ、ようやく身体を休めることができた。




 食事と入浴を済ませ、部屋に戻る。今日一日ほぼ運転しっぱなしだったせいか、泉はすぐさまベッドに寝転がり、珍しくダラダラとスマホをいじっている。私は窓際に置かれた一人掛けソファに腰を下ろす。意図せず遠出になってしまい、身体には疲労がたまっている。今の所特に予定はないが、いつN局が動きを見せるかわからない。谷岡とまた何か話し合わなければならない状況になったとき、事務所にいないというのは非常に相手を困らせてしまう。明日には帰りたいものだ、そう考えていると、泉がいきなり口を開いた。


「飯島は誰かと会うつもりだったのだろうか」


 泉のスマホの画面には、山波のホームページが映っている。素材へのこだわりがどうだの、創業から何年たっただのと、あまりそこまで興味を惹かれるような内容ではない。しかし、泉が目を付けた部分は他の所にあった。


「……『完全個室』。何か密談らしきことをしたとしても、第三者に聞かれる恐れもない。……イープラスなどという、実績もほとんどない新興企業の社長があの店に縁などあると思うか?」


「確かに、紹介制だというのは先ほど聞きました。つまり飯島も誰かに紹介されたということまでは分かります。……しかし、普通に食事に来ているという可能性もありますよね」


「会社の経営を放ってこんなところにまでただの食事か。……まあ、ありえない話ではない。日本企業の重役というのはちっとも働かないからな。それにしてはずいぶんと遠出が過ぎる気もするが」


 確かにそれは泉の言うとおりだ。運転手がへこたれるほどの距離を移動してまで、その店の料理が食べたくなるほど恋しいというのは、理解の範疇にある。ただ、仕事をほっぽり出してまで、と言われると途端に首をかしげてしまう。休日などではだめなのだろうか。……あの店だ、いつでも空いているだろうに。


「先生のおっしゃりたいことは理解できました。……『料理恋しさには見えない』ということですよね」


「ああ。……だが、それ以上がない。俺の完全な妄想に過ぎないんだ」


 彼自身も、自分が言っていることはただの言いがかりだとは理解しているようだ。しかし、高木の件に飯島が関わっているかもしれない以上、疑ってしまうのも仕方のないこととは思う。泉は大きくため息をつき「そろそろ寝るか」とつぶやいた。時刻はまだ午後の八時だが、彼は疲れ切っているのだろう。私は彼の言葉に同意し、部屋の明かりを消した。




 翌日、午前八時。私たちはホテルのチェックアウトを済ませ、帰路に着いていた。昨日のように尾行で気を張る必要もない。昨日と比べて泉はだいぶリラックスしているように見えた。そんな時だった。泉のスマホが着信を知らせる。


「羽田君、代わりに出てくれないか」


「わかりました」


 泉のスマホは車内のドリンクホルダーの近くに置かれていた。持ち上げて画面を見ると、「谷岡」の文字。何かあったのだろうか。私は急いで電話に出た。


『もしもし?泉?お前今どこだ?』


「谷岡さん。泉先生は今運転中で、私、羽田が代わりに……」


『ああ、羽田君か。運転中ってことは、遠出でもしてたのか?』


「はい、高木さんの件で調べたいことがあったので、M県まで」


『M県⁉なんでそんなところまで……。まあいいや、帰ってきたら聞かせてくれ。どうせ泉のことだ、無駄なことじゃないんだろう。……それより、緊急で大事な話があってな。事務所で話そうと思ったんだが……。まさかM県にいるとは。今日中に帰れるんだよな?』


「はい、午後までには帰れるかと」


『わかった。電話じゃアレだし、帰ってくるのを待つよ。じゃ、あとでな』


 電話は終わった。元あった場所にスマホを置き、泉の表情を窺う。彼は小さくため息をつくと「少し急ぐか」とつぶやいた。それから三時間半後。何とか正午になる前に事務所に帰ることができた。泉はスマホで谷岡に連絡している。それから間もなく、谷岡は高木を連れ、両手に袋をもって現れた。


「ちょうどいい時間だしな。昼飯食べながら話そうか」


 テーブルの上にはスーパーで買ったであろう総菜が並べられていく。そして四人そろって「いただきます」と声をあげた。皆がそれぞれ食べたいものを小皿に取ったところで、谷岡は口を開く。


