前編
誤字脱字等、ご容赦ください。
本作品はフィクションです。実在の団体、人物、事件とはいかなる関係もありません。
離島での人気配信者連続殺害事件から4か月が経った。まぶしかった夏の日差しは落ち着き、返って恋しくなるほど冷え込みが強くなってきたころ。あの事件のおかげと言っていいのか、少しだけ稼ぎが良くなった泉探偵事務所に客が来た。
茶色いコートに黒いマフラーを巻いた男は事務所に入った途端、中にいる泉に呼びかけた。
「よお、泉。いるか?」
「……谷岡。久しぶりだな、何の用だ?」
普段接客は私に任せきりな泉が珍しく部屋から出てきて、玄関まで谷岡という人物を出迎えた。谷岡は懐かしそうに泉の肩を何度も軽く叩き、「仕事はうまくいってるみたいだな」と話しかける。泉の方も「お前こそ。前の裁判、勝ったそうじゃないか。……乾く暇もないか?谷岡先生」と軽口をたたく。どうやら相当親しい間柄のようだ。しばらくそうして話していると、泉は僕の方に振り返り、「羽田君、茶と菓子の用意を頼む」と言った。
脱いだコートをソファの背もたれにかけ、その隣に谷岡が腰を下ろす。彼は僕が出した茶に口をつけると「結構なお手前で」と冗談めかして言った。そして一度大きくため息をつくと、ズボンのポケットからスマホを取り出す。彼の目はいつの間にか真剣そのものになっていた。
「前置きはもう十分だろ。本題に入るぞ。……2か月前、俺の所にある依頼者が転がり込んできた。……とりあえず、これを見てくれ。前提情報が多いんだ」
谷岡はそう言ってスマホを泉に差し出す。その画面にはあるニュース記事が表示されていた。……「国民的男性アイドル、不祥事でレギュラー番組クビ!?」というものだ。まさに大衆が好むであろうくだらないゴシップ。近頃何度か生放送で会見を目にした覚えがある。泉もそれは覚えていたのか、ちらりと見出しを見ただけで「で、これがどうした」と続きを促した。
「……知ってると思うがこのアイドル、理由も告げられずにいきなりクビにされたんだ。『コンプライアンス違反』とは言われているが、具体的に何をしたのかは一切公表されていない。そのせいで……。こうやって、根も葉もないゴミみたいな記事がいくつも生まれるんだ」
谷岡はスマホをスライドし、別の記事を表示する。そこには「国民的男性アイドルT、番組ADにセクハラか!?ゲイ疑惑の真相」という、焚火の燃料にもなり得ないものが表示されていた。泉は「くだらんな」と一蹴すると谷岡も「俺もそう思うんだがな」と言い、言葉を続ける。
「それでも、大衆の人間っていうのは毒にも薬にもならないものを面白がるもんさ。……で、ここからが大事なことなんだ。このアイドルTは番組をクビにされた後、しばらくは黙ったままだったんだが、根拠のない風評被害に怒りを覚えてな。テレビ局相手に人権救済を求めた」
「……そのアイドルが頼った弁護士がお前ってわけか」
「そういうことだ」
人権救済とは、人権侵害の被害者からの申立てに基づき、弁護士会がその事実を調査し、人権侵害が認められた場合に相手方へ警告や勧告などの是正措置を求める制度のことだ。アイドルTはテレビ局側からの不当な扱いにより根も葉もないうわさを流布され、著しく人権を侵害されている。人権救済の申し立てを理由は十分だと言えよう。
泉はそこまであまり口を挟まず聞いていたが、谷岡が口休めのために茶をすするタイミングを見計らって、抱いた疑問をぶつけた。
「大体の話は分かった。で、なんでそれを俺に話す?手伝ってほしいのか?」
谷岡は1つ息を吐くと「ああ」と返事をして、握っていたスマホを元の場所にしまった。
「うちの事務所の奴は、今別の案件を抱えててな。人手が足りん。……そこで、お前に手伝ってもらおうと思ってな」
「……いいだろう。俺は今仕事を抱えているわけではないからな。だが、報酬はそれなりにもらうぞ」
谷岡は「わかってるわかってる」と言いながら立ち上がり、残った茶を一気に流し込んだ。
「それじゃ、俺は帰るぞ。案件の資料は後で送っておく」
「ああ、わかった。じゃあ、またな」
マフラーを巻きながら谷岡が帰っていく。私はというと、いきなり持ち込まれた大きな案件に嫌な気配を感じていた。
それから2日後。案件の資料が宅配で届けられた。情報量はA4用紙でわずか2枚にとどまった。アイドルT、高木光一をクビとしたテレビ局側が情報を全く公開しないせいで、この程度にとどまっているのだろう。テレビ局のくせに隠蔽とは、呆れたものだ。
「……情報はほとんどないな。理由も告げられずいきなりクビ。高木が所属していたグループも問答無用で解散か」
送られてきた資料自体が少ないどころか、内容もあまりよいものとは言えない。1枚目は事件に関係のある内容ではあるが、2枚目にいたっては高木が出演していた番組の情報が乗せられている。……谷岡が顔をしかめながらこの資料を作っているのが想像できた。
「なるほど、H県の村で畑を……。あの番組は少し見たことがあるが、あまりアイドルがやるような仕事には見えないな」
「ええ、それがかえって庶民的に見えていたんでしょうか。だからこそあれほど人気になれたのでは?」
「……だからこそこうして注目もされるってことか。難儀なものだな。……少し見てみるか」
泉はスマホを取り出し、検索サイトを開く。そして高木が出演していた番組のホームページを検索した。「うーん」と唸り声をあげながら画面をスワイプする泉。望んでいた情報がないことが分かったのか2、3分ほどでスマホをしまった。
「公式のホームページでは高木の降板について触れられてはいないな。……やはり局側でもあまり表に出したくない話ということか」
「……そもそも、高木さんってどういう疑いを向けられているんですか?それすらテレビ局は公表していないんですか?」
「ああ。『コンプラ違反』とは言われているが、具体的に何をしたのかは一切分かっていない。セクハラかパワハラか。それとも誰かを怪我させてしまったか」
「しかし、それならば普通に公表しても問題ないのでは?被害者の個人情報特定を防ぎたいとは言っても、何が起きたかすら言えないというのはさすがにおかしいですよ」
「……本人に心当たりがないか聞いてみるしかないな」
泉はそう言ってもう一度スマホを取り出し、電話をかけ始めた。
「もしもし谷岡?今時間大丈夫か?」
『ああ。資料が届いたか?』
「資料は目を通したよ。……ひどいもんだがな。これじゃ何もわかりやしねえ」
『……悪いが、今の所はそれが全部だ。高木もかなり憔悴していてな、聞き取りもあまり満足に進んでいないんだ。明日もやる予定だが、新しい情報はどれほど得られるかまだ分からん』
泉は何かを思いついたようだが、それを言葉にしてよいのか悩んでいる様子だった。それを察したのか谷岡は『遠慮するな』と急かす。泉はそれを受けて口を開いた。
「その聞き取り、うちでやらないか?俺も情報が欲しいし、聞きたいこともある」
『……ああ、いいよ。高木の方には俺から話しておくから。……明日の午前十時でいいか?』
「ああ、それがいい。ありがとう、谷岡」
『元はと言えば俺が持ち込んだ依頼だ、遠慮はなしだ。……じゃ、また明日な』
電話が切れる。スマホをテーブルの上に置いた泉はソファに体を預け、天井を仰ぎながら大きなため息をついた。……明日に向けて部屋の掃除をしておかなければ。
翌日、昨日よりも少しはマシになった事務所に、谷岡と高木がやってきた。高木はこの一件のせいかひどくやつれており、目のクマもひどい。だが、かつてアイドルだったということもあり、それでもなお整った顔立ちである。この一件さえなければ、「影のある美形」として新たに売り出すことも可能であろうほどだ。
彼は当初私たちに向けていくばくかの警戒心を見せていたものの、谷岡の「こいつらは味方だから大丈夫だ」という言葉で少し落ち着いたようだ。2人を客人用のソファに座らせ、泉はその正面、私は泉の左隣の一人掛けソファに腰を下ろす。茶はすでに出している。高木は何度も湯飲みに口をつけ、少しずつ茶を口に流している。やはりまだ緊張しているのだろうか。
今日は珍しく泉が口を開かない。あまり急かすべきではないと判断しているのだろう。……5分ほど経ち、ようやく高木が動きを見せた。小さくうなずき、「お願いします」と小声で言う。それを聞いた谷岡は「じゃあ、始めますか」とこの一件はそこまで大事ではないと強調するような、少し場違いな明るい声で言った。
「まずは、泉にまだ話していないことを話しておく。……明日、高木さんは会見を行う予定だ。Nテレビ局に対し、『答え合わせ』を求める」
「向こうはどう出ると思う?」
「……俺個人の感覚だけで言えば、彼らは取り合わないだろうな。前のFテレビ局の一件、覚えてるだろ?」
Fテレビ局の一件。今回の高木と似たような話だった。これまた国民的男性アイドルNが、Fテレビ局のディレクターや重役から「女」を貢がれていたというコンプライアンス違反だ。今回と違うことは、事実確認がすでに済んでいるということくらいか。
「あの時のF局の損害は尋常なものではなかった。CMはほぼすべてが停止。CM撮影料も損害賠償として請求され、被害額は億を超え兆に届くかと言われたほどだ。株価も暴落の一途をたどり、今でははした金にもなりはしない。……そこまで状況が悪化したのには、当時のF局側の対応が不適切だったということが挙げられている」
女性上納問題が露呈したとき、F局はごく限られた記者のみを会見の場に呼び出し、非公開の中で会見を行っていた。それが株主やスポンサーの逆鱗に触れ、対応を改めた時にはすべて遅くなっていた。……現在、F局は自己破産申請の手続き中らしい。
「N局はそれを危惧したんだろうな。だから開かれた場での会見を行った。……これを見てくれ」
谷岡はスマホを差し出す。画面はある動画サイトが表示されていた。どうやら高木の件に関しての会見のようだ。谷岡は再生ボタンを押す。
『この度は皆さまにお集まりいただき……』
おそらくN局の代表者だろうか。そこそこ人当たりがよさそうな、少しふっくらとした男性だ。小さな演説台のようなものを置き、そこにマイクを置いて話している。
『今回、社内調査の結果、高木光一に重大なコンプライアンス違反が確認されました。当案件関係者についてはプライバシー保護のため、公表は控えます』
『重大なコンプライアンス違反とは、一体何が行われていたのですか?』
