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名前を失くした少年たち―指でなぞれば消える世界で、私たちは互いの名を呼ぶ。それだけが、生きていた証だった。  作者: 妙原奇天


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第16話 合唱:名の列車

 夜の風が、線路の枕木を舐めるように流れていた。

 湿った鉄の匂いが、喉の奥を焼く。

 その上に、八人の影が一定の間隔で立っている。

 月は薄く、雲の向こうで擦れたように光っていた。


 ユウが先頭に立ち、足元の白線を確認する。

 その一歩後ろで、サエが胸に手を当て、指先で拍を刻む。

 音は出さない。ただ、指の動きで全体のテンポを決める。

 レイは線路脇にしゃがみ、ハルの持つ小型端末の光を覗き込んでいた。

 画面には青白い波形と数字が流れている。

 擬似列車のパルス――夜間バッチの心臓だ。

 その鼓動にこちらの沈黙を重ね、街全体の“谷”を薄めるのが、今夜の目的だった。


 トオルがファイルを抱えて皆に視線を送る。

 影帳の簡易版だ。そこにはそれぞれの立ち位置と拍順、そして最後に白い印がある。

 「遠い順から、近い順へ」

 彼はそれだけ言い、口を閉ざした。

 誰も返事をしない。

 声を出すことは、もうすっかり禁忌に近い行為だった。


 葵は線路の脇で、パンチカードの小旗を一つずつ差していく。

 カードの穴は風を通し、時折かすかな音を立てた。

 風に揺れた瞬間、糸がきらめき、空に見えない音符の列を描く。

 その手元を、ミオが照らした。

 ランプの光は塩の粉で曇り、揺れるたびに影が震えた。


 「始めるよ」

 ハルが端末のボタンを押す。

 小さく電子音が鳴り、線路の奥で機械の鼓動が生まれる。

 擬似列車のパルスだ。

 それに合わせて、ユウが一歩を踏み出した。

 枕木の軋みが、夜の空気に沈む。

 続いてサエが指を動かし、皆がそれぞれのテンポで足を運び始める。


 ――足音だけの合唱。


 それが、彼らの“歌”だった。


 風が吹く。

 遠くの海の方から潮の匂い。

 ソラが最後尾でそれを読んでいる。

 潮位と風向きを頭の中で重ね、足音の間隔を調整する。

 線路の先は闇の中に消え、空だけが鈍く光っていた。


 始まって数分、異変は突然やってきた。

 線路の奥から、もう一つのリズムが混ざり込む。

 それは本物より半拍早い――偽のパルス。

 誰かが、あるいは何かが、夜間バッチを模倣して干渉してきた。


 ユウの足がもつれ、体勢を崩す。

 ミオが走って支え、二人の影が交錯する。

 サエは息を乱しながら胸を押さえ、拍のズレを戻そうと指を早めた。

 けれど偽のパルスは速すぎた。

 ハルの端末の画面が乱れ、波形が跳ね上がる。

 「ずらす。半拍、前へ」

 彼が短く呟くと、端末の光が赤く変わり、全員の腕輪に埋め込まれた小さな発光体が一斉に点滅した。

 トオルは帳面に赤書きを走らせ、拍順を更新する。

 だがその伝達には、わずかなラグが生まれる。


 足音がばらついた。

 線路の上でリズムが裂け、夜が歪む。

 レイは崩れかけた足場の石をどけ、誰も倒れないように間を詰めた。

 その動きの一つひとつが、静かな祈りのようだった。

 彼はもう、言葉を使わない。

 視線と手のひらだけで世界を整える。


 やがて偽のパルスは収まり、空気が静かに戻った。

 サエの指は震えていたが、テンポは取り戻された。

 ミオが頷き、ユウが拳を握る。

 その合図で、再び行進が始まった。


 ハルは次の策を試した。

 彼の背中のリュックから、白い布テープを取り出す。

 そこには休符の記号が描かれている。

 音のない“譜面”――沈黙そのものを線路に敷く。

 「これを貼る。物理的に刻むんだ」

 彼は短く言い、ユウとソラが先行してテープを転がした。

 葵が要所ごとに糸で端を留め、ミオが手元を照らす。

 レイは歩きながら、穏やかな声で話を始めた。