「先にこっちの報告からさせてもらうぞ。もう日弁連が動くらしくてな。来週からN局内の調査を行うとの連絡が来た」


 谷岡はタレがついた揚げ物を口の中に放り込む。一足先に春巻きを食べていた泉は、茶を一口飲んでから口を開いた。


「ずいぶん早まったな。前に話をしたときは、『二か月後に動く』と話していたが」


「だから何かおかしいと思って相談に来たんだ。早まる理由が俺には思いつかん。午前中暇だったから問い合わせてみたが、けんもほろろ、なしのつぶてとはよく言ったもんだな」


「早めた理由を説明できないなんてことがあるんですか?しかも、谷岡さんは高木さんからの依頼を受けた弁護士ですし、知る権利は十分あると思うんですけど……」


「俺もそう思っていたんだがな。あいつらにとってはそうでもないらしい。……お前が弁護士を辞めた理由、今になって何となく理解できるよ、泉」


 谷岡の小皿に乗っていた総菜はいつの間にか消えていた。彼が目で総菜を選んでいる間、高木が口を開く。


「やっぱり、これっておかしいことなんでしょうか」


 彼は不安そうだ。あまり食事が進んでいるようには見えない。……自分を取り巻く問題がわけもわからないうちに大きくなっていれば、不安に思うのも当然のことだろう。だが、泉は取り繕うことなどしなかった。


「ああ。かなりおかしい。不自然だ。……例えばだが。とある日に予定されていたこと、高木で言えば収録が分かりやすいだろう。それが、いきなり予定変更になって早まったらどう思う?」


「どうって……。なんで早まったのかなとは気になりますけど……」


「そうだろう。そして気になれば、聞き出そうとするだろう。『どうして早まったのか』とな。……普通は、理由を説明するものだとは思うがね」


「でも、日弁連は理由を説明しなかった……。いったいなぜなんでしょう?」


「……それを、今から考えるんだ」


 少し話して喉が渇いたのか、高木は茶を飲む。少しばかり緊張が和らいだのか、ようやく総菜を一つ口の中に運んでいた。




「とりあえず、こっちからの話はそれだけだ。……そっちは?M県まで行って何をしていたんだ?」


 谷岡からの質問に答えるよりも前に、泉はスマホを取り出して高木に画面を見せた。


「その前に一つだけ。……高木。N局の社長室にいたという肥満体系でひげ面の男は、こいつのことなんじゃないか?」


 その画面に表示されているのは、隠し撮りした飯島の写真。高木は奴の顔を見るなり、眼を見開いた。


「こ、この人です。……間違いありません、この人が……」


 谷岡も気になって泉のスマホをのぞき込む。彼は「確かに、話していた通りの姿だ……」と驚いているようだった。


「どこで撮ってきた?」


「……青木のおかげだよ。あいつが本社の所在地を突き止めてくれたからな。昨日行ってきた」


「それでわざわざM県まで?」


「いや、少し違う。ちょうど飯島がどこかに向かう所だったからな、尾行してきた」


 泉はスマホを操作し、山波の前で撮った写真を画面に表示した。


「奴の目的地はここだった。『小料理屋・山波』。お前も名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」


「……社長サマってのは羨ましいな。……で、こいつを追いかけるためにM県まで行ってきたってわけか」


「ああ、そんなところだ。……俺たちが得た情報はこれぐらいしかない」


「……弱いな」


 谷岡は苦しそうに声を漏らす。高木は飯島を見たといったが、確たる証拠もない。他人の空似と言われればそれ以上は追及できない。……イープラスとN局のどちらでもいいが、言い逃れできない悪事が見つかれば、奴らを話し合いのテーブルにつかせることができる。


「……ひとまずは、来週に控えたN局内部の調査に進展を期待するしかないですかね」


「そうだな。……谷岡、俺たちもその調査に同行できないか?」


 泉が調査への参加を申し出る。しかし、谷岡は首を横に振った。


「無理だ。……俺も参加できないんだ」


「何だと?なぜ高木の弁護士であるお前が調査に参加できない?」


「……さあな。どうあっても理由は話せないってよ。……ふざけやがって」


 この件の中心である高木から依頼を受けた谷岡が参加できないのなら、その調査にどれほどの価値があるのだろうか。理由も明かせず日にちが早まったことも気になる。


「日弁連は何を考えているんでしょうか。限られた人物だけが参加できる調査に何の意味が……」


「意味ならある。……『調査をした』という結果が欲しいんだろう。当事者の除外、急に早まった日にち。これらを総合して考えると、『口裏合わせが済んだ』ということだろう」