『関係者保護のため、お話しできません』
谷岡はそこで大きなため息をつき、動画を止めた。
「会見はこの後1時間ぐらい続いたが、内容はない。高木が犯したという『重大なコンプライアンス違反』について、いかなる情報も得られなかった。……もはやコンプラ違反をしたのかどうかすら怪しいほどにな」
「……なるほどな。N局の奴らは『開かれた場で会見さえ開けば、文句を言われる筋合いはなくなる』とでも考えている。……お前はそう言いたいのか」
「ああ。それがいかにふざけた内容の会見であったとしても、『会見自体は公式の場で行われた』という事実だけで、自らの正当性を主張してくる。……話にならん」
「……何の才能も持ち得なかった人間が行きつく先、それが芸能界だ。奴らは矮小な自分を恥に思い、それを塗りつぶすことしかできないからこそ、外面だけを取り繕う。……嘘はほころぶ。そしてまた嘘で塗り固める。そうして厚塗りを繰り返して、大きく成長したように見せかけて来たのが、日本の芸能界だ。まともな対応を期待するだけ時間の無駄だ。まともな人間は芸能界で生きていけん。……高木のようにな」
泉はそう言って、最後に高木の方を向いた。彼は褒められているのかけなされているのか、すぐには理解できなかったようで困惑の表情を浮かべている。谷岡は「お前は昔から変わらんな」と昔を懐かしむと、一度わざとらしい咳をして、話を本題に戻す。
「……とにかく、N局の対応は一般人の間でも不信感が広がっている。俺たちはそれを利用して、N局を無理やりにでも話し合いのテーブルにつけるつもりだ」
「そうか。……俺に話しておきたいことはこれで終わりか?」
「ああ。それじゃ……。高木さん、これから聞き取りを始めます」
「わ、わかりました……」
話題の中心が自分に移った途端、緊張した様子を見せる高木。谷岡はそれを優しくなだめ、何とか落ち着かせる。
「それでは、まずはこれから聞きましょうか。……クビを言い渡された日、どのような状況で言われましたか?」
「……あの時は、突然の出来事でした。収録がない日にいきなり連絡が来て、『社長室に来てほしい』と。言われた通りに行ってみると、部屋には社長と僕が出ていた番組のディレクターと、見たことのない男性が2人ほどいました。そしていきなり『あなたは番組を降板になりました』と言われました。いくら理由を尋ねても『これ以上は何も言えない』の一点張りで、何が何だかわからないまま帰らされました。……どうやって家に帰ったのかは思い出せません」
「何も、反論はさせてもらえなかったんですか?」
「はい。僕が何か言おうとしても、『発言は認めていない』と言われて……」
谷岡は相槌を打ちながらメモを取る。私は傍で聞いているだけだが、すでにテレビ局のやり方に疑問を覚えていた。メモを取り終わった谷岡は質問を続ける。
「何か、番組を降板になるような心当たりは、あったりしますか?」
泉は眉を動かす。おそらくこの質問が、彼がわざわざ聞きたかった質問なのだろう。……全くと言っていいほど情報がない中では、高木の言葉に頼るほかない。
「……1つだけ、あるにはあります」
「それは何だ?」
ソファの背もたれに体を預けていた泉が身を乗り出し、高木の言葉を遮って質問する。彼は目を瞬かせて驚いていたが、谷岡の「こいつは信用していい」という言葉に背を押されたようだ。
「……すでに谷岡さんには話しているんですが、僕が出ていた番組、来年度を迎える前に終了する予定だったんです。……これについても、理由は教えてもらえませんでした。元グループメンバーとは『視聴率が落ちたのか』と予想を立てていたのですが、マネージャーが言うには低迷している様子はなかったようで。……だから、私は番組終了を知らせて来た番組ディレクターを問い詰めたんです。『いきなり終了はおかしい、どういうことだ』と。もしかするとそれが、パワハラに認定されてしまったのかなと……」
話の筋は通っているし、高木の記憶も存外鮮明だ。確かにこれなら当時の高木の物言いによってはパワハラと認められる場合もあることだろう。だが。
「なら、どうしてN局は会見の時にそう言わなかったんだ?」
そう、この疑問が残る。仮に高木の心当たりが事実だったとして、なぜ会見でそれを言わなかったのだろうか。被害者保護のためと言っても、「パワハラが確認されました。被害者のプライバシーのため、詳細は公開できません」とでも言えばいい。それすらしないということは、高木が降板させられた原因はパワハラではないのかもしれないということだ。
「……それは、わかりません」
高木は泉の質問に答えられず、うつむいてしまう。泉は「責めるつもりはない」と前置きした。
「お前は今、精神的に不安定な状態になっている。……虚偽自白のようなものだ。自分が罪を認めればこの問題は片付くとでも思い始めたか?」
「そ、それは……」
「N局は待っているんだ。お前がありもしない罪をでっちあげて、自分を責め始めるのを。……そうすれば、奴らはそれに便乗して問題の火消しに走る。……納得していないんだろう?だからこうして弁護士に頼んで、会見まで開こうとしている」
高木は黙ってうなずくだけだ。
「そもそも、N局は初動を失敗している。理由も告げず、嘘の理由もでっち上げずにお前を切り離した。反感を買うのも当然の行為だ。……しかし、N局は強行した。嘘の理由をでっちあげる暇すらないというのは、おかしくないか?あれだけの大きな組織だ。組織犯罪の百や二百、もみ消していると思うがね」
黙って話を聞いていた谷岡が喰いついた。
「……奴らには何か急がねばならない理由があったということか?」
「ああ。……そこで、高木が邪魔になった。だから理由も告げずに降板を言い渡した。……ただの陰謀論だ、ばかげているとは自分でも思う。だが、そんなことを思いついてしまうほど、芸能界ヘの信頼はないし、N局のやり方は不自然だ。……とにかく、明日の会見、『心当たりはある』などとは絶対に言うな。奴らは必ずそれに食いついてくる。悪人相手に隙は見せるなよ。……谷岡、よく見ておいてやれ。今の高木じゃ、自分が不利になることすら話しそうだ」
谷岡は「ああ、わかった」と返事をするが、高木はどこか不満げだ。それに気づいた泉は「どうした」と問いただす。彼は遠慮がちに口を開いた。
「ですが、会見の場で嘘をつくのは……」
「俺は嘘をつけと言った覚えはない。『自分が不利になりそうなことはしゃべるな』と言っただけだ。……N局と同じ汚らしい手段を取ることに気が引けるのなら止めないが、『目には目を、歯には歯を』という言葉もある。……意趣返しでもしてみればどうだ」
高木は何も言わなかった。ただ小さくうなずいて、谷岡の方を見る。彼は「じゃ、そろそろお暇しますか」と言って立ち上がった。高木もそれに続き、事務所を後にした。2人がいなくなった事務所で泉は、谷岡から受け取っていた資料の内、番組の情報が載せられた資料を睨んでいた。
翌日、午前10時50分に私たちはテレビの前にいた。谷岡に教えてもらった会見の時間は午前11時、私たちはそれを待っているのだ。各テレビ局としても高木の動向はそれなりに視聴率になると踏んだのか、会見の中継が行われるようだ。ただし、N局以外のチャンネルで。……泉はテーブルの上にメモ帳とペンを用意し、まるで新聞記者の心構えのようだ。
「会見、どうなるんでしょうかね」
「……昨日のあの様子ならそれほど悪い状況には転ばないだろうが……。問題は謎の2人だな」
「謎の2人……。というと、高木さんが社長室に呼ばれたときにいたという、あの?」
「ああ。昨日の話を聞く限りでは、高木はその2人に見覚えがないそうだ。まあ、N局はかなり大きな組織だ、見たことのない人間がいたとしても不思議ではないが……。高木の件に無関係な人間をあの場にいさせるか?」
「高木さんが話していた心当たりでは、ディレクターとのいざこざがパワハラなのではとのことでしたね。……それが本当なら、あの部屋には社長とディレクター、そして高木さんだけになるのが普通のはずですよね。……謎の2人というだけのことはありますね」
「……奴らも気になるが、今は会見を見ることにするか。そろそろ時間だ」
放送されていた情報番組が途中で途切れ、画面が切り替わる。会見の準備の音をカメラが拾っているのか、がやがやとした雑音が聞こえてくる。……F局の一件があったからなのか、テレビ局のいざこざはかなりの注目を集めている。司会者の男がマイクを握った。そろそろ始まる。
『皆さま、本日はお集まりいただきありがとうございます。本会見では……』
一度頭を下げた司会者が手に握られたカンペをもとに進行を務める。今は会見にいたった経緯について話しているが、この情報についてはすでに知っている。……少し長い司会者の話が終わり、ようやく本題が始まった。高木と谷岡が姿を現し、一斉にフラッシュが焚かれる。高木はさすが元アイドルというだけあってフラッシュに慣れているようだったが、谷岡はそういう訳ではなく、少し顔をしかめて光に耐えている。2人は一礼して席に着くと、谷岡がマイクを取った。
『ご紹介に預かりました。高木さんの代理人弁護士を務める谷岡と申します。本会見は高木さんの人権救済の申し立てにより開かれているため、大まかな事柄については私からお話させていただきます、ご了承ください。それでは、早速本題に入ります。事の発端は……』
谷岡が事件の概要を話していく。私たちはすでに昨日聞いたことだが、会見の場にいる記者たちにとっては初耳だったこともあるのだろう、静まっていた場は少しだけ騒がしくなっていた。質問のため挙手する記者を放って、谷岡は話を続ける。……司会者が「質疑応答の時間は最後に取ります」と言っていたのを、もう忘れているようだ。
『……そのため、今回高木さんは人権救済の申し立てにいたったという訳です』
谷岡が話し終わり、マイクを置きながら一礼する。それを合図として受け取った司会者が『それでは、質疑応答に移りたいと思います。ご質問のある方は……』と会場を見渡す。話の途中で手を挙げていた先ほどの記者が真っ先に手を挙げた。正道新聞の青木というらしい。始めて聞いた新聞社だ。彼は質問の機会をもらったことに礼を言うと、一息ついてから質問を口にした。
『高木さんご自身は、このような事態になった原因など、何か心当たりのようなものはあるのでしょうか?』