 それは祈りではなかった。

 子どもに聞かせるような、昔話のような語り。

 「昔、音がなくても通じた人たちがいた。声じゃなくて、目で、手で、風で、呼び合ってた」

 皆の注意が自然と彼の声に集まる。

 リズムが乱れかけるたび、話が呼吸を合わせる。

 夜が少しだけ柔らかくなった。


 けれどその平穏を壊すように、低い羽音が近づく。

 ドローンの群れだった。

 赤い光が線路を舐めるように走り、テープを狙って降りてくる。

 ユウが棒を振り回し、ソラは瓶を投げて反射光を作る。

 光の揺らめきが、夜空に淡い波紋を広げた。

 ミオは咳き込みながら、倒れた子を抱き寄せる。

 テープの一部は剥ぎ取られたが、線路に残った布がリズムの骨をつないだ。


 ハルの端末が震える。

 画面には街の地図と、白い帯が映し出されていた。

 「休符の帯、広がってる」

 線路沿いから、街の各所に静寂の波が伸びていく。

 夜間バッチの谷が減衰し、音の乱れが薄れる。

 だが同時に、別の通りで新しい谷が生まれる。

 押せば凹み、凹めば他が盛り上がる。

 その不安定なバランスを見て、ハルの眉が歪む。


 「これじゃ、意味がない」

 レイが静かに首を振った。

 「均すんじゃなくて、通すんだ。全部を平らにしたら、誰の声も届かなくなる」

 その言葉に、トオルが顔を上げた。

 影帳にペンを走らせ、線路から堤防、そして図書館へと伸びる線を描く。

 道そのものを祈りの動線にする。

 レイはその線を見て頷いた。

 「これが、列車のルートだ」


 夜風が強まる。

 テープが波打ち、パンチカードの小旗が音を立てる。

 誰も話さない。

 代わりに、動きが揃っていく。

 ユウの足音、サエの無声拍、ソラの瓶の低音、葵のカード旗、ミオの触れ、トオルの視線、ハルの逆位相。

 輪唱の列車が、ゆっくりと走り始める。


 街が震えた。

 線路の鉄が鳴り、電柱の影が揺れ、窓のガラスが微かに震える。

 どこかの家で、カーテンがひらりと動く。

 誰かが目を覚ましたのかもしれない。

 彼らの沈黙が、街の奥まで届いていた。


 ハルの端末の画面に、白い帯が太く広がる。

 レイが目を細める。

 葵の手が震え、糸の影が光を拾う。

 サエの頬を一筋の涙が伝う。

 彼女は拭わない。

 そのまま、胸の上で両手を重ねる。

 指先が、拍の形を作っていた。

 それは、静かな祈りに似ていた。


 誰も声を出さないまま、列車は走り続けた。

 線路の上を、見えない何かが駆け抜けていく。

 風が逆巻き、街のノイズが一段下がる。

 その瞬間、全員が確かに感じた。

 ――誰かの名が、通った。


 だが、次の瞬間だった。

 胸の奥が、何かを失うように冷たくなる。

 ハルの端末が震え、赤い警告が浮かぶ。

 〈全喪:1〉

 その数字の意味を、誰もすぐには理解できなかった。


 葵が胸を押さえる。

 息が詰まり、視界が白く霞む。

 風が吹き、パンチカードの小旗が一枚、宙に舞った。

 ユウが反射的に手を伸ばすが、指先が空を掴むだけ。

 旗は光を受けてひらりと回り、夜の闇に溶けた。


 「誰が……」

 ミオの声がかすれる。

 けれど誰も答えられない。

 影帳の該当行は真っ白。

 裏帳も煤けず、ただ空白だけが残っていた。


 サエが足元の白線を見つめる。

 そこにあったはずの印が、消えている。

 風がテープを揺らし、夜の闇がその隙間からのぞく。

 ユウが振り返る。

 隣に立っていた誰かの肩に手を置こうとして、止まった。

 そこには、もう誰もいなかった。


 街のどこかで、サイレンが鳴り始めた。

 遠くの空が、わずかに赤く染まる。

 テープの白が風にほどけ、波のように揺れる。

 列車のパルスは遠ざかり、夜の音だけが残る。

 レイは目を閉じた。

 「まだ、届いてる」

 その言葉に応えるように、サエの指が最後の拍を打つ。


 沈黙が、街の奥に落ちていった。

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