第四章 聞いてない大使館訪問
研究所での長い打ち合わせを終え、直樹はどっと疲れを感じていた。
博士、博士、と呼ばれ続け、質問攻めにされ、ハリムには冷たい目で数字を突きつけられる。
「平社員の飲料メーカー社員」が、いつのまにか国の環境政策のキーパーソンにされている現実に、足取りも重くなる。
廊下を出たところで、アユがさらりと言った。
「では、次は日本大使館です」
「……え? ちょ、ちょっと待ってください。なんですって?」
「日本大使館。博士の表敬訪問が予定されています」
「いやいやいや! 俺、そんな話聞いてません!」
「外交的に当然の流れです。博士ですから」
直樹の胃はきゅっと縮んだ。
(……俺、完全に逃げ場ないじゃん!)
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日本大使館にて
車に揺られること三十分。
窓の外には大使館が立ち並ぶ整然とした街並みが広がった。
ゲートの前には警備兵が立ち、白い建物の前で日本人の館員が笑顔で迎えてくる。
「日本大使館へようこそ、博士」
応接室に通されると、壁にはインドネシアの地図と歴代の大統領の写真。
紅茶と菓子が並べられ、館員はにこやかに語り始めた。
「インドネシアは世界最大の群島国家です。大小一万七千以上の島々からなり、人口は二億七千万人を超えます。
経済は成長を続けていますが、海洋汚染や貧富の格差、女性の労働参加率など、課題も山積しています」
直樹は相槌を打ちながら、心の中では(俺が環境白書を聞かされる必要ある!?)と叫んでいた。
「博士には、こうした背景を踏まえたうえで、ぜひインドネシアに新しい解決策をもたらしていただきたい」
館員の言葉に、直樹は紅茶を飲みかけてむせそうになった。
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市場にて
大使館を出た帰り道。
車の中で、直樹はふと思い出した。昨夜、AIが無機質に告げた指示を。
——推奨:実験資材を調達してください。
——必要資材:竹フレーム、漁網、固定石材。
「……あの、アユさん」
「はい?」
「竹とか……漁網とか……売ってる場所、知りません?」
アユは一瞬きょとんとした後、ため息をついた。
「博士、漁村で遊具でも作るつもりですか?」
「ち、違います! 実験に必要なんですよ、実験に!」
「……はあ」
しぶしぶ案内された市場は、雑多な活気に満ちていた。
カラフルな布、積み上げられた果物、魚の匂い、スパイスの香り。
直樹は値札もない漁網を前に立ち尽くす。
「す、すみません、この網……いくらですか?」
店主はにやりと笑い、指で高めの数字を示す。
直樹は青ざめた。
「た、高い!?」
アユはため息をつき、流暢な現地語で交渉を始める。
数分後、半額以下に値下げされ、店主は笑顔で網を包んだ。
竹も同じ調子で購入され、最後に石材を探しているとき、直樹は小声でぼやいた。
「……これ、本当に博士の仕事なのか? DIYじゃん……」
アユは聞こえなかったふりをして歩き続けた。
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ホテルへ戻る
夜、車のトランクには竹と網と石材がぎっしり。
ホテルの部屋に戻ると、直樹はベッドに倒れ込み、天井を見上げた。
「……なあNavi、俺さ。ほんとにこれでプラスチック取れるのか?」
——推奨:実証試験を実施してください。
「……聞いた俺がバカだった」
直樹は頭を抱えたまま、眠気に負けて目を閉じた。