高木はちらと谷岡の方を見る。谷岡はただ頷いて、自分の前に置いていたマイクを手渡した。
『いえ、私自身何が原因でこのようなことになったのか、皆目見当もつきません』
毅然とした態度で、彼はそう言った。それを画面越しに見ていた泉は、安心したようにため息をついていた。青木は礼を言って席に座る。その後も様々な記者が質問をしていたが、新たに得られた情報はなかった。司会者が『それでは、そろそろお時間となりましたので……』と口にした途端、テレビの電源を切った。彼が用意していたメモ帳には何一つとして書かれていない。
「先生、結局何も書かなかったのですか?」
「……ああ。あれだけいろんな記者がいれば、俺が思いつかなかった質問をしてくれる奴もいるんじゃないかと思ってたんだが……。記者なんぞに期待するものではないな」
何と返せばいいかわからず「はあ」と生返事をした。……しかし、すぐにあることを思い出した。
「そう言えば、谷岡さんたち、社長室にいた謎の2人については話しませんでしたね」
「あれについては話すこともないだろう。そいつらが一体だれかすらわかっていないというのに、話したところで余計な混乱を招くだけだ。……それに」
「それに?」
「……もし、俺の想像、陰謀論が真実だった場合。下手に喋れば危険な目に合う。……不要なリスクは避けるべきだ」
彼が言う陰謀論。それは高木がN局の行おうとしている何かに邪魔となり、排除するためにこの問題がでっち上げられたということだ。N局の行おうとしていることは分かっていないし、この考えを裏付ける証拠などどこにもない。……けれど、高木がいった謎の2人の存在。それだけが、陰謀論に何か真実味を与えていた。
翌日、事務所には谷岡と高木がいた。昨日のうちに泉が呼んでいたようだ。高木は一昨日よりもいくばくかの余裕を持っており、縮こまっているといった様子はない。けれど、「まだ何を聞きたいのだろうか」という疑問はしっかりと表情に浮かんでいた。それは谷岡も同様だったようで、私が出した茶を一口すすると、すぐに本題に入った。
「今日は何の用だ?新しい情報なんか、1つもねえぞ。N局もまだ動いてないみたいだしな」
「……俺が聞きたいのは、高木が言っていた『謎の2人』についてだ。思い出せる範囲でいい、顔や身長など、何か特徴はあったか?」
高木は腕を組んで、「うーん」と唸っている。谷岡もそのことについては気になっていたのか、泉の質問に対しいちいち何かを言うことはなかった。
「……片方がたっぷりひげを蓄えた肥満体形で、もう片方はその人の秘書のように見えました。確かその人は眼鏡をかけていて、面長だったかと。どちらとも僕より身長が低かったかと思います」
公式のプロフィールによれば、高木の身長は183センチあるとのことだ。彼からすればほぼ全員低く見えるだろう。
「予想でもいい、具体的な数字は?」
「……ひげの方は160ほど、眼鏡の人は180近いとは思います」
「顔などに見覚えはないんだな?」
「はい。……あ、でもひげの人は来客用のカードを首から下げていました」
「来客用のカード?」
気になった単語を泉が繰り返す。すると谷岡が「俺から説明する」と口を開いた。
「金のある企業なら今はどこでもそうらしいが、会社の中に入るために、社員証が必要なんだ。……駅で交通系のカード、使ったりするだろ?あれと一緒の役割でな。会社の入り口にも駅の改札みてえな機械が設置されて、社員証をかざすことで通れるようになる。だが、商談などに来た客は社員証を持っていない。だから、来客用のカードを貸し出すんだ」
「……つまり、そのひげの男はN局の人間ではないということか」
来客用のカードを首から下げていたのなら、そう言うことになる。しかし、そうだった場合、さらなる疑問が湧き出てくる。それは……。
「何故その男は、高木さんと社長、そしてディレクターにしか関係し得ない話の最中にさえ、あの場にいたのでしょうか?」
「……羽田君の言うとおりだ。仮に高木の件が急なことであったのならば、その客人を別室で待たせればいいだけだしな」
「ただ待たせるよりも、関係ない話を聞かされる方が迷惑だろうからな。……ということは」
「ひげの男が、高木の一件に何かしら関与している。……そう言うことになるな」
やはり、そう言うことになる。だが、しかし……。
「高木さんが会ったこともない人間が、高木さんの一件にどう関わっているんでしょう?」
1つ疑問を解きほぐせば、新たな疑問がどこかで生まれている。芋づる式とはまさにこのことか。根っこがどこかに繋がっている。……しばらく考えたのち、泉が口を開いた。
「スポンサーなんかはどうだろう。スポンサーのお偉いさんなら高木も知らないだろうし、奴がその部屋にいた理由が『高木の件を受けてのスポンサー契約解除』だったとすれば、説明がつきそうじゃないか?」
「……テレビ局としては、スポンサー離れは避けたいものだな。もし仮に、高木さんの一件が噂として、すでにどこかのスポンサーの耳入っていたりすれば……」
「F局の時と同じように、契約解除やCM撮影料の損害賠償を請求されうるかもしれない。……だからN局の社長は」
「スポンサーの目の前で、高木を切り捨てた。……高木の一件を精査しなかったのは、スポンサー離れを少しでも早く避けたかったから。『お前の人権よりも、スポンサーのご機嫌の方が大事』だなんて、いくらテレビ局の人間でも言えないだろう」
泉がそう締めくくると、高木は両手をぎゅっと握りしめ、小刻みに震えている。うつむいた顔からは、涙が流れ落ちた。
「……そんな、そんなことのために、僕は……」
「待て高木。この話には証拠がない。ただの妄想だ」
「……しかし、ただの妄想にしては筋が通り過ぎているような」
「『ただの妄想』だからこそ、だ。全部自分の都合のいいように考えていいなら、なんでも辻褄が合うことになる。そんな話、誰も真面目に取り合わない。……話が事実だと相手に認めさせたいのなら、証拠がいる。決して揺るがない、確固たる証拠がな。……谷岡、頼みたいことがある」
「なんだ?」
「N局のスポンサーがどれだけいるか、調べだしてくれ。全部だ」
「……ひげの男が代表者の所だけでいいんじゃねえか?」
「テレビ局とスポンサーの関係を思い出せ。……テレビ局にとって、スポンサーはなくてはならない存在だ、なければ組織としての形を成せないからな。テレビ局は、舐められているかもな」
「……平社員が会社の代表として商談に来ると?さすがにそれは……」
「F局はずいぶんと辛酸をなめたようだ。土下座して方々歩いて、ようやく会社存続に必要なスポンサーをかき集めたみたいだからな。まあ、もう形を保つのは無理みたいだが」
「わかった。……1週間くれ」
「ずいぶんと早いな。1か月程度なら待つつもりだったが」
「……高木さんの件、こっちでできることはもうほとんどない。N局の動きを監視するぐらいしかねえんだ。……それ以外に解決のためできそうなことがあるなら、喜んでやるさ」
「礼を言う」
谷岡は「良いって、気にすんな」と言いながら席を立った。
「なら、早速事務所に戻って調べものだ。……高木さん、そろそろ行きましょうか」
「え、ええ……。それでは、お二方。失礼いたします」
谷岡は手を振って、高木は頭を下げて事務所から去っていった。彼らに出した茶などを片付けながら、私はソファに寝転がる泉に声をかけた。
「先生。何故ご自分ではお調べにならないのですか?先生は今でも弁護士なのですから、分担すればよろしかったのでは……」
「……羽田君。テレビ局というものは、申請さえすれば誰でも見学ができるらしい。ごく限られた部分だけだがね。……明後日、予定は?」
「いえ、特に何も……。まさか」
泉はソファから起き上がり、持っていたスマホの画面をこちらに向けた。そこには「ご予約ありがとうございます」という文字と、「N局内見学ツアー」の文字が見えた。
翌々日、N局前。来客用のゲートの前に我々はいた。すぐ隣にある社員用のゲートを通っていく者達が、じろじろとこちらを品定めするように睨みつけてくる。あまり気分は良くないが、泉によれば待ち合わせ場所はこの場らしい。黙って待つしかないようだ。……そうして待っていると、「お待たせしました」と女性の声が聞こえて来た。
「本日は、N局内見学ツアーにお越しいただき誠にありがとうございます。本日、ツアーの案内人を務めます、飯田清美と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
恭しく頭を下げた彼女のつられ、私もぺこりとお辞儀をする。泉は何もせず飯田が続きを話すのを待った。頭をあげた彼女は我々にある物を手渡した。
「そちらは、局内部を歩くために必要な来客用のカードでございます。紛失されぬよう、首にかけていただきたいと思います」
透明のカードケースに入れられ、青いひもがつながったカード。おそらく社員用のカードの流用なのだろうか、氏名や個人の写真を貼り付ける欄が見えたが、すべて「来客用」と書かれたシールで埋められていた。飯田の言うことに黙って従い、カードを首にかける。……泉は首からさげたカードをじろじろと見ながら、飯田に問いかけた。
「最近、これを誰かに貸したりしたのか?」
「はい、以前こちらにいらっしゃったお客様に。……どうかされました?」
泉はカードケースの裏面をこすりながら言う。
「……油汚れだな。普通こんなに汚したりしないだろう」
「申し訳ございません!ただいま、すぐに交換いたしますので!」
飯田は泉の首からカードを取ると、すぐに事務所らしき部屋に消えて行った。彼女は新しいカードをもってすぐに戻ってくる。
「大変申し訳ありませんでした。こちらをお使いください」
「わざわざ交換してもらってすまない。……しかし、あんなのを見逃すとはな。最近忙しかったりしたのか?」
……珍しい。あまり他人の状況を慮ることをしない泉が、気を遣うようなことを言うとは。……飯田も泉の厳しい目つきからその言動はあり得ないと考えていたのか、相当驚いているようだった。……しかし、彼女はそれを円滑にツアーを行うための雑談と判断したのだろう。「そうなんです」と前置きし、小声で仕事の愚痴を話始めた。
「以前に、高木さんの一件がありましたよね。あれのせいか、N局に問い合わせの連絡というものが増えておりまして。普段、受付業務やたまにツアーを担当している私どものようなものまで問い合わせ対処にまで呼ばれたのです。……あまり仕事に言い訳はしたくありませんが、そのせいで気づくことができず……。重ね重ね、申し訳ありません」