「口裏合わせ……?ということは、日弁連とN局は裏で……」


「何かしらの取引を行ったのだろうな。どちらが上の立場かはわからないが」


「……だが、泉。もしそうだとしても俺たちにはそれを暴き立てる証拠がない。やみくもに声をあげたところで、かき消されるのがオチだ」


「なら、かき消されないほど大きな声をあげればいい」


 泉はなぜか自信ありげにそう言った。私たちは皆困惑しているが、泉は私たちに説明をする前に、ある所に電話をかけていた。


「……もしもし。今、時間あるか?面白いネタがある。……ああ、すぐに来てくれ」


「……相手は誰ですか?」


「なに、すぐにわかる。……奴が来るまでの間、腹を満たすとするか」


 彼はもったいぶったまま話を終わらせてしまった。少し時間が経ってしなしなになったフライドポテトをつまんで、「これも意外とありだな」とつぶやいていた。




 泉がどこかに電話をかけてから十五分後。テーブルの上に並べていた食事はすべて食べ終え、プラスチック容器はすべて片付けた。そして、さんざん後回しにされたせいか、谷岡がしびれを切らした。


「泉。いい加減説明してくれ。誰を待ってるんだ?」


「……お前が嫌いな奴だ」


「は?……おい、まさか」


 谷岡には心当たりがあったようだ。彼がその人物の名を口にしようとしたとき、ドアベルが鳴った。普段は私が出迎えに行くところだが、泉が私を制止する。


「早かったな」


「ええ、面白いネタがあるって聞いたんで、飛ばしてきましたよ」


 その声は、私にも聞き覚えのあるものだった。谷岡は予想が的中していたのか、不快感を隠そうともしない。


「……おや、皆さんお揃いで。まさかこんな時に呼んでいただけるとは」


「泉。なんで青木なんか呼びやがった?こいつが何の役に立つんだよ」


 声の主は、正道新聞の記者である青木だった。泉からの連絡を受けて急いできたためか、少しばかり息を切らしているようだ。


「それは今から説明する。……座ってくれ」


「ええ、失礼しますよ。……それで、面白いネタとは?」


「日弁連のN局内部調査が早まった。そしてその調査に、当事者の高木と高木から依頼を受けた谷岡が参加できない」


 これが面白いネタなのだろうか。私たちにとっては頭を悩ませるネタに過ぎないのだが。……彼にとってはそうでもなかったようで、にやにやと笑っている。


「……へえ、そんなことが。谷岡さん、これは事実なんですか?」


「ああ。……泉、こいつにこんな話をして何になるんだ?」


「慌てるな谷岡。……青木、この話を記事にしろ」


 この時、事務所にいた泉以外の声が「え?」とそろった。


「N局と日弁連が口裏合わせをしている可能性がある。……そう記事を書け」


「先生、どういうつもりですか?記事にしてどうするんです?」


「……世間を味方に付ける。谷岡たちが調査に参加できないという話を聞いた時、どう思った?」


「どうって……。なんでだろうな、とは思いましたけど」


「よほど頭が悪くなければ、世間も同じような考えにいたるだろう。……俺たち四人の声ならかき消せるかもしれないが、それ以上ならあるいは」


 つまり、泉はこの問題を公にして、わざと騒ぎ立てようという訳だ。そもそも、高木の一件には拭いきれない不信感が残っている。その上さらに説明できない事柄と来たなら、誰であっても邪推をしてしまうのは仕方のないことだ。……たった一人の邪推なら放っておくだけでもいいが、何千何万という人間が邪推をすればそれは邪推ではなく真っ当な疑問になりうる。この疑問に対し適切な回答が出されなければ、世間の目は一層この件に対する不信感を強めるだろう。


「……いいですか、谷岡さん」


 青木は谷岡に向けてそう言った。谷岡は青木を嫌っている。頼るなどもってのほかだろう。青木はそれを理解していたからこそ、本当にいいのかという確認も含めて、尋ねたのだ。その顔にはいつもの人を小馬鹿にしたような笑みはなかった。ただまっすぐな眼で、谷岡を見つめている。……彼は、折れた。


「……わかった。許可する」


「そうですか。……日弁連の調査はいつからですか?」


「来週からだ」


「ありがとうございます。……それでは、私はこれで」


 谷岡からの許しを得ると、彼はすぐさまソファから立ち上がり、事務所から出て行こうとする。もうここに用はないということか。


「日弁連の調査は来週なんでしたよね。今から記事の用意をしなければ間に合わないかと。……詳細は、あとで送っていただけますか」


「ああ……。今お前のスマホに送った」


 青木はすぐにスマホの画面に視線を落とし、「ほう」とつぶやく。


「……確認しました。では、私はこれで。……見送りは結構です」


 青木は少しばかり不遜な物言いをしながら事務所を出て行った。……ひとまず、今は彼に頼るしかないのだろう。谷岡もそれがわかっていたからか、彼がいなくなった途端に大きくため息をついた。


