雷と初恋
深夜、陽光の届かぬ地下の線路に、湿った鉄と油の臭いが充満していた。
「歌舞伎町の中心までこんなに散歩させられるとは思わなかったぜ」
銀は、黒く濡れたバラスト石を踏みしめながら、背後の巨漢に声をかけた。銀の身長は一七〇センチ。隣の小次郎と並ぶと、その体格差は明らかだった。
「地球が死ぬかどうかだ我慢しろ」
小次郎は、学ランの襟を正し、無骨にそう答えた。小次郎は身長は一九〇センチの巨躯を持つ。その肉体こそが、彼の最強の武器だった。
銀は腰に装着したキャリコ100Mに手を触れた。特殊弾頭は残弾七十二発。空間を鶏卵大にえぐりとる弾丸だ。
線路は歌舞伎町へと向かって緩やかなカーブを描いている。その先、非常停止用の点滅灯の下に、ふたりの人影が立ちはだかっているのが見えた。
「来たか」
敵はふたり。ひとりは派手に着飾った少年。もうひとりは清楚な少女。
先に動きを見せたのは少年の方だった。
「ひゃっは! 待ってたぜ、オレらの獲物!」
ツバサと名乗る少年は、一三才とは思えぬほど攻撃的な声を上げた。身長は一四〇センチ。まだ声変わりもしていない細い身体には、蛍光色のパーカーと、破れたジーンズ、そして大量のチェーンと缶バッジがじゃらじゃらと着けられていた。そのストリートファッションは、古びた地下の風景とはかけ離れた、強い色彩を放っている。
彼の隣には、のえると名乗った少女がいた。ブレザーに身を包み、まるで教会学校の生徒のように見える。身長は一五五センチと小柄で、胸元は少し寂しい。
「あたしは、できれば戦いたくないんだけどな……」
のえるは不安げに呟き、腰に下げたウサギのマスコットをきつく握りしめた。
その言葉と同時に、ツバサが動いた。
「のえるの優しさが仇になるぜ! オレは容赦しねぇ!」
ツバサの全身から、青白い光が弾けた。それは星屑を意志とイマジネーションでねじ伏せる超能力だ。濃密な大気中のエネルギーを収束させた高圧電流。遠近自在に操られる雷撃が、線路沿いの空間を焼き焦がし、銀目掛けて放たれる。
その速度は、人間の反射神経を以てしても回避は不可能と判断させるものだった。しかし、銀よりも早く、鋼鉄の壁が立ちふさがった。
「させるか!」
ーー小次郎だ。彼は身体を横に滑らせ、銀の前に飛び出すと、片腕を大きく広げた。
バチィィィンッ!
雷撃は全て小次郎の巨躯に吸い込まれた。学ランは焦げ、彼の全身は激しく痙攣する。
「小次郎!」
「大丈夫だ……クソみてえな電気だな。体が……痺れる」
この一瞬の隙は、銀には十分だった。銀は躊躇なく腰のキャリコ100Mを抜き放つ。
「大胆に行くぜ、坊主ども!」
銀は引き金を絞った。特殊弾頭が唸りを上げて空間を裂く。目標はツバサの心臓と、のえるの四肢。九発の空間をえぐりとる弾丸が、一直線にふたりへ向かっていく。
残弾は、六十三発。
しかし、のえるは慌てなかった。彼女は両手を前へ突き出し、震える声で呟いた。
「あたしを……守って!」
瞬間、九発の弾丸の軌道全てが、不可視の壁に阻まれたように外側へ逸れた。
空間の歪曲。
鶏卵大の空間を消滅させる銀の特殊弾頭でさえ、のえるの超能力の前には無力化されたのだ。弾丸は線路脇のコンクリートに不規則な穴を開け、その威力を喪失した。
「チッ、厄介な能力だ」
一見で見切った銀が舌打ちをしたその隙に、ツバサが反撃に出る。小次郎の防御が消えた今、銀は電撃に対して無防備だった。
「イテェだろ、クズが! カグヤに盾突いた罰だ、たっぷり味わえ!」
二度目の雷撃は、小次郎を避けて銀に直撃した。全身の筋肉が意思とは無関係に収縮し、激しい痛みが骨の髄まで響く。銀は線路に倒れ伏し、キャリコ100Mを握りしめるのが精一杯だった。
「ぐっ……があぁあ!」
ツバサはさらに雷撃を放った。身体中を駆け巡る高圧電流に、銀の意識は途切れそうになる。
銀は残りの弾頭を、牽制と、のえるの歪曲能力の持続性を見定めるための捨て弾として撃ちまくった。
残弾六十三発から、さらに二十二発の特殊弾頭が、無意味と知りながら周辺の壁や天井へ乱射される。轟音と空間の亀裂が、地下の線路に響き渡った。
この抵抗の甲斐もなく、のえるは全てを無力化し、ツバサの電撃は銀を嬲り続けた。
銀の残弾は、四十一発にまで減少した。
完全に戦闘不能寸前になったその時、焦げた学ラン姿の巨漢が、重い鉄の鎖を引きずるような音を立てて立ち上がった。
「もう……終わりか……?」
ツバサの顔に嘲笑が浮かぶ。だが、その嘲笑はすぐに凍りつくことになる。
小次郎は、電撃を浴び続けたことで逆に身体の細胞が覚醒したかのように、全身から湯気を立てていた。
「俺は、おめえらの遊び相手じゃねえ」
彼の無骨な顔が、怒りに歪む。超能力ではない。ただの、鍛え抜かれた肉体と意志の力だけが、彼を動かしていた。
小次郎はツバサに向かって一直線に駆け出した。ツバサは即座に強力な雷撃を放つが、小次郎は避けようともせず、それを耐え抜いて距離を詰める。
「馬鹿か! 死ぬぞ!」
ツバサが焦って叫んだ。
のえるは顔を青ざめさせ、最後の切り札を使った。ツバサの周囲の空間を、最大限の力で湾曲させる。それは、弾丸はおろか、物質の通過すら許さない、完璧な守りの空間だった。
だが、小次郎の拳は、ただの拳ではなかった。
「おれの拳は……男の怒りだ!」
彼はその剛拳を、のえるが作り上げた湾曲した空間の壁に叩き込んだ。
ゴォォォォン!
地下全体が揺れるような、重く鈍い破壊音が響き渡った。
空間が破れた。ただの拳圧によって、超能力の防御障壁が、ガラスのように粉砕されたのだ。
「え……嘘……」
のえるは信じられないといった表情で立ち尽くす。
防御を失ったツバサに、小次郎の拳が炸裂した。一発。ただの一発で、ツバサは蛍光色のパーカーから火花を散らし、意識を失って線路に倒れ込んだ。
勝負あり。
のえるは、意識を失ったツバサから目を離し、ゆっくりと小次郎へと視線を向けた。その眼差しは、先ほどの不安げな少女のそれとは、全く違っていた。
「……あたし、負けを認めます」
のえるはブレザーのスカートを払い、恭しく頭を下げた。
「そして……その、空間を壊すなんて……なんて
強いの……」
彼女は頬を真っ赤に染め、震える声で小次郎に告げた。
「あたし……あなたのこと、好きになっちゃー」
小次郎は、雷撃で焦げた服から立ち上る煙を払うことすら忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。銀のキャリコ100Mに残る特殊弾頭は、四十一発。線路には、雷撃の焦げ跡と、空間がえぐられた無数の穴だけが残された。
前途は多難に思えた。