「いや、気にすることはない。誰だって働いていれば大変な目に合うものだ。……しかし、あれほどの油汚れを残すとは。この局内ではそのような食事もどこかでできるのか?」
「はい。あちらの方に社員食堂がございます。そこではステーキも頂けますので、その油がはねてしまったのかと」
「……まあ、俺たちには関係ないな。では、飯田と言ったか。早速ツアーを始めてくれ」
飯田は「承知いたしました」というと、どこに隠していたのか小さな赤い旗を取り出し、周りにいる者全員に聞かせるように大きな声をあげた。
「それでは、ただいまより。第13回N局内見学ツアーを開始いたします!こちらへどうぞ!」
我々は飯田の案内のままにゲートを通り、N局内へと足を踏み入れた。
飯田はN局の歴史をぺらぺらと話しながら、一階の廊下を進んでいく。私たちはそれに適当に相槌を打ちながら着いて行った。さすがテレビ局というべきなのか、局内はまるで新しく建てられたかのようにきれいだった。聞けば2年ほど前に改装工事を行っていたらしい。見栄えを気にする芸能界らしく、会社もきれいさを保っておきたいということなのだろう。
「さあ、お二方。まずご案内するのはこちら、新しくできた『環境推進部』です」
飯田はドアを手で示す。上につけられたパネルには環境推進部と書かれていた。……テレビ局が環境推進とはどういうことなのだろうか。それを聞く前に、飯田が解説を始めた。
「こちらは1年半ほど前に新しく設立された部署で、近年加速する地球温暖化や砂漠化、または絶滅危惧種の取材などを行い、それに応じたドキュメンタリーを制作する部署となっております。新設された故あまり知名度もないので、局内見学ツアーでは例外的に立ち入ることができる部署となっております。……それでは、入ってみましょうか。失礼いたします」
飯田はそう言って環境推進部のドアを開けた。IT化が進んでいるためか、イメージしていたような資料であふれかえった部屋ではなく、整理整頓がなされたうえ、部屋の様々な箇所に植物が置かれた居心地のよさそうな部屋になっていた。部屋には3人ほどしかおらず、どこかこじんまりしたような印象を受ける。……一番奥に座っていた部長らしき男性がこちらに向かってきた。身長はすらりと高く、少し面長で眼鏡をかけている。スーツはつるし売りの物ではなくオーダーメイドのようだ。
「ようこそ、環境推進部へ。部長の岩井と申します。よろしくお願いいたします、泉先生。それに羽田助手」
「えっ。私たちの名前をどこで?」
いきなり名前を呼ばれて驚いてしまった。どこにも名前が分かるようなものは身に着けていないはずだが。……すると岩井は「ふふ」と笑いながら話した。
「テレビ局で働いていれば知らない者はいないでしょう。……『人気配信者連続殺人事件』の解決に尽力した泉先生と、その助手である羽田さん。2か月ほど、毎日そのニュースを見ましたから。部署が違くとも、情報は流れてくるものです。……いやあ、そんな有名人と会えるとは思っていませんでした」
「ああ、そうでしたか。いやはや、なんとも気恥ずかしいものですね」
人が死んでいるからあまり喜ぶべきではないとはわかっているが、ここまで言われると少しばかりほころんでしまう。しかし、泉は特段の反応を見せなかった。それどころか、彼の身体をじろじろと眺めている。岩井もさすがに気になったのか「どうかしましたか?」と泉に聞いた。
「こんなこじんまりとした部屋の部長だというのに、随分といいスーツを着ているように見えてな。それなりに潤うものなのか?」
「先生、いきなり何を……」
いざ口を開いたかと思えば、失礼なことをさも当然のように口走る。さすがにこれはいけないと思い止めに入ったが、岩井は笑って流した。
「いやあ、ハハハ。……さすがは泉先生、噂通りです」
「噂?」
「ええ。連続殺人事件解決の立役者として、ウチの方からも何人か取材に行かせていただいていたと思うんですけど……」
確かにあった。環境推進部はその話に関係ないだろうが、局内で話自体は広がっていたのだろう。
「……ああ。確かにそんなこともあったな。あの番組は目を通したぞ」
「そうですか、ありがとうございます。その時に泉先生の人柄を聞きましてね。……歯に衣着せぬ物言いとは、このことを言うのかなと」
「くだらん噂だな。……で、実際どうなんだ?この部署で働いて、稼ぎはいいのか?」
「……そうですね。この地球に生きる生物としてはありがたくないのですが、近頃環境問題が多すぎまして。……いや、渇く暇もありませんよ」
「近頃……。というと、熊とかか」
なぜか泉が食いついた。岩井は泉が興味を示したことがうれしいようだ。普段見学に来る者達はあまりこのような話に興味を示さないのだろう。
「ええ、近頃熊の被害というものは尋常ではありません。昨年度に比べて2倍、3倍、あるいはそれ以上の被害が出ているのです。……1つ問題です。何故ここまで熊被害が増えたのだと思いますか?よろしかったら羽田さんもお考えになられてはどうでしょう?」
……ここには高木の件を調査するために来たはずだ。こんなクイズに付き合っている暇はない、と言いたいが泉は意外と楽しんでいるようだ。腕を組んで「ふむ……」と声を漏らしている。せっかくだから僕も考えてみるとするか。
「……どうでしょう。そろそろ答えをお聞きしても?……では、羽田さんから聞きましょうか」
「私は、地球温暖化のせいではないかなと。気温の変化で餌がとれなくなり、人里に下りてきてしまっている。……とかですかね」
岩井は否定も肯定もせず、「なるほど」とだけ言った。続いて彼は泉の回答を求めた。
「メガソーラー開発のせいではないのか?森林が伐採され、住処を追われた熊たちが山を下りてきている」
岩井は泉の回答にも「なるほど」と返した。そして一息つくと解説を始めた。
「まずは羽田さんの回答から。この説は学会でもっとも有力視されている説です。というのも、昨年は熊の餌となる作物が育ちやすい環境だったため、縄張り争いなどせずに繁殖したが、今年は作物が育ち辛い環境だったようで、縄張りや餌の争いに敗れた熊が人里に下りてきているのではないか。という説ですね」
「へえ……。そう言う説があるんですか」
「ええ。ちなみに、泉先生のメガソーラー開発による影響説は学会では否定されています」
「何、そうなのか」
「ええ。というのも、メガソーラーを設置する場所は人が選びますから、あまり環境に影響がない場所を選ぶことができるのです。いささか傲慢ではありますが、大型動物に比べて住処を移動しやすい鳥類や昆虫類などが多く生息しているエリアを選んで、メガソーラー開発地としているのです。……まあ、これを知らなければメガソーラーのせいと考えてしまっても仕方のないことだと思いますが」
「……さすが、環境問題を専門に取材しているだけある。知識は専門家にも劣っていないな」
「いやあ、それほどでも。あの高名な泉先生にお褒め頂けるとは……」
そうして談笑していると、岩井の部下らしき女性が「部長、そろそろ……」と小さい声で呼びかける。岩井はハッとしたような顔をして腕時計に視線を落とした。
「申し訳ない。私はこれから次の番組のため、取材に行かねばならず……。話の途中ではありますが、ここで失礼させていただきます」
「いえ、こちらこそ長話してしまって申し訳ありません。……泉先生、行きましょうか」
「ああ。……どうも、失礼した」
私たちは急いで環境推進部を後にした。飯田は「ここでお話した方の中で、先生方が一番長くお話されていましたよ」とうれしいのかよくわからない評価をもらった。そのまま彼女は「申し訳ありませんが、少々お手洗いに。ここでお待ちいただければ……」と言ってお手洗い場に行った。私はその間に先ほどまで抱いていた疑問を泉にぶつけることにした。
「先生、どうして岩井さんとあんなに話を?環境問題にそこまでご興味が?」
「違う。……岩井の風貌は覚えているか?」
「え?……もちろん。つい先ほど会いましたから。背が高めで、少し面長で眼鏡をかけていて……」
そう言っているうちに自分で気づいた。ハッとした顔をすると、泉も「気づいたか」と廊下の壁に寄りかかる。
「高木が言っていた、ひげ面の秘書と思しき人物と特徴が一致している」
「しかし、彼がそうだという証拠は……」
「ない。だが、特徴が一致しているのなら俺は疑う。非効率がすぎるがな。……それに、新設の部署の割には随分と羽振りがよさそうだったじゃないか。確かに今は環境問題が無限にあり、視聴率が取れそうな話題を選ぶ余裕すらあるだろう。だが新設の部署だ。N局幹部のごり押しでもなければ、あそこまで潤ったりはしないだろう」
「実際、ごり押しのようなものはあるのでは?今時いろんなところでSDGsとかいう言葉を聞きますから、それを受けて『うちの局は積極的に取り組んでいます』とアピールするために、優先的に経費を回しているかもしれません」
「……確かに、羽田君の言う通りかもしれんな。さっき、飯田が『この局は一昨年に改装工事をした』と言っていた。そこまで羽振りがいいなら、経費を多めに回すことも簡単か」
一応の結論がついたところで、ちょうど飯田が戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません。それでは次の所に向かいましょうか」
そうして私たちは彼女の案内に従って局内を歩き回った。撮影が行われているスタジオを上から覗いたり、空きスタジオに足を踏み入れることもできた。N局の調査という目的を忘れ、ただ珍しい景色に目を奪われていただけだった。
そして何時間か経ち、時刻は午後1時を過ぎた。私たちは可能な範囲で局内を飯田の案内で歩き回り、最後は社員食堂の前に来ていた。
「本日のN局内見学ツアーはここまでとなります。お楽しみいただけましたでしょうか?」
「ああ。なかなか興味深いものだった」
「はい、何時もテレビで見ているはずなのに新鮮な景色ばかりで楽しかったです」
「そうですか、そうおっしゃっていただけると、案内人を務めた私もうれしい限りでございます。……少々遅くなって申し訳ありませんが、最後にこちらの社員食堂でお食事をお楽しみください」