「……そうするしかないとはいえ、青木なんかに頼るとはなあ」


「割り切ってくれ。……性格には少々難があるが、存外頼れる奴だと思う」


 理解したとはいえ、納得は出来ていない。そんな様子の谷岡を泉はなだめる。それから少し経ち、何とか割り切った谷岡は高木を連れて帰っていった。




 あれから四日後。青木は記事を書き終え、号外としてあの一件を公にした。電子新聞でも公開され、情報は瞬く間に広がっていく。N局以外のテレビ局は事の真偽を確かめるため、N局や日弁連の本部に押しかけていた。その様子を中継で眺めている中、泉のスマホが鳴った。谷岡から電話のようだ。


「もしもし?大事になったな」


『ああ、まさかここまで大騒ぎになるとは思わなかったがな。さっきから日弁連のジジイ共がうるせえのなんの。うんざりするぜ』


「もとはと言えば、ジジイ共が悪いのにな。どうやら相当耄碌してるらしい。この大騒ぎで脳が活性化してまともになってくれると良いんだが」


 泉はそう言って鼻で笑った。もともと個人的に何かしらの恨みを日弁連に対して持っていたのだろう。「いい気味だ」とでも言うように、その顔は笑みにあふれていた。


『まあ、それは無理な話だろうさ。……とにかく、俺たちは明日、記者会見を行う。みんな青木の記事の真偽に夢中だからな。説明する必要がある』


「ああ、それがいい。……手伝いはいるか?」


『いや、大丈夫だ。それほど複雑な話はしないからな。……それよりも、調査に参加する用意をしておいてくれ』


 調査に参加?谷岡は今確かにそう言ったのか?……泉も自分が聞き間違えたと思っているのか、困惑の表情を浮かべている。


「調査?俺たちは部外者だぞ。参加できるわけが」


『関係ない。できる、いやできるようにする。……正直な所、俺はN局と日弁連の口裏合わせを疑っている。けど、そんな証拠もない。それを探ろうにも、たった一人だけじゃ変な動きをすればすぐに怪しまれる。だから……』


「俺たちに陽動をして欲しい、ということか」


『まあ、はっきり言えばそういうことだ。……やっぱ嫌だよな』


「……構わん。その代わり、俺たちもある程度は自由に動くぞ。N局とイープラスのつながりを調べたかった」


『そうか、そいつらもいたな……。わかった。じゃあ、調査の日は頼むぞ。日付はたぶん変わらないはずだ。じゃな』


 谷岡との通話が切れた。泉はすべて自分の思い通りとでも言うように、にんまりと口角を釣り上げている。……ひょんなことから調査に参加することになったが、今はひとまず明日に行われるという谷岡たちの会見を見届けるのが先決だろう。カレンダーを見ながら今後の予定を考えていると、事務所のドアベルが来客を知らせた。


「どうも、青木です。新聞は読んで頂けました?」


 来客は青木だった。現在世間を騒がせている首謀者にして、新聞記者。寒空だというのに汗をかき、息を切らしている。


「……いやあすいませんね。さっきまで逃げ回ってたもんで。いざ自分が取材される側となると、どうにも心地の悪い」


 どこの新聞社もつかんでいなかった情報をすっぱ抜けば、注目の的になるのも当然のことだ。しかもそれが今話題の内容だとすれば、その注目度は跳ね上がる。彼の要望通りに冷たい麦茶を出すと、彼は「どうも」と言って一口で飲み干した。


「……何の用でここまで来た?ただ、事務所を隠れ蓑にしようとしたわけではあるまい」


「おや。随分と察しがいい。バレていましたか」


「いや、ただのあてずっぽうだ。……俺の予想が正しいのなら、N局あたりから脅しの電話でもかかってきたか?」


 泉は前にH県に行った時の話を思い出しているのだろう。あの時は、私たちの動きを知られたのち、谷岡のもとに「詮索するな」と忠告が届いたのだ。今回も似たようなことが起きているのではないかと、泉は考えているのだろう。そしてそれは図星だったようだ。


「……前にも似たことが?……まあとにかく。電話を取ったのは私ではなく編集長だったんですがね。『ふざけた記事を書くな』とまっとうにクレームが。それと、『高木の件をこれ以上調べるな』と。……編集長から大目玉を喰らいましたよ。せっかくこっそりやってたのに」


