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願わくば、同じ君へ  作者: 凛々花
第一章
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佐々木葵斗 朝練と世界線

 僕が女子と仲良くなりたいと思ったのは初めてだった。今日こそは声をかける、と入学してからもう二週間経っている。この気持ちを僕は知らない。初めてのカテゴライズができない感情がなんだかとてもこそばゆい。 

 テニスコートの入口の右側には自販機が三台並ぶ。そのちょうど向かい側には部室棟の脇の階段がある。その階段を上がれば二階の室内系運動部の部室と、体育館の入り口に繋がっている。二階へ上がる階段は他にもあって、この階段は普段あまり使われない。その階段の三段目くらいに彼女は毎朝座っていた。大抵、部活の服を着たまんま、パックジュースを飲んでいる。肩に羽織っているのは学校ジャージなのに、彼女が着ているとそう見えないから不思議だ。

 いつも熱心に何かしらをしていて、なかなか声がかけづらい。ボールを磨いていたり、動画を見ていたり、パックジュースを飲んでいたり、そもそも、そもそも声をかけたとして、何を話したいかもわからないし、話を続けられる気がしない。しかし、今日はもうすぐ予鈴が鳴るというのに、まだ着替えが終わってないようだ。あんな必死に何をみているのだろう。

「時間、大丈夫?」

 彼女は、驚いてこちらの方に顔を上げた。そうして、僕を見つけると、にこっと笑った。ちょうど背後には満開の桜があって、一瞬に心を奪われた。こんなに笑うのか。僕の方が戸惑った。

「同じだね、急ごっ」

 そして、彼女は階段を駆け上がっていく。同じ? 何が同じなのだろう。少しの間そこに立ち止まっていた。

 その後、制服姿の彼女と廊下ですれ違いざま、「さっきありがと、佐々木くん。おかげで間に合った」と言いながら、隣の教室へ駆け込んで行った。ん? 彼女は僕の名前を知っている、なぜだ?

 しかし、今は頬が緩み、何も考えられなかった。多分、これがセロトニンとかいうやつだ。彼女は僕の名前を知っている。ちなみに、それは野球鞄の刺繍の名前の仕業だとすぐ後になって気がついた。忌々しく思っていたダサい白の刺繍だ。初めて悪くないかもと思った。


 瀬山遥。隣のクラスのバスケ部の女子。

 名前が既に可愛いと思うのは僕だけだろうか。まだ二週間たらずで男どもは本音を話してないが、おそらく瀬山さんのことを可愛いと言う男子は多いと思う。髪が短く、色白で、切長の一重に黒目がちな大きな瞳、背は高く、全体がスラッと、シュッとしている。

 恋愛とかには興味がなさそうな感じで、とにかく爽やかなスポーツ系の女子だ。他の女子は体育が終わったら、制服に着替える中、彼女は体操着のまま三限とか平気で過ごす。しかし、なぜかおしゃれに見える。制服も、リボンとかはつけず、シャツはブルー、紺のカーディガンと紺ソックスには同じブランドのマークが付いている。それだけなのに、何か洗練されていて、他の女子とは一線を画していた。少なくとも僕にはそう見える。

 その他わかっていることは、瀬山さんが一生懸命部活に取り組んでいることだ。僕が朝練に来て、体育館からボールが弾む音が聞こえなかったことはない。そんな彼女と僕なんかが仲良くなれるはずはない。それは分かってはいるのだが……名前を呼ばれた高揚感がそれを打ち消す。


 ホームルームの間、僕はクラスの女子を見渡した。何と言うか、瀬山さんのあの清らかな雰囲気はない。あの笑顔を知っているのは、どのくらいいるんだろうか。僕だけなんじゃないかと、ぼんやり考えていたら、一限の古典が始まっていた。

 次の日、瀬山さんはすぐに教室へ行ってしまったらしい。着替えを終えた俺は、今日はダメかと、やや投げやりに自販機のボタンを押す。すると後方から声がした。

「佐々木くん、今日も同じだね」

 彼女が笑いながら立っている。これは? 幻? ラッキーにも程があった。

「何が同じなの?」

 俺は高揚する気持ちを抑えて聞いてみた。わかってる、制服だってことだろう。

「パックジュース、私もこの味が好きなんだ」

 瀬山さんが微笑んだ。違った。制服が同じだとはしゃぐ自分が恥ずかしい。そもそも全校生徒が同じではないか。そうだ、パックジュースの好きな味が同じであることの方が尊いように感じる。ホワイトサワー味。瀬山さんの『好き』というワードが頭の中をぐるぐる巡る。

「あ、瀬山さんもか。俺も」

 突然、瀬山さんが不思議そうにのぞき込むように僕を見てきた。どっ、と僕の胸が大きく動く。

「何で私の名前知ってるの?」

 僕は朝練でよく見かける彼女について、同じクラスのバスケ部の高橋からそれとなく聞いていた。それから僕と瀬山さんは一緒に校舎の方へ、歩いて行く。はしゃぐ気持ちを抑えて、なるべく平坦に答えようと努めた。

「高橋に聞いたんだ。瀬山さん、バスケ上手いって言ってたよ」

 端的な説明をしておいた。

「あっ、そうなんだね」

「いつからバスケしてるの?」

「小二かな。おねいちゃんがやってて、ついてってたの。佐々木くんは? あ、鞄で名前わかったの」

「俺もそんくらいかな、地元に結構有名な少年野球チームがあって、友達がそれに……」

 突然、「遥、おはよう!」と複数の女子の声がした。彼女のクラスの子が瀬山さんに挨拶をしている。会話は遮られる。「またね」と、瀬山さんは笑いながらくるりと体を女子の方へ向け、歩き始めた。

 あの子はバト部の矢野さんで、仲がいい子もキラキラしているなと思った。もう一人も学年で美人で有名な梅崎さんだ。何がそんなに違うのかわからないが、違うんだ。爽やかでスポーツができて可愛い人は、男女問わず人気者だ。

 そういうもんだろう。

 途端に、瀬山さんの背中が遠く見えた。彼女たちが歩くその廊下は僕が歩くのと同じなのに、何かが決定的に違っていて、同じ教室なのに、世界線が分断されている。違うんだ。僕はこの線を越えられない。さーッと、脳の血が引いていくのが、目の前の世界の彩度が曖昧になっていくのが、分かった。


 それからも瀬山さんは変わらず朝練をしているようだった。ほとんどの部活が朝の活動は個人の自由らしかった。部室棟に来ているメンバーはだいたい同じで多くない。バドもバレーもバスケも必ず朝練に来てるのは少ないらしい。そして、瀬山さんはだいたい誰よりも早くきて、シュート練をしているらしい。これはこの間、高橋に聞いた。まだ静かな朝、ドンドンと響くバスケットボールの音に僕は密かに耳を傾ける。

 僕はそれからも声をかけることはなかった。ゴールデンウィークが過ぎ、五月が終わりに近づいても、状況は何も変わらない。変わるはずもないのだけど。それでも、また明日もきっと、僕は彼女を見てしまうんだ。

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