飯田は丁寧に頭を下げると、エントランス出口の方へ歩いて行った。食事をせずとも帰ることはできるようだが、せっかくだし何か食べていくとするか。……私がそう口にするよりも早く、泉が社員食堂へと足を踏み入れていた。彼は迷いのない足取りで、一番奥にある人気が少ないエリアへと向かっている。あそこは、どうやら鉄板ハンバーグやステーキなどを提供しているエリアのようだ。
普段食事に関しては、同席する者がいればため息を我慢できなくなるほどの優柔不断ぶりだが、この迷いのない足取りは一体どうしたというのだろう。人がすくないおかげで並ぶ間もなく店員のもとへとたどり着いた。快活な中年の女性が「いらっしゃい!」と出迎える。
「見ない顔だね。商談でもしに来たのかい?」
「いや、ただの見学だ。……肩ロース、450グラムを頼む」
「はいよ。後ろの人は?一緒?」
泉はちらと私の方を振り向き、「早く何を食べるか決めると良い」と急かしてくる。……一番安いものでいいか。
「じゃあ、ハンバーグ300グラムで」
レジ係の女性は厨房に注文を伝えるとすぐに戻ってきて会計を始めた。そして呼び出し機を手渡し、「なったら来てね」という。しかし泉はその場から動かず「少しいいか」とその女性に話しかけた。
「え?……まあ、今はお客さんもいないしいいけど。何の用?」
「コレを持っていた奴がここで食事をしなかったか?」
泉はそう言って首からさげているカードを見せつける。女性は少し悩んだのち、「ああ……」と口を開いた。
「最近いたね。……大体、2か月半前ぐらい。でっぷり太ったひげ面の人が、ウチで一番高いサーロインステーキを500グラム頼んでいったよ。よく食べるなあと思って、じろじろ見ちゃってね。……確か、すぐ近くの席に座ってたかな」
「……誰かと一緒にいたりは?」
「いや、1人だったね。……結構偉い人だと思ったからさ、そんな人が1人でいるなんてちょっと珍しいじゃない?」
「確かに。……では、なぜ偉い人だと?」
「そりゃあ、注文の時の物言いに決まってるだろ?『サーロイン、500』ってぶっきらぼうな言い方でね。レジやろうとしても『早くしろ』ってうるさいのなんの。それに、あの無頓着さ。……鉄板で焼いたステーキやハンバーグなんてどうしても油が跳ねるじゃない?だからいつもこういうの……紙製の前掛けをトレイに一緒に乗せてるんだけどね。あの人、スーツ着てたのに前掛けもしないでステーキ食べてたの。もう油が跳ね放題、スーツにもたっくさん油汚れが付いただろうね。……もし私だったら絶対に洗濯したくないわよそんなの」
レジの女性は「やだやだ」と言った様子で首を振る。そうしているうちに私たちが注文したものが出来上がったようだ。
「話を聞かせてくれてありがとう」
「お仕事中なのに、ありがとうございました」
「いいのよ、どうせ暇だったし」
私たちは彼女が言っていた、ひげ面の男が座っていたという席に着き、ナイフとフォークを手に取った。肉を一口大に切り分けながら、私は泉に気になったことを聞く。
「……先生、先ほどの女性への聞き込みは、来客用のカードについていた油汚れについてですか」
「ああ。工場ならば潤滑油などが付着したとも考えられるが、ここはテレビ局。油汚れが付く原因は限られるし、それが来客用ともなればなおさらだ」
泉はステーキを口に運び、咀嚼する。安さゆえか高級ステーキに比べると柔らかさが物足りないだろうが、彼は気にする素振りもない。私は付け合わせの野菜を飲み込むと、ある提案を思いついた。
「あとで、あの女性に頼んで似顔絵でも作りましょうか。今の所ひげ面の肥満男性という情報しかありませんし」
「確かに、必要そうだな。……肥満でひげ面ならあまり数はいないと思ったが、実際そうでもなさそうだしな」
彼はそう言って少し目線を右にそらす。私はその視線を追った。するとそこにはラーメンをすする男性がいる。少し薄いがひげ面で、でっぷりとまではいかないがぽっちゃりとは言えるだろう。
「体形の判断は人によって多少なりとも差異が出る。がりがりに痩せた人間が自分を基準にすれば、あいつは極度の肥満という扱いになったりするだろうな。……ついでに眼鏡の男の似顔絵も高木に作ってもらうか。該当する人物が多すぎて絞り込むのはほぼ不可能だ。誰彼構わず疑うというのも非効率だしな」
「ええ、そうしましょう」
それから私たちは食事を終え、レジ係の女性に似顔絵の制作を依頼した。彼女には人物の目鼻立ちなどの特徴を話してもらい、泉がそれを簡単に絵にする。結果出来上がった男は、一言でいえば悪人面そのものだった。少し細いつり目は誰が見ても睨まれているというような印象を受けるだろうし、キュッと結ばれて口角が下がった口元は怒りを表しているように見える。眉毛はとても太く頑固そうな印象を受ける。出来上がった絵を見た女性は「そう!そんな顔だった!……あんた絵うまいのね」と感心していた。出来上がったその似顔絵に、見覚えは全くなかった。
N局から事務所に戻った私たちは、すぐさま谷岡に連絡を取った。この似顔絵が何かの手がかりになり得るかもしれない。そう思ったからである。しかし、電話先の谷岡はなんだか慌てていた。
「谷岡、今大丈夫か?」
『泉か?悪い、今は手が離せねえんだ』
「何があったか話せるか?」
『今すぐテレビをつけろ。それで説明はつく』
電話口から漏れ出た声を聞いた私はすぐさまテレビをつける。映された画面はつい最近見たような会見の風景だった。司会者の男は「これより高木光一のコンプライアンス違反の件について、N局側より説明させていただきます」と話す。どうやら4日ほど前に行った高木の会見に対しての回答が用意されたようだ。私たちがN局から帰ってきてすぐとは、なんともタイミングがいい。泉は「把握した。切るぞ」と言って電話を切り、仕事机から移動してテレビの前のソファに腰を下ろす。
「先生、お茶でも飲みますか?」
「ああ。麦茶を頼む」
私がキッチンに立っている間、会見が始まった。高木の件の発端から話が始まり、概要、そして以前お紺われた高木の会見へと話が移っていく。今のところはただの事実確認に過ぎない。これからが大事なところだ。
『我々といたしましては、答え合わせは難しいと言わざるを得ません。我々は何よりも、関係者各位の保護が最優先であると考えており、高岸の会見後もその認識は変わらず、高木氏によるコンプライアンス違反も確認されているため、弊社の措置に人権的な問題は存在していないと判断しました。……以上です』
N局の代表らしい男性はそれだけ言うと逃げるようにその場から去っていった。記者たちがどれだけ質問を投げかけようとも彼は無視を貫く。そして彼はエレベーターに乗り込み、上の階へと逃げて行ってしまった。これで会見は終わりのようだ。
「……冗談みたいだな」
泉はため息混じりにそうつぶやく。私も彼と同じ意見だった。話したいことだけを話してさっさと逃げるとは、それがN局の矜持なのだろうか。記者として散々他人に「説明責任を」と喚いてきたというのに、自分がその立場になればだんまりなど、どう考えれば通用すると思ったのだろう。泉は呆れたようにソファに身を投げ出し、天井に向かって大きく息を吐いた。……しかし、すぐに体を起こし、ぼそりとつぶやく。
「……関係者各位の保護ってなんだ?」
何を言い出すのだろう。言葉の通りではないか。
「そのままの意味では?高木の件に関わった人たちという意味で……」
「……高木の件、不審な点が多すぎる。何度も言うが、高木のコンプライアンス違反に関しては一切情報が出ていない。誰が関係しているのかすらわかっていない段階で『関係者の保護』と言われたところで、その保護は誰のためなのかわからなくないか?」
「……1番の関係者である高木さんの人権は保護されていないのに、そんな彼を放っておいてまで保護したい『関係者』がいて、その人物は表には出せない存在である、と……」
「出来すぎだな。……陰謀論にハマる奴の気持ちが少しだけわかったような気がする」
泉はそう言い捨てると、スマホを取り出しながら立ち上がった。どうやら谷岡に連絡を取っているようだ。
「谷岡、会見を見たぞ。……明日、ウチの事務所で話せないか?」
『ああ、いいぜ。……こんな内容の会見じゃあ、動きたくても動けねえよ』
「じゃ、明日好きな時間に来てくれ。朝9時から事務所は開けておく」
『ああ、じゃ、また明日な』
短い会話を終えて電話を切った泉は、胸ポケットからメモ帳を取り出し、あるページを開く。そこには昼時に描いたひげ面の男の似顔絵があった。
翌日、午前9時2分。約束通り、谷岡は高木を連れて事務所にやってきた。彼らの顔にはN局のやり方に対する怒りや呆れというのが見て取れた。私は彼らを事務所内に案内し、お茶を出す。谷岡は礼を言いながら一口つけると、ため息混じりに口を開いた。
「……とりあえず、昨日のN局の会見がどのような内容だったかを振り返っておくか」
彼はそう言ってポケットからメモ帳を取り出し、ぱらぱらとめくった。
「とはいっても、振り返らなきゃいけないほど、あの会見に内容があったわけじゃないんだけどな。この件の概要を説明して、改めて自分たちに非はないと主張しただけだ。話は1ミリも前に進んじゃいない」
「……そう言えば、人権救済の申し立てはどうなった。もう十分な時間は経ったんじゃないか?」
泉が思い出したように聞くが、谷岡は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。彼は1度舌打ちをしてから話始める。
「正直、芳しくない。人権救済の申し立ては、俺じゃなくて日弁連自体が動いているんだが……。2日に1回程度進捗を確認しているんだが、牛が歩くよりも遅い。昨日ようやくN局内調査の計画を立て始めたようでな。……動きがあるのは早くても2か月後だろうな」
「2か月後……。というと、今年中は何もないってことですか?そんなに難しいことなんですか?」
信じられないほどの日弁連の仕事の遅さに、何かの影響で調査が阻まれているのではないかと勘繰ってしまう。そんな疑問を素直に口にすると、谷岡ではなく泉が口を開いた。
「ただのサボりだ。日弁連のジジイ共は椅子に座ってるだけで金がもらえるからな。一般人が人権救済の申し立てをしたところで、もらえる金が増える訳じゃない。そりゃ、やる気なんかあるわけないだろうな」
「そんな、ここには困っている人がいるのに……」