「こっそり?何をしていたんだ」


「高木の件を調べることですよ。一番最近に行われたN局側の会見が終わった後、記者たちには『これ以上この件を取材することはやめてほしい』と。確か、事実確認が終わっていないから、余計な情報を流して混乱させることがないように、とかなんとか。……まあ、無視していたんですが」


 N局は情報の隠蔽を行っていたということか。その上、谷岡を排除した内部調査の立案。どれだけ好意的に見ても、N局が何かを隠そうとしていることは明らかだ。


「……それじゃ、私はそろそろ失礼しますよ。いい加減、外も落ち着いたでしょうし、編集長に呼び出されてますからね」


「ああ、なかなかいい情報だった。提供感謝する」


「いえ。……それでは」


 青木は足早に帰っていった。泉は仕事用の椅子に深く座りなおすと、背もたれに身を預けて天井を仰ぐ。しばらく何やら悩んでいるような様子だったが、机の上に置いていたスマホを手に取り、何か画面を操作している。そしてすぐにスマホを机に置き、号外で手に入れた青木の新聞に視線を落としていた。




 翌日、午前九時。昨日の青木の号外を受け、谷岡たちが記者会見を開いた。青木の話が正しければ、N局は記者たちに対し、詮索するなと忠告をしていたことになる。それを裏付けるように、谷岡が用意した会見の場には記者が所狭しと並んでいた。急ごしらえのためか、場所を借りるだけで精いっぱいだったようだ。司会者などはおらず、真っ先に谷岡がマイクを手に取る。私たちはテレビ局の中継からその会見を見届けていた。……やはりというべきか、N局はこの会見を中継していない。来春に終わる予定のバラエティとも情報番組とも言い切れない番組を放送している。


『皆さま、急な会見ではありますがお集まりいただいて誠に恐縮でございます。本日は、正道新聞が報道した件についての説明を行いたいと思います』


 始まった。高木は会見の場にいない。……仮にいたとしても、話すことなどないだろう。それほど、N局との話し合いは平行線をたどっているのだ。


『まず、あの報道に関してですが、すべて事実です。以前より人権救済の申し立てを……』


 谷岡は早速本題から入った。昨日私たちに話した通りの情報を、そのまま話している。あの場はどよめきに包まれているが、谷岡は口を止めず、表情一つ変えることなく説明を続けていく。


『……よって、私はN局と日弁連のどちらにも不信感を抱いております。この状態で導き出された結論は真実であるわけがない。それを皆さまにも知っていただくために、知り合いの記者に事情を話し、記事にしてもらいました。……以上です。何か質問のある方はいらっしゃいますか?』


 会見開始からわずか五分足らずで谷岡の説明は終了した。すぐに質疑応答に移っていく。あの場にいる記者のほぼすべてが手を挙げた。谷岡は前の席から順に質問に答えていく。


『谷岡弁護士が調査に参加できない理由は、未だ説明されていないんですか?』


『はい。一度も説明されていません』


『谷岡弁護士はN局と高木さんの一件をどう見ているのですか?』


『確定した情報がほぼない以上、適当なことは言えません。ですが、理由も説明せずに担当弁護士を調査から除外するという行為は果たして正しい行為なのでしょうか』


『この会見で、谷岡弁護士はN局と日弁連に何を要求するのでしょうか?』


『もちろん、内部調査への参加です。それ以外にありません』


 この様子で、質疑応答は合計一時間近くにまで及んだ。谷岡は時間制限などを設けることもなく、記者の質問にすべて答えていく。もう話したいことはすべて話しただろうに、そこまでする必要はあるのだろうか。


「谷岡さん、会見いつまでやるんですかね。もう一時間も経ってますよ」


「……俺がアドバイスしたんだ。『なるべく記者の質問に答えろ』とな」


「それまたどうしてですか」


「『誠実さ』だ。……現代日本において、誠実さは生きていくうえで全くアドバンテージにならない。日本で成功したければ犯罪に手を染めるのが手っ取り早いうえに確実だからな。……だからこそ、誠実さは燦然と輝く。自ずと味方も増えるだろう。その上、記者たちは今日の今まで、N局側からの取材制限を受けていた。その鬱憤を晴らしてくれるとなれば、記者たちはどちらに有利な記事を書くのか。想像に難くないだろう」


「……そう、うまくいくでしょうか」


「さあな。……今はとりあえず、できることをやるしかない」


 泉とて全能という訳ではないのだ。祈ることしかない時もある。それが今だということだ。……二日後、谷岡から内部調査に参加できるとの報せが入った。調査があるのは五日後だ。谷岡からの要請で私たちも行くことになるが、N局で何かあらたな情報を得ることはできるのだろうか。