「誰かの悩みを解決してやるよりも、椅子から腰をあげる方があいつらにとっては難しいことなのさ。……所詮クズの連中だ」
泉が冷たく言い捨てる。谷岡は泉の物言いに何か心当たりがあるのか、どこかバツが悪そうな表情を浮かべた。だが、この場は日弁連に対する愚痴を言う場ではない。
「……とにかく、日弁連は今年中は動かねえ。俺たちとしても、N局との話し合いは無理そうだ。動くとすれば、前に泉が言っていたスポンサーをあたるしかないが……」
「……そうだ。高木、これを見てくれ」
泉はそう言ってメモ帳を取り出し、ひげ面の男の似顔絵が描かれたページを開いて見せた。高木はそれを見た途端、「え?」と驚いた声をあげる。
「どうだ、見覚えはあるか?」
「ど、どこでこの顔を?あの日みた男にそっくりです。何処の誰かもわからなかったのに、いったいどうして?」
「昨日、N局に行ってきたんだ。そこで聞き込みをして、何とか手がかりを手に入れた。……この顔で間違いないんだな?」
「はい。この人でした。間違いありません」
高木は自信をもってそう言い切った。泉はメモ帳のページを破りとると、谷岡に渡した。
「これがあれば、少しはスポンサーを洗うのが楽になるんじゃないか?」
「ああ、助かるぜ。……にしても、完璧な悪人面だな。目つきも悪いし、『自分は悪人です』って言いふらしてるようなもんだ」
「あまり人の顔をとやかく言うもんじゃない。……それと、これも渡しておく」
泉はメモ帳に挟み込んでいた一枚の小さな紙を渡した。それを受け取った谷岡はすぐ紙に目を通し、「岩井清道?誰の名刺だ、これ」とつぶやく。
「高木が話した、こいつの後ろにいたとかいう面長の眼鏡男だ。……確証はないが、候補として知らせておく」
「ああ、わかった。……『環境推進部』?テレビ局にそんな部署があったのか」
私は谷岡にN局で聞いた話を伝えた。彼は何度か相槌を打ちながらそれを聞いていた。泉は思い出したように、高木にひげ面の男の背後に立っていたという、面長の男の似顔絵を作らせていた。
私が話を終えるのと同時に出来上がったその似顔絵は、岩井の顔そのものだった。彼の顔を知っているという先入観があるせいかは定かではない。……高木には、岩井があの特徴に該当する面長で眼鏡をかけた男という情報しか伝えていない。目つきや鼻の形などの細かい情報は話していないのだ。だというのに、彼の証言通りに描きあげられた似顔絵は、岩井の顔になっていた。谷岡は泉がメモ帳に書いた似顔絵をのぞき込む。
「……あまり珍しくない顔だな。見覚えがあったりするのか?」
「ついさっき話した岩井って男にそっくりだ。……偶然とは思えん」
「環境推進部の部長とかだろう?高木さんに一体何のかかわりがあるって言うんだ」
「……こいつ自体はどうでもいいかもしれん。高木の話じゃ、こいつはひげ面の男の後ろに控えてたんだろう?ひげ面の腰巾着なんだろう、岩井は」
「つまり、どうにかしてこのひげ面を探し出さなきゃいけないってわけか。……まあ、明確な目標ができただけでもよしとするかね」
谷岡は自分のメモ帳に、ひげ面の男の似顔絵と、岩井の似顔絵を挟み込んだ。大まかな調査の方針は決まったようで、彼の顔は先ほどよりも明るく見える。
「……で、その間。俺たちはどうする?」
泉は谷岡にそう尋ねた。おそらく彼はこれからN局のスポンサーを調べるのだろうが、こちらとしては次にどう動けばよいかの指標というものが一切ない。岩井を問い詰めようとしたとて、れっきとした証拠など一つもない。「それは私ではありません」とでも言われれば黙って引き下がるしかないのはすぐに考えつくことだった。
谷岡は「あれを……。いや、でも……」と、何か案はあるようだが遠慮している素振りを見せている。泉は「遠慮するな、さっさと話せ」と急かし、それが決意にいたったのか、谷岡はスーツの胸ポケットにちょうど収まるほどの小さい封筒を取り出しながら言った。
「……高木さんが番組の撮影をしていた場所を調査しに行ってほしい。高木さんは降ろされたが、番組自体はまだ続くようでな。撮影班の仮住居がここにあるはずだ」
谷岡はメモ帳に何かを書き込むと、そのページをちぎりとって渡す。H県のとある郊外の番地が書かれていた。仮住居の所在地だろう。……では、この小さい封筒は。谷岡に断りをいれ、封の中を覗く。……新幹線のチケットが二枚、入っていた。行先は当然H県である。
「もともとは俺と、事務所のもう一人の二人で行くつもりだったんだが……。N局がいつ、どう動くかはわからん。だからどうしたものかと悩んでいたんだ」
「……旅費は出してくれるんだろうな?」
「経費で落とす」
「わかった、引き受けよう」
こうして私と泉の二人は、急遽H県に向かうことになったのであった。……向こうでは雪が降り始めていると聞く。防寒着を買っておかねばなるまい。……さすがにこれは経費にならなかった。
一週間後。新幹線内にて。谷岡と高木の見送りを受け、私と泉はH県に向かう新幹線に乗っていた。発車して早々、泉はアイマスクをつけて仮眠に入っている。私はその間、スマホで高木が出ていたという番組について調べることにした。
あの番組は週に一回、決められた曜日・時間に放映されている。内容は多岐にわたるが、最近は農業を重点的に行っていたようだ。撮影場所などは公開されていないが、これは当然だ。もし公開されればファンが押し寄せてしまうだろう
ネットで調べられるのは精々この程度だ。私は谷岡から受け取っていた資料を鞄から取り出す。谷岡が高木から聞き取って作った番組に関する資料だ。まずは、スタッフの数。20人以上30人以下の間で揺らいでいるようだ。あまりテレビ業界に詳しくないのだが、谷岡の話ではこれは多い方らしい。だが、この数がずっといる訳ではなく半分ほどが定期的に入れ替わっているのだという。内容の都合上時間がかかるものばかりであるため、入れ替え式を採用しているようだ。もしそうならば人員入れ替え用にあと15人ほどは番組に関わっていたスタッフが存在していると考えていいだろう。
N局の会見が事実ならば、この中に高木から何かしらコンプライアンスに抵触するような行いをされた人物がいるはずだ。今回はそれを調べるための旅行である。
「……まだつかないか」
新幹線が出発してから1時間ほどが経過し、泉が目を覚ました。あまり良い睡眠ではなかったのか、アイマスクの下で彼は顔をしかめていた。
「あと少しです。その前に食事にしますか?」
現在は午前11時。少し早いが昼食にしてもいいだろう。新幹線が出る前に買っておいたおにぎりやお茶などがある。私はそれらを泉に手渡した。
「ありがとう。……いただきます」
おにぎりを3個食べ、腹ごしらえを済ませたところで新幹線が目的地に到着した。荷物をまとめ、席を立つ。新幹線から降りると、予想以上に冷たい風が私たちを出迎えた。コートの襟を寄せ身震いをする。私たちは谷岡が渡してくれたメモ書きを頼りに歩き出した。
駅前でタクシーを呼び止め、目的地を伝える。運転手はその住所を聞いた瞬間眉をひそめたが、特に何も言わずに車を走らせ始めた。高木たちが収録を行っていたというその農地は駅から遠く離れた場所にあるという。
交通の利便性よりも自然豊かな場所を優先したのだろう。車窓から見える景色が建物から次第に田畑へと変わっていく。信号もあまり見なくなり、すれ違う車も減ってきた。そんな時運転手の男性がいきなり口を開く。
「……あんたら、何の用だ?」
「え?」
いきなり話しかけられたことに戸惑い、つい拍子抜けした声を出してしまう。彼はあまり気が長くないのか、少しいらだった様子で質問を訂正した。
「だから、何のつもりでここに来たって聞いてんだ。……あんたらが行きたいとこ、あの番組のロケ地だろ?冷やかしには見えねえ」
「仕事だ。……ニュースは見てるだろう?高木光一の件でな」
何やら思う所があるのか、彼はハンドルを握る手を少し強めると「ふう……」と疲れ切ったようなため息をついた。
「……あれは、冤罪だ」
そしてまっすぐ正面を向いたまま彼はそう言い切った。バックミラーに映りこんだ彼の目は確信と、怒りに満ちていた。
「少し停めてくれ」
泉がそう言って、周りを畑に囲まれたコンビニの駐車場にタクシーが停まった。泉はコンビニで水を買うと運転手に手渡し、「何か知っていることがあるなら教えてほしい」と頼んだ。運転手の男性は車から降りるとそのままドアに寄りかかりながら話し始めた。
「俺は今まで数えるほどしかないが、送迎を務めたことがあってな。高木さんも乗せたことがある。……礼儀正しい、物腰の低い人だ。それはスタッフに対してもそうだ、礼を欠かさず労をねぎらう。誰に対してもそう接してきたんだろう。……そんな人間が、いきなり何かやらかしたって言われて、信じると思うか?そのくせあいつらは何が起きたかなんて一言も話しゃしねえ。……嘘に決まってる」
「……嘘をついていると決めつけるということは、何か怪しい出来事でもあったんですか?」
「ああ。ちょうど去年にな。この道を見たこともないトラックとかが大量に通っていった。……ここらは畑ばっかりだろ?だから、普段は小さい軽トラか、たまに俺たちタクシーが通る程度しかねえ。まあ、近くに心霊スポットがあるとかでド深夜に馬鹿な若者共が車を走らせているが……。大体そんなのしか通らねえ道だ。そこにいきなり、大量の資材を積んだトラックが何台も通っていったんだ。……絶対に何かある」
「……しかし、それとN局に何の関係が……」
「行ってみりゃわかる。続きは向こうについてからだ。さっさと行くぞ」
運転手は乱暴にそう言うと、すぐにタクシーのエンジンをかけなおした。私たちが急いで乗り込むと、それを待っていたかのようにタクシーは走り出した。
車中にて。運転手は静寂を嫌ったのか、前置きもなく先ほどの話の続きを話し始めた。
「……その大量のトラックは、『イープラス』っていう名前の会社の物でな。あんたらも調べてみたらわかるが、あの会社はとんでもねえもんだ」
その言い回しが気になった私はすぐにスマホを取り出し、イープラスと検索してみる。すぐにそれらしきホームページが出てくるが、その内容はあまりにも皆無だった。……それは当然というべきか、そもそも設立が1年半前の新しくできた会社なのだ。ホームページには経営理念程度しか書かれておらず、実績の欄は空白となっていた。唯一の情報である経営理念には、「自然を力に」と書かれている。その後は社長らしき人物の御託を並べ続けているだけのようで、読むに堪えない字の羅列だった。
「見つけたか。……おかしいだろ?出来立てほやほやの得体の知れない会社が、いきなり地方の再開発みてえなでけえ仕事をもらえるとはどうにも思えねえ。こういうのは小さなことから一歩ずつってのが、相場ってなもんよ」
「しかし、それがなぜN局と繋がっていると?」
「……外を見ろ。それでわかる」
彼が右手の親指で窓の外を指す。その先に視線を送ると、畑の向こうから山の麓が緑に染まっていた。だが、それは自然の緑ではない。イープラスによる工事のために張られた幕、いわゆる現場シートの色だった。シートの中央には社名が入っている。
「あの辺りが、高木さんたちがロケをやってた場所だ。その周りがいきなり、あいつらに幕で取り囲まれちまったってわけよ。……N局としちゃいやなはずだよな?せっかく自然の中での農業ってのを映してたはずだってのに、それがだめになるんだぜ?……でも、あれはあのままだ。N局が抗議したかどうかは知らねえが、進展はねえ。なら、何かしらの話し合いでN局の奴らが折れたって考えるのが自然だろ」
「何らかの話し合い……。まあ、金だろうな」
決めつけるように泉がそう口にしたが、タクシーの運転手は「俺はそうは思わねえ」と言って首を横に振った。
「さっきも言ったはずだ、イープラスは出来たばかりの会社だと。そんな会社がN局が満足できるほどの金を用意できるか?」
「……無理だろうな。いかんな、あいつらのことだからどうせ金しか頭にないだろうと決めつけていた」
「まあ気持ちはわかる。企業の重役ってのどいつもこいつも通帳の額面とにらめっこしてるだけだからな。……じゃあ、他に何があるんだといったところで何も思いつきはしないんだがな」
「……N局が言い出したんじゃないですか?」
ふと、そう思った。イープラスが主体なのではなく、N局が主体だとすればどうだ。イープラスはただN局に雇われただけの建築会社にとどまる。裏でイープラスという素性があまり知れない新しい会社が暗躍していると考えるよりも自然ではないか。……そう話してみると、泉は思いのほか良い反応を見せた。
「……そう考える方が自然だな。高木の一件のせいで陰謀論にあまり抵抗がなくなっていたが、それはまだ妄想の域を出ていない。……俺たちはまだ受け取った情報に裏があることを示す証拠を得ていないんだ」
「まあ、とにかく。一回近づいてみるか?情報が欲しいんだろ?……あそこのスタッフには顔見知りがいてな。いわゆる『顔パス』が出来んのよ」
「お願いします」
タクシーの運転手、井川正樹の案内で私たちは徒歩で工事現場に向かう。その途中、少し古ぼけた二階建ての建物を見つけた。アパートだろうか。それにしては駅から離れすぎているように思える。いくら安くともここで暮らすのは不便だろう。……そう考えながら眺めていると、一階の右端の部屋から誰かが出て来た。
「ちょっと!ここは関係者以外立ち入り禁止だよ!」
60から70程度の女性だ。少し腰が曲がっているが、その気迫はとても若々しいものだ。
「百合さん。俺だよ、正樹。コンビタクシーの正樹。覚えてるだろ?」
「……ああ。どうしたんだい?誰かがタクシーを呼んだりしたのかい?」
「いや、そう言う訳じゃなくてな。……百合さんも気になってるだろ?イープラスって会社。この人たちがあの会社を調べてるんだ。話を聞かせてやってくれよ」
百合さんと呼ばれた女性はこちらをじろりと品定めするような目つきで見る。するといきなり「あ!」と声をあげて部屋に戻って行ってしまった。いったいどうしたのかと三人で待っていると、彼女は紙束をもって戻ってきた。どうやら新聞らしいそれと私たちの顔を何度も見比べ、そして何かに気づいたようだ。
「もしかして、泉先生とその助手の羽田さんかい?」
「そ、そうですけど……」
「新聞で読んだよ、殺人事件を解決したんだってね。まさかそんな小説じみた人間がいるとはと思っていたが、まさか会えるとは。……握手してくれるかい?」
私たちは百合さんのお願いに応じた。まるでアイドルにでもあったかのような扱いで少しこそばゆい。……そのままの流れでサインをねだられたが、さすがに御免被った。
その後、百合さんの部屋の案内され、そこで話を聞かせてくれることになった。井川も同席している。
「まずは、自己紹介からしておこうかね。さっき正樹が名前を呼んだけど、私は市村百合。好きに呼んでくれていいよ。……あんたたちのことは知ってるから構わない。そんなことより聞きたいのはイープラスのことだろう?……特にそっちの人、『無駄話は嫌いだ』って顔をしてる。どう?図星だろ?」
市村はそう言って泉の方を向いた。彼女の言うとおり図星だったのか、少しバツが悪そうな顔をしている。……珍しい表情に、少なからず僕も驚いていた。
「さて……。あの会社はね、私みたいな地元の人間からすれば邪魔者でしかない」
一息ついていざ話始めたかと思えば、彼女はその口で痛烈にイープラスを非難した。あまりに強い語気に泉も興味をひかれたのか少し身を乗り出している。
「邪魔者?」
「ああそうさ。……正樹から話は聞いてるだろうけどね、この辺りはある番組のロケ地なんだ。ここはスタッフの休憩所みたいなとこ。この辺りは景色がよくてねえ、例えば駅からここまで車で来るとするだろ?そうすると、窓の外に緑が広がってるんだ。春は桜になるし、秋は紅葉がきれいなんだ。冬には枯れちまうが、それまた風流でいいもんだ。……だが、あの幕のせいで全部見えなくなっちまった。しかも!木を切る音も聞こえてね。あいつらのせいであの景色がもう見れなくなっちまったのさ。ひどいもんだろう?」
「ええ、それは確かに。……彼らは自然を破壊してまで何を作る気なんでしょう」
「さあね。……ああいう場所には、大抵『工事計画』っていうもんが貼られるじゃないか。冷やかしがてら見に行ったんだがね、どこにもなかったんだ。だから私でもあそこに何が立つかは知らないね」
「……ほう?」
泉は肩眉を釣り上げる。……工事計画は、工事をするうえで絶対に必要な物だ。市や区、または自治体などから許可を得ているということを証明するための物なのだが、それがないのならばその現場での工事はすべて違法だと言っても差し支えない。……得体の知れないイープラスに噛みつく口実ができた。だからこそ泉は反応を見せたのだろう。
「……何か気になることでもあったかい?」
「ああ、だがここで話しても意味はない」
「そうかい。……話を続けるかね。あの工事は私みたいな地元の人間だけじゃなくて、ここで暮らしてる番組スタッフの人も反対してるのさ。当たり前と言えば当たり前だがね。だって、どう撮ったって工事の幕が映るんだよ?どう考えたって邪魔だろう。そのくせ何の工事かもわかりゃしない。反対して当然だろうけどね」
「まあ、仕事ができなくなると考えれば反対するのは当然ですよね」
「……でも、テレビ局の連中は違った。工事に反対する連中を異動させて、別の番組のスタッフにしちまった」
「え?異動ですか?」
工事に反対するだけで異動とはあまりにも横暴ではないだろうか。……この工事は一体何を作るためなのか。
「だから、今ここに住んでるのは工事賛成派のスタッフしかいないよ。イープラスのことなんか聞いても碌なこと話さないだろうね。……それに、しばらくロケもしてないみたいだし。……そういや、高木さんも工事に反対してたね。『自然を壊すな』って人一倍怒ってたよ」
泉はメモ帳に彼女から聞いた言葉を書き留めていく。そして残した茶を一口で全部流し込むと「貴重な情報感謝する」と言って立ち上がった。
「少々長居しすぎた。そろそろお暇させてもらおう」
「もうかい?せわしないねえ。……ま、久しぶりのおしゃべりは楽しかったよ。気楽に来れる場所じゃあないが、気が向いたらまたおいで。死んでなかったら出迎えるよ」
「……百合さん、それはあまり洒落になってねえぞ」
井川はそうつぶやく。高笑いする彼女に見送られ、彼女の部屋を後にした。ともに部屋を出た井川は「元気な人だな」とこぼしていた。
市村百合が管理人をしているアパートから出た私たちは、その足でイープラスの工事現場まで近づいていた。……道中にあった畑は人の手が入っていないせいですっかり荒れ果てている。
「あいつらが来て以降、ここでロケをする回数は減っていった。最近じゃあ年末スペシャルだって言って、昔に撮った映像を使いまわしてやがる。……畑もこんなに荒れちまって」
井川は畑の中でしゃがみ込み、好き放題に生えた草を一度むしり取ってため息をついた。高木達がどれだけ地元の人との交流を大事にしながら仕事をしていたかということが痛いほど伝わってくる。そんな思いを踏みにじったイープラスの目的は、それら以上に崇高なものなのだろうか。
工事現場へと近づいていくと、「関係者以外立ち入り禁止」との貼り紙がされた金網の扉を見つけた。中を覗くと資材が地面に積まれているのを見つけた。しかし人の姿はどこにもなく、話し声といったものも聞こえない。視界の奥には作業員の休憩所であるプレハブ小屋もあるが、しばらく眺めていても誰かが出てくるような気配はない。
そもそも、今日は平日である。その上、時刻はちょうど午後3時を過ぎた頃で、工事をしない理由が思いつかない。イープラスは新しい会社なだけあって、働き方改革が進んでいるのだろうか。泉は扉に手を伸ばし、何度も揺さぶる。金網同士がぶつかり合い、耳障りな金属音を鳴らしていた。
「先生!?何のおつもりで?」
「誰もいなさそうだからな、中に入れないか試そうと思った」
「もし誰かいたらどうするんですか」
「それならかえって好都合だ。イープラスの関係者から話を聞きだせる」
「乱暴すぎますって。もう少し穏便に……」
「先に穏便に済ませる努力を怠ったのはこいつらだろう。そんな奴ら相手にわざわざ優しくしてやる必要もない。……駄目だ、簡単に壊れたりはしないか」
泉は諦めて扉から手を離し、工事現場の外周を右回りに歩き始める。どこかから入れたりしないかとでも考えているのだろうか。……とにかく、ついていくしかない。
「……あいつらは何を作る気なんだろうか」
3歩先を行く泉はいきなりそうつぶやいた。確かに、先ほど金網の隙間から現場を覗き、大量の資材が積まれていることは把握した。しかし、それで何を作るのかといった計画書らしきものは未だ目にしていない。当然、現場の地面にそんなものが落ちているわけもないが。