 五日後。N局本社ビルを前に、大勢の人たちが集まっていた。誰もが眉間にしわを寄せ、険しい表情を浮かべている。そしてその周りを囲むように、騒がしい記者たちがひしめき合っている。……今日は、N局の内部調査が行われる日だ。谷岡が調査に参加できないというトラブルもあったが、ことを大事にすることで何とか参加にこぎつけた。……誤算としては、記者連中が調子に乗ったことだろう。今も、「何も話すことはない!」と突き返されているのにもかかわらず、しつこく食い下がっている。


「……谷岡さん、調査の開始って何時からですか?」


「十時だ。あと五分。それまで、あいつらは帰らないだろうな」


 谷岡はうんざりした様子で記者群を見つめる。会見をしたあの日、一時間近くも彼らに付き合った谷岡だからこその表情だろう。……泉は何も言わずに、ビルの出入り口を見つめていた。……彼が「おっ」と声をあげる。声につられて泉と同じ方を向くと、いつかのN局の会見でみた男がこちらに向かってきていた。


「それでは、皆さま。どうかよろしくお願いいたします」


 そこそこ上の地位らしいその男は、内部調査に来たスーツの男たちと目くばせしているように見えた。彼らがぞろぞろとビルに向かっていく。私たちもそれに続き、ビルへと立ち入った。内部調査が行われるとは言え、業務を止めるほどではないと判断したのだろう。N局に勤めている者達はこちらに怪訝な顔を向けながらも、急ぎ足で去っていった。


「御覧いただいた通り、私たちは現在も業務を行っています。どうか、邪魔になることがないよう」


「……その前に、名乗ってもらおうか」


 N局の重役らしき男から私たちに向けられた忠告に、泉は小言で返す。彼は一瞬眉をひそめたが、気を取り直して名乗った。


「……名乗り遅れて申し訳ない。磯崎と申します。今日は社長が不在のため、私が代理を務めています」


「社長が不在?内部調査が行われるというのに、別の予定で席を外しているのか。非常識にもほどがあるな」


 泉の発言はもっともだ。N局の行動が原因で大事になっているというのに、自らは姿を現さずどこで何をしているというのだろうか。私と谷岡も磯崎に疑いの目を向ける。……磯崎の顔にははっきりと苛立ちが浮かんでいた。


「……それは、内部調査に必要なことでしょうか。いいのですよ、余計なことをするのだったら帰ってもらっても。そもそもあなた方は参加の資格を持っていなかったではありませんか。それを、メディアを利用して世論を誘導などという汚い手を……」


「戯言を話している暇があるなら、さっさと調査を始めさせてくれ。お前と話すのは時間の無駄だ」


 苛立ちのあまり恨み節を口走る磯崎に対し、泉は「無駄」と一蹴した。彼はさらに苛立ちを募らせているようだったが、調査を促された以上は従わなければならない。言葉をぐっと呑み込み、「……それでは、お願いします」と小声で言った。




 調査員たちは三人一組に分かれて足早に廊下を進んでいく。調査に先んじて分担は終わらせていたらしい。


「さて、どこから行こうか」


 私と泉の顔を交互に見ながら、谷岡が言う。調べたいことは、N局とイープラスの関係性、そしてN局と日弁連の関係だ。これらが暴ければ、高木の件に大きな疑惑があることもおのずと導ける。


「……社長がいないとなると、そのどちらも証明するのは難しいだろうな。社員の独断というのは考えづらい」


「何か記録が残っていたりしませんかね。N局の立場が上だとしても下だとしても、何かしらの取引は行われていると思うんです」


「……確かに、それはあり得るな。企業間の問題に対して無条件で協力することは珍しい。大抵は何かが見返りになっているはずだ。それが金銭かどうかはわからないが」


「ひとまず、最初の目標は取引の証拠探しとするか。……問題は、それがどこに隠されているか、だが」


 またしても頭を悩ませてしまう。もし仮に取引の証拠などがあったとしても、それを簡単に目が届くような場所に置いておくわけがない。卑劣な手段で隠されていると考えるべきだ。……磯崎がずっとこちらを見ている。彼からすれば私たちはイレギュラーなのだろう。今日は席を外している社長からも、私たちを監視するようにと言われているに違いない。……泉はそれに突破口を見た。