「もしかしたら、見逃してるかもな」
泉はそう言う。彼は市村百合の言葉を思い出しているのだろう。「工事計画がどこにもなかった」と。しかしそれはただ見逃しただけで、どこかにあるかもしれない。……彼はそう言いたいからこそ、こうして歩みを進めているのだろう。
「この工事の依頼者は、N局で間違いないってことでいいんですかね」
「……どういうことだ」
「えっと……。『もともとここはN局の土地だったが、つい最近他の誰かに売り渡した』とか。そうだった場合、N局はこの件に関係ないのでは、と……」
「……良い着眼点だが、今回に限ってはハズレだな。もしそうなら工事に反対した者を異動させる理由がない。そこに余計なものが建てられれば、番組にとっても不都合であることはすぐにわかるはずだ。だが、事実として工事は行われようとしている」
「……局側は番組の続行が不可能になる可能性を承知で工事を発注した、と」
「今のところはそう考えていいだろう。……高木も言っていたはずだ、『番組が打ち切りになる』と」
「そう言えばそうでしたね。確かプロデューサーが言い出したとか……」
泉は「ああ……」と落胆したような声をあげながら来た道を振り返る。
「先にアパートで話を聞きだしておくべきだったか。……面倒だが、あとで戻るとするか」
泉はそう言いながら前を向きなおし、工事計画を探して現場周りを歩き回った。だがしかし目的の物を見つけることはできず、何も得られぬままアパートの前まで戻ることになった。
「あんたら、宿の用意はあんのか?」
ここまで付き合ってくれたタクシーの運転手、井川正樹はそう言った。……確か、谷岡が用意してくれた宿があるはずだ。「大丈夫です」と答えた。そんな時。
「おい!うるせえぞお前ら!」
どこからともなくそんな声が聞こえてくる。声の方を向けば市川百合が管理人を務めるアパートの二階から、30後半程度に見える男がこちらを見下ろしていた。彼は私たちが気づいたとみるやいなや「逃げんじゃねえぞ」と声を張り上げ、古くなった階段をどたどた駆け下りてこちらに向かってくる。私たちはというと、一体何が彼の怒りを買ったのかさっぱり理解できずに、その場で立ち尽くしていた。
「お前ら何者だ?ここは関係者以外立ち入り禁止だって知らないのか?あそこで何してた?写真なんか撮ったりしてねえよな?」
彼は私たちの目の前に詰め寄ると、怒涛の勢いでまくしたてる。……短い頭髪に少し焼けた肌。目つきは鋭く、いわゆる「ヤンキー」のようなものだ。年齢を重ねて少しは荒々しさが鳴りを潜めているようだが、根は変わらないといったところか。このようなタイプの人間は、泉が最も嫌うタイプだ。すでに彼は顔をしかめ、詰め寄る男の肩を押しのけている。
「まくしたてるな。邪魔だ。名も知らないお前なんかに答える義理はない。……行くぞ、二人とも。そろそろ宿にチェックインしておきたい」
泉はそんな彼を押しのけ、邪魔だと断じた。男は「舐めてんのか!?」と声を張り上げる。そして先を行こうとする泉の肩を掴んで引き戻す。
「行かせるかよ。質問に答えろや!」
「……知らない人間に個人情報を話す気にはなれん。お前が名を名乗りさえすれば答えてやる」
男は苛立ちを見せ、一度舌打ちをしたがどうやら泉の言うとおりにするようだ。
「俺は上村。N局で働いてるアシスタントディレクター、いわゆるADってやつだ。……で、お前らは?」
「……泉。探偵だ」
「探偵?……何を調べてんだ?」
声色が変わった。苛立ちが消え、冷たく問い詰めるような声だ。何か探られたくないことでもあるのだろうか。
「守秘義務がある。話せない」
泉はそう突き放す。別に嘘ではない。探偵の仕事には守秘義務が付きまとうものだ。しかし上村は納得していない。
「は?舐めた事言ってんじゃねえよ。質問に答えろ」
「頭が悪いのか?守秘義務があるといったんだ。仕事に関係ない人間に話すことなどない」
「……質問を変えるか。アレが見えるよな?関係者以外立ち入り禁止の文字が。なんで入ってきた、頭が悪いのか?」
意趣返しとでも言いたいのだろうか。泉が放った言葉をそっくりそのまま返してくる。しかし泉はそれに惑わされることなく、淡々と答える。
「管理人に許可をもらった。疑うなら確かめてくると良い」
そう言って、アパートの一階のある部屋を指さす。つい先ほどまでお邪魔していた部屋だ。きっと彼女なら普通に証言してくれることだろう。上村は少し疑っているようだったが、「すぐにばれる嘘をつくわけもない」という泉の言葉に言いくるめられ、納得したようだ。
「で、写真を撮ったりはしてねえよな。なんか撮れるモンあるなら出せよ」
「断る。これには顧客との情報がいろいろ入っているんでな。お前が適当な操作をして情報が流出するのはいただけない」
泉はそう言ってスマホを見せつける。……あまり良くない思いなのだろうが、守秘義務というのは何と便利なことだろうか。このように詰められても守秘義務の一言で相手を追い払える。……上村は私たちを解放してくれた。彼は去り際に「二度と来るんじゃねえ」と毒づいたが、たかがADごときに指図される筋合いはない。私たちは井川の運転するタクシーに乗り込み、谷岡が予約してくれていた宿へと向かった。
「どうも、ありがとうございました」
私たちは井川に礼を伝え、タクシーを降りる。谷岡が用意したのは旅館だった。地域で一番とはいかないが、かえってそれがくつろぎやすさを生んでいる。泉も私も、高級さがどうとか言ったものにはほとんど興味がない。そのため、私たちにとってはこれぐらいの規模間の方がありがたいのだ。
チェックインを済ませ、女将に部屋まで案内される。どうやらここは温泉にも入れるらしい。仕事とはいえせっかくなのだからひとっぷろ浴びてもいいだろう。夕食は部屋に運ぶと告げると、女将は部屋を出て行った。泉は部屋の中央にある座椅子に腰を下ろすと、谷岡からもらっていた資料を机の上に広げ始めた。そしてペンを取り出し、何かを書き込んでいる。先ほどまでの調査結果を記しているのだろう。私は机の向かい側に腰を下ろした。
「ひとまず、今日の調査はここまでですかね?」
「……ああ、そうだな。N局とイープラスは何か繋がっていることもわかったし、一日の成果としては上々だろう」
彼の言葉に、つい先ほどの出来事が思い出される。あの上村という男、かなり不躾な振る舞いだったが、何のつもりだったのだろうか。泉の手元にある資料を見ると、上村の名が見えた。どうやら泉もあの人物を怪しく思っているようだ。
「先生、あの上村って男なんですが……」
「ああ、実に好都合だったな。あいつのおかげで、N局とイープラスの上下関係がはっきりした」
「……え?そうなんですか?」
「あいつの言動はまさに『舎弟』そのものだっただろう。イープラスが探られるのを嫌がっていたしな。その上、あのアパートに住んでいる奴らは皆、本社からの異動だったとも聞く。事情をすべて把握しているうえで、工事の邪魔をされないよう見張っていると考えた方が自然だ」
「仮にそうだとすると、彼らの上下関係はイープラスの方が上ということになりますよね。ぽっと出の会社が上に立つなんてこと、あるんでしょうか」
「……そこだ。社会的地位すらひっくり返すほどの何か。それが歪みを生み出し、高木は清算に使われた」
「それが何かは……」
「ちっともわからん。俺は土木作業員じゃない。建材だけをみて、何が建つかを推測することは出来ん」
「……それもそうですね」
泉はペンをしまった。どうやら今日の分は書き終えたようだ。机に手をつきながら立ち上がり、「温泉に入るか」と言った。私は彼に続いて立ち上がった。
2時間後。たっぷり温泉を楽しんだ私たちは、部屋に用意されていた豪勢な食事を楽しんでいた。だがその間、泉の表情が晴れやかになることはなかった。ずっと思考の檻に囚われているようだ。考えていることはおそらく、N局とイープラスの上下関係をひっくり返した「何か」。……食事を終え、皿などをかだつけてもらった後。私は泉に話しかけた。
「先生、まだあの事をお考えですか。あの事については、ヒントが何もない中ではどうにも……」
「いや、案外そうでもないはずだ。……少し話は変わるが。羽田君は、人を殺すときにどれほど理由を思いつく?」
「え?」
酒を飲んだというのに、全く赤く染まっていない顔で泉はそう言った。……彼は無意味な問いかけをしない。これにも何か意味があるはずだ。ならば私にできることは、素直に返答すること。それ以外ない。
「……人間関係のトラブルだったり、あるいは金銭関係も。痴情の縺れも十分考えられますね。あとは、カッとなってというのもあり得ますね。他にも無差別殺人というのもありますし……。生きているのが嫌になったとか何とかも……」
「もう十分だ。今、羽田君が挙げてくれたように、殺人では無数の動機、最悪の場合動機がないということもあり得る。……だが、今回の件はどうだろうか」
「どう、と言いますと?」
「N局とイープラスの取引の動機は、殺人よりははるかに推察しやすいということだ。……例えば痴情の縺れ。これは企業間で全く関係のないことだ。その逆で、例えば人間関係。イープラスの社長あるいは役員が、N局との太いパイプを持っていた場合。いわゆる『友達価格』での取引が可能になるだろう」
「……なるほど。ですが今回の件で言えば、イープラスの方が立場は上です。その程度では上下関係は揺らがないかと」
「そうだな。では、こう考えよう。……イープラスが持っているパイプは、N局ではなく別の何かと繋がっていた場合。例えば、政府。……突拍子もないがな」
彼は冗談めかしてそう締めくくったが、その眼は真剣そのものだった。……確かに、彼の言うことが真実ならば、両社の上下関係がひっくり返るのもうなずける。だが、証拠がない。一見すると筋が通っているようだが、事実として認めさせるには証拠がいる。それがない限り、これは政府嫌いの人間が適当に作り出した嘘ということになる。……私はというと、彼が言い出した突拍子もない発言にただ驚くことしかできなかった。
「先生、それは……」
「酒に酔った男の世迷言だ。忘れてくれ」
泉はそう言うが、彼はどう見ても酔っているようには見えなかった。……本気なのだろうか。
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