「磯崎。社長室を調べさせろ」


「……お断りします。部外者が簡単に立ち入れる場所ではないのですよ、あそこは」


「この一件が始まった場所が社長室だ。……サスペンスを見たことがないのか?現場は調べるものだろう?」


「だとしても。許可を得ていない人間が立ち入れる場所ではないのです」


 磯崎の意思は固い。しかし、泉も食い下がる。


「俺たちは調査員でもある。許可は得ているも同然だ」


「……わかりました。ですが、私が見張ります」


「それで結構。では、案内してくれ」


 磯崎はかなり渋っている様子だったが、これ以上の抵抗は無理と判断したのだろう。監視を条件に社長室への立ち入りが許された。彼の案内に従い、エレベーターに乗り込む。ビルは十五階まであり、社長室は最上階だ。最新型らしく静かに昇り続けるエレベーターの中では、誰一人として口を開かなかった。エレベーターが到着を知らせる音を鳴らす。磯崎が先頭に立ち、泉が最後尾となって降りていく。なにやらカチカチという音が聞こえて振り返ったが、それらしい音を発するようなものはどこにもない。ドアが開いた先は、まっすぐ続く赤いカーペットが敷かれており、その突き当りに両開きのドアがあった。一目見ただけで分かる、あの部屋が社長室だ。廊下を進んでいくと左右にそれぞれドアがある。左側は応接室、右側は会議室と書かれている。


「立ち止まらないでいただけますか?」


 二つの部屋をじろじろ見ていたのが悪かったのか、磯崎が冷たい声で急かしてくる。私よりも早く泉が「調査に口を出すな」と反論する。谷岡も磯崎を睨みつけて威圧していた。……泉も谷岡も、磯崎の態度が気に食わないのだろう。目の敵にされた磯崎は「社長室へどうぞ」と気にしていないふりをしていた。社長室のドアの鍵は磯崎が持っている。彼に鍵を開けてもらい、社長室へと乗り込んだ。


「……広いな。さすが社長の部屋、豪勢なものだ」


「この部屋のどこかに、取引の証拠が……」


「あるかもしれないってだけだ。あまり決めつけるなよ、視野が狭まる」


 会社のオフィス丸々一室分ほどの広さがあるが、社長の趣味なのか物はほとんどない。部屋の一角に置かれたソファやテーブル、壁際に置かれた本棚などわずかなものだ。部屋の床には廊下と同じ、赤いカーペットが敷かれている。磯崎はドアの前に陣取り、部屋全体を見渡せる位置で私たちを監視している。泉と谷岡は気にすることなく、本棚から調べ始めた。一冊手にとってはぺらぺらとページをめくり、何も挟まっていないことを確かめて元に戻す。地道な調査だ。私も加わる。しかし、本の間に挟んで隠すというのはありきたりすぎたのか、何も見つかることはなかった。


「ここにないのならば、考えられるのは机の引き出しの中か」


 社長室のドアを開ければすぐ先に見えるところに、大きな仕事机と椅子が置いてある。普段からここで仕事をしているのなら、重要な書類は机の引き出しの中にしまわれているかもしれない。……磯崎は止めようとしない。見られても問題ないということか。机の上にはペン立て程度しか置かれておらず、随分とすっきりしている。いわゆるミニマリストなのだろうか、調査しなければならない箇所が減ってくれてありがたい限りだ。


「この書類は、外部との提携契約書か。……あまり見ていいものではないな」


 提携先を調べるだけにとどめ、内容には目を通さないようにする。やはりというべきか、中にイープラスの文字はなかった。鍵もかかっていない引き出しに悪事の証拠と成り得るものをしまっておくわけがない。……引き出しの二段目には鍵がかかっている。


「磯崎。二段目の引き出しに鍵がかかっているが、これは開けられないのか?」


「はい。その引き出しの鍵は社長しか持っていません。私は預かっていないので、開ける手段はありません」


「……そうか。壊すわけにもいかないし、ひとまずは放っておこう。……さて、こっちは……」


 二段目を諦めて三段目の引き出しを開けた。予備のペンや朱肉などが入っている。何かが隠されているといった様子はなさそうだ。


「……何も見つからねえ。どうする?このままだと無駄足になっちまう……」


 開けることが不可能な引き出しの二段目を除き、調べられるところはすべて調べた。これ以上はソファの隙間に隠していたり、あるいはテーブルの裏に貼り付けていたりといったことを期待しなければいけなくなる。


「もう十分でしょう。これ以上は時間の無駄です。いつまでもここにいたところで、あなたたちが望む物は得られません」


 磯崎はドアのそばから動かず、冷たく言い捨てる。しかし、泉がすぐに反論した。


「俺たちが何を探しているのか、お前は知っているのか?」


「知っている」


 部屋の空気が変わった。泉は鋭い目つきで磯崎を睨みつけている。


「では、答えてみろ」


「……取引の記録だろう?N局とイープラス、あるいは日弁連との。……残念だが、そんなものはどこにもない。取引など行われていないのだからな」


 私と谷岡は同時に眉間にしわを寄せていた。取引が行われていない以上、それを示す証拠はない。彼が嘘をついているかもしれないが、嘘だと証明するためにも取引の書類がいる。……万事休すか、そう思った時、泉は笑い声をあげた。


「存外早く尻尾を出したな、磯崎。……イープラスという名を、どこで聞いた?」


「それは、さっきお前たちが……」


「いや、一言も言っていない。俺たちは終始、『取引の証拠』としか口にしていない。……さあ、イープラスの名をどこで聞いた?」


「そ、それは……」


 先ほどまでの自分の言動を思い返してみても、イープラスの名を出していたかどうかは曖昧だ。だというのに、泉はあれだけはっきりと磯崎に食って掛かっている。……もしかすると、最初からこれが目的だったのではないだろうか。思わぬ展開についていけない私と谷岡を放って、泉は続ける。


「最初から知っていたんだろう。大方、社長から聞かされていたといったところか。……調査から外されていたはずの谷岡が戻ってくる、これはあんたらにとって非常にまずいことだった。日弁連とのつながりを暴かれれば、芋づる式に高木の一件すら怪しまれかねない。裏に隠していることは何か知らないが、表に出せないようなことなんだろう。……どうせイープラスとの関係だろうがな」


「し、知らない!私は、そんなこと知らないぞ!」


「なら、納得のいく説明をしてくれ。……どこで、イープラスの名を知った。何故、俺たちがイープラスとの取引の証拠を求めていると知った」


「……クソッ!」


 磯崎は社長室のドアを思いきり閉めながら駆け出す。逃げたのだ。私と谷岡は呆気に取られていたが、勢いよく閉まるドアの音で意識を取り戻す。……ここで逃げるということは、磯崎は何かを知っているということだ。絶対に逃がしてはならない。ドアを開けて彼の後を追おうとしたが、彼はすでにエレベーター前にいた。


「ハハハッ!逃げるが勝ちとはまさにこのことだ!誰が正直に話すものか馬鹿どもが!」


 彼はエレベーターのボタンを押す。ここからでは間に合わない。磯崎は何かを知っている。ここで逃がせば、これ以上新たな情報を得られなくなってしまうかもしれない。だが、私たちの足では追いつけない。……そう諦めかけた時、異変が起こった。


「……は?な、なんで一階に……」


 エレベーターの階層を知らせるランプが、なぜか一階についていた。それはゆっくりと昇ってきている。……先ほどエレベーターから聞こえてきていたカチカチという音は、泉がボタンを操作していた音だったのだ。これならば、間に合う。


「捕まえた!暴れるな!」


 磯崎は最後の手段として、迫る私と谷岡を払いのけ、非常階段から逃げようとした。だが彼一人に対し、こちらは泉を入れて三人いる。力負けなどありえなかった。捕らえられた磯崎は何とか拘束を振りほどこうと暴れるが、三人に勝てる訳がなかった。彼を社長室まで引きずり、床に投げ出す。立ち上がろうとする彼を泉が突き飛ばし、肩を押さえつけた。


「知ってるな、イープラスとN局との関係性を」


「……絶対に、喋らないぞ」


「結構。……お前から先にイープラスの名前を出したこと、問い詰めたら逃げたこと。この二つの情報があれば、誰でも怪しい関係を疑う。もう一度調査が入るだろうな。その時、引き出しに鍵をかけている等というちんけな抵抗が意味を成すと思うなよ」


 泉は磯崎を押さえつけたまま、まるで脅すような物言いをする。……確かに、泉が言ったようにその二つの情報さえあれば、N局を追い詰めるには足りそうだ。


「なら、なんで俺を捕まえる。もう情報はいらないんだろ?」


「……もう一回調査が入って、コテンパンにされたいのか?どうせ日弁連との取引もしているんだろう?全部お前らの嘘だってわかったとき、会社はどうなる。F局のようにやり直せると思うのなら、甘い。何度も嘘をついて保身に走った企業が生き残れるわけないだろう。お前の今後もどうなるか。……俺たちなら、会社全体を巻き込まないように片付けることもできる」


「く、クソ……。何が望みだ?」


 自分の今後を人質に取られ、磯崎はついに折れた。その言葉を聞いた泉は彼を押さえつけていた手を離す。相当な力で押さえつけていたためか、彼はしきりに肩が痛そうな素振りを取った。


「分かりきってるだろ。……N局とイープラスの関係、それ以外にない」

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